はじめに
戦争・改憲と民営化(労組破壊)攻撃を許さない闘いが、すでに「日の丸・君が代」不起立闘争への突撃をもって始まっている。動労千葉の反合・運転保安闘争−春闘ストライキと結合した3〜4月卒・入学式闘争の爆発が、日本の階級闘争に新たな激動的地平をもたらすことは明らかだ。小泉の民営化攻撃に立ち向かう4大産別のそれぞれの決戦が火を噴き、歴史的な改憲阻止決戦の大爆発への胎動が始まっている。昨年11・6労働者集会の圧倒的成功は、日本の労働者階級に国際連帯の力強いエネルギーを充填(じゅうてん)し、小泉政権を打ち倒す力となって爆発しつつある。戦争・改憲と民営化(労組破壊)を粉砕する階級決戦の大爆発に向かって、闘う隊列を打ち固め、動労千葉労働運動を広げ、4大産別決戦−改憲阻止決戦勝利、日本帝国主義打倒へ突進していこう!
この闘いは、新指導路線が切り開いた躍動的地平であり、革共同第6回全国大会(2001年)で確認したように、対カクマル戦争の勝利の土台の上にかちとられている。
反革命ファシスト・カクマルの白色暴力を打ち破った長い命懸けの闘いが、カクマルを腐敗と衰滅の道へと突き落とし、その勝利と自由の空間で大きな革命的胎動が始まっているのだ。われわれは、2006年の3月14日、本多延嘉書記長(当時)虐殺から31年を迎えるにあたって、反革命カクマルとは何か、党にとって3・14とは何かをとらえかえし、改憲阻止決戦の大爆発の中であらためてカクマル完全打倒を誓うものである。
第1章 カクマルの歴史的大罪を革共同は絶対に許さない
70年決戦への反革命、警察=カクマル連合
革共同は、安保・沖縄決戦として69年、71年の二つの11月決戦を闘った。日帝のベトナム侵略戦争参戦に反対する67年10・8羽田闘争から始まった激動の7カ月、米軍ジェット燃料輸送阻止・新宿騒乱闘争、全国大学闘争の爆発をもって69年佐藤首相(当時)訪米阻止11月決戦へとのぼりつめ、さらに土地収用と闘う三里塚闘争の激闘の中で沖縄返還協定をめぐる71年11月決戦を闘い抜いた。この71年沖縄決戦の渋谷暴動闘争を先頭で闘ったがゆえに、無実の星野文昭同志は殺人罪のデッチあげ報復弾圧を受け、無期懲役の判決で31年間、今なお獄中にとらわれている。
この「二つの11月」という70年決戦の闘いは、安保・沖縄決戦として革命的労働者学生の数千数万という軍団が日帝権力・機動隊と首都と空港をめぐり(69年)、また首都中枢のど真ん中で(71年)、鉄パイプと火炎瓶でわたりあった大衆的武装闘争=市街戦であった。大量の反戦派青年労働者が、日本階級闘争史上初めて初期的武装をもって学生とともに街頭で機動隊とのせん滅戦を繰り広げた。学生は全国の学園でのバリケードストライキから街頭へ、その隊列を登場させて闘った。
当時の社会党、共産党のもとでの労働運動が、資本の攻勢によって組合の職場支配権を次々と奪われ続ける状況の中で、反戦派労働者がその流れを押しとどめ、階級的・戦闘的労働運動の防衛と飛躍をかけて全産別職場と各地区で闘いを押し広げていた。70年決戦は、その青年労働者が自ら武装して闘った階級決戦でもあったのだ。労働者階級は、「来るべき革命的激動期にどのように闘うのか」という目的意識性と階級的戦闘性を発揮してこの決戦を闘った。工場から薬品を集め、教室で火炎瓶を作り、全逓労働者は郵便車でそれを運んだ。
この決戦は、67年10・8羽田闘争以来の一つの集約点でありながら、11月決戦を闘った戦闘性をもった革共同が、労働組合運動へとびこむ跳躍台でもあった。
明らかにそれは、革共同第3回全国委員総会(1962年)路線に敵対し、逃亡したカクマルとの闘いを推進してきた闘う労働者と学生共産主義者が、社会党や共産党の支配する労働運動にとって代わって、日本の労働運動の主流となるべく「労働者の中へ」の闘いを一挙的大量的に準備するものであった。次代の日本労働運動を反スターリン主義革命的共産主義運動=革共同が担うことをくっきりと示したのである。帝国主義権力も、労働組合幹部もその予兆におののいた。
最も恐れたのが3全総から脱落・逃亡した黒田=カクマルであった。彼らは70年決戦を一切闘わずに、革共同が11月決戦で権力から弾圧されることを計算して、革共同への武装襲撃を目的意識的に準備したのである。70年決戦を闘った大量の学生共産主義者と青年労働者が労働運動に全面的に決起すれば、例えば韓国での学生運動の担い手が今日の民主労総の組織的中軸を形成しているように、必ずその後の日本労働運動の戦闘的基軸を形成したであろう。反革命カクマルは、このことを心底から恐怖し、11月決戦とその後の「労働者の中へ」の実践を阻止するために武装反革命に転落したのである。
革命の荒々しい現実性とそれを担う労働者階級の前進。これに恐怖して加えられた武装反革命。カクマルの71年12・4の関西学生2同志と12・15三重の1同志への殺害襲撃と、連続する革共同と戦闘的労働者への襲撃は、革共同が権力の破壊活動防止法弾圧との闘いで苦闘しているまさにその時を狙った、文字どおり「権力と闘った者への武装襲撃」であった。カクマル頭目・黒田寛一は、反革命通信『解放』紙上で「権力が首根っこを押さえているときにカクマルは下の急所を蹴りあげる」と主張した。K=K連合(警察=カクマル連合)を自認して、権力と闘ったことを理由として革共同を襲ったのである。日本の階級闘争が初めて経験した事態であった。これに対し、11月決戦を闘った労働者・学生は、自らの矜持(きょうじ)をかけて己の肉体と生命、人生をかけて反撃に総決起した。これが二重対峙・対カクマル戦である。
生死かけた二重対峙・対カクマル戦の決断
