【学生運動活動家列伝、学生運動活動家のその後の履歴考その2】

 

 更新日/2025(平成31.5.1栄和改元/栄和7)年4.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 本サイトで、「学生運動活動家列伝、学生運動活動家のその後の履歴考」をしておく。以下、全学連活動家史を記そうと思う。ところが、既成のものではない。ネット検索に出てこない。困難を極めるが、筆者が辿ってみる。アバウトになるのは致し方ない、ないよりはマシだろう。

 2007.10.20日 れんだいこ拝


【全共闘運動期活動家の生態考】
 全学連運動盛期とは、1962年から1970年代までを想定することにする。全学連の様々な潮流への分岐、全共闘運動、70年安保闘争。この時代の活動家もその後は様々である。確認し得るのは次の通り。

三上治 中大法学部 1941年、三重県生まれ
1960年、中央大学の法学部政治学科に入学。安保闘争に参加し、その終盤まで全学連主流派活動家として過ごす。
1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。
1966年、第二次ブンド結成に加わる。全共闘運動やベトナム反戦闘争に参加。中央大学中退。
1969年、ブンド内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立。
1969年.4月28日の沖縄闘争で指名手配され、潜行しつつ活動していたが、9月に逮捕される。
1970年、一旦保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に収監。この間、共産主義者同盟叛旗派をつくり、最高指導者となる。
1975年、共産主義者同盟叛旗派を辞め、政治的実践活動から退き、雑誌『乾坤』を主宰し、政治評論・社会評論などの文筆活動に専念する。
編集校正集団聚珍社に参画し代表を務める。聚珍社退社後、再び文筆の仕事を行い、「九条改憲阻止の会」で、日本国憲法第九条の改憲阻止の運動を遂行する。
「独立左翼論」、「1970年代論」を著す。

【三上氏のブント主導による60年安保闘争論】
 三上氏のブント主導による60年安保闘争論は次の通り。
 伝統的左翼は党(前衛党)が革命の主体であるという理念を基礎にしている。前衛党なくして革命はない。だから、大衆運動も主体は前衛党であり、それは党のための運動である。党勢を拡大し、選挙に勝つとか、武装蜂起に備えるとか幅はあるが、党が主体である。伝統的な左翼の観点では大衆運動の主体は党(前衛党)であり、従って大衆運動は党の指導に従うものである。これは安保闘争において現れた、日本共産党や社会党や総評の在り方であった。彼らにとっては大衆も運動も党勢の拡大に利用するものとして存在している。かれらの観念の中には党(前衛党)の拡大が革命への接近であり、あくまでも革命の主体は党であるというということがある。

 これに対してブンドには大衆運動を党勢の拡大に利用するという観点はなかった。本当はそれが隠された目的だったのかも知れないが、共産党などと対抗上、主体は大衆であるという様式をとった。結果としてそれを実現したというべきなのかもじれない。それは行動として政治意志を表現する諸個人が運動の主体であり、その集合としての大衆的運動が展開された。そういう様式を生み出したのである。 ブンドは伝統的な前衛党として、つまり主体として大衆運動を指導したのでなく、ブンドは必要な政治的機能を果たしたに過ぎなかった。日本の政治運動の中で、前衛党が主体ではなく、大衆が主体として立ち現れてくるという運動を初めて実現したのである。そこにブンドの意味はあった。これはブンドが意識的に実現したというよりは、無意識のうちに実現したものである。なるほど、ブンドも日本共産党などのような組織形式をとり、政治的役割を演じようとした。だが、プンドは大衆主体の運動に依拠せざるをえなかった。そして、そのことにおいて新しい大衆運動の様式を生み出したのである。1960年の6月15日はその実現であり、そこに僕らの希望はあった。 僕はこれをブンドが生み出した独立左翼の大衆運動というのだが、それは伝統左翼とちがって運動の主体が大衆にあるということである。
 「1970年代論」の前置きが次のように記している。
 「1969年に始まったやがて赤軍派の結成に至る部分との政治集団(共産主義者同盟)内部の党派闘争はさまざまの問題を提起していた。それらはまだ思想的には整理された形では析出されてはいない。 僕はこの党派闘争の中から発生した赤軍派やそれに続く蜂起戦争派を1960年闘争を通して出てきた独立左翼的な思想と運動とは系譜を異にするものと位置づけた。この党派対立の根底には第一次ブントが内包していた初源の理想(左翼的理想)を維持するかどうかの思想的生命がかけられていたからだ。

 それは急進的な戦術という次元を超えたものだった。この点について特に暴力の問題を中心に僕の考えを展開した。これは現在の「テロリズム」の評価に連続していると思っている。僕にとって切実だったのは独立左翼的な初源の理想を保持するか、それを踏みにじっていくかだったが、その思いは今も変わらないで僕の中ではある。僕が保持したかったのは組織でも党派でもなく第一次ブントがちらりと示してみせた初源の理想だけだったからだ。理想を失った左翼や反権力思想には何の意味もない」。
 三上氏の「暴力問題論」(宮崎学の叛乱者グラフィティ)は次の通り。
― 三上さんが叛旗派を解散することになった背景には何があったのか。
 闘争がだんだん、爆弾とかにエスカレートするでしょう。そうすると途端に大衆的支持を失う。そしてますます闘争手段は過激化する。そういう悪循環に入っていて、そこからもう抜け出せないと判断したからでしょう。その第一歩が赤軍派の発生でした。
― そういう認識があって、三上は全力をあげて中央大学の若い活動家たちを説得する。彼らは泣きながら「赤軍に行かせてくれ」と言い続けたが、三上は「絶対にだめだ」と説得するのだ。
 中大というのは戦闘的なグルーブでした。右派と言われるのは屈辱で、死んでもいいから左派と言われたいと思っていた。だから、「左派と言われなくてもいいではないか、それは後でわかることだから」と、ともかくも説得したのです。
―その状況を具体的にはどんなふうに分析していますか。
 67年から70年のゲバルトの意味というのは、俗にいう革命暴力ではないのです。異議申し立てという政治的意思の表現なんです。その新しさだったのです。だから、政治的意思を行動として表現する人が、自分でわかっていればいいです。体を張って見える形でやっている限りはよかったんです。自己で行動に対して責任を負う形だからです。 それは、警備を強化してくるのに対して、その壁を突破するという対抗策であって、一種の自衛的な要素もあるわけだから、運動の境界線も見えてくる。だけど、これが爆弾とかテロリズムになったり、人を盾に取ったりした途端に大衆的な支持を失う。さらに、匿名の形になると腐敗する。行動は無責任になるんです。そこから退廃していきます。だからそれはだめと思っていました。だから、僕らは基本的には爆弾闘争はやらない、せいぜい言えば竹竿以上のものは持たないようにしよう、右派と言われてもいいんだ、このあたりが現実的な運動の境界なんだ、という考えがありましたね。

江田五月
(えださつき)
東大教養学部 (1941年-2021年7.28日)弁護士。東京大学教養学部時代に学部自治会委員長として大学管理法反対ストを指揮し、退学処分を受ける。復学後は運動と絶縁。裁判官を経て、1977年に社会市民連合から参院選旧全国区に出馬し初当選。衆院4期、参院4期を務めた。85年に社会民主連合の代表に就いた。93年に細川内閣で科学技術庁長官、2007年から10年まで参院議長。11年に菅直人内閣で法相、環境相を務めた。16年に政界を引退した。

