2000.3.14声明 |
(最新見直し2008.2.1日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2008.2.1日 れんだいこ拝 |
【2000年3・14アピール(前進1948号) カクマル松崎の過疎支配の危機爆発させるJR総連を打倒せよ 戦争協力路線に労働者の怒りを 中津 次郎】 |
第1章 3・14反革命への復讐戦25年カクマル完全打倒の誓い 一九七五年三月十四日に、わが同盟の創設者であり、最高指導者であった本多延嘉書記長(当時)が、カクマル白色テロ部隊の卑劣極まるテロによって暗殺されて以来、二十五年目の「三・一四」を迎えた。この二十五年間、われわれは「三・一四反革命を見すえ、そそぎ、のりこえる」ために全党が心をひとつにして闘ってきた。そしてK=K連合(警察=カクマル連合)による革命党解体攻撃をはねのけ、今、カクマル完全打倒=JR総連打倒をはっきりと射程内にとらえる地点に立っている。そして、戦争と革命の時代、世界史的激動の時代に、日本階級闘争の戦闘的爆発を切り開きつつある。まさに本多書記長が最先頭で獅子吼(ししく)した階級的武装蜂起による日本革命の勝利の大道をまっしぐらに進撃しているのだ。 カクマル=JR総連は、戦争協力路線に大転向し、ますます労働者人民の敵としての正体をあらわにしている。昨九九年の闘いをとおして、「カクマル=JR総連=ファシスト」という事実は、圧倒的な人民の階級的認識となるに至った。このこと自体が決定的な勝利である。 すべての闘う労働者人民の皆さん! 革共同の同志の皆さん! ファシスト・カクマルの打倒なくして、労働者人民の未来はない。この二〇〇〇年、日帝の戦争と大失業の攻撃に真っ向から立ち向かうと同時に、それと一体の闘いとして、三・一四復讐戦貫徹=総反攻完遂、カクマル完全打倒のために決起しよう。二十五年間の対カクマル戦争の地平をがっちりとうち固め、警察と結託したファシスト集団の悪行に煮えたぎる怒りをもって総決起しよう! 第1節 「JR総連=カクマル」規定の重圧にあえぐカクマルはますます人民の闘いを破壊するためにデマとトリック、偽造と白色テロにのめり込んでいる。最近の動きをとりあげただけでも、▼新ガイドライン反対の「百万人署名運動」の名をかたって八回もニセ「通信」をデッチあげ、品性下劣なデマを書きなぐって運動の妨害と破壊を策動した、▼動労からNTTに送り込まれたカクマル分子が革共同や国労、その他労組・大衆団体の電話を盗聴し、情報をカクマル白色テロ機関に送っていた、▼カクマル分子が旅行社に侵入し、沖縄闘争に参加した人びとの名簿を盗み出していた――など、暴露される一つひとつが、すべて国家権力ではなく労働者人民を対象とした反階級的な行為なのである。カクマルは公安警察の手先だ。腹の底からの怒りを抑えることができない。絶対に打倒あるのみだ。こうした悪行に対する人民の怒りは、何よりもカクマルが過疎支配するJR総連・東労組を危機に追い込んでいる。それを示す重大事態が、今現に生起している。 二月七日、JR総連執行委員会名で「組織混乱を意図した一連の組織介入と不審事に対する見解」が出された。そこでは、カクマルがJR東労組東京地本の旗開きや、職場・社宅・組合事務所に押しかけたことを「労働組合活動に対する妨害」と非難し、さらにJR総連の会議を盗聴したことを「全くもって許しがたい行為」などと非難した。 また東労組機関紙『緑の風』二月十五日付は、二月九日に行われた東労組中央委員会の報道で、カクマルのビラ配布、「激励」と称した旗開きへの押しかけなどに「何人かの中央委員から疑問と危惧(きぐ)の意見、そして常軌を逸した行動に抗議の声があがりました」と報じ、「迷惑以外の何ものでもありません」「『支援』でなく組織破壊でさえある」「党の支配・介入は絶対許さない」と述べている。 これに対してカクマルは『解放』二月二十八日付で議長・植田琢磨署名で「『労組への介入』ではない!」とする反論を掲載した。そこでは「JR総連、とりわけ東労組の労働組合運動を破壊することを狙った謀略がらみの敵権力の攻撃」に対して、カクマルがそうした攻撃から「終始一貫して、鉄道労働者の戦闘的闘いを側面から援助する種々の闘いを組織し展開してきた」と述べた。それゆえ、東労組が言うことは「いわれのない非難攻撃」「JR東労組のダラ幹どもの的はずれの寝言」であるとも毒づいている。 事態は一層エスカレートし、カクマルはさらにこの声明を『解放』号外ビラにしてJR社宅などにばらまいた。また、これと合わせて、この間二度にわたって松崎明(JR東労組会長、カクマル副議長)の講演全文を再録した『主張』なるビラをまいた。こうしたJR総連とカクマルの、突然の醜悪な「やりあい」が示すものは、JR総連=カクマルにおいて決定的な危機が進行しているということである。もちろん、こうした「やり合い」それ自体は、見え透いた「自作自演」を動機としており、「JR総連=カクマル」の正体を押し隠そうとするものでしかない。お互いに対立しているかのごとき仮構をつくりだすことで、“JR総連・東労組とカクマルは無関係だ”というようにごまかそうとしているのである。なぜなら、そもそもJR総連執行委員のほぼ全員がカクマル分子であり、JR総連がカクマルによって牛耳られ、カクマルの延命のための道具となっていることは、周知の事実なのだから。 重大な点は、このような「自作自演」を行い、組合の公式機関や組合機関紙を使って「カクマル批判・非難」を出さざるをえないほど、カクマルの過疎支配の危機が決定的に深まっているということである。そして、この「自作自演」の茶番劇は、カクマル自身の浅はかな思惑を超えて、JR総連の危機・矛盾を一層激化させずにはおかないのである。JR総連=カクマルがこのような「危険な」芝居に出ざるをえなくなった重大な要因は、カクマルによる組合の白色過疎支配が決定的な危機を迎えているからである。 各地の地本・支部・分会で執行部と組合員の離反が進み、「役員だけの運動」「やれる人だけの運動」(東労組内部文書)になっている始末だ。