当初われわれは、「二つの11月」による大量逮捕や、集会禁止や指導部の逮捕という破防法攻撃の中で、カクマルとの力関係は完全に劣勢であった。69年4月に破防法で逮捕され、71年3月に保釈・奪還された本多書記長を先頭にしてわが革共同は、反革命から開始された革命党への絶滅攻撃(反革命の側からの内戦)に対し、形成途上の革命党の歴史的・階級的試練として受けとめ、これと闘うこと抜きに日本革命はあり得ないとして猛然と決起した。それは、労働者階級が自己解放を実現する過程で不可避に迫られる、反革命からの襲撃に党はどういう態度をとるのかという問題であった。革命をかけて、文字どおり指導部を先頭として全労働者党員・学生共産主義者が命懸けの蜂起をもって闘ったのだ。
本多書記長の指導のもと「防御・対峙・攻勢」という段階的前進戦略をもって、カクマル反革命との内戦を、戦略的防御から革命的対峙、そして戦略的総反攻へと闘い、カクマルを追いつめていった。その過程、わが労働者同志は、職場を守るために出退勤を戦争的に構えた防衛戦争を闘い抜いた。多くの同志の犠牲をのりこえ、カクマルが仕掛けたファシスト反革命襲撃に対し、先制的内戦戦略を確立して闘った。
戦略的防御の厳しい防衛戦争を闘い抜いたわれわれは、73年9月に戦略的対峙段階へ踏み出し、カクマルへのせん滅戦を連日闘い取った。すでに74年6月の段階でカクマル黒田は、わが革命的攻撃に対して、「権力の謀略」などと厭戦(えんせん)主義を吐露して逃亡を開始していた。そしてついに、74年夏、革共同は戦略的総反攻の大攻勢へと突撃し、連日カクマル・アジトを撃破していった。この過程で、憎むべきカクマルは、前迫勝士同志ら革共同の誇るべき労働者同志を虐殺したのである。そしてさらに、実に卑劣な謀略的手段をもって本多書記長にマサカリで襲いかかり、虐殺のための虐殺を行ったのが3・14反革命であった。
新指導路線が切り開いた勝利への展望
1975年3月14日、内戦を最先頭で指導していた本多延嘉書記長は反革命カクマルによって虐殺された。黒田、松崎、土門によるこの反革命に対して、われわれは怒りに燃え、党の存亡をかけて革命的報復戦に決起した。これに対して、反革命カクマルはさらに、わが偉大な全逓出身の労働者革命家、橋本秀次郎同志を76年2月に虐殺したのだ。
3・14反革命をけっして忘れるな! これは自己解放を闘いとろうとする革命的労働者人民にとって、血で書かれた厳しくも重たい歴史的・階級的教訓である。反帝国主義・反スターリン主義世界革命をめざす闘いが、その現実化の一端を荒々しく生みだした時、闘う内側にいると思われた革命の仮面をかぶった反革命が武装して襲いかかった。権力にはけっして向けたことのない刃(やいば)を、権力の容認のもとで革命党に振り下ろしてきたのだ。労働者階級の自己解放闘争は、帝国主義権力や反共右翼との闘いだけでなく、実はスターリン主義やファシストという民間反革命との闘いに勝ちぬくことを抜きにけっして前に進めないことを、3・14反革命はわれわれに血の文字をもって突き付けている。
革命の絞殺ともいえるこの凶行に対し、われわれは自らが本多書記長になって革命をやり遂げる気概をもってカクマルへの復讐戦に決起した。革命の新たな再生をかけて闘う戦士となったのだ。革命と革命党の存亡をかけたこの決戦に、全党が、そして日本の最も戦闘的で革命的な労働者人民が総決起した。敵の反革命襲撃に負けない、革命党の先んじた武装した闘いとして先制的内戦戦略論を確立し、対カクマル戦を何よりも優先して闘った第1段階(フェーズT)、カクマルとの内戦を継続した中で対日帝権力闘争へ挑戦した第2段階(フェーズU)の激しい闘いをとおして、カクマルを軍事的に粉砕していったのである。この闘いの過程は、実際にカクマルが反革命であることを労働者人民に鮮明に示す過程となり、カクマルは闘う労働者人民から見捨てられていった。この闘いが革命党を守り、階級的労働運動を守った。
この内戦は、心ならずも党の戦列を離れた多くの労働者人民の全面的な協力と支持のもとに遂行された。反革命との闘いに屈服して対カクマル戦を闘えなかった党派は、日帝の攻撃にも耐えられず解体されていった。
あらゆる困難を克服して闘ったカクマルへの軍事的せん滅戦と対日帝戦争、その最大の蜂起戦=90年天皇決戦の勝利の上に立ち、われわれは91年5月テーゼをもって「労働者の中へ」の闘いに突入した。ついに70年決戦の後にわれわれが突撃すべき本来の闘いを回復したのである。われわれはカクマルを階級的、政治的に包囲し、追いつめた。動労千葉は、分割・民営化とそれ以降の処分攻撃と真っ向から闘い、階級的労働運動を貫いた。こうして反革命カクマルは大衆運動的にも労働運動的にも反革命であることが明らかとなっていき、労働者階級内部で存在できなくなっていった。2000年末にカクマルを中央派カクマルとJR総連カクマルへと分裂させた力はここにある。
われわれは01年革共同第6回全国大会で対カクマル戦の勝利を確認した。さらに03年新指導路線による「党の変革」をかけた決起をとおして、カクマル最後の潜入場所=労働組合への革命的進攻を全面的に開始している。階級的労働運動、革命的大衆運動の前進の中で、いま中央派カクマルは衰滅と腐敗の坂を転げ落ちている。またJR総連カクマルは利権をめぐって組合内部で、松崎・本部派と嶋田派との分裂・抗争に至っている。
われわれは、新指導路線をさらに強力に闘いぬくことで、分裂したカクマル両派の完全打倒を実現する地点に立っている。革命軍によるカクマルへの復讐戦を強め、3・14復讐戦貫徹、カクマル完全打倒へ突撃しよう! 虐殺者=黒田・松崎・土門の革命的処刑を戦取しよう!