小野正春 早稲田大 ()62年全学連副委員長。
篠原竜夫 立命館大 ()63年立命館大自治会委員長。
渕上太郎 学芸大 ()63年学芸大闘争委員長。
中沢広凱 大阪経大 ()64年大阪経大自治会委員長。
横山一 関西学院大 ()64年関西学院大自治会委員長。
小口恭道 東大 ()65年東大緑会。
片山正彦 立命館大 ()65年立命館大自治会。
野田雄一 立命館大 ()65年立命館大自治会。
大口昭彦 早稲田大 ()66年早大全共闘議長。
成島忠夫 ()67年全学連副委員長。

仙谷由人 東大法学部 ()構造改革派のフロント(社会主義同盟)の活動家として全共闘運動に
参加。その後弁護士、政治家。菅内閣の官房長官。
神津陽 中大法学部 (1944年―)ブント叛旗派のリーダー。評論家。
藤本敏夫 同志社大 (1944年―2002年)第二次ブント系の学生運動指導者。有機農法実践
家、大地を守る会初代会長。妻は歌手の加藤登紀子。娘も歌手のYae。
飛鳥浩次郎 同志社大 ()関西共産主義者同盟結成議長。

松岡 正剛
(せいごう)
早大第一文学部  「松岡 正剛(まつおか せいごう)」に記す。
 (1944年1月25日 - 2024年8月12日)
 早稲田大学第一文学部文学科フランス文学専修進学。高校から大学にかけて、革マル派)に属し、学生紛争の論客として鳴らす。早大在学中は、革マル派の影響力が強い早稲田大学新聞会に所属。文学部議長。デモの先頭で闘争の日々を送る。一方でキリスト教会、禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せ、様々な思索にふける。
 2024年8月12日、肺炎のため東京都内の病院において死去(享年80歳)。

荒岱介
(アラタイスケ)
早大法学部 (1945―)1965年、早稲田大学第一法学部入学、ベトナム反戦闘争を契機に学生運動に参加。第二次ブント社会主義学生同盟委員長。戦旗・共産同議長、ブント(BUND)代表などを歴任。哲学者・廣松渉との交流をつうじ現代思想を研究。左翼思想のパラダイム・シフトを提唱、環境破壊に抗する運動への転換を訴える。

 著書『破天荒伝』(太田出版、2001年)、『大逆のゲリラ』(太田出版、2002年)、『破天荒な人々』(彩流社、2005年)、『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書、2008年)、『近代の超克論者 廣松渉理解』(夏目書房、2004年)、『マルクス・ラジカリズムの復興』(御茶の水書房、1993年)、『ハイデガー解釈』(社会評論社、1996年)、『左翼思想のパラダイム・チェンジ』(実践社、1995年)、『行動するエチカ』(社会思想社、1998年)、『環境革命の世紀へ』(社会評論社、2000年)など多数。

松本礼二 ()初代議長。東京ブント。全電通。
水沢史郎 ()初代副議長。マル戦派。
成島忠夫 ()三派全学連副委員長。マル戦派。後に9条ネットから参院
選に出馬、落選。

【早大ブントの生態考】
村田能則 ()早大ブントの創始者。
大下敦史 ()『情況』編集長。
広河隆一 ()教育学部。早大ブントに所属。卒業後イスラエルに渡航し、共産主義的な反シオニスト組織である「マツペン」で活動を行った。のちにフォトジャーナリストになる。
花園紀男 ()雄弁会に所属。
松平直彦 ()のちに赫旗派議長。
立松和平 ()早稲田大学全共闘活動家。「光の雨」。

【明大ブントの生態考】
斎藤克彦 ()三派全学連の初代委員長。
米田隆介 ()東大安田講堂事件守備隊長。
上原敦男 ()のちによど号ハイジャック事件立案者。
重信房子 ()のちに日本赤軍創設者。
松原智恵子 ()女優。ブント系の活動家だった。同じ明大学生運動OBの横山茂彦証言。

【北大ブントの生態考】
山内昌之 北大 ()社学同活動家として活躍。

【関西ブントの生態考】
塩見孝也 ()のちに共産主義者同盟赤軍派を結成。
高原浩之 ()のちに赤軍派最高幹部。
田宮高麿 ()のちに共産主義青年同盟(キム)常任委員長。よど号グループリーダー。

【東大闘争系活動家の生態考】
最首悟 ()60年東大教養自治会。
今井澄 (1939年-2002年)その後3度目の復学をして1970年に卒業、医師国家試験に合格する。医師・政治家・参議院議員。
菅孝行 (1939年-)日本の評論家、劇作家。『マルクスと現代』(未來社、2000年)、『全学連(FOR BEGINNERS シリーズ イラスト版オリジナル 12)』(現代書館、1982年)。
山本義隆 (1941年―)68年東大全共闘代表。
島泰三 ()『安田講堂 1968-1969』(中央公論新社〈中公新書〉 ) 東大全共闘の一員として安田講堂に立てこもった側の記録。
橋爪大三郎 ()東京大学全共闘活動家。

【日大闘争系活動家の生態考】
秋田明大 (1947年-)68年日大全共闘議長。1968.9月、両国講堂で3万人の学生と共に古田重二良日大理事長・会頭を糾弾後、潜伏。翌1969.3月、逮捕された。
テリー伊藤 (1949年)日大経済学部在学中に日大全共闘に参加。左眼の斜視は、デモ行進中に投石を受けて重傷を負った後遺症である。その後、芸能人。

【日大全共闘議長 秋田明大氏の獄中インタビュー】
 「No117  平凡パンチ 秋田明大獄中インタビュー 前編」。
 小中陽太郎氏(作家・ベ平連)による「この人の証言」というコーナーがあり、第1回目のゲストとして日大全共闘議長 秋田明大氏の獄中インタビューが載っている。「平凡パンチ」の読者向けではあるが、秋田氏の人柄が伝わってくる内容である。

【女ってこんなにキレイだったのか 独房の中で8ヶ月激動の時代を見つめる人間秋田】平凡パンチ 1969.11.24 (引用)

 東京拘置所の壁は高く、厚かった。私は、秋の朝、何度か東京拘置所に足を運んだ。秋田明大に最後に会ったのは1年前の冬、某所から某所へ移動の間のことだった。8ヶ月ぶりに会う彼と私の間には、面会室の金網が、白く鈍く立ちはだかり、かたわらに、メモをとる看守の姿があった。金網は二重になり、顔の輪郭さえボケテいる。しかも、面会時間は、たったの5分と厳重に制限される。二重の金網の向こうから聞こえてくる人間、秋田明大もナマの声をきいてくれ。

