4613−2 | オマル師、タリバンについて |
オマル師 世界で最もなぞ多い指導者
緑の中に官庁が点在する計画都市イスラマバード。その一角にあるアフガニスタン・タリバン政権の在パキスタン大使館で21日午後0時半(日本時間同4時半)、ザイーフ大使が記者会見に臨んだ。「証拠なしにウサマ・ビンラディン氏を(米国に)引き渡すつもりはない」。林立したマイクを前に大使は声を張り上げたが、最高指導者の肉声は今も聞こえてこない。
1959年ごろ、アフガン南部カンダハル近郊の貧農の家に生まれた。80年代には侵攻してきたソ連軍との戦闘に参加。ソ連撤退後の94年登場したタリバンの創設メンバーの一人だ。
「政治的、軍事的能力ではなく、イスラム教への敬けんさで指導者に選ばれた」。パキスタン人ジャーナリスト、アハメド・ラシッド氏は著書「タリバン」の中で、メンバーの話を紹介する。
カンダハルの自宅で執務し、かたわらに置いた無線機は各地の司令官との連絡のため、いつもオンのまま。移動する時は日本製四輪駆動車で、何十人もの護衛兵を引き連れるという。
宗教指導者の会議でもほとんど発言せず、聞き役に徹する。面会が許された数少ないパキスタン人記者は「威厳を増すために、意図的に人との距離を保っているのではないか」と語るが、海外在住のアフガン人の間では「海外勢力や強硬な側近に操られているだけ」との評もある。
英BBCが5年前、ひそかに撮影した写真が20日、世界を駆け巡った。長身でやせ形。ターバンを巻き、兵士らに囲まれる人物こそ、初めてカメラがとらえたオマル師とされる=写真、AP。89年に近くでロケット弾が爆発し、右目を失ったとされるが、不鮮明で表情や顔かたちまでは分からない。
20日午後9時(同21日午前10時)過ぎ、米連邦議会。「テロリストを引き渡さなければ、タリバンはテロリストと運命を共にする」。ブッシュ米大統領の演説は全世界に、そしてオマル師に向けられたものだ。攻撃準備を急ぐ米国にタリバンはどう動くか。「世界で最も厚いベールに隠された指導者」と評される男が2600万アフガン国民の命運を握る。【西尾英之】
(毎日新聞2001年9月22日東京朝刊から)
ことば ラマダン(断食月)
預言者ムハンマドが神から啓示を受けたとされるイスラム暦9月の1カ月間、イスラム教徒は日の出から日没まで飲食や喫煙を断つ。礼拝や喜捨などと並ぶ信徒の義務で、苦行によってイスラム草創期に異教徒と戦った人々の苦労をしのび連帯感を深める。
太陰暦のイスラム暦では1年が354日で西暦とずれるため、今年のラマダン入りは11月16日前後となる。正式なラマダン入りは各国の聖職者が新月を目視確認して前夜に宣言する。
イスラム圏のレストランなどは、一部を除きすべて昼間の営業を休む。断食を破った者は外国人でも拘束される場合がある。兵士や旅人、子供や老人などは免除。市民は昼間の断食の反動からか深夜までパーティーを続け、食料の消費は平常月より増えるといわれる。官庁や民間企業などでも仕事の能率が落ちることが多いとされる。
イスラム教徒にとって神聖な月であるラマダンの期間中も、米軍がアフガニスタン攻撃を続ければ周辺イスラム教国から反発が強まるのは確実。1991年の湾岸戦争はラマダン前に終結したが、98年12月のイラク攻撃の際には、米英軍がラマダン初日にも空爆を続けイスラム諸国で激しい抗議デモが広がった。(アジア部 山田剛)