不満や疑問を述べる組合員の続出に、あせったカクマルは職場や外で他労組と交流した組合員をつるし上げ、「組織破壊分子」「スパイ」呼ばわりし、見せしめ的な攻撃を加えてきたのである。そして「組織破壊分子の追及行動」「ブラブラ連合解体闘争署名」に組合員を強制的に動員し、「文句を言うやつは組織破壊者だ」と決めつけて動向を監視し、暴力支配・恐怖支配を強めてきたのである。 最近では、「平和共存打破」「組織内のウミを一滴残らず絞り出す」と称して締めつけを一層強め、「他労組とお茶を飲むな。会話するな」「連れだって飲みに行くな」「一緒にやっている職場の親睦(しんぼく)会も解散しろ」などという異常な指示が行われている。こうした中で、カクマルの過疎支配、白色テロ支配に対する組合員の怒りと反発と不信は日増しに増大し、このままでは過疎支配が崩壊してしまうことを恐れて、新たな反革命的策動にうって出たのである。 JR総連=カクマルが自作自演の「対立劇」にうって出ざるをえなくなったもうひとつの理由は、JR労資結託体制の危機である。カクマル・松崎は、日帝ブルジョアジーの一部にある「JR東日本の完全民営化のためには、カクマルを排除しろ」という批判をかわし、松田(社長)―松崎カクマル結託体制を維持し、カクマルの利権を守ることにすべてをかけている。そのために、“JR総連はカクマルと無関係である”との仮構をつくりだそうとしているのだ。 東資本=松田の側も今後、第二の分割・民営化と言うべき保守部門の大合理化=大量首切り、国労解体攻撃を強行するために、カクマル・松崎=JR総連のファシスト的反革命性を使いまくろうとしているのだ。そのための松田=松崎体制の維持・強化のためのカクマルの悪あがきが、今回の「対立」劇であり、『主張』なるビラでの「松田・松崎体制を敵の破壊攻撃から守れ」というキャンペーンなのである。だが、カクマルの浅はかな思惑に反して、「対立」劇はますます「JR総連=カクマル」の正体をさらけ出してしまった。松崎・カクマルの危機のりきり策が大失敗することは必至だ。JR東日本の労資結託体制粉砕へ総決起しよう。 第2節 ILO本部への圧力と春闘スト圧殺方針さらにカクマル=JR総連の危機と、一層のファシスト的転落を示す事態が次々と起こっている。一つは、JRの国労差別を強く非難したILO(国際労働機関)中間勧告にJR総連が打撃を受け、二月九日になんとジュネーブのILO本部にまで行って「首を切られた国労労働者を救済する勧告を出すな」という圧力をかけたことである。なりふり構わぬ反階級的暴挙は、JR総連が国鉄闘争の前進に追いつめられ、恐怖していることの証明である。今ひとつ重大なことは、カクマルが春闘方針からストライキ闘争を完全に追放したことだ。『解放』掲載の春闘論文、「連合批判」論文、春闘スローガン、そして二・一三カクマル春闘集会(基調報告も決意表明も)などのすべてから、完全にストライキ方針を抹殺したのだ。ストライキ方針を放棄することは、労働者が資本家と闘う武器を捨てるということである。つまり、日帝の賃下げ攻撃と一切闘わず、全面的に降伏するということである。松崎発言の「ストライキで解決できるほど世の中甘くない。ストよりワークシェアリングだ」(九五年水戸講演)を、カクマル自身の方針として確認したということである。カクマルは、JR総連―東労組の労資結託体制の危機の中で、カクマル自身が資本にとってけっして「危険な存在」ではないこと、松崎の「ストやらない、やらせない」発言はカクマルそのものの党的約束であることを必死でアピールしようとしているのだ。それどころか、スト絶滅、国労・動労千葉つぶしの先兵としての反革命的「存在価値」を日帝・資本にアピールしているのである。JR総連=カクマルをこうした危機にたたき込んだのは、カクマル打倒の闘いの全人民的な前進であり、また動労千葉・国労闘争団を先頭とする国鉄闘争の不屈の貫徹である。また、われわれが昨年のJR総連の軍事輸送協力宣言、「連合新政治方針への対案」問題など、カクマル=JR総連の大転向を連続的に暴露し全人民に宣伝し続けたことも、彼らをぐいぐいと追いつめてきたのである。ファシスト・カクマル=JR総連を孤立させ、その白色過疎支配を崩壊させ、完全打倒に突き進む絶好のチャンス到来である。今こそ労働者人民の大攻勢をたたきつけよう。 2章 白色テロと「謀略論」、盗聴と脅迫に依拠するファシスト 日本階級闘争史上かつてないファシスト反革命を打倒しきることは、真に偉大なことであり、日本帝国主義打倒=日本革命の勝利を半ばわが手に握りしめるに等しい。そもそもカクマルが右翼日和見主義者から公然たる白色テロ集団に転落した契機は、七〇年闘争に対する反革命としての七一年十二・四反革命であった。 六九年、七一年の「二つの十一月」決戦を頂点とする七〇年安保・沖縄闘争は、デモ参加者のべ二千万人以上、逮捕者三万七千人という日本階級闘争史上空前のスケールで闘い抜かれた。この決戦過程で、東大決戦(六九年一月)から敵前逃亡するなど一貫して日和見主義的に動揺し敵対していたカクマルは、七〇年闘争が大衆的・武装的に発展していったことに心底から恐怖し、七一年十一、十二月、革共同と革命勢力に対する連続的な白色テロに踏み切ったのである。 当時、革共同は十一月闘争への予防反革命として、二度目の破防法の適用を受け、十一月渋谷・日比谷暴動闘争で多くの同志が逮捕・投獄され、集会・デモ禁止などの集中砲火を浴びていた。その最中にカクマルは中核派への襲撃を開始し、十二月四日に関西大学学費値上げ阻止闘争のバリケードストを襲撃し、辻敏明同志、正田三郎同志を虐殺、十五日に三重大学で武藤一郎同志を虐殺し、さらに多くの指導的同志への襲撃を策動したのである。 カクマルが革共同を憎悪し襲撃した理由は、中核派が「日本階級闘争の表層(実は深層)をかく乱させた」(『解放』七二年一月五日付)からということだった。カクマルはこうして十二・四反革命が、日帝の階級支配を根底的危機にたたき込んだ七〇年決戦全体に対する反革命であることを自認したのである。 われわれはカクマルの急速な白色テロ化の前に一時的には確かに困難な立場を余儀なくされたが、そうであればあるほど、怒りと不退転の決意は一層強くなった。