 <山本クンに会って思わずニヤリ>
 東京拘置所の面会人待合室は人生の縮図だ。小指をつめたヤクザもん。野球帽のオッサンは、競馬場のノミ屋か?乳飲み子の手をひいた若い女は兎のようにおどおどし、髪をアップにしたトルコ嬢は、ヒモが獄中にいるのか。白髪の父親が「ガロ」を差入れる。いずれも学生たちの肉親だろう。私は胸に98番の面会票を付ける。「三号室に入りなさい」。金網だけが光る。その向こうの小暗いカゲに、紺色のTシャツを着た秋田明大がいた。土気色の肌、少しむくんでいる。髪も長く、乱れている。その顔が、にっこり笑って「やあ」といった。
コナカ けさ起きて、ナニ考えた?
秋田 ひとりごと言った。「アア・イヤンナッチャウナ」
コナカ 運動不足じゃないか?
秋田 独房で体操やるわけ。腕立て伏せ、腹筋、さか立ち、それとコマネズミみたいに走りまわる。いままで体をきたえるため、ハダカでいたけど。このごろじゃ寒くて・・。
コナカ 変わった手紙や知らない面会人が来るかい?
秋田 うん、2.3日前、モミジの押し葉を入れた手紙が来た。「外の空気はとてもおいしいですよ、もう秋ですもの」だって。チキショウ!それから「あなたは罪を犯しています」。なんだろうね。コレ。
コナカ 君の背番号は?
秋田 40××番。(獄中の秘密につき伏せ字。でもオレ聞イチャッタ=小中注)
コナカ その番号は、一生忘れないだろ。
秋田 権力から与えられた屈辱の勲章。でも名誉の勲章だね。
コナカ 看守なんかと話す?
秋田 若い看守がね、オレの職業どう思うってきくんだ。オレ、答えられないよナ。
コナカ ほかの仲間と話す機会は?
秋田 ないね。あ、そうだ。山本さん(東大全共闘議長)に会ったよ。あれは10.21の前だから20日だったかな。接見に出かけるんで廊下を歩いていたら向こうから声かけるんだ。「おう」といってニヤッと笑ったんでね、こっちも「おう」ってね。
コナカ 護送車の窓から見るシャバのようすは。どうだい。
秋田 それがふしぎに腹立たしくないんだ。街ゆく女性の体、顔つきなんかが、やたら目についてね、女ってこんなにきれいだったかって、目をサラのようにして見るんだけど、アッという間さ。すぐ地裁に着いちゃう。
コナカ 誰にいちばん会いたい?
秋田 ゲバラ、シュバイツアー
コナカ 夢なんか見る?
秋田 ふしぎと見ない。オレ寝ながらドナルらしいよ。
コナカ もしキミが日大に入っていなかったら、今ごろなにしてる?
秋田 大学出ても、なにするかわからないのに、仮定のことは答えられないよ。ま、しいていえば、百姓でもやってるかな。(後略)
コナカ もし、いま釈放されたら、出迎えの人にまずなにを言うだろう?
秋田 「オオ、みんな、元気か」たぶんこう言うだろうな。
コナカ それから何を食べる?
秋田 前はビフテキにビールだったけど、最近変わってスキヤキに日本酒。だいぶ寒くなってきたからね。(中略)
コナカ ところで、キミの郷里の広島カープは、ことし最下位だったけど、どうすれば強くなると思う?
秋田 ソレソレ。オレ、毎年ガッカリさせられるんだ。出だしがよくって終わりダメ。積極的なエネルギーがないんじゃないか。日大闘争の粘り強さを少しわけてやりたいよ。中略)
コナカ もっかシャバでは、ピーターって女装の美少年がウケてるけど・・・。
秋田 既成の概念を破ろうとしてるんじゃないか。反体制のテーゼといっちゃオーバーだけど。
コナカ モノ・セックスってことば、知ってる?
秋田 孤独な男にゃ、わからないんじゃないか。
コナカ ソウカナ?孤独な男ならわかる、と思ったんだけどな。いま読んでるものは?
秋田 「エコノミスト臨時増刊」、「朝日ジャーナル」「少年マガジン」
コナカ つげ義春と白土三平の差はなんぞや?
秋田 つげ義春はよくわからないけれど、どろどろした情念の世界を描写しているのではないの?白土のほうは感情の世界ではなくて、現実の社会、つまり歴史を闘争的に描写し、だれが時代の主人公であるかを訴えようとしているんじゃないかな。だけど最近「ガロ」読んでないけど、「ガロ」の一番最初の「ワタリ」だっけ、あれ読んだ限りでは、思想的限界を表しているようだなあ。
コナカ 「平凡パンチ」は金出して買ったことあるかい。
秋田 ある、ある。高校、大学1年ごろまでよく買ったよ。そういえば、マンガ差入れてくれるのに「パンチ」はあまり差し入れされないな。前に一度ね、パンチ差し入れされたけど、ヌードのところ、黒々と塗られていたよ。ガッカリだよね。
コナカ 山本義隆評聞かせて。
秋田 物事を理論的に考える人、自己にきびしい人、だけど、この人、あまり清潔じゃないね。2月ごろだったかな汗で汚れて黄色くなった下着着てたよ。
コナカ このあいだつかまった日大全共闘書記長の田村正敏クンは?
秋田 あの男、カタブツに見えるけど、なにしろ毛沢東万歳だからね。案外おもしろいよ。オイラ、あの彼の笑い声にひかれるな。キーキーキーって笑う。まだたくさんあるけど、本人にしかられるからやめるよ。(中略)

 昨年の夏、バリケードの中で秋田クンにあったときは、彼はコッペパンかじりながら「ことしの夏はザック1つさげて北海道に旅行したいけど、それどころじゃなくなって」と、白い歯を見せて笑ったものだが、あれから8ヶ月も権力は彼を暗い独房に閉じ込めている。数度の保釈請求にも、一度は保釈金百万円、しかも広島に帰れ、という闘争を放棄させる条件をつけ、現在は証拠隠滅の恐れありというナンセンスな理由で、1人の若者を拘置しつづけている。それでも秋田クンは、いまなお強いことばで語るのだ。「日大闘争ほど展望のある闘いはない。日大闘争は人間として日大生として、生きていくために避けることのできないものだ。だから、決意などない。ただ、人間として生きて行くだけだ、それが闘争だ」。そして、闘い半ばにして去っていった仲間にも「闘ったことを忘れないでほしい。そしてそのことを肯定できる生き方をしてくれ」と望むのだ。そしてなお、獄中で彼が思うのは外のたたかい。彼は、全国全共闘に対しても、こう言っている。「技術的政治的に堕さないでくれ。八派だけでなく、いろいろな学生組織も参加してほしい。そして11/17の佐藤訪米阻止には、東京中がゴチャゴチャになること、ありとあらゆるところに、戦闘的な人間のウズがわき上がることを期待している」と。

 1日1回の貴重な5分がすぎると、かたわらの看守がリミットを告げる。私と秋田クンのあいだに通っていた、暖かいものが、一瞬、とだえ、冷えびえとした接見室の現実にかえる。ぐっと歯を食いしばった秋田クンは、看守にうながされて、牢獄の、厚い壁の世界にかえってゆく。拘置所を出ると、東京の空はぬけるように青かった。

菅直人 東工大 (1946年-)政治家。第94代内閣総理大臣。東京工業大学在学中に学生運動に参加していたとあるが定かでない。
北野武 明大工学部 (1947年)学生時代に羽田闘争などに参加したが、そのまま中退している。
高沢皓司
(たかざわこうじ)
(1947年 -2022年)日本のジャーナリスト。7.6日、誤えん性肺炎のため死去(享年75歳)。大阪市出身。大学時代に全共闘や新左翼運動に参加。編集者などを経てフリージャーナリストとなり、よど号ハイジャックグループの取材を行う。同グループの実態と事件後の彼らを描いた著書「宿命」で99年に講談社ノンフィクション賞受賞。