第2章 堕落を極め分裂と抗争を激化するJR総連の惨状
(1)分割・民営化に協力した裏切りの烙印は消せない
JR総連とは、どういう組合か。それは、今日の民営化攻撃の始まりであった19年前の国鉄の分割・民営化に率先協力した功によって、旧動労カクマルが資本・権力によって与えられた反労働者的労組である。当時の首相であった中曽根康弘が繰り返し公言しているように、「国鉄の分割・民営化は国鉄労組を解体しました。国鉄労組の崩壊は総評の崩壊、つまり社会党崩壊につながります。……もちろん私はそれを認識して実行に移しました」(『文芸春秋』05年12月号)ということなのである。日帝権力が国鉄労働運動の解体を「戦後政治の総決算」攻撃として加えてきた時に、労働者階級の側は階級的労働運動の防衛と発展をかけた一大決戦として、これを全労働者の闘いに押し上げることが求められていた。この時カクマルは、階級的立場で反撃することなど初めから目もくれず、早々と闘いを否定し、「自分たちだけの利益」のためにこの決戦の武装解除を行ったのである。
「魚は頭から腐る」
中曽根は「(国鉄改革を始めとした)行政改革でお座敷をきれいにして立派な憲法を安置する」という反革命的使命をもってこの攻撃に踏み切った。それは全国鉄労働者に「闘いか、しからずんば労組の死か」を迫る重いものであった。『俺たちは鉄路に生きる2』で、この日帝の体制をかけた攻撃にどう立ち向かうべきかについての、当時の中野洋動労千葉委員長の格闘がつづられている。「動労千葉は当時1100人、国鉄労働者全体の中では本当に小さな勢力が国家権力を相手に戦争して勝てるのか」と煩悶(はんもん)し続け、最後に「迷ったら原則に帰れ」、「組合員を信頼し、闘うことをとおして団結を固めていく以外に動労千葉の進むべき道はない」と決意して闘いの道を進んだことが記されている。攻撃の激しさの中で二者択一を迫られた時、「魚は頭から腐る」というとおり、労働組合の指導部が敵の攻撃やその後の自らへの処分などを計算し、恐れて闘うことをやめ、組合員に転向・屈服を強制していく問題が語られている。中野委員長が闘いを選択した決断の根底には、組合員の団結が破壊されていくことへの階級的拒絶と、組合員をとことん信頼する労働者階級自己解放の思想があった。労働者の真の団結は、闘いをとおして培われ、強固に成長していく。動労千葉の分割・民営化との闘いやその後の今日までの闘いがそれを示している。
首切りの先兵に転落
日帝・中曽根にとっても、初めからこの攻撃の勝算があったわけではない。動労松崎が分割・民営化に賛成し、労働組合の内側から率先協力して「城の明け渡し」を買って出たことによって、初めてこの攻撃は成り立ったのである。
当時の副総理・金丸信や元警視総監の秦野章などが松崎を絶賛しまくった。実際、松崎もこれに前後して、『自由新報』(自民党機関紙、86年4月)や『世界日報』(勝共連合機関紙、87年2月、7月)などに登場し、「民営的手法を発揮できるのは分割だ」とか、「スト絶滅が私の使命」「労働組合室に日の丸を掲げるべきだ」「原発、自衛隊の容認」を主張し、すでに当時から「日の丸・君が代」への忠誠や反戦反核運動への敵対を露骨に示して迎合していた。
同じ分割・民営化攻撃について、JR総連副委員長・四茂野修は、最近の著書『甦れ! 労働組合 −「もう一つの世界」を求めて−』(05年9月刊)で、攻撃の「最大の問題は人員削減だった」(143n)と言っている。この本は全編怒りを覚えないではいられない本だが、そこで四茂野は「首切り絶対反対を掲げて闘ううち、経営側の手で第二組合がつくられ、なお闘争を継続する第一組合が孤立の果てに選別的な解雇攻撃を受け、壊滅するという苦い敗北を、日本労働運動はこれまで何度も経験して来た」(144n)と言っている。要するに四茂野は、決断を迫られた動労は、第二組合をつくられるのなら自らが第二組合に率先してなったほうがいい、組織と雇用を守るために動労はそのように「闘ったのだ」と言いたいのである。そして資本が求める年配の組合員の早期退職を資本に代わって組合が求め、北海道や九州の組合員には広域異動を強制し、他の職種への転職を強要したと告白している。(145n)。
ここには国労や他の産別労働者への配慮はまったくない。ましてや、日本の階級闘争や労働運動への階級的裏切りの自覚など一点もない。「自分たちだけが雇用されればいい」とするものでしかない。そのために国労を攻撃し、動労内の一般組合員をも首切りに応じさせ、動労カクマルだけが生き延びようとしたというのである。その過程で、ファシスト・カクマル分子による白色テロルが数限りなく労働者に襲いかかったのである。しかも彼らは、分割・民営化に応じただけではなく、86年に総評を自ら脱退して中曽根の総評破壊のもくろみを率先して体現していったのである。
裏切りの弁明に必死
そうした裏切りを重ねた連中が今なお「国労は道を誤った。組合員の雇用を考えたら分割・民営化の『国鉄改革』を受け入れることが正しい方針だったのだ」などと居直っている。
四茂野はここで“変節・屈服したわけではない。民営化を進めたことは間違いではなかった”と言い、「改革そのものが問題なのではなく……改革のやり方、プロセスの方向(の問題)」などと裏切りの合理化に必死になっている。白々しいウソと弁解、言い逃れは絶対に許せるものではない。だが実は、彼らのこの必死の言い訳は、民営化に賛成した組合=JR総連の裏切りが、絶対に消えない階級的大罪の烙印(らくいん)となって彼らに重くのしかかっていることを示している。
