補足 | 「ブントが目指し潰えた過程考」 |
(取り敢えず資料だけ)
(以下は、裏共産主義者同盟ブント資料館より「現代・過渡期世界と世界革命の展望」)
当時誕生した日本赤軍の流れから、全共闘運動を逆照射させてみたい。と思って取り組んでみたが、「現代・過渡期世界と世界革命の展望」【戦旗第141・2号(戦旗社 1968年8月5日) から】の読み取りがこれほど難しいとは思わなかった。掴みきれ無いのは、私の能力の至らなさをさることながら、語り部が必要以上に難解にしていることにもよるだろうと思われる。只今苦闘解析中。
この頃のブント系諸派の理論的課題は次のような認識によっていたようである。一言でいえば、レーニン的「帝国主義論」では把握しきれない第二次世界大戦後の「新帝国主義論」を創造することであった。 その為には、次のことをまず解析し認識を一致させる必要があった。
かかる位置付けを為しえないところから、中ソ両大国からするプロレタリア国際主義の歪曲の体系がはびこっており、このことが先進国共産主義運動を分裂―解体させずにはおかない。中ソスターリン主義の理論の特徴は、中ソ対立下にあるとはいえ、主体抜きの帝国主義の全般的危機→資本主義の自動崩壊論に支えられており、国際階級動向を過渡期世界の階級闘争として設定できないため、共に戦略戦術を「米帝一元支配」に対して一国社会主義を防衛する体制間矛盾論から立てていることに共通項がある。ソ連派のプロレタリア国際主義は【平和共存世界戦略】に象徴されるが、後進国に民族自決統一戦線、先進国に人民戦線戦略・戦術を指針させている。これは、米帝反革命に屈服した結果現象にすぎない。中共派のプロレタリア国際主義は【周辺二段階革命―反米中間地帯化戦略】に象徴され、後進国に武装民族解放戦争、先進国に左翼人民戦線戦略・戦術を指針させている。しかし、ソ連よりも「左」こ見える中国の毛沢東派も、先進国の共産主義者が遭遇している先進国相互のプロレタリア国際主義の現在的摘用という視点を全く欠落させており、独帝、日帝の侵略、反革命活動を捨象し、闘争を反米民族主義に歪曲せずにはおかない。 【戦後の米帝国主義と軍事同盟】 現代革命の基本問題は次のことにある。 戦後、米帝は「全面的な君臨国家=国際憲兵」としてたち現れることになった。それは、第二次帝国主義戦争による独、日、伊帝への再分割戦の勝利を基礎にした圧倒的経済力、軍事力、政治力であった。ここに現代革命における米帝の分析の特殊必要性と云う特質がある。米帝国主義は、戦後帝国主義世界の盟主としてあっただけではなく、「過渡期世界の盟主」ともなった。西欧・日本帝国主義に対する圧倒的経済的、政治的優位において制圧し、全世界各国に侵略、反革命軍事網を張りめぐらし、核を独占した。米帝国主義は対他帝国主義、対労働者国家と世界プロレタリアートへの反革命をその経済政治、軍事力によって統一し、現代帝国主義国家の危機を突破し、逆に労働者国家群をも含め自己の利益を貫徹する世界的秩序(=ヤルタ体制)に再編した。 【帝国主義の二律背反的な抗争と依存】 だがかかる米帝国主義国家の存立の基礎は一方での西欧帝国主義、日帝の再分割の挑戦に60年代に於て全面的に迫られ、他方西独帝、日帝にはNATO―安保の再編と核保有(すでに仏帝は核武装)を要求され、後進国に於てはヴェトナムを頂点とする人民の反撃の前に後退を余儀なくされた。50年代から60年代後半において、米帝国主義以外の先進帝国主義国家、あるいは後進ブルジョワ国家は、米帝国主義の軍事力を利用することによって、一応の平和的形態で内のプロレタリアートを支配したが、米帝国主義との相対的劣位な同盟の下に制圧され、かつ国家の支配の論理を不純なものにしたが故に、小ブル、農民、都市中間層、学生、 市民主義、民族主義からの反抗を受けざるを得ず、常に政治的不安定を露呈せざるを得なかった。 かくして、米帝国主義の侵略と反革命の統一し得る経済的政治的軍事的基盤は失なわれた。戦後ヤルタ「体制」は最終的にそれが、安保、NATOの日帝、西独帝によって再編される地点で、米帝を世界の盟主の地位から引きずり落さずにはおかない。不均等発展の深化と攻撃型階級闘争の進展は、米帝をして侵略と反革命を統一し得る根拠を消失せしめ米帝国主義国家を死の苦悶に追い込んだ。