【赤軍系、連合赤軍系活動家の生態考】
川島豪 岐阜大 (1941年―1990年)60年安保闘争に参加。1962年、東京水産大学に再入学。1964年に大学自治会会長に就任。1969年、日本共産党革命左派神奈川県委員会を結成し、議長に就任(革命左派創始者)。同年12月8日、米軍基地爆破未遂容疑で逮捕。1979年、出獄。1990年、死亡。
塩見孝也 京大 (1941年― )ブント赤軍派創始者リーダー。63年京都府学連書記長。関西ブント、第二次ブント、共産主義者同盟赤軍派の最高指導者の議長。府中刑務所(懲役18年。現在はぱとり・自主日本の会。
田宮高麿 大阪府立大 (1943年―1995年)赤軍派軍事委員会議長、よど号ハイジャック事件。よど号グループのリーダー。
小西隆裕 東大 (1944年―)。よど号グループのメンバー。東大全共闘、医学部共闘会議議長。1969年に赤軍派が起こした東京戦争で警視庁本富士署火炎瓶投擲事件に関与。1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。よど号グループではリーダー田宮高麿に次ぐサブリーダー格であった。1976年によど号事件の前から恋人だった女性と結婚。1995年に田宮が死亡した後はリーダー格となる。現在も北朝鮮に在住しているが、日本政府により指名手配されていると同時に国際指名手配されている。
若林盛亮 ()(赤軍派・よど号グループ)
魚本公博 ()(赤軍派・よど号グループ)
岡本武 ()(赤軍派・よど号グループ)(赤軍派・よど号グループ)
赤木志郎 ()(赤軍派・よど号グループ)
柴田 泰弘 (1953年 - )よど号グループの最年少構成員。
重信房子 明大 (1945年―)共産主義者同盟(第二次)、産主義者同盟赤軍派、赤軍派アラブ委、1974年以降は日本赤軍を名乗る。1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士と偽装結婚。200年、日本の大阪府高槻市に潜伏しているところを旅券法違反容疑で警視庁公安部によって逮捕される。懲役20年。父親の重信末夫は、四元義隆とは同郷の同志の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の右翼の血盟団のメンバー。後にパレスチナ人男性と結婚し娘の重信メイ。
奥平剛士 京大 (1945年―1972年)セツルメント活動を経て全共闘運動に参加。京大助手だった滝田修のパルチザンの構想に影響を受け、赤軍派の重信房子と偽装結婚。そのあとレバノン・ベイルートへ出国。1972年5月30日、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したとされるテルアビブ空港乱射事件を起こしそのさなか死亡(自殺説と射殺説がある)。弟は同じく日本赤軍活動家の奥平純三()。
奥平純三 ()(日本赤軍)
山田義昭 ()1974年9月13日に、日本赤軍がフランス当局に逮捕されたメンバー。
仁平映 ()(日本赤軍)
泉水博 ()(日本赤軍)
足立正生 ()(日本赤軍)
和光晴生 ()(日本赤軍)
西川純 ()(日本赤軍)
松田久 ()(赤軍派・日本赤軍)
丸岡修 ()(日本赤軍)
城崎勉 ()(赤軍派・日本赤軍)
森恒夫 京大 (1944年12.6日―1973年1.1日)田宮高麿の忠臣。関西ブント、共産主義者同盟(第二次ブント、共産主義者同盟赤軍派)、連合赤軍最高幹部の中央委員会委員長。12人の同志を殺害する山岳ベース事件を起す。東京拘置所で獄中自殺。
永田洋子 (1945年2.8日―2011年2.5日)昭和薬科大。社学同ML派、「警鐘」グループ、日共左派神奈川県委、共革左神奈川県委、連合赤軍中央委員会副委員長。リンチ・殺人で死刑が確定している死刑囚である。執行前に脳腫瘍のため東京拘置所で獄死した。
坂東國男 ()(赤軍派・連合赤軍)
柴野春彦 ()
遠山美枝子 ()
植垣康博 ()(赤軍派・連合赤軍)
寺岡恒一 ()(革命左派・連合赤軍)
吉野雅邦 ()(革命左派・連合赤軍)
坂口弘 ()(革命左派・連合赤軍)

【中核派活動家の生態考】
奥浩平 ()
長谷川英憲 ()
秋山勝行 横浜国大 ()
金井 ()
白井朗 () 元革共同中核派政治局員。2002.12.18日、春日部市のマンション自室で襲撃され両手脱臼、片足大腿骨陥没、全身打撲により救急病院。中核派が犯行声明。
猪瀬直樹 信州大学 ()信州大学全共闘議長。
 【写真】中核派時代の猪瀬直樹都知事の勇姿
 猪瀬にもこうい時代があったんだなと感心するが、その後の馬鹿ヅラが許せない。
梨元勝 法政大学 ()芸能レポーター。法政大学に通い中核派学生として、活動した。
糸井重里 法政大学 ()コピーライター・作詞家・随筆家。法政大学時代、中核派に所属し佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争にも参加。典型的『しらけ世代』の一人。
山崎博昭 ()(羽田事件で死亡)

【革マル派活動家の生態考】
蓮見清一 早稲田大 ()宝島社社長。早稲田大学で革マル派の学生運動を行う。
石井慎二 早稲田大 ()洋泉社社長。革マル派の影響力が強い早稲田大学新聞会に所属。
前川健 早稲田大 ()

【社青同解放派活動家の生態考】
高見圭司 ()
滝口弘人 ()
山田茂樹 ()

【学生運動に参加した著名人その他】

TJ 青学大 ()叛旗派の中心メンバーとして71年三里塚第二次強制収容阻止闘争で逮捕・起訴された。罪状は凶器準備結集罪とともに「殺人」容疑!。機動隊が3名亡くなった激しい闘い。TJ氏はその後、別の大学に入り直し学究生活に転じのちに早稲田の教授となる。早稲田の奥深さを感じさせる逸話である。(松岡利康情報)

市原悦子
(本名塩見悦子)
(-2019年1.12日)千葉市出身。1971年、中村敦夫や原田芳雄らと共に老舗の劇団・俳優座で叛乱を起こし、その後も反戦歌『フランシーヌの場合』で一世を風靡した歌手・新谷のりこさんらと共に長く中核派系の「杉並革新連盟」の候補者の推薦人。テレビドラマ「家政婦は見た!」シリーズなどで知られ、舞台や映画でも活躍した。テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のナレーションや、朗読劇での明るくほのぼのとした語りも人気だった。心不全のため東京都内の病院で死去した(享年82歳)。

中上健次 (1946年―1992年)。1965年、予備校生として仕送りを受けながら東京で生活、同年「文芸首都」の会員となり『十八歳』を同誌に掲載。この時期は新左翼運動に傾倒、ブント系で活動し羽田闘争に参加。早稲田大学では聴講生として活動した。作家。

岡留安則 法政大社会学部 (1947年11.23日 - 2019年1.31日)大学時代に構造改革派に所属した。反権力・反権威スキャンダリズムを売りとする月刊誌『噂の眞相』を1979年3月に創刊。2004年4月号限りで噂の眞相を休刊し沖縄へ移住。翌年1月には「『噂の眞相』25年戦記」(集英社新書)を著し、発行から休刊までの総括を発表した。
安彦 良和
(やすひこ よしかず)
弘前大学人文学部 (1947年12.9日 - )は、日本の漫画家、小説家。北海道紋別郡遠軽町出身。1966年、弘前大学人文学部西洋史学科に入学。1968年、ベトナム戦争に反対する学生団体「ベトナムの平和を守る会」を結成する。1969年9月、弘前大本部を全共闘が3週間占拠した際の建造物侵入、不退去罪の疑いで逮捕された。この結果1970年1月に弘前大学から除籍(退学)処分を受ける。埼玉県所沢市在住。

宮崎学
(みやざきまなぶ)
早大法学部 (1945-2022.3.30)評論家。京都府出身。第1次早大闘争に日本共産党側で参加。全共闘と激しく戦った日本民主青年同盟のゲバ部隊「あかつき行動隊」の隊長として早大全共闘および東大全共闘と激しいゲバルトを闘う。早大闘争や東大闘争での彼らの実態が初めて明らかに。早大中退後、週刊誌記者などを経て実家の建築解体業を継ぐ。1996年に自伝的ノンフィクション「突破者」で作家デビュー。84~85年に起きた「グリコ・森永事件」の容疑者の「キツネ目の男」と疑われた経緯などを記し、ベストセラーになった。「近代の奈落」(幻冬舎アウトロー文庫)、「談合文化論」(祥伝社)、「暴走する』世界の正体(SB新書、共著)など著書多数。2022.3.30日、老衰で死去した(享年76歳)。