JR総連カクマルこそ、20万人国鉄労働者の首切りと200人を超える自殺者を出した国鉄の分割・民営化攻撃を支え、内側から闘いを破壊する行動を行った、絶対に許されない反労働者組織である。当時松崎は「数年で国労は解体する」と吹聴していた。だが組合員の不屈の闘いはその「願望」を打ち砕いて19年後の今日も国労は存在している。むしろここでも問題は、その後の国労の指導部が「頭から腐って」しまい、一度として組合員を信頼してストライキで闘うこともせず、それどころか「政治解決路線」という政治取引にすべてをあずけ、あげくの果てにそれに反対する国鉄労働者を権力に売り渡す階級的犯罪に手を染め、展望を失って自己解体へと走っていることである。
国鉄決戦の勝利へ
そうした状況を突き破って二重の解雇と闘う国鉄1047名闘争が不屈に権力・資本と闘い続けてきた。またこの分割・民営化攻撃に唯一、2度のストライキで闘った動労千葉は28人の首切り攻撃とその後のさまざまな攻撃と対峙して闘っている。原則的闘いを続けた動労千葉は昨年、強制配転されていた組合員14人の運転職場復帰をかちとっている。こうした階級的闘いが、昨年11月の全日建運輸連帯労働組合関西地区生コン支部、全国金属機械労働組合港合同、動労千葉の3労組共催のもとで4600人の国際連帯集会を実現したのだ。さらに今年の2月16日には、国鉄闘争の主体・5者が大同団結した集会を実現し、1047名闘争勝利に向かって大きく動き始めている。
JR総連カクマルは(もちろんカクマル中央派も)、こうした闘いに一言たりとも言及することはできない。
(2)巨額の組合費を私物化してきた松崎らに鉄槌を!
JR総連カクマルは、分割・民営化で与えられた組合利権の汚濁の中で、ますます腐敗を深め、組合員と無関係の地点で組織分裂と抗争に明け暮れている。それに対し、動労千葉の階級的労働運動、国鉄1047名の不屈の闘いは、この結託体制を打ち破って闘われてきた。こうした闘いによって、JR総連・東労組の資本との癒着による組合支配は、要員問題、安全問題、労務問題などの矛盾と破綻(はたん)を拡大していった。JR総連・東労組の組合支配がJR資本にとって有効性を失い桎梏(しっこく)となる一方、組合員自身からも松崎とJR総連は見捨てられた存在となっていった。こうした中で権力もJR総連・松崎の利権をめぐる腐敗を暴露するに至ったのだ。
昨年12月7日、警視庁公安部は2000年4月の3000万円の業務上横領容疑でJR総連と関係する11カ所への家宅捜索を行った。さらに今年1月17日には、JR総連前顧問・松崎明に同容疑での身体捜索を行い、松崎が持っていた手帳を押収した。
容疑とされた3000万円の業務上横領とは、「松崎明を含む4名の労組関係者が、JR総連・国際交流基金から多額の組合資金を私的に流用した」というものだ。松崎とJR総連カクマルによる組合資産を食い物にした腐敗が暴露されたのである。
資産40億円を私物化
87年、動労がJR総連になっていく過程で旧動労の資産を継承し管理する団体として「さつき会」が立ち上げられた。この「さつき会」の管理・指示のもとで「組合員の福祉事業の充実をはかる」目的で資金運用する機関が「(財)日本鉄道福祉事業協会」である(以下、事業協会と略す)。事業協会の理事長には01年から元JR東海カクマルの佐藤政雄が就いている。この事業協会は旧動労の40億円を超える資産を持っており、その傘下には(株)さつき企画、目黒さつき会館、伊東さつき会館、(株)鉄道ファミリーなどの関連会社がある。すべての役員を、JR総連カクマルOBかその関連分子で固め、組合の資産を実質的には松崎の意向に沿って思いのままに動かしてきた。
今回、問題となっているのは、1990年にJR総連などが立ち上げた「国際交流推進委員会(現国際委員会)」の資金運用の窓口である「国際交流基金」への事業協会からの入金と支出である。「国際交流基金」口座は「みずほ銀行(当時は富士銀行)目黒支店」に「国際交流基金・代表松崎明」名義で開設された。JR総連の資金を国際活動の名目で松崎が個人として自由に扱えるからくりを作ったのだ。実際、ポーランドの日本美術センター建設などの資金がこの口座から支払われ、松崎はこの寄付の功績でポーランドから勲章を受けている。
ハワイ・沖縄に別荘
この国際交流基金の口座から、松崎が2000年4月に3000万円を引き出し、高級リゾート地として有名なハワイ島コナに松崎名義の別荘を購入した。その金は、事業協会が国際交流基金に入金したものである。要するに事業協会の金が国際交流基金を媒介にして松崎のハワイの別荘代金として引き出されたのだ。公金横領そのものだ。JR総連は、この金は、沖縄県今帰仁(なきじん)村の松崎個人の別荘を事業協会に売却した代金で、それを国際交流基金の口座に一時振り込んだものであり、なんら問題ないと強弁している。こんなことは誰も信じないが、そもそも私的な不動産の売買に公的な国際交流基金の口座を使うこと自体、公私混同、公的機関の私物化を示しているではないか。そもそも今帰仁村の別荘を松崎個人のものとしているが、購入資金の出所を明らかにする必要がある。松崎の金といっても結局は組合員が出したものだ。(なお今帰仁村の別荘を、事業協会は最近売却してしまった)
松崎による国際交流基金の私物化は、一連の組合資産の私物化の一端にすぎない。90年の国際交流基金立ち上げ以来、松崎・JR総連カクマル分子による公的資産の私的流用、横領と腐敗が十数年にわたって続いてきたのである。かつてのカクマル白色テロ部隊への資金投入なども、こうした使いたい放題の組合資産私物化によって可能となったと言える。
