T 黒田・カクマルとの第3次分裂から40年の決定的勝利
9・11反米ゲリラ戦争が切り開いた国際的内乱情勢、これに対する米帝ブッシュの報復戦争、大恐慌と帝国主義間争闘戦激化の中での世界戦争計画の発動、イラク侵略戦争の切迫、米英伊・日と仏独・ロ・中の分裂と対立の激化という情勢は、同時に全世界的に革命的情勢を急速に成熟させつつある。
2・14〜16の地球を一周する1500万人以上の「反戦のウエーブ」は、まさに世界戦争の始まりとも言える帝国主義の侵略戦争に対して全世界の労働者人民、被抑圧民族人民が、帝国主義の侵略戦争反対、自国政府打倒の国際的内乱を勝ちぬき、プロレタリア世界革命を必ず実現するに違いないことを確信させた。反スターリン主義・革命的共産主義運動が営々と目指してきたことがついに現実のものとなる時代、革共同第6回大会の「21世紀の早い段階でプロレタリア世界革命を実現する」という宣言を実際にかちとる時代がやってきたのである。「連帯し侵略を内乱へ」の総路線を文字どおりに実現しなければならない情勢が、米帝のイラク攻撃という世界史的重大事態を前にしてつくりだされている。
このような大情勢の中でファシスト・カクマルとの闘いをとらえ返してみる時、わが革共同の対カクマル戦30年は実に大きな歴史的意義をもつ戦いであったことが鮮明になる。
3全総路線から逃亡
今年は黒田寛一が非組織的な破壊活動の末に革共同から脱走した革共同第3次分裂から40年になる。62年3全総で決定された戦闘的労働運動の防衛と地区党建設方針に対して、黒田らは直後から日和見主義的に敵対を開始し、革命党建設の闘いから退却して脱落・逃亡した。それは階級闘争からの召還主義であった。ここでの黒田らの分裂・逃亡との闘いはまさに世界史的な意義をもっていた。
本多延嘉書記長を先頭に革共同はこの反動と闘って党を守りぬき、3全総路線に基づく実践に断固として取り組むことによって、66年第3回大会とその革命的実践として70年安保・沖縄決戦の大高揚をかちとった。切り開かれた階級闘争の革命的・内乱的・武装的発展に恐怖した黒田・カクマルは、権力が破防法弾圧をもって革共同壊滅攻撃を加えてきているのに乗じて(警察=カクマル連合)、革共同と戦闘的労働者学生の背後から白色襲撃を加え、反革命に転落した。
これは階級闘争の歴史にかつてなかった事態であり、初期的には革共同は苦境を免れなかったが、革命の勝利のためにはこうした民間反革命と闘って打ち破ることが必須不可欠であることをつかみ取り、戦略的防御・対峙・総反攻の段階戦略をとって二重対峙・対カクマル戦を闘いぬいてきた。73年9・21以来、満を持して革命的報復戦を開始し、カクマルの頭上に赤色テロルの嵐をもって攻めて攻めまくり、戦争的力関係を逆転した。
この攻勢に圧倒されたカクマルは、一方では「やられたのは中核派にではなく権力にだ」という荒唐無稽(こうとうむけい)な「謀略」論を叫びだすとともに、75年3・14反革命=本多書記長の暗殺をもって、卑劣きわまる手段で完全なる白色テロを実行した。わが革命軍は、これに対し猛然たる復讐の決意を打ち固め、報復の絶対戦争に突入した。われわれはこの中で先制的内戦戦略を確立し、現代革命の基本構造の深化との関連で、二重対峙・対カクマル戦を階級闘争と革命論の中に位置づけたのである。
われわれは先制的内戦戦略のフェーズT(第1段階、75年〜81年)、フェーズU(第2段階、81年〜91年)を戦いとった。この過程は対カクマル戦争と同時に、対権力のゲリラ・パルチザン戦争をもかちとる過程であった。
90年天皇決戦を全力でかちとったわれわれは、91年5月テーゼをもって、革命運動の本来的なあり方(レーニン的オーソドキシー)に立ち返り、労働運動路線を本格的に推進してきた。これは対カクマル戦の新たな闘い方への移行でもあった。とくにファシスト労働運動=JR総連打倒を明確に掲げ、国鉄決戦を必死に闘いぬいてきた。この闘いはついに、今日ファシスト・カクマルを黒田・中央派と、松崎・JR総連派とに完全分裂させる大勝利をかちとっている。
革共同は01年に第6回大会をかちとり、次のように宣言した。
「黒田・カクマルとの第三次分裂以来の四〇年に及ぶ死闘で、革共同はついに勝利的情勢をがっちりときりひらいたこと(基本的に勝利したこと)を高らかに宣言する。革共同の綱領的・政治的・組織的・運動的正しさと優位性のみならず、黒田・カクマルの『黒田哲学』を決定的に批判しのりこえるイデオロギー闘争の面での勝利も高らかに宣言し、全党・全人民の確信をうち固めていく。JR総連路線を国鉄決戦的にうち破っているこの間の前進を基礎に、革共同が『黒田哲学はすでに死んだ』としてイデオロギー活動を大展開していくことは、かならずや内外を震撼(しんかん)させ、闘う労働者人民の圧倒的なエネルギーのほとばしりへと結実していくにちがいない」(報告決定集・上巻117n〜)
6回大会以来2年を闘って、この確認は一層強くわれわれを勇気づけている。