高瀬幸途
(たかせよしみち)
(本名:中里 幸途)
法政大 (1948年 - 2019年4.24日)日本の編集者。太田出版社長を務めた(1995年 - 2006年)。2013年に退社後は、フリーとなった。東京都出身。法政大学時代、非合法革命党派に所属。糸井重里とは対立するセクトにいた。荒井晴彦に『神聖喜劇』(大西巨人・原作)のシナリオ版を書かせた。ビートたけしとの交友もある。見城徹とは友人で、見城の『編集者という病』の編集を高瀬が手がけた。2019年4月24日、大動脈解離のため死去。享年71。
上野 千鶴子
(うえの ちづこ )
京大文学部 (1948.7.12日 - )。京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士。家族社会学、女性学研究者の立場から、フェミニズムについて積極的に発言し、一般層の社会学への関心を誘った。著書に『家父長制と資本制』(1990年)、『おひとりさまの老後』(2006年)などがある。2024年、米タイム誌「世界で最も影響力のある100人」に選出された。東京大学名誉教授、元日本学術会議会員(現在は連携会員)、慰安婦問題の解決をめざす会に所属。
高野悦子 立命館大 (1949年-1969年)。1969年6月24日、山陰本線の貨物列車に飛込み、鉄道自殺(享年20歳)。遺著『二十歳の原点』(にじゅっさいのげんてん)で知られる。

高橋伴明
(たかはし ばんめい )
早稲田大 (1949年5.10日 - )は、日本の映画監督。脚本家として剣山象、高橋伴の名義で活動したこともある。早稲田大学で全共闘運動に参加し内ゲバ事件で逮捕。
高須基仁 中央大 (1949年、)中央大。出版プロデューサー。在学中は中央大学社学同の委員長として数々の闘争に参加。1968年の10・21国際反戦デーでは六本木防衛庁に丸太を抱えて先頭で突入した。

三遊亭圓楽
(6代目)

(襲名前・楽太郎)
青山学院大 (1950年2.8日 - 2022年9.30日)。1968年、新左翼の主流派・ブント(共産主義者同盟)系の活動家の時期もあった。青学は、ブント系でも中央大学と共に後に叛旗派となる勢力が強かったが「さらぎ派」シンパだった。「さらぎ派」は別名「蜂起派」ともいい、トップの「さらぎ徳二」は当時のブントの議長で、69年4・28沖縄闘争で破防法(破壊活動防止法)の被告人。69年7月6日、赤軍派によってリンチされる(いわゆる「7・6事件」。この報復として叛旗系の人たちに赤軍系の同志社大学の先輩・望月上史が拉致・監禁され後に亡くなる事件が発生している。(松岡利康情報)
千坂恭二
(ちさか きょうじ )
本名は平野和男
(1950年3.18日 - )日本の思想家、評論家。全国浪人共闘会議(浪共闘)やアナキスト革命連合に参加。1969年10月の大阪芸術大学夜襲闘争で逮捕。千坂は母方の曾祖母の生家の苗字。
田崎史郎
(たざき しろう)
中央大学法学部 (1950年6.22日 - )福井県坂井郡三国町(現・坂井市)生まれ。日本のジャーナリスト、政治評論家。時事通信の政治部次長、編集局次長、解説委員、解説委員長などを歴任。大学2年時に三里塚闘争へ参加、凶器準備集合罪で逮捕のうえ13日間留置(勾留)される。
矢作俊彦
(やはぎ としひこ)
(1950年7.18日 -)日本の小説家。本名は非公表。第2次ブントの活動家だった。
れんだいこ 早大法学部 (1950年8.12日-)「学生運動-戦後史のなかの学生反乱」上巻(社会批評社、2009年2月)下巻(同、2011年8月)刊行。
内田樹
(うちだ たつる
東京大学文科三類 (1950年9.30日 - )。日本のフランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段段)、翻訳家、思想家。立憲民主党パートナー。1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学文科三類に入学。この頃、三里塚闘争に参加する。某政治党派に属していた。内ゲバで殺された革マル派の金築寛とは当時、親友だった。
高橋源一郎
(たかはし げんいちろう)
横国大経済学部 (1951年1.1日 - )日本の小説家、文芸評論家。明治学院大学名誉教授。広島県尾道市。1966年4月、灘高校に入学。高校時代より無党派のデモに参加。1969年、横浜国立大学経済学部に入学。活動家として街頭デモなどに参加する日々を送る。同年11月、学生運動に加わって凶器準備集合罪で逮捕される。翌年、半年間にわたって東京拘置所に留置される。この時期に高橋は一種の失語症に陥り、それが彼の文学活動に大きな影響を与えている。

中沢 新一 東大 (1950年- )東大。思想家、宗教学者、人類学者。毛沢東派であるML派の隊列にいたといわれる。1988年(昭和63)、当時東京大学教養学部教授の職にあった西部邁により、同学部社会科学科助教授に推薦されるも教授会で異例の否決となった。西部は教授会に抗議して辞任。いわゆる東大駒場騒動、中沢事件などと報道されて話題となった。オウム真理教に宗教学の立場から取り組み、教団を擁護する立場で発言をしていたが、地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚するとメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件についてのコメントについても批判を受けた。島田裕巳、苫米地英人などが中沢を批判する著作を発表している。

村上龍 武蔵野美大 (1952年-)小説家。長崎県佐世保市出身。1967年、長崎県立佐世保北高等学校に入学。翌年、佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港、この際の反代々木系全学連の入港阻止運動に感動する。3年生の夏、仲間とともに高校の屋上をバリケード封鎖し無期謹慎処分となる。この経験を元に『69 sixty nine』を執筆。1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。このころより福生での体験をもとに小説を書き始める。1976年、麻薬とセックスに溺れる自堕落な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞および芥川龍之介賞を受賞。1999年より日本の金融・政治経済関連の問題を考えるメールマガジン『JMM』を主宰、以後、暗部にひそむ政治経済関連の問題など時事報道に対してコメントするなど、文壇以外の世界にも積極的に関わっている。

坂本 龍一 (1952年-)新宿高校時代に学生運動に関わり塩崎恭久、馬場憲治との3人でバリケード封鎖を決行した。後に東京芸術大学へ進学。政治思想に関する発言が多く、心情的に左派であることを公言している。
1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った。環境・平和問題に言及しており、青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対し、受け入れる同県、岩手県の産品の不買運動を展開するプロジェクトSTOP ROKKASHOを始め、
河野太郎保坂展人などの政治家、小室哲哉などのミュージシャンからも賛同を得ている。
塩崎恭久 ()政治家。安倍内閣の内閣官房長官、厚生労働大臣。全国浪人共闘会議(元新宿高校全共闘活動家、浪共闘)に参加。
保坂展人 () 自称・麴町中学校全共闘議長。後に東京都世田谷区長(2024年2月現在現職)。
友成純一
(ともなりじゅんいち)
(1954年9.28日 - 2024年7.23日)。早稲田大学政治経済学部。高校時代に新左翼セクトに加盟。内ゲバを闘う。日本の小説家、コラムニスト、映画評論家。

佐藤優 同大神学科 (1960-)元外務省官僚。同志社大学大学院神学研究科。70-80年代の活動家。母方の伯父からの刷り込みがあり、埼玉県立浦和高校では社青同協会(向坂逸郎)派に所属。同志社大学で同派を脱退、神学部自治会・学友会運動に参加する。2005年、『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で鮮烈なデビューを飾り、翌2006年の『自壊する帝国』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。『私のマルクス』(文藝春秋、2007/12)。後に鈴木宗男とともに逮捕され有罪確定。2020年、菊池寛賞受賞。著書多数。