われわれは、この困難を「勝利に向かっての試練」として真正面から受け止め、革命党と労働者階級の隊伍を反革命の襲撃から守りぬくことこそ、七〇年闘争の切り開いた地平を発展させる闘いであることを確信し、二重対峙・対カクマル戦争へと突入していった。 そして七三年九・二一の報復戦突入をもって戦略的防御から対峙段階をかちとり、さらに総反攻へと転じていった。その闘いに追いつめられたカクマルは七五年三月十四日、実に卑劣な手段で本多書記長を暗殺するという、かつてない大反革命を凶行したのである。 この三・一四反革命こそ、革命党党首の暗殺を初めから意図した反革命であり、カクマルが白色テロを主要手段とするナチス型集団に転落したことを最後的に示すものであった。 党首の暗殺という大反革命に対して、われわれはすさまじい怒りとプロレタリア革命勝利への執念に燃え、全党一丸となって復讐戦争に突入していった。 そして、八〇年十・三〇戦闘を頂点とする画期的な勝利をかちとり、先制的内戦戦略のPT(第一)段階からPU段階へと前進していったのである。 一方、カクマルは、戦争的敗勢をごまかすために「権力の謀略」論デマ(中核派にやられているのではなく権力にやられているのだ、という大ウソ)を叫んで国家権力に泣きつき、K=K連合への依存を強めていった。さらに動労を「水本謀略デマ」運動で引き回し、国鉄分割・民営化攻撃の先兵へと転落していった。 二重対峙・対カクマル戦争のPT、PU段階の闘いの意義は計り知れないほど大きい。われわれは、一九二〇―三〇年代のファシスト反革命の白色テロに抗しえず、血の海に沈められた国際階級闘争の敗北の教訓から学んで、そののりこえをかけて対カクマル戦争を全力で闘ったのだ。 そうして、カクマルの革共同解体のもくろみを完全に粉砕し、党と階級の隊伍を守りぬき、逆にカクマル組織を着実に追いつめ、路線的・綱領的破産を拡大してきた。 カクマルとの死闘が党の革命的資質を鍛え上げ、それが同時に日帝のあらゆる転向強要攻撃をはね返す力となり、九一年五月テーゼ路線のもとでの本格的前進の時代をたぐり寄せたのである。二十一世紀の幕開けを目前に、カクマル=JR総連の決定的危機をつくりだしつつある今日、いよいよこの闘いの勝利性と正義性への確信をうち固め、ここ数年のうちにカクマル=JR総連を完全打倒しよう。 第1節 ファシスト石原の「銀行新税」に大賛成われわれは昨九九年、新ガイドライン闘争を軸に労働者人民の決起と結びつき、偉大な前進をかちとった。その対極でカクマルは、あらゆる面で危機を深めている。とりわけ、カクマルが過疎支配するJR総連では、すでに見たとおり重大な危機が進行している。国鉄労働者の「JR総連解体・労資結託体制打倒」の闘いと五月テーゼ下の対カクマル戦が結合して、確実にカクマルを追いつめているのだ。 沖縄でも決定的事態が進行している。沖縄カクマルの壊滅的事態をもたらした「山里問題」発生―山里殺害未遂事件以降、本土カクマルを投入して沖縄組織の再建をはかったもののうまくいかず、至るところで沖縄人民の怒りの的となり、孤立を深めている。二〇〇〇年沖縄決戦は、カクマル組織の最弱点である沖縄カクマル打倒・一掃に向かっての重大決戦に押し上げられた。 さらに、『解放』新年号は九九年の総括も二〇〇〇年の闘争方針も提起できないという惨状を示し、日本階級闘争からの脱走・逃亡を宣言した。また破産した「新東西冷戦論」をなんとか維持しようとする一方で、議長・植田は同じ新年号でそれを否定するという大動揺をさらけ出した。 カクマルはこれまで「世界の戦争の根源は、中ロの対米包囲網づくりにある」「中ロの脅威の前に帝国主義は団結し、帝国主義は侵略戦争も帝国主義間戦争もしなくなった」「帝国主義は民族=宗教戦争を解決しようとしている」と言い続けてきたのである。ところが、米帝・NATOのユーゴスラビア侵略戦争のすさまじい戦争性・破壊性、これに対する中国・ロシアの無力、帝国主義間争闘戦が旧スターリン主義圏をめぐるむき出しの軍事的再分割戦に突入した現実に直面して、カクマルの「中ロ脅威論」「新東西冷戦論」は、植田を先頭にしてグラグラになっているのである。 この破産の中でカクマルは、反米愛国主義と、中国に対する民族排外主義を声高に叫んでいる。「中華帝国を分裂させよ」(『諸君!』三月号)と叫ぶファシスト都知事・石原慎太郎にイデオロギー的にすっかり共鳴している。 JR東労組=カクマルは、機関紙『緑の風』二月十五日付で、「(外形標準課税の)石原構想にもろ手を上げて賛成するのは当然だ」「石原都知事の既成の『秩序』を破壊する決断力・実行力は評価されてよい」と、驚くべき石原賛美発言を行った。自自公政治や銀行に対する人民の怒りを利用して、大型開発と首都治安強化と、日帝の大増税に道を開く石原の外形標準課税導入に「もろ手を上げて賛成」とは! 福祉大幅切り捨て、都職員の賃下げ・リストラを強行し、陸海空三自衛隊投入の首都クーデター訓練を狙っている石原の「決断力・実行力を評価」するとは! カクマルは、ファシスト石原の手先だ。 昨年は日帝権力が、K=K連合に甘えきったカクマルの非公然活動の弱点を突いて、コントロールのための圧力を強めた。日帝は、カクマルが民間反革命としての一定の独自運動をもって階級支配を反革命の側から動揺させることに危機感を強め、K=K連合再編の圧力を強めたのである。これに対してカクマルは、JR総連の戦争協力宣言と、大衆闘争破壊策動の強化をもって権力への屈服、忠誠を誓ったのである。 それを実際に権力に示して見せたのが、昨年の後半過程のカクマルの悪行である。革共同からの反党脱落分子・白井朗の名をかたったニセ「白井パンフ」を全国の大衆団体・労組・議員・弁護士・宗教者などに送りつけ、さらに大衆団体の名を僭称(せんしょう)してニセモノのニュースやデマビラの発行、ニセ電話・脅迫電話など、卑劣な手段で大衆闘争の破壊にのめり込んだ。 だが、こうした暴挙は、あらゆる戦線で労働者人民の怒りに火をつけ、反ファシスト解放戦争の陣形を大きく前進させるものとなった。ニセ「白井パンフ」の策謀は本紙上での暴露、書店の毅然たる廃棄処分によってあとかたもなく粉砕された。