われわれは、3点をメルクマールにカクマルに対する勝利宣言を行った。@カクマルの中央派と松崎・JR総連派とへの分裂。これは完全に確定したばかりでなく、そのそれぞれが内部危機を激化させるに至っている。Aカクマル「謀略論」路線の破産。とりわけその頂点にあった「神戸謀略」論が完全に破産し、カクマルとしては撤退したはずであったのに、日帝権力との関係でそれもできず、のたうち回っている。B革共同第6回大会での黒田哲学への壊滅的批判(報告決定集下巻収録)および『ドイツ・イデオロギー』新訳と解説本の発行に大打撃を受けた黒田がこのことに対応できないこと。カクマルの最後の砦(とりで)である黒田哲学の粉砕は、黒田・カクマルにとどめをさすものである。
植田琢磨「議長」は、01年新年号に載って以来もう2年以上も『解放』紙上に登場しない。いったん登場しながら理由もなく消えてしまう議長。こんな党は聞いたことがない。カクマルは今や形式上も内容上も、まったく党派としての体をなさなくなっているのである。
黒田が虐殺責任自白
玉川信明なる自称アナーキストの「編著」という形で、カクマルのこれまでの「謀略」論デマ記事を集大成した『内ゲバにみる警備公安警察の犯罪』(上・下、昨年5月刊)の巻末に、黒田×玉川の対談がある。この中で、黒田は本多書記長虐殺を自らの責任で凶行したことを認め、開き直っている。この言葉は、黒田が自らの最大の悪行を自白したものとして銘記されなければならない。われわれは、本3・14アピールでこのことを確認し、黒田・カクマルに対する復讐の誓いを新たにする。
「ウジ虫軍団の壊滅をおしかくすため国家権力に魂を売った徒輩をかかえこんでいるがゆえに、角栄軍団内謀略専門班に魂を売った男、しかも破防法被告の看板を背負ったこの男、これこそが悪の権化だ。だからこそ、わが党は彼に鉄槌を下したのだ」
「七〇年安保=沖縄闘争を『日本における〇五年革命』とみたてた。こうして、武井(本多書記長)自身が『破防法を引きだす』――これは彼ら自身の言葉だ――をほざきはじめ、武闘主義に転落したのだ」
「(本多書記長は)山本勝彦〔黒田寛一の組織名〕の寝首をかいた。これは一九六二年秋〜六三年初めのことだ。そして、七〇年安保=沖縄闘争を前にして武装蜂起をがなりたて、この闘争の敗北の直後には『殲滅の思想をもって……』とか『無制限・無差別産別戦争』とかを、彼とその追随分子は呼号した。それだけではなく、奴らは権力の懐に飛びこんだ。ブクロ派の走狗集団への見事な転落。この『悪の元凶』はうちたおされなければならない。ブルジョア国家権力に魂を売りわたし、階級敵に転落した反革命の徒輩には、死の鉄槌を!」
これがカクマル頭目・黒田の「生の声」だ。絶対に許せない言辞の数々である。この黒田インタビューは、カクマルのファシスト的悪行のすべてにわたって、黒田が直接の最高司令官であったことを自白するものであるが、とりわけその最大の悪行である3・14反革命が黒田の指令のもとに行われたことを自白しているのである。われわれは黒田、松崎、土門の3・14反革命3頭目の処刑を誓って闘ってきたが、今やその最高責任者の自供が行われたのだ。
黒田自身が信じていない「謀略」論デマにもとづく修飾を取り払ってみれば、発言の主旨は、革共同を闘う党としてつくり上げた本多書記長が「破防法被告の看板」であり、「武闘主義」であり、「武装蜂起をがなりたてた」ことが、虐殺の原因だということである。階級闘争の革命的、内乱的、武装的発展に恐怖し権力の破防法弾圧に乗じて本多書記長を襲撃し、虐殺したのである。この犯罪的な言辞は未来永劫消すことはできない。
また、黒田はかつて清水同志「失脚」デマを振りまいてきたにもかかわらず、それをなかったかのように語っている。そして清水同志を襲撃できなかったことを悔しがっている。いかに黒田が清水議長の存在に打撃を受け、恐れているかをそれは証明しているのである。
われわれは3・14反革命自体にはまだ決着をつけていない。あくまでも3頭目処刑、3・14復讐戦貫徹・カクマル完全打倒を遂行することを誓うものである。
U 米帝のイラク攻撃切迫下で一層深刻化する綱領的破産
今日、カクマルは党派の体をなさないほど路線的にも組織的にもボロボロである。それは『解放』新年号論文、それに続く中央労働者組織委員会(WOB)論文、中央学生組織委員会(SOB)論文などに無残な形で現れている。
カクマルの路線の破産と反革命性を示す第一は、米帝のイラク侵略戦争を「文明間の衝突」論で解説し、イラク開戦の切迫で党派としての生き死にが問われている時に、帝国主義との真っ向からの対決から逃げ回っていることである。
「文明間の衝突」論は、黒田の「終焉(しゅうえん)の端初」(01年11月)で唱えられ、いまだにカクマルが担ぎ回っているものである。黒田はこの中で、アフガニスタンに対する侵略戦争は「文明間の衝突」であり、「キリスト教的近代文明とイスラム文化/文明との相剋(そうこく)」だと言っている。そして、ハンチントンの言う「文明間の衝突」とは違う、「儒教は戦争とは無関係」だから「儒教とイスラームを並列」することはできないのだと言っている。(そうすると、イスラムの戦闘性が現在の戦争の根本的原因ということになる。これは帝国主義の十字軍の思想そのものだ!)