だが、それは米帝国主義だけの危機だろうか。 以上のことは米帝国主義のみでも、西独・日帝のみでも、単独では現代過渡期世界をブルジョア的に維持し得る方向をもちえず、即ち侵略と反革命を統一し得ず、安保・NATOを強化しつつその内部でのにない手をめぐっての争いとして激化し、帝国主義はその侵略と反革命の不統一性を、国際関係に妥協相互依存と抗争の二律背反的質をもって体現させるのである。仏帝国主義は 米帝国主義の後退に挑戦し、西欧帝国主義の盟主として登場せんとしたが、自己の経済的政治的軍事的力量故に、他帝国主義に対する一定の制圧力を持ち得たが、労働者国家と攻撃型階級闘争に対する妥協は、帝国主義国家の根本的危機を回避したブルジョワ的な意味で過渡的でしかなく、独帝との抗争、米帝の巻き返した破れることと結合し内部崩壊を五月革命として露呈し、地 的、没落帝国主義特有の永続的危機、死の苦悶を開始した。 【危機と攻撃的階級闘争】 新興帝国主義西独帝、日帝は 米帝にとって替って、かっての米帝の如く侵略と反革命を統一せんと志向している。だが彼らは米帝国主義を苦境に追い込め得ても他帝国主義に圧倒的優位を確保し、同時に帝国主義の腐朽と不均等発展から自然発生的攻撃型階級闘争を反革命―制圧する 能力を現在の時点においては持ち得ていないし、また、国内の労働者人民の戦闘組織と議会民主主義制度を解体するファシズム形態も今は持ち得ていない。新興帝国主義国西独は、その新興性故に対外膨脹からの他帝国主義への対抗・攻撃型階級闘争への 反革命を統一することを、極度に要請されつつ、国内矛盾を外化し、逆にその結果としての対外矛盾を激化させ、それを再び国内矛盾として累績せしめ、政治的矛盾を深めている。 【ファシズムかプロレタリア独裁か】 以上のNATO―安保を軸とする過渡期世界の全体の動向の中心点は、以下のことがらである。 第一に帝国主義が死の苦悶を開始し、現代帝国主義国家固有の危機の拡大と侵略反革命の増大を、帝国主義個々の侵略反革命 を統一し得ないところの弱さの反映としての相互反撥・依存の二律背反的国家間関係の強化を通じて実現することによってます ます危機を増大させる内部構造を形成することによって政治的帝国主義の破局の歴史的一時代を迎えたのである。安保・NATOを 軸とする反革命侵略同盟は、帝国主義世界防衛の最後の帝国主義=日・独・米帝国主義にとって世界各国プロレタリアートと自 国のプロレタリアートに対して、侵略・反革命・抑圧の最後の同盟であり、侵略と反革命をファシズム以外の形態で統一せんと する、或いはファシズム以外のに連続させんとする最後の死活をかけた最終的反撃の性格故に、安保・NATO〈改訂〉維持強化せ んとする日・独・米帝国主義の攻撃は自国労働者・世界プロレタリアート労働者国家へも拡がり反革命に転化する質をもつものである。 後進国に於てベトナム解放民族戦線が反革命軍に対し戦闘のヘゲモニーを握り、初期の侵略、反革命戦争の様相を革命戦争に 転化させたが、安保・NATOの攻防戦を通じてプロレタリアートとブルジョアジーの力関係を逆転させ、即ち七〇年前後を境に世界階級闘争は全世界各国で革命と反革命の激突に発展する。 【スターリン主義の破産】 他方スターリン主義によって労働者国家群はヤルタ「体制」に組み込まれ、帝国主義に屈服し、スターリン主義とスターリニスト・レジュームを定着されるかにみえたが、帝国主義の膨脹と弱さの反映としての反革命同盟の強化の過程で、スターリン主義の破産を労働者国家内部の階級闘争の発現に対して、反革命的対応と、後進国→国民的統一戦線から民主的民族国家の建設、 先進国→人民戦線の路線の反動性として表現した。 労働者国家内部の階級闘争は、かかるスターリン主義とその対極としてのブ ルジョア民族主義・帝国主義のゆ着派を抬頭させ、かつ真に革命的な攻撃型階級闘争と結合し、世界革命→世界社会主義に於て 、自己の経済的危機を合せて結合せんとするプロレタリア独裁・世界革命派の萠芽を生み落した。これらの動向は今やベトナム を接点とする段階から、東西独問題、38度線、台湾の緊張等々を媒介に安保―NATO同盟と激突し、世界階級闘争は結合されざる を得ない。 