ニセ「白井パンフ」・脅迫ビラをもって組合事務所を訪れたカクマル分子は労働者につまみ出され、ほうほうの体で逃げ帰った。部落解放同盟全国連合会は、カクマルの組織破壊策動に怒りの弾劾声明を発した。都労連集会の現場では、学生カクマルの暴力に労働者の怒りの鉄拳が浴びせられた。カクマルは墓穴を掘ったのだ。 第2節 「神戸謀略論」デマの破産を総括してみよさらに「神戸謀略論」デマ運動を最後的に破産させたことは、特筆すべき決定的勝利である。「神戸の小学生殺傷事件はアメリカCIAの犯行」「アメリカ帝国主義の日本保護国化のための対日工作」などというデマ宣伝は、われわれの闘いによって完ぷなきまでに粉砕されたのである。そして、カクマル=JR総連の一連の「権力の謀略論」「鉄道謀略論」も、すべてこのたぐいのカクマルのウソだということをさらけ出すものとなり、「デマのカクマル」「盗聴のカクマル」という階級的認識が急速に広がっていったのである。カクマルの受けた打撃は甚大であり、この「神戸謀略論」デマ運動を『解放』新年号で総括も提起できない惨たんたる状況を示している。九八年の『解放』新年号で「ハンガリー革命に匹敵する闘い」などと大仰に位置づけ、組織を挙げて取り組んだ課題について、何の総括も示さないで撤退することなど、政治組織として無責任の極みである。 今年の『解放』新年号では植田が、黒田の言葉を引いて「われわれが展開する種々の実践はつねに必ず成功するとはかぎらない。失敗や過誤をおかしながらも……」などと言っている。つまり、「今回は失敗したが、次はもう少しうまくやる」ということであり、カクマルは内部から起こる動揺を抑えつけることに必死なのである。 今やカクマル=JR総連は、またぞろ「新たな鉄道謀略が始まった」「JR爆弾事件やATOS(東京圏輸送管理システム)の故障も謀略」「トンネル壁崩落も権力の謀略(!)」などと何の論証もなく「謀略」デマを流している。だが、今やJR総連の内部でもこんなデマを本気で信じるものは誰一人いない。「謀略論」デマを言えば言うほど危機は深まるが、それでもカクマル=JR総連はそこから逃れられず、アリ地獄にはまりこんでいるのだ。 「神戸謀略論」デマ運動では、カクマルはA少年の家族の住居に侵入して壁の中に盗聴器をしかけて盗聴し、鑑定医の病院に侵入して供述調書を盗み出し、その調書を文芸春秋社などに送って公表させた。このようにカクマルは、「A少年を冤罪から救う」などといいながら家族や弁護士に近づき、自分たちの「謀略論」宣伝という党派利害のためにA少年や家族、被害者の人権をもてあそび、踏みつけにしたのだ。このファシスト的悪行を徹底的に断罪しなければならない。 第3節 「階級がふやけているから闘えない」と松崎カクマルが、労働者人民をどんなデマとペテンでだましても構わないと考えていることは、黒田=カクマルの根っからの労働者蔑視(べっし)によるのである。黒田、朝倉、松崎は言う。 「現実の大衆は、しかし、その感覚や精神さえもが疎外され、……闘争にたちあがろうとする気力をさえ喪失し、こうして全体として現存支配秩序にあみこまれているのだ。いわゆる大衆社会的状況におかれた砂のごとき大衆が、それである」(黒田『日本の反スターリン主義運動2』) 「先進資本主義国の労働者・勤労人民は……帝国主義的腐朽の中に完全に編み込まれてしまっている」「五無的人間(無感動・無気力・無関心・無責任・無作法)になっている」(朝倉、九六年十・一三集会) 「階級全体がふやけているから突出できない」(松崎『寺子屋賃金ばなし』―自分たちの裏切りを労働者階級のせいにして開き直っている。このファシスト性!) このような、マルクス主義とはまったく無縁な、労働者階級に対する蔑視と、労働者自己解放の思想に対する敵対が、黒田=カクマルの一切の出発点なのである。 革命党は、権力・資本との闘いの先頭に立ち、その闘いをとおして労働者階級が本来もっている階級的自己解放性の全面的な解放と組織化のために闘うのであるが、ファシスト・カクマルはまったく逆である。労働者を「砂のごとき大衆」「五無的人間」でしかないとして、カクマルの党派的利益のために踏み台にし、だまし、脅し、襲いかかるのだ。「権力の謀略」デマを流し、“労働者は無力であり、強大な権力と闘っても到底勝てない”などという、まったく腐りきった屈服の思想を振りまくのだ。すべては「世界に冠たるカクマル派の建設」のためであり、そのためには一切が許されるというわけだ。 これはヒトラーのファシスト思想と完全に同根なのである。ヒトラーは、「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める」「巨大なウソをつくりあげてみることなど、彼らの思いも及ばないことだろうし、下劣なまでに真実をゆがめうる厚かましい人間もいることなど、彼らにはとても信じられないのである」(『わが闘争』)などとうそぶいた。こうしてデマとデッチあげと白色テロを駆使してファシスト運動を展開した。 カクマルはこのナチス・ヒトラーをまねて平気でうそを言う。しかも「大がかりなほど本当らしく見える」とばかりに系統的・組織的にデマ運動を展開するのである。 ファシストというものは、デマ、デッチあげ、トリックに浸りきっているうちに、「理論」的一貫性も捨て去って無理論化し(もともと大衆蔑視があるから階級的真実を重視しない)、ますます卑劣なだましと白色テロに依拠するしかなくなるのである。 そして、帝国主義のあらゆる腐敗したイデオロギー、差別主義、民族排外主義をあおり、そうしたものを白色テロの脅威で人民に強制しようとする。ウソとだましと脅しと白色テロ――これこそがファシストに共通の行動様式なのだ。今や、カクマルは激しい路線的・組織的危機の進行の中でますますそうした真正ファシストへと純化しつつある。 3章 安保・自衛隊・改憲を容認し「分割・民営化」以来の大転向 昨年五月の新安保ガイドライン法(周辺事態法)の成立を機に、JR総連は「戦時下の労働運動」論を打ち出して軍事輸送に協力することを宣言した。八月には「連合政治方針見直しに対する対案」を提出し、日帝の行う侵略戦争への全面協力を誓った。これは決定的に重大なことである。 