4618 | 日本共産党 |
46161 | ドキュメント(1) | 事件直後の対応、事件経過一週間目以降の動き |
46162 | ドキュメント(2) | 事件経過三週間目以降の動き |
46163 | ドキュメント(3) | |
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2001年9月12日(水)「しんぶん赤旗」
今回の事件は、事実上の戦争行為といってもいいような重大なテロ攻撃です。多数の一般市民が犠牲になったと伝えられています。
テロ攻撃をおこなった組織の正体も、攻撃の理由も明らかにされていません。しかし、いかなる組織が、いかなる理由によっておこなったものであっても、こうした反社会的なテロ攻撃は断じて許されません。こうした蛮行は厳しく非難されるべきです。
他方、今回の攻撃にたいして、米側が大がかりな報復攻撃をおこなう可能性もいわれていますが、米国政府は冷静な対応をとることが求められています。
2001年9月13日(木)「しんぶん赤旗」
十一日に米国で発生した一連の大規模テロ事件について日本共産党の志位和夫幹部会委員長は十二日、次の談話を発表しました。
ハイジャックされた複数の民間航空機が十一日、ニューヨークの世界貿易センタービル、ワシントン郊外の国防総省などに突入し、多数の人びとを殺傷した事件は、史上例を見ない野蛮な大規模テロである。日本共産党が一貫してきびしく批判してきたように、人命を無差別に奪うテロは、いかなる理由や背景があろうとも、絶対に許されない卑劣な犯罪行為である。わが党は今回のテロ事件を、国際正義と人道の名において、強い怒りをこめて糾弾する。テロの犠牲となった多数の人々とその家族のみなさんに心から哀悼の意を表するとともに、多くの負傷者と救命・救援活動にたずさわっている関係者の方々にお見舞い申し上げる。
わが党は、事件の真相の解明とともに、テロ根絶をめざし、軍事力による制裁・報復ではなく、法と理性にもとづいて問題の解決がはかられることを求める。
2001年9月13日(木)「しんぶん赤旗」主張
アメリカでニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外の国防総省などに航空機で突っ込む同時多発テロが発生しました。数千人とみられる多数の死傷者をだした、みぞうの悲劇的テロ事件になりました。人命を無差別に奪うテロは、いかなる理由や背景があろうとも、絶対に許されない野蛮で卑劣な犯罪行為です。
倒壊した世界貿易センタービルには、通常五万人が働いており、観光客も含め一日平均十五万人以上の人々が訪れます。テロ発生時に、同ビルにどれだけの人がいたかは不明で、救出作業は難航しています。同ビルに同居する日系企業に働いていた日本人の少なくとも十数人の安否が未確認といいます。世界貿易センタービルの倒壊により、付近の市民も多数が犠牲になっています。
ハイジャックされテロに使われた航空機四機の乗客、乗務員二百六十六人は、全員が死亡したと報じられています。無謀なテロの犠牲者、被害者に心から哀悼の意を表明するとともに、このような蛮行に出た者を怒りをもって糾弾します。アメリカの経済と軍事の象徴を標的とした今回のテロ事件は、世界中に大きな衝撃を与えています。
世界の金融・資本・商品市場が大混乱に陥っています。アメリカの景気低迷が続くなかで、この事件をきっかけに米企業の資金調達が一時的にも困難になり、金融市場の休場が長期化すれば、景気後退がいっそう強まる可能性も指摘されています。日本も影響が避けられません。
事件の背景はまだ明らかになっていません。マスコミは、このテロを、一九九三年の世界貿易センタービル爆破や九六年のサウジアラビアの米軍施設爆破などとの関連性を指摘するアメリカのテロ問題専門家の見方を伝えています。しかしこれらは、徹底捜査による真相解明を待たねばなりません。
国際テロ事件は昨年、世界で四百二十三件発生し、千百九十六人が死傷しています。卑劣なテロ行為の再発を防ぐためにも、一日も早く犯人を逮捕し、真相を明らかにする必要があります。懸念されるのは、アメリカが今回の事件を理由にして、報復の軍事行動にでる可能性が指摘されていることです。
ブッシュ大統領は「犯人を突きとめ罰する」「テロを行った者と彼らをかくまった者を区別しない」と宣言し、ラムズフェルド国防長官は「いつでも反撃する用意がある」と、軍事力行使がありうることを示唆しています。
アメリカが世界の警察官となって、テロに協力的と自らが見なす国を武力攻撃するなら、それは、国連憲章で禁止されている行為であり、テロ行為の再発を防ぐ有効な方法にもなりえません。それは、さらに悪質なテロ行為をよび、軍事的報復の悪循環を招くだけです。日本政府がそうした武力行使に協力してはならないのも、当然のことです。テロ行為は人類にたいする挑戦であり、これを根絶するためにも、アメリカ政府が冷静に対応することにより、法と理性にもとづいて問題の解決をはかることが望まれます。
2001年9月13日(木)「しんぶん赤旗」
米国でのハイジャック機による同時多発テロは、史上最悪のテロ事件となりました。犯人やその意図はまだ明らかになっていませんが、自らの政治目的達成のために無実の人々の命を奪い傷つけるテロや破壊行為はどんなことがあっても絶対に許されるものではありません。今回のテロに対し、世界各国の政府が声明をだし非難の声をあげています。
米国を狙った最近のテロには、ニューヨーク世界貿易センタービル爆破(一九九三年)、サウジアラビア・ダーラン近郊の米軍宿舎爆破(九六年)、ケニア・タンザニアの米大使館爆破(九八年)などがあります。今回のテロは規模の上でも最大。しかも、ハイジャックした民間機の乗客を巻き添えにして米国のシンボル的な建物に激突させるなど極めて非人道的で残虐です。
だれが何のためにやったのか、十二日現在明らかにはなっていません。このことを究明することは、救援作業とともに急がれます。米国政府は、サウジ生まれのイスラム組織のオサマ・ビン・ラディン氏が関与しているとの見方を強めていると報道されています。
米紙ワシントン・ポスト(十一日電子版)は、上院情報委員会の議員が「電子的に傍受された情報には、ビン・ラディン氏とかかわりのある者が二つの標的に命中したと報告している事が示されている」と政府から説明を受けたと報道しています。
ビン・ラディン氏はサウジアラビアのリヤド生まれ。最近ではイスラム過激派組織をエジプト過激派「ジハード団」と統合し軍事体制を強化し、「世界中の米国の権益を攻撃する」と公言していたとされます。
アラブ諸国内でビン・ラディン氏の行動が広く支持されているわけではありません。パレスチナのアラファト自治政府議長は「完全にショックを受けた。信じられない」としテロ行為を糾弾しました。
ブッシュ大統領は、十一日夜の演説で「わが軍は強力で準備ができている」と述べた上で、「テロリストと彼らをかくまうものとは区別しない」指摘。テロリストのみならずそれに関与した組織・機関への報復攻撃を示唆しました。軍制服組のトップ、シェルトン米統合参謀本部議長も「軍隊は準備できている」とのべています。
米政権はこれまでテロに対して「力には力だ」として国連などの手続きを経ることなく、一方的な報復を行ってきました。クリントン政権(当時)は九八年八月、ケニアとタンザニアの米大使館への爆破テロにたいし、アフガニスタンとスーダンの、ビン・ラディン氏が関与しているとする施設にミサイルで攻撃しました。
こうした報復攻撃は何の解決にもならないばかりか、新たなテロ攻撃を呼ぶなどかえって事態を悪化させることは明白です。九八年の攻撃後、ビン・ラディン氏は「行動で応じる」などと発言していました。スーダンはこの攻撃を「テロ行為」と非難し、国連安保理での討議を要請。後に、この施設は国連承認の医薬品製造工場であることが明らかになっています。
日本政府の立場も重要です。米国への救難支援を行うのは当然ですが、米国の軍事行動に追随すべきではありません。九八年のスーダン、アフガニスタンへの報復攻撃の際にも、小渕首相(当時)は即時に軍事行動への理解を表明し、米国への追随ぶりをさらけ出しました。
ブッシュ政権が報復行動を決意すれば、在日米軍が、米国の軍事作戦に加わる可能性もあります。日本の米軍基地が、国際法を踏みにじる一方的な軍事行動に再び関与させてはなりません。(西尾正哉記者)
2001年9月18日(火)「しんぶん赤旗」
九月十一日に米国で起こった同時多発テロは、多数の市民の生命を無差別に奪う憎むべき蛮行であり、絶対に許されない卑劣な犯罪行為です。このようなテロ行為は、いかなる宗教的信条や政治的見解によっても、正当化できるものではありません。これは、米国への攻撃にとどまらず、国際社会全体にたいする攻撃であり、世界の法と秩序にたいする攻撃です。日本共産党は、この野蛮なテロを根絶することは、二十一世紀に、人類がこの地球上で平和に生きてゆく根本条件の一つになると考えています。
日本共産党は、事件直後、テロの犠牲者、負傷者と、ご家族・関係者のみなさんに心からの哀悼とお見舞いの意を表するとともに、野蛮きわまるテロ行為を、深い憤りをもって糾弾しました。
同時にわが党は、テロの根絶のためには、軍事力による報復ではなく、法と理性にもとづいた解決が必要であるという立場を、明らかにしてきました。
この点で、私たちがいま懸念を深めているのは、軍事力による大規模な報復の準備が、すすめられているということです。テロ犯罪にたいして、軍事力で報復することは、テロ根絶に有効でないばかりか、地球上に新たな戦争とそれによる巨大な惨害をもたらす結果になり、さらにいっそうのテロ行為と武力報復の悪循環をもたらし、無数の新たな犠牲者を生み、事態を泥沼に導く危険があります。
私たちは、そのことにたいする深い憂慮の念から、事態の打開と解決のための私たちの見解と提案を、貴国政府にお伝えし、国際社会に訴えるものです。
私たちは、いま必要なことは、性急に軍事報復を強行することではなく、“法にもとづく裁き”――すなわち、国連が中心になり、国連憲章と国際法にもとづいて、テロ犯罪の容疑者、犯罪行為を組織、支援した者を逮捕し、裁判にかけ、法にてらして厳正に処罰することだと考えます。
そのためには、だれが今回の犯罪の容疑者であり、またその支援者であるかを、可能なかぎり立証する国際的に協力した努力が重要です。そして、これらの勢力が明らかになるならば、国際政治と国際世論による包囲と告発、経済的・政治的制裁など、彼らを“法にもとづく裁き”の支配下におくために国際社会として可能なあらゆる努力をつくすべきです。
テロ犯罪の容疑者については、被害を受けた国に引き渡して裁判にかけることが、国際的な諸協定にも明記され、世界で確立してきた基本ルールです。二百七十人の犠牲者を出した一九八八年の米パン・アメリカン機爆破・墜落事故についても、国連による経済制裁をふくむねばりづよい対応の結果、一昨年、リビア政府が容疑者とされた二人の人物の引き渡しに応じ、昨年、裁判が開始され、継続中です。
今回のテロ事件は、その規模の大きさや残忍さにおいて類例をみないものであり、全世界にきわめて深刻な衝撃をあたえています。しかし、この事件にたいしても、“法にもとづく裁き”という冷静な対応がもとめられています。この点で、九月十二日に全会一致で採択された国連安保理の決議一三六八が、「すべての国にたいし、これらのテロ攻撃の実行犯と組織者、後援者に法の裁きを受けさせるために緊急に協力することを求め」ていることは、道理にたったきわめて重要な決定です。
テロ問題についての国際的諸協定、国連安保理決議の精神にたって、テロ犯罪の容疑者を特定し、逮捕し、裁判にかけるために、国連を中心に国際社会が共同して全力をつくすべきです。米国外の容疑者であるならば、身柄の引き渡しを国際社会の共同の意思として関係国政府に求める必要があります。それに応じない場合でも、経済制裁などの集団的な強制措置をふくめ、国連憲章と国際法にもとづいて、国際社会が共同して対応することが重要です。容疑者の裁判にあたっては、国連のもとに特別の国際法廷を開設することも可能でしょう。
法にもとづく裁判による犯罪の処罰は、人類の生み出した英知の一つです。裁判をつうじてこそ、事実にそくして、事件の真相を徹底的に究明することが可能となります。今回のテロ事件は、大がかりな国際テロ組織が関与したものであるとされていますが、それだけに、この組織の全貌を明らかにし、それを根絶することも、法にもとづく裁判をつうじてこそ可能となるでしょう。
国際的な協力のもとでの法にてらしての処罰のための努力をつくすことなく、大規模な軍事力による報復に訴えることは、今日の国際社会が承認している原則に合致するものではありません。
たとえ侵略にたいする対応としても、許されているのは、実際に発生している武力攻撃にたいする自衛反撃であって、武力報復ではありません。国連総会では、「武力行使をともなう復仇行為」を明確に禁止する宣言を採択しています(一九七〇年)。
国連安保理の決議一三六八は、国連の軍事的措置に関する憲章第七章に言及しておらず、個々の国連加盟国による武力行使を認める表現はありません。
国連憲章と国際法上の根拠をもたない軍事力による報復は、テロ根絶のための努力の大義を失わせ、テロ勢力にとって思うつぼの事態をまねく危険があります。無法者にたいしては、法に根拠をもたない対応でなく、“法にもとづく裁き”こそもっとも有効な対応だと確信します。
テロリストにたいする大規模な軍事力行使による報復の準備が急速に進行している状況のもとで、以上、私たちの見解をお伝えしました。
そして、テロ犯罪の容疑者の特定、その逮捕と処罰、さらにテロ根絶のためのいっそう効果的な国際的措置をとることを目的に、国連が特別の国際会議を緊急に主催することを提案するものです。
貴国政府が、この問題の道理ある解決のために、積極的な対応をされるよう、心から要請するものです。
2001年9月18日(火)「しんぶん赤旗」
米国での同時多発テロ事件で、テロリストにたいする大規模な軍事力行使による報復の準備が急速に進行しているなか、日本共産党の不破哲三議長、志位和夫委員長は十七日午後、国会内で記者会見し、両氏連名による「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを――米国での同時多発テロ事件にかんする各国政府首脳への書簡」(全文別項)を発表しました。
