黒寛理論考

 更新日/2018(平成30).9.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 以下、「黒寛理論」について1・組織論、2・運動論、3・党派論、4・実践論の四部構成で見ておくことにする。

 2006.9.21日再編集 れんだいこ拝


【「黒寛理論」解析その一、組織理論について】
 まず、第一の「黒寛組織論」の考察から入る。その特徴は、「永遠の今論」、「組織現実論」に象徴されているようである。黒寛は、その論理につき、「組織論序説」(こぶし書房)の一節で次のように記している。
  「労働者階級の前衛とは、プロレタリアート自己解放の理論、共産主義思想を物質化し、現実化するための媒介形態としての革命的人間の組織である。前衛としての自覚、革命への献身、忍耐、自己犠牲などの資質を兼ね備えた共産主義的人間への自己変革を為し遂げたプロレタリア的人間を構成実態とする強固な『共同体』(これは革命的人間への変革の場であるとともに、実現されるべき将来社会の萌芽形態であり、共産主義的人間にとっては『永遠の今』として意義を持つ)としての前衛組織こそは、プロレタリア的目的を革命的実践へ適用し、プロレタリアートを一階級として組織しつつ革命を為し遂げるために不可欠な手段である」。

(私論.私見)

 云えることは、何やら極致的に措定された「共産主義的人間への自己変革を為し遂げたプロレタリア的人間」的解脱絶対世界があり、その観念化された北斗七星へ向けてのプロセスが共産主義的革命運動であり、党派の組織論であるらしい、ということである。非常に分かりやすくロゴス化された純粋系観念理論であることが分かる。

 
れんだいこは、「共産主義的人間への自己変革を為し遂げたプロレタリア的人間」という観点を胡散臭く観ずる。文章の前後に一見マルクス主義用語を織り交ぜているので何気なく読み過ごしてしまうが、「共産主義的人間への自己変革を為し遂げたプロレタリア的人間」とはおかしな文章である。「共産主義的人間」とは何なのだろう。共産主義思想を信奉するあるいはその運動を担う共産主義者というのは分かる。同じく、「プロレタリア的人間」とは何なのだろう。階級としてのプロレタリアートとか個々のプロレタリアという存在は分かる。しかし、黒寛が云う「共産主義的人間」、「プロレタリア的人間」とは何者を想定しているのだろう。「自己変革を為し遂げた」ともあるからには、この階級社会にあって「黒寛教理」に導かれれば、その汚辱にまみれず器量形成可能ということなのだろうか。

 
仮に、そういう仏陀的覚醒解脱域があるとして、「プロレタリア的人間」とか「共産主義的人間」への自己変革を「為し遂げた」か「為し遂げ得ていないのか」を、誰がどういう基準で判定すると云うのだろう。近いところで、確かオームの麻原グルがそのようにふるまったのは記憶の新しいところである。もしこういう論理を許せば、判定者は神であり教祖であるが故の独裁者的地位に居座ることが容易となろう。

 だがしかし、マルクス主義思想には、運動圏内にそのような真理の獲得者然とした独裁者を忍び込ませる理論は無縁とすべきであろう。史上のスターリニズムはマルクス主義の大いなる変質理論であったことこそ凝視せねばならず、これを撃つのがスターリニズム批判の眼目であろうに、黒寛のスターリニズム批判とは独裁者スターリンに対する批判の為の批判に過ぎず、代わって自身がスターリンの位置に座ることでしかないように思われる。つまり、スターリニズム批判の方法論がナンセンスではなかろうか。

 黒寛組織論はなるほど一見論理化してはいるが、行き着いた先に絶対的な観念的理念外化世界を措定し、その道中のみ弁証法的な仕掛けで「永遠の今」を把握しようとしているように見える。しかし、この論理は、かなり守旧な僧侶の苦力修行絵巻世界へ誘うものではなかろうか。さて、そのような弁証法なぞあり得るのだろうか。これはマルクス主義的弁証法の根本的な理解に関わる歪曲ではなかろうか。僅かな表現の中にも、このような似非性が見てとれるではないか。

 黒寛は、革命運動のそういう構図を前提にして、党の任務について次のように述べている。
 概要「党は、実現されるべきコムミューンの場所的創造である」(「組織論序説」、こぶし書房)。

 
れんだいこは、批判するばかりが能ではないので、これは卓見かも知れないと評価したい。補足すれば、党とは、実現しようとするコミューン社会の先取りを、何より党内において逸早く創造すべきではなかろうか。例えミニチュアな模型であろうと、それが今後広く社会へ一般化させるものとして身近な党内コミューンを形成し検証し続けることが、我らが運動の血となり肉となり威力を増していくことになるのではなかろうか。

 そういう意味で、黒寛の論による氏自らが指導する党派の党内コミューンの出来具合いを窺いたくなるのは人情だろう。なぜならば、反面教師としての日本共産党宮顕ー不破指導部の党内を見よ! あの特権的党中央絶対帰依の強権的統制的手法が社会一般に押し広げられることを考えただけで身震いするではないか。れんだいこは、黒寛率いる党派革マル派の組織が逸早く「実現されるべきコムミューンの場所的創造」になっていることを願う。

 黒寛は、党組織論におけるそういう構図を前提にして、レーニン主義、毛沢東主義の欠陥を次のように指摘する。
  概要「レーニンの前衛党論は革命技術主義的かたよりがはらまれ、これに対して、毛沢東主義は、このレーニンのかたよりを部分的に、道徳主義的に是正するものとして現れたが、『マルクス主義の個別的理論として意義を持つべきプロレタリア的人間の確立、これに基づく前衛党組織論としては実現されなかった』」(「組織論序説」)。

