【提言3、反ネオシオニズムの諸国共存共栄型民族主義運動を新創造せよ】
(はじめに)
「反ネオシオニズムの諸国共存共栄型民族主義運動を新創造せよ」を提言3とする。なぜこの運動を称揚するのかというと、提言2で述べた如くなネオシオニズムにより仕掛けられているワンワールド型国際主義運動にアンチテーゼしたい為である。我々が目指すべきは、ネオシオニズム式に等級化された服務式国際主義運動であってはならない。各民族各諸国が言語も含めた固有の文化と伝統に支えられた国際主義を目指すべきであり、ネオシオニズム式ワンワールド化されるには及ばないと考えるからである。以下、論証する。詳論はサイト「マルクス主義考」所収の「愛国心、民族主義問題考」に記す。
「近現代史に於いては民族独立が一級の政治課題であることを知れ」。これを「提言3の1」とする。
戦後日本左派運動は、戦前の治安維持法下での抑圧とは違って新憲法により政治結社活動が合法化され自由な活動が許された。というのに65年経由して元の木阿弥、否更に酷いと云わざるを得ないような没政治意識を特徴とする今日的惨状に何故至ったのか、これを問わねばなるまい。筆者は、原因があると考えている。実は、これがネオシオニズムと関係していると考えている。
日本左派運動は、世界史的に見て誇るに足りる日本史に対する無教養、ネオシオニズム問題に対する余りにもな無知であることが原因で、日本人民大衆の琴線に触れぬまま自滅したのではなかろうか。ここでも「真に賢き大衆、愚昧なインテリ」という背理を垣間見ることができると思っている。以下論述するが、筆者は、ネオシオニズムこそ真の人類敵、文明史的厄介物とみなしている。ネオシオニズム支配に比べれば、それぞれの国家における階級闘争なぞ他愛ないほど稚戯的なものに見えてくる。なぜなら、各国に於ける権力闘争史には、ネオシオニズム式容赦のない悪魔的支配に比すればまだしも上下睦み合う美風があり、強権支配と雖(いえど)も多少なりとも手加減というものを心得ていたように思えるから。
過去ネオシオニズムにより打倒された王朝の政治支配は、人民大衆の側から見て失われてより懐かしみに変わっている面が窺える。このことは、新たな権力体として出現したネオシオニズム支配に比してまだしも善政であったのではなかろうかということを意味する。これは、植民地化された世界中の例然り、先進国的なフランス革命、ロシア革命、日本の明治維新にも当て嵌まる。つまり、ひとたびネオシオニズム支配を受け入れるや、収奪、精神支配が酷過ぎる社会がもたらされることになる。一見そう見えない面があるとしたら、ルネサンス以降の歴史的流れによる文明的発展の賜物としての産業革命以降の近代化の果実に負っているからである。ネオシオニズムは、この流れをも捻じ曲げていると知るべきだろう。
マルクス主義を始めとする当時の新思潮は、そういう危険なネオシオニズム支配に道を開いた面が認められる。そういう意味で、特にマルクス主義の「労働者は国家(祖国)を持たない」テーゼに象徴される国際主義を検証せねばならない。これを確認すれば、「共産主義者の宣言」(通称「共産党宣言」)はれんだいこ訳によれば次のように記している。
「共産主義者はさらに、国家(祖国、country)と民族性(nationality)を廃止しようと望んでいるとして非難されている。労働者は国家(祖国)を持たない。持ってもいないものを、取り上げることなどできない。プロレタリアートは、なによりもまず、政治的支配権を獲得せねばならない。国家の支配階級にまで成り上がらねばならない。自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない。 |
