「日本人の歴史―歴史に誇りを持てない国は滅びる」佐治芳彦著
(内容:西洋史偏重、極端な中華思想や韓国におもねる自虐史観から解放されよう! 縄文時代から弥生、古代から中世・近代へと連綿と続く日本列島の3万年史の疑問を解説)
読んでないけどタイトルがいいよね。捏造自虐史観で洗脳されて、日本の歴史に誇りを持てない日本人は多いもの。日本人って、本当はとても優しい民族なんだよって、みんなに知って欲しい。それにしても、下記紫霄閣様の「日本語は免疫機構のような働きをしている」というのは私も目からウロコだったわ。母音は共鳴音で自然音、子音は障害音で不自然音。以下、個人的なメモとしてれんだいこ様、紫霄閣様よりホンの一部転載。みんなは元サイトを見てね。
▼れんだいこ様サイトより
通説は、漢字渡来以前の日本には文字がなかったとしている。しかし、万葉仮名を経由して平仮名、カタカナが発明されつつ次第に日本語が形成されていった経緯を読み取るとき、逆に不自然なことになる。万葉仮名自体が、それまでの日本語をベースにして漢字が当てはめられており、これを逆に云えば漢字渡来時点で確固とした上古代日本語が確立されていたことになる。日本古代の神代文字の数々が確認されているが、いずれもアイウエオを母音とする48文字を基本にしているところに特徴が見られる。これは試論であるが、れんだいこが思うのに、このカタカムナ文字がどうやら原日本語である可能性が強い。言語こそは民族のアイデンティティーそのものであり、続くのが生活習慣、宗教、風俗なのではなかろうか。
日本語は、アルファベット文字的な記号の集合言語ではない。漢字的な意象文字ではない。敢えて云うなら哲理文字とも云うべき性格を備えている。しかして、その哲理が深く、近現代科学がお辞儀をせざるを得ない代物となっている。それ故、日本語は言霊(ことだま)文字とも云われている。日本語の中に生命の本質に対する洞察が宿されているからである。カタカムナ文明の存在を指摘した楢崎皐月氏は、次のように原日本人を定義している。「エネルギー準位の高い日本に住み、この国土で採れた食物を食べ、コトダマのサキアフ日本語を話すことによって、そのココロが自ずから日本人のココロになる。そのココロを身に付けた人が、即ち本当の意味での日本人なのである」。
gengogakuin/mojikakutokuhico/katakamunagoco/top.htm
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▼紫霄閣様サイトより
【北米、中南米、南太平洋の先住民たちの大虐殺】
米国建国の伏線には、スペイン、ポルトガル、*国などによる先住民の大虐殺史がある。1492年、ポルトガルのコロンブスが新大陸に到着。これから、アメリカ先住民たちの嘆き悲しみと筆舌に尽くし難い苦悶が始まる。1519年、スペインのエルナン・コルテスがメキシコに到着。先住民を大量殺戮し、マヤ・アズテック文明を滅亡させた。今日わずかに残るメキシコのある種族の末裔の祭礼儀式は、日本の神道儀式と瓜二つという。北米においても征服者たちは呵責なく先住民を殺していった。彼らは先住民内部の抗争を巧みに利用した。加えてヨーロッパ人がもたらした天然痘を始めとする種々の病気が先住民の人口を激減させた。
彼らの日本に対する本格的な侵略は、ペリーの浦賀来航によってついに実現した。ペリーの来航で当時の幕府が驚愕したのは黒船が強そうだったからではない。清国のアヘン戦争を知っていて、英国を中心とする欧米勢力の恐ろしさを知っていたからである。英米は日本に友好のために来たのではない。侵略するために来たのである。英米仏を操っていたのは『かの勢力』である。その後の歴史を見て読者はおかしく思ったことはないだろうか? 侵略に来た筈の英米と仲良くなり、あろうことか悲惨な目に会っていた清国を叩き、さらに米英から金を借りてロシアと戦うはめになる。この日露戦争の戦費を賄うために外債の発行を命じられたのは大蔵省財務官高橋是清であった。大国に立ち向かう極東の小国に大金を貸そうなどという無謀な者などいる筈がない。困り果てた是清に手を差しのべたのは、米国クーン・ロエブ商会の代表者ジェイコブ・ヘンリー・シフであった。