不破氏は「書簡」を出した意義について詳しく述べたなかで、「テロ勢力を包囲する国際的な戦線を広げ、これを孤立させていくことが大事だ。軍事的報復は、テロにたいする国際的共同のなかに、戦争に賛成か反対かという亀裂をおこし、かえってテロ派に有利な状況さえ生みかねない問題も含まれている」と指摘。「法にもとづく裁きを、という方向こそが本当の意味でテロを根絶する国際的大同団結をつくりだす道だ」と強調しました。
さらに日本政府への対応を問われ、「今日は、私たちが国際社会にこういう訴えを出したということを、政府に伝えるつもりだ。いま政府は軍事的報復という路線にそって何が(協力)可能かを吟味しているが、私たちが提起しているのは、テロにたいしてどういう対応をとるべきかという根本の問題だ。政府が検討している内容の問題点については、必要なときに提起したい」と答えました。
この「書簡」は国連安保理理事国、NATO加盟諸国、アジア諸国はじめ在京の大使館すべてに届ける予定です。
1、8日未明、米軍によるアフガニスタンへの軍事攻撃が開始された。これをめぐる国際世論では、軍事攻撃を支持する声があげられる一方、テロ攻撃の直接の目標にされたニューヨーク市民のあいだにも、戦争によって無実の人々が犠牲となることへの懸念の声があげられていることが、注目される。
国連を中心とした国際政治の場で、国際社会としての的確な告発と制裁という手段がつくされないまま、軍事攻撃と戦争という事態になったことを、残念に思う。
軍事行動の開始と拡大によって、無実の市民の犠牲が広がることにたいし、深い懸念をもつ。
1、わが党は、世界各国の政府首脳への書簡で、性急な軍事力の行使ではなく、国際的な世論の包囲と国際法にもとづく制裁によってテロ犯罪者を引きだし、「法の裁き」をくわえることこそ、テロ根絶のための大道だと訴えた。この立場に、変わりはない。情勢の推移を見極めながら、この立場にたって努力をすすめる。
1、日本の政治の問題としては、軍事行動が始まったからといって、自衛隊の海外派遣をめぐる新規立法や憲法解釈の変更などを、本格的な国会審議もなしにただ急ぐようなことはすべきでない。ことは、21世紀の日本のあり方にかかわる問題であり、安易なやり方で強行すべきではない。
2001年10月10日(水)「しんぶん赤旗」
日本共産党の志位和夫委員長は九日、CS放送朝日ニュースターの番組「各党はいま」(十日午後二時半から放映予定)の収録のなかで、米国の同時多発テロ事件にかんしてウサマ・ビンラディンの「深刻な容疑」が示されたと指摘、「国連中心に身柄引き渡しを要求し、制裁行動もとって身柄を確保し、法による裁きをくだす道にきりかえる」ことを要求。「米軍などによる報復的な軍事力の行使はただちに中止すべきである」と主張しました。
このなかで志位氏は、米英両軍による軍事攻撃について「国連を中心とした国際社会としての告発と制裁という手段をつくさないまま、報復的な軍事力の行使がおこなわれたことは重大」と指摘しました。とくに、軍事報復の拡大によって罪のない人々に犠牲が広がること、また軍事攻撃の対象がアフガニスタン以外に拡大する可能性に深い憂慮と危ぐを表明。「国際テロ根絶で団結していた国際社会に、性急な軍事力行使によって亀裂や矛盾が起こっていることが大きな問題だ」とのべました。
そのうえで志位氏は、「新しい情勢の変化」として、ビンラディンのビデオ演説(八日)が(1)米国へのテロを神のおこなった行為として全面的に賛美している(2)長い演説の中でみずからの犯行を否定していない(3)今後もテロを行うことを事実上予告する発言をしている―ことを指摘。「このビデオはビンラディンと(彼が率いる)アルカイダが米国でのテロ攻撃を実行・関与した容疑を示すものだ」とのべました。そして、アフガニスタンを実効支配しているタリバン政権が、ビンラディンの容疑が明らかになったら身柄を引き渡すと言明してきたことをあげ、「ビンラディンの身柄を引き渡す義務がある」と主張しました。
志位氏は、「国連を中心に、国際社会が一致協力し、タリバンに身柄の引き渡しを要求する。それがかなわないときは国連としての制裁行動もとって身柄を確保する。そして法にもとづく裁きをくだす道にきりかえる必要がある」と強調。「そのために米軍などによる報復的な軍事力の行使はただちに中止すべきだ」とのべました。
2001年10月12日(金)「しんぶん赤旗」
米軍は英軍とともに、十月七日夜(現地時間)、アフガニスタンにたいする武力攻撃を開始しました。
私たちは、九月十七日に各国政府にあてた書簡で、米国への大規模テロを糾弾するとともに、その解決にあたっては、性急に軍事報復を強行するのではなく、国連が中心になり、国連憲章と国際法にもとづいて、テロ犯罪の容疑者と支援者を告発し、身柄引き渡しのための必要な制裁をおこない、“法による裁き”をくだすことが必要だと、訴えてきました。
国連を中心とした告発と制裁という手段をつくさないまま、一部の国によってアフガニスタンへの軍事攻撃が開始されたことは、無関係の人々のあいだでの犠牲者の新たな拡大という点でも、テロ問題の道理ある解決のうえでも、大きな危険をはらむものだと指摘せざるをえません。
諸国民のテロ根絶と平和への願いにたって、貴国政府にふたたび書簡を送り、私たちの見解と提案をお伝えするものです。
軍事攻撃は、報復戦争という様相を色濃くしています。アフガニスタンでは、今回の攻撃によって、国連の人道援助にたずさわる非政府組織事務所が爆撃され、職員に死傷者が出たのをはじめ、民間人の新たな犠牲者が生まれています。軍事行動の継続と拡大によって、罪のない市民の犠牲がさらに広がることは、けっして許容できることではありません。
米国政府は、十月七日に、国連安保理事会に提出した書簡で、軍事攻撃の対象が、今後、アフガニスタン以外の諸国に拡大される可能性をのべていますが、これは戦争の大規模化への強い危惧(きぐ)をいだかせるものです。
軍事攻撃によって、それまでテロ根絶で固く一致していた国際世論に、亀裂と矛盾が入りつつあることも重大です。一連のイスラム諸国政府からは、武力行使への反対の声があげられ、イスラムの民衆からは激しい抗議の行動が広がっています。これらの亀裂が、テロ勢力に、破壊活動を拡大する絶好の条件をあたえることは、疑いありません。この点でも、事態は、憂慮すべき方向にむかっています。
しかも、この軍事攻撃をいつまで続けたら、容疑者の拘束およびテロの根絶という目的に有効にむすびつくのか、そのたしかな見通しはどこにもありません。
米国への憎むべき大規模テロを、だれが引き起こしたのか――その容疑者の特定は、問題解決の大前提となるものですが、この点で、ウサマ・ビンラディンが、十月八日に放映されたビデオ演説のなかでおこなったつぎの言明は、重大な意味をもつものです。
――米国へのテロを、犯罪でなく、神のくだした断罪として、全面的に賛美する立場を表明していること。
――世界から容疑者の疑いがかけられている事実を前にしながら、長い演説のなかで、自分にかけられたこの容疑を否定する言明を、まったくおこなわなかったこと。
――今後も、米国などにテロをおこなうことを、事実上予告していること。
これらは、ビンラディンと、彼が組織した「アルカイダ」が、米国へのテロ攻撃を実行し、それに関与した、重大な容疑を、みずから裏づけたということにほかなりません。
タリバンは、これまで米国へのテロを犯罪と認め、ビンラディンの容疑が明らかになったならば、身柄を引き渡すと言明してきました。ビンラディンをはじめテロリストのグループの身柄の引き渡しは、国際社会にたいするタリバンの義務であることは、いまや明白です。
私たちは、以上の諸点をふまえて、いま必要なことは、テロ勢力との闘争を、一部の国による軍事攻撃と戦争の拡大という道から、国際社会の責任による制裁と“裁き”という道にきりかえることだと考え、そのことを国際社会に提案するものです。そして、この立場から、現在おこなわれている軍事攻撃は中止することを求めるものです。これによってこそ、テロ反対の国際的な大同団結を再建し、テロ勢力を徹底的に包囲し孤立させつつ、テロ根絶の道をすすむことができます。
私たちの提案は、つぎのとおりです。
第一に、国連として、今回のテロ事件にたいするビンラディンの容疑を公式に確認し、その身柄の引き渡しをタリバンに要求することです。
第二に、タリバンがそれを拒否した場合の制裁の措置も、国連が主体になって、国連憲章第七章にもとづく強制措置という形でおこなうべきです。まず、アフガニスタン国民への人道的配慮を十分におこないながら、国連憲章第四一条にもとづく経済制裁などの「非軍事的措置」をとるべきですが、これを徹底してもなお不十分と国際社会が認定した場合には、第四二条にもとづく「軍事的措置」をとることも、ありうることです。
第三に、ビンラディンなどのテロ容疑者にたいしては、厳正な裁判による真相の全貌(ぜんぼう)の徹底糾明と、処罰が必要になります。今回のテロ事件がたんに米国への攻撃にとどまらず、国際社会全体への攻撃であることを考慮して、国連のもとに特別国際法廷を設置することも、検討すべきです。
これらのすべての手段は、国連が主体になって、国連が中心に、国連の管理のもとに、国際社会の一致協力した努力によって、おこなうべきです。国際テロを根絶するためには、国際社会の一致した包囲によって、テロリストの逃げ場が、地球上のどこにもなくなるという状況をつくることが不可欠です。それをなしうる主体となり、権限をもっているのは、国連しかありません。
私たちは、ここに、今回の事態を、道理と理性をもって解決する道があることを確信するものです。
貴国政府が、事態の解決のために、こうした方向で積極的な対応をされるよう、心から訴えるものです。
日本共産党中央委員会議長・衆議院議員 不破哲三
日本共産党幹部会委員長・衆議院議員 志位和夫
2001年10月11日
2001年10月14日(日)「しんぶん赤旗」
米英両軍によるアフガニスタンへの軍事攻撃が続いています。日本では、政府・与党が軍事攻撃支援のための法案(テロ対策特別措置法案)を、今週にも衆院通過させようと狙っています。六千人の犠牲を出した卑劣な同時多発テロ、それへの報復攻撃、そして日本の対応――問答形式で考えてみました。
Q テロは絶対に許せません。米国の軍事報復も心配でなりません。いま何が必要なのでしょうか。
A テロを根絶するためには、一部の国による軍事攻撃と戦争の拡大という道から国連を中心にした制裁と“裁き”の道に切り替えることが緊急に求められています。そのためにも、現在おこなわれている軍事攻撃は中止すべきです。
米英軍によるアフガニスタン空爆は、すでに二百人以上のアフガン国民の命を奪い、爆撃は軍事施設だけでなく、病院にまでおよんでいるとの証言もあります。
この空爆で、国連諸機関やNGO(非政府組織)によるアフガンへの人道援助物資の輸送もストップしています。このままでは子どもや女性など百五十万人が飢餓で冬を越せないという指摘が米議会でおこなわれています。
米国は、報復攻撃を他の国にも拡大しようともくろんでいます。米国政府は最初の空爆後、「わが国を防衛するうえで、ほかの国々や組織にたいしても新たな行動が必要になることもある」とする書簡を国連安保理に送りました。
アフガン空爆と軍事攻撃の拡大は、反テロで一致した国際世論を台無しにしてしまいます。これはテロ勢力にとって思うつぼです。マレーシアのマハティール首相も「空爆がテロとのたたかいに効果的だとは思えない」と米国を批判しています。
テロをなくすためには、国際社会が総力をあげてテロ勢力を包囲し、国連を中心とした制裁と法の裁きによる解決をめざすべきです。
Q 小泉首相がいうように、「憲法の枠内」なら自衛隊派遣もやむを得ないのではありませんか。
A 「憲法の枠内」とか「武力行使はしない」とか言いさえすれば、そうなるかといえば、そうではありません。「おれがブタといえばイノシシもブタ」という理屈が通らないのと同じです。
表をみてください。NATO(北大西洋条約機構)は、集団的自衛権の発動として八項目の対米支援策を発表していますが、これは小泉首相が示した七項目の当面の措置とうりふたつです。集団的自衛権を発動するということは武力行使するということです。なにより、自衛隊が米軍にたいして行う輸送・補給といった「後方支援」は「兵たん」と呼ばれ、武力行使そのものです。武力行使も武力による威嚇も禁じた憲法に違反するのは明らかです。
首相は“戦闘には参加しない、戦闘地域にはいかない”とくり返します。一方で、政府は米軍が「コンバットゾーン(戦闘区域)」に指定した地域・海域にも自衛隊を送ろうとしています。
「(日本政府のいう)戦闘地域と定義が違う」(小泉首相)といいますが、そんな言い訳は世界にも米国にも通用しません。
Q 相手はテロリストで法のいうことをきかない相手だから軍事攻撃もやむをえないのではありませんか。
A いうことをきかない相手だからこそ、一部の国による軍事攻撃ではなく、国連を中心とした国際社会の一致した対応でテロ勢力を包囲することが求められるのです。そして、「無法なテロには、きびしい法の裁きでこそ」が、これまでテロとたたかってきた国際社会が積み重ねてきた基本的なルールです。
国連では、「国際テロリズムを排除する措置に関する宣言」(九四年)のほか、これまでに十二本のテロ防止の条約が採択されています。そこでは、国際テロ犯罪については、容疑者を特定し、身柄を拘束したら、被害を受けた国に引き渡し、裁判にかけることが世界のルールになっています。軍事力などによる「復仇」(ふっきゅう)、すなわちかたき討ち行為は、新たなテロと報復をまねくからです。
今回のテロ事件では、タリバン政権も容疑者が明らかになればビンラディンを引き渡すとのべていたのですから、国連としてその実行を求めるべきです。それを拒否した場合は、経済制裁などの強制措置をとり、なお不十分と国際社会が認定した場合には、国連憲章第四二条にもとづく「軍事的措置」をとることもありえます。
法のいうことをきかない相手だからといって、一部の国だけで性急な軍事攻撃に訴えるなら、それこそテロリストの思うつぼです。
Q 米国など国際社会がテロ根絶のためにたたかっているのだから、日本が協力するのは当然ではありませんか。
A 日本がテロ根絶のために努力するのは当然ですが、問題はその方向と手段です。米国など一部の国による軍事攻撃はテロ根絶に有効でないだけでなく、国際社会の団結に亀裂をうみます。現にテロ根絶では一致していたイスラム諸国の中にも、軍事攻撃への懸念が広がっています。
