2005.3.14声明

 (最新見直し2008.2.1日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2008.2.1日 れんだいこ拝


2005年3・14アピール(前進2189号) カクマル打倒し4大産別決戦の勝利と改憲阻止へ総決起しよう 3・14から30年、復讐戦貫徹を誓う 団藤清
 T 70年決戦と戦闘的労働者の決起へのカクマルの反革命

 1975年3月14日。この日、本多延嘉前書記長は、反革命カクマルによって暗殺された。それはマサカリと斧による目的意識的な虐殺のための虐殺として行われた。以来30年、われわれはこの虐殺を一時も忘れたことはない。暗殺者カクマルへの怒りと復讐の念は日々増大するばかりである。われわれはこの虐殺を永久に絶対に許さない。
 本多前書記長は、わが同盟の創設者であり、反帝国主義・反スターリン主義世界革命の綱領的基(もとい)をつくった革共同の最高指導者であった。3・14反革命は、反革命カクマルによる本多書記長への暗殺という形で行われた革命の絞殺そのものであった。われわれは自ら一度は死んだという立場に身をおいて、そこから白熱的に総蜂起した。生を求めて無に帰することを恐れないオール・オア・ナッシングの革命的精神をわが党全員が爆発させて闘った。
 わが労働者同志は反戦派労働運動を体現し職場産別で堂々と闘いぬき地区党建設の先頭で闘った。それゆえ反革命との攻防を、職場における命懸けの激しいやり合いとして闘い、ファシストの悪らつな襲撃を何ものをも恐れぬ精神で跳ね返し、労働運動を死守して闘いぬいた。
 燃え上がる怒りと革命への情熱をたぎらせた全党・全軍のフェーズT(PT、先制的内戦戦略の第1段階)における決起をもって、復讐戦の連続的な赤色テロルの嵐をカクマルへ浴びせ続けた。そしてついに80年10・30には、本多書記長虐殺下手人JAC(学生カクマル部隊)5人を一挙完全せん滅する闘いをもってカクマルとの力関係の全面的転換をかちとり、フェーズU(PU)へと歩武を進め、90年決戦−91年5月テーゼ、2001年第6回大会、新指導路線へと前進し、対カクマル戦勝利を確定した。
 反革命への復讐と反撃なしに革命に勝利することはできない。二重対峙・対カクマル戦の猛烈な復讐戦は、一個の内戦として貫かれた。それは革命の現実性が訪れている戦時下の今こそ強烈に進める時だ。われわれは70年代、80年代の非合法・非公然体制を強固に確立して闘いぬいた日々は無駄なことは何もなかったことを高らかに確認した。
 虐殺30年の今年、みぞうの反革命に手を染めた3頭目黒田・松崎・土門への革命的処刑をあらためてきっぱりと誓い、3・14復讐戦貫徹・総反攻完遂、カクマル完全打倒へ突撃することを宣言する。

 3・14反革命とは何か

 カクマルが本多前書記長虐殺という、かくも不正義きわまりない反革命行為に出たのは何ゆえか。それは日本革命の現実性と70年安保・沖縄闘争の爆発に対する反革命戦争の敗北と破産の結果である。カクマルは70年決戦が切り開いた階級闘争の革命的・内乱的・武装的発展による革共同の新たな労働者党建設という大飛躍に対する反革命的襲撃−大反動を71年12・4に加えてきた。
 69年と71年の二つの11月決戦は、沖縄の闘いと結合して、米軍支配下の「基地の島」沖縄を労働者人民の手に奪還する決意をもって労働者学生による初歩的武装をもって闘われた。日本階級闘争史上初めての階級的総蜂起であった。
 それは日本の階級闘争と労働運動の革命的転換をかけた、少数派から多数派への飛躍をかけた大決戦だった。つまり革共同は、労働運動の戦闘的潮流として本物の労働者党創成への現実的展望をもって二つの11月に総決起した。11月決戦に決起した労働者への処分反対、解雇撤回、就労闘争という闘いを全産別・全労働組合の中で展開しようとしていた。われわれは、労働組合全体の中で信認を受け、本物の労働者党創成へ爆発的に前進しようとしていたのだ。この時、権力の破防法弾圧と一体となって暴力的に敵対してきたのがカクマルだったのである。
 60年安保闘争を闘った革共同は、日本階級闘争の全体に責任をとる本格的な革命党への飛躍を62年の3全総でかちとった。この飛躍ができずに脱落・逃亡したのが黒田・カクマルである。3全総をもってわれわれは、66年第3回大会を実現し、70年闘争を準備していった。67年10・8羽田闘争から激動の7カ月〜大学闘争〜二つの11月へと突進した。67年10・8から70年6月までの逮捕者のべ2万6373人(『清水丈夫選集』第2巻序文14n)がその闘いの激しさを示している。カクマルはこの70年決戦の革命の現実性に震え上がり、同時にそれが労働運動での革共同の主流派への飛躍と大勢力化、新たな労働者党建設に発展すること、自らの脱落と逃亡の現実化に恐怖したのである。12・4反革命は権力と結託した武装襲撃であり、権力と最も闘った党派への反革命襲撃としてあったのだ。
 だがこの12・4で始まった反革命に対し、われわれは本多書記長の指導によって反撃を開始した。当初劣勢だった革共同が防御、対峙、反攻と戦局を転換させて総反攻へと突き進み、カクマル黒田の武装反革命を大敗北に追いつめた。この時、虐殺のための虐殺として加えられた暗殺襲撃が3・14反革命であった。労働者党創出に対する武装反革命として、革命への敵対そのものとして行われたのである。この反労働者的、目的意識的反革命行為を労働者階級は絶対に許しておいてはならない。