(参考) 歴史 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=16
太平洋戦争 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=39
阿片戦争/南北戦争/明治維新/日銀 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=54
【日本語型(心の文化)と西欧語型(論理の文化)】
文明と言語とは極めて強い相関を持つ。欧米そして日本を除く文化圏の言語は全て子音が強い、または母音が弱い言語であり、日本語は対照的に母音が極端に強い言語である。7才から9才においてどちらの言語で育つかが、その人のその後の一生にわたる聴覚脳の働きを決定してしまう。そしてその聴覚脳の違いは、文明の根本思想の違いを如実に表している。東京医科歯科大学名誉教授角田忠信博士の発見を要約すると、全ての人は、日本語型か西欧語型のいずれかに明確に分離され、中間はない。但し左右脳の感応度の優位性には個人差があり、非常に強い西欧語型、弱い西欧語型といった差はある。
日本語型脳では、心(身体に対しての精神、情緒)と体(もの)を明確に分け、西欧語型脳はロゴス(理性・言語・意味・論理)とパトス(非理性・感情的・熱情的)とを明確に分けている。これは人種の違いには全く関係がない。英語環境で育った日系2世は西欧語型となり、日本語環境で育った西欧人2世は日本語型となる。日本語型は、現代では日本とポリネシア諸島くらいしかない。西欧語型は日本とポリネシアを除く殆ど全て。中国も韓国も西欧語型である。これは極めて論理的で闘争的な西欧人と、あいまいで和を尊ぶ日本人の違いを見事に表している。
【日本語型文化と西欧語型文化との戦い】
BC2600年~BC1450年頃に栄えた先ギリシャ文明・ミノア文明は極めて日本文化と類似した特徴を持っていた。彼らは滅ぼされ、歴史の闇の中に消えていった。アメリカ大陸の先住民たちの中にも、日本文化と類似した特徴を持つものが多かった。前述したように、メキシコのある先住民たちの末裔が今日神を祭る儀式は、日本の神道儀式と瓜二つという。彼らもまた滅ぼされ、ほとんど闇の中に消えようとしている。私は、ミノア文明の人々も、メキシコの先住民たちも、母音優勢の日本語型言語を有していたと思っている。ちなみに、アイヌ語も、琉球語も日本語型である。
日本語型は草食動物的、西欧語型は肉食動物的といえる。おそらくこの言語の違いは、食生活の違いとも極めて密接な関係があると、私は信じている。そして、肉食動物が草食動物を滅ぼしてきたように、『西欧語型文明が日本語型文明を滅ぼしてきた』と私は思う。それが現代までの人類史ではなかったのか?
日本の先達たちは極めて長い期間、肉食を禁止してきた。今日ほど肉食が盛んな時代はなかった。その今日、日本の気高い精神性は大崩壊を起こしている。この両者は極めて深い関係がある。日本の先達たちが肉食を禁止したことには実に深い意味があった。幕末以降、誰が日本に肉食を強要したのかを深く考えるべきである。(ちょここ:後記「肉食と狂牛病」参照)
日本は西欧から遠く離れ、南北に長いため気候の長期的変化にも強く、温暖多湿で文明を育む清流と山々に囲まれ、そしてその中で育った偉大な先人たちの絶え間のない努力があった。このような奇跡的な条件が揃って、今日まで日本が生き残ってきたのでないだろうか。換言すれば、かつては日本語型言語と日本語型文化が世界の趨勢だったのではないだろうか。その文化は今日想像されているような野蛮で卑しいものではなく、誇り高く崇高で、和を尊ぶ平和な文明だったのではなかろうか。そして崇高な文明を育むための条件が全て揃っていた日本はその中心ではなかったのか。