 これはこれで左様ですかと聞いておこう。問題は、では、黒寛はそれらに替わるどのような党組織を確立すべしとしているのであろうか耳を傾けてみよう。「組織論序説」(こぶし書房)には次のような一節がある。
 概要「現代におけるプロレタリア革命の問題は、プロレタリア的人間とそれを構成実体とする前衛組織の問題である」。
 概要「本来、革命党の根本的概念は、『共産主義者の政治的結集体』としてある」。
 「前衛党の組織問題は、それゆえに共産主義的人間の確立を第一の前提条件とする」。
 「党員の主体性の欠如ということが問題であり、従って現代の前衛党を創り出していくためには、同時にその党そのものを『人間変革の場』としてとらえなければならない」(「呪縛からの解放」)。
 「革命的前衛党には、ブルジョア的自由主義や個人主義や利己主義が入り込む余地は全く残されていない」。

 これも左様ですかと聞いておこうと思えばそれで済ませられないこともないが、問題がある。「前衛党の組織問題は、それゆえに共産主義的人間の確立を第一の前提条件とする」とあるように、「共産主義的人間の確立」がかなりにウェイトを占めて向自化されている。ところが、先に指摘しておいたが、「プロレタリア的人間」、「共産主義的人間」とは如何なる概念で語られているのだろうか。その観念論的構図はマルクス主義者のそれとは無縁であろう。むしろ、政治運動内にこの観点を持ち込み悪用されると、非常に危険なものへ変質させられていく恐れがありはしないか。黒寛の云う「プロレタリア的人間」、「共産主義的人間」の内実とはどのようなものなのか、まさか俺がソウダと云うのではなかろうが一向に明らかにされないまま一人歩きさせられている。

 この辺りが漠然としたままに「永遠の今論」、「組織現実論」が唱えられ、強面(こわもて)調で「前衛としての自覚、革命への献身、忍耐、自己犠牲などの資質」を兼ね備えることが要求され、他方で「ブルジョア的自由主義や個人主義や利己主義が入り込む余地は全く残されていない」とする場合、そこに判定者のオールマイティーな権力の跋扈が立ち現われていたとしたら、そこにはどのような党派が生まれるのだろうか。垣間見えるのは、何やら宮顕論理と双生児な右向け右式の党派像のような気がする。オーム麻原のグル思想とも近似している。

 
黒寛が「プロレタリア的人間」ないしは「共産主義的人間」について論及している個所は次の通りである。「日本の反スターリン主義運動・二巻」には次のように書かれている。
 「(共産主義的人間は、)『組織性と思想性の弁証法的統一』が必要である」。
 「前衛党を構成する実体(党員)における全体性はその組織性であり、その個別性は共産主義的人間の主体性、それに相応しい思想性であり、この両者(全体性または組織性と個別性または思想性)が主体的に統一されることによってのみ、前衛党組織の組織的取り組みが確保され保障され実現される」。

 何とヘンチクリンな論旨展開だろうか。黒寛がここで為さねばならぬことは、「プロレタリア的人間」ないしは「共産主義的人間」についての内実規定であろうに、これを明かさぬままに「組織性と思想性の弁証法的統一」だの「主体性、それに相応しい思想性、主体的な統一」だの弁証法まがいの論理ばかりが強調されている。こういうのを一種の煙巻き詐術論と云う。

 
論理構成を小難しくしつつ更に用語をふんだんにマルクス主義的言辞で被せているが中身が一向に明らかにされていない。皮をめくってもめくっても本体がでてこない一種のらっきょう理論となっている。にも関わらずこのような論理スタイルで強面の云い方をしているという胡散臭さを観ずるのはれんだいこだけだろうか。云うのは勝手だからそれは認められよう、だがしかし、この様な論理で「精神棒」を叩き込まれたら、やられた方は堪ったものではなかろう。

 黒寛の理論に付き「検証内ゲバ」に現われているのはこの程度であるので、これ以上は当人の著作から直接聞かねばならないだろう。おいおい解析していくつもりであるが、こういう理論をそろそろ対自化させねばならない頃ではなかろうか。

【「黒寛理論」解析その二、陰謀活用運動論について】
 次に、「黒寛運動論」を見てみる。これまたひどい。「革命的マルクス主義とは何か?」(39P)には次のように書かれている。
 「一般に革命的政治運動というものは、現象的には(本質的にはではない)極めてヨゴレタものであり誤解にみちたものであって、政治的、あまりにも政治的な“陰謀”をすら活用しない限り(この点ではレーニンの右にでることのできる革命家はない)、そもそも政治そのものを止揚しえないのだという、このパラドックスが、ぜひとも自覚されなければならない。だから、赤色帝国主義論者をすら活用して、動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部を瓦解させる一助たらしめるという“陰謀”をたくらむべきである」。
(私論.私見)
 つまり、堂々たる「陰謀活用運動論」が開陳されていることになる。れんだいこは、黒寛のこういう見解全体が薄っぺらなものに聞こえて仕方ない。しかし、そうは受け取らず「黒寛ご託宣」が一定の影響を与えていった史実がある。云えることは、この程度の理論を拝載してあり難がってきた日本左派運動のレベルがお粗末過ぎるということではなかろうか。