「当時、我々が革命闘争の本質をどのように見ていたかということを敢えて探してみるならば、それが自覚されていたか否かに拘わらず、革命闘争の目的を労働者階級が『民族』、『国家』を『乗り越える』ところに求め、闘争に起ち上がる動因を労働者階級の『世界史的存在』への『自覚』に求めていたということができると思う。一言でいって『国家』、『民族』を否定していくことが革命闘争の本質だと見ていたということができる。完全な『コスモポリタニズム』であり『無政府主義』である。革命闘争の本質をこのように見ていたが故に、『世界同時革命論』が展開されたということもできる。これは正しいだろうか」。 |
「マルクスの労働者階級に祖国はないという意味は、労働者階級に国家が必要ではないという意味ではなく、労働者階級は、まだ、主権を握っていなくて自分の国は持ってないという意味でしょう。また、労働者階級は国際主義的存在であるから国境に縛られることなく、万国の労働者は団結できるということでしょう。だからと言って、国境の存在そのものを否定したわけではないと思うよ。だけど、我々は、日本にいたときは、労働者階級には自分の国はなく、国境はなくすべきものと理解していたからね。今思えば、国境をなくせよと言うのは、大国主義の発想だね。これは、朝鮮に来てよく分かったね。朝鮮は中国、ロシアという大国に囲まれている国だ。この国に国境をなくせよと言うのは、朝鮮をなくせよと言うことと同じだよ」。 |
「日本の国の形としての和的政治の質の高さを尊べ」 。これを「提言3の2」とする。
「提言3の1」で述べた「日本式和の政治」を立論する為には、日本史の古代よりの国の成り立ちから説き起こさねばならなくなる。それも遥(はる)か太古より説き起こさねばならない。日本左派運動は、戦前の皇国史観を批判する余りに天皇制そのものを頭ごなしに一括否定し過ぎてしまった。何より反省すべきは、天皇制以前より貫通する「日本の国の形としての高度に文明的先進的な和的政治の質の高さ」をも洗い流してしまったことであろう。今からでも遅くない見直すべきである。以下、このことを確認する。
日本史は、その政体から見て、記紀以前の諸部族連合的王朝国家としてのこの国の形に注目せねばならない。筆者の判ずるところ、いわゆるアイヌ王朝論、出雲王朝論あるいは邪馬台国論になる。この時既に「日本式和の政治」が確立しているように思われる。日本は相応の古代史書いわゆる「古史古伝」と云われるものをを有しており、それらがかの時代の政体を伝書しているにも拘わらず、この方面の研究は非常に遅れている。緒にはついているが、学際的な研究が為されていない。このことを危ぶむべきであろう。頭から偽書扱いするのは精査してからの方が良かろう。
次に、神武東征譚から始まる記紀に表象される天皇制に結節するこの国の形に注目せねばならない。記紀の語るところ、渡来系の高天原王朝は、「豊葦原の瑞穂のうまし国」としての原日本を手中にせんとし始める。まず、その頃、最大勢力として諸部族連合的王朝国家を形成していた出雲王朝に国譲りを迫る。最終的に顕界としての政治権力を高天原王朝が獲得し、出雲王朝は幽界としての宗教的活動、地域の産業振興のみを許され、有能な士は高天原王朝を輔弼する形でのみ政治に関わることで合意となった。この時、戦争と和睦の果ての「手打ち」という日本政治の原型を生み出している。これを仮に「日本式和闘手打ち政治」と命名する。
続いて天孫降臨、神武東征を経て畿内大和を手中に治めることにより天皇の御代が始まり、いわゆる大和王朝が創建される。これが天皇制の起源となる。が、その内実は高天原王朝と出雲王朝とその他諸部族との連合政権であった。決して高天原王朝が在来の土着勢力をなぎ倒した訳ではない。新権力も旧権力も、国譲り時の約定である「日本式和闘手打ち政治」を政治原則として遵守している形跡が認められる。