日本は、なにより現在おこなわれている軍事攻撃の中止を求め、国連を中心とした制裁と“裁き”の道へ切り替えるための外交努力をすべきです。それこそ、憲法の精神に立った最大の貢献です。
国際的にも、有効なテロ対策としてテロ犯人を「法の下で裁く」ことや、テロ関連十二条約の批准や内容実施があげられています。ところが、日本政府は、テロ資金防止条約に署名さえしていません。外務省は、年内に同条約に署名するとしていますが、国会批准は来年に伸ばそうとしています。
だいたい米軍からは具体的な軍事支援の要請は一つもありません。米政府高官から「ショウ・ザ・フラッグ(旗をみせろ)」といわれただけで、「日の丸」をつけた自衛隊の海外派兵だけに熱心になる――。そうではなく憲法の平和原則に徹した外交努力を尽くすべきです。
Q 難民支援なら自衛隊を出すことも当然ではありませんか。
A 難民支援は人道上最優先すべき課題で、日本も当然おこなうべきことです。
今回、現地の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からテントや毛布など支援の要請がありましたが、できるだけ多くの物資をできるだけ早くというのが、要請の趣旨でした。
ところが日本政府が派遣したのは自衛隊機。民間機ならパキスタンまで十一時間で行けるところを四日もかけました。運んだ物資もテント三百十五張り、毛布二百枚などわずか三十六トンでした。
一方、イギリスは民間貨物機を借りて一日で空輸し、十月四日にはテント八十六トン、ビニールシート十六トンを運び、六日にも第二便を飛ばすなど、日本とは援助の量も早さも段違いです。
しかも自衛隊は、銃の携行をパキスタン政府に拒否されました。武装した軍隊、しかも米軍を支持し紛争当事者となる日本の自衛隊が紛争地域で活動するのは攻撃対象となり、かえって危険です。
パキスタン現地では国連難民高等弁務官事務所のほか、国際赤十字、国連NGO(非政府組織)が活動しています。こうした国連や民間の難民支援活動への協力こそが必要です。
Q 日本共産党は、今回の同時多発テロ事件でどういう活動をしているのですか。
A 日本共産党は、多数の市民の生命を無差別に奪った今回の同時多発テロにたいし、憎むべき蛮行であり、絶対に許されない卑劣な犯罪行為だとしてただちに糾弾。法と理性による解決をよびかけました。
同時に、野蛮なテロを根絶することは二十一世紀に人類が平和に生きていく根本条件の一つと考えて、世界各国に直接働きかける活動をしています。
九月十七日には、「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを」という不破哲三議長と志位和夫委員長連名の書簡を発表。在京大使館をもつ約百三十カ国に届けました。
さらに、米英両軍によるアフガニスタンにたいする軍事攻撃が開始されたもとで、十月十一日には再び、不破・志位両氏連名の書簡「一部の国による軍事攻撃と戦争拡大の道から、国連を中心にした制裁と“裁き”の道へのきりかえを提案する」を発表、世界各国に届けています。
こうした活動のなかで、テロ根絶の道を示すとともに、国際的共同を働きかけています。
2001年10月14日(日)「しんぶん赤旗」
米軍がアフガニスタンにたいする軍事攻撃を開始して以来、日本のテレビ、新聞などマスコミ報道は、「テロにたいするものだから」とこの戦争を当然とする論調が主流となっています。
全国紙は、「テロ勢力は武力で抑止する以外に方法はない」(産経)「米英の軍事攻撃は欠かすことのできない当然の行動だ」(読売)などと勇ましい主張を展開するもの、「限定ならやむを得ない」(朝日)と少し腰を引きつつ支持するもの、と様々です。
しかし、そこに共通しているのは、報復戦争によらない解決の道を、最初からしゃ断していることです。
最悪のテロ事件に怒りながら、同時に「テロにたいし戦争だけが答えではない」という世論や運動が、テロの標的とされたニューヨーク市民をはじめ全米各都市、世界各国で広がっています。
軍事攻撃以外に、本当に事態を打開し、テロを根絶する道はないのか、世界中で真剣な検討がはじまっています。
そのときに、「当然」だとか「やむなし」だとかいって、軍事攻撃以外の道をさぐる視点を早々に放棄したことは、今日の日本のマスコミ状況を知るうえで、極めて特徴的なあらわれです。
戦争を「する」側の目しか持たないと、どんな事態をもたらすか。それを端的に示したのが十二日付各紙です。
十一日、日本共産党の不破議長や志位委員長が記者会見し、一部の国による軍事行動を直ちに中止し、国連を中心にした制裁と“裁き”の道に切り替えるよう求める各国首脳への書簡を発表しました。
米軍の軍事攻撃が大規模化し市民に被害が広がる事態が起き、テロリストの側が報復を宣言するなど、泥沼化への懸念が現実になりつつあるときに、道理と理性を持って事態を解決する道があることを示したものです。
ところが、全国紙はそろってこの書簡発表を一段見出しのベタ記事で扱いました。一行も報じなかった社もありました。
軍事以外に解決する道がある、という提案は社論に合わないから無視したというのでしょうか。
書簡は、問題解決の大前提として、本人のビデオ演説をもとに、ウサマ・ビンラディンを容疑者として踏みこんで指摘しています。
十二日の衆院特別委員会で、小泉首相がビンラディンの事件関与を説明したさい、ビデオ演説でテロを称賛したこと、みずからの関与を否定しなかったこと、さらなるテロを予告したこと、という書簡が指摘した通りの内容をあげたのです。
全国紙は、首相でさえ無視できなかった、書簡の値打ちを見落とした不明を恥じるべきです。
各紙が十一日夜、東京・日比谷野外音楽堂で四千人が参加してひらかれた、軍事攻撃の中止と“法の裁き”による解決、自衛隊派兵法反対の集会とデモを一行たりとも報じなかったことも見過ごせません。
戦争熱に浮かされたホワイトハウスの情報を垂れ流しているアメリカなどの通信社でさえ、足もとの全米各市で広がる反戦デモを報じています。
各国の政府や国民、メディアの反応を多角的にくみ上げて読者の判断に資するのが、マスコミの使命です。時の政府の態度にたいする民衆の声を報じないというのでは、その最低限の機能さえ喪失したというべきです。
戦争熱にあおられると、こうまでも見えなくなるものか。第二次世界大戦での戦争協力と世論誘導に本質的な反省を欠いた、日本のマスコミのぜい弱性をあらためて見せつけられた思いです。(近藤正男記者)
2001年10月18日(木)「しんぶん赤旗」
日本共産党は、十六日の衆院テロ問題特別委員会で、海上保安庁法改正案に賛成の態度をとりました。
日本の領海内で挙動不審な行動をしたり犯罪の疑いがある外国船舶に対応するのは警察力であり、それが海上保安庁の任務です。
いわゆる「不審船」などによる領海侵犯などがあった場合、軍隊である自衛隊ではなく、第一義的には警察力で主権の侵害を守るのというのが、日本共産党の考えです。
その海上保安庁の能力に問題があれば、きちんとした機能強化が求められます。たとえば、海上保安庁の巡視船の速度が遅くて「不審船」などに追いつけない状態では困りますから、巡視船の高速化、大型化が必要です。
また現行法では、法令違反などの疑いがあり、停船命令を出しても従わず、逃走する「不審船」を停船させる手段として武器の使用を認めています。このとき威嚇射撃はできますが、人に危害を与える恐れのある、直接船体に射撃することは許されていません。
今回の改正では、当該船舶が法令違反などの疑いがあり、かつ停船命令を出しても抵抗・逃亡しようとする場合に、最終手段として、人に危害を与えても罪に問われない「危害射撃」を認める要件を定めるものです。
日本共産党は、「不審船」に対する立ち入り検査などは必要なものであり、停船命令に従わずに逃亡する場合には、危害射撃によって逃亡を阻止することが必要との立場から、今回の法改正に賛成したものです。
こうした危害射撃は、実際の運用では慎重さが求められることはいうまでもありません。
なお今回の自衛隊法改悪法案で、自衛隊に海上保安庁と同様の権限を与える規定をもりこんでいましたが、日本共産党はこれには反対しました。
2001年10月19日(金)「しんぶん赤旗」
戦後初めて現に行われている戦争に自衛隊を派兵するための報復戦争参加法案(テロ対策特別措置法案)が、十八日の衆院本会議で、自民、公明、保守の与党三党などの賛成多数で可決され、参院へ送付されました。日本共産党と民主、自由、社民の各党は反対しました。雨の中、国会周辺に詰めかけた約二千人の人々は「憲法九条のじゅうりんを許すな」「参院で廃案をめざそう」と決意を固めあいました。
採決に先立ち、日本共産党の赤嶺政賢議員が討論に立ちました。赤嶺氏は、九月十一日の米国同時テロに「強い非難と抗議」を表明した上で、米国などによるアフガニスタンへの武力攻撃に、世界各地で反対の声が巻き起こっていることを指摘し、「武力攻撃をただちに中止し、国連を中心とする裁きの道に引き戻すべきだ」と主張しました。
赤嶺氏は、報復戦争参加法案が「武力行使」を禁じた憲法の平和原則に根本的に反するとして、重大な問題点について(1)「テロ根絶」のためとして米軍が武力行使すれば、白紙委任的に日本が戦争に参加する仕組みになっている(2)自衛隊の活動区域からみても、活動内容からみても、自衛隊がおこなう兵たん支援などが「米軍の武力行使と一体不可分」である(3)米軍の戦争に参加している自衛隊が被災民支援をおこなえば、攻撃対象とされ、逆に難民を危険にさらす――と具体的に追及しました。
かつての沖縄戦で三人に一人近くが犠牲となった沖縄の言葉「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)を紹介し、「これは憲法九条の精神でもある。憲法九条をズタズタにする本法案は、沖縄県民をはじめ平和を願う人々の心とは相いれない」と廃案を強く要求しました。
衆院本会議では、在日米軍基地の「警護出動」など自衛隊の権限を広げ、「防衛秘密」漏えい罪を盛りこんだ自衛隊法改悪案の採決もおこなわれ、自民、公明、保守、民主などの賛成多数で可決されました。日本共産党と自由、社民の両党は反対しました。
おびただしい犠牲者を出した米同時多発テロから六週間たちました。米国の報復戦争によってアフガニスタンで無辜(むこ)の住民が多数死傷し、その一方で、テログループが新たな「聖戦」を唱えています。不破哲三議長と志位和夫委員長連名の各国首脳にあてた再度の書簡「一部の国による軍事攻撃と戦争拡大の道から、国連を中心にした制裁と“裁き”の道へのきりかえを提案する」の中身を実現することが切実に求められています。(小玉純一記者)
米国で起きた同時テロは人類社会にとって許すことのできない凶悪な犯罪です。それだけに、この解決には人類全体による英知と努力での対処が求められています。
ウサマ・ビンラディンの率いるアルカイダは五十カ国以上に組織的ネットワークがあるといわれています。だからこそ、すべての国が足並みをそろえてテロ集団に断固たる措置をとって、彼らの逃げ場がなくなる状況をつくらなくてはなりません。
米英の報復戦争は、イスラム社会の反発を招き、国際社会を分断させ、テロ集団を利するものです。そして新たなテロと暴力を生む悪循環の道に国際社会を導いてしまいます。一刻も早く、報復戦争をやめさせ、一部の大国主導でない各国が団結した国連中心の制裁と裁きの道に踏み出すべきです。
テロ集団をどう追い詰めるか。小泉首相などは「やるべきことはやった」といって軍事力行使を残された唯一の手段として米英軍による一方的報復戦争を全面的に支援しています。しかし、本当にやるべきことがやられてきたか――。
テロ集団の逃げ場所をなくす国際社会の団結のために、権限をもって行動できるのは国連しかありません。今回の米同時多発テロで国連は、事件直後の安保理決議一三六八(九月十二日)でテロを非難し、関係者の法的処罰のため各国の協力を求めました。また安保理決議一三七三(九月二十八日)でテロ資金調達防止などを決めました。しかし国連としては、ビンラディンの容疑の確認もしておらず、身柄引き渡しをアフガニスタン・タリバン政権に要求もしていません。
ビンラディンは、二百二十四人が死亡し約五千人が負傷した一九九八年八月のケニア・タンザニア米大使館同時爆破事件で、米国が首謀者としてきた人物です。にもかかわらず今日まで彼とアルカイダを追い詰めることができなかった裏には、国際社会が一致した追及の立場をとりきれず、必要な措置をとってこなかったことがあります。
米国は事件から十五日後、アルカイダの拠点だとしてアフガニスタンとスーダンをいきなり軍事攻撃。国際社会は、米国の軍事攻撃を批判するイスラム社会などと、米国支持の西側政府などとに分断されました。
国連がタリバンに対しビンラディン引き渡しを求め、拒否した場合の制裁を決めたのは事件後一年以上たってからでした。
今年四月時点で、国連に制裁措置の報告をしたのはわずか四十六カ国にすぎません。制裁状況の把握すら十分でないままにきているのです。アルカイダ関連の資産凍結にしても、米国などがその措置をとったのは同時テロ後のことです。
今必要なのは、なによりも国連としてビンラディンの容疑を確認し、身柄引き渡しを要求することです。
国際社会は、ハイジャックやテロなど重大な国際犯罪の容疑者が処罰されないまま放置されることを防ぐために、十二の反テロ条約を積み重ねてきました。そこでは、容疑者の身柄を確保し、裁判を行うための国際的な協力を定めています。八八年のロッカビー事件(パンナム機爆破テロ事件)では、被害国・米英が容疑者を抱えるリビアに引き渡しを要求。リビアが拒否したため、国連安保理が引き渡しを求めました。これが、国際社会の責任で裁くために必要不可欠な手続きです。
国連憲章は直接テロに言及していませんが、国際の平和と安全の維持のため、平和的手段を講じることを基本精神にしています(第一条、二条)。
そして七章で平和への脅威・破壊などに対する行動を定めています。第三九条で安保理が平和への脅威・破壊などを認定し、平和の維持・回復のために非軍事的措置(第四一条)をとります。
これまで国連は、テロ事件では先にふれたロッカビー事件、ケニア・タンザニア米大使館爆破事件などで、非軍事的措置を決めました。ロッカビー事件でのリビアへの制裁措置は、航空機の乗り入れ停止、武器禁輸、在外資産の凍結などで、その結果、身柄引き渡しが実現しました。
