【提言18、組める相手と組み、組めざる相手と組むな】

 (はじめに)

 「組める相手と組み、組めざる相手と組むな」を提言18とする。 1950年代、60年代、70年代の左派運動を担ったないしは関わった者からすると、今日のテイタラクは信じられない。この惨状を何とかせんとして様々な動きがあるが、今のところ首尾よく進展しているようではない。しかし、何でも良い、良いと思うものをボチボチでも進めて行くことが肝腎だろう。

 物事には必ず原因があるとして、これを社会科学的に尋ねるのがマルクス主義のスタンスであろうが、これが為されているように思わない。マルクス主義が古かろうが間違っていようが、批判するのは勝手だが、社会事象に対する科学的な解析手法まで放棄するのは「赤子ごと湯水を流す」愚を免れまい。筆者はそう考えている。ここでは、そういう意味での左派運動の在り方についてコメントしておく。

 「左派運動を小難しくすることなかれ」。これを「提言18の1」とする。

 今こそ「日本左派運動の長期低迷事象に対する科学的な解析手法」が必要であろう。かといって、あんまり小難しく語られても困る。筆者は、マルクス主義派の難解理論に従来より辟易させられている。今日まで筆者の理解能力の欠如をこぼしてきたが、筆者が齢50歳を越した頃、俄かに腹を立て始めた。

 労働者大衆に理論と実践の武器を指し示す形で登場したマルクス主義が、読むに閉口行うに難渋するような「マルクス主義的難解理論」なぞあって堪るものか。「マルクス主義的難解理論」は為にするものではなかろうか。これは言葉使いが難解な場合と語る内容そのものが空疎である場合の二通りがあるのだが、いずれにしても実は無内容を糊塗するコケオドシなのではなかろうかと。

 なぜそのように気づいたかと云うと、その後の日本左派運動の失速に対し、難解に説いていた者の誰もが責任を負わなかったからである。というか負う能力を持たなかったからである。彼らは実は有能ではなかったことを日本左派運動の失速が証明したことになる。こうして彼らの権威が剥げた。無責任無能な者が説く難解さなど信を置くに値しないと切り捨ててから、筆者はのびのびと自己流の研究に着手することができるようになった。

 筆者の気づきが遅れたのにはもう一つの理由があった。筆者が20歳前半の頃に抱いたあれこれの疑問は、若い頃特有の一面的な独りよがりではないかと危惧していた面があった。あれから30余年を経て、50歳の身になって一通りの世間を泳いでみて、若い頃抱いた諸点が独りよがりのものでなく、非常に貴重な観点であったことを知った。このことを確信する為に相応の月日が必要であったことになる。

 マルクス主義文献上の翻訳問題も有る。筆者はそれまで、幾冊かの文献を手にしていたが、殆ど途中で読み止めにしている。理解が追いつかなかったからである。それは、筆者の無能を示していると思っていたが、そうではないことに気づいた。マルクス主義文献上の翻訳の粗雑さが、筆者の読み進める意欲を殺いでしまったという風にも考えられる。故に、正確な翻訳がそれほど大事と云うことになろう。

 筆者は現在、例えば「共産党宣言」(筆者は、「共産主義者の宣言」と題名するべきだと考えている)を英文を通じて現代和訳文に翻訳してネット上にサイトアップしている。その結果判明したことは、既成訳本では到底まともな理解にならないだろうということである。それはあたかも、「共産党宣言」の価値を損ねる為に、意図的に誤訳、不適切訳にしている感がある。にも拘らず、その種の訳本を読んで得心してきた数多くの日本左派運動家の理解能力とはそも何ものぞ、敬服すべきだろうか。

 同じような意味合いで、筆者の学生時代、色々疑問を投げつける筆者に対し、「お前は深まっていない。これを読め。そしたら分かる」と頻りに勧められたのが宮顕の「日本革命の展望」であった。筆者は、どういう訳か読みもせずやり過ごした。50歳の頃に読んでみて、論理的にも論証的にも指針的にも全くナンセンスな駄文悪本でしかないことを感知した。こうなると問題は、かの時、筆者に勧めた連中の「深まり度」が気になる。一体、連中は、どこをどう読んで何が分かってスグレ本としていたのだろう。あいつらを見つけたら今聞いてみたい気がする。それとも、思考にも嗜好があって、連中の頭脳にはお似合いだったのだろうか。