 U 新指導路線が切り開いたカクマル完全打倒への道

 (1)戦時下で日米韓国際連帯をうたい上げた労働者集会

 闘う3労組の共催によってかちとられた昨秋の11・7労働者集会は、国際階級闘争の新たな到来を告げ知らせる世界史的な出来事である。米英日枢軸によるイラク侵略戦争−軍事占領というブッシュの世界戦争計画が開始されている中で、これに反対する日米韓3カ国の労働組合、しかも自国政府に対して階級的原則を堅持して戦闘的に闘っている米ILWU(国際港湾倉庫労組)、韓国民主労総の労働組合が、ともに帝国主義のイラク侵略戦争に反対し、闘うイラク・ムスリム人民と連帯した集会であった。と同時に民営化、非正規職化をもってする労組破壊攻撃と対決し、帝国主義支配の打倒を掲げた集会であった。これは闘うイラク人民への最大の激励であり、被抑圧民族人民と連帯した国際プロレタリアートによる「帝国主義の侵略戦争を内乱へ」「帝国主義打倒」の戦時下での国際主義的連帯集会としてかちとられた。
 資本による労働者支配に組み込まれた既存の労組のナショナルセンターに代わる階級的労働組合による闘う新潮流の国際的結集であった。それはランク・アンド・ファイル(現場労働者)による労働運動の国際的な反転攻勢を意味した。
 戦時下で帝国主義の戦争政策に反対することは、本質的には「帝国主義の侵略戦争を内乱へ」という質をもった闘いであり、アメリカ国内、日本国内での内乱の開始を意味するものである。そしてこの集会に日本の闘う教育労働者が、ファシスト都知事・石原の「日の丸・君が代」強制に不起立の実力決起をもって合流したのである。
 現実に闘っている労組が結集した、この11・7集会は、カクマル両派のペテンを粉砕してしまった。JR総連の金にあかせた「世界社会フォーラム」への押しかけ参加、中央派によるスターリン主義者まで呼んでの「国際反戦集会」などのエセ「国際主義」の化けの皮は完全にはがれてしまった。JR総連は、松崎派と嶋田派の対立・分裂をますます深め、資本への屈服を競い合い、JR労働者からますます見放され、組織解体の危機に入りつつある。

 圧倒されたカクマル

 11・7集会が実現した国際連帯の大きさ、そして闘う教育労働者の登場は、カクマルにとって恐怖する事態であった。彼らは11月集会が階級的労働運動の発展を推進し、カクマルの反革命労働運動の破産を示すがゆえに毎年妨害活動を続けてきた。国際的労働者の固いきずなや「日の丸・君が代」闘争を闘う教育労働者の集会合流は、カクマルを戦慄(せんりつ)させた。JR総連との分裂とその後の腐った妥協以降、衰滅に向かうカクマル中央派組織にあって、組織として体をなしている産別は教労だけである。このカクマル最後の産別に、カクマルを圧倒し、その破産を突きつける情勢がついにきたことを告げ知らせたからだ。
 それはカクマルの全戦線での敗北と逃亡が近づいたことを意味する。カクマルは、自らを代表するような労働組合を一切もっていない。JR総連との分裂以降、労働組合のカクマル組織は解体状況である。教労産別は、分裂後のカクマル内での「最大」産別であったが、「日の丸・君が代」決戦の爆発でJR総連に続いて分裂の危機に瀕(ひん)していた。そのためにその存続をかけて「日の丸・君が代」決戦への反革命的介入をしてきているのである。
 革共同の新指導路線による労働運動への踏み込みは、ファシスト労働運動の存在を許さず、カクマルを追いつめている。動労千葉の階級的存在と闘い、不屈の1047名闘争を闘う国鉄闘争は、国鉄の分割・民営化でのカクマルの大裏切りを弾劾している。「21世紀宣言」を一度は否決した自治労で、79年4・28闘争勝利をかちとり今、郵政民営化阻止を闘っている全逓で、そして「日の丸・君が代」強制と闘う教労を始め全産別でカクマルを一掃する情勢を迎えている。
 また首都圏で頼みとしていた学生戦線も、早稲田における最後の自治会であった社会学部のデッチあげもうまくいかず、維持すら難しい状態である。わが学生戦線が、法政大、東北大、京大などの拠点をしっかり固め、機関誌『中核』を発行し、学生運動の爆発的な大躍進へ突撃しているのとは正反対に、カクマル学生は衰滅を深めている。カクマル超過疎支配の状況に攻め込んでいくチャンスが到来した。首都でのカクマル完全打倒の大決戦に入っている。

 (2)第6回大会での「黒田哲学批判」に打ちのめされ沈黙

 われわれは、2001年革共同第6回大会で対カクマル戦における基本的勝利を確認した。そのメルクマールは次の四つである。
 @カクマルの「反帝・反スターリン主義」の綱領的破産と深化
 Aカクマルの謀略論の基本路線化とその破産
 BJR総連路線の破産とカクマルの大分裂
 C黒田「哲学」の完全打倒とその腐乱と残骸化の徹底的あばきだし
 特に創成初期に一定の役割を果たした黒田哲学と全面対決し、その完全打倒をなしとげカクマル最後の逃げ場を粉砕しつくしたことは決定的勝利である。
 われわれは、カクマルに対してこうした点について組織的総括なり、反論をしてみよと数年間突き付けているが、カクマルはいまだ一言の反論もできず沈黙し完全敗北を自認している。饒舌(じょうぜつ)なカクマルが、これ程沈黙し続けていること自体が完敗の証しだ。
 「反帝・反スタ」(綱領)、JR総連との分裂(組織)、「神戸謀略論」デマ運動の破産(運動)、黒田哲学の死(理論)での全面的敗北とその破産を自認しているにもかかわらず、いまだ一言も総括できていない。政治組織としての死を意味している。
 ファシスト組織カクマルは、ウソと白色暴力で自己を成り立たせてきた。長年のうそ八百はもはや闘う戦線の誰にも通用しない。またその白色軍事組織も権力へのあいつぐ投降で自己解体している。いよいよわれわれは、イラク反戦闘争や、労働運動の爆発によって学園、職場、街頭でカクマルの打倒・一掃をなし遂げよう! そしておびき出されたカクマルを最後的に軍事戦で打ち砕き完全打倒しよう!