この非軍事的な制裁を尽くしてもなお解決しないとき、国連憲章は四二条の軍事的措置をとることを定めています。米大使館事件でのタリバンに対する非軍事的措置は始まったばかりで、軍事的措置をとる条件はありません。
しかも軍事的措置は、国際社会の共同行動として想定されており、「武力行使の規模や期間、態様などが国連の監督のもとにおかれる必要」があります(YUHIKAKU『国際法』)。憲章は四三条以下で武力行使発動の具体的手続きを定めています。一部の国が勝手に行動することは容認していません。
もちろん今回の米英の軍事力行使は、安保理で認めておらず、“復仇(ふっきゅう)”を禁じた国連総会宣言(一九七〇年)にも反する報復戦争です。
2001年10月27日(土)「しんぶん赤旗」
自民、公明、保守の与党三党は二十六日、参院外交防衛委員会で、現実に行われている戦争に戦後初めて自衛隊を派兵する報復戦争参加法案(テロ対策特別措置法案)の採決を強行、賛成多数で可決しました。自衛隊法改悪案も同日、参院内閣委員会で与党と民主党の賛成多数で可決。日本共産党は「憲法を根底から覆すもの」として、両法案に反対しました。
委員会審議はわずか四日間。両法案は二十九日の参院本会議で採決がおこなわれます。国会要請行動に参加した人たちは暴挙に抗議するとともに、「法案の危険な内容を広く国民の中に知らせ、たとえ成立が強行されても発動を許さないたたかいに全力をつくそう」と決意を固めあいました。
採決に先立つ反対討論で日本共産党の小泉親司議員は、法案に盛り込まれている自衛隊の「協力支援活動」は憲法で厳しく禁じられた集団的自衛権の行使、武力行使そのものであり、それが国際社会の常識だと指摘。テロ根絶は軍事報復によって解決できるものではなく、国連が主要な役割を果たすことこそが重要だとのべ、米英の軍事攻撃の中止、国連を中心にした解決に切り替えることを要求。
吉岡吉典参院議員団長は締めくくり質疑で、「テロ根絶に向けた国際的一致を実際の力にするため、国際社会の責任での解決が必要だ」とのべた上で、「自衛隊を出さなければ国際責任を果たしていないと錯覚し、憲法を守らず国論を二分して派兵するのは許されない」と批判しました。
民主党は、参戦法案に基本的に賛成しつつも、派兵の「基本計画」に対する国会事前承認がないとして反対、自由党は政府の憲法解釈があいまいだとして反対しました。社民党は、派兵範囲が無限定なことなどを理由に反対しました。
2001年10月27日(土)「しんぶん赤旗」
小泉純一郎首相は、報復戦争参加法案を審議した二十六日の参院外交防衛委員会で、「日本の最高裁判所は自衛隊は合憲であるという判決を下している」(二十三日)としたみずからの答弁について、「自衛隊そのものの憲法適合性を直接的に判断した最高裁判決はない」と訂正しました。
日本共産党の吉岡吉典議員への答弁。津野修内閣法制局長官も、自衛隊合憲判決が存在しないことを言明しました。
吉岡氏は、「政府が合憲だといおうと、司法は自衛隊が合憲だという結論を下せない。その自衛隊を出すことに、国内で意見の相違が生まれるのは当然だ」と指摘し、「自衛隊を出さなければ、貢献でないというのは錯覚だ」と批判しました。
2001年10月29日(月)「しんぶん赤旗」
日本共産党の不破哲三議長は十月二十二日、党本部で朝日新聞のインタビューに応じ、米国で発生した同時多発テロ事件とその後の米国によるアフガニスタンへの武力行使、これらをめぐる日本共産党の対応や立場、さらには国際情勢の動き、日本の対応、宗教と文明論などまで、以下のように語りました。聞き手は、「朝日」のコラムニスト早野透氏です(インタビューの要旨は、十月二十六日付の朝日新聞に掲載されました)。その全体の大要を、二回連載で掲載します。
早野 二〇〇一年九月十一日というのは、歴史のうえでもかなり記憶されるべき日になると思います。「あれで世界が変わった」ということがよくいわれますが、それは広範にある共通認識だろうと思います。しかし、いったいどこがどう変わったのか、何が変わってくるのか、そういうことについての歴史的意味について、分かったようで分からない。議長はあの事件をどうとらえているか、まず総括的な話をうかがわせてください。
不破 いままでテロというのは、基本的には世界でもあれこれの地域での局地的な問題だったのですが、それが文字どおり国際テロとなり、世界全体が対処しなければいけない二十一世紀の大問題になった、ということは明白だと思います。
先日、わが党の中央委員会総会(第三回中央委員会総会)があり、そこで私も発言して、このテロは地球文明と人類社会にたいする攻撃という性格をもっていることを指摘しました。人間が地球上のどこにいようが、まったく自分に関係のないことのために命を脅かされるという事態が生まれたわけです。この国際テロを根絶することは、二十一世紀の最大の問題の一つだという位置づけをしています。
ただ、それにたいしてどう対応するのかという問題について、戦争という手段しか考えつかなかったというのは、この国際的な大問題にたいする、国際社会の対応として――実際は国際社会ではなく、アメリカ中心の一部の国ぐにがやっていることですが、非常にまずい対応をしたと思います。
これは国家間の戦争ではないのです。相手は国際組織、国際的なテロ集団であって、地球上、どこでなにをやるか分からない勢力です。それを本当に追いつめるためには、全地球的に、どこの国でもこういうテロは許さないという意思統一が政府レベルでも国民的規模でもなされ、テロ勢力にはどこにも足場も逃げ場もないという状態を地球上につくりだすことが先決です。
イスラム諸国だったらテロ集団が庇護(ひご)されるかといえば、決してそうではありません。イスラム諸国でも、こんなテロを結構だとする者はごく少数派です。ですから、国際社会が本当にテロ勢力を包囲し追いつめることは必ずできるし、その状態をつくりあげることに、一番の基本問題があります。
それをやらないで、使いなれた方法というか、戦争という手段に訴えてしまった、しかも、アメリカなど一部の国の決定だけでそれをやってしまった。しかも、その戦争は、報復戦争という色合いを日増しに強めています。ここに、大きな問題があります。
「何が変わったか」という最初の設問にもどりますと、世界を脅かす形で国際テロの問題が現れたこと、さらに、国際社会がこの問題にどのように対応して解決するかという問題が提起されていること、こういう点に、二十一世紀的な新しい問題があると思っています。
早野 国際テロリズムが、飛行機を乗っ取ったりするという段階から、なぜ九月のような事件をひきおこすような深刻な状況になったのか。同時に、なぜアメリカが狙われるのか。こういう問題についての基本的な認識はいかがですか。
不破 大きな問題からいいますと、アメリカ中心に資本主義諸国が世界に進出しているなかで、“南北問題”といわれる大問題が深刻になっています。いまアフガニスタンの民衆の生活をテレビの映像で見ても、あまりにも極端な貧困です。侵略と内戦の二十余年といわれますが、それだけにとどまらないきびしい貧困で、しかも、同じような状況が世界の大きな地域に広がっています。この状態と富の頂点にある国ぐにとの格差が、これだけ狭くなった地球上で、非常に激しく深刻な形で現れているわけで、こういう問題が、一つの背景として大きくあります。
もう一つ、これらの国ぐにが、大国の政治悪というか、諸大国の勝手な行動からさんざんな被害をうけてきたし、いまも害悪をうけている、という問題が重大です。
“なぜアメリカが”ということについても、私は、この問題にかかわるいろいろな背景があると思います。まず決定的に大きいのは、アメリカが、中東問題で、ダブルスタンダード(二重基準)と批判される行動をとってきたことです。イスラエルとアラブ世界の関係は、戦後ずっと続いてきた問題で、経過も単純ではないのですが、ともかくイスラエルが国際的に決められた国境をこえてヨルダン川西岸とガザを侵略していることは、まぎれもない事実で、これは、だれが見ても明白な侵略です。ところが、アメリカは侵略をやめさせる真剣な対応をしないまま、イスラエル応援の立場をとっている。しかし、イラクがクウェートを侵略したら、ただちに兵を出す。この不公正さはなんだという思いが、湾岸戦争でアメリカの側につき基地を提供した国ぐにであっても、アラブの諸国民のあいだには根強くあります。
アメリカの歴代政権は、相手がイスラエルなら、なにをやってもイスラエルを擁護するが、アラブの国がなにかしたら、ただちに軍事的にたたく。イラクにたいしては、湾岸戦争が終わってからでも、なにかアメリカに気に入らないことがあると、すぐ爆撃機や巡航ミサイルで爆撃する。こういう不公正なことを中東の諸国民の面前でやってきているということが、アメリカにたいする見方の根底に大きく横たわっています。
それからまた、戦後の中東でのいろいろな国際紛争を見ると、アメリカがすべて介入しています。たとえば、イラン・イラク戦争(一九八〇年〜八八年)。このときアメリカは、“イラン憎し、イラン革命反対”ということでイラクを応援し、さまざまな形で軍事援助をおこなってフセイン政権を強力にしました。アフガニスタンでは、一九七九年、ソ連の侵略とこれにたいするアフガニスタンの国民の反撃の戦争がおこったときに、アメリカはこの戦争に背後から介入しました。このときの軍事支援はビンラディンらを育てる結果となりました。しかし、ソ連が侵略に失敗して撤退したら、“あとは野となれ”式の態度をとりました。
つまり、アメリカの中東での行動は、イスラエルとアラブとのたたかいに不公正な態度で介入してきたことだけでなく、その他の紛争問題についても、自分の国家目的から利用できるものは利用するが、利用価値がなくなったらそっぽを向くという、大国の勝手横暴を、もっとも典型的にやってきたものでした。それが中東におけるアメリカの存在でした。ここに、アメリカが国際テロの標的になった背景があると思います。
しかし、ここで大事なことは、われわれはいわゆるリンケージ(連結)論にたって、そういう基本の政治問題が公正に解決されないかぎり、テロは解決できないという立場はとらない、ということです。
早野 いろいろなことのツケがまわったから、といういい方はしないと?
不破 ツケはツケで解決しなければいけないけれども、ここに原因があるからテロがおこっても仕方がないんだという立場は、いっさいとりません。
私たちは、だいぶ前にこういう問題を経験しました。一九七八年にPLO(パレスチナ解放機構)がテルアビブで、子どもや女性が乗ったバスを襲撃するテロをやったことがあるのです。多数の死傷者が出ました。このテロの理由づけは「イスラエルの侵略反対」でした。そのとき、私たちは、「赤旗」で、“だれがやるにしろ、無辜(むこ)の一般市民を犠牲にするテロは許されない”という立場を表明したのです。そうしたら、PLOの東京事務所長が、最初は非公開の手紙をあちこちに出して、「日本共産党はイスラエル側になった」という非難をばらまき、最後にはそれを活字にして公表しました。もちろん、私たちはそれに反論しました。
三年後の一九八一年にPLOのアラファト議長が来日したとき、私はアラファト氏と会談しました。私はその会談の席で、当の事務所長を目の前において、“この人は、日本共産党をこういって攻撃している。われわれはアラブの大義には賛成するが、テロには反対だ。それを攻撃するのはまったく許されない態度だ”ということを指摘したのです。アラファト氏はその場で、「分かった」として「事態の克服」を約束しました。その後、不当な攻撃はぴたっと止まりました。
われわれは、パレスチナ人民の独立国家建設という事業はずっと支持してきているけれども、そういう大義があるからといってもテロは許されるものではないという立場を、こういう形で、早くから公にしてきたのです。
テロ問題にかぎらず、私たちは、ある国際的な要求を支持するときでも、その運動のなかでいろいろな問題が出てきたとき、それにたいして、党としての自主的な判断と立場をとるということを、堅持してきました。パレスチナの独立国家建設の運動でも、一九六〇年代にPLOができてしばらくの間は、運動の大勢は“イスラエル抹殺”論でした。つまり、“イスラエルには中東に国家をつくる権利はない”、“イスラエルは中東から出ていけ”という立場だったのです。しかし、それではこの問題は解決できません。ですから、私たちは、一九七三年に、宮本顕治委員長(当時)が日本記者クラブで講演したときに、“日本共産党はイスラエル抹殺論にくみしない。イスラエルの国家的生存権を認めるべきだ”ということを表明しました。その後、党の代表団が現地にいってPLOと会談したときも、この態度について話しました。
私たちがここで示した中東問題解決の目標は、パレスチナ人の独立国家とイスラエル国家とが共存できる関係を中東につくる、ということでした。この立場は、そのときは国際的な運動のなかで少数意見でしたが、いまでは国際政治の上でも、中東問題解決の当然の大前提になっています。
テロ問題では、いま説明したように、目標に大義があるからといってそれはテロを正当化する理由にはならないし、大義だからといって不道理は許されないということは、私たちの一貫して変わらない態度です。
ですから、こんどの国際テロ事件についても、私たちは、なぜアメリカが標的になるのかという政治的な背景の分析はもちろんやっていますが、しかし、だからといってこれらの政治問題が解決するまでテロ問題の解決をのばすという態度は認めないのです。
私は、テロがおきた直後の九月十七日と報復戦争が始まった直後の十月十一日、志位委員長と連名の書簡を、世界の約百三十カ国の政府首脳に送りました。中東問題などについてはそれぞれなりにいろいろな立場をとっている各国政府に訴える書簡ですから、そこでは、これらの政治問題をどう解決するかは抜きにして、二十一世紀に同じ地球上に生きる者として、国際テロの根絶に道理ある力をつくそうじゃないかという一点にしぼって、私たちの提案をおこないました。
早野 日本共産党が二回の書簡を世界各国に送ったというのは、日本の政党のなかでは唯一目立った行動だったわけですけれども、なぜ二度出たのかをよく読みくらべてみると、最初は法と理性というスタンスでの解決、いわば経済的制裁、ないしは政治制裁という段階での議論をされている。二回目の書簡になると国連憲章四二条の軍事的措置まで認めるという違いがある。これはどうしてなのですか?