【エイズウィルスに侵入され、ガン化した西欧語型文化】
一方、西欧型言語は巨大な現代文明を築き上げた。しかし子細にみると、その後ろには常に怪しげな影がつきまとっていた。『かの勢力』である。『かの勢力』の行動は、西欧語型文明の究極の姿を体現している。元々は極めて子音が強い言語を持ち、極めて強い『西欧語型の脳』を持った種族だったのだろう。例えれば『どう猛な肉食動物』である。しかし『かの勢力』の行動を見ていると、単なる『どう猛な肉食動物』ではない。エイズウィルスのように、食べる相手の体内に住み付き免疫系を破壊しながら、そしてガン細胞のように自分自身が滅びるまでどん欲に食らい続ける。単なる『どう猛な肉食動物』に恐ろしい何かが、エイズウィルスのような免疫系を破壊する何かが取り付いたのではないか。そして彼らの西欧語的特徴を極端なまでに昇華させた。『エイズウィルスに侵入され、ガン化した肉食動物』。これが『かの勢力』であり、また彼らに蝕まれた『現代の西欧』ではないだろうか。誕生時からこの『エイズウィルスに侵入され、ガン化した肉食動物』を内包していた米国は、現在激しくエイズウィルスに侵され、ガンを始め多種多様の病状を呈している。
【「日本語型文化」と「西欧語型文化」の特徴】
●日本語型文化…母音優性の言語。日本語・ポリネシア語。心の文化/情の文明。こころ・もの。全・相対的。闘争の歴史の中で滅亡(日本は奇跡的に生き残り)。自然に育まれてきた文化。自然と融合し一体化。自然の中に神性を見る(他の動植物も含む)。絶対的神と悪魔は存在しない。菜食。畜産の概念なし。集団主義。伝統、調和、先祖崇拝、精神性重視。生みの文化、発展性の文化。自然治癒医学。
●西欧語型文化…子音優勢の言語。欧米語・中国語・韓国語他多数。論理の文化/智の文明。ロゴス・パトス、個・絶対的。闘争の歴史の中で勝利(現代社会を構築)。自然と闘ってきた文化。人間と自然とは相反。自然の中に神は存在せず。絶対的神と悪魔の存在。自然破壊。肉食、畜産。経験的実証主義。個人主義。近代科学、近代経済学、拝金思想共産主義・資本主義・民主主義行き過ぎの人権主義。セックス、暴力、快楽追求。破壊の文化、死に至る文化、悪魔の産物(原爆)。現代西欧医学、解剖、動物実験医学。悪魔の産物(エイズ、GWI)。
【ヒューマニズム(人本主義)とルシファー(悪魔)の目】
1789年8月26日、フランス革命後の憲法制定国民議会はフランス革命の成果とその普遍的原理を列記した『人間および市民の権利宣言(人権宣言)』を採択した。この『人権宣言』を描いた有名な絵には、米国の1ドル札の裏に描かれているのと同じマークが描かれている。『全てのものを見通す目』、別名『ルシファー(悪魔)の目』である。『人権宣言』の上で輝くこのマークは、フランス革命を起こした『かの勢力』がフランスを乗っ取ったという勝利宣言であるとともに、『人権宣言』が彼らの戦略の一環として作られたことを意味する。(参考:ルソーのフランス革命
http://ameblo.jp/myaimistrue/entry-10369517776.html)また、1ドル札のこのマークは、1933年、ルーズベルト大統領がニューディール政策を発足した時に刷り込まれた。米国を乗っ取った『かの勢力』の勝利宣言であった。
【エイズウィルスに侵食され、モザイク化している日本】
平成6年9月25日の日経新聞で、『モザイク・ピープル』が紹介されていた。今日臓器移植が盛んであるが、移植によって生じる変化は臓器だけにとどまらないことが最近分かってきた。臓器移植を受けた患者は通常、免疫抑制剤を一生飲み続けなくてはならない。ところがある事情で免疫抑制剤の投与を止めても、拒絶反応が起こらない場合があった。この人々を調べてみると、臓器の元の持ち主の細胞が体のあちこちに住み着き、二人の細胞がモザイクのように共存していた。即ち、男性の臓器を移植された女性の体内からは男性の染色体が、そして猿の臓器を移植された人の体内からは猿の染色体が検出されるのである。