 (3)党建設論における革共同の前進とカクマルの破産

 革命的情勢への突入

 米帝ブッシュが世界戦争へ向かって突き進み、日帝・小泉−奥田がこれと全面的に一体化して戦争政策を進め、安保・沖縄政策の世界戦争的拡大−米軍再編(トランスフォーメーション)、民営化−労組破壊攻撃、教基法改悪−改憲攻撃を加えている。だが実はその攻撃自身は、帝国主義支配の崩壊と危機に起因していることをわれわれはしっかり見抜いてきた。帝国主義支配者はこれまでどおりにやっていけない自己破滅的凶暴化に入るほかない歴史的破産を迎えているということである。
 だからわれわれは、プロレタリア自己解放論(マルクス主義)に基づく帝国主義支配からの解放の闘いが今こそ現実化したこと、その闘いを全面的に推し進める時が来たことを確認しているのである。この事業は、プロレタリア階級だけができる。プロレタリア階級こそ、資本主義社会(帝国主義)を打倒し、自らの社会を作る解放能力をもった歴史的階級主体である。資本主義社会が生み出した墓掘り人として存在している。

 革共同の組織論

 われわれは新指導路線のもとで、プロレタリア革命は、労働者階級自身による自己解放闘争であり、革命党は、その闘いを先頭で闘い、階級意識の最高の結集体として勝利するための前衛として存在していることを確認している。
 革共同の前衛党組織論の基礎には、「党としての闘い」と「党のための闘い」の革命的・有機的結合ということがある。それは階級形成と前衛党組織建設を一体的に進める組織建設論であり、カクマル黒田のファシスト組織論の対極にある、革命党・階級組織論である。
 「闘争においては、党だけではなくむしろ大衆自体が一定の変革を経験し、変化していくのである。そして、党自体の強化(変革)とともに労働者階級自体の強化(変革)と前進もあるのである。そして、党と階級の関係自体が変革され、歴史をつみかさねていくのである。
 党が真に党的に勝利していくためには、とりわけ革命そのものにおいて勝利していくためには、党の党的確立が同時に労働者階級の階級的成熟として進み、党と階級があうんの関係を形成することが不可欠なのだ。だから、党が推進する大衆運動はたんなる大衆運動でしかないなどというものではなく、いわばそれは党の党的建設とともに革命運動の今日的推進の一形態でもあるのである」(『清水丈夫選集』第1巻序文30n)
 労働者大衆の自然発生的決起それ自身が革命党を作っていくいま一つの重要な契機である。労働者自身が自己解放のために党を求め自ら作っていくのである。労働者階級は、階級的武器として獲得した労働組合を基礎として労働者自己解放を推進して行く。労働組合は、現実に権力奪取の時のソビエトの中心をなし、権力奪取後のプロレタリア独裁における労働者権力の核心を形成し、反革命との戦争での赤軍の創出の拠点となることがロシア革命の経験から明らかにされている。そしてソビエトによるプロレタリア独裁の初めから、国家の死滅のために闘う、つまり政治権力の自己目的的保持ではなく政治権力そのものを廃絶していく原基を労働組合が歴史的・階級的に担うのである。労働組合のとらえ返しにおい
て、権力奪取の過程だけでなく、権力奪取後のプロ独とその後の社会主義社会建
設全体をとおした労働組合の革命的役割を確認したのである。
 ここにわが党の労働者階級自己解放における党組織論、党と階級、党と労働組合、党とソビエトの組織関係が示されている。

 カクマル組織現実論

 これに対してカクマル・黒田の組織論は、プロレタリア階級なき前衛党建設の自己目的化であり、ファシスト的組織建設論である。運動を組織(カクマル的党)建設の手段と化しているのが黒田組織論である。「のりこえの論理」を展開した「組織現実論」は、いわばカクマルとしての組織作りの技術的方法論であり、そこでは大衆運動を手段とした組織建設の自己目的化された技術的方法が展開されている。「のりこえの論理」と称する既成政党(かつての社会党、共産党)勢力へのイデオロギー批判と運動批判の手練手管をとおした組織作りの一面的強調である。彼らには大衆闘争を「カクマル作りにどういうふうに使うか」という問題意識しかない。
 その根底には、カクマルがスターリン主義哲学(客観主義哲学)をのりこえることができず、スターリン主義に屈服してしまっているということがある。
 カクマル組織論は、黒田の権威主義的自己絶対化に基づく黒田帰依者の同心円的拡大ということに尽きる。党(黒田の権威)を絶対的優位におき、その帰依度に応じてカクマル組織員にプチブル的優越感をもたせ、大衆を一番蔑視(べっし)した構造となっている。いわば「選民としてのカクマル」作りを自己目的化したものである。カクマルにとって労働者人民の怒りの決起は、即自的なもので低級なものとされて否定される。それだけではない。転倒されてカクマル作りという「革命運動」にとっての妨害行為・反動的行為とされるのである。
 そこでは決起した労働者階級自身が、闘争をとおして自らをマルクス主義者へと変革し、高めていく階級形成過程が完全に否定されている。大衆闘争を敵視する組織論なのである。結局誰のための何のための革命運動か、党作りなのかという問題が欠落しているのだ。
 カクマルは闘争の発展をとおした大衆と党の自己変革を本質的に否定している。だから闘いの爆発はカクマル組織建設への敵対・妨害となり、解体しなければならないとなる。まさに労働運動、大衆運動への襲撃・解体の論理であり理論であって、革命闘争を破壊するファシスト理論そのものである。
 今日、戦時下の治安弾圧として大衆的な反戦闘争や戦闘的労働運動への弾圧が強められている。戦時下では大衆闘争や労働組合運動の発展は、街頭宣伝ひとつ、ビラまきひとつとっても権力との激突へと発展する。実際に今、ビラまきすら許さないという攻撃が加えられている。立川テント村の自衛隊官舎ビラ入れ、板橋高校卒業式での週刊誌コピーの配布、共産党員の戸別ビラ入れを理由とした逮捕・起訴弾圧をみてもわかる。
 革命運動は、結局権力と実際的に闘う気概を前提としている。黒田・カクマルの組織建設論は、労働運動や大衆運動の爆発が、一定の発展によって不可避的に資本・権力との激突となることが回避されている。労働運動や大衆運動の中へとびこみ、そこで党と階級・大衆との生きた交通関係を形成することに対する激しい拒否感、敵視が横たわっている。
 カクマルは反労働者的存在であり、プロレタリア革命の敵対者・反革命そのものである。労働者階級の名で完全打倒することが必要だ。われわれは今その時を迎えている。

