提言25、左派運動総として軍師と史家を持て!】

 (はじめに)

 「左派運動総評及びメッセージとしての軍師と史家を持て!」を提言25とする。筆者が日本左派運動を検証して辿り着いた結論は、軍師と史家がいないということである。これがなぜ必要なのかと云うと、彼らこそ指導者を補佐しつつの理論と実践の総合的体現者であり、運動総括責任者であると思うからである。そういう軍師、史家がいないと云うことは、理論と実践が分離させられており、運動を総括する者もいないということを意味する。左派運動のみならず何事も、このような水準での運動が首尾良く進展することはなかろう。これにつきコメントしておく。なお、筆者の学生運動論に対し、「自由と民主を奪い返すためのレジスタンスの会」サイト管理者が「2008.11.25日付け不定期便第1140回、昭和の抵抗権行使運動(55)60年安保闘争の評価(1) 」で好意的に評していただいている。ここで御礼申し上げておく。
 (http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/20081125.html) 

 「日本左派運動も軍師を持て」。これを「提言25の1」とする。

 日本左派運動史上、軍師がいなかったことは歴史の冒涜を意味する。史上、戦の場合にはあまたの軍師が活躍し、智謀戦を繰り広げている。総大将と家臣団、これに列なる兵卒全体を束ねる軍師の役割は、必要故に生み出されたものと心得る必要がある。しかしながら、日本左派運動史上こういう軍師的智者が生み出されていない。このことは何を意味するのだろうか。このお粗末が訝られぬまま今日まで経緯している。この不毛を何とせんか。

 もう一つ云いたいことがある。戦国時代の武将は無論、江戸時代に於ける士農工商のそれなりの者は皆、盤上軍師技芸として囲碁将棋を嗜んできた。考えてみれば、これは凄いことで、幕末時に特に隆盛したことをも照らし合わすと、かの時代相当数の者が戦略戦術に長けた軍師であったことを意味する。幕末維新の裏には、こういう人民大衆的軍師能力が介在していたとも見て取れる。してみれば、どうせ今時の穏和主義運動ならなおさら、左派者は一通り囲碁将棋に通じていた方が良いと云うことになる。盤上での反発と割り切り、分別の稽古は必ずや、運動盛り上げに資するであろう。

 ちなみに、筆者は、将棋は職人の遊び、麻雀は営業の遊び、囲碁は経営者の遊びと理解している。左派者は一度はこれらの技芸に通じないといけない、そう得心している。これらを学ぶ学ばないはマジメ不マジメとは何ら関係ない。人として組織として営業的センスを磨くものとして、これらを愛好していて為にならないと云うことはない、ということが云いたい訳である。

 当然、囲碁将棋に限ることはない。スポーツのそれぞれも同じである。あるいは伝統的な武道、茶道、華道等の芸事(ごと)然りである。落語、漫才、浪曲等の話芸然りである。これらを通じて普段不断に精神と頭脳を鍛えておくことが却って運動盛り上げの近道なのではあるまいか。日本人民は誰に言われるのではなく自然にこのことを了解し技芸を磨いてきていたのではなかろうか。昨今の脳粗鬆症が一番危ういのではなかろうかと思っている。

 ラジオ、テレビを始めとするメディアは本来これを上手に活用すれば、人民大衆的啓蒙、頭脳鍛錬の有力な文明の利器である。であるところ、この文明の利器が逆用され、我々の頭脳の扁平化に使われ過ぎている。これが偶然ならまだしも、意図的故意に策動されている気配がある。直接的な左派運動のみならず、これを何とかせねばなるまい。これを文化戦線の闘いと云う。現在、この闘いも余りにも疎かにされ過ぎていよう。

 「日本左派運動は史家を持て」。これを「提言25の2」とする。

 史上、あまたの史家が存在し、彼らの手によって戦史、軍略史が残されている。それらは皆、実践の貴重な記録として後世に伝えられ、教材として役立てられている。これは、ごく真っ当な歴史的営為であり、日本左派運動がこの営為を為さないとしたらお粗末過ぎよう。このお粗末が訝られぬまま今日まで経緯している。この不毛を何とせんか。