不破 二つの書簡のあいだに、別に立場の違いはありません。九月十七日の書簡は、ああいうテロがあって、それにたいしてアメリカが戦争を用意しはじめた段階です。二度目の書簡は、十月八日に戦争がはじまってその三日後の十月十一日に出した書簡ですから、時期的にはその違いが反映しています。二回目の書簡では、現実におきた戦争について、戦争をはじめた結果はこうなっているじゃないかということも解明して出したのです。
私たちはもともと、国連の制裁という場合、国連憲章第四一条(非軍事的な制裁の条項)とあわせて、第四二条(軍事的な制裁の条項)があることをいつも視野に入れています。湾岸戦争のときにも、私たちはそのことを視野に入れて行動しました。しかし、国連としては、まず経済制裁など、非軍事の手段をとる段階が非常に重大な意味をもつのです。
たとえば、リビアのテロ派によるパンナム機爆破事件のときには、国連としては、経済制裁の手段でまず対応しましたが、それがリビアに大きな影響をあたえ、事件後約十年たった時点で容疑者を引き渡させることに成功しました。このときの容疑者はリビアの国家機関のメンバーでした。ですから、まず経済制裁など、非軍事の強制手段の段階で可能な力をつくす。それでもどうしても相手が応じないときには、憲章第四二条の軍事的制裁が問題になりますが、これは性格からいえば、警察行動の領域の行動だといってよいと思います。そして、この警察行動をやるときには、イスラム社会をふくめた国際的合意が、当然の前提になります。
早野 警察行動というのは、軍事的措置のことですか? 警察行動的性格だということですね。
不破 そうです。軍事的制裁ではありますが、内容からいえばこれは警察行動の性格をもつもので、しかも、イスラム世界をふくめた国際的合意のもとにおこなわれるものです。こんどのように、一部の国の判断で、これが「制裁」だとして、国家間の戦争の方法を勝手にもちこむということとは、まったく違います。
アメリカでいまやっている軍事報復と、国連の制裁とは、軍事行動という共通面をもってはいても、一方は一国の判断と利害で勝手にやる戦争であり、他方は国際社会が道理をつくして犯罪勢力を追いつめる警察行動的な性格の強制措置ですから、そのあいだには根本的な違いがあります。相手が一定の理性をもっていれば、かつてのリビアのように、アメリカからは「ならず者国家」と指定された国だけれども、非軍事の制裁の段階で、爆破事件の容疑者の引き渡しという対応をする場合もありえます。
こんどの場合は、タリバンから交渉の提案があっても、アメリカ側が全部断って、いわば最後通告をつきつける形で開始した戦争です。この戦争をやめて、国連が国際法にもとづく告発や制裁の行動をとる道にきりかえたとき、相手側がどういう態度をとるかということは、やってみなければ分かりません。しかし、すでに戦争がはじまって、事態がこういった状況に現になってきているときでしたから、十月十一日の第二の書簡では、憲章第四二条の軍事的制裁の条項にも触れました。先のことまで具体的に視野に入れて発言しないと、状況にあった説得力をもたないと考えたからです。
早野 その間、ビンラディンが、ビデオをつうじて自分の犯罪を認めるような声明を出したということも、一つの要素になっていますか。
不破 それはありますね。というのは、第一の書簡では、だれを告発すべきかということについては未定だという立場でしたから。
あのビデオはビンラディンの犯行声明そのものではないけれども、しかし、多発テロを「神の一撃」だとしたのは、あのテロを支持し美化する立場です。これは、テロを告発する国際社会の立場とまったく違うものです。それからまた、以前には「自分は無実だ」というビンラディンの声明なるものが流れたこともありましたが、今回のビデオでは、あれだけの長文の言明のなかで、自分とアルカイダが無実だとは一言もいわない。さらに、次の二撃、三撃のテロを歓迎するという立場もとっています。こういう点で、直接自分の犯行だとまではいっていないけれども、政治的には国際テロの側に立つものだという名乗りをあげた声明でした。
ですから、第二の書簡では、ビンラディンを容疑者と認定することを前提にして、それにたいする国際社会の対応を具体的に提案しました。
早野 日本共産党がビンラディンを犯人と認定したというわけではないのですか?
不破 そうではありません。自分がこのテロの側に立っていることの名乗りをあげたという認定です。あのビデオ声明は、かなりクロに近いけれども、それだけで犯人だとの断定はできません。だから、書簡でも、容疑を自分から裏づけている、と書きました。
早野 そうすると、アメリカが自分で勝手にやっているという問題点はあるけれども、ビンラディンが容疑者であり、タリバンに責任があるという部分では、アメリカの主張に賛成するわけですか。
不破 アメリカの主張に賛成するかどうかということではなく、私たちは明らかになった事実にもとづいて主張をのべている、ということです。ブッシュ大統領がこういったからとか、小泉首相がこういったからとかいうことではありません。
早野 そこで、前から視野に入れているといわれましたが、国連の軍事的措置を認めるというのは、私たちは“へぇ”と思うわけです。その場合、国連のこの軍事的措置に自衛隊が参加することはないですか、またすべきではないかということになるのではないですか。
不破 私たちは前から、憲法第九条をもっている日本は、国連のとる行動でも軍事的措置には参加できないという立場を明らかにしています。湾岸戦争や「国連平和協力法」(一九九〇年、海部内閣が提案したが廃案になった)の時も、その立場は明確にしました。
私は、憲法九条をもっている日本だからこそ、このような事態がおきたときに、国連中心の道理ある措置を提唱すべきだと、思います。
先日の中央委員会総会でもいったことですが、日本の政府が憲法を守る姿勢をもっていたら、私たちが書簡で国際社会に提案したようなことを、本来なら日本政府自身が国際的な場で主張し提案して当然なのです。
私はこんどのことでも思うのですが、自民党の政治家たちは、日本が憲法第九条をもっていることにたいして、ものすごい劣等感をもっています。“国際的な舞台で、第九条があるためにやるべきことがやれない”と考える。これが彼らの劣等感です。
ところが、憲法第九条というのは、世界の政治の舞台でも運動の舞台でも、かなり注目されています。日本の政治家であるなら、劣等感ではなく、日本は憲法第九条をもっているからこそこういうことができるんだという、憲法第九条の優位性を発揮して当たり前だと、私は思います。
日本の自民党政治というのは、外交がゼロですから、憲法第九条のもとにいる自分が残念だと思ったり、そのことがみすぼらしく見えたりするのですかね。湾岸戦争のとき多国籍軍に入れなかったとか。
ところが、その日本が海外に軍事的に出てごらんなさい。このあいだ、難民への物資輸送で自衛隊機がパキスタンにいきました。その部隊に武器を持たせて派遣したわけですが、「武器は飛行機の中におけ」といわれた。それで、パキスタンの部隊が、この忙しいなかで、千人も動員されて丸腰の自衛隊を守った、との報道もありました。民間機だったら、こんなことはやる必要がないのですよ。軍用機だから攻撃される危険があるということで、そういうことにもなる。しかも、日本の自衛隊が武器をもってパキスタンのなかをウロウロされたら、パキスタンの政府としても困るのです。
アジアを侵略したあれだけの歴史をもつ日本ですから、その“軍隊”の進出については、アジアはものすごく警戒するわけです。話は少し飛びますが、いまから十三年ほど前、インドを訪問してインド共産党マルクス主義との会談をしたとき、現地のマスコミにもとめられてデリーで記者会見をやりました。そうしたら、最初の質問が「日本軍のアジア進出の危険」についてだったので、ちょっと驚きました。日本で自衛隊をめぐるきな臭い話が伝わって、「日本軍がまたくるのか」という話になっている。それぐらい、アジア全域に日本の軍事進出にたいする警戒心が強いのです。
その半面、日本が憲法第九条をもっていることへの安心感が強い。
日本の政府はアジアと真剣に対話しないで、アメリカやNATO(北大西洋条約機構)の側とばかり対話しているから、アジアでは信頼の柱になっている憲法第九条の値打ちが見えないで、これを劣等感をもって見ることになる。同じアジアにありながら、考え方や気持ちの上では、日本の政府とアジア諸国のあいだにはこれだけの開きがあるわけで、このこと一つとっても、このままでは二十一世紀の日本の外交的前途はたいへんだと思わざるをえません。
早野 国連はぎりぎりの場合、軍事的措置の行動をおこすべきだという書簡の論理でいきますと、日本はその場合、憲法第九条があるから、小泉首相ではないけれども武力行使はできない。しかし、後方支援ぐらいはしなければいけないということになりませんか?
不破 憲法のもとでは、軍事と非軍事の区別はどんな場合でもきっちりさせないとだめです。
早野 そうすると、日本が国連の軍事的措置もふくめてやるべしやるべしといいながら、しかし私たちは憲法第九条があって軍事的措置にはいっさい参加しませんというのは、劣等感ではないけれど、なにかこそばゆいような気がしないでもないのですが、自信はもてますか?
不破 それは日本の姿勢だと思います。だいたい日本が国連に入るときに、憲法第九条をもった国として国連に入ることが大前提でしたから。それだけ、外交の面とほかの活動の面で、国際貢献を大いにすべきなのです。とくにこんどの問題では、国際社会が二十一世紀の新しい問題にたいして新しい対応を探究することが問題になっているのですから、憲法第九条をもった日本は、世界平和の立場で国際貢献をする一番いいポジションにあります。
アフガニスタン問題では、すべてが解決したあとの「平和」の問題、政権のあり方の問題もありますが、そういう先の先のことではなく、現実にいま取り組むべき緊急の課題が、難民救援をはじめ無数にあります。憲法第九条をもった国だからこそ世界のなかでいちばん役割をはたせるはずなのに、そういう問題にたいして、いままで日本政府はろくに仕事をしていないでしょう。民間ではいろいろな方がボランティアでずいぶんやっています。そういう活動を世界の先頭にたっておこなって、「憲法第九条をもっている日本は、そういう面ですごい活動をするんだな」と思われることをこそ、めざすべきなのです。
戦争を放棄した憲法のもとで、憲法をごまかしごまかしして自衛隊を出動させても、だいたい「武力行使をしない」建前のものが、軍事活動の役にたちますか。同じ戦線を組んでも、かえって邪魔になるだけでしょう。
早野 その点、政府・自民党からすれば、“だからこそちゃんとすべきだ”“もう少しきちっとした協力ができるように武器・弾薬も輸送すべきだ”という議論になってしまうわけですが?
不破 そういう議論をする人はいるでしょうが、これは、つきつめれば、戦争にもっと本格的に参加できるように、憲法第九条を捨ててしまおうという議論にゆきつくものです。ですから、問題の根本は、日本国民がなにを選択するかということです。憲法を変えるか変えないかというのは、日本国民の選択の問題ですから。
今年の憲法記念日の前に、朝日新聞で憲法についての世論調査を発表していました(五月二日付)。憲法そのものにはいろいろ意見がありますが、第九条を守るか守らないかといったら、「守る」というのが多数派でした(第九条を「変えない方がよい」74%、「変える方がよい」17%)。あの自民党総裁選の直後で、政界では改憲論が活気づいた時期の調査だっただけに、注目しました。
私は、これは、いまみたいなコソコソした議論ではなく、真正面から議論すれば、国民は意思統一できると思っています。いままでの歴代政府がやってきた、正面からの議論を避けてごまかしで憲法を崩してゆこうというのが、政治も憲法も堕落させる道です。
早野 国連中心にやるべきだというのは、ある意味では小沢一郎さんがずっと主張しつづけていることと同じですね。もっとも彼の場合、武力行使もすべきだといっており、そこは明らかに違いますが、現在の状況の問題意識という点では、共通していますね。
不破 小沢さんは、憲法改定論者です。八年ほど前の著作(『日本改造計画』)で、憲法第九条について自分の改定案まで発表した人ですから。そういう立場での議論は、議論としてはもちろん成り立ちます。これにたいして、われわれは、日本の憲法は、将来の日本の進路にとっても、また世界の平和の政治の発展にとっても、大きな意義をもっており、これを守るという立場です。二十一世紀にこのどちらを選ぶのかというのは、国民の選択なんですよ。
私は、二十一世紀には、日本の国民は、小沢さんの主張ではなく、憲法を守るという選択をする、その条件が十分にあると思っています。
早野 ついでといってはなんですが、国連の軍事的措置というのは、国連安保理の決議があって、アメリカ軍中心の多国籍軍という形もありうると思いますが、これは認められるのでしょうか?
不破 それは、そのときの問題の性質とそのときの条件によりますね。
たとえば、一九九一年の湾岸戦争のときには、国連決議による多国籍軍という形をとりました。私たちは、多国籍軍の存在と行動を頭から否定する態度はとりませんでした。これは、国連安保理の決議にもとづくもので、国連憲章第四二条に該当すると見ていましたから。あのとき、われわれが批判したのは、経済制裁をやってまだその効果もあげていないのに、しゃにむに軍事行動に走るというその性急さでした。あのときは国連安保理の会議でもフランスがかなり粘って、アメリカの性急な行動を抑制する立場で議論していましたが、結局は押し切られました。
私たちは、「急ぎすぎる」という批判をしたわけで、国連憲章にてらして違法だとして、多国籍軍の存在と行動を頭から否定する態度はとらなかったのです。
今回のアメリカがとった報復攻撃は、国連安保理の決議なしに勝手にはじめた軍事攻撃であって、前回の湾岸戦争のときとくらべても、根本が違っています。
早野 たとえば、経済制裁などをアフガニスタンに適用したりすると、あの苦しんでいる民衆がさらに直接苦しむということになると思いますが、これはやむをえないということですか?
不破 それは逆なんです。いままでもアフガニスタンで苦しんでいる民衆にたいして、たとえば水の救援、食糧の救援、それから地雷除去などの国際活動が非常に多面的にすすめられてきました。ところが、アメリカがはじめた戦争行動は、こうした国際的な援助活動を全部たちきってしまったのです。
朝日新聞の報道で読んだことですが、アフガニスタンでは地雷を除去する活動が長年つみかさねられてきて、「ここは除去された」とか「ここはまだ除去されていないが、どこに地雷があるかは分かった」などの累積がずっとあった。それがこんどの戦争で全部水の泡になった。おまけにアメリカがいま爆撃に使っているクラスター爆弾というのは、広範な地域に地雷をまきちらすことも可能な爆弾だというでしょう。そういう点では、いままでボランティアや国連諸機関の努力でやられてきた人道的な国際援助をたちきってしまったのが、いまの戦争行動だと思います。
いまアメリカ軍が「人道」の証明だと称してアフガニスタンに食糧をばらまいている話があります。十一月八日の国連総会で「食糧の権利」の問題で報告する人がいるのです。その人が、最近、「ああいう行動は、国際的な救援活動の中立性をそこない、信頼をそこなうもので、きわめて有害だ」という告発を記者会見でしています。つまり、中立的立場でやらなければいけない難民の救援活動を、軍事作戦の一翼に組み込んでしまうわけで、そうすると、軍事活動とは別個に中立的な立場でやっている人たちまで「あれは軍事作戦の仲間だ」とみられてしまうわけです。
国連がやる軍事制裁の活動なら、国際的な諸機関との相談や合意の上で、一般の市民に犠牲を出さず、救援活動を保障するということに、大いに知恵を出せるし、よほどきちんとできると思います。
早野 少し話を変えて、「テロ対策特別措置法案」についてうかがいます。アメリカ軍への後方支援と被災民支援の二つが組み合わさった法律ですが、どんなふうに思われていますか?