 V 「日の丸・君が代」決戦の爆発とカクマルの最後のあがき

 (1)人生をかけた不起立決起を「挑発」と呼び敵対

 昨春の卒業式、入学式では、300人を超す教育労働者がファシスト都知事・石原の03年10・23通達と対決して不起立闘争を闘いぬいた。彼らは都高教執行部の「職務命令が出たときには引く」(起立する)方針の中でやむにやまれず自己の教育労働者としての誇りと生き方をかけ決起したのである。教育基本法改悪を先取りした石原の「日の丸・君が代」強制への人生をかけた反撃であった。日帝の戦争協力強制に対する教育労働者の拒否の態度を、行動をもって示したのである。
 それは不起立という実力決起をもって、憲法と教育基本法を踏み破る石原と教育長・横山を直撃した闘いであった。都の処分攻撃と非妥協的に闘う「被解雇者の会」「被処分者の会」「予防訴訟をすすめる会」の三者の不屈の闘いは、完全に石原と横山教育長の思惑を吹っ飛ばし、天皇をも恐怖させる闘いであった。
 この三者の闘いとは完全に無関係なところで、三者の闘いに敵対し、混乱させる目的でカクマルが11月になって開始したのが「『日の丸・君が代』の強制者を告訴・告発する会」の運動である。これは、あたかも石原と横山と闘うかのような形をとってはいるが、まったく逆の運動である。石原と横山への怒りをもった人びとの善意を利用して三者の運動を破壊する運動なのである。 
 カクマルは、10・23通達に対して不起立を呼びかけることを「挑発」とよぶ党派である。だから闘う教育労働者の決起に驚き、これを打ち消す「告訴・告発」運動を立ち上げたのである。彼らは不退転で不起立を闘い、その後の処分攻撃とも闘っている三者の人びとに諮るでもなく、支援するのでもなく、わざわざそれとは別のものを立ち上げたのだ。
 戦後教育闘争は国家権力の刑事弾圧と闘った歴史であり、まさに「日の丸・君が代」闘争が刑事弾圧をもはねのけて闘われている時に、不起立の闘いに敵対した上で、教育闘争の内容をその国家権力に委ね・裁きを求める(判断を要請する)ということは何を意味しているのか。板橋高校元教員への弾圧を見るまでもなく、国家権力・検察が「日の丸・君が代」闘争鎮圧の最先頭に立っていることをカクマルは知っているのである。この権力に、「判断を要請する」運動がどうして国家権力や石原と闘う運動などと言えるのか。しかも自らは起立し、「君が代」を歌うことを方針としているカクマルが、一方で不起立で闘う教育労働者に対して「弾圧・処分引き出しを自己目的化した挑発者」と罵倒(ばとう)しているのだ。「告訴・告発」運動は、不起立闘争自体を破壊し、起立を組織し、教育闘争にわざわざ権力を引き入れるものである。

 神戸謀略デマの陣形

 この運動が、カクマルの「神戸謀略」デマ運動と同じ陣形で立ち上げられていることを確認しておきたい。このカクマル「CIA謀略論」デマの片棒をかつがされて架空の「冤罪」運動に参加していた人びとが中心となって今また始めた運動が「告訴・告発」運動なのである。
 1997年、神戸市須磨区で起きた小学生連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)は、当時中学生A少年の犯行という事実によって社会的衝撃を与えた。全国でこの事件の社会的背景や教育問題としての関心が高まった。ところが何を思い違いをしたか、カクマルはこうした内容を一切すっ飛ばして、この事件をもっぱら「治安」の視点から描き出し、黒田のご託宣に従って「CIAによる謀略」と騒ぎ回った。A少年の逮捕後も、A少年とは無縁なところで「A少年は冤罪であり、無実だ」などとカクマルの主張を維持するためにだけ騒ぎ回り、謀略論を言い続けたのである。
 そして組織操作のために教労カクマルを現地調査に行かせて感想文を書かせた。また自らの手で謀略論を仕立て上げるために黒田直属の非公然軍事部隊を動員して、A少年の両親宅への盗聴、侵入、窃盗、両親への尾行を行い、両親が乗った新幹線にまで乗り込んで「自分の息子がやっていないでほしい」と思いたい母親の気持ちをもてあそんだ。
 また兵庫県立病院への侵入と検察調書の窃盗(コピー)を行い、カクマルの謀略論として使える部分を報道機関へ送りつけるなどの行為を繰り返した。まさに「CIAの謀略」などではありえないものを、自作自演で「CIAの謀略」にデッチあげる「闘い」を黒田指示のもとで、組織を挙げて行ったのだ。カクマルとは実におぞましい組織である。A少年への報道の過剰さを憂う文化人を引き込んで「A少年の人権」「冤罪」を利用主義的に叫び、A少年とは無縁のところで「人権擁護運動」を起こしたのである。
 この運動は、善意で参加した(巻き込まれた)弁護士、文化人の意図を超えて、カクマルの破産した「神戸謀略論」デマ運動を裏から支える延命手段として使われた。カクマルは自分たちが「反権力」の団体であるというアリバイ作りのために、この事件そのものを利用したのである。今A少年は、医療少年院から出て保護監察期間を終え、社会に復帰して被害者の家族に少しでも罪を償いつつ生きていこうとしている。
 「神戸謀略論」デマ運動でのカクマルの目的は、当時の新安保ガイドライン攻撃との決戦的闘いの爆発を阻止し、カクマル自身の組織危機をのりきることにあった。今、「日の丸・君が代」への不起立の闘争が爆発し、教労カクマル産別を直撃し、深刻な組織問題を激成している。「暗黒の時代」認識のもと、絶望した教労カクマルの組織維持のために不起立闘争の爆発的展開は絶対に押さえ込まなければならない。そのために、神戸謀略デマ運動の陣形を動員して「告訴・告発」運動を展開しているのである。

