引用転載記

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元、栄和3)年.2.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「引用転載記」をものしておく。

 2009.10.21日 れんだいこ拝


【「学生運動後の時代における自我同一性について」考】
 2010年付けの西本康宏「学生運動後の時代における自我同一性について-作家大崎善生(よしお)を巡る考察-」原文が、印刷はできるがコピー転載できない設定になっているので、その箇所を転載できない。よって、言葉で記すことにする。

 同書26pの「結果」の項目で、「学生運動の始まりは、れんだいこによれば、戦後直後の、『大学の自治』を尊重する流れの中から始まる」云々の書きだしで、れんだいこが識別した学生運動論の時期区分を踏襲して第一期から第十期までを叙述している。何気ないことのようであるが、れんだいこ識別学生運動時期区分がとても重要な評価を賜ったことになると受け止めている。なぜなら、第一期から第十期までの識別は、あまたの学生運動論があるが、全くのれんだいこの独眼竜のものだからである。その区分を踏襲していることがそのまま認証を示していると窺う。この認証は、れんだいこの知る限り初めてのものである。且つ今後はこの認証が基準として定着する可能性を示唆しているのではあるまいか。もし他の仕分けがあるのならそれを示してもにい比較検討してみたい。西本康宏「学生運動後の時代における自我同一性について」論考が、れんだいこ識別学生運動時期区分標準化の始発を噴射していることに対して、れんだいこ史観に対する心強い支援になっていると受け止め感謝申し上げておく。

 補足しておけば、れんだいこはかくも引用転載を感謝している。引用転載は、書き物の本能的迸(ほとばしり)りが他者に通じ、その他者を動かすものとして為されるのが引用転載と心得ており、感謝しこそすれ、今日日の強権著作権論者の云う如く事前通知要、承諾要、場合によっては対価要などとは口が裂けても言わない。それは知の邪道であり、善知は共認を求めて蠢くと理解している。西本康宏「学生運動後の時代における自我同一性について-作家大崎善生(よしお)を巡る考察-」のれんだいこ識別学生運動時期区分の踏襲がそういう恰好見本になったことにも感謝申し上げておく。









(私論.私見)