要するにほとんどハンチントンと変わらない「文明間の衝突」論であり、反階級的でエモーショナルな反米民族主義を全面開花しているのである。
反米民族主義の絶叫
第二に、それと結びついたことだが、「ヤンキー帝国主義」論、「アングロアメリカン」帝国主義論に示される反米民族主義の絶叫である。これはマルクス主義的、レーニン主義的な帝国主義論とはまったく反対の、右翼的、人種的、排外主義的な米帝論である。これは、帝国主義の基本矛盾の爆発が帝国主義戦争を不可避とすることを階級的・科学的に明らかにするのと正反対を向いている。要するに、ブッシュが「カウボーイ」であり、軍事力万能主義だから戦争をやろうとしているとしてしまい、この戦争が帝国主義戦争であること、米帝が帝国主義であることを実質的に否定しているのである。
この反米民族主義は、黒田の日本主義への全面回帰と表裏一体のものである。
第三に、「中露脅威」論である。今のカクマルは「ヤンキー帝国主義」論が前面化しているために、これについては覆い隠されているが、「新東西冷戦」論は依然として残っている。新年号論文では、「欧州各国権力者のブッシュ政権への反発」を論じた後で、「中国やロシアの権力者どもの場合にも、……戦略的には、中国(やロシア)を将来のライバルとなりうる『潜在的な敵』と見なして敵意を隠しもしないブッシュ政権(内タカ派)にたいして、嫌悪と警戒心をもって対抗しようとしている。……『上海6』(中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン)の団結を強化する、という政策を展開している」と言っている。
これは帝国主義間の対立、争闘戦が世界を揺るがすものとして発展するということではない。21世紀後半にはアメリカが自滅した後、中国とロシアが世界を支配する危険があるという黒田の中国脅威論的認識を披露してまとめているのである。最後は中国こそが日本の敵であるというわけである。
北朝鮮情勢で大混乱
第四に、「北朝鮮侵略戦争ない」論の破産である。
昨年の9・17小泉訪朝以後のカクマルの大動揺、ジグザグは、哀れを催すものであった。8月30日の小泉訪朝発表で判断停止に陥ったカクマルは、約1カ月もたった『解放』9・30付号でやっと口を開いた。そこで言ったことは、「金正日政権の捨て身の揺さぶり」「『謝罪』を武器にした対日平和攻勢」「金正日のバクチはまんまと成功した」「オメオメと(9・17ピョンヤン宣言に調印し)譲歩した小泉」というものであった。そして、次の号(10・7付)では、「(拉致事件の)真相解明の要求や弾劾の声をおしつぶし、小泉政府はマスコミを総動員して会談の意義をがなりたてている」と叫んだ。これはカクマルが、排外主義宣伝に率先して唱和したものである。
このあけすけな排外主義の絶叫にカクマル内部からもさすがに異論が出て、大動揺が生まれた(1年前の9・11に対して、「謀略ではないか」「テロには反対しなければ」とグラグラに動揺したと同じようなことが起こったのだ)。
カクマルはその後、「排外主義ナショナリズム弾劾」を押し出すかのように路線転換する。そして11・18付号に「在日朝鮮人民同胞に訴える!/『日本人拉致問題』を利用した反朝鮮の排外主義の嵐に抗して闘おう」なる「アピール」を発表した。しかし、これは「この日本の地において、あらゆる民族差別と迫害に抗しながら日本労働者人民の兄弟としてたたかってきた在日朝鮮人民同胞よ」という呼びかけからしてまったくインチキきわまりないものだ。
日帝の朝鮮植民地支配と侵略戦争の歴史、戦後の在日朝鮮人民に対する抑圧の歴史に、日本の労働者人民もまた屈服し加担してきたことについて階級的に自己批判すること、その上に立って在日朝鮮人民の現実の生活と闘いを措定し、学び、支援・防衛の闘いを貫くこと、自国帝国主義打倒にとって必須不可欠の課題として連帯をかちとること、これらのことをわれわれは、70年7・7自己批判以来30年以上にわたる闘いの中で主体化してきた。ところが、この闘いにカクマルは真っ向から敵対してきたのだ。カクマルはわれわれに対して「被抑圧民族迎合主義」とののしってきたのだ。
カクマルがもし在日朝鮮人民に訴えると言うのなら、この帝国主義抑圧民族の排外主義の問題についてのカクマルの完全に逆立ちした敵対への真剣な自己批判から始めなければならない。それを避けたあらゆる言説は、徹頭徹尾ペテンとごまかしであり、許すことはできない。
また「排外主義の嵐」という場合も、カクマルは現実の米日帝の朝鮮侵略戦争政策との闘いを避けるために言っているのであり、その点でもインチキなのだ。
昨年来の日本と北朝鮮との関係をとらえる時に踏まえるべき立場はどのようなものか。@まず米帝ブッシュの世界戦争計画を基軸に据え、そのイラク侵略戦争から北朝鮮侵略戦争の流れを押さえること、A北朝鮮・金正日政権による拉致(および核武装)について、人民の立場からやはりこれはスターリン主義的反革命であって許せないという確認、B7・7自己批判の立場で排外主義攻撃と闘うという立場、の三つを統一して、北朝鮮侵略戦争反対、拉致(核)を口実としての排外主義、戦争の合理化を許さず闘う、そして在日朝鮮人民と連帯して闘うということでなければならない。
この三つの点のすべてがカクマルにはない。いやことごとく敵対している。カクマルは「北朝鮮侵略戦争ない」論をいわば対中核派的に党是としてきたために、絶対に米帝の戦争政策を軸に問題を立てられない。「『北朝鮮・中国侵略戦争』などと言うのは、中核派の思いえがいた勝手なイメージにすぎない」(『解放』昨年7・8付)と言ってきたのだ。
94年の朝鮮侵略戦争一歩手前まで行った現実の危機があり、その後日米安保再定義、新ガイドライン締結、周辺事態法の成立があり、今有事立法(武力攻撃事態法)の成立がもくろまれていることに至るまで、すべて米帝の北朝鮮侵略戦争に日帝が共同的=競合的に参戦するための攻撃として一貫している。カクマルのペテン的議論のすべてはこのとらえ方に敵対するための議論である。