 (2)文科省と同じ教育観をもつカクマル

 日帝の侵略戦争隠す

 カクマル中央派の教育闘争論の反動的内容の第一は、カクマルが教育闘争や、「日の丸・君が代」闘争を論じる時に、日帝の侵略戦争突入と戦争動員、戦争協力問題を一切論じないことである。
 2月11日のカクマル春闘集会で第二基調報告を行った都高教カクマルは、「これほどまでに石原が『教育改革』に狂奔(ママ)しているのはなぜか。―ネオ国家主義と新自由主義にもとづく教育のネオ・ファシズム的再編成をスムーズにおこなう、そのために教職員を都教委と校長の支配に絶対的に服従させるためである」とし、日帝が「教育改革」を侵略戦争のために強行しようとしている点を一切言わない。「ネオ国家主義」が戦争の問題と完全に切り離されている。カクマル中央労働者組織委員会(WOB)論文(反革命通信『解放』1月17日付)も「まさに教育全般のネオ・ファシズム的再編成がダイナミックかつ急スピードで進められている」というだけである。
 @カクマルは「日の丸・君が代」強制問題が、教育労働者の戦争動員攻撃であり、生徒に命を捨てさせる教育をすることであり、戦争協力の強制としてあることをひた隠しにしている。
 カクマルが発行している『21世紀の教育と日本的経営』という本は、教育問題を論じた本でありながら、驚くべきことに日帝の侵略戦争が一言も出て来ないという代物である。カクマルが教育改革を単なる国家主義と能力主義に切り縮めているのは、組織としての意識的行為なのである。「教基法改悪」についても日帝自身の北朝鮮(中国)侵略戦争体制構築のための切迫した課題であることを否定している。カクマルが行っていることは、自国帝国主義の侵略戦争突入を隠ぺいし擁護することである。
 Aカクマルとしての「日の丸・君が代」強制への方針は結局「立ち、歌う」ことなのだ。最近カクマルは不起立闘争の爆発に完全に追いつめられ動揺している。「一定の諸条件のもとでは国歌斉唱時の起立を拒否するという闘争形態をも駆使してたたかうであろう」。「一定の諸条件のもと」だと!? なんだこれは!? 「被処分者の会」に介入するための手段として不起立するメンバーを出すということで、それ以外は「条件がない」として起立して組合方針に従うということなのだ。不起立闘争は石原・横山と並び完全にカクマルを包囲し、追いつめている。
 Bカクマルの教育労働者は、「日の丸・君が代」強制反対の運動として不起立の闘争に言及することなく、「告訴・告発」運動だけに言及している。彼らは革共同を非難して「その職場・分会での血のにじむような闘いとはまったく無縁なところで叫ばれるこうした『フキリツ運動』なるものは、まさに挑発者のそれでしかない」という。だが、「分会で不起立を追求しよう」というビラに対して顔色を変えて出て来て「できないことを言うな」と初めから分会での闘いを激しく否定していたのがカクマルではないか。昨年の教育労働者による不起立闘争が石原を直撃し、今日の闘う展望を切り開いて来たことをすべて抹殺し、不起立闘争に憎悪・敵対していることがここにも現れている。
 Cカクマルは「日の丸・君が代」強制問題を単なる教育の「国家主義的かつ能力主義的な再編」にしたいのである。だから先のWOB論文では、なんと石原による「日の丸・君が代」強制の事実すらまったく触れていない。ここにはカクマルの「日の丸・君が代」強制との闘いに対する大裏切りという、国鉄分割・民営化攻撃の先兵となったのと同じ問題がある。国鉄の分割・民営化から今日の民営化攻撃は始まっている。カクマルの反階級的正体はこれを率先したことだけで明白だ。カクマルはこの大裏切りについて一言も言わない(言えない)でひたすら回避しているが、この一事だけでカクマルに労働運動を語る資格などない。