 れんだいこが解読するのに、一言一句が吟味されておらず言葉遊びのようにして文意が繋げられていることが見てとれる。これを読み直してみるのに珍妙な理論が鼻につく。革命的政治運動に陰謀活用を説き、「このパラドックスが、ぜひとも自覚されなければならない」とあるが、こういう認識からすれば、黒寛は鉄砲政権論ならぬ陰謀政権論者のようでもある。

 結論的に云っていることは、「赤色帝国主義論者をすら活用して、動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部を瓦解させる一助たらしめるという“陰謀”をたくらむべきである」ということであるので、以下この観点の是非を検討する。

 
珍妙さの第一は、「一般に革命的政治運動というものは、現象的には(本質的にはではない)極めてヨゴレタものであり誤解にみちたものであって云々」にある。革命的政治運動をこれほど堂々と「現象的には(本質的にはではない)極めてヨゴレタものであり誤解にみちたもの」との見立てが胡散臭い。レーニンを評するのに、「この点ではレーニンの右にでることのできる革命家はない」だと。そういうレーニン論もあるかも知れないが、マルクス主義を拝戴する革命党派の理論としてはかなり変わった見立てであろう。

 この党派の特質でもあるが、党派運動の矛先が体制当局に向けられることはない。いつも左派戦線内「乗り越え派」として左右両翼に割って入り、悪質な分裂工作を行うのを常套手段としている。そういう「極めてヨゴレタものであり誤解にみちた」運動を辞さない、概要「政治運動に於けるこのパラドックスが、ぜひとも自覚されなければならない。そこに我が党派の特質がある」と自賛的に述べていることになろう。そういう珍妙な論であることに気づかねばならない。

 この文章では、「動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部」として日共をターゲットとしているが、日共はたまたまの例に過ぎず、その時々に任意な党派を標的にし得る危さが見てとれる。事実、カクマルは、その出向くところいつでもどこでも戦線において敵対党派を謀略と恫喝とテロルにより排除せんとし続けてきた。その挙句に中核派と社青同解放派とのテロ合戦に行き着いた史実を確認せねばならない。この延長線上で、1975年にはおのれ等の所業には頬かむりして中核派幹部を殺人罪で刑事告訴している。

 第二に、「陰謀活用論」の内実の珍妙さである。前述の専ら左翼内撹乱分子として立ち現われる性癖を機能的な珍妙さとすれば、形態的な珍妙さをも見ておく必要がある。末尾の「“陰謀”をたくらむべきである」という表現も変調だ。少なくとも「余儀なく仕方ない」方法として陰謀活用が云われるまでが理解し得るところであろう。ところが、限定なしの「べきである」とはこれ如何に。かような論理が赤色系のものであろう筈がない。

 ところで、「“陰謀”をたくらむべきである」は、文章上どの文節に掛かっているのだろうか。それにより文意が変わってくるが、常識的には直前の「日共指導部を瓦解させる一助たらしめるという」に掛かるであろう。だが、もう一つ「だから、赤色帝国主義論者をすら活用して」に掛かっているとも読める。こちらに掛かっているとなると、「陰謀的な共同戦線論」が吹聴されていることになる。れんだいこはこの解釈になぜ拘るか、それは史実としてこのトリックにやられた党派が存在するからである。

 第三に、当初れんだいこは、「赤色帝国主義論者をすら活用して」を「赤色帝国主義者の活用」と読み誤まり、「**帝国主義論者をすら活用して」とはどういう意味であるか。「**」を外せば、「帝国主義論者をすら活用すべし」という意味になり、これは裏見解的に捻ってはいるが体制側当局と通謀し合うことを公然と正当化する奇妙な論理ではなかろうか、ひいては「白色帝国主義の活用」さえ辞さず論に道を拓いているのではないか、として受け止めた。

 
が、この第三点につき、「左往来人生学院・2312」のbQ003、1.16日付け飯田橋大塚さん投稿文で次のような指摘を受けた。
 「この部分をれんだいこさんは誤解されているようです。『赤色帝国主義論者』というのは、当時のソ連の階級的性格をめぐる論争の中で、ソ連を『赤色帝国主義』と規定したもののことです。黒田は、『赤色帝国主義論者』には反対なのですが、『動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部』を瓦解させるために共同戦線を組むべきであると言っているのです。ただそれだけのことであって、この主張からのちの革マルの陰謀的体質を導くのは行き過ぎでしょう」。

 これは確かに飯田橋大塚さん指摘の通りであるので訂正させていただいた。その上で一言すれば、この文意全体が玉虫色になっており、史実は、れんだいこ的読み誤りをも包摂しつつご都合主義的に了解し活用してきたのではなかろうか。いずれにせよ、右向け右の組織論の上に陰謀活用論が接ぎ木されている訳だから、かなり際物であろう。

 従って、「ただそれだけのことであって、この主張からのちの革マルの陰謀的体質を導くのは行き過ぎでしょう」には同意できない。「この主張の中にカクマルの陰謀的体質を覗く」ことは見てきた通り可能だと考える。

【「黒寛理論」解析その三、党建設論について】
 黒寛の党建設論もこれまたひどい。その前衛党論は、「プロレタリア的人間論理(黒田哲学)」によるイデオロギ−的・サ−クル主義的集団による同心円的拡大路線であり、超主観主義的な絶対主義的イデオロギ−(革命的マルクス主義)集団としての党建設論理に貫かれている。そのために、「己の党の絶対化を論理とする党への求心主義」、「党のための闘い」がきわめて重要な実践テーゼとなる。