不破 こんどの法案というのは、ともかく自衛隊を戦場に近いところに出したい、そういう法律上の枠組みを一気につくりたい、そういう願望だけでつくられた法案です。
ですから、「難民救援」といっても、日本がやる行動が、本当に難民救援の役に立つのかどうかは、何も検討されていない。それから、われわれは自衛隊の海外出動そのものにもちろん反対なのですが、自衛隊を派遣しようという政府自身が、法案にもりこまれた自衛隊の行動がアメリカのやっている戦争に実効性があるのかどうかを、まともに検討していない。国会でいくら議論しても、見えてくるのは、ただともかく自衛隊を戦場近くに出したいという思惑だけです。
先ほどの難民救援物資の話でも、国連機関がイギリスと中国と韓国と日本の四カ国に物資の応援を頼んだとき、それにわざわざ軍用機を使ったのが日本でした。それもパキスタン製で日本に輸入されたものを、自衛隊機でパキスタンに運びかえすという、笑い話のようなことまでやった。ともかく自衛隊機を出したいという動機だけで行動しているから、こんなことになるのです。
それで思い出すのですが、湾岸戦争のときに、難民救援のために自衛隊機を送るという話が急に出てきたことがありました。そのとき私たちは「赤旗」の特派員を中東の現地に派遣し、現地の日本大使館や国際移住機構(難民救援の国際機関)の取材をしました。驚いたことには、現地の日本の大使館筋にはなんの事前の相談もない。難民救援機関の方は「軍用機は必要はない。かえって危険だ」という見方でした。普通の民間機だったら平穏に飛べるものを、軍用機で運ばれたら攻撃を受ける危険がある、ということでした。
ところが、そういう現地事情を調べることもしないで、ともかく自衛隊機を出すチャンスだということだけでことを決めてしまう。政府のこの態度には、本当にあきれたものでしたが、こんどの法律も同じ精神でつくられています。
私がこんどのいきさつで注目しているのは、後藤田正晴氏のように、これまで自衛隊海外派兵などの問題で苦労してきた人が、「このやり方は何だ」と言い出していることです。いままでなら、憲法を破るなら破るなりに、それなりの論立てを積みながらやっているわけです(笑い)。ところが、こんどの“小泉手法”というのは、論立てなしが特徴です。たとえば、巡航ミサイルを発射したところは戦闘地域かと質問すると、「ミサイルが真っすぐ飛んでゆけば戦闘地域で、あとから人の操作がくわわれば戦闘地域でない」とか、どこにもちだしても噴飯ものの議論が、とめどもなく飛び出してくる。法案の法解釈そのものが、法律的にまったくの無防備なんです。(つづく)
早野 いまの閣僚答弁のレベルは、不破さんが予算委員会でわたりあっていたころの政府・自民党とくらべても低すぎるでしょう。
不破 ちょっとひどすぎます。
昔だって、ひどい話はありましたけれどもね。
余談になりますが、私は、ベトナム戦争の終結についてのパリ協定(一九七三年一月)が結ばれたあと、国会で、田中角栄首相と大平外相に、日本はどういう立場でアメリカのベトナム戦争を支持し応援したのかについて、質問したのです(一九七三年二月)。
「どうしてベトナム戦争がはじまったのか」と聞きましたら、田中首相たちは「トンキン湾で米軍が攻撃をうけたからだ。それで安保理事会の決議にもとづいてはじまった戦争だ」と平気で答弁します。私が、「とんでもない。国連の安保理の決議など存在しない」と指摘したら、外務官僚があわてて知恵をつけて、「国連には報告しただけでした」と訂正しました。トンキン湾で攻撃をうけたというのもでっちあげだったことがあとで暴露されましたが、「米軍はベトナムにいたから攻撃されたのだろう。ジュネーブ協定では外国軍隊はベトナムにいてはいけないことになっているのに、なぜトンキン湾にいたのか」と追及しましたら、困ってしまいました(笑い)。大平外相などは、別の機会でしたが、「事態はそれほど複雑怪奇でありました」(笑い)と答弁したほどです。
つまり、“アメリカはいつでも正義”という立場で行動してきたから、なぜ自分たちがこの戦争を正義と認めて支持してきたのか分からない、それどころか、ベトナム戦争がどうしておこったのかの経緯も知らない、という日本政府の外交姿勢がはしなくもさらけ出される結果になりました。
日本外交は、出発点からアメリカの旗のもとにすすんできたから、自主的な立場で自分がとる国際的な行動の足場を一つひとつ道理にもとづいて踏み固めるという作業をいっさいやってきていない、ということです。
それでも、その当時は、こうした追及をうけて弱点や矛盾が暴露されると、そのことを恥じる気持ちが、政府答弁のはしばしからうかがえました。しかし、いまは、それを恥じる気持ちなど、どこにも見えません。本当にひどい世界になってきています。
しかし、国会論戦などを通じても、小泉内閣の政治手法にたいする国民の不安は次第に広がってきている、と思いますね。
たしかに自公保の数の多数はあるのですから、この数にものをいわせて、国会を突破することはできます。しかし、大きな問題は、小泉内閣はこの無責任な政治手法でどこへ日本をもっていこうとしているのか、このことについて、国民のあいだに非常な不安が広がりつつあることです。
早野 ただ、いまだに小泉内閣の人気は高いのですが、これはどう思いますか?
不破 ものごとはやはり質的な変化をおこすには一定の時間がかかりますからね。まだそこまではきていない。(笑い)
しかし、いま沈殿しつつある批判の累積というものは、やがて政治をも動かす非常に大きな力になってくると思いますね。
早野 少し歴史的、大局的にうかがいたいのですが、この十年、湾岸戦争、周辺事態法、今回の法案と、憲法をめぐる事態、変遷というのは、だれの目にも明らかなのですが、これはどういうふうにご覧になっておられますか。大きな意味での日本の憲法状況というのは変わっていってしまうのでしょうか。私個人は護憲世代なものですから、困ったものだと思うわけだけれども、時代の流れはやはりそっちにいってしまっているのかなというふうに思ったりもするのです。
不破 政治の舞台の変わり方と、国民レベルの変わり方とは違うと思うんですよ。先ほど憲法問題についての「朝日」の世論調査の結果を話しましたが、そこにはやはり健全なものが現れています。
日本の改憲派は、憲法九条の改定を直接問題にするということではどうもことはうまくすすまないと考えて、九〇年代のはじめごろから、「環境問題がふれられていない」とか「在日外国人の権利が明記されていない」、だから「憲法は古くなった」など、からめ手から攻めようという動きに出てました。そのとき、私たちは、日本の憲法は、国民の権利の問題でも世界のなかで先進的な内容をもっているということを大いに強調しましたが、いずれにしてもそういう議論が横行したのです。その結果でしょうか、先日の「朝日」の世論調査では、からめ手を本気にしての憲法改定の意見が比較的多くありましたが、改憲派が改悪をねらっている本命の憲法第九条については、「守るべきだ」が多数になっている。これは大事な結果だと思いました。
政治のほうはどうか。自民党の政治というのは、昔から「理屈はあとからついてくる」といわれた世界なのですが、このごろは、あとからでも理屈をつけること自体が嫌になって(笑い)、理屈なしで走ってしまうというところまできてしまっている。これも、私はそう長続きできるものではないと思います。国民がこうした政治手法にたいする危なさを感じているというのは、戦争問題と生活問題の両面でいま並行してすすんでいることですから。
早野 そういうこともふくめて日本の国家戦略というか、日本の国のありようというか、それは、憲法の問題、そして日米安保の問題、重視されている国連の問題などです。アメリカとのつきあい方というのは、これからどうしていくべきなのか。それから、先ほど国連を重視するというお話をされましたが、国連は実態として本当に集団安全保障の実力をつけていきうるのか、結局アメリカ支配のバージョン(一形態)になりはしないのかなど、いろいろ思うのですが、そこで日本はどういう意味で国家戦略を設計したらいいのか、このあたりはいかがでしょうか。
不破 国連のことからいいますと、日本が国連に入ったばかりのころと同じ感覚で国連に代表される国際社会を見ていたら、大間違いになると思います。
国連には、一方で大国中心の安保理事会がありますが、他方では世界のすべての国が参加する国連総会があります。その国連総会では、アメリカがやってきている軍事攻撃や軍事干渉の行動について、ほとんど毎年のように非難決議が圧倒的多数で採択されています。核兵器の問題でも、アメリカなどは頑強に抵抗したのですが、とうとう期限を切って核兵器の廃止にむかうべきだという流れを押しとどめられなくなっています。ここでは、発展途上国が中心となった非同盟運動が大きな力を発揮しています。これらの国ぐには、安保理事会にはなかなかその声が反映しないけれども、国際社会では無視できない大きな力を発揮しはじめているのです。
早野 いままでは、結局のところ、たいして力を発揮しない面が多かったのですが、いまは違いますか。
不破 じわりじわりと力を発揮してきています。だから、核兵器廃絶の問題などでも、以前には考えられなかったような国際的な決議の前進がかちとられるということも、おこってくる。ところが、日本は、国連に参加していても、アメリカ中心、NATO中心の見方ですから、そこが見えないのです。
もう一つは、国連は国際的な安全保障の機構としてつくられたのだけれども、実際には二十世紀の国連というものは、新しい流れがあっても、結局は、大国間の政治的な闘争やかけひきの舞台になってきました。
しかし、冒頭、国際テロの問題で強調したように、国連が本当に国際社会の代表者として問題にたちむかい、世界的な意思統一の中心になり、非軍事、軍事の制裁行動をとる場合にも、本当の意味で国連の指揮のもとに世界が行動する、こういうことに本気で取り組みだしたら、そういう活動のなかからこそ、二十一世紀の国連の役割というものが現実に生まれてくる、ここが大事だと思います。
不破 それから、日本の国家戦略についていいますと、自民党政府の国家戦略は日米安保――軍事同盟一本やりですが、この日米安保というのは、まず、こんどのように、アメリカが軍事行動をやったら、日本も自衛隊を出さないと「同盟国としてあいすまない」という立場に必ずなり、憲法違反の軍備増強や海外派兵に突き進んでゆく大もとになります。そこに第一の有害さがあります。
日米安保のもう一つの有害さは、日本の外交をゼロにしてしまったことです。だいたい日本の外交がゼロだということは、世界中が知っていることです。
早野 知られちゃっていますか?