 黒田の先祖返り

 第二に、カクマルが教育問題を論じる時に戦後教育をやり玉に上げていることである。カクマルは日本の戦後教育がいけなかったとくりかえし語っている。
 「アメリカン・デモクラシーにのっとった戦後教育がいわゆる五無人間を大量に生産し、そしてこの五無人間が親になることによって、モラトリアム人間の拡大再生産はいよいよ深刻になっている」
 「ヤンキー式民主主義に脆拝(きはい)し、アメリカ式教育法のもとでプラグマチスト的に育てられてきたことからして…」(いずれも黒田『実践と場所』第1巻)
 カクマルは今日の「教育の荒廃」の原因を戦後教育で育てられた親や教員に求めている。ここには、教育労働者が闘ってきた文科省の国家主義教育−教育政策を問題とする視点はゼロである。荒れる子どもの原因はしつけを知らない親や教員にあり、その親の教育であったアメリカ型戦後民主教育をプラグマチズム教育とし、それが間違っていた、それが今日の教育問題の元凶だと繰り返し言っている。
 黒田・カクマルの教育観は、まさに文科省が日教組を攻撃し、教基法改悪の理由としている内容と同じである。「人格形成」や「人間の尊厳」を掲げた教育基本法のもとで行われた戦後の「平等教育がいけない」とするものである。カクマルが「日の丸・君が代」攻撃や教育基本法改悪−改憲攻撃と真に闘うわけがないことが分かる。
 黒田は最近では、「日本民族の解放と復興」「民族の危機と道義の荒廃」などと口にしている。これこそ石原と変わるところなき黒田の極右性の開花である。ここには、帝国主義戦争を賛美した、かつての軍国少年・黒田の先祖返りの問題が横たわっている。黒田カクマルは、戦前の軍国主義教育への回帰を求めているというほかない。

 (3)イラク反戦闘争論の破産と黒田・中央派の惨状

 カクマルのイラク反戦の内容は、実に腐敗したものである。ファルージャ大虐殺の上で強行された国民議会選挙は、米帝の傀儡(かいらい)政権が、米英日のイラク占領を合理化するための儀式として挙行されたものである。占領軍のもとでの選挙であり、国民議会選挙と言いながら選挙の内実はまったくない。だがブルジョアマスコミは「イラク国民の勝利」などと宣伝している。
 それ以上にこの選挙に大興奮しているのがカクマルである。シーア派シスターニ師が米軍に屈服して選挙に参加した(ファルージャ虐殺すらも容認した!)ことを批判的に論じることは一切なく、シスターニ師が「米軍の撤退期日を明確にせよ」と言ったとして、「傀儡どもすでに敗れたり」とか、「シスターニ師の作戦が見事に功を奏した」などと手放しの喜びようである。およそ民族解放・革命戦争を闘いぬいているイラク人民の現実を前に、これほど帝国主義国内で飛び跳ねて喜んでいる自称「左翼」党派もめずらしい。
 もうひとつ、カクマルは米軍があたかも撤退でもするかのように論じている。イギリスのブレアがアメリカ外交政策に転換を求めたとか、共和党ベーカーが「撤収を考える時」と言ったことをあげている。だが石油利権の独占をかけて開始したイラク戦争について米軍は撤退などまったく考えていない。カクマルはシスターニ師の内側に入ってその「希望」と一体化してしまった。イラク侵略戦争の帝国主義的な死活性と米帝の危機の深さがまったく分かっていないのである。
 さらに、これからはスンニ派とシーア派は「反占領反米」で共同するので、両派間の対立をもくろむ謀略に「とりわけ警戒すべし」などと言っている。今度の選挙の結果としてスンニ派系武装勢力とシーア派との間の内戦的激突が開始されつつある中でカクマルがこのように言明したのは、事実上スンニ派系の武装闘争とりわけアルカイダ系の武装闘争をすべて米帝の謀略と見なしていく宣言である。シスターニ師を信奉し追随するカクマルは、かくも乱調が激しい。綱領的破産がここまで来たということである。
 イラク反戦闘争論で、さらに決定的に重大なことは、カクマルが「日本国軍は戦乱のイラクから撤退せよ」というスローガンを掲げていることである。これは自衛隊があたかも「戦乱」に巻き込まれるからまずい、という「反対」論である。カクマルのスローガンは侵略戦争と自国帝国主義軍隊の免罪であり、美化である。

 労働運動を放逐

 カクマルは今や労働運動をそれとして職場で闘うことをまったく放棄している。戦争突入下での労働運動が直ちに資本との激突、権力との対決にならざるを得ないからである。カクマルの運動は社・共がいて、乗りこえるべき既成労働運動があることが前提であった。今、社・共は力をなさず、まさに自らが闘わなければならなくなった。日帝は運動そのものを粉砕するために全力を挙げ、戦争と革命がまさに問題となっている。
 この激動期への突入において、カクマルは職場闘争、労働運動のアリバイすら捨ててしまった。なぜなら職場闘争や労働運動がカクマルの恐れる「資本との対決」の闘いにすぐになってしまうからだ。つまり今やカクマルの運動や理論は実践の場で適用できないほど破産している(それがJR総連との分裂の根拠でもある)。闘う勢力であるかのようなペテン的言辞と裏腹に、カクマルは権力と闘う気持ちなどこれっぽっちもない。
 こうした破産の中で、今さかんに行っていることは市民運動主義的な訴訟提起とそれを支援する運動を労働運動であるかのように装うことである。職場闘争を放棄したカクマルは、代表者をたてて「住基ネット差し止め訴訟」(自治労)、「過労死予防訴訟」(全逓)、「告訴・告発」運動(教労)、「監視社会を拒否する会」などを立ち上げ、それぞれの産別カクマルはその裁判を支援する運動に参加することで労働運動に換えている。これがカクマル労働運動の基本路線である。これこそカクマルが罵倒する市民主義そのものではないか。産別カクマルは職場闘争を否定し労働運動を裁判支援闘争だけに切り縮めている。
 今や、カクマルは政治党派としての体をなさないほどにボロボロである。ますます反米民族主義に転落し、日本主義に純化する黒田「教祖」の下で、カルト集団化の様相を強めている。カクマル完全打倒の時が来ているということである。

 W JR労資結託体制の行き詰まりとJR総連の破産

 昨年1年間のわれわれの闘いは、JR総連カクマルを徹底的に追いつめた。JR総連は今や、日本国内の労働者階級の中で国鉄分割・民営化での裏切り組合、会社側組合、ファシスト組合として確認されているだけでなく、国際連帯が進む中で国際的にも民営化賛成のカンパニーユニオン(会社側組合)としてはっきり刻印を押されてしまった。「反グローバリズム労働運動」を名乗ってなんとか日本の外で闘う労働組合の仮象をとろうとしているが、それは膨大な組合費をばらまいて事情を知らない労組の歓心を買おうというものであった。しかし国際的にもJR総連の破産が完全に突き付けられている。