スターリン主義は、自己の歴史的優勢の力としての労働者国家をプロレタリア独裁を形態としての世界革命根拠地国家たることから疎外された。スターリン主義の発生基盤は帝国主義の包囲の中での経済建設の困難性、主体的には、その克服の方向を攻撃型世界革命戦略を解明し、その下にプロレタリア独裁擬制的労賃制を結合させ得ず一国社会主義―二段階戦略、プロレタリア独裁の放棄、 出来高払い制の導入として攻撃的自然発生性に拝跪し、ついにはマルクス・レーニン主義を放棄した。 中共はいち早く反米後進国階級闘争の激化からその周辺二段階革命―反米中間地帯化戦略の破産を迫られ、国内階級矛盾をソ連と結合し、帝国主義との軍事的均衡を基礎にして平和共存(裏返しの冷戦)―国内一国社会主義建設の路線をとる方向で解決するか、或いは世界階級闘争と結合し世界革命根拠地国家としてプロ独により解決する方向をとるかを問われた。だが、毛沢東派は従来の世界戦略を後進国に於て経験主義的に修正しつつも先進国革命を機軸にした世界単一の同時革命戦略確定に到らず、周辺―中間地帯化革命戦略を固執することによってベトナム政策、国内政策を反動的なものにしつつあり、安保―NATO闘争の巨大な意義を見失っている。 【革命戦争、世界同時革命、全世界永続戦争へ】 こうしたスターリン主義の歪曲に拘らず、革命戦争、世界同時革命、全世界永続戦争へと発展する過程を迎えつつある。今こそ世界のプロレタリアートは世界党の指導の下、世界プロレタリア統一戦線の一環として、正規軍を赤軍として組織し、帝国主義の普遍的危機を見通し、自ら政治過程を革命戦争として創出し、世界同時革命を実現し得る。まさにプロレタリア革命の型は、過程に向けプロレタリアートの国際的革命戦線への一環として正規軍を組織し鍛え抜き 、警察権力を陵駕する力量を保持し、帝国主義軍隊内部に不断に動揺から革命軍と反革命軍に分解せしめなければならぬ。公然たる革命戦争を不断に組織し抜き持続し得る党―赤軍―プロレタリア統一戦線(=ソヴェト)の系列が準備され、これを基礎に 中央権力闘争とそれへの陣地戦の統合が運動論的に整理されねばならぬ。 かかる戦略―戦術の設定の質はいうまでもなく、革命の条件の形成の仕方、根本的には帝国主義国家の現代的危機に起因することはいうまでもない。だが、スターリン主義は、かかる攻勢の戦略―戦術を国際プロレタリアートの攻撃性を物化し、疎外し、 外化させ、帝国主義に和解せしめ、同時に自己を世界革命根拠地国家から疎外された労働者国家へと物化せしめたのであった。 【国際主義の現在的内容】 今回の国際反戦会議においてわれわれが獲得しようとするものは、(1) 国際共産主義インターの協議機関設立のための準備と、(2) 革命的国際学連の再建、(3) および当面の行動方針の一致である。過渡期世界の階級闘争(先進国階級闘争・後進資本主義国階級闘争・労働者国家階級闘争の三つの有機的結合)を同時的に 統一するプロレタリア国際主義の基本任務は次の五つのスローガンに要約される。 一、帝国主義打倒・世界革命を目指すプロレタリア独裁の樹立! 二、帝国主義政府の侵略と抑圧と反革命粉砕! 三、民族解放・社会主義革命! 四、労働者国家人民への一切の反革命粉砕! 五、世界革命を放棄し、プロレタリア独裁をさんだつする労働者国家の党官僚打倒! 以上から、「帝国主義の侵略・反革命に対決し、国際的階級危機を世界革命に転化せよ!」が導き出されるテーゼとなる。この戦略スローガンの具体的形態こそが、NATO打倒―安保打倒・ベトナム解放闘争の勝利を保証する。 以上の基準を設定する理由は次のとおりである。帝国主義の基本法則は不変でありこの本質的な法則を死滅させうる唯一の手段は世界革命の勝利のみである。だが、過渡期世界の階級闘争は帝国主義相互の侵略戦争を困難にしている。過渡期世界の帝国主義侵略は、(1) まず経済的・政治的侵略に対峙する後進国の権力は解放闘争に直面し、これを鎮圧する反革命軍事力が要請される。(2) そのためには自国労働者人民の体制内的抑圧と反革命体制が要求される。(3) 更に後進国階級闘争の根拠地=労働者国家人民の革命的力を封じ込め、スターリン官僚から平和共 存政策を引出す反革命軍事力を持たなければならない。 