第五に、日帝の免罪である。米帝ブッシュの世界戦争計画を真っ向から批判するのではなく「戦争狂(ママ)」「ヤンキー帝国主義」と反米民族主義的に反発するにすぎないカクマルは、一方で自国帝国主義である日帝と真っ向から対決することから逃げ、日帝が米帝と共同=競合して、主体的に参戦しようとしている、すなわち日帝自身の帝国主義的利害から死活をかけて戦争しようとしているということを押し隠しているのである。
『解放』昨年10・14付では、「小泉政権は『ブッシュのプードル』という非難をかわすために、イラク侵攻に煮え切らない態度をとりはじめた」とまで言って、小泉を擁護したのだ。小泉ほどはっきりとブッシュのイラク攻撃を一貫して支持し続けている者はいないにもかかわらず、である。小泉はイージス艦を派兵し、米英の国連新決議の安保理での根回しのためにODA援助をエサに積極的に外交をしているではないか。日帝の協力なしに米帝はイラク侵略戦争をできないと言っても過言ではない。
イラク侵略戦争に関して、ここまで日帝を擁護するのは驚くべきことである。彼らは、新年号論文などで「アラブ諸国人民は自国政府の打倒をめざして決起せよ」などと号令しながら、その言葉をけっして自分には向けないのだ。
差別語の意識的乱発
カクマルの差別主義、排外主義はますますエスカレートしている。「差別用語なるものは実在しない」(『実践と場所』第2巻601n)と御託宣を下した黒田のもとで、差別が満展開し、差別語が洪水のようにはんらんしている。
(1)その最悪のものが「ちんば−いくさ」という差別主義丸出しの言葉である。黒田は、米帝のアフガニスタン空爆後の「ヤンキーダムの終焉の端初」という論文の中で、『「跛−戦」=「非対称的戦争」』と記し、これに「ちんば−いくさ」とルビを振ったのである。
また、今年1・20付『解放』の中央労働者組織委員会論文では、なんとこれがスローガンになっている。「全労働者にわれわれは歌声高く呼びかけようではないか。/動乱に明けたる世紀に勇み起て! 『びっこ戦』なわすれそ」と。ここでは「非対称的戦争」というただし書き(説明)さえ省かれているのだ。
「非対称的戦争」とは、米帝の戦略文書などで使用される用語で、軍事的水準がまったく違う米帝がムスリム人民を始め被抑圧民族人民の民族解放闘争に侵略戦争を仕掛け、一方的に人民虐殺を行うことを、科学的装いをもった軍事用語で表現したものである。黒田は、これをわざわざ差別語をもって言いかえをして、これ見よがしに繰り返し使っている。仮に「非対称的戦争」という言葉を使うにしても、なぜこのような差別的言いかえをするのか。正規軍とゲリラ、核兵器と通常兵器という「釣り合いのとれない力関係」を表すのに、どうして「びっこ」とか「ちんば」とかの差別的形容が必要なのか。これによって何を表現しようとしているのか。黒田は差別者の側に立って、すべての「障害者」に敵対することを宣言しているのである。
(2)さらに黒田・カクマルの差別主義的本性は、米帝ブッシュの世界戦争計画を「戦争狂」「狂信者」などの差別的概念で規定し、米帝の戦争の階級的=科学的規定に敵対していることに現れている。今年の新年号だけをとっても、「ネオ・ナチズムの狂暴さ」「狂気の沙汰」「狂ったヤンキー権力者ども」などなど枚挙にいとまがないほど差別語が乱発されている。これらは、米帝ブッシュと階級的に対決し打倒していかなければならない時に、ブッシュの人間的資質に核心問題があるかのようにすり替えてしまう。しかも、それを「狂気」でくくることで、「精神病者」に対する差別を扇動しているのである。今国会で成立させられようとしている保安処分新法「心神喪失等医療観察法案」は、戦争と大失業の中で起こる帝国主義社会の矛盾の一切を「精神障害者」に差別的に集中し、隔離・抹殺することを狙った許すことのできない攻撃である。カクマルの差別主義は、まさにこの法案の目指す方向と軌を一にしているのだ。
(3)もうひとつ、カクマルの差別主義・排外主義を表す「北鮮」という用語について、本紙昨年12・23付2083号で、われわれは指摘し、批判した。
朝鮮人を「鮮人」と呼ぶようになったのは、日帝の1910年の韓国併合以後のことである。それ以来、「北鮮」「南鮮」「満鮮」などという呼称が日帝の側から広められていった。つまり、「大日本帝国に支配された植民地朝鮮」という意味を込めて、「朝鮮人」から頭を外した「鮮人」という蔑称をつくり、そこから「北鮮」という言葉も生み出した。日帝の植民地支配と一体の蔑称である。戦後は「鮮人」という言葉はほとんど死語となるが、「北鮮」は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する蔑称として生き残り、朝鮮人民を傷つけてきた。だが、朝鮮総連がマスコミに正式に抗議したことなどから、マスコミもこの語を使わないようになってきたのである。
カクマルはこのことを知っていて意図的に使っている。だから『解放』2月10日付、24日付号に掲載の「春闘スローガン」で、「『反米帝』を捨て『反北鮮』ナショナリズムの鼓吹におもねる日共中央的保身策の反労働者性を暴け!」というスローガンをまたしても掲げているのだ。北朝鮮に対する排外主義攻撃に反対しているふりをしながら、もっと悪質な排外主義を扇動しているのだ。
差別語について、抗議されても変えない、使うのをやめないのは、カクマルが排外主義、差別主義の確信犯だからだ。これは、どれほど抗議と非難が集中しても、靖国神社公式参拝を毎年繰り返す小泉と同じである。つまりカクマルは、小泉と同じく、被抑圧民族人民、被差別人民と非和解的な敵対関係にあるということを、自ら表明したのである。
差別語の問題は小さな問題ではない。排外主義、差別主義はファシストの属性であり、そこにカクマルの本質があるからだ。労働者階級の自己解放は、同時にあらゆる人間的抑圧、差別からの解放、普遍的全面的解放として実現される。反スターリン主義・革命的共産主義運動は、この階級的=普遍的本質についての確信を土台にしているのだ。黒田・カクマルの排外主義、差別主義(差別語の使用)はこのこと全体への敵対なのだ。