 アジア侵略を率先

 JR総連は組合員の職場闘争や賃金闘争という労働運動を一切放棄し、やっていることと言えば中国での小学校建設や、アフガニスタン復興支援だとか、スマトラ沖震災援助などという組合費ばらまきである。しかしこれらは中国やアフガニスタンでの鉄道敷設という侵略政策の民間的状況作りであり、日帝の先兵の役割を担ったものである。国内で自ら戦争協力するだけでなく、外の侵略に積極的に走っている実に許せない反階級的行為である。
 JR総連が総力を挙げて運動的に取り組んでいるものが、02年の浦和事件裁判闘争である。これはファシスト組合=JR東労組に都合の悪い組合員を組合の集団暴力でやめさせたことを摘発されて逮捕・起訴された7人の組合員の「冤罪」を訴えた運動である。だが組織をあげたこの運動も、JR総連がファシスト組合であり、分割・民営化で労働者を暴力で資本に売り渡した事実ゆえに孤立を深めて破産している。労働者人民は歴史的裏切りをしっかりと見ているのである。

 JR東資本の労務政策

 JR東資本は、日帝の世界戦争への突入という事態の中で、新たな合理化・首切り攻撃を強めている。これまでの「ニューフロンティア21」の行き詰まりを手直しするものとして「ニューフロンティア2008」計画が出された。JR東資本にとってのこの計画は、「ニューフロンティア21」の破産をとり繕い、さらに全面的な外注化・大合理化・首切り攻撃(さらなる1万人の要員削減)を進めるものとしてある。それは全組合員を対象としたものであり、東労組との癒着・結託体制が足かせとなっている。
 動労千葉の階級的な存在と闘い、国労闘争団の不屈の闘いが@安全問題、A要員問題という矛盾をつきだし、「一企業一組合」をめざした資本とカクマルとの結託体制の矛盾(Bカクマル問題)を生み出した。
 一人の首切り攻撃に組織的に反撃する動労千葉の闘いに追いつめられた東資本は、要員問題を解決できず、強制配転した動労千葉組合員を職場復帰させる以外になくなっている(これまで9人が復帰している)。また国労が労働委員会提訴で争っている採用差別や昇給差別では和解を提示して「労資正常化」路線の国労をとりこもうとしている。それはもはやカクマル問題がこれまでどおりではいかないことを意味している。そうした中で、JR総連カクマルは、松崎派も嶋田派も、自己の権力維持のために資本への屈服と組合員の利益売り渡しを競い、組合員の怒りの爆発が始まっている。JRにおける労働戦線の大再編的事態、激震的情勢が本格的に始まったのである。動労千葉は組織戦をもってここに切り込んでいる。
 動労千葉が18年間の闘いをもって鮮やかに示していることは、階級的に闘いぬくことが労働者の武器であり、闘えば必ず勝てるということである。それは全金本山が、34年間の闘いの末に完全勝利をかちとったことと完全に共通のものだ。
 切迫するカクマル・JR体制の総分解を闘う労働運動への結集につなげよう!松崎完全打倒も指呼の間に迫っている。

 松崎派のボロボロ化

 こうした中でJR東労組権力を握る松崎派にとって、嶋田派との分裂の決着が思いどおり進んでいない。松崎は労組権力を使って、新潟地本と長野地本を東労組から分離させようと図ってきたが、それがうまくいかずに頓挫している。嶋田派は松崎派の攻撃に対して自らが支配する地本を固めることで絶対に屈服しない態勢を維持している。
 松崎派は新潟地本と長野地本の組合役員の専従指定をしないこと(専従組合員の役員費用を支払わない)で両地本の兵糧攻めを狙った。しかし中越地震が生起し、専従がいない状態では資本としての復興計画が軌道に乗せられない事情から専従指定をすることとなった。しかしそれは単に中越地震だけが理由とは言えない。明らかなことは、資本の強い意向が働いているということだ。松崎派はそれを拒否できない資本との力関係に入っている。松崎自身が権力の追及を資本をもついたてに守ってもらおうとしている事情があり、そうした松崎派の立場からすると資本の意向は拒否できないのだ。
 また新潟地本は新潟新幹線運転所支部があり、ここは嶋田派の拠点である。この事情は長野地本も同じと思われ、新幹線を動かしている地本が独立組合となることは資本にとっていいこととは言えない事情がある。松崎派と嶋田派の分裂・抗争は、松崎の個人権力擁護を優先して始まり、いまだにそれが続いていることに示されているように、組合員の利益などはまったく考慮されていない。腐敗の極致だ。それへの怒りが爆発する情勢がきている。

 松崎の戦争協力宣言

 松崎の徹底的な戦争協力宣言がまたまた雑誌『創』(つくる)での右翼との対談で示された。松崎はここで、「法律で決まっていることは侵さないということ、労働組合としてははっきりしている」(=労組として業務命令に従い有事法制を侵さない)とし「軍需輸送だから断固拒否してストライキなんてことはひとことも言ったことないし、そんなことはすべきでない」と発言している。帝国主義の戦争遂行にJR総連カクマルは協力すべきであり、戦争協力拒否などもってのほかだと述べているのだ。
 すでにJR総連は、第15回大会(99年)で、組合として戦争協力を宣言している。昨年6月のJR総連大会でも、山下書記長はあらためて戦争協力の意志を明確に表現した。
 浦和事件でわかるように、東労組カクマルに従わない組合員を白色テロでやめさせている一方で、組合として戦争協力を推進するということは、結局JR総連が戦争協力を拒否する組合員を白色暴力でやめさせていくファシスト戦争協力組合であることを意味している。
 われわれは戦争協力組合=JR総連を絶対に許さず、その解体をかちとらなければならない。これは不起立で戦争協力拒否を闘う教育労働者への裏切りであり、また陸・海・空・港湾労組20団体が「有事立法を発動させない、従わない」として闘っているものとの対極にあるものである。
 権力に身も心もささげ尽くして労働組合員を戦争へ駆り出すJR総連−松崎、嶋田両派をJR労働運動から一掃しよう!

