【提言24、天皇制問題考】

 (はじめに)

 「天皇制問題考」を提言24とする。筆者は、日本左派運動が天皇制問題に対して余りにも無知なことに気づいている。明治維新以降の皇国史観的天皇制の批判でもって天皇制否定論を導き出しているが、それは天皇制問題の一面的言及に過ぎず、解決済みとする訳にはいかない。なぜなら、「提言3、反ネオシオニズムの諸国協和型民族主義運動を新創造せよ」でも触れたように、明治維新以来の皇国史観的天皇制はそれ以前の歴史的な天皇制と異質なものであり、天皇制問題を論ずるには、歴史的な天皇制の発生過程と伝統を検証し、その功罪を確認せねばならないからである。本来は、こちらの方が天皇制問題の本体と云えよう。

 ところが実際には、近代天皇制の暴力的軍国主義的圧政に対する批判でもって伝統的天皇制までも否定するという軽薄な論法が通用している。それは、西欧史に於ける各国王朝打倒論法をそのまま横滑りさせたものとなっており、極めて安逸と云わざるを得ない。この問題につきコメントしておく。詳論はサイト「天皇制論」に記す。

 「近代の皇国史観的天皇制と歴史的天皇制の差異を認め、天皇制問題を正しく認識せよ」。これを「提言24の1」とする。

 日本左派運動史上、天皇制問題に関する日本左派運動の変調に逸早く気がついたのは戦前の転向派であった。日本左派運動史上天皇制問題が浮上したのは、戦前の転向派による立論によってである。これは、1929年の「第二次解党派(河合悦三、水野成夫)の第一次大量転向」と1933年の「佐野、鍋山脱党時の転向声明」の二回にわたって行われた。但し、その結果彼らは概ね時の支配権力であった皇国史観的天皇制の礼賛に転じただけの機会主義者となった。あるいはネオシオニズムの秘密エージェントとして身売りした。

 その後の日本左派運動は、転向派のこういう生態に対する批判にすり替えることで、転向派が立論した天皇制問題から逃げ、今日に至るまで何ら生産的な議論を生み出していない。この没理論性を確認しなければならない。では、転向派による立論はどのようなものであったのか。それぞれの論点については、「第二次解党派の転向、水野成夫の転向論理考」、「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書(「転向声明」)」考」で確認する。ここで両派の立論を筆者なりに要約して確認しておく。次のように主張している。

 意訳概要「君主制廃止スローガンはコミンテルン拝跪型の悪しき例であり、マルクス主義的教条の押し付けに他ならぬず、日本式天皇制にそのまま当てはめるのは間違いである。日本の天皇制は二千五百年に亘る皇統連綿性を特徴としており、かくも長期安定的に天皇制を存続せしめている例はない。天皇制は、民族的信仰の中心として国体を護持してきており、君主制との決定的違いは、天皇制が抑圧搾取の権力たることはなく日本民族の統一を体現してきたところにある。日本の天皇制は、国内階級対立の凶暴性を緩和し、社会生活の均衡をもたらし、社会の変革期に際し政権交替を円滑ならしめてきたのであり、階級闘争的歴史観では捉えられない。

 それ故に、人民大衆は皇室に対し、尊敬と共に親和の感情を持っている。日本民族を血族的な一大集団と感じ、その頭部が皇室であるという本然的感覚がある。かかる自然の情は現在どの国の君主制の下にも見出されまい。日本の皇室はいわばそれ程に人民的性質がある。この、皇室を民族的統一の中心と感ずる社会的感情は踏まえられねばならない。日本の皇室の連綿たる歴史的存続はむしろ財産であり、天皇制は明治維新以来、進歩の先頭に立った事実を認めねばならない。

 日本式天皇制はかく特殊なものであり、日本左派運動は、日本の歴史的事情実情を踏まえた合法党活動に邁進すべきである。そもそも単純な、自由主義的な又はロシアの反ツアーリズムそのままの君主制打倒論に与してはいけない。日本においては、皇室を戴いて一国社会主義革命を行うのが自然であり、また可能である」。

 転向派は、こういう立論により「皇室中心主義的体制下での変革運動、主として君側の奸の排除運動」に辿りつき、「天皇制下のマルクス主義」運動に向かうことになった。日本左派運動はどう反立論すべきか、ここが問われているのになおざりにしてきた経緯がある。筆者は、転向派の立論に与するものではない。筆者が転向派の立論を採り上げるのは、その問題提起を評価するからである。日本左派運動は、ここを説き明かしておかねばならないと思う。

 ならば、どう解くべきか。筆者は、転向派の天皇制論が重視した「特殊日本的な天皇制による和的結合社会」を共認し是認しようと思う。日本史は確かに世界に例を見ない和的結合社会になっていると思うからである。筆者の立論が、転向派のそれと違うのは、日本式和的結合社会を天皇制に由来させず、はるか天皇制以前の原日本のDNA的な和的結合社会性に注目するところである。つまり、筆者は、日本式和的結合社会性を認め、これを天皇制以前の原日本式伝統として称揚し、天皇制がこれに和合しつつ存続してきたと思っている。日本左派運動がこの伝統の価値と意義を認め、これを継承すべきと思っている。