 史家の必要性は次の点にある。古代中国は殊のほか史書を重視していた。不思議なことに、国の興亡は史書の出来上がり具合と釣り合っている。中国における正史とは「史記」、「漢書」、「三国志」、「後漢書」をもって「四史」と称する。史書の狙いは王朝交代即ち「易姓革命」の正統化にあったと思われるが、結果的に史書は中国史の流れを綴る歴史的財産となっている。

 史書は日本に於いても古くより存在する。一般に知られているのは古事記、日本書紀の記紀であるが、それ以外にも古史古伝と云われる古代文書が存在する。偽書説で一蹴されているが、現存する史書が仮に偽書であっとしても、それらが下敷きにした古史古伝は存在していたのではなかろうか。

 筆者は、そのうちで晋の著作郎職史官・陳寿(233〜297年)が編纂した「三国史」の記述と姿勢を高く評価している。「三国志」は全部で65五巻より成り、太康年間(280−289年)にかけて完成された。その出来栄えは当時から高く評価されており、「敍事に善く、良史の才有り」との評価を得ている。この当時魏の名将にして「魏書」の著者でもある夏侯堪(243−291年)は、「寿の作る所を見、すなわち己が書をこぼちて罷む」と述懐したと云われているほどに、追随を許さぬ名著であった。陳寿の官界における庇護者とでもいうべき張華も、深く喜んで、「立派な史書だ。晋の歴史も、この史書に継いで書かれるべきだ」と正史として偶されるに値するとの評価を与えている。 こうして「三国志」は不朽の名著として後世に書き継がれていくこととなった。

 「三国史」の素晴らしさは、陳寿の反骨ぶりを示しており、御用史家の立場でありながらもその面目と筆法を心得て撰述していることによって一際光彩を放ち史家の意地を見せているところにある。日本左派運動が運動史、党史を編纂するに当たり学ばねばならない手本であるように思われる。

 補足しておけば、日本左派運動の史書のお粗末さに比して、その他の非政治的運動史、例えば野球のようなスポーツ史、囲碁のような文化団体史はかなり衆知を寄せたガイド史を編纂し、多くのファンを魅了している。これは、運動を愛する者の自然な能力発露であり情愛である。ということは、よりによってなぜ良質の左派運動史が生まれないのかということになる。意図的故意な抑制以外に理由が考えられるだろうか。

 ホームページに於ける各党の党史の記述を比較してみれば良かろうが、何とこれを能く為しているのが自民党である。時々の政権を担ったイデオローグが分担して精緻な自民党党史を遺している。筆者が思うに、自民党が相対的に一番できが良い。次に公明党、民主党という具合になっている。社民党と日共には党史と云えるほどの記述さえない。社民党のルーツである社会党の場合には、検索で探せばかなりの分量の党史記述を目にすることができる。そういう意味では社会党史は高く評価される。ところが、日共の場合、どこから検索しても出てこない(2009.1.1日現在)。オカシなことである。日共は何の為に党史を隠蔽するのか、なぜ堂々と党史を公開しないのか。誰か、不破に弁じさせてみよ。

 その癖、著作権については、現行著作権法よりなお生硬な強権著作権論を振りかざしている。党の見解が流布されるにつき、承諾なしで勝手にされてはならじとするその精神は何ぞ、筆者にはさっぱり理解できない。仮に不都合な記事が出た場合、著者、出版社は無論のこと広告宣伝媒体にまで押しかけ、撤去を恫喝する癖を見せている。部落解放同盟の糾弾闘争に対しては糾弾したのに、電車の吊り皮広告を止めさせよと押しかけ糾弾している。オカシなことではなかろうか。

 いつからこんな左派運動が流行し始めたのだろう。誰か、筆者が納得のいくように説明してくれないだろうか。以上を提言25としておく。一応以上で、「日本左派運動に対するれんだいこ提言完結」とする。