 このテーゼは、大衆運動や労働運動をすべて党建設論に従属させる党の物神化運動の公然宣言であり、これにより宗派化せざるを得なくなる。全ての観点の基礎に「自己の党の絶対化」を前提としている限りにおいて、これは極めて排他的な理論であり、同時に革命に使われるか反革命に使われるかの識別基準を示していない点で反動的な理論であるとも云えよう。

 ちなみに、マルクスーエンゲルス共著の「共産主義者の宣言」は、この種の党物神化運動を強く戒めている。故意か偶然かまでは分からないが長年の誤訳で、「共産主義者の宣言」が貶められているが、マルクスーエンゲルス共に「階級情勢の左派的流動化に尽力すべし」と指針しており、それを縷々説明している。宮顕ー不破系日共や黒寛の党建設論はこれに対する真反対見解であることが分かる。

 この党建設論が内部的に止まるのならいわば勝手であろうが、外部へ表出するとオーム真理教ばりのポア理論へと転身する(もっとも、オウムの方が真似たことになるが)。史実は、自己にとって利用できる者と、利用できない者とを峻別し、利用できない者には、ありとあらゆる手法を用いた攻撃、それは名指しでの罵倒・嘲笑から、ひどい場合は脅迫電話、動物の死骸を送りつけたり、留守宅に侵入して部屋中に重油をまいたり、塀にスプレーで落書きしたりするなどの所業が行われていくことになった。

 「他党派解体」、「小ブル雑派解体」という傲岸不遜な党派性を露にし、これに「赤色帝国主義論者をすら活用を辞さない」論から始まる陰謀論と「お仕置き論」が接合することにより、何ら躊躇なく公然と鉄槌ゲバルトが振り下ろされることになる。中核派の本多書記長や解放派の中原一氏に対しては、頭部のみに集中してマサカリないしアイスピックのような凶器で攻撃するという、明確に殺人を意図したテロを行ないながら、「この暴力の行使はあくまでも、暴力を補助手段とした、駄々っ子に対する母親のお仕置きに過ぎない」(解放374号「お仕置き党派闘争論」)という戯れ言まで平然と述べている。それでもなお、この白色テロを赤色テロと拝せと説教する者がいるとするなら、漬ける薬がない。

【「黒寛理論」解析その四、実践闘争論について】
 最後に、既に重複するが「黒寛実践論」にも一言しておきたい。「プロレタリア的人間の論理」には次のように書かれている。
 概要「要するにプロレタリアートの階級闘争=政治闘争は、本質上、『自由な王国』の地上的実現という普遍的目的をその根底にもち、その特殊諸条件のもとにおける個別的=普遍的な実現(各国革命の永久的完遂としての世界革命)であり、プロレタリアートの革命的自覚とその実現のための組織運動である。このゆえに、無自覚な人民大衆は、彼らの組織的=階級的実践を通じて、かつ前衛党の指導にもとづいて、プロレタリア的自覚を獲得して行くのである」。

(私論.私見)

 つまり、非常にロゴス的に措定された、単なるイデオロギーの担い手としてしか位置づけられることのない党員(単なる教義の奴隷)によって構成される一枚岩的同質性な前衛党のあり方を、全社会に向かって押しつけようとしていることになる。この教義への異論に対する配慮は微塵もない。「プロレタリアートの革命的自覚とその実現のための組織運動」という風に精神論で語ることにより、具体的な闘争の在り方に対しての検証の作法を何一つ明示していない。この組織に極悪指導者が登場したらどうなるのか、意図的に割愛されているようにさえ見える。

 更に、大衆は、単なる「無自覚な」存在でしかなく、正しい前衛党の「指導」によって「プロレタリア的自覚なるものを獲得」させられて行く対象でしかない。これは、何ら共産主義者の運動論ではない。大衆蔑視観も然り、共産主義以前の問題で人民大衆観そのものに致命的な欠陥があろう。

【「黒寛理論」解析その五、主体性論について】
 黒寛のこれらの独特の教義の底流に「主体性論」がある。「主体性論」は、西田哲学や戦後の梅本=梯主体性論に哲学的基礎を置いている。蔵田氏は「『電脳ブント』の蔵田計成論文」の中で、「黒田主義イデオロギ−のもう一つの特徴は観念論的修養主義」という認識の下で次のように書いている。
 例えば「根元的な利己を含みながら、しかも、その否定においてのみ自己の本来性を獲得する社会的存在としての人間」(「唯物論と人間」梅本克巳)。さらに、梯哲学では「自由の王国こそは、現代のわれわれの心の内にある宇宙史的必然性の自覚として、階級的な、党派的な、絶対的信念として、世界観として、闘争の原動力として、われわれのうちに生きている」(「資本論への私の歩み」梯秀明)というのが戦後主体性論の人間規定があり、階級闘争観、階級形成論の基底にあった。この主体的物質論、主体性認識論は「身を殺して仁をなす」式の倫理主義と等しいか、それと隣り合わせである。「疎外革命論」や内ゲバに対する発言などは、先達の誠実な足跡とともに、ある一つの学問的社会的功績であることは否定しないが、これを含めて戦後主体性論の功罪を再評価すべきかも知れない。

 不肖の弟子を演じることになった黒田哲学は、この上に接ぎ木した思弁の哲学に過ぎないといえよう。「おのれを自然と社会を貫く物質の無限なる自己運動の尖端に立つものとして自覚し、この物質的自覚において人間の真実の歴史を創造してゆこうと決意し、実践する革命的人間の形成――これが……現代的人間の生きた理想像でなければならない」(「現代における平和と革命」黒田寛一)。