松崎の組合利権へのこだわりは、ほかにもいくらでもある。松崎がとっくの昔に東労組の組合員でなくなっているのに、今も組合の「公用車」を公然と使っていることは有名な話だ。息子・篤に東労組の組合歌を作曲させて、過大な報酬を与えたことや、「さつき企画」の社長に息子を据えたことなど、枚挙にいとまがない。
極悪労働代官=松崎
松崎は、昨年12月13日「我ら生涯労働者なり」と銘打った集会で講演をし、あたかも自分が「一労働者」でもあるかのように吹聴して組合員の同情を得ようとした。松崎特有のウソとハッタリで権力からの追及逃れに必死なのである。だがJR総連・東労組のトップに君臨し続ける松崎が、別荘を沖縄だ、ハワイだと持ち、あるいはマンションをいくつも持っていること自体、JR組合員の資産の私物化の何よりの証拠であり、けっして一労働者などではないことを示している。JR総連組合員の誰もが沖縄やハワイに別荘を持つことができるとでも言うのか。
いったい国鉄分割・民営化で首を切られた国労闘争団の家族が、どういう生活と闘いをしているか知っているのか。この一点をとっただけでも、今回の事件は「一労働者=松崎へのデッチあげ弾圧だ」などということではまったくない。腐敗しきった分割・民営化を率先した極悪労働代官による二重三重の労働者への裏切り=悪行の現実である。JR総連や東労組のカクマルは、資本との結託体制のもとでぬくぬくと松崎とともにその利権を享受してきた。腐敗した松崎による組合の私物化に、ともに利益を見いだした同じ穴のムジナなのだ。これが、分割・民営化を進めたカクマルの行き着いた腐敗しきった姿なのである。
JR総連カクマルは、権力による追及と恫喝の前に、松崎を守るという口実のもと、どこまでも権力・JR資本に屈服を深め、改憲阻止決戦に敵対し、戦争協力の道を進んでいくことは明らかだ。彼らは「ストはしない」「軍需輸送に協力する」と何度も公言している。
JR総連組合員が、こうした事態をいつまでも許しておくことはありえない。必ず階級的に決起し、蓄積した怒りを爆発させることは明らかだ。闘う組合員の決起をもって、腐敗しきったJR総連カクマルを打倒する時が来たのだ。
(3)権力・資本との結託めぐり松崎派と嶋田派が泥仕合
JR総連利権の松崎独占支配に反旗を翻した嶋田派と松崎派との対立・抗争は4年目に入っている。しかもこれは、昨年からJR東労組の枠を越えてJR九州ユニオン、JR西労を巻き込み、JR総連全体に拡大した。
本部・松崎派は、「反弾圧・総団結」を掲げて嶋田派の拠点である新潟、長野両地本へ本部指令を出し、嶋田派組織の切り崩しを図ってきた。04年の新潟地震に際して一時凍結していた嶋田派役員への処分も昨年再開した。
05年6月横浜地本・嶋田派7人への組合員権停止処分を決定したのに続いて、今年に入って嶋田派への処分攻撃を激化させている。02年10月に本部中執を辞任した役員8人のうち5人に対して「除名」処分を決定した(3人はすでに退職しているので処分除外)。また今回、千葉地本の成田支部長に対しても「組合員権停止5年」の処分を下した。
さらに長野地本の峰田委員長、小池副委員長(委員長代行)、関書記長、岡村青年部長らに対する制裁審査委員会の設置を決めた。彼らにはすでに執行権停止が言い渡されており、これで長野地本は三役と青年部長がいない状態となった。
こうした本部派の攻勢に対して嶋田派は、あくまでもJR東労組に残り、時が来たら現松崎・本部派執行部にとって代わろうと狙っているだけでなく、JR総連全体への影響力拡大に入っている。それに対し、処分の動きが東労組だけではなく、JR総連本部からも開始された。
▼北陸地協とJR西労・金沢地本委員長の処分
JR総連の中に北陸地方協議会がある。これはJR東労組(新潟地本)とJR西労(金沢地本)という両単組にまたがったJR総連の地方協議会であるが、新潟地本の役員を辞任した人物が北陸地協役員に就いていることをJR総連本部が問題にした。04年7月にJR東労組本部との確執で新潟地本役員を辞任した2人が、その後も北陸地協の議長、副議長に再任されていたからだ(05年3月)。JR総連本部は、これを阻止するために、出身単組(この場合JR東労組)の推薦がなければ地協役員には就任できないと主張し、この2人の「再任無効」を決定して「辞任」を要求した。
これに対し北陸地協三役会はこれを拒否した(8月4日)。この時の北陸地協のもう1人の役員はJR西労・金沢地本委員長であった。JR総連はまず「北陸地協の権限凍結」を決定し、北陸地協を事実上の解散処分にし、またこれとの関係でJR西労・金沢地本委員長に対して執行権停止(=解任)の処分を行った(05年11月7日)。
▼JR九州ユニオンに対する「統制委員会」の設置
さらに今年に入ってJR九州ユニオン執行部に対する処分が検討されている。理由は、九州ユニオン大分地本執行委員(嶋田派)が新潟地本の嶋田派幹部と連絡を取ったことに対して、九州ユニオン執行部がこれを容認しているというものである。
嶋田派がこの大分地本役員を窓口としてJR西労とJR九州ユニオンへと伸張していることへの危機感である。JR九州ユニオンとJR西労近畿地本との組織交流は過去にも行われてきた。だが今回の交流会は、九州ユニオン嶋田派役員が行ったJR総連の「反弾圧・総団結」の方針に反したものだというのである。
こうして松崎・本部派は、嶋田派のJR九州ユニオン、JR西労への影響力拡大を必死で防ごうとしている。嶋田派への処分を強め、「松崎」問題で起こる組織的激震に備えて組織固めを行っているのだ。
組合員と無縁なJR総連・東労組の利権をめぐる腐敗した分裂・抗争は、JR総連の組織分裂の危機をはらんで激しく泥沼化している。闘うJR総連組合員は今こそ階級的労働運動へ結集し、カクマル支配を打倒しよう!