事実経過は以下のとおりである。 JR総連は、新ガイドライン法成立直後に開いた定期大会(六月六、七日)で柴田委員長が「戦時下の労働運動という時代認識」を打ち出した。その意味するところを柴田は、「新労働通信」六月十六日付ではっきりと述べた。すなわち「新ガイドライン関連法により、JRは『周辺事態』に際して武器・弾薬や兵員の輸送を担わされることとなった」「自衛隊との密接な連携と協力が義務づけられているJRは、軍事輸送・戦争加担を拒否できない」という軍事輸送協力宣言である。 また、JR東労組は機関紙『緑の風』六月十五日付で「『戦時下』とは労働運動は存在させられない状態を言う」と規定した。さらに定期大会(六月二十二〜二十四日)で、嶋田書記長は「まさしく戦前、戦時下そのものであり、労働組合が存在しえない、暗黒の時代という現実がある。われわれは孤立に孤立を重ねている。そのような現実に、われわれは背筋が凍る恐怖心をもたなければならない」と、徹底的な敗北感、恐怖感をあおり立てた。 「もう戦時下」という規定もデタラメだが、「戦時下では一切闘えない」というのも、度し難い屈服である。周辺事態法は強行成立させられても、日帝の戦争体制づくりはまだきわめて不十分なままである。それを阻む労働者人民の闘いが全国に根強く存在しており、社・共、連合が屈服しても労働者階級の戦闘力はけっして解体されていないからである。 ところが、いち早くJR総連は「法律ができてしまったから、もうおしまいだ」と、新ガイドライン体制を受け入れ、軍事輸送を拒否しないことを組合方針として打ち出したのだ。 第1節 連合への「対案」問題で批判に反論できずさらに決定的なことは、JR総連が八月中旬に連合中央に提出した「連合政治方針見直しに対する対案」である。そこでJR総連は改憲・安保・自衛隊・海外派兵を公然と承認し、転向路線を大きく進めたのである。これは国鉄分割・民営化への全面協力以来の重大な裏切りである。JR総連の「対案」は、新ガイドライン体制に対応した連合の大転向、産業報国会化に、ファシスト労働運動として積極的にゴーサインを与えたものである。連合新政治方針の承認、推進という自己の反革命的本質を少しでもごまかそうとして、こそくにも「対案」なるものを提出したのだ。 それは、およそ対案という代物ではなかった。新政治方針の補強案、積極的推進案と言うべきものだった。帝国主義国家の「自衛権(すなわち侵略戦争の権利)」を「独立国家の固有の権利」として承認し、自衛隊と日米安保を容認した。さらに「国連決議によらない軍事行動に反対」すなわち、国連決議さえあれば軍事行動(帝国主義の侵略戦争、自衛隊の海外派兵)に賛成する立場を打ち出したのだ。これは連合の新政治方針ですら直接言及していない点であり、JR総連はこれを突出的に承認したのだ。 さらに憲法改正問題について、連合の「時期尚早」に対して「不適当」を対案とした。こんなものはまったく対案ではない。改憲そのものを何一つ拒否していないし、隠れ改憲でしかない連合の「憲法論議」に賛成したのだから。JR総連は今や改憲派そのものである。 これはJR総連のデッチあげ団体である「九条連(憲法九条―世界へ未来へ連絡会)」なるものが、改憲阻止の運動などではまったくなく、実はペテン的に人をだまして、改憲と日帝のアジア侵略戦争を翼賛するものであることを同時に示すものだ。 日帝が朝鮮・中国―アジア侵略戦争突入を本気で決断し、そのための準備過程に入ったことを見てとって、カクマル=JR総連は、松崎言うところの「先見性」「洞察力」を発揮していち早く屈服し、日帝権力に忠誠を誓ったのである。松崎の「三年先、十年先を見る先見性」「洞察力」とは、国鉄分割・民営化攻撃への大裏切りがそうであったように、敵階級の攻撃の方向を見てとり、真っ先にその攻撃に屈服し、「抵抗しても到底勝てない」と、労働者が闘うことの無益さを説教し、攻撃の先兵となることである。それは、労働者階級の利益を守りぬこうとして闘う勢力・労組への妨害、白色テロと一体のものである。 JR総連の積極的な尻押しがあったからこそ、連合は祖国防衛主義への大転向に踏み切ることができたのだ。 そしてこのJR総連の「対案」を、カクマルは『解放』九月十三日付で全面的に称揚したのである。これはカクマル自身がJR総連の大転向を正式に承認したことにほかならない。つまり、カクマル自身が、帝国主義の「自衛権」=侵略戦争権を承認し、自衛隊と日米安保を承認し、国連の名による軍事行動=侵略戦争に賛成し、ガイドラインに賛成し、改憲に賛成する立場に決定的に移行したということである。 これはカクマルの歴史においても決定的な踏み切りである。カクマルは帝国主義が本格的に危機と戦争を爆発させ始めた中で、ペテン的にせよ「反対」のポーズをとることが日帝との激突に発展することを恐れたのである。また、この間の日帝権力との一定のあつれきの中で、連合の大転向の最先頭に立つことで、党派としてのカクマルとJR総連の存在を容認してもらおうとしているのである。 われわれは本紙新年号の一・一政治局アピール第四章、第八章で、このカクマル=JR総連の大転向を全面的に批判した。ところが、カクマルは今日に至るも、これにまったく反論できない。『解放』二月七日付で政治局アピールへの弱々しいケチつけを試みたが、ここでも四章、八章には一切沈黙したままである。一言もふれられないのだ。ここまで大転向すれば、ペテン的な「反戦・反安保闘争」も成り立たなくなるし、これはこれで、カクマルならびにJR総連の危機の促進要因になってしまったのだ。 カクマルよ、お前たちはJR総連が自衛隊や日米安保、沖縄基地を容認しても、それでも支持し、称賛されるべきだと機関紙で明言したのだ。これに対するわれわれの批判に真正面からこたえてみよ。 第2節 「暗黒の時代」論叫び労働者の闘いを圧殺戦争と大失業攻撃の激しい展開は、労働者にとって、カクマル=JR総連が言うような「労働組合が存在しえない暗黒の時代」「背筋が凍る冬の時代」の到来を意味するものではけっしてない。こんな奴隷的な屈服の思想を粉々に吹き飛ばさなければならない。