【提言14、徳球対宮顕の逆転倒錯評価を許すな】
(はじめに)
「徳球対宮顕の逆転倒錯評価を許すな」を提言14とする。提言17で角栄の逆転評価に触れるが、ここでは徳球対宮顕の逆転倒錯評価を検証する。大事なことほどこういう変調が罷り通っている。学べば学ぶほど馬鹿になる仕掛けが廻らされていることになる。気をつけねばなるまい。
筆者が戦後学生運動論を書き上げようと思ったのは、青春の一時期に自身が関わった学生運動を対自化させ、自分なりに総括してみたかったからである。もう一つの動機として、日共系の理論と運動の無茶苦茶さは当たり前としても、それを批判した上に成り立っている新左翼系のそれにも到底満足できないからである。数冊の戦後学生運動論を読んで、資料としての史実面は取り込ませて頂いたが、観点の面では全てれんだいこ史観から練り直している。徳球、伊藤律についての詳論はサイト「マルクス主義考」所収の「徳球論」、「伊藤律論」に記す。
「徳球対宮顕の逆転倒錯評価を許すな」。これを「提言14の1」とする。
筆者が最も云いたいことは、戦前直後の徳球−伊藤律系運動の評価が、新左翼も含め既成左翼のそれもデタラメであるということである。れんだいこ史観によれば、戦前戦後を通じてまずまず評価できるとすれば徳球ー伊藤律系運動の他に於いてない。戦前であれば、福本和夫運動、田中清玄運動が好評価できる。ところが、よりによってそれらの運動を根限り罵倒し批判し否定するのをもって左派気取りしている党派ないしは著述家が多い。というかそればかしである。
筆者が次に評価するのは60年安保闘争を牽引した第一次ブントであり、70年安保闘争時の全共闘運動である。それ以降は残念ながら瞠目させられる運動ないし党派はない。しかしながら、第一次ブントも全共闘運動も、徳球ー伊藤律系運動が悪罵されるのと同じ構図で過小評価され過ぎている。こういう観点を受け入れて学べば学ぶほど阿呆になってしまう。そういう仕掛けになっている故に、筆者は、そういう凡俗観点とは違う史観を提起しようと思う。
このことは、筆者が評価する運動に敵対した党派に対する間接的批判になっている。その筆頭は日共宮顕派である。筆者は、宮顕を、野坂同様に当局ないしはネオシオニスト奥の院から差し向けられたエージェントスパイで有り、戦前戦後を通じてこの二人の行く手は反革命的所業で一貫していると看做している。これに似た党派は他にも有り、主として穏和系運動を日共宮顕派が、急進主義系運動を革マル黒寛派が、その間に有象無象の変態党派が介在して左派運動の盛り上げに棹差していると見立てている。当局公安又はネオシオニズム奥の院の左派運動懐柔の戦略戦術はそれだけ長けていると看做している。
そういう複雑な左派運動になっている関係上、我々は、運動圏内の有益なものと有害なもの、無味乾燥のものを仕分けしつつ運動展開せねばならない。実際には、見かけ上のものに騙されて有益でない思想ないし運動を左派気取りでぶっている手合いが多い。彼らは、学ぶことによって余計に目が曇り却って錯乱している。我々は、学ぶことによって歴史の条理を見抜き、真の友と偽の友を見抜かねばならない。
その見分けがつかない者は次のことを心得ればよい。宮顕式の排除の論理による統制運動、黒寛式の他党派解体運動、この両翼のウソを嗅ぎ取り拒否すればよい。そもそも左派運動圏に求められているものは切磋琢磨式の競り合い運動であり、純化式衛生運動ではない。むしろいつでも共同戦線運動が望まれているのであって、統制運動に拝跪するべきではない。宮顕式ないしは黒寛式の理論と実践は意図的故意に錯倒せしめられている排除運動でしかない。この観点さえしっかり確立しておれば良い。
この原理は党内にも適用されるべきであろう。理論、戦略戦術の違いはあっても内部に許容し、異論異端大いに結構但し党中央権限を認め、党中央が何かしでかそうとするときには水差すな邪魔するなと互いに弁える二枚岩運動を創出せねばならない。ある程度の抵抗を活かす組織ほど頼もしいのは歴史の教えるところである。我々が、戦後から営々とこのように勤しめば、積み重ねの効により今頃は左派政権を誕生せしめていたことだろう。だがしかし実際に遣ってきたことは、これの反対のことばかりであった。これではどうしようもない。これは何も左派運動のみならず全てに通ずる法理ではなかろうか。云うは易く行いは難しではあるけれども。
「反スタ運動の陥穽考、若干のコメント」 。これを「提言14の2」とする。
筆者は、「さざなみ通信」への1999.12.1日付け投稿「新日和見主義事件考その一、はじめに」で次のように述べている。今読み直してもそのまま通用するので確認しておく。(一部書き換えと、ですます調に改めた)
先の「査問事件」の考察は恐らく私の畢生の労作になったと自負しているが、今のところ誰からも批評を頂けないので拍子抜けしてしまう。マァ元気出して行こう、元来ネアカなので気にしないと思っていたら、宮地さんのホームページで取り上げて下さり、やはり見ている方もおられるんだなぁと心強くなり、頑張って書き続けていこうと再意欲が出ました。