【世界的階級闘争の現状況】 それは何よりも、19C世界市場の成立以来なかんずく、帝国主義段階に突入し、レーニンの言うところの「帝国主義が全地球 を分轄しつくし」金融資本による圧倒的資本の集中、集積と、その国内市場に対する生産力の過剰が構造化し、かつ世界的な意味での帝国主義列強による資本、生産手段の集中と、政治力・軍事力の集中以来、地球のすみからすみに到るまで、一国において自足し、生存し得る国も人民も存在し得なくなったことに基くものである。いかなる支配階級も、人民も国家も自己の世界戦略を、なかんずく帝国主義列強に対する自国と民族を媒介した連関を打ちたてることなくしては、将来は勿論、一刻も自己 の存在する事を許されないこの世界史的時代に規定されているのである。 【帝国主義列強の争闘激化】 1968年以後の戦後世界の最大の特徴は、キューバ、ベトナムと続く植民地武装解放闘争、それに大きく規定されたアメリカ の黒人暴動、ベトナム反戦と、汎太平洋において展開されてきた突出した闘いが、それらを構造的要因とし、かつ拡大しつつも 、フランス、西独、日本を貫ぬく新興帝国主義における危機と激動が開始し、アメリカ―ヨーロッパ―日本―帝国主義心臓部に おける革命と反革命の決着が70代に向けてせまっていることを示したことであり、70年安保、69 NATO、ベトナム反戦の闘いが 、それへの焦点となろうとしていることである。 70年代にむけての世界帝国主義の危機は世界市場争奪戦の激化、保護主義の擡頭、INF機構解体のもとでの侵略・反革命戦争 、ファシズム、統制経済へと不可避的に進行する鉄の法則である。60年代後半〜70年代にかけての世界資本主義の構造的危機はアメリカ、イギリス両国の通貨危機が、世界的な不況圧力が不安定要因として一層構造化し、他方それをもたらした不均等発展の対極にあるEEC諸国――なかんずく西独にみられるごとく戦後最大の不況(1968年)―新興帝国主義の構造的危機を抱える中で、各国帝国主義の対外分轄戦―勢力圏確保へとかり立てざるをえないことである。50年代の世界経済を支えた―新興 帝国主義、ヨーロッパ、日本に於ける20年代―大戦前にかけてアメリカで開始された技術の導入―新規産業構造の確立にもとずく高度成長。(2) 世界経済の統一性の鍵である国際通貨ドルの200億以上に及ぶ金準備。(3) 巨額の貿易収支黒字、資本収入にも とずく対外援助、資本輸出による各国輸入能力の増加―は全て逆転した。これらは商品市場をめぐる争奪戦、一方における工業間貿易をめぐる保護主義、他方での50年代EEC、日本の工業間貿易の発展と後進国市場の停滞によって自立不可能を証明された植民地諸国の危機にもとづく、各国帝国主義に対する経済的・政治的・軍事的従属を押し進め更には国際通貨ドルの危機、あるいはその国際通貨としての機能の停止にもとずく世界経済の統一性の解体と、世界的デフレ―不況への展望として、今、各国帝国主義者をして脅やかしているのである。 【西独非常事態法の成立】 われわれはファシズムを、帝国主義戦争による破壊と革命の嵐、労働者国家の成立を経た帝国主義段階で、持たざる帝国主義が再度再分轄―戦争を準備するときに、小ブルをも動員し、労働組合、社会民主主義政党(共産党は勿論)ETCの民間における民主主義組織と議会制度をも粉砕する専制権力と規定する。第一次帝国主義戦争にあっては、帝国主義が全世界を支配しているが故に、労働者階級を域内平和のもとで排外主義的に戦争に動員しえたのに比し、第一次帝国主義戦争の結果としての労働者国家の成立に規定される帝国主義内部の構造的政治的不安定性(それは労働者国家が帝国主義に対する恒常的内乱と武装したプロ レタリアとして第一義的に存在するからであり、これは客観的には帝国主義の支配力の限界と帝国主義内部における共産主義運動の存在を前提しているからである)この問題は、当然にも第二次帝国主義戦争以降の、東欧、中国にわたる労働者国家群の登場と、後進国武装解放闘争の拡大の中で、引きつがれ、ファシズムの再登場と、国際反革命同盟として現在ある。 【「五月革命」、危機の仏帝】 「五月革命」は支配階級をして革命軍の登場に対して「共産主義かドゴールか」の宣言。 