V 「神戸謀略」論運動が破産し総括不能で組織的大混乱へ
次に、カクマルの「謀略論」路線の破産をあらためて確認しておこう。
先の玉川「謀略」論本に示されているように、もともとカクマルの「謀略」論は、わが二重対峙・対カクマル戦に押しまくられたカクマルが、自分たちの敗北の唯物論的現実を見据えることができず、「こんなすごい攻撃は中核派にはできっこない。強大な権力にやられたのだ」と自他をあざむき、敗北の責任を回避しようとした自己欺瞞(ぎまん)であり、それで騒ぎ立てることによって権力に中核派弾圧を哀訴するものであった。古今東西、どんな戦争でも現実を見据えず、架空の物語を作って責任を塗り隠すような戦争指導者、司令官は、それだけで失格である。ところがカクマルは黒田を先頭に組織丸ごとこの「謀略」論を自分たちの戦争路線としてしまった。そして、それを繰り返すうちに「謀略」論の麻薬中毒になり、抜け出すことができなくなってしまったのである。
権力万能論への逃避
「謀略」論の本質は、権力万能論である。権力はなんでもできる、権力には逆らっても勝てない、という思想なのだ。前出の黒田のインタビューでも、「謀略部隊の担い手は、屈強な独身者かさもなければ家族と別居した男からなっており、彼らは特別のところで特殊な訓練をうけているのだ」と言っている。戦争において敗北者は自分を倒した相手が巨大に見えるものだ。「謀略」論は黒田の恐怖感と敗北感が生んだ幻影だ。
「屈強」とか「特殊な訓練」と聞くと、われわれは笑いが止まらない。革命軍戦士に対するこの上ない賛辞であるからだ。それだけ激しい戦果であったこと、ものすごい打撃と恐怖をカクマルに与えたという手ごたえを確認できる。
玉川本上下1000ページに満載されたデマゴギーは、カクマルのダメージの大きさの自白であり悲鳴である。また敵を見据えられず、事実から逃避し、架空の物語をデッチあげるのに熱中したカクマル分子どもの戦闘精神の崩れ、退廃の深さを、このゴミの山は示している。観念的操作で現実をゆがめてしまうカクマルは、どう考えても唯物論者ではない。
こうして「謀略」論を通じて「権力万能」神話を広めるカクマルは、結局労働者階級が革命によって帝国主義国家権力を打倒することは金輪際できないことを宣伝しているのである。反革命的デマ運動と呼ぶゆえんである。
カクマル分裂の契機
カクマル「謀略」論の頂点にあったのが「神戸謀略」論だ。97年の神戸の小学生連続殺傷事件は、日本社会の帝国主義的腐朽が生み出した問題として見据え、分析されなければならない問題だ。ところがカクマルは、そういう見方を拒否して事件をCIAの謀略物語に仕立て上げ、それを自己の政治的延命の道具にしようとした。
「神戸謀略」デマ運動は、90年代階級闘争、とりわけガイドライン闘争、沖縄闘争、そして国鉄決戦の前進に対する反革命的敵対として策動された。だが、わが革共同がそのデッチあげ性を全面暴露して粉砕したことと、JR総連がこの運動の取り組みを拒否したことで、大破産した。これは、黒田にとって致命的な打撃であった。
カクマル自身が自作自演の非合法作戦まで行って、「反権力」を装った謀略的な情報操作を行った。A少年の精神鑑定を担当した神戸の精神病院から関連資料一式を盗み出し、それを文芸春秋社に売りつけるという行動に出た。そしてそれを、権力内部からの謀略暴露としつつ、都合のいいところを勝手に解釈して、CIAによる犯行という荒唐無稽な説に資料的な裏付けがあるかのように大騒ぎしたのである。
権力はこれまで、カクマルに自作自演的な謀略物語の宣伝を好き放題にやらせてきた。その癒着ぶりが一個の社会問題にまでなっていることを自覚している権力は、今、ここにきて、ある種の社会的弁明として、カクマルの窃盗部隊を逮捕した(昨年12月26日、北海道で5人など)。その前提には、カクマルの「神戸謀略」論物語が完全に破産してしまい、党派として総括もできない状態に追い込まれ、謀略論イデオロギーに行き着いた黒田思想の自己破産の証明となってしまっているということがあるのだ。
権力にとって、現在のような階級的緊張の中でカクマルのような存在(権力に癒着しつつ独自の思惑で動く)を整理していくことなしには、真の内乱勢力を弾圧する本格的戦時治安体制もできないという判断があるといえる。権力にとって、検事調書窃盗、関東医療少年院侵入など、権力に対して軍事力を向けたという意味では、治安問題としてけじめをつけなければならなくなったのである。
こうした意図をみてとったカクマルは、5人逮捕に対する声明の中で、「(窃盗や建造物侵入なのに)あたかも凶悪犯ででもあるかのようにわが同志たちを全国に指名手配するという暴挙に出た」(『解放』1・13付)などと「重罪ではない」ことを強調しながら(本質的に反権力の意思がないことを表明しつつ)、「権力に弾圧されるカクマル」を演出する材料にしようとしている。
カクマルは、「〈供述調書の打ち込まれたフロッピーディスク>は、何者かが、神戸事件の謀略性を暴きだすために奮闘していたわれわれの闘いに共鳴して送ってきたものなのである」(同)、カクマルが盗み出したわけではないなどと言っているが、これでは裁判闘争にもならない。カクマルにとっては、「神戸謀略」論デマ運動の破産が天下にさらされることはやはり致命的なことである。党派としての生命線すら断ち切られかねないような大危機なのだ。
「神戸謀略」論は、黒田の破産そのものである。黒田思想の必然的総破産である。権力と闘って革命を行うのではなく、情報を操って社会を操作するというインチキ実践論の帰結なのだ。それは、革共同からの逃亡と70年決戦における戦略的破産、そしてそれ以後の戦争の大敗北の結果である。カクマルはここから逃れることはできないのだ。
W JR総連松崎体制への新潟グループの反乱で再分裂へ
