大谷は高校生ながら職業革命家を目指していたと言うのだから、仏の足を折ったのなら自分の足も折られても文句は言えない。だが大谷は赤軍内で指導部批判も議論もしないで、戦旗の下に逃げ込む。7・6明大での仏派学習会を赤軍は中央委と勘違いして襲撃したが、そんな情報も三多摩叛旗社の私には届いていない。破防法被告の仏議長逮捕へ道を開いた赤軍を糾弾するぞとの池亀の連絡で医科歯科大自治会へ向かった中大組は三上治統括のバリケード防衛隊だが、三多摩叛旗は入っていない。赤軍系幹部の役職防衛のため全力動員された組織部隊に大谷はいたが、叛旗派は違ったのだ。また中央委を明大で早朝に行う訳もない。
1969年後半期は全共闘は退潮期に向かい、中大バリケードも学館開放など課題山積みで全国全共闘結成前の微妙な時期だった。そこへ勃発したのが赤軍派7・6明大和泉校舎襲撃・その結果としての破防法被告仏徳二共産同議長逮捕事件だった。仏議長や佐藤秋雄中央委員をリンチした赤軍派の分派行動は許せぬが、中大でも三多摩でも叛旗派には詳細情報は分からなかった。医科歯科大に向かい赤軍派を捕獲し主要幹部を中大に拉致したが、先例のないことで対処方法も分からない。現場では全共闘ルールに従い道義的に対処したが、実際は手間暇がかかる厄介者扱いだった。
ともかく拉致したからには監視・管理は必要で、何も役立たぬ4名に毎日の食事を与え、内部での議論も認め、外部からの訪問も自由で、拉致者の側のメリットは何もない。そこで正規に8月26日に解放すると塩見に通告したが塩見は花園・物江・望月には一言も伝えず、全員が25日夜に3階からロープで脱走をはかり体力が弱っていた望月が途中で落ちたのだ。望月は塩見に結核による体力弱化を伝えたがこれも塩見は他に伝えず、9月26日に望月は病院で死んだのだ。この件は望月死亡後に巷の雀の噂話で叛旗に殺されたようなものだ→叛旗にリンチされて死んだと捏造され、同志社大文連などから叛旗も上品ぶっているがリンチもするのだという悪評が広がったのだ。
望月死亡に関しては最悪人の塩見は死んだが、花園も物江もリンチ死ではないと証言している。また脱出後に病院に見舞いに行った者も証言すると言う。必要なら公開討論をしてもよいよ。それより不可解なのは情況2022年冬号での、7・6明大襲撃で共産同仏徳二議長の足を折ったのは私だとの大谷行雄の初めての?証言である。当時の赤軍派と戦旗や叛旗との関係はもとより、特に破防法被告だった最高指導者の仏議長を逮捕された仏派の赤軍派への怒りは尋常ではなかった。叛旗互助会忘年会に花園は二回参加したが、二回目に仏派の佐藤秋雄と同席となり秋雄ちゃんは時間が経てば赤軍のリンチが消える訳がないと花園を罵倒したのだ。
病院に簡易担架で運搬中に機動隊に見つかり、仏さんは「もういいからお前らは逃げろ」と言ったので置き去りにしたらしいと大谷は言う。仏さんには逮捕状が出ているが、なぜ病院への運搬人たちが逃げねばならぬのだ? 足を折られなかったら歩いて帰れた仏さんは、上命下服の高校生に足を折られてそんな革命家予備軍を生みだした共産同にどれほど無念だったろう。高校3年の赤軍派高校生の大谷はそのまま東大に進めば仏派に報復されると考えて、米国留学へと逃げたのではないか? こちらが何も触れぬのに、自分は仏さんの足を折ったが、そんな時代だったから叛旗派も拉致した赤軍派幹部をリンチしたに違いない、リンチはなかったと言う神津は嘘つきだ!と絡んでくる大谷行雄の根性はよほど歪んでいるように思える。こんなことが言えるのはドバイ永住を決めたからか、70歳を過ぎたからか、いくら金を稼いでも、そんな歪み根性では心は解放されないよ!仏派も神津陽も叛旗も戦旗荒派も全ブント関係者も教駒高はじめ全共闘参加者をも舐めている大谷行雄に、恥はないのか?