大和王朝内はその後不断に政権交替して行くが、興味深いことは底流で「止めを刺さず相手をも思いやる手打ち風和の政治という日本政治の型」が継承されているように思われることである。且つそれが例え建前に過ぎなかろうとも
「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」(新古今和歌集 巻七 賀歌 仁徳天皇 番号707)的王朝理念を掲げて伝授し続けていたことは史実である。「日本式和闘手打ち政治」が機能していたと窺うべきだろう。過去、あまたの記紀研究が為されているが、この関心からのアプローチは為されていないように見受けられる。戦前の皇国史観は、日本史の底流に流れている古きよりのこの政治の形を見ることなく、出雲王朝を悪しざまに罵詈、高天原王朝の絶対賛美に向かった政治主義性の強い偏狂学問であったことを知るべきだろう。
次に、鎌倉時代の武家政権登場より江戸幕末へと至る、7百年に亘る天皇制と武家権力との二元的支配によるこの国の形へと至る。武家政権も不断に政権交替して行くが、興味深いことはここでも底流で「日本式和闘手打ち政治」が継承されているように思われることである。更に、幸か不幸か恐らく幸いなことに緩衝聖域として天皇制を遺し、政治的抗争の際の究極の拠りどころとした。時に天皇側から政治権力を求めた時代もあるが、概ね民族的文化的統合象徴としての役割に甘んじ、それを良しとしてきた。そういう意味で、戦後憲法に結実した象徴天皇制は、日本式政治の伝統的な型の復権とみなせる。日本左派運動側からする天皇制に関するあまたの歴史研究が為されているが、この関心からのアプローチは為されていないように見受けられる。
次に明治維新以降の近代天皇制によるこの国の形へと至る。ほぼ150年を経て今日に至っているが、興味深いことはここでも底流で「日本式和闘手打ち政治」が継承されているように思われることである。但し、この時代になって初めてネオシオニズムの蚕食が見られるようになり、これに応じて戦争国家化しつつ政治の残虐性が倍加している。明治、大正、昭和、平成の各天皇及び皇室も相当程度これに翻弄されている。過去、あまたの歴史研究が為されているが、この関心からのアプローチは為されていないように見受けられる。
日本史を天皇制のカテゴリーで見れば以上のように4分類できるが、それぞれの社会の構造、支配関係、人民大衆の生活実態、総じて歴史について客観的に検証せねばならない。本書は、これを為すものではないので割愛するが、結論として云えば共通して日本式和的社会構造が垣間見えることであろう。敢えて言及すれば、「日本式和闘手打ち政治」の特質は、近代天皇制以前に於いては記紀以前の諸部族連合的王朝国家政治に特に強く、近代天皇制以降に於いては極度に弱まり、逆に日本史上異質なネオシオニズム支配色に染まっているように思われることである。
しかして、日本式和的社会構造政体は相対的にではあるが、世界に誇る稀有な良性にして高度文明先進的な社会体制であったと思われる。決して暗黒史観で記述するには及ばない。よしんばそのような支配実態があったにせよ、あくまで厳格に史実に基いて言及されるべきであろう。筆者的には逆に、「上が下も思い、下が上を敬うと云う日本式和の政治」に対する正当な評価に向かうべきではなかろうかと思っている。これに照らせば、戦前の皇国史観による天皇の絶対君主的権能制と「民の命は鴻毛より軽し」とする支配観の方が異常であったとすべきと思う。「民の竈(かまど)の煙」に思いやる天皇制の方が古来よりの日本政治の型であり伝統的常態であったと知るべきであろう。
これに関連して、よど号赤軍派の指導者・田宮は、高沢皓司著「祖国と民族を語る」(批評社、1996.2..10日初版)の中で次のように述べている。
