【提言8、統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ。全共闘運動及びその思想を再生させよ】
(はじめに)
「統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ。全共闘運動及びその思想を再生させよ」を提言8とする。これを指摘するのは筆者が始めてかも知れない。詳論はサイト「マルクス主義考」所収の「共同戦線論考」に記す。これにつきコメントしておく。
「統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ」。これを「提言8の1」とする。
日本左派運動が受容したマルクス主義の悪しき俗流化として国有化理論のほかに統一戦線論が有る。筆者は、統一戦線論の吟味以前に「統一」という文言に拘る。世上で統一という言葉が用いられる際は、大抵ロゴス派的ネオシオニズム発想に基いていると思えば良かろう。この文言は左派運動には本来無縁の用語であるのにいつのまにか導入され、我々が無自覚なまま通用させてきた経緯がある。そろそろこのことに気づかなければならない。以下立論するが、それでもなお「統一」表現に拘り続けるとしたら俗に云う「漬ける薬がない」か意図的故意で用い続けているかのどちらかになるだろう。
従来、左派潮流の共闘を「統一戦線」と表現してきたが、左派運動の本義に於いては「共同戦線」と表現すべきなのではなかろうか。ニュアンスの違いではあるが、「統一戦線」という表現には、マルクス・レーニン主義者党を自認する党中央を絶対の正しき党と見なした上で、マヌーバー的な戦略上の妥協として導入されるものの、実際には党中央を「奥の院」に据えており、その睨みの構図の中で党フラクション組織としての大衆団体、労働組合、その他組織を結集させ、その周りに他党派、諸潮流の取り込みをも図るという自尊構図が見られる気がしてならない。
してみれば、マルクス・レーニン主義は思想構造上ネオシオニズム式ロゴス派のそれと通底していることになる。我々が求めるのは本来逆のカオス派的なものではなかろうか。党内に異論と派閥が認められ、平常も党大会でも議論がかまびすしく為され、その同じ論理で他のどのような組織とも課題毎に時局に応じて共闘を目指すというのがこの種の運動に本来期待されていることなのではなかろうか。という訳で、筆者は以降、「共同戦線」と表現することにする。これより以降、統一戦線なる用語を使う者は、筆者のこの指摘に理論的に反駁せねばならない。
現下左派運動諸党派の党中央の呼びかけで為されるその種の運動は統一戦線運動と見なしても良かろう。なぜなら、彼らは、例の民主集中制に繋がる満場一致世界を現出する組織論に相応しい統一戦線運動を志向しているのだから。ちょっとの認識上の違いであるが、意味するところは運動観の世界が根本的に変わるほど大きな違いでもあるように思われる。
統一戦線論の由来は、生硬な急進主義的マルクス主義運動が社会民主主義運動排撃論を生み出した反省の上に立って代わりに登場してきたものであるが、これにより直接の党派運動の展開を控える代わりに非党派的つまり無所属を装う人民戦線的運動が生み出された。統一戦線論とは、この運動指針論のことを云う。
しかし、筆者には臭い話でしかない。統一戦線論は、革命の前衛としての党派運動を隠しているだけで、大衆運動的に見せかけてその実、その手綱は常に党に有るべしという妙な理論でしかない。衣の下に鎧が見えており人民大衆を馬鹿にしている。互いの党派がこれをやるとどうなるかと思い浮かべれば正体が分かろう。要するに姑息な戦法である。歴史的に見てユダヤ教パリサイ派の得意としてきた陰謀的秘密結社の得意とするカムフラージュ理論と良く似ていると思うのは筆者だけだろうか。
筆者は、この種の運動をマジに掲げる党派の感性が信じられない。本来ならいっそのこと堂々と共同戦線論として打ち出すべきところであろう。各党派は、党派的利益を差し置いて運動の利益を主眼にするべきであり、その運動を通じて切磋琢磨し揉まれるべきではないのか。それで不満な面は、党派の直接の運動で補完すれば良かろう。党派独自の運動を世に大胆に提起できないとしたら、そもそもイカガワシイ話ではないか。問題は、どちらもやれば良いだけのことではないのか。