 このように、黒田主義は一方において倫理主義的観念論、修養主義的人間観を前提に「革命的マルクス主義」(反帝・反スタ・マルクス主義)を絶対真理=理想として物質的自覚論を説くのである。かくして、そこにおける自己意識する主体の立場性は、「超人間的な抽象的精神」、「絶対精神=神」の如くである。それはまさに法会を主宰する「現代の聖マックス」を彷彿させる。革共同黒田主義は、このような「至高な理念」に裏打ちされた法衣の名によるイデオロギー的自己絶対化、絶対的価値、絶対的自己確信の下に、独善的暴力を行使するのである。これが本当にタチの悪い偽装=欺瞞であるか否か、その判断基準と尺度は、かの理念と実相の乖離と幅にある。

(私論.私見)

 蔵田氏もその云おうとするところを分かりにくくする癖があるので、れんだいこが解析する。黒寛の主体性論が如何にマルクス主義以前の観念主義的段階に止まっているか、次の一文からも分かる。「現代における平和と革命」で、「おのれを自然と社会を貫く物質の無限なる自己運動の尖端に立つものとして自覚し、この物質的自覚において人間の真実の歴史を創造してゆこうと決意し、実践する革命的人間の形成――これが……現代的人間の生きた理想像でなければならない」を考察するが、「おのれを自然と社会を貫く物質の無限なる自己運動の尖端に立つものとして自覚し」なる表現が哲学的で在り得るか。とてもではないが通用しまい。せめて文学表現であろうが、文学的にも通用するかどうかさえ危ぶまれるだろう。

 次に、「この物質的自覚において人間の真実の歴史を創造してゆこうと決意し」という場合の『真実』とはどういう意味であるか。マルクス主義はかような真理論、真実論とは無縁である。それをいとも容易に使う黒寛式真理・真実論を凝視せねばなるまい。

 なお、「実践する革命的人間の形成――これが……現代的人間の生きた理想像でなければならない」について、この文章には文句をつけようがないと思いきや違う、問題がある。マルクス主義者は容易には「理想像」なる文言を使わない。なぜなら、「理想像」という表現の意味は、観念論的な「ある理想的な観念域」を予定しているから。ならばその域を外れた場合どうなるのか、どこを分水嶺とするのか、それを誰が判断するのかという按配に次から次へと問題が発生する。こういう半知半解な用語を党派運動には使わないのが嗜みであろう。

 しかし、驚くことは次のことにある。かような半知半解な理論が何ゆえ一定の影響力を持ってきたのか。説く方は自由である。問題は、それは受け止める方の能力がせいぜい高校生止まりの批判力でしかなく、つまり難しく云われればあり難いと勝手に思慕するあまりにもな凡庸頭脳に支えられているのではないのか。

【「黒寛式党派闘争論」について】
 黒寛理論については上述を原理とする。これを更に補足して「黒寛式党派闘争論」というものがある。その特異性が「他党派解体論」に凝縮している。次のように云いなしている。
 「他党派の戦術やイデオロギーを批判し(『理論上の乗り越え』)、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(『組織上の乗り越え』)ことを通じて、『運動上の乗り越え』を実現する」(黒田寛一「日本の反スターリン主義運動」)。

(私論.私見)

 この「他党派解体論」こそ左派圏内に忍び寄った悪性腫瘍であるように思われるが、どの党派も似たり寄ったりの感覚で居たのだろう、これが如何に酷い論法であるか対自化されていない。元々左派運動内には、宮顕式「排除の論理」や黒寛式「他党派解体論」は不要である、切磋琢磨こそが実践弁証法とされねばならない、という観点こそ確立されねばならない。れんだいこはそう思う。

 「排除の論理」や黒寛式「他党派解体論」で学生運動を経過し、後になって「学生運動とは麻疹(はしか)のようなもの」と清算する手合いが居たら、「何と便利軽薄な精神浄化ぶりだろうか」と思うのは私だけだろうか。

【「黒寛の常軌を逸した口汚さ」について】
 「黒寛の常軌を逸した口汚さ」についても言及しておかねばならない。次のように云いなしている。

(私論.私見)

 分裂したとはいえ、それまでは同じ党派の釜の飯を食べていた「かっての同志」に対して、かくも非道に「常軌を逸した口汚さ」で罵詈雑言できる品性に格別の留意を要するだろう。よしんば正鵠な批評であったとしても、その正鵠さ以上の罵詈雑言は嗜みとして控えるべきだろう。少なくとも正鵠さと等値辺りの批評にすべきだろう。それを大幅に超してパラノイアの如く罵詈雑言できる感性は奈辺から発しているのだろう。こういう注目から「黒寛の常軌を逸した口汚さの由来」を探索しようと思う。

【「黒寛式の反帝国主義・反スターリン主義」について】
 黒田寛一による「反帝国主義・反スターリン主義」の説明は以下である。帝国主義的段階におけるプロレタリアートの普遍的課題は「反帝国主義」で、反スターリニズムは特殊的課題であった。しかし、帝国主義とスターリニズムに基本的に分割された現代世界そのものを革命的に変革するための世界革命戦略は「反帝国主義・反スターリニズム」である。この「反帝」と「反スタ」は「直接的に統一されて」おり、「論理的に同時的な戦略」をなす。「反帝・反スタ」戦略は、「反帝」に「反スターリニズム」を「接ぎ木ないし結合したにすぎないものではない」。