「民族は自分の自主的意思を擁護しようとすれば、国家を持たねばならない。その国家が民族の利益を擁護する国家、民族と一体の国家であれば、国家意識を高めることは、民族意識を高め、民族自主意識を高めることになると思う。しかし、その国が民族の利益と敵対する国家であるとき、国家の権威を高め、力をつけていくことは、民族の利益を脅かして蹂躙していくことになる。戦前の天皇制国家は民族の上に立った、民族の利益とは敵対する国家であった。民族の利益は、侵略ではなく、自主的発展でしょ。だから、天皇制国家は、人々の民族意識を昂揚させるのではなく、それは自主意識を蹂躙する根源だったといえる」。 |
「日本における階級闘争の必然性をどう踏まえるべきか」 これを「提言3の3」とする。
日本にマルクス主義的な階級闘争理論が当て嵌まるようになったのは、幕末以来のネオシオニズム侵略による明治維新を通じての彼ら風の粗暴支配が強権的に導入されてよりである。それは、内に於ける財閥支配、外に於ける軍事的侵略支配、その頂点に立つ近代天皇制権力構造という日本帝国主義が確立されて以来である。そのようにして確立された日本帝国主義は奥深いところでネオシオニズムのクビキに繋げられていた。筆者が思うに、こうなると階級闘争的に闘わざるを得ない。明治、大正、昭和の御代に於いてマルクス主義が脚光を浴びた所以である。筆者は、かく判じている。
そういう意味で、ネオシオニズムを客体化させ、これに対処する正しい戦略戦術を持たなければならない。これが、日本人民大衆の歴史的責務ではなかろうか。付言しておけば、ネオシオニズムは今や世界を席巻し、我が物顔に驕(おご)り昂ぶっているけれども、しかして彼らの支配基盤は弱いのではなかろうか。なぜなら、論証は省くがネオシオニズム支配はうったての思想哲学に於いてそもそも宇宙的摂理に反しており、それに基く現象世界はいつかは破綻するという意味で歴史的合理性を欠くと思われるからである。比喩すれば、身体機能が互いにネットワークで助け合いしているのに、敢えて各器官を闘争させ病化させているようなものである。
ネオシオニズムは、伝統的に和的社会構造を生育せしめてきた日本の場合には特に馴染まない。なぜなら、日本の和的社会の方がネオシオニズム支配よりも高度な社会体制であり、既に千年あるいはン万年の風雪に耐えているのに比して、ネオシオニズム的支配はたかだか黒船来航以来の150年のものでしかなく、それも絶えず暴力的に扶植される以外に根付かない鬼畜的なものでしかないから。日本人民大衆は結局のところ、「日本の和的社会」を郷愁し始め、ネオシオニズム的支配を劣等的なものとして今後かなり早期に一蹴してしまうであろう。
日本左派運動は、かく観点を据えるべきであり、これを指針とするべきである。来るべき革命政権が血みどろの闘いを通してネオシオニズム的遺制を放擲するであろう。これは、一国的にはできない。世界の新思潮と連動して完遂することになるだろう。筆者は、このように仮説している。誰か、この認識を共認せんか。
「幕末維新を再評価せよ」。これを「提言3の4」とする。
16世紀以来の西欧列強による世界植民地化時代にあっては特に、眼前の喫急焦眉の真の闘争は、ネオシオニズムに侵食支配されるかどうかを廻って揺り動くことになった。歴史を観る視座をかく据えるべきではなかろうか。アフリカ、北米、南米、インド、東南アジア、オセアニア、清国、琉球、朝鮮、ハワイを見よ。現下のパレスチナを見よ。これら諸国は全てネオシオニズムに侵略され、人民大衆は哀れな畜生類同様にされてしまっているではないか。
これを思えば、何ゆえに日本だけが例外足り得たのか、ここが問われねばならないであろう。この時、幕末維新史が輝きを増すことになる。筆者は、幕末維新こそ、世界史上珍しいネオシオニズムに籠絡されない為の叡智を結集せしめた真に有益有能な回天運動であったと判じている。黒船の来航と共にネオシオニズムの再侵略が始まったが、かの時日本は、世界的趨勢を読み解き、動向を見据えた大局観に基き賢明なる回天運動に乗り出した。細々とした論述は割愛するが、志士活動が始まり、遂に幕府の大政奉還へと向かわせ、江戸城無血開城で完結させる。
