革マル派の労働者組織
革マルは、郵政省の「全逓」、NTTの「全電通」などなど、連合系の主要労働組合にフラクションを保持している。なかでも「JR総連」(柴田光治委員長:組合員7万人)は国内唯一の巨大労組と言ってよい。革マル派副議長・中央労働者組織委員長の労働運動家・松崎明は、”鬼の動労”と異名を取る「国鉄動力車労組(動労)」のリーダーとして、1970年代には国鉄当局の生産性向上運動に反対する、いわゆるマル生反対闘争で戦闘的な実力闘争を展開した。が、1987年の国鉄改革に際しては、一転して労使共同宣言を結び、分割・民営化への協力姿勢を明らかにした。こうした流れのなかで、革マル系(政研会)・非革マル社会党系(同志会)が勢力的に概ね半々ずつを占めていた「動労」と、民社党系の「鉄労」は、民営化協力路線の下に合併し、「JR総連」を結成した。「JR総連」は、最盛期にはJR労働者20万人のうち16万人を組織するまでになった。しかしその後、JR西・九州・東海・四国各労組の旧鉄労系の部分は相次いで「JR総連」を脱退し、92年5月、新たに「JR連合」を結成。旧「動労」の社会党系の部分の多くも「JR連合」に流れた結果、「JR総連」は、旧「動労」革マル系の拠点だった東京・高崎・盛岡などの地方本部を含んでいる「JR東労組」(5万6千人)を除いては影響力を急速に弱めている。97年の神戸小学生連続殺傷事件においては、JR東日本各駅のキオスクが、事件の容疑者A少年の顔写真を掲載した写真週刊誌「フォーカス」に対して真っ先に販売停止処分を決定した結果、他のJR各社のキオスクもこれに倣うという事態が起きた。これなどは、「JR総連JR東労組」(=革マル)の側の政治的意向が、「JR東日本」経営側の方針に直接反映された典型的な事例である。
革マル派の武装組織学生・労働者に対する革命家としての「教育」において、革マル派が何よりもまず重視するのは、「個人の自己変革を目的」とした「理論学習」である。デモの戦法やテロ襲撃術などの「軍事訓練」に類する教育のレベルは、中核派や青解派などと比べると遥かに低い。革マル派の武装部門を担う「全学連特別行動隊」は構成人数100−200名程度の部隊と見られる。あくまでこれは学生のみによって構成された単なる「ゲバ棒武装」部隊にしか過ぎない。革マル派は、「労働者の武装化」についてはいまだ実際には何ら手をつけていない。
革マル派の諜報活動
偽造警察手帳や偽造公安調査官手帳を使っての「聞き込み」活動、自分たちで製作した合鍵を用いての家宅侵入行為などなど、情報収集活動には非常に積極的である。91年のJR東海葛西副社長(当時)の女性スキャンダル暴露であるとか、95年の国労中央による亀井静香運輸大臣(当時)らへの1億9000万円献金スキャンダル暴露、神戸小学生殺人事件に関する容疑者A少年の「検事調書」や「捜査報告書」などの情報源も、こうした日々の違法な活動をつうじて入手しているのであろう。
革マル派は、敵対党派とその関係者に対する盗聴を広範囲に行っていることがすでに明らかとなっており、またNHKテレビの電波ジャックを成功させたこともあるなど、無線・通信技術の「活用」能力については新左翼中第1位と言ってよい。96年春以降続発したJRの列車無線妨害事件についても、革マル派の犯行ではないかとの説が、中核派などによって唱えつづけられている。情報化部門においては、革マル派は同盟員に郵政省職員・NTT職員を多数抱えており、またソフトウェア会社を経営したりもしている。コンピュータ・ネットワークにおける革マル派の潜在的「戦闘能力」も、実は極めて高いと言えよう。
機関誌紙活動
* 機関紙・・・週刊「解放」(ブランケット版8ページ) 推定発行部数10000部
* 機関誌・・・隔月刊「共産主義者」
革マル派の機関誌紙活動における大きな特色は、他の新旧左翼勢力を批判する論文・記事の掲載が異様に多いことであり、平均して「解放」各号記事の3分の2程度をこれが占めている。「神戸小学生連続殺傷事件」を「権力の謀略」であるとして弾劾する記事も毎号のように掲載されている。この一連の「神戸事件謀略論」キャンペーンは、実は他党派の内部撹乱を狙ったものと見られ、日本共産党をはじめ、またその他の敵対諸党派にも一定程度の打撃を与えているようである。
反帝・反スタ
革マル派の革命理論は、同派の前議長・黒田寛一の「反帝・反スタ」理論である。これは、トロツキズムの「反帝国主義・労働者国家擁護・スターリン主義官僚打倒」理論を”批判的に摂取”したもので、国際的には * 先進資本主義国家に対して・・・資本主義国家権力・帝国主義打倒、 * 社会主義国家に対して・・・スターリン主義官僚打倒。国内的には * 日本帝国主義打倒 +「スターリニスト日共」打倒の一挙的実現を目指すものであった。「労働者国家擁護」が抜け落ちた一方、「反スターリン主義」が強調されている、という点が黒田の独創である。
