れんだいこ著「検証学生運動下巻 ―学生運動の再生は可能か?」発刊の辞

 更新日/2025(平成31→5.1栄和改元/栄和7)年3.23日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこ著「検証学生運動下巻 ―学生運動の再生は可能か?」発刊の辞を記しておく。

 2011.8.11日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bX69  れんだいこ投稿日:2011年 8月12日
 【「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)発刊の辞】

 ご通知申し上げます。れんだいこの学生運動論シリーズ2冊目の「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)が発刊されました。8.15日前後に書店に並ぶと聞かされております。店頭集結、ネット取り寄せ等果敢な行動お待ちしております。書店になければ弾劾してください。

処女作の「検証学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)が世に出たのは2009年2月でした。2年半経過したことになります。結構な発酵期間になりました。どう書くべきか、どこまで書くべきか、それなりの苦心があった故です。実際には、本書通りの内容になりました。以下、発刊の辞を添えておきます。

 本書刊行の思いは「前書き」、「後書き」に記しているので繰り返しません。改めて伝えたいことは、本書が歴史の風雪に耐える著作足り得ているかどうか自問していることです。著者としては、今後の学生運動論は、この「検証学生運動上下巻」を手にせずんば始まらないとの自負があります。まことかウソか、ぜひご確認をお願いいたします。

書庫を見れば、その人の器量が分かると云う見立てがあります。昔より「琴棋書画」と云われますが、「書」の内には書庫の意味もあるのではないかと思っております。本書が皆様方の書棚に置かれ、そのことで輝きを増すよう念じております。手元に置いて五年後、十年後にもまた味わってやってください。孫(まご)子にも伝えてください。

 れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったばかりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」でいまおもうことと題して投稿したところから始まります。以来、数か所の掲示板に出没し始めました。道中で「れんだいこ」と改名しました。

 その後、「大阪のおじちゃん」にホームページを持つよう誘われ、2000年2月11日、手取り足取りの世話取りして貰いながら「人生学院」、掲示板を立ち上げました。以来十年余経過しております。せっせせっせと書いて参りました。今年2011年、「二八蕎麦」さんの手ほどきでブログとツイッターを開設しました。この両名様に深く感謝申し上げさせていただきます。未だお二人にお会いせぬままですが、機会に恵まれましたら一献傾けさせていただかなければなりません。

 この間、ホームページも掲示板も、今ではブログもツイッターも相当な文量になっています。その時々にれんだいこのアンテナが作動し興味を持ったものを調理しています。手法として、まず閃いたことを書きつけておき、次第にネット等から関連資料を寄せて、追々に構成し直し、最終的にれんだいこ文に整序して行く作法にしております。文を片手間でやる身の者からすれば、それしか方法がないと云うことと、そういう方法が性に合っているのでせう、いつしか身に付けた作法です。そういう意味では、ネット時代が生んだ書き手の一人だと思っております。

 この手法が著作権法に抵触すると云う批判を受け、著作権法とは何ものかの解析にかなり煩わされて参りました。今では、著作権法の説くルールとマナーを意識しながら転載被転載フリーの観点を打ち立てています。戒めとして、著作権法によらぬ著作権法以上の規制力で著作権を規制する手合いの文には近寄らないよう心がけています。これで滅法紛争が少なくなりました。現在、面と向かって因縁つけて来る者はいません。過去には次から次と現れ、お陰で論戦力が強くなりました。いつしかいっぱしの著作権論をぶつことができるようになっております。連中が手本にして来た西欧で著作権フリーの動きが強まっているのに、相変わらず著作権槍で森を突いて廻り、自称文明人を嘯いている原始人姿が滑稽です。

 さて、本題です。今のところ2冊の著書でしかありませんが、恐らく今後も刊行が続くと思わます。出版社からのオファーをお待ちしております。何しろ本業が苦しいのと、こっちの方がれんだいこの性に合っており、執筆で飯が食えるなら喰いたいと思っています。テーマは目白押しに控えています。宮顕論から始まり、角栄論、邪馬台国論、中山みき論へと向かい、その後も大東亜戦争論、出雲王朝論、神道論、ネオシオニズム論、イエス論その他その他で優に数百の論考を数えています。その流れは「れんだいこの特選論文集100選」に記しております。