その間、幕府派、倒幕派共に甚大なる被害を生んだが、内戦を画策するネオシオニズムの姦計策謀に乗ぜられない為の英明な胆力決断で明治維新へと繋げた。この過程は、「日本式和闘手打ち政治」の精華であった。こうみなすべきであろう。こう見なさない歴史観ないしは評論が定説化しているが、これも又ネオシオニズム系歴史学によって有害無益方向に脚色されているからであると知るべきであろう。
結果的に明治維新は、幕末維新の豊穣な流れを受け継がず、文明開化と云う名の下にネオシオニズムの侵食に道を開き、次第に召し取られて行くことになる。とはいえ、決して他国のように植民地化された訳ではない。半独立的自律自存の国家及び民族として世界史の一角に席を占めることになった。しかしながら世界史を見よ、西欧的近代化を受容しつつ独立性を維持した国が日本の他にあるだろうか。幕末維新の偉業はこの面から評されねばならない。最近、幕末維新の偉業を落とし込める理論が流行りつつあるが変調であろう。物事には両面が有り、メダルの裏表から捉えねばならないのではなかろうか。
幕末維新は、上からの武士革命と下からの民衆革命の双方が牽引した回天運動であった。同時にネオシオニズムの走狗達による国家権力簒奪運動でもあった。この三派の連衡により樹立された明治新政府は当然のことながら政治理念を廻って暗闘を開始する。次第に「下からの民衆革命」の流れが抜け落ち、天皇制絶対主義を生みだす水戸学派的国粋主義的皇国史観、後に西南の役で壊滅させられる西郷派的土着左派、ネオシオニズム系の寄り合い世帯三派へと糾合される。底流に於けるこの三派の抗争こそ、近代日本史の特質のように思われる。この内的動態構造に於いて幕末維新から明治維新、明治維新から大東亜戦争に至るまでの流れを評するべきではなかろうか。
「日本左派運動は、ネオシオニズムに対するそもそもの無知から出藍し、ネオシオニズム配下運動から脱却せよ」 。これを「提言3の5」とする。
日本左派運動は、上述した近代日本史の本流を弁えず、歴史上もっとも危険で悪質残虐非道なネオシオニズムに対して何の見識も持ち合わせていないという無防備な状態のまま、国家内の支配被支配をめぐる在地権力と人民大衆間の闘争に夢中になった。筆者に云わせれば、視野狭窄の感がある。つまり、日本左派運動は、ネオシオニズムに上手く利用されて来た気配がある。
れんだいこ史観に照らせば、侵略軍ネオシオニズムとの闘争の重大性に比較すれば国内的な階級闘争は従たるものでしかない。というのに、国内的階級闘争に耽ったのは大いに問題であった。筆者がなぜこのことを訴えるかというと、ここを理解しないと、現下の政治闘争、経済闘争、文化闘争の抗争軸がみえてこないからである。抗争軸の見えていない中で正義運動してみても、足元をすくわれてしまう。それは悲劇であり喜劇になる。今我々が闘う対象は、ネオシオニズムの日本溶解政治、日本植民地属州化、日本傭兵化、アジア圏の確執化を煽ることによる軍事国家化に対してである。改憲は当然この狙いから導かれているものである。
これらは皆ネオシオニズムが意図的に策動しているところのものであり、我々は己を知り敵を知り正しく対処せねばならない。世界各国の国家権力中枢即ち政官財学報司の六者機関はネオシオニズムに篭絡され、その度合いに応じて売国奴性を強めている。そのエピゴーネン達をどう掣肘するのか、これが各国の人民大衆に問われている。各国の自律権力の保持は、人民大衆の能力に掛かっている。かく認識すべきではなかろうか。更に云えば、社会主義権力創出の日本革命は、この水路に於ける賢明な対応を通じてこそ正しく導かれるのではあるまいか。