不破 だって、国際政治のうえで重大問題がおきたとき、日本に相談にくるという国は一つもないではありませんか。湾岸戦争のとき、おやじさんの方のブッシュ大統領でしたが、日本にくる約束になっていたのに、戦争がはじまったら、外交が忙しくなったといって、訪日をキャンセルしました。それほど、日本の政府は、国際政治では同盟国のアメリカからも頼りにされていないのです。ほかの国はなおのことです。
それは、軍隊の海外派兵ができない国だからではありません。外交的にアメリカのお供の国だから、日本にいってもなにも独自の新しい知恵があるわけではない、また日本と相談してなにか新しいことが見いだせるわけではない、そういうことが世界の常識になっている。だから、世界を緊張させる問題がおきて、国際外交が活発になると、日本はいよいよ影がうすくなるのです。
私たちは日米安保条約のない独立・非同盟の日本を望んでいるのですが、この目標は国民多数の合意がないと実現できません。しかし、そこまでゆく以前にも、外交の転換は可能だと考えています。
転換の第一は、アメリカにおまかせの外交から、日本自身の自主的な判断と選択を重視する自主外交にきりかえることです。どんな国際問題にたいしても、日本としての独自の判断をもつ。アメリカのやっている行動に賛成するときでも、日本自身の自主的な立場で「これはこうだから賛成する」ということを最小限いえるようなところに踏み出さないと、国際社会で信頼をかちとることはできませんからね。
第二に大事なことは、憲法第九条をもった国なのに、日本ぐらい、対外関係を考えるときに軍事的な発想を優先させる国はない、という問題です。いつもなにか軍事的な「脅威」を探しては、それに対抗することを対外政策の基本にする。相手が北朝鮮であろうが、中国であろうが、「やがてこの国は脅威になるだろう」という立場でしかものを見ない。これは、現在の世界、とくにアジアではたいへん異常な立場です。
私は、この点を、一昨年(一九九九年)の東南アジア訪問のさいに本当に痛感しました。東南アジアというのは、ベトナム戦争の当時は、多くの国がベトナムに戦争をしかけたアメリカの側にたって、ずいぶん緊張した地域でした。それが、いまはがらっと変わってしまい、ベトナムもふくめた大同団結が東南アジア全域ですすんでいます。国際政治に対応する態度でも、“軍事同盟にも核兵器にも反対、大国の横暴は認めない”ということが、共通の大きな流れになっています。
そのなかでもう一つ実感したのは、どんな国際紛争にたいしても、まず平和的な話し合いを中心にして対応するということで、軍事中心の対応を優先させる考えを強くいましめていることです。マレーシアで話し合ったときにも、こういうことを、首相直結の戦略国際問題研究所や外務省の幹部たちが、ずばりと指摘します。
ところが日本の場合は、対中国政策を考えるときでも、二十一世紀の半ばごろになると中国の経済力が大きくなって「脅威になるはずだ」という調子の、なんでも「脅威」からものを考える議論がさきに立ちます。このアジアで、二十一世紀に、日本と中国がどんな関係をもつことがアジアと世界の平和に役立つのかという発想がないのです。
これはどこにたいしてもそうです。「軍隊」がないはずの国なのに、外交はいわば防衛庁的な発想が主導するといった格好です。軍事優先のこの発想には、本当に日本独特のものがあります。対北朝鮮政策でも、テポドンの「脅威」だけが問題になるという時期がありました。ところが、アメリカが北朝鮮に特使を送って平和的な関係を探求しはじめたら、日本政府の側には、「戦争」に対応する議論はあっても、「平和」に対応する用意がなくて、困ってしまった。こういう事態が生まれるのです。
私はここにも、安保体制のもとで日本がやってきた外交の根本的な弱点が現れていると思います。
三番目は、日米安保下の日本外交には、アジアの一員という立場がないことです。日本が、同じアジアに、アジアの諸国民とともに生きているということは、過去・現在・未来を通じて変わらない根本的な事実です。しかも、日本は、二十世紀の前半の時期に、侵略戦争と植民地支配によって、アジア諸国民にあれだけの巨大な惨害をあたえたのです。その日本が、これからの日本の進路を考えるとき、アジアの一員という立場を抜きにして、未来にむかう進路を設定できるはずがありません。ところが、いまの日本の外交的立場では、はっきりいってこの根本が欠落しています。
侵略戦争と植民地支配にたいして、限られた外交的な反省の言葉はあっても、真剣な反省の態度がないのも、その深刻な現れの一つです。
国際政治のなかでの立場でも、いまのアジアでは、圧倒的多数の国――二十三カ国中二十一カ国までが非同盟の流れに属していて、軍事同盟の一員として残っている国は、日本と韓国だけです。韓国は南北分断という特別の事情がありますが、日本は、そういう事情がないのに、アメリカとの軍事同盟のなかに組みこまれているアジアで唯一の国です。
そればかりか、外交を考えるときは、対米外交、対NATO外交が最優先で、アジアの一員としての自覚も立場もまったくない。ここにも、自民党政府の外交戦略のきわめて重大な問題があります。
私はこれが、日本外交の三大欠陥だと思います。自主性がない。なんでも軍事中心で考える。アジアの一員の自覚がない。私たちは、根本的には、日米安保条約をなくして、主権を回復した非同盟中立の日本を築いてゆくという目標をもっていますが、そこに前進する過程においても、いまあげた三つの点で日本外交の転換をかちとることが急務だと考えています。
早野 こんどは、もう少し未来社会のことを考えてゆくと、二十一世紀の国家というのはどうなってゆくのか。なかんずくグローバリゼーションの光と影が世界を覆っていて、その影の部分がテロリズムにつながっていくとも見られる。国家とグローバリズムというようなことについて、どのように考えていますか。
不破 国際的な課題、世界全体で取り組むべき課題は、二十一世紀にはものすごく大きくなると思います。しかし、だからといって、国家が不要になるとか、それぞれの国民の自主性が軽くなるとかいうことではないでしょう。国際的な課題に取り組むということと、それぞれの国が自主性をもってその仕事に参加するということとは、矛盾することではありません。
「グローバリゼーション(世界化・国際化)」という言葉の一番の発信元は、アメリカなんです。ところが、アメリカは、自分の気に入らない国際課題については、“わが国の死活の利益が優先する”という立場で、平気で背を向ける態度をとっています。地球環境の問題で京都議定書に反対したり、核兵器廃絶を拒否したりするのは、この立場のもっとも鮮明な現れでしょう。私たちは、アメリカ流「グローバリゼーション」のこうしたごまかしには乗りません。
昨年十一月の私たちの党大会のさいに、ヨーロッパのいくつかの共産党の代表たちと意見を交換しましたが、そのとき、「世界化(グローバリゼーション)」への対応でかなり大きな立場の違いがあることに気づきました。ヨーロッパの共産党は、フランスもイタリアも、「グローバリゼーション反対」という方針でした。私たちは、そういう立場はとっていません。「世界化(グローバリゼーション)」、つまり資本主義がいよいよ世界的になるということは、マルクスが声を大にしてその意義を強調した資本主義の発展の基本方向ですから。(笑い)
では、日本共産党はこの問題をどう扱っているかというと、経済面でも大国中心の国際秩序ではなく、どんな大国の経済的な横暴も覇権も認めない国際秩序をめざして、国際的にも経済秩序の民主的な改革を要求するという立場です。
「新国際経済秩序」ということは一九七〇年代から世界的に大きな問題になってきましたが、そういう方向での改革が、二十一世紀を迎えていよいよ切実で必要な課題になってきています。「世界化」「国際化」でも、大国中心の国際化ではなく、諸国民の平等な権利と地位を原則とする民主的な国際化をめざす、その立場で世界的課題にしっかりと取り組むべきです。
アメリカ中心の国際化の危険性は、アジア諸国がとくにこの数年来の経験を通じて、非常に強く感じていることです。
四年前に金融危機、経済危機がアジアを襲いましたが、その背景には、国際的な金融投機集団の経済秩序を破壊する策動がありました。この時、アメリカが各国に押しつけようとした処方せんは、IMF(国際通貨基金)の指揮のもとでの経済再建でした。日本は、この面でも、アメリカの「同盟国」ぶりを発揮して、インドネシアが経済危機に落ち込んだ時には、橋本首相がわざわざインドネシアに出向いて、「IMFの処方せん」を受け入れるよう勧告することまでしました。しかし、このIMF路線は完全に失敗しました。
一方、マレーシアは、「IMFの処方せん」をいったんはもらったものの、それをはねかえして、自主的な再建路線に踏み出し、みごとに危機からの脱出に成功しました。私がマレーシアを訪問したのはその直後でしたから、経済関係の幹部たちも非常に意気軒高で、自主独立が重要だということで、大いに意気投合したものです。
そういう点では、「グローバリゼーション(世界化・国際化)」といっても、アメリカ主導でいわばアメリカ・ヨーロッパのタイプに全世界をはめこもうという「世界化」は、現実の世界のなかで、多くの面で落第点がつけられています。
やはり、世界では、それぞれの国がそれぞれの社会の内的な論理をもって発展してきているのです。国際社会では、その自主性を大いに発揮しながら共同しあうというあり方がもとめられています。しかも、かつてのように、資本主義が高度に発展している大国だけが世界を動かすのではなく、経済的にはさまざまな発展段階にあっても、世界の諸大陸の多くの国ぐにがそれぞれなりの力をもって世界の政治と経済にくわわっているのが、今日の国際社会です。国際社会のこうした特徴は、二十一世紀には、より大きな意味をもってくるでしょう。
そこまで見通して世界化の問題を考えずに、ワシントンやニューヨークの立場からだけ世界を見、そのせまい立場から「世界化」「国際化」を見ていると、世界の前途を見誤ると思います。
早野 そういう議論は日本でも、まだ少数ながら芽があるような気がします。こんどの事件は、「文明の衝突」というわけではないけれども、長い歴史のなかでよってきたる歴史的なこじれといいますか、これがあるような気がします。それから宗教という問題が、国家や文明、人類の将来とどういうふうにかかわってくるのか。今回は明らかに宗教が人間の生活の最上位にあって、それがいくらか混乱させているということがあると思うのですが、人類文明といったら大げさすぎるかもしれませんが、こんどの事件で、地球上の文明はどういう関係になっていくか、とくに宗教と国家というのはどういう関係になっていくのか……。
不破 「文明の衝突」論というのは、最近、いろいろな人が唱えているようですが、今後の世界を「文明の衝突」という立場で見るというのは、私は、大きく間違った見方だと思います。とくにこんどの問題を「文明の衝突」という枠にはめこんでしまって、イスラム文明を代表しているのがテロ勢力で、欧米文明を代表しているのがアメリカの巡航ミサイルだというのは、きわめて有害な見方でしょう。
だいたい、イスラム世界を、歴史の進歩の外にある世界と見ること自体、事実に反する見方です。第二次大戦後の半世紀を見ても、この世界には顕著な進歩が現実に記録されています。
私たちは、二十世紀を、二つの世界大戦、ファシズムと軍国主義などを経験した世紀であると同時に、民族自決権、民主主義、基本的人権の前進などの点で、人類史のなかでも、巨大な進歩をとげた世紀だと評価しています。イスラム世界でも、これらの点で、とくに第二次世界大戦後の進歩にはいちじるしいものがありました。
第二次大戦が終わったとき、イスラム世界で独立国だったのは、トルコとサウジアラビア、イラン、イラク、アフガニスタン、エジプトぐらいで、それらの国ぐにも、多くはヨーロッパの大国への強い従属のもとにありました。しかも、このなかで主権在民の共和制をもっていたのはトルコだけでした。そしてその他のイスラム世界は、アフリカからアジアまで、イギリス、フランス、オランダ、イタリアなど、ヨーロッパ諸国の植民地でした。
それが戦後の過程で、独立をかちとり、多くの国ぐにでは、王制から共和制への転換がかちとられました。国民の人権の面でも、国ごとに紆余(うよ)曲折はあるし、時には逆流もありますが、ともかく全体としては前進の流れのなかにあります。
そういう点で、イスラム社会自体がイスラム社会なりの進歩をしてきています。そのことを見ないで、イスラム世界では世界的な進歩・発展と無縁のもののように考える見方は、成り立つものではありません。
不破 重大なことは、欧米文明の側に、自分たちの体制が絶対だという立場で、そのモノサシで他国の文明を裁断し審判するという見地が非常に強いことです。これにたいする抵抗というものが、イスラム世界だけでなく、世界に大きくあることを、よく考えなければならないでしょう。
たとえば、日本の歴代首相は、すぐ「わが国はアメリカと自由と民主主義の価値観を共有する」といいます。しかし、この「価値観」論は、イスラム諸国やアジア諸国ではすごい抵抗があるものなのです。この議論の根本には、自分たちの「価値観」を絶対普遍の「価値観」だとする考えがあって、他の国にそれとは違う体制があったり、そのモノサシにあわない試行錯誤や探求があったりすると、これを全部否定的に見るわけですから。
こういう見方に立って「文明の衝突」を考えるとしたら、これは危険なことだといわざるをえません。
先ほど東南アジアを訪問したときの話をしましたが、マレーシアに行ってなるほどと思ったことがありました。マレーシアという国はマレー系が六割ですが、中国系(華僑)が三割、それからインド系が一割います。この三つの民族の混合国家で、民族間のバランスにすごく苦労しています。華僑は住民の数からいえば少数派ですが、経済的にはいわば支配者の地位にある。だから、自然にまかせるとマレー人は経済的にも社会的にも痛められる一方ということになります。
そういうことが、マレーシアでの民族的なぶつかりあいの背景にあって、その経験から、諸民族間の融合をどうするのかということで、いろいろな探求がおこなわれてきました。たとえば、政治の上でいうと完全には平等でなくて、経済的には弱者であるマレー人が、行政に採用されるときには優先権をもつという制度があったりします。そのことのいい悪いの判断はいろいろあるでしょうが、マレーシアでは、苦労して解決の道筋を探求しながら民族融合への努力をしています。
マレーシア外務省の幹部と食事をしながら話したとき、私が、「あなた方は民族融合の問題でこれだけ苦労してきているから、その苦労が外交に生きていると思う」といいましたら、えらく感激されまして「そこまで見てくれた人はない」といわれたものです。その人たちが「われわれは、国際社会では『価値観が違う』といつもやられている」というんです。
マレーシアというのは、イスラム教が国教ですが、そういう形で、多数者をなすイスラム社会を維持しながら、政治的な基本は民主主義の方向でやっています。
イスラムのその他の国でも、イランでは、ハタミ大統領がこの前来日しましたが、ここはイラン革命でホメイニがつくった共和国ですから、完全なイスラム体制です。その国を、民主主義国家としてどう改革してゆくかという点で苦労をしています。インドネシアにもインドネシアなりの歴史がある。ともかくイスラム住民を基本にした諸国で、どういう形で民主主義的な発展をはかるか、試行錯誤をふくむいろいろな探求があるのです。
イスラムの宗教というのは独特で、「政教一致」をマホメット(ムハンマド)が決めてしまいましたが、そのなかでいろいろな模索があるわけです。それは、それぞれの民族が模索して自分で解決してゆくことであって、国際社会としては、国際的にも非難されるべき有害な圧政と、そういう模索とは区別して、対処しなければいけないと思います。
ところが、いまアジアの多くの国ぐには、アメリカなどがいう「価値観」論とは、欧米的価値観で全部なで切りにするというものだと受けとっています。
そういう点では、「文明の衝突」ではなく、いろいろな文明の「平和共存」ということを、あらためて考えるべきときではないでしょうか。以前は「平和共存」というのは資本主義と社会主義の関係で問題になりましたけれども、長い歴史のなかでそれぞれの違った文明をもってきた国ぐにが地球上で共存してゆくときには、「平和共存」という対処の仕方が必要だと思います。そのなかでこそ世界の進歩もありえます。