【全学連運動斜陽期の活動家の生態考】
 全学連運動斜陽期とは、1971年以降から1980年代までを想定することにする。この時代の活動家もその後は様々である。確認し得るのは、***。全学連運動斜晩とは、1981年以降から現在までを想定することにする。この時代の活動家もその後は様々である。確認し得るのは、***。

大野力 ()評論家。『デモに渦巻く青春』(番町書房、1968年)において「かれら反日共系活動家の求めているのは、経済的要求ではなく、その闘いを通じての、人間的文化的要求だと言えよう」としている。
桐山襲 ()『風のクロニクル』 - 劇中劇のモデルになっているのは早大全共闘。真摯な青春と内ゲバの陰惨さ。
鴻上尚史
(こうかみ しょうじ)
早大法学部 ()愛媛県生まれ。作家・演出家。『僕たちの好きだった革命』 。1981年に劇団「第三舞台」を結成し、以降、作・演出を手がける。現在はプロデュースユニット「KOKAMI@network」 と若手俳優を集め旗揚げした「虚構の劇団」での作・演出が活動の中心。これまで紀伊國屋演劇賞、岸田國士戯曲賞、読売文学賞など受賞。舞台公演の他には、エッセイスト、小説家、テレビ番組司会、ラジオ・パーソナリティ、映画監督など幅広く活動。
中野正夫 ()『ゲバルト時代 Since1967~1973 あるヘタレ過激派活動家の青春』。1967年から6年間、著者は末端活動家として常に現場にいた。羽田闘争から東大安田講堂の攻防、三里塚闘争を経て連合赤軍のリンチ殺人事件。日本中が「熱く、激しく、燃えた」季節だった。飛び交うガス弾、絡み合うゲバ棒に囲まれる日常。そして革命幻想と現実の間で揺れる心理、疾風怒涛の時代の極私的ドキュメント。
野沢尚 ()『反乱のボヤージュ
兵頭正俊 ()『死間山』 - 立命館大学を中心に京都の大学の新左翼の内ゲバを描く。
三田誠広 ()『僕って何』 - モデルは早大全共闘。一種の流行としての学生運動。 『漂流記1972』 - モデルはあさま山荘事件。内ゲバに至る過程を描く。
真崎守 ()『共犯幻想』 / 高校紛争を描く。真摯な青春としての学生運動。バリケードに最後まで立て篭もった4人の高校生の群像劇。
山本直樹 ()『レッド』 / 全共闘運動の壊滅から連合赤軍へと流れていく学生・青年たちの群像劇。
高木正幸 ()『全学連と全共闘』(講談社現代新書、1985年4月)。
角間隆 ()『赤い雪-総括・連合赤軍事件-ドキュメント』(読売新聞社、1980年2月) 
倉橋由美子 ()『パルタイ』 - 当時学生に流行していた実存主義。実存主義的学生運動。
根津甚八 獨協大 () 俳優 。獨協大学全共闘。
樋口紀男 中大 ()マーケティング実務家。元日本大学商学部教授。エンドレス・コミュニケーションズ代表取締役会長。

 大森勝久 ()
 表三郎 ()
 加藤三郎 (新左翼) ()
 川野純治
()
 北島邦彦
()
 桐山襲
()
 小阪修平
()
 白川真澄 ()
 すが秀実 ()
 竹本信弘
()
 田村正敏 ()
 所美都子
()
 牧田吉明 ()
 牧野剛 ()
 村岡到 ()

呼びかけ人(2003年4月26日現在)】 
 前田知克(弁護士)
 矢山有作(元衆議院議員)
 内田雅敏(弁護士)
 糸井玲子(平和を実現するキリスト者ネット)
 伊藤誠(経済学者)
 石崎敦子(住基ネット不参加杉並の会代表)
 伊藤成彦(中大名誉教授)
 大倉八千代(草の実)
 大島孝一(キリスト者政治連盟委員長)
 小河義伸(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)
 奥平康弘(東大名誉教授)
 小田実(作家)
 金子みつ(元衆議院議員)
 國弘正雄(元参議院議員)
 小林孝輔(青山学院大学名誉教授)
 木邨健三(日本カトリック正義と平和協議会事務局長)
 佐治孝典(兵庫・9+25市民の会代表世話人)
 島田麗子(元日本YWCA会長)
 鈴木裕子(女性史家)
 武田隆雄(平和をつくり出す宗教者ネット)
 鈴木伶子(日本キリスト教協議会議長)
 中平健吉(弁護士)
 坂内義子(キリスト者政治連盟副委員長)
 山内敏弘(龍谷大学教授)
 朝日健太郎(評論家)
 大野拓夫(緑の市民)
 三宮克己(前府中市議)
 嶋崎英治(三鷹市議)
 島田清作(ACT).
 高岩仁(映像文化協会).
 斎藤貴男(ジャーナリスト).
 布施哲也(前清瀬市議).
 前田裕晤(大阪全労協議長).
 山田達也(前新潟市議).
 吉岡徳次(元総評副議長).
 岩永達郎(元明治大学教授).
 大津健一(日本クリスチャンアカデミー関東活動センター所長)
 岡本厚(『世界』編集長).