ここで、日本左派運動史をごく簡潔に素描しておく。戦前の日本左派運動は、幕末維新から明治維新へと至る底流での格闘に対して余りにも無自覚なままにやり過ごしてきた。それを思えば、下手なイデオロギーを持たない百姓一揆の方が、あるいは無政府主義の方がまだしも眼目を得ていたようにさえ思われる。西南の役に象徴される士族の反乱、それに続く自由民権運動が押し込められ、代わりにマルクス主義が登場することになったが、いずれも幕末以来の西欧に憧憬する欧化主義的知性からもたらされたものであり、日本左派運動史上に本当に役立ったかどうか分からない。
このようにして生まれた戦前のマルクス主義運動は、ネオシオニズムに裏で操られるコミンテルン式国際主義運動に随伴してきた。これは戦後も然りであるが、明治維新以来続くいわゆる脱亜入欧路線の「洋もの被れ」の系譜であることを証している。しかしてその実態はネオシオニズム学による洗脳でしかなかった。全てをそう括る訳には行かないが、本質上そのようなものでしかなかった。このことに気付かなかった日本左派運動が、人民大衆的支持を今ひとつ取り損ねている原因があるように思われる。
そういう意味で、日本人民大衆の賢さを見て取るべきだろう。日本が固有の歴史的発展の中で培ってきた人民大衆的闘争史は卑下されるべきではなく、もっと誇りと誉れを持つべきである。西欧事象の猿真似をすれば先進的などと気取る必要は一切ない。このような見地から、我々は一刻も早く日本左派運動を然るべき正道に戻さねばならない。それらは咀嚼すべき対象であって拝跪するものではない。「洋もの」を正しく吸収し肉付けしていくべきべきである。このスタンスの確立が肝心なのではなかろうか。三里塚闘争の義民運動性は、こういう観点から称揚されると思っている。
「ネオシオニズムに対する余りに無知なるままの革命は失敗して良かった」 。これを「提言3の6」とする。
日本左派運動は過去も現在も、危険粗暴なネオシオニズムに対する知識をからきし持ち合わせていない。筆者には、このこと自体がネオシオニズムの下働きさせられていることを示しているように思われる。ネオシオニズムに対する危険を感じないのは、丁度タバコ吸いにはタバコの臭いが感ぜられず、ニンニク食いにはニンニクの臭いが感じられないのと同じであろう。ご丁寧なことに、こういう指摘に対して陰謀主義と批判して、自ら好んでその下働きに甘んじようとする一群のウヨサヨイストの牢とした習性が見受けられる。こうなると漬ける薬がない。
筆者は、学生運動も含め日本左派運動が、ネオシオニズムに対する余りに無知な誤りに気づいている。今日かっての隆盛に比して落ちるところまで落ちた感のある日本左派運動であるが、この致命的な誤りに気づかない以上は仕方ない。従来式左派運動による下手な革命は、ネオシオニズムの思う壷であった。そういう意味で、ネオシオニズム問題に無知な革命は成功しないほうが良かったと思っている。
なぜ革命が起きなかった方が良かったのか。こういう場合はいきなり結論を書いた方がよい。日本左派運動の誤りは、西欧史の否今日では世界史の真の抗争軸に無知過ぎることにある。真の抗争軸は経文的なマルクス主義的階級闘争にあるのではない。それははるか長期の視野に立てばそうであるかのように概括できるというだけの歴史評論に過ぎず、実践的には殆ど何の意味もない。眼目は、世界の人民大衆がそれぞれ自国叉は民族の利益を擁護し、文化伝統を育みつつ地域共同体的な共栄圏造りにこそある。これに向かわない否固有の歴史の抹殺に向かう解体革命は危険過ぎる。
これに関連して、最近手にした荒岱介編著「ブントの連赤問題総括」(実践社)で、よど号赤軍派の小西隆裕氏が往復書簡「全体の利益に個人が服従するのが善」と題して、次のように述べている。これを紹介しておく。