帝国主義の危機が激化し、争闘戦が戦争に向かって突き進む過程は、労働者階級への階級的抑圧、搾取、収奪、失業、生活破壊が激烈に進行する過程である。だがこうした現実は、資本家階級と労働者階級の非和解的・絶対的対立関係をさらけ出し、労働者階級の階級的総決起を促すのである。労働者階級は団結して闘うことの大切さを知り、荒々しいストライキ、大衆的実力闘争に決起する中で自らがもっている階級的力の大きさに気づき、帝国主義打倒=プロレタリア世界革命の達成に向かって立ち上がっていくのである。戦争と恐慌、大失業の時代とは、プロレタリアートの総決起の時代なのである。 現に労働者階級の決起は、全世界の至るところで始まっているのだ。カクマルのように帝国主義国の労働者階級が腐ってしまってどうしようもない、ごみだ、ほこりだなどというのは、帝国主義の腐敗したイデオロギーそのものである。 プロレタリアートの全世界的な革命的総反乱の予兆に脅えて、「背筋が凍りつく恐怖」を感じているのは帝国主義ブルジョアジーであり、その先兵カクマルなのだ。 4章 「会社のために骨身を削れ」「国労の首切れ」と叫ぶ松崎 カクマル=JR総連は、資本攻勢との闘いでも、資本家階級の攻撃とそれに追随する連合の路線に対応し、そのファシスト突撃隊の役割を果たしている。 ここで怒りをもって断罪しなければならないものは、昨年十月二日のJR東日本横浜支社三周年記念集会での松崎講演である。松崎はここで、ストライキ絶滅、ワークシェアリング・賃下げ、国労解体などのファシスト労働運動の綱領的路線をあらためて宣言したのである。 集会では運輸事務次官として国鉄分割・民営化を強行しその「功績」でJR東日本の初代社長となった住田(現最高顧問)がまず講演した。住田は、「日本と中国とインドが一体となって、アメリカとかヨーロッパと対抗する」などというアジア侵略と帝国主義戦争の思想を、二十一世紀の日本の生き残り戦略として提唱した。このような住田を、松崎は「そういう方を会社のトップにいただいてきたことは、この上ない幸せなこと」と最大限に持ち上げた上で、断じて許すことのできない発言を行った。 「JR東日本の基礎を労使の信頼関係におくことは絶対的基礎だ」 「私は命がけで国鉄改革をやってきた。十何年間ストライキもやらなかった。これからもやらない」 「この会社を本当によくするためには、場合によったらワークシェアリングを考えなければ駄目である」 「二十一世紀に蘇生したJRを発展させていくには、労使の信頼関係の上に立って、我慢しなければならないものは我慢する」 「日本経済が厳しい条件を迫られるときに、労使が骨身を削るときがあってもいい。労働組合がわがまま勝手な要求をすればいいというものではない」 いったいこの発言のどこに労働者の階級的立場があるのか。松崎は「労使の信頼関係」をことさらに強調して、ファシスト的な「労使協力体制(ニアリーイコール論)」の強化を叫び立てている。そして労働者に向かって「会社が厳しくなるから賃上げ要求するな。ストライキは絶対にやらせない。骨身を削って働け」と号令をかけている。また、会社に向かって「会社の利潤を上げるためにワークシェアリングで賃下げをやれ」と迫っているのだ。 松崎はさらに、「国労を支えている人が職場にいても仕事をやればいいということになるのか。国鉄をダメにした大きなひとつの責任は労働組合にある」と言って、資本に対して「国労解体」「国労の首を切れ」と迫っているのだ。完全に労務担当の重役気取りである。 十・二松崎講演は、断じて許すことのできないファシスト労働運動の宣言である。 第1節 JR総連こそ連合の産報運動路線の先兵カクマルが『解放』紙上で行う「連合批判」なるものがいかにインチキな代物かは、この松崎講演がすべてを物語っている。どんなに「連合の救国産報化」を批判するポーズをとろうが、JR総連・松崎の進めるファシスト労働運動こそが、カクマルの真実の姿なのだ。「『連合』の解体再構築をかちとれ」というカクマルのスローガンの真意は、カクマル=JR総連が先兵となって連合全体をファシスト労働運動の方向に引っぱっていくという以外の何ものでもない。そのファシスト的突出性をもって、連合内での有利なポジションを確保しようとしているのである。 それは、事実を追えば明白だ。松崎カクマルが実践してきた「ニアリーイコール(労使対等)」「労使協力体制」などのイデオロギーが、連合の帝国主義的労働運動の「産業報国会」的展開のてことしてフルに利用されているのである。また、賃下げしか意味しない「ワークシェアリング」は、松崎が連合よりもずっと早くから、資本家に屈服し迎合して提唱してきたものである。 具体的に見ていこう。 カクマルは、連合の「ステークホルダー(利害関係者)」論を批判して、「このようなものとして『経営参加』が追求されるならば、労働組合は完全に企業組織体のうちに編みこまれ、……労働組合にとっては自らの死を意味するものでしかない」(『解放』新年号)などと批判している。 あまりにも恥知らずというものだ。労働組合の立場も投げ捨てたズブズブの「経営参加」運動は、「ニアリーイコール」論のもとに松崎・JR総連が十年も前から行ってきたことそのものである。十・二横浜講演でも、松崎は「JR東日本がさらに世界第一の企業として大きく発展するために、言いたいことは言わしてもらう」と発言しているのだ。こうしたことにほおかむりして、どうして連合を批判できるのか! これでは、労働者の権利、労働条件はどんどん奪われていく以外にない。松崎はこれを「労働運動は現状(資本主義)を是認する運動だ」と開き直って、実践してきたのだ。 松崎は、これをペテン的に「安全と健康を担保しながら進める」のだと言ってきたが、そんなことは成り立たないのである。利潤追求のための労資結託体制は、不可避的に合理化によって労働者の安全と健康を破壊し、命すらも奪ってきた。大月駅列車衝突事故や山手貨物線での五人の下請け労働者の死亡事故など、取り返しのつかない重大事故が続発してきたではないか。 松崎やJR総連の幹部どもが資本家との癒着体制から甘い汁を吸っているときに、職場では多くのJR労働者、下請け労働者が搾取され、命すらも脅かされてきたのだ。