ファシスト・カクマルの片割れであり、カクマルの歴史的破産を体現しているJR総連が今かつてない危機に陥っている。まさにJR総連ファシスト労働運動打倒の決定的チャンスが訪れたことを力強く確認したい。03春闘に総決起し、JR総連解体・組織拡大へ闘う動労千葉や国労解体攻撃と対決して闘う国労労働者の闘いが、国鉄労働運動の戦闘的再編を成し遂げる時が来たのだ。
2000年から01年にかけて、カクマルは黒田・中央派と松崎・JR総連派とに完全に組織分裂した。この両者は01年8月段階で、両者共倒れになる危機を回避するために、中央派はJR総連を非難・攻撃しない、そのかわりJR総連内で中央派が活動することをJR総連カクマルは容認する、として手打ちした。
カクマル中央派は、00年11月以来監禁していたJR労研事務局長・坂入充を昨年4月13日、1年半ぶりに解放した。JR総連は「坂入氏の解放に対する見解」を発表し、以後この問題でカクマルと争わない態度を表明した。このような経過そのものが前代未聞、カクマル両グループと権力との間の独特の近親関係を表している。JR総連は、これ以後、カクマルとは手を切った、カクマルとの間は整理できたということを日帝権力とJR資本に対してアピールし、JR労資結託体制を再建しようと図ったのであった。
だが、このカクマル中央派との決別ときびすを接してJR総連内部の対立(松崎派と嶋田邦彦東労組副委員長ら「新潟グループ」との対立)が急激に表面化した。これは旧動労以来のカクマル同士が真っ二つに分裂を開始したという決定的事態である。しかもそれは、JR東日本資本との関係や利権争い問題と重なっており、またそこに日帝権力が介入する事態にもなっているのである。
嶋田など8人が辞表
この間の流れを振り返ってみよう。
昨年2月に東京支社・阿部真喜雄の業務担当課長への内定が出されたことが発端である。松崎明は、この阿部は95年に東労組の分裂を策動した人物であり、この男を栄転させることは許せない、と問題にした。ところが、JR東日本東京支社はこれを「無視し」人事を発令する。松崎はこれに抗議して東京地本の石川委員長の辞任をもってこたえる態度を打ち出そうとするが、「石川が辞任しても何の解決にもならない」とする声が執行部の大半を占める。しかし石川辞任方針に反対することは、松崎の意向を拒否することを意味した。反松崎の旗を掲げるに等しい。その先頭に立ったのが、嶋田副委員長と阿部克幸組織研修局長だった。嶋田は、4月に本社幹部との間で、人事を問題化しないことで合意した。
7月に入り、松崎は「おれが東労組にいると、とんでもないことになるんで辞めます」と言って顧問を辞任する。そして「問題解決のためには組織が半分になることも覚悟し、順法闘争で闘おう」と提起した。この恫喝と圧力によって、東京地本定期大会で会社側から大川支社長が謝罪発言、前任の須田支社長は関連会社に飛ばされた。阿部業務担当課長も関連会社に出向とされた。松崎の横車は通り、その勢いで松崎は今度はJR総連内で嶋田、阿部の排除に乗り出す。
こうして松崎と嶋田らの対立が激化し、ついに10月31日、嶋田ら8人の「新潟グループ」が辞表を提出、11月3日に中央本部はこれを受理、またJR総連でも役員の新潟グループ・新妻の執行権を停止した。この経過全体は、JR総連内での松崎の絶対的支配が明白に崩れたことを意味している。
重要なことはこれと時を同じくして、権力の介入がなされたことだ。11月1日、JR東労組大宮地本副委員長梁次邦夫ら7人が退職強要の容疑で逮捕(後に起訴)された。東労組本部や、松崎の自宅・車両・身体への捜索を含め七十カ所以上の捜索が行われた。
この事件は、浦和電車区の組合員がJR東労組の指示に従わなかったと言って、5人から30人で取り囲んでつるしあげ、いじめを繰り返し、退職に追い込んだものである。こうした退職強要はJR東労組では日常茶飯事だった。組合員の中では「カゴメカゴメ」と言われ、その暴力支配を表していた。また、高崎地本では公然と「他労組解体班」が組織され「威圧や嫌がらせ行動」が文書で指示された。千葉地本委員長の小林克也は、「動労千葉を絶対つぶす」と公言した。
東労組は「団結を守ることが犯罪とされた」などと言っているが、とんでもない。JR総連内で横行していたのは、労働組合的団結を破壊したファシスト的暴力支配以外の何ものでもない。階級的労働運動や戦闘的労働運動のための労働者の団結を破壊し、労働者を上から暴力的に支配すること、これがJR総連松崎一派のやってきたことだ。
日帝権力は、一方で国労5・27臨大闘争弾圧(組合員が大会代議員に対して説得活動を行うことを暴力行為等処罰法で逮捕・起訴した重大な弾圧)を強行して階級的労働運動を抑えつつ、他方で松崎に人事権を牛耳られるようなJR労資結託体制の現在のあり方も認めないとして介入を図ったのである。これは分割・民営化攻撃の総決算を図ったものである。
事態の本質的背景は、日帝の第2の分割・民営化攻撃の激烈さが松崎的なファシスト労働運動を容認できなくなっているところにある。JRのリストラ、外注化攻撃のもとで、JR総連も例外ではないとしている。それは日帝経済の危機の深さと大資本攻勢、そのJRにおける現れということである。
01年8・1労使共同宣言を結んだJR東日本資本は、JR総連をも例外としないという対応に出てきたが、松崎はファシスト労働運動として一定の対抗性を持っているため、それではもたないとして人事の問題で対抗性を示したのである。それに対して、嶋田らは、松崎のようなやり方はできないと判断したのである。資本攻勢の激しさの前に、JR総連松崎絶対支配が崩れ、ファシスト的支配を立て直そうとする松崎一派に対して権力が制圧に出てきた――これがこの間の事態の核心である。
新潟グループは、辞任した幹部の出身分会で「激励会」を開いたり、集会で阿部らが「そんなに偉いのか、あの人は」と松崎批判の気炎を上げるなど、対決姿勢を強めた。
これに対し、JR東労組本部中執は、1月23日、「8人の中央指導部の辞任に対する見解」なる文書を発表した。そして、°松崎に打撃を与えるような動きを絶対に許せない″とあられもなく絶叫している。「(松崎は)JR東労組の育ての親であり、JR東労組にとっての重鎮である」と断言し、「余人をもって代えがたい」存在だと言い切っている。