「我々は、自身の運命開拓との関係で民族を主体的に捉えるべきであり、主体的集団的に自身の運命を開拓していく上で、もっとも強固な人間集団、運命共同体としての民族の重要性を押さえる必要があるのではないかと考えています。特に、今日、多国籍化した独占資本がボーダレスを求める自己の要求から国と民族を否定するグローバリズムを流布させている条件で、独占資本による支配と隷属に反対し、自らの運命を自主的に切り拓いていく上で、その必要性は一層高まっていると思うのですがどうでしょうか」。 |
「日本左派運動は、国際金融資本帝国主義の詭計に陥ることなく、諸国協和的共存共栄型民族主義運動を新創造し満展開せよ。真の世界平和に繋がるアジア共栄圏を創出せよ」
。これを「提言3の7」とする。
我々は、幕末維新から明治維新を通して日本が東アジアに於ける最初の近代化を為し遂げたことを正と認め、その背景に日本民族のしなやかな叡智があることを見て取り、これを称賛せねばならない。同時に、その成果が、ネオシオニズムへの身売り派によって捻じ曲げられ、東アジアに於ける帝国主義国家として成育せしめられ定向進化せしめられた挙句大東亜戦争で召し捕られた様子を見て取らねばならない。最新の研究はこのことを明らかにしつつある。
この観点を共有するならば、 日本左派運動が矜持とする立場は、第一にネオシオニズム運動に対する闘争であり、今日的にはネオシオニズムと最も強硬に闘っているイスラム運動と連帯することになる。第二に幕末維新期以来の正の面としての人民大衆解放運動を見据え継承すべきであろう。我々は権力一般を忌避するのではなく、権力をして抑圧機構から転じて正しく善良せしめる官民共同の共生装置へと転換せしめるべきであろう。可能な限りこれに向かうべきであり、各戦線でこれを為すべきである。第三に、先の大戦で先駆的に打ち出された大東亜共栄圏構想の正の面を継承し、これをアジア共栄圏構想として焼き直し、世界平和の創出に向かうべきである。
この運動は、空疎な国際主義に基くものであってはならない。ワンワールド式国際主義運動はネオシオニズムの奏でる詭計イデオロギーであり騙されてはならない。各国各民族は固有の文化と歴史を継承しつつ、ネオシオニズム的選良主義、排他主義、独善主義に汚染されることなく、正しく諸民族共存共栄型国際主義の水路を生み出さねばならない。これを為す為に「精神の自律、政治の自律」を勝ち取らねばならない。「精神の自律、政治の自律」なきのっぺな国際主義は究極ネオシオニズムの姦計に落ちる悪しきそれであることを知らねばならない。
昨今の日本政治を見よ。国会に巣食う与野党ともどもの馴れ合い談笑政治の貧困を見よ。議員貴族達による田舎芝居ばかりではないか。一見善政と見える要求あるいは施策でも、手前の懐が痛まない限りの無責任な国費の冗費乱費でしかない。これを飴にしながらこのご時勢で更にとめどなく軍事防衛予算を注ぎ込み、自衛隊の武装派兵を積み重ね次第に常態化させつつある。他方、これほど内地が荒廃しつつあるのに口先だけでしか顧みようとしない。真に有益な公共事業が見送られ、明日の活力からみてどうでも良いような利権事業、国家の補助金稼ぎに勤しんでいる。国家も家計も財政が悪化しつつあり、政治がこれに有効な対応を為し得ない。その癖引き続きネオシオニズムの御用聞きに精励している。全く馬鹿馬鹿しい限りではないか。
この連中にはこの程度のことしかできないのであり、そうとならば我々が権力を握り政治を為すべきである。その為に何を為すべきかのグランドデザイン作りに向かうべきである。左派能力の脳髄を絞り英明な政策指針を打ち出すべきである。道中で例えネオシオニズムの走狗にテロられようとも、次から次へと人士が輩出しよう。歴史というものはそういうものである。人は齢五十を過ぎればそのように立ち向かうべきである。以上を提言3としておく。