松崎はそれでも満足せず、「JR東を世界一の会社にするために、もっと骨身を削れ」と号令をかけているのだ。なんという奴らだ! もはや、完全に明らかだ。それを松崎のように「ニアリーイコール」と呼ぼうが、連合のように「ステークホルダー」と呼ぼうが、大した違いではない。労働者階級への裏切りという点で同じである。重大なことは、労働組合が資本と一体化して利潤追求に突き進み、労働者を犠牲にする体制づくりを、カクマル=JR総連は連合が言い始めるよりもずっと早く提唱し強行してきたということである。まさに、カクマル=JR総連こそ、連合の産報化のファシスト的先兵なのだ。 第2節 JR労資結託体制の危機は日帝の破綻点カクマル=JR総連は、完全にハメをはずして「毒をくらわば皿まで」とばかりに日帝・資本の先兵化の道を突き進んでいる。国鉄分割・民営化の先兵となったカクマル=JR総連は、とことんまで労働者階級を裏切り、日帝・資本のファシスト的突撃隊となるしか生き延びられないのだ。だが、こんなものが労働運動として、いつまでも押し通せると思ったら大間違いである。ここまで階級性を失ってしまったものが、労働運動として、労働組合として、成り立つはずがない。労働者の不満を、脅しと暴力で抑えつけようとも、そうすればするほど危機は拡大し、やがて必ず爆発することは間違いない。すでにその危機は、JR東労組・JR総連の内部で、深く広く進みつつあるのだ。 われわれは、カクマル=JR総連の果たすファシスト突撃隊的役割をいささかも過小評価することなく確認すると同時に、しかしこの過程が彼らの一層の危機をもたらすものであることをはっきりと見据えて闘おう。 また、これは敵階級の危機そのものであり、連合の労働者支配の危機そのものである。このようなファシスト的運動を生みだし、それに依拠しなければならないまでに、彼らの体制的危機は深まったということである。JR総連=カクマルとJR東資本の労資結託体制は、帝国主義体制の最も危機的な裂け目、最弱の環なのだ。まさにカクマル・JR総連打倒、ファシスト労働運動打倒、連合打倒、そして日本帝国主義打倒の条件が圧倒的に成熟しつつあるということなのだ。 5章 「中国の脅威」論の排外主義宣伝で日帝の侵略戦争擁護 カクマルは「ヤンキー帝国主義による日本乗っ取りの策動」などと反米民族主義的に反発し、帝国主義間争闘戦の一方の当事者である日帝免罪・擁護論を展開している。昨秋のWTO(世界貿易機関)閣僚会議での米帝の「傲慢で身勝手なふるまい」「真夜中の非礼な電話」への怒りを小渕と共有し、さらに「日帝は米欧から“自立”した“アジア共同体”をつくりだすことを目論んでいる」(『解放』一月一日付)などと、日帝の対米対抗的なアジア侵略戦争・勢力圏化の策動を完全に免罪し擁護しているのである。 さらにカクマルは、「中国脅威論」「中国がロシアと同盟を結んで世界に対米包囲網をつくろうとしていることが世界危機の根源だ」という反中国の排外主義宣伝を行って、帝国主義の侵略イデオロギーに唱和している。カクマルの宣伝は、中国・朝鮮侵略戦争の狙いをあからさまにした米国防報告の中身と基本的に同じである。 反共主義と一体化したカクマルの「中国脅威論」は、彼らのスターリン主義論の反革命性とその大破産に規定されている。 彼らはスターリン主義を〈世界革命を放棄し一国社会主義を自己目的化した国際共産主義運動の疎外態〉と規定することができず、その有限性、危機性を見据えることができず、それ自身が一個の歴史段階を画する社会経済構成体のようなものと考え、反共主義的に「ソ連の対外膨張、世界制覇の野望」などと叫んできた。 そのソ連が九一年に崩壊して、カクマルは大混乱してしまった。ここでカクマルのスターリン主義論は完全に破産したのだ。カクマルは大混乱に陥り、まったく情勢分析ができなくなった。そして、帝国主義の侵略戦争が本格化し、争闘戦が激化するに及んで、今度はご都合主義的に「中国の脅威」をゴジラ化し、「中国の対米包囲網づくり」を叫び立てるに至った。 つまりカクマルは、その都度、帝国主義にとっての脅威なるものをあれこれとデッチあげることで、帝国主義の軍事、侵略戦争を常に弁護し続けてきたのだ。 さらにカクマルの帝国主義の先兵化を示すものは、「ナショナリズムの相互衝突」論である。アングロサクソンとスラブ民族の対立、キリスト教とイスラムの対立、各国のナショナリズム・国家エゴイズムの衝突などと、すべて平板な「ナショナリズムの相互衝突」「民族=宗教戦争」論で片づけてしまうのだ。 これもまた、帝国主義イデオローグが言うところの「東西冷戦構造の終結で大きな戦争の危機はなくなった。今や地域紛争、宗教=民族対立が多発しており、世界の平和維持、新世界秩序の創造、そのための日本の国際貢献が課題となっている」という主張と同根のものである。連合の新政治方針の情勢分析もこの帝国主義イデオロギーである。 こうした議論の核心的な誤りは、帝国主義の基本矛盾が爆発し、ソ連崩壊以降、帝国主義対帝国主義の対峙・対決構造が世界史の展開基軸となったことを絶対に認めようとしないことである。帝国主義の新植民地主義支配体制の危機と崩壊の進行、国際帝国主義の市場・勢力圏の再分割戦の激化(そのためのさまざまな干渉、民族的対立のたきつけなど)、とりわけユーゴ、旧ソ連圏などの旧スターリン主義圏、中国・北朝鮮などの残存スターリン主義圏が帝国主義の市場・勢力圏再分割戦の焦点となっていることをまったく欠落させている。この現代帝国主義論とは無関係に「宗教=民族戦争の多発」があり、「世界秩序を乱すもの」に対して米日欧が「新国際秩序の創造」のために介入している、と合理化してしまうのである。米国家安全保障会議のスタッフであったハンチントンの「文明の衝突」論などと同根の、帝国主義の侵略戦争擁護論でしかない。 カクマルは、危機管理だとか地域紛争抑止力などという防衛庁・自衛隊が使う用語に、ただ「」(カッコ)をつけるだけで自分たちの情勢分析に使っている。日帝は危機=戦争の原因ではなく、外から来る危機(周辺事態)に対処するだけだとされるのである。自衛隊の強化も「地域紛争の抑止のため」、つまり戦争をするためではなく戦争を抑止するためだと合理化されてしまうのだ。 