いまイスラム人口は世界で十一億人をこえていると思います。文明も違うし、社会の風俗も違えば、経てきた歴史も違う。しかも、イスラム社会に属する国ぐにの大多数は、独立をかちとってまだ半世紀にもならない国ぐにだということも、頭に入れる必要があります。
いまでこそ欧米諸国が世界の中心のような振る舞いをしていますが、人口的には現在すでに地球上の少数者です。現在でも、人口は中国が十二億をこえ、インド、パキスタン、バングラデシュをあわせれば、インド亜大陸の人口も十二億をこえるでしょう。二十一世紀の世界では、そういう国ぐにが占める比重は、経済や政治のうえでも間違いなく大きくなります。
早野 非常に広い意味で、本質的意味で平和共存という形でゆくしかないということですね。
不破 そうですね。世界のすべての国が自分の進路は自分で決める権利をもっている、それを尊重しあってこそ国際社会が成り立つということをきちんと踏まえることです。
早野 それが結論になるかと思います。ところで、あまり深くたちいることはしませんが、たとえば社会主義、共産主義というような思想は、いわば啓蒙(けいもう)主義から発展していって自由、平等、民主主義というようなことの発展の系譜にもあったわけです。これは、文明の平和共存、それから文明それぞれの価値観の併存というところからすると、どんなことになるのでしょうか。
不破 私は、イスラムやアジアなどの社会がそれぞれなりの道筋を通っても、歴史の進歩の流れてゆく先は、世界全体として、大きな共通性があると思っています。
マルクスにしても、社会の発展の段階について、原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、社会主義とのべるときには、これは「大づかみに言って」の順序だという断り書きを必ずつけたものです。“自分は、世界をこういう図式にあてはめるつもりはない”ということもくりかえしました。
彼はアメリカの新聞の通信員でしたから、たとえばスペインでなにか大事件がおきて、つっこんだ論説を書こうとするときには、必ずスペインの歴史を徹底的に勉強して、スペイン社会の内的な発展の論理をつかみだす努力をしたものでした。世界を図式的な枠にはめこむようなことは絶対にしない。その社会の歴史そのもののなかから、どういう進歩の流れ、発展の論理があるのかをつかみだすのです。だから、アジア社会を見るときにも、アジア社会の研究のなかからこの社会がどういう進歩の展望をもつかを明らかにしようとしました。
私たちが、マルクスから学ぶべきものは「科学の目」です。十九世紀の世界を見て彼が出した結論の一つひとつが二十一世紀に通用する値打ちをもつわけではない、という場合は、たくさんあります。しかし、十九世紀の世界を見たその方法、考え方のなかには、いまに生きる科学性があるわけですから、この「科学の目」をうけつごうということを、私は自らの指針としています。
その目で見ると、先ほどいいましたように、イスラム社会が第二次世界大戦が終わってからのこの半世紀のあいだに発展させてきたものは、民族自決であり、民主主義の前進であり、人権の前進なのです。国ごと民族ごとに、いろいろな道を通りながら、また時には逆流も経験しながら、歴史も世界も進歩してゆくわけで、最後は、それぞれの国で「国民が主人公」になる方向に発展してゆく、私は、世界史のこの大きな流れは変わらないと思います。
早野 普遍的価値というのがあるのでしょうね。普遍的なるものというか……。
不破 歴史のなかで、おのずから普遍性が証明されてくる、というものは、当然、あるでしょう。しかし、地球上のある国ぐにが、自分の国のあり方が「普遍的な価値」だといいだしたら、それは、間違った道に踏み込むことです。
少し歴史をさかのぼる話ですが、ロシアで最初に社会主義の革命がおこなわれた時に、これにたいする資本主義世界の対応というのは、まさにこの種の「普遍的価値」論に立つものだったのです。資本主義が「普遍的価値」だと思いこんで、資本主義と違う制度をもった国が地球上に生まれるなどということは夢にも思っていなかったし、そんな国と同じ地球上で共存することには我慢できなかった。だからイギリスもフランスもアメリカも日本も、こんな体制は武力で倒せと、ロシアに攻めこんだり、反革命派を応援したりしました。大干渉戦争でした。
それに失敗して、社会主義ロシアが生き残った時、一九二二年にジェノバ会議という国際的会議(欧州復興会議)が開かれたのですが、その会議の招集のさいに、“各国は、経済でも政治でも、自分の好む制度を選ぶ権利をもつ。世界のどの国も、あれこれの制度を他の国に押しつける権利はもちえない”ということが確認されたのです。レーニンがこの条項に注目し、これを手がかりに、ソビエト政権としてはじめて国際会議に参加しました。また、同じ時期にドイツと結んだ条約(ラパッロ条約)でも、この原則がうたわれました。その時点で、世界ははじめて、経済体制の違う国が共存しあうのが新しい世界の秩序だということを確認したのでした。
それ以後、「平和共存」というのは、資本主義と社会主義との関係で主に問題にされてきたのですが、現在では、もっと広い意味で、つまり、違う文明、違う価値観をもつ国と国とのあいだで「平和共存」の道を探究することが、必要になってきています。ここには、世界がいま直面している非常に大きな問題があるのではないでしょうか。
2001年11月19日(月)「しんぶん赤旗」
「戦争をしないと宣言した日本がいま、戦争する国になろうとしています。その現実を子どもらにどう教えたらいいのか」。ある先生のことばです。先月末から約一週間、アメリカのアフガニスタン報復戦争の実態と被害などをパキスタンで視察してきた日本共産党国会調査団(団長=緒方靖夫参院議員、赤嶺政賢衆院議員、小池晃参院議員、笠井亮前参院議員)のみなさんに、調査後の結果を踏まえての国会論戦と、いま「戦争をする国」になろうとしている日本の現実について語り合ってもらいました。(司会は三浦一夫外信部長)
――小泉内閣は自衛隊をアメリカのアフガニスタン報復戦争に参加させる基本計画を閣議決定しました。パキスタン調査後、国会論戦でも活躍されてこられましたが。
緒方靖夫議員 小泉内閣と与党は、自衛隊を派遣することしか考えていない。私たちが現地でなによりも強く感じたのは、いま必要なのは、戦争をすることじゃない、一日でも早く戦争をやめ、国外に逃れてきた難民をはじめ、アフガン国内への人道援助を真剣に行うことだということ、そして、戦争でテロをなくすことはできないということです。
赤嶺政賢議員 私も帰国してから、安保委員会と予算委員会で政府を問いただしましたが、小泉総理にしても、田中外相にしても、戦争の被害の恐ろしさということをまったく知らない。向こうで、私と同じ沖縄出身でNGO(非政府機関)で活動している方に会いました。教師をしていたが、戦火を逃れて苦しんでいる人たちみると、自分の親や兄弟をみる思いがする、決意して支援活動にやってきたといっていました。小児まひにしても戦後の沖縄で大流行したし、不発弾での被害はいまでも沖縄では続いていますからね。
ところが、小泉総理らは、戦争でアフガンの人たちが傷つけられているということについて認識しようともしない。アメリカを支援するのが国際活動なのだという理解です。なぜ憲法第九条があるかについてもまったくむとんちゃく。そんな国際感覚で政治をしているのかと思うと怒りがわいてきます。
――国会では、クラスター爆弾など非人道的な兵器を使っている問題も追及されましたね。
小池晃議員 私は医師でもあるのでクエッタの病院に行きましたが、赤嶺さんと一緒に会ったサミード・ウラちゃんという一歳の男の子は、頭の中に爆弾の破片が入ったままでした。隣に横たわっていたお母さんは破片を全身にあびていて重体でした。クラスター爆弾の被害じゃないかと思います。
予算委員会で、写真を使って、せめてこういう非人道的な兵器は使うなとブッシュ政権にいうべきだといったんですが、総理は「アメリカは注意深く使っている」と繰り返すだけです。サッカー場八つの広さに子爆弾がばらまかれるような兵器をどう「注意深く」使うんですか。
笠井亮前議員 クラスター爆弾の子爆弾はこういうものですよ。これは模型ですが、私たちが会った国連の地雷除去行動計画の責任者、ダン・ケリーさんに実物を見せてもらったのをもとにつくったのです。彼ら国連やNGOはこれまで、地雷撤去のためにそれこそ地をはうような努力をしてきた。そこへきて、いま米軍がクラスター爆弾を投下している。地雷を新たにばらまいているのと同じだと、憤まんやるかたないという様子でしたね。
緒方 ペシャワルの病院で会ったビビ・アイシャちゃんという十一歳の女の子は、十六歳のお兄さんの畑仕事を手伝っていたら、二機の飛行機が飛び去ったあと、黄色い茎の白い花びらのようなものがヒラヒラと落ちてきた。何だろうと近寄ったら爆発して、破片が右目とおなかに刺さったというんです。そこはパキスタンとの国境に近いジャララバードの南四十キロにある農村ですよ。
笠井 空爆で気化爆弾BLU82というのが使われたのが、ちょうど私たちがいっている最中でした。危害半径は六キロにもおよび核兵器につぐ殺傷能力をもつとされる非人道的な残虐兵器です。米軍も使用を認めた。彼らは、最初、自分たちの爆撃は、ピンポイントだなどといっていたが、そんな爆弾を使って、何がピンポイントですか。
しかも、ケリーさんは、国連の地雷撤去計画に日本政府はこれまで資金を出していたのに、昨年と今年は一円も出していないと各国の拠出一覧表を見せてくれて、日本大使館を通じて十五回も要請したが、いまだに答えがないといっていました。
――被害を受けている人たちはタリバンとは関係ないのですね。
赤嶺 もちろんタリバンではありません。
小池 クエッタの病院に入院している男性に聞きましたが、家の屋根を突き破って、爆弾が飛び込んできた、その村にはタリバンもいないし、軍事施設なんかないといっていました。
赤嶺 やはりクエッタで会ったアフガン人のNGOの女性たちは、「この戦争は罪のない人たちを巻き込んでいる、タリバンの人的被害は少ない。それに、タリバンを全滅させてもテロは根絶されない。戦争に巻き込まれて死んだ人の家族はアメリカを恨むことになる」といっていましたね。
小池 テロ事件の起きた後にニカラグアで行われた対人地雷禁止条約での会議で、日本政府の代表は、子どもらのために平和な地球を取り戻そう、そのために地雷禁止を呼び掛けるといっていた。ところが、小泉首相はクラスター爆弾をやめよとは一言もいわない。
緒方 ダン・ケリー氏は、劣化ウラン弾が使われている可能性もあるといっていました。そのことを十五日の参院予算委員会で追及したら、小泉首相は、気化爆弾も劣化ウラン弾も米軍が必要があって使っているんだ、とそういう立場なんです。驚くべき態度です。
いま、アフガン国内勢力の配置は急速に変わっていますが、アメリカは空爆、戦争を続けるといっています。そして、小泉内閣はその戦争の続いている間に、自衛隊参戦の実績をあげようとしている、とんでもないことです。(つづく)
2001年11月27日(火)「しんぶん赤旗」
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反対討論する木島議員 |
報復戦争参加法(テロ対策特措法)にもとづく自衛隊派兵の国会承認案件が二十六日、衆院テロ問題特別委員会で審議され、与党三党と民主党の賛成多数で承認されました。戦後初めて、自衛隊を現に戦争の行われている地域に派兵するという重要案件にもかかわらず、自衛隊の最高指揮官でもある小泉純一郎首相の出席はなく、わずか五時間三十分の審議で採決は強行されました。
反対討論にたった日本共産党の木島日出夫議員は反対理由の第一に、自衛隊の活動が集団的自衛権の行使そのものであり、「恒久平和をうたい、戦争を放棄した日本国憲法に反して許されない」と指摘しました。
第二に、「基本計画」ではあいまいに定める一方、具体的な活動内容を定める「実施要項」が「秘」とされ、国会に報告すらされないことを批判。「政府自身の憲法判断の基準にかかわる具体的内容が、国民・国会に一切知らされないまま承認を求めること自体が議会制民主主義のじゅうりんだ」とのべました。
第三に、被災民救援活動について、国連難民高等弁務官(UNHCR)から自衛隊に輸送の要請はなかったことをあげ、「今回の自衛隊海外派兵が“何がなんでも自衛隊で”『日の丸』をインド洋に立てたい、『集団的自衛権』の壁を突破したいという小泉内閣の思惑からの強行である」と強調しました。
民主党は、審議では自衛隊の活動の詳細にはまったくふれていない政府の承認案に「概要だけでは承認のしようがない。問題だと言わざるを得ない」(桑原豊議員)とのべる場面もありました。しかし、採決では討論に立たず、賛成しました。
日本共産党の市田忠義書記局長は二十六日、国会内で記者会見し、自衛隊の海外派兵の国会承認問題について、「戦闘行動を行っている米軍を応援するために、自衛隊が海外に出ることは、戦後はじめてのことであり、武力による威嚇も武力の行使も行わないと明記した憲法九条に違反することは明白だ」と主張しました。
市田氏は、国会承認に賛成する意向を打ち出している民主党の態度について問われ、鳩山由紀夫代表が自衛隊艦船の出港を「画期的だ」とのべたことを指摘し、「野党第一党の党首が、憲法の基本を揺るがすことを『画期的だ』と言ったことは、きわめて残念だ」とのべました。
また、「(同党)内部でも意見がいろいろあるようだが、どういう態度をとるかは、民主党が決めることだ」とのべた上で、「民主党を、憲法九条を守る政党だと思っていた有権者はたいへん残念がるでしょう」とのべました。
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記者が語る 「しんぶん赤旗」とっておき話 |
戦争支持報道の洪水のなかで論説委責任者 近藤正男 |
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いま日本共産党がとりくんでいる「しんぶん赤旗」読者を大きく増やす運動のなかで、真実と希望、勇気を運ぶ「しんぶん赤旗」への関心が広がっています。2、3、4日、東京・夢の島公園で開かれた赤旗まつりでおこなわれた「第一線記者・デスクが語るとっておき13話」は、「赤旗記者の生の姿がみえてよかった」と好評でした。そのいくつかの発言を要約、紹介します。 9月11日の同時多発テロ事件以来、日本のテレビ、新聞などマスコミ論調の特徴は、米軍の武力行使支持=戦争支持一色になったことです。 そのことは、日本新聞協会が10月8日の空爆開始時の各社の社説61本を調べたところ、「強弱はあるものの、空爆やむなし」だったと総括している通りです。 ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と叫んで報復戦争に乗り出せば、「読売」「産経」は「日本は率先して応じよ」、それが「日米同盟の証(あかし)だ」とあおる。「日経」はその戦争に自衛隊が参戦できるよう、新法を急いでつくることが「与野党の共同責任」だとけしかける。 日本のマスコミは戦争熱にあおられると、かくもぜい弱なのか。 さらに許しがたいのは、戦争を当然視する裏返しとして、日本のマスコミが戦争によらない解決の道を最初から断ち切り、“理性と法による裁き”を求める主張を、事実上黙殺したことです。 多くの国民がテロを憎み、テロ根絶へ何をなすべきか胸を痛めているときに、軍事力行使以外の選択肢がないかのように報じておいて、世論調査で「米軍の行動への賛否」や「自衛隊出動への賛否」を問えば、結局は「やむを得ない」と答えざるを得ない―。偽りの多数世論の形成です。 戦争一色で、戦争を「する」側の目しか持たないことの怖さです。 これを「マスコミ時評」でとりあげると、「ひざを打って共鳴した人たちが少なくありません」とか「まったく同感です。心から敬意を表します」という反響がファクスやメールで相次いで寄せられました。なかには、「『赤旗』は私たちの良心の声です」という声もありました。 もし「赤旗」がなかったら…。この時ほど、理性と良識の声をあげ続ける「赤旗」の役割と、その重みを実感したことはありません。 難民支援のため空爆の即時中止を求める国際世論も広がっています。 今こそ軍事攻撃をやめ国連中心の対応に切り替えるときだ―。テロ犯人追撃という当初の「戦争目的」さえ失い、無実の市民の犠牲を拡大するだけの戦争の実態からも、「赤旗」の理性と良心の訴えはいよいよ説得力を持ってきています。 |