(4)羽越線事故で会社を擁護
運転士に責任を押しつけ
昨年12月25日に5人が死亡した羽越線事故に関して、JR東労組は「予測不可能な強風が原因」と言って済ましてきた。そこには動労千葉が「災害時運転規制手続」などの列車運行マニュアルを検討して暴き出した「人災」の立場など一切ない。東労組の立場は、風速毎秒25bを超す暴風雪の中を運転規制もせず時速120`で列車を走らせよという当局の無謀な指令のあり方を当然だとするものである。
今年1月5日、東労組は緊急全専従者会議を開催し、石川委員長が「労働組合がもっと力をもっていれば、労働組合が感性を麻痺(ママ)していなければ(事故は)防げたのではないか」「現場の組合員はもっと(事故を)感覚していたのではないか。風や雪、水害等々、自然災害と呼ばれるものを見過ごしていたのではないか」と述べた。その一方で石川は「社長談話を非常に重く受け止めました」と会社に問題はなかったとの立場をとっている。実はここで言っている「労働組合」とは新潟地本のことであり、「現場の組合員」とは新潟地本組合員を指している。石川発言の真意は、新潟地本批判であり、当該運転士への責任転嫁なのである。この問題をそのように歪めることは絶対に許されない。
事故の根本原因は、国鉄の分割・民営化にあり、利益追求、コスト削減を第一に効率化・合理化とスピードアップ、ダイヤ厳守、規制緩和を進め、安全より運行優先に走るJR東日本にある。そしてJR東日本と癒着し、資本への責任追及を放棄したJR東労組にこそあるのだ。松崎が提唱した「責任追及から原因究明へ」という会社側に立ったJR東労組のあり方自身が問題なのだ。88年東中野事故、97年大月事故、99年山手貨物線事故も結局会社の責任はあいまいにされ、現場労働者に責任が押し付けられた。
羽越線事故でJR東日本・松田会長が辞任を表明し、松崎の後ろ盾が揺らいでいる。他方で松崎の横領問題が爆発しようとしている。JR東資本と東労組との結託体制の蜜月(みつげつ)が生み出した安全切り捨て=腐敗は、こうして破綻した姿を現した。JR労資結託体制も終わりを迎えている。国鉄労働者は今こそJR総連カクマル支配を打倒しよう!
第3章 「黒田への帰依」競い合いカルト集団化する中央派
(1)会議で黒田の「歌」を唱和して至福感にひたる組織
カクマル中央派は松崎の組合費横領について一言も発言しない。中央派自身の思想が、国家権力に屈服し、闘う労働者を蔑視(べっし)し、闘う労働運動を破壊するものだからだ。おぞましい腐敗だ。
カクマル中央派の最近の特徴は、「教組・黒田」への帰依を競うとともに、組織自体がカルト傾向を一層深め、それによって反革命組織としての延命を図っていることである。
黒田はまともな論文も書けず、「歌」によって組織的指示を出しているが、カクマルはこの「歌」を特別視し、それぞれの組織会議で詠唱(えいしょう)しあっている。文字どおり「お経」を唱える状態にまでなっている。
黒田の本を読んでいて「至福感にひたった」とか「黒田の声が聞こえた」とまで言い出している。「『実践と場所』を読みながら、私はえもいわれぬ心地よさに包まれどおしであった。……至福感にひたることがしばしばであった」(反革命通信『解放』01年7月23日号)、「黒田さんと話すつもりで学んでいけばいいではないか……。そんな風に思うと……黒田さんの声が生きて自分の内にひびいてくるのを感じた」(同06年2月20日号)
また昨年12月のカクマル派集会では基調報告者・野沢某が、74年に赤色テロルでせん滅された九州の指導部・吉川文夫が重体のあとリハビリでなんとか回復したことを例にとって、「吉川さんの死復活は奇蹟である。この奇蹟はわれわれの組織だからこそ起きた」と、奇蹟(きせき)を生むカクマル組織の素晴らしさを大まじめに語っている。
またその集会では「わが反スターリン主義運動は年をとらない。それは、われわれが日々〈原始創造〉をくりかえしているからだ」「創始者・黒田同志に導かれつつ世界に冠たるこの運動を……」などと、指導部先頭に組織員がこぞって黒田やカクマル組織の「ありがたさ」や「奇蹟」をたたえあい、黒田への帰依と媚(こび)を競っている。実におぞましい光景の連続である。
黒田とそれに寄り添うカクマル指導部は、われわれが指摘し続けて来た「JR総連との分裂問題の総括」「黒田主導の謀略論の破産と責任問題」「黒田哲学の破産」について、けっして答えようとしない。否、できないのだ。すべてあいまいにしたまま無責任を決めこんで、政治組織から宗教的カルトへと進み、反革命として生き延びようとしている。
カクマル指導の最大の問題は、衰滅しつつある黒田とその指導をありがたがるカクマル中枢の存在である。もはやカクマル指導部は、政治判断をまともにできなくなっている。
その腐敗の極致、核心が「謀略論」である。そもそも謀略かどうかの判断はすべて黒田が行うのであり、これは黒田に与えられた「特権」である。そして黒田と同じように謀略だと直観できたか、できなかったかをめぐって中枢内で対立する始末だ。
カクマルによれば、01年9・11反米ゲリラ戦は謀略ではなく、04年スペイン列車爆破戦闘や05年ロンドン地下鉄爆破戦闘は謀略だというのである。イラクにおけるイラク−ムスリム人民の極限的ゲリラも、大半は「CIAの謀略」になっている。こっけいなのは、「カクマル組織だけがこれらを謀略だと見抜いたのだ」などと自慢げに吹聴していることである。謀略論はここまで組織を腐らせている。
