【提言11、革命の青写真を持て】
(はじめに)
「革命の青写真を持て」を提言11とする。日共不破は、社会主義運動における青写真の必要性を否定し続けている。犯罪的な指導であるが、筆者の他に強く批判する者が居ないのは残念至極なことである。一事万事で、日本左派運動の見識は、かほどに低いと云わざるを得ない。このような論を受け入れれば、左派運動の頭脳が脳死状態に陥ることが不可避で、その挙句党中央の似非論理に支配され、ロボトミー運動に堕し、永遠にそのくびきから抜け出せないだろう。これに何らの反論らしきものが生まれていない故に叩いておく。
「不破の革命青写真不要論を弾劾せよ」。これを「提言11の1」とする。
日共の不破議長は、2002年度新春企画「21世紀はどんな時代になるか」で、「社会主義運動における青写真不要論」を満展開している。これを確認しておく。不破は、庄子編集局次長の「マルクスは、『資本論』のなかで、社会主義、共産主義の問題をずいぶん立ち入って論じているんですね」の質問に対し次のように述べている。確認したい個所を太字に切り替えて読んでみる。
不破はまず、エンゲルスの資本論評価「カール・マルクス」(1877年)の次の一節「マルクスの経済学的=社会主義的見解の基礎と、現存社会つまり資本主義的生産様式とその諸結果に対する彼の批判の大綱を叙述したその主著」という位置づけを紹介した後、次のように述べている。
「実は、ここに、強調したいもう一つの点があるのです。マルクスは、『資本論』のなかで、現在の社会――資本主義社会の矛盾からの人類史的な活路が社会主義、共産主義への前進にあることを証明し、それが人間社会のどのような発展方向なのかを大づかみに明らかにすることはしましたが、この未来社会の青写真を描きだすことは、いっさいしませんでした。つまり、科学的社会主義による未来社会の設計図はこれだといって、将来の世代の手をしばることはやらなかったのです。これは、非常に重要なことなんです」。 |
「のちにエンゲルスは、ドイツの若い理論家で、共産主義社会に移行するさいの見取り図を書こうという勇ましいことを考えた人物が現れたとき、そんなことはできるものではない、新しいトラストが一つできただけで、条件は変わり、攻め方も違ってくるじゃないかと、それをたしなめる手紙を出したことがあります」(1891.7.1日付け「シュミットへの手紙」)。 |
「マルクスとエンゲルスのこの態度は、科学的社会主義者の態度として、たいへん理性ある賢明な態度でした。エンゲルスは新しいトラストができたら条件が変わってくるといいましたが、マルクス、エンゲルスが活動した19世紀と現代との社会的な変化の大きさは、一つのトラストの出現などと比較になるものではありません。電力がまだ登場したばかりで産業でも蒸気力が主力だった時代の資本主義社会と、IT革命が熱い問題になってきた時代の資本主義社会とでは、生産を社会の管理下におくといっても、その形式、方法、内容が大きく違ったものとなってくるのは、当然のことです」。 |
「だから、マルクス、エンゲルスは、自分たちが活動した時代の条件を固定化して、いつでもどこでも通用するような青写真を書くことはしなかったし、そういうことをやろうという『社会主義者』には手きびしい批判をくわえたのです」。 |
「私たちがいま、21世紀の世界における社会主義への大きなうねりを展望するときにも、この見地はたいへん大事なものです。21世紀には、さまざまな国が、社会主義をめざす道にふみだすでしょうが、どういう道筋で新しい社会にすすんでゆくのか、その社会はどういう形態になるのか、これらはすべて、それぞれの国民が、国民的な歴史と経験をふまえ、英知と努力をつくして創造的に解決してゆくべきことです。こうした多様な努力がたがいに合流しあって、人類史の新しい時代を開いてゆく、それが21世紀でありたい、と思いますね」。 |
「革命の青写真を持て」。これを「提言11の2」とする。
不破の大嘘を例証で批判するのは容易い。例えば、「共産主義者の宣言」(通称「共産党宣言」)は次のように述べている。確認したい個所を太字に切り替えて読んでみる。
「もちろんこのことは、はじめは所有権とブルジョア的生産関係とへの専制的な侵害を通じてのみおこなわれる。従って、経済的には不十分で、長もちしえないように見えるが、運動がすすむにつれて自分自身をのりこえて前進し、しかも全生産様式を変革する手段として不可欠であるような諸方策によってのみおこなわれるのである。これらの方策は、当然、国によっていろいろであろう。しかしもっともすすんだ国々では、次の諸方策がかなり全般的に適用されるであろう」。 |