この状態になると、元の臓器の持ち主の細胞に対して拒絶反応はおきない。何故拒絶反応が起きないのかは全く分かっていない。このような状態になった人は『モザイク・ピープル』と呼ばれている。医学界ではこの反応を臓器移植に活かそうと積極的に研究している。米国ピッツバーグ大学では、心臓、肝臓、肺を移植する際に、骨髄を一緒に移植してモザイクにする試みを始めている。骨髄移植が、モザイクを作るのに最も手っとり早い方法だからである。骨髄は輸血同様、血管から点滴で入れるので手術は必要ない。骨髄細胞は血液に乗り、体中に行き渡る。免疫抑制剤は移植直後のみ一時的に与える。
現代西欧医学の様々な問題点を考えると、この『モザイク・ピープル』という言葉は私には恐ろしく響いた。これは自然の摂理に反しているのではないか。現代の医薬品には極めて危険なものが多い。ある医薬品が男性の精子生成のメカニズムの機構を少し緩めたとすると、他人の細胞が精子に入りはしないか? もし入るとすると、元の臓器の主人が猿であれば、精子は猿の遺伝子を持つことになる。骨髄移植がモザイクを作るとしているが、輸血はどうなのであろうか? ドイツより日本に血液型不適合の知見が持ち込まれたのは第一次大戦当時であり、輸血がこれ程日常的に行われるようになったのはそう古いことではない。今日、血液はその人の太古からの歴史を示す程に、各人毎に異なることが分かってきた。現代西欧医学では、血液を単なる物質として輸血しているが、何か重大な問題が内包されているのではないか? (プリンセス天功も昔大事故で大量輸血をして血液型が変わり、性格も全く別人のように変わったとのこと。私が好きな千島学説によると、赤血球は体細胞の母体であるという)
モザイク・ピープルの話を聞いて、私は現在の日本を思い浮かべた。日本において、日本語は免疫機構のような働きをしている。外国から入ってきた人々は、時が経れば日本語によって『日本語型文化』の担い手になった。実に強力な免疫機構であった。ところが、日本語で育ちながら、『エイズ化した西欧語(中国語・韓国語含む)文化』の特徴を持つ者たちが日本のあちこちに多く点在するようになってきた。この者たちは増殖を繰り変えし、日本の社会全体を大きく揺さぶるようになってきた。日本ではこの現象は昔からあったがそれはごく一部で、これ程までに激しく増殖したことはなかった。社会のあちこちに、『エイズ化した西欧語文化』の特徴が出現してきた。彼らは日本語型の脳はしているものの、何かの要因でその行動には『エイズ化した西欧語文化』の特徴が出てくるのだと思われる。それはあたかも、日本語の免疫作用が効いていないように見える。後述するが、日本における有害かつ残酷な動物実験医学の興隆はその典型的な例である。
しかし一方で日本語という強力な免疫機構はまだ十分に生きており、他の細胞がエイズ化されることを防いでいる。そのために米国のような急激な崩壊現象は起こさず、日本的伝統はそれなりに生き残っている。今日の日本はこのような『モザイク・カントリー』ではないだろうか。そして『モザイク・ピープル』同様、『モザイク・カントリー』も自然の摂理に反しているのではないだろうか。
『日本語の免疫作用』を弱めるのではないか、と私が危惧しているものが少なくとも二つある。『肉および動物性脂肪を多く含む食事』と『英会話ブーム』である。両者とも第二次大戦後、必要不可欠なものとして大宣伝されている。食事によって人の体型と性格が変わってくることは比較的良く知られている。『肉および動物性脂肪』を多く含む食事は子供の性格を粗野にし従来の日本的食事は性格を穏和にするという。今日の肉安間および牛乳の生産過程は極めて多くの問題を含んでおり、薬物の影響が強く懸念される。米国でのホモの急増は、牛に与える女性ホルモンが原因とも言われている。また最近ではたいへん足が長くスマートな若い日本人女性が続々と登場してきた。これは果たして手放しで喜べる現象なのであろうか? 『日本語の免疫作用』という観点から見た時、極めて重大な問題をはらんでいるのではないだろうか?