74年、わが赤色テロル戦の打撃で「権力による謀略」を主張して始まったカクマルの謀略論は、当時からありもしない勝手なストーリーで自己を慰撫(いぶ)していたが、今や、この荒唐無稽(こうとうむけい)な「謀略論」が政治主義的な組織指導の柱に座り、中枢から末端まで組織をカルト化してしまった。
黒田が政治主義的に騒ぎ立てた「神戸謀略論」運動(97年に神戸市で起きた少年による小学生連続殺傷事件をカクマルが「CIAの謀略」とキャンペーンした反革命デマ運動)は、A少年の出所で完全に破産が宣告された。黒田よ! カクマルよ! 「CIAの謀略」はどこに行ったのだ。”神戸事件を謀略と認めるかどうかに反スタの真価がかかっている”と主張したのをどう総括しているのだ。インチキ「反スタ」の自己暴露だ。まったく無責任極まりない。
黒田は、「謀略」のねつ造のための窃盗や盗聴や住居侵入に動員したカクマル非公然軍事部隊に権力の捜査が始まるや、一転「そんな指令はしていない、自分の言った言葉を正しく受けとめなかった軍事指導部に問題があった」と無謬(むびゅう)を決め込んでいる。「CIA謀略」を主導した責任を完全にすり抜け、彼らを粛清する始末だ。指名手配者15人全員を権力に自首させることで権力に恭順を誓っている。黒田を先頭としたカクマルの組織的転向である。
(2)「暗黒の21世紀」論−ファシスト的世界観と組織論
反革命通信『解放』の今年の新年号は、「暗黒の世紀を覆す革命的拠点を」と題して「暗黒の21世紀」「ネオファシズム的大反動の暴圧」などと敵の攻撃の激しさだけを盛んに強調している。そこでは革命運動の展望をけっして語らない。そして”「戦争と暗黒」の世界を根底から覆す力をもっているのは、ひとりカクマルしかいない”などと、しきりに”暗黒世界の中の地上の太陽カクマル”を強調している。「戦争と暗黒」の中で、カクマルという組織に帰依することだけが救いだと言わんばかりである。まったく無内容な宗教的救民思想である。
ここにはカクマルのファシスト組織論、反「革命」観が凝縮されている。
カクマル組織の特徴は、組織外の他者への優位性(選民思想)と組織内絶対者への崇拝(自己救済)で成り立っている。他者への優位性は、階級性とは無縁な単なるプチブル的優越心である。自己救済とは、組織の中での絶対者に対する「ダメな自分」の服従関係であり、カクマル党員からシンパに至るまでの位階制とも言えるような上下関係である。そして、絶対者・黒田は無謬であり、これに帰依してダメな自分を変えていく(自己救済)というものである。
重要なことは、この運動が反革命暴力を背景において成り立っていることである。「唯一の前衛党」や「無謬性」を組織的暴力で強制するところに反革命の特徴がある。
カクマルにとって、まさに「唯一の前衛党のカクマル員になること」が、「いま・ここ」での「革命」を意味している。カクマルであることが”場所的現在における革命の実現”ということである。だから「暗黒の世紀」の中でも、カクマルでいれば救われるのである。あとはこのカクマル組織を同心円的に拡大していくことが革命運動だというのだ。そこには「唯一の前衛党=カクマル」を認めない他党派組織を破壊して歩くことが一体のものとして存在している。
彼らにとって、帝国主義の攻撃と闘う大衆運動は、組織員をつくる目的のために利用すべきひとつのツール(手段)にすぎない。現下の階級的現実を実践的運動=闘いで革命的に変革していくことは、カクマルにとっては大して意味をもってはいない。むしろ階級的激動の中で大衆運動や労働者階級の一大決起が起こることは、カクマル作りに対立するものであり、粉砕すべきものとされるのである。
なぜなら大衆運動の爆発は「革命党(カクマル)」をこえて豊かに発展してしまい、その闘い自体が明らかにカクマルの「唯一の前衛性」なるものをのりこえて(=否定して)しまうからである。労働者階級の自己解放、人間の類的解放、自由を求める行動を敵視する組織がカクマルなのだ。自由を求める労働者人民の感性との対極に、党を観念的に絶対視した(神の位置に置いた)カクマルの「革命」観が存在している。だが今や、この組織作りの真の推進力であった反革命暴力が失われたことで、カクマルは衰滅への坂道を転げ落ちている。
第4章 小泉擁護の対米「属国」論粉砕し改憲阻止大決戦へ
戦後最大の階級決戦情勢が到来した
日帝は今、帝国主義間争闘戦で生き延びるために、「米軍再編」をテコとする日米軍事同盟の飛躍的強化、米帝ブッシュの世界戦争戦略をともに担う戦争国家体制づくりへと突進している。戦争と民営化(労組破壊)攻撃であり、階級決戦としての改憲攻撃である。
労働者階級は、この攻撃を4大産別決戦、改憲阻止決戦をもって粉砕するために、「嵐をついて反撃へ」と闘いを挑んでいる。この闘いをとおして敵の階級的危機を革命的好機に転化する歴史的チャンスを迎えているのだ。階級的危機と革命的好機の両面を暴露し闘うことが重要だ。実際、この決戦で勝利する以外に闘う労働者にとって生きる道はない。労働者階級が労働組合の団結を基礎に反撃し、全人民の改憲阻止闘争への階級的決起を実現することが求められている。すでに国民投票法案をめぐって闘いは開始されている。改憲阻止の闘いに総決起し、戦後最大の階級決戦に勝利しよう!