 その論考の一章節で一冊になりそうなものが多く、これを出版するとなると大変なことになります。加えて他にも翻訳あり、書評あり、哲学ノート、随筆もあります。掲示板では「カンテラ時評」が続いています。一体幾らの分量になるのか見当がつきません。れんだいこ脳内では全体が絡んでおり、いわば万華鏡になっています。今後も新たなテーマに取り組み続け、既に書きあげている論考の手直しも続く。そういう流れになっています。この営為は、れんだいこが死ぬまで続くと思われます。

 それらのいずれにも或る特徴があります。後づけで気づいたのですが通説、俗説批判を媒介にしています。これは何も始めから奇をてらって狙ったものではありません。単にれんだいこのアンテナが作動した故に書きつけが始まったに過ぎないのですが、どうやらアンテナの作動具合がそのようになっているように思われます。通説、俗説のデキが良いのであれば何の疑問も湧かさずそのまま学べば良いのですが、実際には違和感を覚える通説、俗説が多過ぎ、これによりれんだいこ文が必要になるようです。そういう風にして紡ぎだされております。その作業は好きこそものの上手なれで、楽しくなければできません。肩が凝るわ目が痛むわを通り越して参りました。

 当然、こたびの「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」も然りです。学生運動論に対する新観点からアプロ―チしております。下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析しています。通史の方では流れのポイントを押さえたつもりです。上巻同様に新旧左翼の両方向の動きに目配りしています。既存のものにはない手法で斬新です。

 個々のテーマ解析では重要事件を俎上に乗せました。従来の論考を踏まえつつ、れんだいこ見解を添えました。それぞれ既成論考の閉塞部分の水路を切り開いているつもりです。全体として、学生運動を検証しながら、単に追憶、批判、礼賛するのではなく、どこで道を間違えたのか、どう立て直すべきか、その為に必要な手当ては何かを意識しながら著述しています。この辺りを堪能していただけば幸いです。
(2025.3.23日現在の気づきですが、本書発行時点でのネオシオニズムに対する告発観点の披歴は、学生運動論の端緒ではないか、そういう功績があると得心しております)


 れんだいこの学生運動考の最後は「学生運動への提言」をもって三部作となり完結します。但し、三冊目は今のところ出版の目鼻を立てていません。折を見て再度推敲し、ネットで読んでもらうか、やはり手に取ることができ線引き自在のブック形式にするのか最終的に判断したいと思っております。れんだいこの気分では、ネットで読める程度のものならネットで読めば良い、どうしても手にして対話しながら読み進めたいとするデキのものをブックにすれば良いとしております。三冊目の発刊は今のところ思案中です。

 何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこに誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが違い過ぎるからです。我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感でもあり得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

 それはともかく、れんだいこの学生運動論はひとまずこれにて完とします。ぜひ、れんだいこが他のこれと思う著作に対してするように、手にしてデスクなり寝床なりトイレなり車中なりで読み、周りの者にも読ませ語り合ってほしいと思います。特に1950年、60年、70年世代が世代を継いで繋いできた学生運動の余韻を嗅いでほしいと思います。この世代の皆様方におかれましては郷愁を込めて読んでやってください。