ドイツ駐在NATO軍と戦車隊のパリ進駐、アルジェリア叛乱軍のマシュー・サランとの結合によって第一義的に国内反革命を設定した。だからこのことは、プロレタリアをして密集した革命軍・二重権力運動として登場させ、人民戦線が独自の世界政策を持つ理由をなくし、支配階級をして赤裸々な反革命と、NATO、ドイツ反革命軍を結合せざるを得ない方向に追いやることが、いずれをも粉砕する唯一の道であり、この地点へ向けての独プロレタリアと結合した、独、仏帝国主義同時打倒を推進することである。(この問題は独においても政治的に真理である) 五月激動におけるフランスプロレタリアートの要求は、第五共和制打倒=ドゴール打倒と賃金の20%アップであった。指導し た新左翼諸潮流とプロレタリアートの闘争形態は、街頭暴力デモと工場占拠(生産停止)であった。闘いは戦闘的であったが、 ドゴール打倒後の革命的展望を示しえなかった。指導部は激動の導火線たりえたが、権力獲得の準備は出来ていなかった。思想的には、アナーキズムと伝統的サンジカリズムと毛沢東のフランス版的サンジカリズムの混在としてあり、世界革命を具体的に志向する戦略戦術で理論武装し得ず、既成公認共産党と訣別したが、未だみずからを別個の前衛党として位置ずけていなかった。 したがってドゴール打倒後に革命を全ヨーロッパに拡大して、プロレタリア独裁を樹立する目的意識性にかけていた。そのことは戦術的にも表現されている。即ち、工場は占拠したが、行動委員会を地区ソヴェトへ組織し、工場労働者を軸とした地区ソヴェトによる「生産管理」を実行することができなかった。街頭暴力デモも戦術的にはバリケード戦を展開し、都市の市街戦形態を全世界に示した成果は大きいが、権力中枢をマヒさせ、占拠し、全国ソビエト(行動委員会)で運営する攻撃性がなかった 。中央官僚機構の占拠と管理運営、中枢暴力=軍との対決を通した解体を電撃的に追求すべきであった。 政治権力奪取なき工場占拠(生産停止)は小ブル中間層を生活と政治危機脱出の展望に対する動揺と不安からプロレタリアー トに敵対させる結果を招いた。新左翼の指導部は、ドゴールの選挙戦術を、断固として拒否し実力で粉砕するべきであった。選挙を粉砕出来なかった時点で 決着はほぼ決っていた。フランス五月激動の敗北は、国際階級闘争史上いかなる位置を占めるか。 30年代ドイツプロレタリアートの敗北は、ファシズム反革命の勝利と帝国主義侵略戦争の開始を意味する、国際階級闘争の全面的敗北にもつながる一時代を画した敗北であった。だが五月激動の敗北は、一時代を画するような敗北ではなく、世界的高揚の中での小局面としての敗北である。 【日帝のアジア侵略と安保】 かかるNATO粉砕、自国帝国主義の侵略、反革命に対する闘いと軌を一にしたASPAC―沖繩―70年安保、即ち自国帝国主義の侵略反革命と日米同盟に対する闘いとの結合が日本プロレタリア人民の任務となる。 それは一方に於ける体制間矛盾論が日本プロレタリア人民の任務を日米同盟、或いは、米帝への日帝の加担にのみその任務を限定し、民主連合政府、人民戦線的、日帝の米帝反革命同盟からの離脱運動という(かってのフランスにおける反独ナショナリズム 、あるいは仏共産党の反米・反独ナショナリズム)反革命同盟それ自体がもたらす自然発生的昂揚に埋没すること、従って、危機への深化がもたらす反革命・膨張運動の暴力と排外主義の前に粉砕される(何故なら新興―持たざる帝国主義日本における革命と 反革命の決着はドイツと同じく、かってのフランス人民戦線的余裕、すら持たないからであり、且つ日米同盟か否かという形で基本問題が設定されるわけでもないからである。この反ベトナム侵略、反日米同盟の延長に革命を考える考え方は日本帝国主義とその危機への過少評価であり、危機が生みだすアジア侵略にむけての権力と一体化したファシズム運動との対決を想定しない。反ベ トナム、反日米同盟の実力闘争と大衆の自然発生的昂揚が帝国主義のかかる方向性に対する再度の分解と結合をなし得るか否かが勝利の鍵を握っていることを見抜けぬ日和見主義となるからである)必然性にあることである。 【これ以上は纏めきれず、再度中折れ】 |
(私論.私見)