 思想的には、黒田寛一の「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げ、帝国主義とスターリン主義を同時に打倒し、「プロレタリア世界革命」の一環としての日本革命を実現すべき、と主張する。分裂後も対立する中核派が大衆運動・武力闘争を重視して、羽田闘争や三里塚闘争などで他の新左翼党派とも共闘したのに対し、革マル派は理論重視・組織重視であり、思想・理論の学習と組織の構築を目指し、それらの維持・拡大に向けた活動を重視した。ただし革マル派も、党派間の武装襲撃や内ゲバや、反権力闘争での妨害活動などは実施している。革マル派は、1960年代の街頭闘争や全共闘運動などから距離を置き、成田空港建設反対闘争からも排除され、他の新左翼系過激派集団の多くと敵対関係にあった。それは革マル派が東大紛争で、警視庁機動隊が安田講堂に突入する前日、「兵力温存」を理由に戦線を離脱したため、その後残って機動隊と対決していた他の新左翼諸派から「第二民青」「日和見主義」などの批判を受けることになったためである。そして1970年代以降は、中核派等との内ゲバ(過激派同士で対立するグループのメンバーを襲撃して殺傷する行為)事件を繰り返し、双方に多数の死傷者を出してきたが、近年は沈静化している。

 1968年の書籍『新版・日本の戦闘的左翼』によると、「反帝・反スターリン主義世界革命」の主張は以下に要約できる。
  1. 現代世界の階級関係は、単に資本主義的な階級関係だけではなく、国際共産主義運動の腐敗も「規定的な要因」である。
  2. ソ連社会はスターリン主義の本質である一国社会主義論による過渡的な官僚主義的疎外形態である。
  3. この階級関係が現存する限り、革命の疎外者・抑圧者としてあらわれるスターリニスト党組織との闘争はプロレタリア革命完遂に不可欠である。
  4. 資本主義国における革命の打倒対象は資本制国家権力だが、同時にスターリニスト党組織の粉砕なくしては実現できない。
  5. 「反帝・反スターリン主義」は現代の最も普遍的な革命戦略であり、世界革命の一環としての日本革命も「反帝・反スターリン主義」の革命戦略でなければならない。

なお敵対する中核派も革命戦略として同じ「反帝・反スターリン主義」を掲げるが、両派ではその理解の仕方と適用のありかたが異なる。革マル派は中核派に対して、「反帝・反スターリン主義」は「論理的に同時的な戦略」であるのに、これを地理的・時間的に切り離す(反帝を優先する)という原則的な誤りに陥っており、また戦術も大衆運動主義への堕落であり、「街頭行動主義」の「自己目的化」という小ブル急進主義への転落、と批判する。これに対して中核派は革マル派に対し、「反帝・反スターリン主義」の綱領を、閉鎖社会的に経文化する「反動的ドグマ化」に陥っており、階級運動との生きた交流を自己切断する誤りを体質化させている、と反論する。

 新左翼のなかで最大の5300人の構成員を有するとされる。機関紙週刊『解放』・隔月刊『新世紀』がある。東京・早稲田にビルを構える「解放社」本社および全国6道府県に設置されている同社の支社等が表向きの活動拠点となっている(このほかに非合法な“裏の活動”を行うための非公然アジトが各地に存在する)。かつては傘下の出版社としてこぶし書房を経営していたが、近年新たにあかね図書販売を傘下の出版社として設立した。思想的にはマルクス・レーニン・トロツキーらの革命理論を基に、帝国主義の打倒と反スターリン主義を掲げ、「プロレタリア世界革命」とその一環としての日本における共産主義革命を目指しており、機関紙などでは「ブルジョア国家の転覆を目指す革命党」であると主張している。 中核派があらゆる反体制運動と連帯し、理屈を抜きに街頭で機動隊と衝突するなど、テロ・ゲリラ等の直接行動を重視するのに対し、革マル派は階級闘争至上主義であり、思想・理論の学習と組織の構築を目指し、それらの維持・拡大に向けた活動を重視している。そのため1960年代の街頭闘争や全共闘運動などからは距離を置き、成田空港建設反対闘争からも排除され、他の新左翼系過激派集団の多くと敵対関係にある。特に1970年代以降は、中核派等との内ゲバ(過激派同士で対立するグループのメンバーを襲撃して殺傷する行為)事件を繰り返し、双方に多数の死傷者を出してきた。しかし近年は、少なくとも表面上は暴力性・党派性を隠し、あくまでも組織拡大に重点を置き、基幹産業の労働組合や学生運動への浸透を図る戦術を採っている。最近は、街頭での集会・デモなどの際にも、「革マル派」というセクト名は隠して活動していることも多い。しかし、関係団体は中核派が絡んでいる団体に対してはあからさまな敵意を主張する場合が多く、見分けることは容易である。また、革マル派は、自派に対する他派からの襲撃事件や、警察庁長官狙撃事件O-157集団食中毒事件・神戸連続児童殺傷事件和歌山毒物カレー事件イラク日本人外交官射殺事件スペイン列車爆破事件イラク日本人人質事件ロンドン同時爆破事件などの社会的反響が大きい事件について、国家権力や米国のCIAなどによる陰謀であるとする主張を繰り広げている。また、中核派や解放派のゲリラ行為はこれらを利用した政府の自作自演であるという主張も見られる。革マル派が何を根拠にこのような陰謀論を展開しているのかは不明であるが、背景には他新左翼セクトとの激しい党派闘争の歴史があるとみられる。警察側はこれらの陰謀論について、反権力意識の高揚や組織の引き締めなどが目的であるとの見方を示し、「権力謀略論」と呼んで警戒している。なお、自派の非公然活動家が逮捕されたり、革マル派によって事実上支配されていた学生自治会が大学側によって非公認化されたりした場合なども、同じような「権力謀略論」を用いて警察・大学などを非難することが多い。ただし黒田寛一の死後、上述した荒唐無稽な謀略論の展開は内ゲバ関係を除くとほとんど見られなくなった。謀略論をもっぱら先導していたのが黒田であり、かつ現在の革マル派中央が一定の路線修正を行っていることが推測される。警察は現在、数名の活動家を建造物侵入・窃盗・電話盗聴などの被疑者として指名手配している。また、解放社本社付近には交番・消防署出張所が設置され、警察・消防ともに警戒にあたっている。これに対して革マル派も、解放社本社前に監視カメラを設置するなどして対抗している。