次に『英会話ブーム』についてであるが、本来『外国語』を学ぶ目的は、外国の文化を理解し、外国の人々と本当の意味での意志疎通を図ることである。外国人と少しでも付き合えば分かることであるが、『語学力』よりも『本人の品格・知性・知識・教養、そして外国文化の理解』の方がはるかに重要である。従って『外国語』を学ぶ場合は『会話』ばかりでなく、『外国文の読解力』およびその基本となる『日本語教育』が極めて大切である。角田博士の研究成果は、日本人が外国語を学ぶ上で留意すべき、さらに重要なことを示唆している。人間は言葉を聞いている間は一時的に『もの的な音』も左脳優位に反転する。ところが、日本語型の人は英会話をした後も『もの的な音』が中々右脳優位に戻らない。すなわち英会話をしている日本人は、全ての音を左脳優位で聞く極めて片寄った脳の使い方が長く続くのである。これは日本語で育つ子供たちに『英会話教育』を長く続けると、右脳の発達が阻害されることを意味してはいないか。
【動物実験】
動物実験自体は、ガレヌス(130年~200年)の例にもあるように古くから行われていた。動物実験はまさしく、自然の中に神は存在しないとし、生物を『もの』として捉える『西欧語型文化』が生みだしたものである。 『西欧語型文化』は動物の狩猟から『畜産業』を生みだし、『畜産業』から『動物実験産業』を生みだした。『畜産業』と『動物実験産業』とは思想を同じくする。日本では幕末まで『畜産』という概念はなかった。世界中でこの時期まで『畜産』を経験していない国はほとんど日本だけであった。西欧人および一部の日本人たちは、これが日本の際だった後進性を示すものだと、声高に叫んだ。決してそうではない。日本人は、『畜産』を生まなかった崇高なる『日本語型文化』を誇りにすべきである。
『動物実験』が巨大産業として急成長するのはフランス革命以降である。それはまさしく、『エイズ化された西欧語文化』のなせる悪魔的所業であった。今日の現代西欧医学は『動物実験』の上に築かれているといっても過言ではない。それ程に『動物実験は』は今日興隆を極めており、世界中の大学の医学部や医薬品会社の研究室では昼夜を問わず残酷な実験が継続されている。今日の世界で最も動物実験が盛んな国は、米国と日本である。『畜産』を産まなかった崇高なる『日本語型文化』はどこに行ってしまったのだろうか?
ルネ・デカルト(1596年~1650年)の『方法序説』と、その考え方を動物実験に持ち込んだクロード・ベルナール(1813年~1878年)の『実験医学研究序説』は今日まで、フランスが生んだ最高の科学文献、および思想であると賞賛されている。リヨン近郊の農民の家に生まれたベルナールは、ヴィルフランシュのイエズス会の寄宿学校に入学して成長した。その後医学校コレージュ・ド・フランスに進学したが、凡庸な学生であった。しかしある日、突然奇跡が起こった。その日彼は、動物が生きながら解剖される有り様を実験室で始めて見た。それ以降、彼の動物実験に対する熱情はすさまじいものであった。彼は医学には殆ど興味を示さず、動物実験研究にのみ情熱を燃やした。医学には興味がなかったため、医学校での成績は最下位に近く、最終の医学試験は落第した。彼の動物実験の一般的な方法は、動物から一つの器官を摘出し、不具になって苦しみ抜いている動物を人工呼吸やアンモニアを使って蘇生させながらできるだけ生かし、観察を続けることであった。麻酔はまったく施さずに、極めて長時間の実験を行った。彼は時には苦しんでいる動物を寝室にまで持ち込んで観察を続けた。矢尻に塗る猛毒として南米で使われていたクラーレは、運動神経のみを麻痺させ、感覚神経は逆に興奮させる。従って、これを投与された動物は恐ろしい程の苦痛を味わう。ベルナールはこの発見に有頂天になり、愛用した。今日クラーレの実験動物に対する使用はあまりに残酷過ぎるとして公式には禁止されている。しかし、欧米で実際には広く使用されている。彼は自分の娘が可愛がっているイヌを含めて、あらゆる動物を実験材料にした。毎月曜日の夜、彼は自宅の地下室に科学者たちを接待した。その地下室にはどの隅にも死の苦しみにあるイヌたち、毒を盛られたイヌ、種々の器官を摘出されたイヌがいた。彼の偏狭な姿勢を示す逸話がある。イヌを材料とした多くの実験結果から、彼は門脈、即ち血液を腸、膵臓、脾臓から肝臓へ運ぶ血管に糖は絶対に存在しないと断固主張した。真実は、門脈に糖が存在しないのは、動物が断食させられているからであった。