だからカクマルには、新ガイドラインに反対する理由など、初めから何もないのだ。「ガイドラインの問題は単なる出遅れの問題ではなく、むしろやらない方で考えていた」(昨年六月のJR総連大会での本部答弁)とは、カクマルの反革命的な本音なのである。 JR総連が「連合対案」において、帝国主義による「新しい世界秩序の形成」とそのための「国連決議による軍事行動」を容認し、自衛隊と日米安保を承認するに至ったのも、このカクマルの日帝擁護論からして必然なのである。 また、帝国主義の経済分析でも、帝国主義世界経済の戦後発展の完全な行きづまりと帝国主義間争闘戦が相互に促進しあいながら危機と矛盾を激化させていることを分析の基底に据えることがまったくできない。たとえば米経済の九〇年代の長期成長なるものが、過剰資本・過剰生産力の重圧と帝国主義間争闘戦のもとで生じているバブル経済的浮揚以外の何ものでもないことがとらえられず、“リストラや企業再編や情報通信産業の発展による「アメリカ経済の復活」である、バブルではない”と美化してしまうのである。 この間、米帝が経済安保戦略に基づき、弱肉強食の帝国主義的通商戦争(本質的に帝国主義戦争の論理構造をもったもの)を展開し、日帝の弱体化政策を追求し、資本と商品の市場分割=再分割戦を遂行してきたことが、米経済の九〇年代の経済成長を大きく規定していることがすっぽり抜け落ちてしまうのである。 カクマルは、米帝のバブル経済がいよいよ破局に向かって突き進んでおり、それがドル体制の大崩壊、世界大恐慌爆発の引き金となり、世界経済の分裂化・ブロック化、帝国主義間争闘戦の激化、帝国主義の侵略戦争、世界戦争の爆発へ突き進んでいくことを見据えることができず、これとの対決から完全に逃亡し、屈服し、その先兵となっているのだ。 第1節 「戦後成長」に屈服し容帝反共主義に転落このようなカクマル=JR総連の「日帝の侵略戦争支持」への大転向は、黒田によるレーニン帝国主義論の全面的否定、容帝反共主義的転落が行きついた末路である。そもそも黒田は次のように言ってきたのだ。いわく「帝国主義は相互に戦争すればソ連が革命の輸出をして世界革命になってしまうから、お互いに協調しあって戦争はしない」。また「新植民地主義体制がつくりだされ、多国籍企業という形態を通じて後発諸国に対する経済的支配が可能になった」から侵略戦争は必要なくなった、と(『現代世界の動き―その捉え方』など)。 要するに〈現代帝国主義はレーニン時代の帝国主義とは一変した、帝国主義間戦争も侵略戦争もやらないハイカラ帝国主義だ〉〈帝国主義はその基本矛盾の爆発から解放された、恐慌も戦争もなしに過剰資本の問題も自力で処理できるようになった〉〈帝国主義には内在的な矛盾はない〉〈危機は外側(=スターリン主義の世界制覇の野望)にあるのだから、外の危機さえ防げば、帝国主義は永遠だ〉ということなのである。 だから、第二次大戦後の朝鮮戦争も、ベトナム侵略戦争も、イラク・中東侵略戦争も、ユーゴ空爆―コソボ軍事占領も、すべて「スターリン主義の世界制覇の野望に対する帝国主義の防衛戦争」として合理化してきたのである。 まったく、とことんまで帝国主義の戦後発展に屈服し、帝国主義万能論のとりこになっているのだ。 だが、黒田が言うように「サミットで帝国主義は『協調と協力』の関係を維持している」と言うのならば、なぜ今カクマルも「経済的には」と限定しながら「日米争闘戦の非和解的激化」に言及せざるをえないのか。それこそ帝国主義の基本矛盾が、帝国主義の一時的な同盟・協調関係をもとおして展開し、ついには爆発していく世界史的過程に入ったということそのものではないか。カクマルの主張は完全に破産しているのである。 カクマルは、日本の労働者階級が、日帝が行った残虐極まる侵略戦争と植民地支配に対して歴史的階級的自己批判を行うこと、そしてその実践的貫徹として「連帯し侵略を内乱へ」の闘いを貫き、アジア人民・在日アジア人民との連帯闘争を進めること――この闘いに対して、「被抑圧民族迎合主義」などとののしって敵対してきた。プロレタリアートをもとらえている民族排外主義との闘いが、帝国主義国の労働者階級の階級的自己形成、階級闘争への立ち上がりにとって死活的であることを一貫して否定してきたのだ。こんなカクマルだからこそ、帝国主義イデオロギーに対する階級的批判の立場を喪失し、今や帝国主義的排外主義を満展開させ、侵略戦争の先兵となっているのである。 新たな対カクマル戦へ JR総連=カクマルをめぐる決戦の成熟は、まさに三十年に及ぶ対カクマル戦争の一切をかけた〈天王山の闘い〉が到来したということである。かつてないカクマルとJR総連の危機が進行しているのだ。党と人民の総力を結集してカクマル=JR総連完全打倒へ攻め上ろう。 カクマルはけっして労働者人民と結合できない。彼らが依拠するものは危機を深める帝国主義ブルジョアジーであり、K=K連合であり、白色テロだからである。われわれが大衆闘争における武装自衛の体制と闘いを強化し、ファシスト・カクマルへの全人民的怒りを組織していくなら、必ず勝利できる。カクマルを全人民の力で打倒する闘いは、現代革命勝利への突撃路を開く決定的闘いである。 そのために必要なことは何でもやりぬこう。三・一四反革命に直面した時のあの怒り、対カクマル戦争の中で、かけがえのない同志たちを虐殺されたときのあの怒りを再び胸にたぎらせて、新たな対カクマル戦争に決起しよう。 五月テーゼ―一九全総路線のもとでの新たな対カクマル戦争方針こそ、絶対に勝利できる方針だ。@戦闘的大衆闘争を戦争的意義をもつものとして強力に発展させ、Aカクマルの綱領的・路線的な反労働者性を暴露するイデオロギー闘争を猛然と強め、そのファシスト性を全面的に暴露し、B大衆闘争の革命的武装自衛の闘いを強め、C党の対カクマル戦争体制の全面的強化をかちとろう。 衆院選決戦で長谷川英憲氏の当選を絶対にかちとろう。権力と連合したカクマルの妨害、襲撃策動を粉砕し、革命的鉄槌を下そう。 黒田、松崎、土門ら反革命頭目どもを革命的に処刑し、三・一四復讐戦貫徹・カクマル完全打倒をかちとるために猛然と決起しよう。 |
(私論.私見)