 こうい事例は一杯有る。筆者は今「れんだいこ史観」なるものを自負して世上のあれこれを解析している。が、先行する解説本に得心できるものは妙に少ない。日本左派運動の検証、学生運動の検証にしても然りである。見立てが随分違う。筆者の見立ての方がより正解だと思うのだが、反対見解の方が通説化している。

 例えば、戦後直後の共産党を指導した徳球、伊藤律を廻る評価も然りである。筆者は、限界を踏まえつつも、共産党員らしい指導者で、同時代の他の誰よりも抜きん出た名指導者であったと思っている。だがしかし、宮顕、不破系日共の長年の悪宣伝が響いて、そのように好評価する者は少ない。逆に宮顕が逝去すると、歯の浮くような世界に冠たる革命家であった云々の世辞を並べている。見立てがなぜ、このように違うのだろうか。この差は何に起因するのだろうか。

 田中角栄然り。筆者は、角栄は実は裏左派ではなかったか、その業績は前人未到の金字塔となっている、左派は角栄をこそ学べとまで評している。これに対し、日共宮顕、不破の角栄批判論調を見よ、立花隆の論調を見よ。「諸悪の根源」として、その業績も不当に悪評価せしめ、全ては金の力で牛耳り最後にお灸を据えられたと評している。見立てがなぜ、このように違うのだろうか。

 中山みき論然り。筆者は、みきは実に釈尊やモーゼやイエスに並ぶあるいは超えた世界に抜きん出た宗教的思想家と評している。これに対し、世上の自称インテリの多くは、「宗教はアヘンである」との頓珍漢なテーゼの下で「淫祀邪教の開祖」として評しているように見える。見立てがなぜ、このように違うのだろうか。

 昨今の著作権法然りである。筆者は、著作権法はひとたびは認めよう。だがしかし、昨今の強権著作権派の論は、その著作権法からさえもかなりオーバーランした勝手な著作権理論を説いており、判例を積み重ねる形で無理矢理通説化させているが、著作権法に照らしてみても違法性が強いと見立てている。

 このように問う者が少なく、既に何度も指摘しているが、自称知識人は、強権著作権を認めない者は知的所有権の何たるかが分からない非文明的非先進的未開人だと指差されるのを恐れてか、分からないのに分かったような顔して相槌を打つ癖がある。

 ところで、つい過日、東大大学院教授の渡辺裕・氏が、概要「著作権法の改悪化が進んでおり、それは年金、医療の破壊解体と軌を一にしている感がある」と述べている。これは極めて貴重な指摘である。時流に棹差すこういう見解は一昔前なら早大、京大辺りの教授が云いそうなのに、今や彼らの多くが体制内ボケしており、競って御用イデオローグと化している。歴史的に見て権力側に位置して且つ官僚養成の貯水池たる東大アカデミズムの中からこういう意見が出てきているところが面白い。やはり相対的にしっかりしているのは東大頭脳ということになるのだろうか。

 「組める相手と組み、組めざる相手と組むな。毛沢東の炯眼指摘考」。これを「提言18の2」とする。

 「提言18の1」でいろいろ書いてみたが、こういうことが云いたかったのではない。本稿は、日本左派運動のテイタラクに対する処方箋として次の指針を示すことにある。それは、「組める相手と組み、組めざる相手と組むな」の公理である。これこそ基本中の基本なのであるが、日本左派運動は、この初手から変調だから始末が悪い。

 実態は、「組める相手と組まず、まず仲間内でいがみあい争う。それでいて組めざる相手と組んで平気」と云う痴態がある。これは一々指南できることではなく、互いが嗅覚で感じ取るものだろう。その嗅覚が天然的に劣っているのが日本左派運動の面子だと云えばお叱りを受けるだろうが、歴史を通史で見ればこういうことが云えるのだから仕方あるまい。

 共同戦線論が良いとしても、問題は言葉に酔うことにあるのではない。毛沢東は、「中国社会各階級の分析」で次のように述べている。
 「誰が我々の敵か、誰が我々の友か、この問題は、革命の一番重要な問題であるが、中国のこれまでの革命闘争は全ての成果が非常に少なかったが、その根本原因は、真の友と団結して真の敵を攻撃することができなかったことにある」。