さらに、松崎の「順法闘争も辞さず」という発言について、「この発言を敢えてまともに受け」たのは問題だと言っている。松崎のやり方(恫喝手法)を知っていて、それを真に受けて騒ぐのは、ためにするものだというのだ。
労資結託体制の末路
また、東労組中執は、嶋田グループの「目的」は、「反松崎の権力構造をつくることにおかれていたことが分かる。自分たちの権益を守り、拡大していこうという野望に燃えての、これまでの行動・行為であった」と言って、結局この対立がJR総連内の利権争いであることを自認している。
松崎の権益とは、JR結託体制のもとで関連会社の利権を独占してきたということである。松崎の息子・篤が社長になっている「さつき企画」や、缶入り飲料「大清水」を販売する「高崎商事」などが松崎カクマルの資金源となってきた。ここから分裂前のカクマルに膨大な金が流れていた。こうしたことを今や東労組中執は自認した上で、それを奪おうという嶋田らの「権益拡大」を許さないと言っているのである。
11・1の東労組7人の逮捕について、11月9日に松崎は八王子講演で「JR東労組の内部に明らかに組織を破壊させる動きが出てきているんです。そういうものと明らかに連動していることは否めない事実です」と、嶋田らの動きと逮捕の一体性を断定している。「権力と一体」と叫ぶところまで来た以上、対立は修復不可能である。実際、新潟グループ抜きで松崎派は補充人事を強行した。
東労組中執は、このようにJR総連内の権力闘争に権力が目をつけ介入し、松崎支配を揺さぶろうとしていることに恐怖しているのである。そしてますます権力、会社との結託・癒着を深めることを哀願している。
JR総連が今や松崎派対反松崎派の大分裂に向かって急速に傾斜していることは、動かしがたい現実である。嶋田ら新潟グループは松崎なしのJR総連が可能だし、その方が権力にとっても資本にとってもよりよいものになるはずとアピールしている。旧動労以来のカクマル本体の中からこうした動きが公然と出たことに松崎は恐怖している。
追い詰められた松崎一派の凶暴性をよく知っている権力は、この内部抗争に介入し、JR総連組合員7人の逮捕・起訴によって松崎一派を牽制しつつ、JR総連のより一層の反労働者的変質を促進しようとしているのである。
日帝としては、イラク・北朝鮮侵略戦争の切迫という戦時下に、しかも大恐慌的情勢下で労働者階級に全面的に犠牲を転嫁してのりきっていくためには、これまでのように「松崎頼み」ではいかないと判断したのである。松崎のようなダーティーな反革命は、権力にとっても一時の利用対象でしかなかったのである。
中央派は完全に沈黙
JR総連と完全分裂したカクマル中央派は、昨年1年間のJR総連をめぐる大激動に対して一言半句の言及もできなくなっている。いったんは「JR総連打倒宣言」まで発したカクマル中央派が、そしてJR総連幹部カクマルを拉致・監禁までしてJR総連カクマルと争った中央派が、一転してまったく沈黙してしまっているのは何なのか。
昨年の春の段階では、JR総連を連合の戦争協力に反対する勢力として「持ち上げ」たりもした。しかし今やそれもなくなってしまった。
カクマルにとって、JR総連は関係が切れたのだからもう関知しないと言って済ますわけにはいかないのだ。そもそもJR総連とは、カクマルが現代のファシスト反革命として黒田=松崎合作でつくりだしたものである。そのJR総連が物質的利害の論理で自己運動し、黒田・カクマル中央派と相入れなくなり、敵対的な関係になってしまった。そして今やJR総連が松崎派と反松崎派に分裂し始めた。カクマルはこれに対してどのような態度をとるのか。松崎を支持し褒めたたえるのか。それとも「階級敵」としてJR総連を丸ごと弾劾するのか。これに対応できないカクマルはもはや政治党派として完全に死んだと言わざるをえない。
JR総連とは、70年決戦から逃亡し75年スト権ストで権力にはいつくばった動労カクマル組織が、80年代前半に日帝・中曽根の国鉄分割・民営化攻撃の先兵となったところから始まる。中曽根は今日、「国労をつぶし総評をつぶすために分割・民営化をやった」と総括している。黒田と松崎は、「冬の時代」論を掲げ、組織温存のためにはこれに積極的に協力して生き延びるのだという反革命的・裏切り的選択をして、分割・民営化攻撃の先兵の道に突進した。
これは同時に、黒田の決断であり、選択であった。カクマルが全体としてファシスト組合JR総連と一体化して進んできたのだ。JR総連を守るために、カクマルの白色非合法部隊を使い、他組合の幹部宅の盗聴や窃盗を働き、松崎のJR総連支配の維持のために働いてきたのである。
しかし、これは90年代以降行き詰まる。それは松崎の労使協力論という名のJR結託体制と、カクマルのエセ「左翼」の看板・運動とがあまりにも矛盾しており、カクマル組織内部に混乱を生み、内部矛盾を激化させたのである。同時に、より大きな問題は、分割・民営化にかけた国鉄労働運動解体策動が、闘う国労労働者と動労千葉の不屈の闘いによって完全に破産してしまったこと、さらにわが革共同の91年5月テーゼ―95年19全総以降の国鉄決戦を基軸とする労働運動路線によって、JR総連カクマルの反労働者性が大々的に暴露され、追い詰められたことである。まさに90年代の新しい対カクマル戦の推進がJR総連カクマルの路線を破産に追い込んだのである。
今日のJR総連カクマルの行き詰まりと破産は、同時に黒田・カクマルの行き詰まりと破産である。このことをわれわれは勝利感をもって確認し、さらに松崎・JR総連カクマル打倒(松崎一派と嶋田グループを丸ごと吹き飛ばす)、JR総連労働者の獲得に向かって闘いぬこう。とりわけ、国労5・27臨大闘争弾圧粉砕を軸に国鉄決戦を勝利に向かって闘いぬくことが、JR総連カクマル打倒にとっても決定的に重要である。
X 黒田哲学への壊滅的批判に「死の沈黙」を続ける中央派