 岡本三夫(第九条の会ヒロシマ代表).
 鎌田慧(ルポライター).
 北西允(広島大学名誉教授).
 北野弘久(日大名誉教授).
 斎藤千代(あごら編集部).
 佐藤龍市(ちぇんじじゃぱん).
 篠原茂弥(第9条の会・オーバー東京).
 清水建夫(働く障害者の弁護団).
 中村美代子(女優).
 中山均(新潟市議).
 野田隆三郎(岡山大学名誉教授)
 萩尾健太(弁護士)
 橋本久雄(小平市議)
 内田哲男(下館市議)
 金子和雄(つくば市議)
 長南博邦(野田市議)
 谷口薫(松戸市議)
 俵儀文(子どもと教科書全国ネット21)
 千葉常義(元米沢市議)
 塚本健(前東大教授)
 古川純(専修大教授)
 分銅惇作(国文学者).
 堀広士(弁護士)
 三木睦子武藤陽一(日本友和会)
 門間幸枝(ピースシンガー).
 山本俊正(日本キリスト教協議会総幹事)
 手塚弥太郎(栃木市議)
 中野新(弁護士).
 石川亜矢子(ちぇんじじゃぱん)
 井上二郎(弁護士).
 陣内直行(三多摩フォーラム)
 毛利亮子(平和を実現するキリスト者ネット)
 門間淑子(羽村市議)
 杉村昌明(龍谷大教員)
 西原美香子(日本キリスト教協議会幹事)
 丹波雅雄(弁護士)
 寺尾光身(名古屋工業大学名誉教授)
 由井哲夫(日本キリスト教団東中国教区副議長)
 吉岡淳(前日本ユネスコ協会事務局長)
 吉田和雄(市民の意見30)
 吉原節夫(元「国際労研」編集長)
 いいだもも(評論家)
 生田あい(協同・未来)
 中村勝(名古屋学院大教授)
 難波幸矢(日本キリスト教団常議員)
 草地大作(日本キリスト教団境港教会)
 倉橋剛(日本キリスト教団琴浦教会牧師)
 清水信之(狛江市議)
 宇野稔(日本キリスト教団東中国教区牧師)
 平井文則(日本キリスト教団湖山教会牧師)
 藤原寛人(日本キリスト教団東中国教区書記)
 脇本寿(キリスト者平和の会代表)
 前田朗(東京造形大学教授)
 池田香代子(翻訳家)
 岩淵達治(学習院大名誉教授)
 梅靖三(東葛市民の会)
 片岡顕二(自衛官人権ホットライン)
 亀谷保夫(東北全労協事務局長)
 清野和彦(元日教組副委員長)
 工藤英三(前創価大教授)
 小寺山康雄(ACT編集長)
 清水宏幸(医師)
 高橋治(福祉法人理事長)
 高山真三(元都議会議員)
 坪井俊長(東北全労協議長)
 坂内宗男(日本友和会)
 福田実(北区議)
 むとう有子(中野区議)
 山田敏行(新宿区議)
 乱鬼龍(川柳作家)
 松枝佳宏(兵庫・9+25市民の会事務局長)
 福富節男(数学者・元東京農工大教授)
 仲尾宏(京都造形芸大教授)
 平坂春雄(元全港湾関西地本書記長)
 高柳博一(無教会)
 大沢豊(立川市議)
 名取美佐子(日野市議)
 太田武二(ぬちどう宝)
 石川一郎(鶴岡市議)
 磯野正(北区地域労組委員長)
 河村洋二(農協労連書記長)
 江原栄昭(元中野区議)
 小林誠一(医師)
 西村裕(キリスト教秋津集会伝道者)
 市原禮次郎(前日本友和会書記長)
 来栖宗孝(元東海大学教授)
 上田哲(元衆議院議員)
 原義弘(社会保障制度研究会)
 河村宗治郎(兵庫県被災者連絡会会長)
 原和美(戦争への道を許さない兵庫おんなのネット)
 鍋島浩一(兵庫県農業問題懇話会)
 佐野修吉(世直しネットワークひょうご事務局)
 あわはら富夫(神戸市議)
 赤松徳治(詩人)
 門永秀次(兵庫・9+25市民の会世話人)
 上野恵司(憲法を生かす会・兵庫)
 井口諭(聖公会司祭)
 浜田嘉彦(高知県議)
 坂本茂雄(高知県議)
 黒川征一(徳島県議)
 藤田恵(元徳島県木頭村村長)
 亀割浩三(高松市議)
 真鍋知巳(病院長)
 津田道夫(評論家・障害者の教育権を実現する会)
 今村嗣夫(弁護士)
 鈴木慰(日本聖公会正義と平和委員会)
 田光信幸(日本聖公会小金井聖公会牧師)
 海老名幹雄(日本カトリック正義と平和協議会)
 馬場昇(元衆議院議員)
 福士敬子(東京都議)
 油井義昭(日本福音キリスト教会連合長津田教会牧師)
 村瀬俊夫(日本長老教会教師)
 須賀誠二(日本キリスト教団東京愛隣教会牧師)
 日下部信雄(流山市議)
 高橋昇(「技術と人間」編集人)
 今井一(ジャーナリスト)渡辺一枝(作家)
 渡部智暁(グリーン・ユース・キャンペーン)
 宮原理恵(映画「ヒバクシャ」事務局)
 坂野哲也(元全港湾労組委員長)
 進藤敬子(有事法制に反対する久喜市民の会事務局長)
 上野百湖(無防備・非核ネットワーク北海道)
 中田作成(元大阪工業大学教員)
 下里勝美(憲法を生かす会船橋)
 勝守寛(第9条の会日本事務局代表)
 鶴見俊輔(哲学者)
 豊田政義(関西労災職業病対策会議代表)
 岩中伸司(熊本県会議)
 布野栄一(日大名誉教授)
 住谷磬(同志社大名誉教授)
 小倉襄二(同志社大名誉教授)
 金城睦(弁護士)
 太田隆徳(弁護士)
 富永国比古(医師)
 鈴木五十鈴(老人党)
 鈴木建三(都立大学名誉教授)
 太田一男(酪農学園大学教授)
 仁杉秀夫(三島市会議)
 橘幸英(元東京都職労書記長)
 小出啓子(東京YMCA,日本友和会)
 新井政義(第9条の会、オーバー東京)
 猪俣和雄(久喜市議)
 三木郁子(向島町会議)
 松尾匡(久留米大学経済学部教授)
 市原広子(社民党・狛江)
 田浪正博(「あたらしい憲法のはなし」編集・発行人)
 佐藤周一(第9条の会ヒロシマ世話人)
 横山多枝子(「入試制度廃止論」著者)
 本田三千雄(運送業)
 山下慶喜(新社会党大阪府本部委員長)
 秋田信弘(かながわ平和憲法を守る会)
 森実真弓(有機農家、フリーランス翻訳家)
 松居りゅうじ(新日本文学会・詩人)
 井原東洋一(長崎市議)
 小林賢一(憲法を生かす会・高荻事務局長)
 深谷貞栄(憲法を生かす会・高荻代表)
 安里英子(フリーライター)
 千葉紀彦(川越ともに生きる会)
 武井昭夫(評論家)
 中小路清雄(元日教組書記長)
 田中茂仁(弁護士)
 高橋康博(川越市議)
 市川純雄(元高校教師)
 佐野稔(和歌山大学名誉教授)
 小林義昭(新潟市議)
 浦田秀夫(船橋市議)
 岡安敏雄(明和町議)
 野田弘(イラク派兵違憲訴訟の会)
 星野弥生(翻訳業)
 水上賢治(日中労働者交流協会理事)
 小川登(桃山学院大学教授)
 笠井貢(富士戦争展実行委員)
 佐藤珠代 
 三上一雄
 堀井進(新社会党岡山県本部書記長)
 下里勝美 
 宮川元一
 木村真也 
 小林義昭(新潟市議)
 今村直(キリスト者政治連盟書記長)
 河本末吉 
 成畑哲也(船橋憲法を生かす会)
 花輪不二男(世田谷地区労顧問)
 細田威行(ちぇんじ じゃぱん)松村哲雄
 宮部健(日本友和会)
 吉田明(かながわ平和憲法を守る会事務局次長)
 河本末吉(元全港湾労組委員長)
 服部良一(関西沖縄問題連絡会)
 菅谷貢(千葉高教組船橋支部長)
 戎野弘(徳島県日和佐町議)
 池田和則(N関西労)
 川合隆史(第9条の会なごや・理事)
 寺沢文子(千代田区議)
 重松朋宏(国立市議)
 山田征(三六市民)
 本田洋子(老人党)
 原田伊三郎(老人党護憲+)
 石井俊雄(長生村議)
 柏本恵司(憲法を生かす会・八尾)
 和田米吉(安城市議)
 山田盟子(ノンフィクション作家)
 打本顕真(大乗寺住職)
 渋谷澄夫(元北海道議)
 石田勉(音威子府村議)杉浦香(憲法を生かす会・旭川代表) 
 永江力(憲法を生かす会・旭川事務局長)