 これによれば、筆者式解釈に従えば、赤い心同士であればアバウトで良い、共闘を優先させるべし。白い心と対する時は、妥協してはならない。相互にこれを実践して関わっていくのが正しい運動形態であるということになる。ここのところが曖昧なままの日本左派運動は、「これまでの革命闘争は全ての成果が非常に少なかった」という結論に導かれるのも致しかたなかろう。世に完璧な理論を創出することは困難であろう。こうした際に肝要なことはひとえに、手探りでも味方と敵を峻別しつつ運動を担っていくことだろう。運動圏における「赤い心」と「白い心」の共同なぞありはしない、この観点の確立こそが最初に望まれているのではなかろうか。

 毛沢東の至極当然なこの指摘が味わえない日本左派運動家が多過ぎる。彼らは、これも叉宮顕−不破系日共の悪宣伝に影響され、毛沢東評価を不当に貶めているので、毛沢東の名言さえも赤子を湯水ごと流してしまう。

 筆者の毛沢東観はこうだ。建国革命前までの毛沢東の指導は概ね英明で、模範とするに足りる。なぜならカオス理論に基く共同戦線派であったからである。ところが建国後の最高権力者としての主席となってからの毛沢東は、ロシア・ルシェヴィキ型ロゴス理論に基く統一戦線派に転身した為に抗日運動期にあった瑞々しさを失って行き、権力を王朝化させ、その政策も大いに誤った。その背景事情にはそれなりのものがあったと思われるので別途分析をせねばならぬが、原理的な逸脱は見逃せない点ではなかろうか。筆者はそう観じている。従って、中国建国までの毛沢東路線は評価されるべきと考えている。

 文化大革命を発動した毛主席の功罪は未だ定まっていない。功の面も負の面もある。ケ小平から今日の中共政権に至る国際金融資本の走資派の台頭を危ぶみ、これに闘おうとした戦略戦術はスケールが大きく、中国ならではの騒乱であり、目下は走資派見解による弾劾が主流ではあるが、歴史は変わる。筆者は、闘った意義の方が大きいと見立てる。

 もとへ。毛沢東の「中国社会各階級の分析」での上述についであるが、これほどズバリと胸を打つ指摘があるだろうか。「党派運動の再生」論は、「中国の」とあるところを「日本の」と置き換える視角から論ぜられねばならない。ズバリ当てはまるのではなかろうか。毛沢東の指摘に従い「真の友、真の敵」を定めるとすれば、日本左派運動史上誰を友とし敵とすべきだろうか。これを各自が判断し共同戦線化して行くことが望まれている。

 となると、今日の我が国の左翼を襲う貧困は、未だこの観点さえ確立されていないところに発生しているのではなかろうかと思われる。更に云えば、この簡潔平明な公理に対する運動側の無自覚、その対極での難しく難しくこねる理屈、糖衣錠理論の数々が却って、凡そ労働者大衆の左派運動の接近を妨げているのではなかろうか。

 では、「赤い心」と「白い心」の識別をどこで為すのか。それが肝心だ。この識別に叡智がなければ、一方的なプロパガンダによるナチス(正確には、ネオシオニズム)ばりの嘘も百万弁繰り返せば真実になる式の暴力的な規定が罷り通ってしまう。

 これを阻止する際の基準として、その為に歴史が有り、史実の経過というものがあると云っておきたい。つまり、常に「歩み」を記録し、この記述の観点を廻って喧喧諤諤せよということになる。これは、左派運動をマジメに考える者なら当然依拠すべき観点ではなかろうか。むしろ、この観点が弱すぎるから、史上左翼運動は数少ない建国革命の例を残すばかりで他は殆ど実を結ばなかったとも云えるのではなかろうか。

 従って、「組織の歴史、歩み」を軽視したり隠蔽したり欺瞞的に詐術する者が現われたら、我々はこれを断じて許してはならない。「赤い心」と「白い心」の識別が難しい場合には、常にここへ立ち返れば良い。不正な者は常に極力史実を隠蔽したがる。公明正大な者はいつもこれを学びたがる。という観点に照らすと、今我々の目にどのような党派が史実の叙述に対して懸命賢明に取り組んでいるだろうか。案外とサブいものがあるのではなかろうか。ちなみに、この観点は何も左派分析の際のみならず事業全般に通用する公理である。筆者はそう考えている。以上を提言18としておく。