カクマル中央派は今日、綱領的破産を深め、運動的・路線的にも完全に行き詰まり、「謀略」論路線はボロボロになり、JR総連カクマルとの分裂を総括することもできず、組織としての体をなさないほどに崩れてしまった。彼らの最後の砦は「黒田哲学」であるが、革共同のここでの猛爆撃に彼らは声ひとつ立てることもできないダメージを受けている。
黒田哲学全面批判は、2年前の『共産主義者』127号の仲山良介論文で対外的に打ち出され、また革共同6回大会で正式議案として採択されて公表され、黒田=カクマルに突き付けられた。他人の批判を何より気にする黒田が、この突き付けに答えないということ自体が打撃の大きさを示しているのである。
革共同の黒田哲学批判の核心は、それがマルクスの実践的唯物論に敵対する観念論哲学でしかなく、黒田はどこまで行っても小ブル的哲学者でしかないということである。
黒田哲学の原点・出発点になっている『ヘーゲルとマルクス』について、黒田は自分で「無残な残骸でしかない」などと言いながら、それをえぐりだすことができない。黒田はその主体性論を論ずる時、本来のマルクスの労働論、実践論をつかみ損ねていることの切開が必要であるのに、それをしない。黒田は『ドイツ・イデオロギー』はおろかマルクス『フォイエルバッハ・テーゼ』すらも否定しているような存在なのだ。また、黒田の『社会観の探求』はマルクスの唯物史観―史的唯物論に似ても似つかないものである。したがって黒田哲学は観念論でしかない。この黒田哲学の原点的破産を徹底的に暴きだしたのである。
深まるカルト集団化
これに対して黒田は、まったく答えることができない。見ないふりをしつつ、黒田は『マルクス・ルネッサンス』などという本を出しているのだ(02年12月)。破廉恥である。
この本は、わざわざ文語調、旧かなづかいで書かれ、神秘性をかもしだそうとしている。
「スターリン批判以降、マルクス主義研究、衰退の一途をたどり来る。国家論、戦略論、はた哲学的唯物論にまで及びしスターリン主義の虚偽意識形態たるの自覚なかりしからに。恐るべし、こは、世界のなべての自称唯物論者のソビエト哲学による汚染を意味するに非ずや」
このように、わざと復古的(革命的の対極!)な、百年も前の言葉を使っている。現代人には意味不明である。このような文章は、左翼的な装いをとっても、閉鎖的、自己満足的な呪文にすぎないものである。これはまた、黒田の国粋主義、日本主義の開花でもある。
カクマル分子は、この文章を有り難く押し頂いて、朗読し、暗唱し、自分が他と区別された特別の集団であることを確認して優越感に浸るという驚くべき境地に達しているのだ。
今や、カクマル中央派は、党派としての政治的破産を完全に開き直った上で、黒田の出発点から今日までの歴史を反動的自己肯定的に美化し、黒田とその哲学なるものの教祖的神秘化と崇拝運動に全体としてのめり込んでいる。『解放』紙面は黒田の著書を賛美した作文で埋め尽くされている。それは現実の階級闘争の爆発の中で行き詰まり、政治的・組織的混迷を深めていることの別の表現でもある。このようなカクマルに未来はない。
われわれは、高らかにカクマルはもはや死んだ、と宣言し、カクマル完全打倒へ勇躍決起することを確認する。
第一に、革命的大衆行動において、圧倒的にカクマルを上回り、カクマルが登場できないまでにたたき伏せることである。イラク・北朝鮮反戦闘争の中で、カクマルは路線的破産を深め、アリバイ闘争をやる気力も失っている。全世界的な闘いの高揚の力でカクマルを追い詰め、放逐しよう。
第二に、武装自衛を強め、カクマルの白色襲撃を完全打倒の好機とすること、ファシストのナーバス作戦、謀略ビラなどの策動を粉砕することである。
第三に、カクマルに対する革命軍の戦略的攻撃体制を堅持して闘いぬく。とりわけ3・14復讐戦貫徹、黒田、松崎、土門の3・14反革命の3頭目は必ず打倒しなければならない。
第四に、特にJR総連カクマル・松崎を、今こそ打倒し、国鉄決戦勝利と結合してJR総連労働者を大量に獲得する闘いを、全力でかちとることである。
今春3大決戦勝利へ
今春、イラク侵略戦争の切迫と革命的情勢の急速な成熟の中で、われわれは3大決戦の勝利を絶対にかちとらなければならない。
@イラク反戦・北朝鮮侵略戦争阻止闘争の全人民的爆発をさらにあらゆる創意工夫をもって切り開き、その先頭に立って闘おう。とりわけ、最も許せない役割を果たしている日帝・小泉に対する闘いとして、「イラク参戦・有事立法阻止」を掲げて闘おう。この闘いを、有事立法粉砕、個人情報保護法案粉砕、教育基本法改悪粉砕の闘いと結びつけ、一体のものとして闘おう。
A国労5・27臨大闘争弾圧粉砕の闘いを軸に、日帝の一大資本攻勢を打ち破る春闘の爆発へ前進しよう。国労闘争弾圧との闘いをあらゆるところに持ち込み、国鉄決戦の勝利と結びつけ、春闘総行動の一大決起をつくりだそう。
B4月統一地方選勝利、とりわけ杉並の3候補勝利・3人会派の登場をかちとろう。この闘いの勝利なくしてこの春のどんな前進も勝利として総括できない。イラク反戦と介護・福祉を押し立てて、選挙闘争を闘いぬこう。
これらの闘いを一体的にやりぬき、勝利し、カクマルを完全打倒し、社・共に代わる闘う労働者党の建設の一大前進を切り開こう。
本多延嘉書記長
1934年2月6日、東京に生まれる。54年早稲田大学入学。『早稲田大学新聞』編集長。日共早大細胞を指導。56年ハンガリー革命の衝撃を受けスターリン主義の問題を根本的にとらえ返す。トロツキー教条主義との闘いをつうじて(革共同第1次、第2次分裂)、59年革共同全国委員会を創設。以降、革共同書記長。63年黒田一派の卑劣な分裂・逃亡と闘う。69年4月27日、4・28沖縄闘争を前に破防法40条で逮捕、2年間の獄中闘争。二重対峙・対カクマル戦争を最先頭で指導中の75年3月14日、反革命カクマルの卑劣な憎むべき襲撃を受け暗殺される。享年41歳。
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