 日浅成俊(浜頓別町議)
 伊豆田アキ(元全林野北見地本女性部長)
 水由正美(元札幌市議)
 八重樫好(元民間労組役員)
 小峰義雄(占冠村議)
 熊崎栄(占冠村議)
 村上美鈴(向島町議)
 今野宏子
 富田善朗(労働運動研究)
 駒井高之(パート労働者)
 横山多枝子(「入試制度廃止論」著者)
 由木英司(広島県日中友好協会青年委員会委員長)
 五日市正弘 
 仰木節夫 
 大友陽子(日本友和会) 
 阿部静夫
 高橋国明
 鶴巻俊樹(三条合鴨水稲会)
 まよなかしんや(フォークシンガー)
 秋定嘉和(池坊短大名誉教授)
 渡辺充春(歯科医師)
 池田真理子(薬剤師)
 相川晴彦 
 中田作成
 塚本健 
 田中丈悦(堺市議)
 久保在久
 椛島博明(荒尾市議会議員)
 鈴木直樹(自治体労働者)
 斎藤隆靖(新社会党台東代表)
 山本康彦(郵政全労協・郵政ユニオン香川支部)
 熊坂哲 
 小野正嗣(千葉教船橋)
 山田真(小児科医)
 岡下敏男 
 杉山隆次(かながわ平和憲法を守る会)
 中西仁郎 
 市川和雄
 南雲明男(日本フッ素研究会会員)
 久保田美佐子 
 板詰美代子(カトリック正平協)
 伊藤花の日 
 片岡久明
 山本崇記(立命館大学院生)
 左近明子 
 大野幸子 
 山本和博 
 福岡文隆 
 銀林美恵子(丸木美術館理事)
 山村直樹(書家・著述)
 高田正敏
 西成田貞子 
 河辺明敏(名古屋・平和資料室)
 原田京子
 坂本俊治(全逓)
 織田理英(会社役員)
 富田杏二 
 平沢勝男 
 谷口繁治 
 安達正之
[ 再開のご案内 ] [ 再開会議の報告 ]  [ 第1回呼びかけ人会議 ] [ 呼びかけ人 ] 

○呼びかけ人・賛同人(順不同・敬称略)
 尾形憲(法政大学名誉教授)
 樋口篤三(日本労働ペンクラブ会員)
 生田あい(『検証 内ゲバ』PART2著者)
 吉留昭弘(『検証内ゲバ』PART2著者)
 いいだもも(『検証 内ゲバ』PART2著者)
 蔵田計成(『検証 内ゲバ』PART2著者)
 西川享(『検証 内ゲバ』PART2著者)
 渡辺一衛(思想の科学研究会会員)
 すが秀実(文芸評論家)
 津田道夫(評論家・「障害者の教育権を実現する会」事務局員)
 来栖宗孝(著述業)
 米沢泉美(トランスジェンダー)
 片岡顕二(反戦自衛官)
 藤尾靖之(反戦自衛官)
 佐藤備三(反戦自衛官)
 小西誠(社会批評社代表)
 きさらぎやよい(編集者)
 小林義也(ライター)
 富永さとる(西東京市民)
 松田健二(社会評論社)
 早見慶子(イリオス代表)
 noiz (Anarkiismo Informo Centro)
 津村洋(『国際主義』編集会議IEG)
 伊藤一(『国際主義』編集会議IEG)
 山田宏(『国際主義』編集会議IEG)
 中井一(大学院生)
 北山峻(コム・ネット)
 志摩玲介(社会主義研究者)
 出口綾子(地球市民アカデミア二期生)
 根田悟郎(法政大学生)
 まっぺん(ネット掲示板「四トロ二次会」主宰)
 井上はるお(『サイバーアクション著者』)
 角田裕育(『キツネ目のスパイ宮崎学』著者)
 黒目(共産趣味者)
 鶴見俊輔(哲学者)
 伊藤成彦(中央大学名誉教授)
 野添憲治(作家)、武藤功(文芸評論家)
 浅田光輝(立正大学名誉教授)
 塩川喜信(大学教員)
 井之川巨(詩人)
 大野明男(名護サボーター事務局長)
 針生一郎(和光大学名誉教授)
 岩永達郎(「憲法・みどり・農の連帯」共同代表)
 岩淵達治
 五十嵐良雄(現代教育研究所所長)
 池田清彦(山梨大学教授)
 倉持庄次郎
 松下清雄
 中野徹三(社会主義研究者)
 興石正(商人)
 宮田勝喜
 松浦英俊(僧侶)
 槌田劭(京都精華大学教員)
 野口正路(詩人)
 大橋孚(慶応大学名誉教授)
 乱鬼龍(川柳人)、
 柳田真(都労連交流会・たんぽぽ舎)
 中正敏(詩人)
 永田育夫(文学研究者)
 山田洋一(人民新聞)
 堀込純一(社会主義研究者)
 守田典彦(マルクスの思想と理論研究者)
 久野成章(三里塚一坪共有者、中核派によるテロ襲撃被害者)
 鈴木康丈(大学院生)
 鹿島拾市(ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明・呼びかけ人)
 国富建治(新時代社)
 田村ゆかり(東京都民)
 島田健作(ラディカル・ヒューマニズム研究者)
 高田鉄夫(テクニカルライター、検証内ゲバPartⅡ執筆者)  
 園江光太郎(ライター)

 佐藤悟志(政治結社「青狼会」総統)
 小池和彦(LENK)
 野村修身(工学博士)
 れんだいこ(左派運動研究家、サイト「左往来人生学院」主宰)
 山本夜羽(マンガ家)
 木畑壽信(日本社会学会会員)
 木谷公士郎(司法書士)
 TAMO2(エンジニア)
 渡邉修孝(元自衛官・「パレスチナに献花を」メンバー)
 重松朋宏(東京都国立市議会議員)
 野木裕子(フリージャーナリスト)
 矢部史郎(黒ヘル)
 鬼薔薇(家業手伝い)
 山根大次郎(失業者)
 細木悟 
 ●他1名

【学生運動を描いた作品】
小説
桐山襲『風のクロニクル』
倉橋由美子パルタイ
鴻上尚史『僕たちの好きだった革命』
佐藤優『私のマルクス』
柴田翔『されど われらが日々――』
高橋和巳憂鬱なる党派
立松和平光の雨
筒井康隆『革命のふたつの夜』
中野正夫『ゲバルト時代 Since1967〜1973 あるヘタレ過激派活動家の青春』
野沢尚反乱のボヤージュ
兵頭正俊『死間山』
三田誠広『僕って何』
三田誠広『漂流記1972』
村上龍69 sixty nine
横田良『月の沙漠』
架神恭介『ダンゲロス1969』
小池真理子『水の翼』
髙見澤俊彦 『音叉』
ノンフィクション
奥浩平『青春の墓標』
佐々淳行『東大落城』
島泰三『安田講堂 1968-1969』中央公論新社〈中公新書〉
高野悦子二十歳の原点
高橋和巳『わが解体』
日本大学文理学部闘争委員会書記局編『叛逆のバリケード-日大闘争の記録』
宮崎学『突破者-戦後史の陰を駆け抜けた50年 上』
歌集
岸上大作『意思表示』
道浦母都子『無縁の叙情』
映画(書籍の映画化作品は除く)
日本の夜と霧』(監督:大島渚
『偽大学生』(監督:増村保造
鬼畜大宴会』(監督:熊切和嘉
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(監督:若松孝二
コクリコ坂から』(監督:宮崎吾朗
ドラマ
父よ、あなたはえらかった〜1969年のオヤジと僕』(TBS)
音楽
バンバン『いちご白書』をもう一度
THE ALFEEROCKDOM -風に吹かれて-」「幻夜祭」「シュプレヒコールに耳を塞いで」「ジェネレーション・ダイナマイト」「Swinging Generation」「終わりなきメッセージ」「ロンサム・シティ
中村雅俊「急がば笑え」(作詞・作曲:高見沢俊彦)
加藤登紀子「ひとり寝の子守唄」
森田童子「球根栽培の唄」「みんな夢でありました」
マンガ
吾妻ひでお『我れらのアイドル ポップタン』
かわぐちかいじメドゥーサ
真崎守『共犯幻想』
山本直樹レッド
松本光司クーデタークラブ
山本夜羽『マルクスガール』





(私論.私見)