 この観点から導き出されるのは、戦後日本国憲法に於ける象徴天皇制の是認である。これこそが日本の伝統的な天皇制の在り姿のように思う。願わくば天皇制をより文化的遺制的に保存機能せしめ、政治的機能を低めたい。国事行為は少ない方が良い。こういう方向での天皇制論があって良く、この方向に向けての天皇制こそ日本左派運動の天皇制問題解決の指針とせねばならないと思っている。然るに、日本左派運動の天皇制論は相も変わらず没論証的に天皇制打倒論に与している。あたかも天皇制打倒を指針させれば左派、そうでなければ日和見とするステロタイプな天皇制論が横行している。筆者は、これを不毛と思っている。議論を待つ所以である。

 「近代の皇国史観天皇制の変調を疑惑せよ。明治、大正、昭和、平成天皇の通説的位置づけの迷妄から脱却せよ」。これを「提言24の2」とする。

 近代天皇制に於ける各天皇の評価を確認せねばならない理由は、明治維新以降の日本帝国主義化に於いて天皇制及び時々の天皇が果たしてきた役割を確認する為である。これを研究すれば、かなり興味深い内容となっている。筆者は、近代天皇制の歴史的天皇制との異質さもさることながら、明治、大正、昭和、平成の各天皇評価のデタラメさにも気づいている。以下、持論を展開するが、誰か共認せんか。

 明治天皇について。明治天皇問題のハイライトは「大室寅之祐の明治天皇すり替え問題」であり、興味深い内容となっている。筆者は、有り得ることと思っている。明治天皇論としては、日本帝国主義形成に於ける明治天皇が果たした役割の位相を確認することにある。思うに、明治天皇は、内治主義としての殖産興業政策、外治主義としての軍備増強政策の二股の道を突き進んだ。実際には薩長藩閥政府の傀儡でしかなく、その薩長藩閥政府を操るネオシオニズムの敷いたレール上で天皇としての権能を振舞う役割を果たしたと評されるように思われる。

 大正天皇について。大正天皇問題のハイライトは、「押し込め問題」である。幼少より病弱にして即位後も脳病を患っているとして引退せしめられた。これについての真偽を詮索せねばならぬところ、日本左派運動内の見識は政府発表を鵜呑みにしたまま今日に至っている。筆者は、左派運動の見識の低さを見て取っている。大正天皇論としては、明治天皇御世の二股の路線をどう継承したか、抵抗したかの位相を確認することにある。思うに、大正天皇は、内治主義としての殖産興業政策を優先せんとし、外治主義としての軍備増強政策に反対した故に押し込められたのではなかったか。してみれば、「大正天皇押し込め」こそ近代天皇制史上最大の不敬事件であったことになろう。筆者は、大正天皇英明説を採る。

 昭和天皇について。昭和天皇問題のハイライトは、「大東亜戦争開戦責任及び戦争指導責任問題」である。戦後の国際軍事法廷は昭和天皇の責任を免責し、天皇制を象徴天皇制として延命させ、これにより昭和天皇の戦争責任が不問にされることになった。筆者は、ネオシオニズムの後押しする菊タブーの為せる技であるとみなしている。昭和天皇論としては、大正天皇押し込めから始発した皇太子時代の歴史的位相から評さねばならず、昭和天皇として即位してからは外治主義としての軍備増強政策に一層傾斜することしかできなかった不条理を確認することが肝要と思う。ここには、昭和天皇の裏面としてのネオシオニズムとの通底性が垣間見えているように思われる。この辺りの研究はこれからになるだろう。

 平成天皇について。平成天皇問題のハイライトは特段にはない。戦後憲法の象徴天皇制の枠内で極力精神的文化的権威としての天皇に納まろうとしている気配が認められる。昭和天皇に比して極力政治に容喙しない姿勢が見て取れる。外治主義としての軍備増強政策にも積極性を見せておらず、そういう意味では大正天皇路線に近いとみなせるように思われる。現在、後継問題が浮上しつつあり、これが新たな平成天皇問題となりそうである。

 以上、近代天皇制下の各天皇を素描したが、天皇制問題は国の一大事とする視点から述べたつもりである。日本左派運動の祝アとしての天皇制打倒一辺倒では何の解決にもならないことを知るべきであろう。以上を提言24としておく。


 ネット検索で「皇室は日本の自由民主主義の優れた盾」に出くわした。次のように記されている。

 「れんだいこ」というツイッターから。

 「日本の伝統的政体は天皇制社会主義で世界に冠たる良質のもの。この政体より天皇制を抜いてもいけない、社会主義を抜いてもいけない、いわば両輪関係。このことを理解しない天皇制主義者、社会主義者は実は外来思想被れ。天皇制社会主義の端緒は出雲王朝政治。大国主の命政治が鏡。ここが分からんとな」。

 「その天皇制社会主義の観点から現代日本政治を見ると、無茶苦茶のし放題にしてその競い合い。その教書は国際ユダ屋テキスト。それは日本の天皇制社会主義と真逆の思想にして政体。黒船来航以来150年でこんな日本にされてしまったんだな。そう気づいてからは本当の日本を取り戻さなくっちゃと思う」。

 わたしが言おうとして四苦八苦していたことが簡潔明瞭に書かれていました。