 「早稲田という病 - 3」を参照する。

  革マル派の労働者組織

 革マルは、郵政省の「全逓」、NTTの「全電通」などなど、連合系の主要労働組合にフラクションを保持している。なかでも「JR総連」(柴田光治委員長:組合員7万人)は国内唯一の巨大労組と言ってよい。革マル派副議長・中央労働者組織委員長の労働運動家・松崎明は、”鬼の動労”と異名を取る「国鉄動力車労組(動労)」のリーダーとして、1970年代には国鉄当局の生産性向上運動に反対する、いわゆるマル生反対闘争で戦闘的な実力闘争を展開した。が、1987年の国鉄改革に際しては、一転して労使共同宣言を結び、分割・民営化への協力姿勢を明らかにした。こうした流れのなかで、革マル系(政研会)・非革マル社会党系(同志会)が勢力的に概ね半々ずつを占めていた「動労」と、民社党系の「鉄労」は、民営化協力路線の下に合併し、「JR総連」を結成した。「JR総連」は、最盛期にはJR労働者20万人のうち16万人を組織するまでになった。しかしその後、JR西・九州・東海・四国各労組の旧鉄労系の部分は相次いで「JR総連」を脱退し、92年5月、新たに「JR連合」を結成。旧「動労」の社会党系の部分の多くも「JR連合」に流れた結果、「JR総連」は、旧「動労」革マル系の拠点だった東京・高崎・盛岡などの地方本部を含んでいる「JR東労組」(5万6千人)を除いては影響力を急速に弱めている。97年の神戸小学生連続殺傷事件においては、JR東日本各駅のキオスクが、事件の容疑者A少年の顔写真を掲載した写真週刊誌「フォーカス」に対して真っ先に販売停止処分を決定した結果、他のJR各社のキオスクもこれに倣うという事態が起きた。これなどは、「JR総連JR東労組」(=革マル)の側の政治的意向が、「JR東日本」経営側の方針に直接反映された典型的な事例である。

 革マル派の武装組織

 学生・労働者に対する革命家としての「教育」において、革マル派が何よりもまず重視するのは、「個人の自己変革を目的」とした「理論学習」である。デモの戦法やテロ襲撃術などの「軍事訓練」に類する教育のレベルは、中核派や青解派などと比べると遥かに低い。革マル派の武装部門を担う「全学連特別行動隊」は構成人数100−200名程度の部隊と見られる。あくまでこれは学生のみによって構成された単なる「ゲバ棒武装」部隊にしか過ぎない。革マル派は、「労働者の武装化」についてはいまだ実際には何ら手をつけていない。

 革マル派の諜報活動

 偽造警察手帳や偽造公安調査官手帳を使っての「聞き込み」活動、自分たちで製作した合鍵を用いての家宅侵入行為などなど、情報収集活動には非常に積極的である。91年のJR東海葛西副社長(当時)の女性スキャンダル暴露であるとか、95年の国労中央による亀井静香運輸大臣(当時)らへの1億9000万円献金スキャンダル暴露、神戸小学生殺人事件に関する容疑者A少年の「検事調書」や「捜査報告書」などの情報源も、こうした日々の違法な活動をつうじて入手しているのであろう。

 革マル派は、敵対党派とその関係者に対する盗聴を広範囲に行っていることがすでに明らかとなっており、またNHKテレビの電波ジャックを成功させたこともあるなど、無線・通信技術の「活用」能力については新左翼中第1位と言ってよい。96年春以降続発したJRの列車無線妨害事件についても、革マル派の犯行ではないかとの説が、中核派などによって唱えつづけられている。情報化部門においては、革マル派は同盟員に郵政省職員・NTT職員を多数抱えており、またソフトウェア会社を経営したりもしている。コンピュータ・ネットワークにおける革マル派の潜在的「戦闘能力」も、実は極めて高いと言えよう。

 機関誌紙活動

    * 機関紙・・・週刊「解放」(ブランケット版8ページ) 推定発行部数10000部
    * 機関誌・・・隔月刊「共産主義者」

 革マル派の機関誌紙活動における大きな特色は、他の新旧左翼勢力を批判する論文・記事の掲載が異様に多いことであり、平均して「解放」各号記事の3分の2程度をこれが占めている。「神戸小学生連続殺傷事件」を「権力の謀略」であるとして弾劾する記事も毎号のように掲載されている。この一連の「神戸事件謀略論」キャンペーンは、実は他党派の内部撹乱を狙ったものと見られ、日本共産党をはじめ、またその他の敵対諸党派にも一定程度の打撃を与えているようである。