私の「査問事件」の考察は、一連の流れをドラマ化させたという点で、叩き台として誰かがせねばならない作業であったと今でも自負しています。是非党の再生作業の一里塚としてご利用賜りますよう改めてお願い申しあげておきます。あの作品が党の旗を守ることと現執行部を擁護することとは認識上厳格に区別する必要があるということをモチーフにして書き上げられているということをご理解しつつ読み進めて頂ければなお真価が見えてくると思います。
このことは意外に重要な指摘です。私は今「新左翼20年史」(新泉社)と「戦後史の証言ブント」(批評社)を読んでいます。「新日和見主義事件」の解明の前作業として必要だと思っているからです。気づいていることは、島氏らを初めとした当時の全学連指導部の極めて有能な感性と理論と行動力が今日まさしく再評価されねばならないということと、そういう彼らにしてみても日共党史の流れを読み誤っている面があるのではないかということです。
先行して結成された(後の)「革共同」史観の影響に引きずられたという面もあったとは思われますが、「50年問題について」党内がドラスティックに徳球系執行部から宮顕系執行部に宮廷革命されつつあったという不義に対する闘いが組織されておらず、日本共産党という看板そのものに対して「反スタ」的に反発していったという経過が認められます。所感派(徳球系)と国際派(主として宮顕系)学生党員が、党内のゴタゴタに嫌気がさしてもはや「前衛党頼むに値せず」として自力の反代々木系運動を創出していくことになったが、そのことによって宮顕系宮廷革命の党内での進行をより易々と許容させたという面があるのではないのかという面での考察が未だに為されていないように思われるわけです。
徳球執行部には多々の誤りがあったかも知れません。特に野坂式の穏和化路線と徳球式の急進路線という二頭立ての運動がジグザグ式に進められていたということと、国際共産主義運動の権威としてのコミンフォルムの適切でない干渉に対して翻弄されていったという面とか、徳球が今日スパイとして判明させられている野坂に対してそのような認識を持つことなく最後まで連れだった党運動に終始したこととかいろいろ反省されねばならないことがあったことは事実ではあります。が、後の経過から見て特に徳球系列の深紅の革命精神には一点の曇りがなかったという史実については歴史的限界性の中において正しく評価継承されるべきではなかったか。結果的には六全協から第7回党大会、第8回党大会を通じて最悪の指導部の形成が進行したのではなかったのか、ということが私の視点となっています。
既に言及したように戦前の「査問リンチ事件」の本質を見れば、宮顕の胡散臭さは言い逃れのできない事実としてあるわけであり、「獄中12年」の実際の様子にしても今日の如く神聖化され、その聖域から転向組の非を責める程の実体は何もなく、むしろ疑惑されるべき不自然さを露呈しているのではないのか、徳球が宮顕を蛇蝎の如く忌避していた経過にはかなり根拠があったのではないのかということを一刻も早く確認することが党の再生には不可欠になっているのではないでしょうか。私の警鐘乱打はそのことの指摘という構図になっているわけです。
この面においては、ブントも新日和見主義者たちも未だに認識されていないように思われるわけです。なぜこうした読み誤りが起きるのかというと、党史の重要な経過が常にヴェールにくるまれて進行させられており、末端の活動家は意味も分からぬまま目先の運動で消耗させられてきているという党運動の在り方に起因しているのではないのか。あるいはまた「鉄の規律」とか「民主集中制」とか「統一と団結」とかいろいろな言葉で修辞されるような、執行部にフリーハンド、下部には盲目的な党活動が常態化しており、受け入れる側の方にも権威拝跪精神が内在して機能しており、一般党員のこのような没批判精神が要因となっているのではないのかということに対する内省がそろそろ必要なのではないでしょうか。
ここには世上の宗教運動や天皇制信仰と何ら変わりのない精神構造が認められ、科学精神で始まったマルクス主義にしてはおかしな非科学精神が培養されていることを認めないわけにはいきません。「さざ波通信」誌上、党の擁護か現執行部の擁護か判明しない見地からの阿諛追従投稿が何編かなされていることに気づかされています。これは私が党外であるからよく見えるのかもしれない。
というような観点を込めて次の仕事として「新日和見主義事件」の解明に向かおうと思います。わたしの同時代的な青春譜でもあるのでノスタルジーなしには語れませんが、いつかはこうして総括しておこうと思い続けてきた長年のテーマであるからして向かわねばなりません。但し、これに本格的に取りかかり始めるとすれば莫大なエネルギーが予想されます。能力的に私自身が耐えきれるかどうかということと仕事の傍らでできるだろうかと不安がありますが、手に負えなくなったら立ち止まり、あるいははしょれば良いという理屈で立ち向かっていこうと思います。以上を提言14としておく。