 2011.8.12日 れんだいこ拝
  jinsei/

「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」発刊の辞その2
 「検証 学生運動(下巻)」
 紹介
 学生運動の崩壊・終えんは語られるが、その原因を検証・総括する本は、意外にまったくない。この理由はわからないが、戦後あれほど時代を揺るがした学生運動の崩壊とその原因を解明することなしに、日本社会のあり方は分からなくなるだろう。そういう意味で、この本はその検証の最初の試みである。上巻に続いて1970年以降、なぜ学生運動は後退したのか、崩壊したのかー内ゲバや連合赤軍事件などその一つ一つを検証・解明していく。
 目次
まえがき  5
第19章 70年代前半期の諸闘争(9期その2 1971〜75)  13  
第20章 70年代後半期の諸闘争(9期その3 1976〜79)  38  
第21章 1980年代の諸闘争(10期その1 1980年代)  49   
第22章 1990年代の諸闘争(10期その2 1990年代)  74    
第23章 2000年代の諸闘争(10期その3 2000年代)  98    
考察1 連合赤軍事件考  100
考察2 党派間ゲバルト考  116
考察3 よど号赤軍派考概略   145
考察4 日本赤軍考概略  155
考察5 三里塚闘争概略   165
考察6 新日和見主義事件考   177
考察7 ロッキード事件考   195
考察8 学生運動の可能性と意義考  218
あとがき  229
参考文献   235
 前書きなど
 『検証 学生運動(上巻)』はそれなりの反響を呼んだ。下巻が待ち遠しいという声もいただいている。学生運動史上何の知名度もなく且つハンドル名だけで登場した試論に対して、かなりの読者が内容を評価してくださったのが何よりうれしい。特に、筆者の母校である早稲田の先輩諸氏からエールをいただき大きな喜びとなった。逆に、僅か2千冊の売れ行きが気になるほど学生運動に対する関心の低さにも気づかされた。早大4万学生の一割が手にすれば容易に完売になるというのに、全国中に広げてもそうはならないという現実になっている。学生運動ガイダンスとしての必読書であると自負しているが、今のところそういう評価まではいただいていない。書店における左派物図書の取り扱いの不遇も知った。筆者の学生時代の記憶では所狭しと並べられ一段や二段は占拠していたはずだが、大手書店でさえコーナーそのものがなく今や見る影もない。左派運動の凋落ぶりを改めて知らされた。この現実を如何せんか。我らが青春の意地を賭けて棚段復活に尽力したい。れんだいこ本で段を埋める快哉日を早く迎えたい。

 こうした折、産経新聞紙上で「さらば革命的世代」と題した懐旧物の連載が続いた。2008年5月1日より始まり、2009年6月20日の第4部6で完結した模様である。学生運動に比較的に好意的であった朝日新聞ではなく終始批判派であった産経新聞が企画しているところが面白い。外から眺めた視点と今日時点で評している感覚差で分析しているところが新鮮で好評である。
 (http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080513/plc0805131929017-n1.htm) 


 それはともかく、上巻の目次には下巻のそれも告知されており、第19章から23章まで1970年代以降の学生運動史を概括するようにしている。上巻末尾に記したように、筆者は、70年安保闘争以降の学生運動を経過的に記すことにさほど意味を感じていない。なぜなら、70年安保闘争までの闘いは曲がりなりにも上昇運動であったのに比して、70年安保闘争以降の闘いは下降のそれで「新たな質」はないからである。とはいえやはり上巻に告知した以上は記しておくのが筋だとの出版社の小西さんからの指摘を受け筆をとることにした。「れんだいこ史観」の眼で捉えた学生運動史論の一貫物を市井に提供し遺しておくのも意味があると思い直した。これにより、その後の学生運動を70年代前半期の諸闘争、70年代後半期の諸闘争、80年代の諸闘争、90年代の諸闘争、2000年代の諸闘争という時期区分に従って追跡する。但し、紙数の関係で90年代の闘争まで記すことにする。なお、国政選挙、経済事象に関する事項は割愛した。


 70年安保闘争以降、学生運動が内向化し始め、個別的には三里塚闘争、狭山裁判闘争などのように粘り強い闘いが続けられていくものもあるが、時の政治課題に対する国会包囲デモのような直撃的闘争は沖縄闘争を以て終焉したように思われる。以降は、各派の全学連運動となり、それも次第に萎み今では見る影もない。かつて全学連各派が競合し運動を盛り上げていたのに比して分裂の負の影響が出始めたことによる。60年代後半の全共闘運動が潰れて以来、左派共同戦線式運動が組織されなくなっている。この時代の学生運動を記述するのは難しい。それまでは学生運動の記述が同時に時代を照らしていたが、時の政治課題に対する系統的闘争の流れが見当たらぬ為、学生運動を後付けしても時代が見えない。(以下略)
 版元から一言
 学生運動の崩壊・終えんは語られるが、その原因を検証・総括する本は、意外にまったくない。この理由はわからないが、戦後あれほど時代を揺るがした学生運動の崩壊とその原因を解明することなしに、日本社会のあり方は分からなくなるだろう。そういう意味で、この本はその検証の最初の試みである。
 著者プロフィール
 れんだいこ  (レンダイコ)  (著/文)

 1950年生まれ。1970(昭和45)年、早大法学部入学、1975(昭和50)年卒。1999(平成11)年頃、インターネット界に登場。現在「人生学院」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/)というWebサイトを「れんだいこ」のハンドルネームで運営し、政治・宗教・思想・歴史・経済問題を評論発信中。ネット上にたすけあい党を結成し、情宣活動中。





(私論.私見)