エスペラント語考 |
(最新見直し2006.5.22日)
2006.5.22日、日本経済新聞文化欄に日本エスペラント学界理事長・柴山純一氏の「『世界語』日本で1世紀」と題する小論が載っている。その要旨を取り込んでおく。 1887年、当時ロシア帝国の領土であったポーランドのユダヤ系眼科医・ザメンホフが、エスペラント言語を考案した。文法や単語は欧州の独、仏、英語を基にしているが、国際共通語。発音会話はイタリア語などラテン系に近い。 1900年頃、エスペラントが紹介された。日露戦争。1906年、二葉亭四迷がロシアでエスペラントに触れ、世界語という表題で教科書を刊行した。 1906.6月、東京帝大で古文書学を教えていた黒板勝美らが「日本エスペラント協会」を設立。東大の教員や新聞記者らが参加し、語学講座など活動を始めた。1919年、協会を発展させ、日本エスペラント学界が発足。一時は会員が3千名を数え、宮沢賢治や民本主義を唱えた東大教授の吉野作造など著名人。1927年、NHKラジオで講座の放送が始まった。大戦中は会員が約800名まで減り、機関紙が休刊に追い込まれた。終戦後、直ちに機関紙が再刊され、活動開始。1965年、日本で初めて世界エスペラント大会が開催された。この時の会員は約2400名。1990年以降、日本のもエスペラント活動は衰退。現在の会員は約1400名。2006.7月、百周年に当り、日本エスペラント学界は、エスペラント・日本語辞典を刊行する。 |
(私論.私見)