革共同第一次分裂において、「100%トロツキスト」を自認していた太田龍の一派(のちの「革共同・第4インターナショナル日本支部」)は、第4インターナショナルの多数派であるパブロ派の、「反帝」と「労働者国家擁護」を主とし「スターリン主義官僚打倒」を従とする理論に従うべきだとの考えから、黒田理論とは相容れず、革共同を脱退する結果となった。
しかしこの黒田理論じたいは、革共同第三次分裂によって黒田らと袂を分かち、以後、革マル派の不倶戴天の敵となっているあの中核派でさえ、いまだに完全には否定しきれていない。中核派は、黒田理論の革命的共産主義運動の発展に寄与した基礎的業績は認めざるを得ず、ただその今日的意義についてのみ、「黒田の理論は何一つ進歩せず、むしろ後退し今日の情勢に全く対応できなくなっている」との批判を加えることができているのみである。中核派も今なお「反帝・反スタ」を掲げてはいるが、やはりどちらかというと「反帝」を重視する。「反スタ」に重きを置く姿勢こそが、黒田理論を忠実に継承する革マル派の特徴であると言える。
トロツキズム系運動の世界的諸潮流の中における黒田理論の位置づけは、第4インターナショナルにおける少数派であったキャノン派流れに近いものである、と言うことができよう。キャノン派は、「スターリン主義の条件付き擁護」を掲げたパブロ派に反対して、「反帝」と「スターリン主義官僚打倒」を主要な戦略的課題とし、「労働者国家擁護」を従属的な戦略的課題に引き下げるべきことを主張した。
基本路線
現代のプロレタリアートは、「二重疎外」の状況にあると黒田は説く。すなわち、 1. 資本制下の”賃金奴隷”としての疎外、 2. 「”賃金奴隷”としての疎外」からの解放を任務とする「前衛党」からの疎外。したがって現代における革命は、この「二重疎外」からプロレタリアートを解放する「人間革命」でなくてはならない。そのために必要となる戦術とは、
・スターリン主義の欺瞞性暴露−マルクス主義の「現代的展望」としての「革命的マルクス主義」の理論の確立。(マルクスの理論をそのまま受け継ぐのではなく、「生きたマルクス主義」の「創造」、つまり「革命的再生」を目指す)
・「二重疎外」からの「自己解放」を目指す、新しい「革命的前衛組織」の確立。(「真の前衛党」を建設するためには、党は「たんなる革命家の組織」ではなく、「共産主義的人間としての主体性の確立」を成し遂げる「人間改革の場」でなくてはならない)
の2点に他ならない、という。こうした「理論・組織重視」が革マル派の基本路線である。
運動論
革マル派は、世界情勢に関して、「現代は『革命前夜』的な状況にある」(中核派元議長・本多延嘉の言)などといった現状分析を真っ向から否定しており、中核派の”大衆運動第一主義”を批判している。組織温存路線の立場から、1969年東大全共闘の安田講堂攻防戦では、機動隊の突入を前に唯一講堂から主力部隊を退去させて決戦を避け、同年9月の全国全共闘結成にも参加しなかったため、以後、他の新左翼諸派からはほぼ完全に孤立している。
*参考となる黒田寛一の発言:
「もっぱら危機感をあおりたて、焦燥感にみなぎった空疎な行動に走るのではなく、階級闘争の広大な大衆的組織と組織的基礎を不断に場所的に創造することが先決的任務となる」(『日本の反スターリン主義運動 II』 494ページ)
「決起するのは決定的な瞬間においてのみである」(『組織論序説』268ページ)
革命戦術
革マル派は、後進国における革命については「民族主義的限界」があるとして否定的であり、したがって「アジア人民との連帯」であるとか「後進国人民との共闘」などといった戦術に対しても、きわめて限定的な場合にしかこれを採用していない。
また、「革命の形態は武装プロレタリアートの組織化と権力との関係によって決まる」として、「暴力革命」を軽視はしていないものの、「武装蜂起」絶対主義ではない。「暴力革命」実行の可能性に対する立場は、一昔前の日共の「敵の出方による」論に近いと言える。事実、「いわゆる過激派」的な「武装蜂起」の典型として一般に捉えられがちな「爆弾テロ」や「金属弾テロ」・「放火テロ」などを行なっているのはあくまでも中核派や解放派などであって、革マル派は、このような「武装蜂起」は、一度として行なったことがないのである。
行動パターンとして「たたかわない革マル」などと呼ばれ、その基本的行動パターンは日和見的であるとされる。これは、革命情勢が到来するまで、ひたすら力量の蓄積を図るべきだとする「待機主義」にもとづくものである。組織としての「純粋性」を重視する立場から、さまざまな運動における他党派との「共闘」については、革マル派がその運動において「主体性を堅持」できる可能性がない限り、常に否定・敵対的態度をとる。他党派の集会を妨害したり、集会会場に大挙押しかけたり、会場のすぐそばで「独自集会」を開いてみたりする、などの手段によって、「闘争破壊」に乗り出すことも多い。