 むすび

 05年を迎えわれわれは、3・14虐殺の試練をのりこえて労働者党創成への偉大な実践へ突入している。本格的な革命への展望を切り開き、労働者党建設に向かっている。それは70年決戦を決断した本多前書記長の遺志を引き継ぐプロレタリア日本革命−世界革命を本当に成しとげる闘いそのものである。われわれは、内戦の体験をし、理論的にも組織的にも偉大な闘いの経験と深さを獲得した地平をもって、新指導路線のもとでこの闘いを全力で推進している。
 日帝・小泉=奥田路線による「戦争をする国家」への改造攻撃を、今こそ真正面からみすえ、05〜07年階級決戦のただ中で、労働運動、労働組合運動の実践で粉砕しなければならない。動労千葉労働運動に学び連帯し、それを物質化し、闘う労働者党をつくるのだ。自衛隊のイラク占領を弾劾し即時撤兵を求め、日米枢軸−トランスフォーメーションによる安保・沖縄政策のエスカレーションと対決し、三里塚の軍事空港化を許さず闘いぬかなければならない。
 何よりも3月卒業式での不起立闘争を爆発させ、教労決戦を先頭に4大産別決戦に勝利することである。不起立闘争の爆発をかちとり「日の丸・君が代」決戦に勝利し、ファシスト都知事石原−横山教育長体制を打倒しよう! 春闘ストライキをかちとり、郵政民営化を阻止しよう! 自衛隊のイラク撤兵−3・20国際反戦闘争へ総決起しよう! こうした力をもって6月都議選決戦での長谷川英憲候補の当選をかちとろう! 05年決戦の勝利を突破口に05〜07年の改憲阻止決戦へ吶喊(とっかん)しよう。
 戦時下に突入した今、侵略戦争を擁護するカクマルを一日たりとも許してはおけない。戦時下階級闘争への突入は、カクマル完全打倒の情勢を加速度的に早めている。カクマル完全打倒は、自己解放を求めて労働者党建設をめざす、すべての闘う労働者の課題である。
 75年のあの日の煮えたぎる怒りを、衰滅と分裂を深めるカクマル両派に今こそ思い知らせてやる。革命への情熱を込め、必ず3・14復讐戦を貫徹し、黒田、松崎、土門の革命的処刑を本多前書記長の墓前に報告することをあらためてここに誓う! 反革命カクマルを学園、職場、街頭から一掃しよう! ファシストカクマル完全打倒へ総決起しよう!

 革共同の歩みとカクマルとの闘い

1957年 革命的共産主義者同盟結成
1959年9月 革共同第2次分裂、『前進』創刊
1962年9月 革共同第3回全国委員会総会
1963年春 黒田らが脱落、革共同第3次分裂
1966年夏 革共同第3回大会、70年決戦論確立
1967年10・8 羽田闘争に始まる激動の70年安保・沖縄闘争
1969年4・27 本多書記長が破防法40条で逮捕
1971年12・4 11月決戦に対する反動として、カクマルが関西大学で2学生を虐殺
1973年9・21 カクマルに対する報復戦を開始
1974年8・3 二重対峙・対カクマル戦争の総反攻段階に突入。6月から、カクマルは「権力の謀略」論を唱え、敗北の糊塗にきゅうきゅうとなる
1975年3・14 カクマルが本多書記長を虐殺。猛然たる復讐戦争が始まる
1977年 カクマルが水本デマ運動を開始する。動労松崎一派が推進
1980年10・30 本多書記長虐殺下手人学生カクマル5人一挙せん滅の勝利
1981年秋 先制的内戦戦略の第2段階(PU)に突入。対権力の武装闘争を主に
1985年 中曽根の国鉄分割・民営化攻撃に黒田と動労松崎が完全屈服、その先兵となる道を選ぶ
1985年10、11月 三里塚2期着工阻止と国鉄分割・民営化阻止で実力闘争とゲリラ戦争
1990年 天皇代替わりに対する大決戦
1991年5月 革共同の5月テーゼ、戦闘的労働運動の発展に重心を移す路線転換
1995年秋 革共同第19回全国委員会総会
1996年 第3次安保・沖縄闘争の開始
1997年 カクマル、「神戸謀略論」デマ運動を展開。JR総連は乗らず
2000年 カクマル、黒田・中央派とJR総連松崎派とに分裂
2001年前半 革共同第6回大会開催。黒田哲学を批判し、カクマルの死を宣告
2003年 新指導路線(5月テーゼ路線の発展)の下に闘いを開始

 本多延嘉書記長

1934年2月6日、東京に生まれる。54年早稲田大学入学。『早稲田大学新聞』編集長。日共早大細胞を指導。56年ハンガリー革命の衝撃を受けスターリン主義の問題を根本的にとらえ返す。トロツキー教条主義との闘いをつうじて(革共同第1次、第2次分裂)、59年革共同全国委員会を創設。以降、革共同書記長。63年黒田一派の卑劣な分裂・逃亡と闘う。69年4月27日、4・28沖縄闘争を前に破防法40条で逮捕、2年間の獄中闘争。二重対峙・対カクマル戦争を最先頭で指導中の75年3月14日、反革命カクマルの卑劣な憎むべき襲撃を受け暗殺される。享年41歳。





(私論.私見)