直接的な党派運動が非合法の場合も何ら事情を変えない。どちらもやれば良い。それだけのことである。党派運動が合法の場合にはなおさら直接的な党派運動を目指すべきだし、他党派及び大衆団体と組むなら共同戦線でやれば良い。それだけのことであろうが。それを敢えて統一戦線でやろうとし且つ党派的基準を持ち込むところが胡散臭い。
統一戦線論の素性は哲学的にも思想的にも組織論的にも運動論的にも怪しい。統一と共同の間には元々千里ほどの間がある。共同戦線論を生み出すべきところを敢えて統一戦線論を押し立ててきたというのが真相であり、何ゆえにかような方法が持ち込まれたのか訝らねばならないと思う。統一戦線論はどこかに司令塔的センター基地を控えさせており、タガハメされている。それはあたかも薄っぺらな国際主義論がネオシオニズムの奏でる詭計理論であることと通底しているように思える。各派が対等でない裏の仕掛け人が居るということである。我々はかような統一戦線論と早急に決別せねばならぬのではなかろうか。
次のように見立てることもできる。現代史を紐解く精神的エッセンスはルネサンスの精神であり、これを保持するかどうかで文明度が推し量られる。ルネサンスの洗礼を受けた者が近代以降の歴史の正統な継承者であり、これを弁えぬ者は、個人であれ組織であれ党派であれ旧人であろう。つまり、近代ルネサンスの洗礼リトマス試験で正反応しないのは封建的君主的秩序派であり、反応するのが開明的議会的秩序派とみなすことができる。
これに照らせば、社民排撃論にとって代わった統一戦線論の素性も相変わらずの封建的君主的秩序の範疇のものであり、否陰謀的結社の運動論の範疇のものであり、我々が受け入れる訳には行かない種のものである。本来必要なことは、組織の内も外も運動のそれも政権取る前も後も共同戦線で邁進すべきである。何事もぼちぼちやれば良いのだ。端からこれでやっておれば今頃の政治情勢は今よりは随分先へ進んでいるだろう。
共同戦線論は当然、参加団体のサミットを要請する。その場で喧々諤々すれば良かろう。粘り強く何度もやれば良かろう。ここに能力が問われている。そして共同行動すれば良い。足らずは相互に自前の党派運動で補足すれば良かろう。日本左派運動は、世界のそれもそうかも知れないが、こういう能力を持っていない。この能力を獲得できないうちは革命なぞできっこないだろうし、下手な革命なぞ起こして貰いたくもない。こういうことも云っておきたい。
「全共闘運動及び思想を再生させよ」 。これを「提言8の2」とする。
「統一戦線と共同戦線の識別」に至れば、日本左派運動史の中で最も成功裡にこれを成し遂げたと思われる「全共闘運動及びその思想」に思いを馳せねばならない。実は、全共闘運動は、日本左派運動が始めて組み立てた党派間連衡の共同戦線運動ではなかったか。その意味で、全共闘結成に尽力した諸氏の功績が高く評価されねばならない。筆者が、60年安保闘争同様に理論はともかくも本能的に正しく振舞ったと評する所以である。しかしながら、当の本人が、果たしてこのように意義を認めていただろうか。その後の全共闘各派はその重みに耐えかねてか、それを更に発展させるよりは自主的解体の方を選んでしまった。しかし、一時的にせよそれを獲得したという史実が尊いように思われる。
ちなみに、これに参画した党派とこれに敵対した党派を掲げ、違いを愚考してみることにする。70年安保闘争過程の1969年9月5日、日比谷野音で全国全共闘会議が結成された。どのセクトとも特別の関係を持たなかった東大全共闘の山本義隆(逮捕執行猶予中)を議長に、日大全共闘の秋田明大を副議長に選出し、ノンセクト・ラディカルのイニシアチブの下に新左翼8派を組み入れ、全国178大学の全共闘組織が生まれ、全国の学生約3万4千名が結集した。