かく述べた後、「提言7、市場性社会主義経済論を創造せよ」で示したような10項目にわたる具体的施策=「社会改革提言青写真」を提言している。その内容は「提言7、市場性社会主義経済論を創造せよ」に記したので確認されたし。不破は何ゆえに、この明々白々たる箇所を無視するのだろうか。解せないことである。
「共産主義者の宣言」は、この後次のように結んで革命の到達地平をも青写真化させている。
「発展の進むにつれて、階級差別が消滅する。そして、あらゆる生産が、国中の広範大規模に協同した人達によって集中的に為されるようになるなら、公的権力は政治的性格を失う。本来の意味の政治権力とは、ただ単に一階級が他の階級を抑圧するために組織された暴力である。プロレタリアートがブルジョアジーとの闘争を強いられている期間中は、諸情勢に相応しい力で、革命という手段を使ってみずからを階級的に組織する。みずから支配階級となり、強制的に旧い生産状態を一掃する。次に、そういう条件が整いしだい、階級対立及び一般的に階級の存在状態を一掃せねばならない。次に、階級としての自己の支配権力をも廃棄することになる。諸階級と階級対立を持つ旧ブルジョア社会にかわって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような協同社会(アソシエーション)がきっと現れるであろう」。 |
その後の世界共産主義運動及び各国の共産党は、「共産主義者の宣言」に示されたこの大綱を下敷きにして各国での創造的適用に心血を注いできた。これを例示することはいとも簡単である。戦後日本の共産党運動史で確認してみよう。
1945年12月1日、終戦に伴う獄中党員の解放より2ヶ月足らずのこの時、迅速にも第4回党大会が開かれている。この大会で、徳球が最高指導者としての書記長に、bQに志賀義雄が選出された。この時採択された行動綱領には、「我が日本共産党が掲げる左記の実践的要求こそ日本民衆を苦しめる鞭と搾取と牢獄の天皇制支配を終滅せしめ、労働者、農民その他一切の勤労大衆を自由の新野に解放する為の指標となるものである」と前書きして、以下具体的に次の事項が書き込まれている。これを青写真と呼ばずして何と云おうか。
1 | 天皇制の打倒、人民共和政府の樹立。 |
2 | ポツダム宣言の厳正実施。民主主義諸国の平和政策支持。朝鮮の完全なる独立。労働組合の国際的提携。 |
3 | 一切の反民主主義団体の解散と反動地下組織及び白色テロ計画の根絶。一切の戦争犯罪人並びに人権蹂躙犯罪人の厳正処罰。民主主義の敵たる天皇主義政党の排撃。 |
4 | 天下り憲法廃止と人民による民主憲法の設定、枢密院、貴族院、衆議院の廃止と民主的一院制議会の設定。華族その他一切の半封建的特権制度の撤廃。 |
5 | 警察の横暴による一切の犠牲者、一切の政治犯人の即時完全釈放及び完全なる復権と救援。官憲による一切の被害者に対する損害賠償の要求。 |
6 | 一切の人民抑圧法令、判決中の「皇室に対する罪」の完全なる撤廃。大衆運動取締り反対。人種、民族、国籍による差別待遇反対。一切の身分的差別の撤廃。 |
7 | 言論、集会、出版、信仰、結社、ストライキ、街頭示威行進の完全なる自由。宗教の国家からの分離。 |
8 | 定住、資産、民族の如何に拘わらず18才以上の男女に対する選挙権、被選挙権の確立。選挙に関する官僚的干渉反対。 |
9 | 軍国主義的、帝国主義的法制文化、教育制度反対。人民解放の為の進歩的文化の創造と普及の支持強化。 |
10 | 一切の民主主義勢力の結集による人民戦線の結成。(以下、25項目列挙) |
その時々に於ける「青写真呈示」は党中央の責務である。青写真は運動の要であり、これあればこそ党と党員が結合される。状況に合わせて書き換えられようとも、書き換えるのも党中央と党大会の責務である。そういう役目を負う青写真を否定することは如何に犯罪的なことか。上述の不破の弁のウソ臭さを知るべしであろう。「青写真不要論」を公然と掲げる不破見解は異邦人の証(あかし)であろう。
問題は、不破が何ゆえに左派運動にかような有害無益思想を押し付けようとするのか、その意図の解明の方に興趣が注がれるべきであろう。宮顕と云い不破といい左派世界での履歴は、実にかような本来為すべき活動の反対側への指導軌跡ばかりを遺している。これを間違いだ的に批判してみても、それは半面の有効さでしかなかろう。残りの半面の批判は、確信犯的に為そうとしているそのどす黒い意図を解明すべきであろう。日共批判の多くの論者は、この後半の批判をサボタージュしている。筆者には容認し得ないところである。以上を提言11としておく。