「日の丸・君が代」決戦に敵対するカクマル
この全人民的階級決戦を前に、カクマルは、早々と日帝に屈服し、戦争国家化−改憲に協力する立場を表明している。労働者の階級的団結を破壊し、闘いを分裂させ、決起を抑え込み、闘う労働者人民を敵に差し出す道を走っている。
カクマルの主張をみれば、彼らが今や反共国粋主義者であることは鮮明だ。中国脅威論で排外主義をあおり、米帝ブッシュをことさら強大視して反米を叫び、民族主義的に「小泉ガンバレ」と後押ししている。
カクマルは改憲阻止決戦に敵対する反革命そのものである。彼らは、日帝・小泉の改憲・戦争政策を、日帝の帝国主義としての延命をかけた能動的・積極的攻撃としてとらえない。「日本のアメリカ属国化の完成」「小泉属国外交」「小泉=ポチ公」論を展開している。日本共産党以下の対米「属国」論である。日帝・小泉の攻撃は米帝ブッシュによって強制された行為だとし、小泉をまるでブッシュの”被害者”のような存在として描き出している。それは日帝の危機ゆえの戦争突進をどこまでも容認するものだ。
しかもさらに、日帝の改憲攻撃についてカクマルは、「ヤンキー帝国主義の軍事的再編にみあった形での日本国憲法の改悪=『ブッシュ押しつけ憲法』の制定」と主張している。ここには、日帝が改憲によって戦後体制の最後的解体と統治形態の転換を行い、戦争国家へ突き進んでいることが隠蔽(いんぺい)されている。
改憲攻撃は、日帝自身の体制的延命をかけた反革命であり、これまでとまったく違う、戦争をする国家形態に入るための攻撃なのだ。したがって、これとの決戦は結局、戦後革命が課題とした労働者階級と日帝との権力問題=革命が惹起(じゃっき)されることにならざるを得ない本質的に内乱的激突をはらんだ闘いなのである。カクマルはこのことを意識的にごまかしている。
黒田・カクマルが指名手配者全員を投降させ、組織的転向を示したことと、この主張を掛け合わせてみれば、カクマルが完全に改憲阻止闘争の破壊者として登場していることは明白である。「日帝と闘うな!」「改憲は必要だ!」。これがカクマルの立場である。
そして何よりもカクマルは今、教育労働者を先頭にした「日の丸・君が代」強制反対の不起立闘争に敵対している。カクマルは「『日の丸・君が代』強制・処分攻撃を粉砕せよ!」という教労委論文を出した(『解放』2月20日号)。この論文は最初から最後まで不起立という言葉すら避け続け、唯一、不起立闘争に関して、「彼我の一定の諸条件のもとでは、国歌斉唱時の起立を拒否するという闘争形態をも駆使して闘うであろう」などと言うのみである。「彼我の一定の諸条件のもと」「闘争形態をも駆使」とはいったい何事だ。不起立への敵対宣言である。カクマルは組織として”日の丸に起立し、君が代を斉唱せよ”という方針を再確認しているのだ。
これは都高教委員長選に、カクマル教労キャップ桐生真理子が本部連合派委員長を当選させるためにのみ立候補したことにも貫かれている。それは戦争協力拒否の闘いを、処分を受けながらも貫く教育労働者への真正面からの敵対である。闘う執行部が生まれることはカクマルの死であり、闘う労働者を背後から刺したのだ。こうしてすでにカクマルは改憲阻止決戦への敵対を開始している。
その上で、統一戦線の破壊を目的に潜り込もうとしているのがカクマルだ。
改憲阻止に向けた全人民的決起が始まろうとしている。闘う労働者人民は、この階級決戦に勝利するために、「改憲阻止」の一点での大統一戦線を求めている。この統一戦線の破壊を狙っているのが日本共産党スターリン主義であり、ファシスト・カクマルなのである。
日本共産党は、「テロ支持勢力とは共闘しない」などとセクト主義を押し出している。そして改憲をめぐる決戦が国民投票法案をめぐる闘いとして切迫している時に、これとの闘いの放棄を決め込んでいる。 また、カクマルは反革命として、統一戦線を内部から破壊するために介入を策している。
カクマルにとって統一戦線とは、あくまでも「他党派解体のための統一戦線」なのである。
闘う労働者人民は、今や組織的衰滅を深めるカクマルを改憲阻止決戦の大爆発の中で必ず粉砕するだろう。わが革共同は新指導路線の強化・発展をもって圧倒的な労働者の決起を実現し、カクマルのあらゆる敵対を打ち破って進撃するだろう。いよいよ全戦線からカクマル両派を一掃する時が来たのだ。
31年目の3・14。われわれはあらためて反革命カクマルを見据え、4大産別決戦−改憲阻止決戦の爆発の中で反革命カクマルを一掃する! 06〜07年階級決戦、革命的情勢の急接近情勢は、動労千葉労働運動を軸に階級的労働運動が大発展していく最大最高の情勢の到来である。今こそ総反攻を完遂し、“カクマル完全打倒! 三頭目処刑”の鉄槌(てっつい)を打ち下ろそう!
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