8派セクトは次の通りである。1.中核派(上部団体−革共同全国委)、2.社学同(同−共産主義者同盟)、3.学生解放戦線(同−日本ML主義者同盟)、4.学生インター(同−第四インター日本支部)、5.プロ学同(同−共産主義労働者党)、6.共学同(同−社会主義労働者同盟)、7.反帝学評(同−社青同解放派・革労協)、8.フロント(同−統一社会主義同盟)。
これを出自から見ると、革共同系、ブント系、元社会党急進主義系、元日共構造改革派系から構成されていることになる。これを逆から云えば、これら党派は共同戦線運動に馴染める運動論組織論を構築していることになる。これに加わらなかった革マル派、日共系民青同、中共系諸派等々は、共同戦線運動に馴染めない運動論組織論を構築しているのではないかということになる。
筆者は、共同戦線運動を推奨する。それは戦略戦術問題というより、もっと深いところでの人間種族の群れ方として根本的に認め合わなければならない原理だと心得るからである。ここを立脚点としつつ丁々発止の駆け引きで共闘していく知恵こそ大人のそれであり、これができぬのは子供段階の運動でしかないと思う。逆から云えば、統一運動論に権力発想的臭いを嗅ぎ取り、それは往々にして良からぬ結果しかもたらさないと心得るからである。それは容易に得手勝手な真理に繋がり、権力如意棒となって異端ないしは少数意見の排撃に向う。事実、右からであれ左からであれ、統一呼号論者の運動にはろくなのがありはせぬではないか。
この観点はあるいはマルクス主義のそれではないのかも知れない。アナーキズムのそれであるのかも知れない。ならば、筆者はアナーキストであっても良い。なぜなら、組織論、運動論に於いてこの作風こそが踏まえられる原点となるべきだと思うから。もし、マルクス主義がこれに立脚していないのなら、それは明らかに間違っている。その負のツケが自己撞着して今日の貧困にまで至っている気がしてならない。
筆者が信奉するのは、「自由、自主、自律」的な運動である。仮にこれをルネサンス気風と表現している。我々が擁護すべきはこのルネサンス運動であり、そのレベルが高いものであるなら、このレベルに合わせられる人士をより多く輩出するよう日頃から理論を練磨し実践運動に有機的に取り組めばよいのではないのか。左派運動がそれなりの格を持つものになるのは致し方ない。考えて見れば、政治運動そのものが恐らく人間諸力の実践形態としてはかなり能力を要する分野のものであり、尚且つ高尚なものではあるまいか。そういう気がする。
「9条改憲阻止の会運動を擁護発展させよう」 。これを「提言8の3」とする。
現在、「9条改憲阻止の会」が結成され、60年安保闘争時の「6.15国民会議の第18次統一行動、安保改定阻止の第二次全国スト闘争」に於ける国会突入事件時の樺美智子女史の革命的死に対する追悼を記念しての「6.15集会」の開催に漕ぎつけている。呼びかけ人の一人であられる藏田計成氏は、「西川純氏上告審、救援をめぐる政治的混乱の克服を願って」で、次のように述べている。
「07年『6/15共同行動』は、新左翼諸党派の半世紀の敗北と解体という過去の困難さ、対立、内ゲバ、粛清等の過ちを歴史の教訓に刻み込み、現在的政治課題=9条改憲阻止闘争に向けて、自らの歴史責任を果たすための重要な第1歩でした。いわば運動再生の重要な契機として、個を基底にした大同路線という運動理念に、原点回帰を試みたのであり、そのような場として、政治的空間を創出する努力を追求していったのでした。たんなる『仲間内』という範囲を越えた運動体としての可能性、広がり、共有空間の獲得、飛躍に向けたある種の手応え、運動への熱気を感じとる『政治的評価』に裏打ちされた事態等をつくりだすことができたものと確信しています。いうまでもなく、これを可能にしたものは、唯一『小異を残して、大同につく』という個別党派利害を超えた、参加者個々人が支える運動組織原則、運動理念の獲得でした。その結果『個人的バリアー』『政治的バリアー』ともいえる敵対的な感情、違和感、対立は、共同行動を直接媒介することによって、確実に緩和されました。対立を越えた次元の『新たな人間関係の形成』という貴重な教訓を実感できたのでした」。 |