彼の『実験医学研究序説』には次のように記載されている。『動物を材料にして得られるあらゆるものは、人間に決定的に適用しうる。毒物を用いるか有毒な状態で動物に行われた実験は、人間の毒性学および衛生学に決定的に適用しうる。薬用もしくは有毒物質に関する実験研究も、治療法の観点から人間に完全に適用しうる』。
この『動物実験』という考え方は少なくとも二つの点で根本的に誤っている。 ①実験の前提として、病的状態、病理的状況を故意に押しつける。このような病的状態では生物は全く異なる反応を示す。例えばイヌの膵臓を摘出することは、疾患にかかっている膵臓を再現したことにはならない。このような障害を与えられた生命体は、誤った食事習慣や暴飲暴食によって徐々に膵臓に欠陥が生じた場合とは全く異なった反応を引き起こす。生命体は単なる機械とは異なるのである。個々の生命力や精神状態や他の評価できない要素が、常に様々な面であらゆる生命体の反応に影響を与えている。 ②動物の反応は人間とは異なるという事実。ベルナール自身が記述していることであるが、人間と動物では毒になるものが大きく異なる。青酸にも平気なヤマアラシ、ベラドンナを食べるヤギ、大量の砒素を呑み込むヒツジ、自分の毒には当てられないヒキガエル、自分の電気には平気な電気うなぎ、塩分の影響を受けない海の生物などである。生物界においては動物と人間の間には原則的に感染は起こらないというのもその例である。また各々の動物の機能は、想像もできない程異っている。
ベルナールの実験は果てしのない失敗の繰り返しであった。彼の動物実験は絶えず違った結果が出たために、実験の数を増やさざるを得ず、混乱がさらに増加していった。糖尿病の秘密を発見しようとして何千頭ものイヌを犠牲にしたが無駄であった。晩年の彼の著作は、彼の思考が平衡を失ってきていたことを明確に示している。動物実験からは何ら有益な発見ができないことを悟っていたのであろう。最終著作の中で彼は人体実験を提唱していた。人体実験が実験医学の究極の目的であるとした。この最終著作は今だに刊行されていない。ベルナールは、フランスの科学者としては始めて国葬の礼を与えられた。
糖尿病は重大な疾病である。ベルナールは何千頭ものイヌを殺しても、この糖尿病に関する何ら有益な知見も得ることはできなかった。しかし驚くべきことに、糖尿病に関してベルナールと同様の動物実験が今日まで延々と続けられているのである。そしてベルナール同様、動物実験者たちは混乱に陥っている。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/090301gwi/03index.html
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▼自然 …(wikiより)
一つの傾向として、西洋では自然と人間を完全に分離した考えを持つが、日本では人間は自然の一部と考える。西洋では人の知性は基本的に良きものであり、それによる判断に沿わない自然のあり方は、この判断に立つ限り悪である。たとえば幾何学図形は美しいが、自然界にはそれは見られない。だから人間の能力で幾何学的に自然物を並べて見せたのが西洋風の庭園である。東洋では往々に人間の知性をこざかしいものと見て、天の采配に逆らわない方がよいとの判断がある。したがってその庭園は自然界の美をできるだけ取り込み、左右不対象、あるいは対象性を少しずらせた配置を基本とする。
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(関連) ▼ぼくはうし http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/665.html
▼肉食と狂牛病 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=15
▼時間の法則 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=51
▼通貨の欺瞞性・略奪性を知っていた古代の日本人
http://blog.goo.ne.jp/kintaro-chance/e/06a368afbf2d71fd56471951bc28922d