 反帝・反スタ

 革マル派の革命理論は、同派の前議長・黒田寛一の「反帝・反スタ」理論である。これは、トロツキズムの「反帝国主義・労働者国家擁護・スターリン主義官僚打倒」理論を”批判的に摂取”したもので、国際的には * 先進資本主義国家に対して・・・資本主義国家権力・帝国主義打倒、 * 社会主義国家に対して・・・スターリン主義官僚打倒。国内的には  * 日本帝国主義打倒 +「スターリニスト日共」打倒の一挙的実現を目指すものであった。「労働者国家擁護」が抜け落ちた一方、「反スターリン主義」が強調されている、という点が黒田の独創である。

 革共同第一次分裂において、「100%トロツキスト」を自認していた太田龍の一派(のちの「革共同・第4インターナショナル日本支部」)は、第4インターナショナルの多数派であるパブロ派の、「反帝」と「労働者国家擁護」を主とし「スターリン主義官僚打倒」を従とする理論に従うべきだとの考えから、黒田理論とは相容れず、革共同を脱退する結果となった。

 しかしこの黒田理論じたいは、革共同第三次分裂によって黒田らと袂を分かち、以後、革マル派の不倶戴天の敵となっているあの中核派でさえ、いまだに完全には否定しきれていない。中核派は、黒田理論の革命的共産主義運動の発展に寄与した基礎的業績は認めざるを得ず、ただその今日的意義についてのみ、「黒田の理論は何一つ進歩せず、むしろ後退し今日の情勢に全く対応できなくなっている」との批判を加えることができているのみである。中核派も今なお「反帝・反スタ」を掲げてはいるが、やはりどちらかというと「反帝」を重視する。「反スタ」に重きを置く姿勢こそが、黒田理論を忠実に継承する革マル派の特徴であると言える。

 トロツキズム系運動の世界的諸潮流の中における黒田理論の位置づけは、第4インターナショナルにおける少数派であったキャノン派流れに近いものである、と言うことができよう。キャノン派は、「スターリン主義の条件付き擁護」を掲げたパブロ派に反対して、「反帝」と「スターリン主義官僚打倒」を主要な戦略的課題とし、「労働者国家擁護」を従属的な戦略的課題に引き下げるべきことを主張した。

 基本路線

 現代のプロレタリアートは、「二重疎外」の状況にあると黒田は説く。すなわち、 1. 資本制下の”賃金奴隷”としての疎外、 2. 「”賃金奴隷”としての疎外」からの解放を任務とする「前衛党」からの疎外。したがって現代における革命は、この「二重疎外」からプロレタリアートを解放する「人間革命」でなくてはならない。そのために必要となる戦術とは、

・スターリン主義の欺瞞性暴露−マルクス主義の「現代的展望」としての「革命的マルクス主義」の理論の確立。(マルクスの理論をそのまま受け継ぐのではなく、「生きたマルクス主義」の「創造」、つまり「革命的再生」を目指す)

・「二重疎外」からの「自己解放」を目指す、新しい「革命的前衛組織」の確立。(「真の前衛党」を建設するためには、党は「たんなる革命家の組織」ではなく、「共産主義的人間としての主体性の確立」を成し遂げる「人間改革の場」でなくてはならない)

の2点に他ならない、という。こうした「理論・組織重視」が革マル派の基本路線である。

 運動論

 革マル派は、世界情勢に関して、「現代は『革命前夜』的な状況にある」(中核派元議長・本多延嘉の言)などといった現状分析を真っ向から否定しており、中核派の”大衆運動第一主義”を批判している。組織温存路線の立場から、1969年東大全共闘の安田講堂攻防戦では、機動隊の突入を前に唯一講堂から主力部隊を退去させて決戦を避け、同年9月の全国全共闘結成にも参加しなかったため、以後、他の新左翼諸派からはほぼ完全に孤立している。

 *参考となる黒田寛一の発言:

「もっぱら危機感をあおりたて、焦燥感にみなぎった空疎な行動に走るのではなく、階級闘争の広大な大衆的組織と組織的基礎を不断に場所的に創造することが先決的任務となる」(『日本の反スターリン主義運動 II』 494ページ)

「決起するのは決定的な瞬間においてのみである」(『組織論序説』268ページ)

 

 革命戦術

 革マル派は、後進国における革命については「民族主義的限界」があるとして否定的であり、したがって「アジア人民との連帯」であるとか「後進国人民との共闘」などといった戦術に対しても、きわめて限定的な場合にしかこれを採用していない。

 また、「革命の形態は武装プロレタリアートの組織化と権力との関係によって決まる」として、「暴力革命」を軽視はしていないものの、「武装蜂起」絶対主義ではない。「暴力革命」実行の可能性に対する立場は、一昔前の日共の「敵の出方による」論に近いと言える。事実、「いわゆる過激派」的な「武装蜂起」の典型として一般に捉えられがちな「爆弾テロ」や「金属弾テロ」・「放火テロ」などを行なっているのはあくまでも中核派や解放派などであって、革マル派は、このような「武装蜂起」は、一度として行なったことがないのである。

 行動パターンとして「たたかわない革マル」などと呼ばれ、その基本的行動パターンは日和見的であるとされる。これは、革命情勢が到来するまで、ひたすら力量の蓄積を図るべきだとする「待機主義」にもとづくものである。組織としての「純粋性」を重視する立場から、さまざまな運動における他党派との「共闘」については、革マル派がその運動において「主体性を堅持」できる可能性がない限り、常に否定・敵対的態度をとる。他党派の集会を妨害したり、集会会場に大挙押しかけたり、会場のすぐそばで「独自集会」を開いてみたりする、などの手段によって、「闘争破壊」に乗り出すことも多い。





(私論.私見)