ブック下巻(後書き)
「検証 学生運動(下巻)」をようやく書き終え、筆者の歴史眼及び目下の思想状況を吐露した。十分なものではないが、筆者の言わんとするところは歯に衣着せず記し得たと自負している。学生運動を基軸に据えた戦後左派運動の流れを共認頂ければ幸いである。上巻序文に書いたように客観的公正を心掛けたつもりだが、期待に応えることができただろうか。
学生運動対策を主任務とし東大安田砦決戦を機動隊の側から指揮してきた佐々淳行氏は、「東大落城」(文芸春秋社、1993.1..25日初版)の中で次のように述べている。概要「東大闘争を頂点とする全共闘闘争とは、果たして戦後日本の興隆にどんな役割を果たしたのか、またそれは歴史的にみて戦後の社会運動史、学生運動史にどのような意義を残したのだろうか? もしそれが、時間とエネルギーの空費に過ぎない『壮大な無』だったとすれば、機動隊の流した血と汗も無駄となり、治安と秩序を守るために私たちが心身の重圧に耐えた長い日々や、眠りを奪われた多くの夜もまた無意味になってしまうだろう。それではあまりにも虚しいし、双方の犠牲者たちも浮かばれまい。(中略)
全共闘はその政治目標達成の方法論として、マルクス・レーニン主義の『目的は手段を正当化する』との理念を援用し、『直接行動』を目的の正しさによって正当化される『人民の抵抗権』と理論づけて、ゲバ闘争を展開して結局自滅した。安田講堂事件は、その自滅の始まりだった。(中略)
本書で私は、警備側の『語部(かたりべ)』として、原体験に基づく『事実』と第一次情報から得た『情報』を綴り、歴史の空白の頁(ページ)を埋めることを試みた。『東大安田講堂事件とは、いったい何だったのか?』 この問いに対する答えは、読者の判断にお任せしたい」。
佐々氏は、他のコメントでも「左派からの総括のなさの揶揄」を挑発的に繰り返している。本書は、これに対して答えることができただろうか。佐々氏はその後、連合赤軍のあさま山荘事件でも指揮棒を採り、これらの功績が認められて防衛施設庁長官、内閣安全保障室初代室長など数々の要職を務めあげ危機管理対策の第一人者の地位を得ている。筆者の見立てによれば、日本国家警察官僚トップの安逸な軍事官僚化と云うことになる。ハト派時代からタカ派時代への転換により、警察官僚までもがかくも質を劣化させてきたという見本でもあろう。彼は、小泉政権時代、その売国奴的諸政策に阿諛追従する論者としてアナウンスし続けてきた。但し、2009年3月21日の「ウェークアップ!ぷらす」において、「(資本主義社会で)ひどいことをやってるのはユダヤ人です」という主旨の発言をしたとある。そろそろ改悛し始めたことになる。
そういう佐々氏ではあるが、筆者は、氏の指摘する「左派からの総括のなさへの揶揄」は辛辣であると受け止めている。日本左派運動は矜持を賭けて返答せねばならないと思う。筆者のこたびの試論で足りないとすれば、他の方からの挑戦を求めたい。十分な回答であると評してくだされば悦び無上である。かの時代の因果を引きずって生きている者は案外多い。同じ時代を生きた我々は連れ添うべきではなかろうか。
思えば、我々は人生を棒に振ってまで何と闘ってきたのか、これを問うこと問い続けることは必要なのではなかろうか。青年がネオシオニズム的トリッキーな金銭猛者ないしは亡者にばかり自己形成を強要されているこの時代、大事な何かを喪失している気がしてならない。相対評価すれば、我々の方が良い線の生きざまをしていたのではなかろうか。当時の我々が信奉していたマルクス主義が現実を撃てない時代になったからと云って、運動そのものまで隠居させる必要はなかろう。
但し、筆者のみなすところ、日本学生運動が永らく信奉してきたところのマルクス主義が急速に色褪せている。それには十分な理由があるみなしている。思えば、マルクス主義は度の強いメガネであった。それは時に近眼メガネであり時に遠視であり乱視であった。この三つ巴で構成される革命理論であった。その度の強さによる社会の概念規定が多くの青年学生を魅了してきた。そういう意味では、マルクス主義が色褪せたのは悲しむことではなく、むしろ必然の自然史行程なのではなかろうか。
そういうマルクス主義運動ではあったが爾来、他のどの主義運動よりも時代の特質を正確に規定し、情況を分析するに秀で、次の時代への針路と方法を示し得ていた。まず言葉を獲得し次に実践的な諸活動を牽引していた。そういう意味で前衛足り得ていた。そのマルクス主義運動がいつの間にか前衛の座から転げ落ちている。今日では、日共運動の場合など典型であろうが、中衛でもない後衛でもない只の評論運動、それも的確な評論足り得ずイチャモン運動にまで堕している。新左翼のそれも大同小異で、かっての先駆性から転げ落ちている。この確認が大事なのではなかろうか。かく分別すべきところ、既に切れない包丁で切ろうとして骨折り運動にのめり込んでいるように見える。
この現象にどう対すべきだろうか。筆者は、この構図と格闘しているつもりである。失語症時代から抜け出し、時代を捉える新たな言葉を獲得したい。仮にそういうものが困難だとしたら、せめて時代と併走できる新理論を獲得したいと思っている。この営為に対して合点する者が増えることを願っている。マルクス主義のどこがサビついてしまったか、そのパーツ全体を分析し直してみたい。これは本稿の課題ではないので次作に譲りたい。筆者は、この意志の赴くところ既にマルクス主義からの出藍を企図している。出藍の意味のするところ、従来式の右翼的転向に向かうのではなく左派的に抜け出したいということを含意させている。多くの脱マルクス主義論者は、この負託に応えることなく、こぞって右翼的転向に向かい、それで事足りてきた。筆者は、そういう流れには追随しようとは思わない。右翼的転向は見飽きてきたし唾棄すべきものでしかない。
マルクス主義よりももっと実効性のある且つ人民大衆の生活利益の擁護に資する理論と運動を創造したい。且つ国際金融資本帝国主義の姦計が張り巡らされている折柄、彼らが奏でるネオシオニズムイデオロギーに騙されることなく、民族及び国家の安泰をも視野に入れ、来るべき社会を指針させる理論と展望を創造したい。この課題を引き受けるからには、ひとたびはマルクス主義を通るが良かろう。但し既成の翻訳本では意味が通じない。極力正確なものを生みだす必要があろう。それから次のように問うべきである。我々のマルクス主義の理解の仕方が間違っていたのか、あるいは我々が現代的創造の能力を欠いているのか、それともマルクス主義にも欠陥があり、他の良質な思想とアンサンブルせしめる必要があるのか。今こそ様々な問いからの試行を生みだすべきではなかろうか。
その上で筆者的には、マルクス主義の時代的限界を見据え、他の有益な諸思想とアンサンブルさせることにより抜け出し、もはやマルクス主義と似て非なるものでもよい、新たな思想と理論をもって登場したいと思っている。その際に留意すべきこととして、新思想は、マルクス主義の絶対的負の遺産とも云える排他的ロゴス主義と決別し、共生的カオス主義に基づく開かれた理論構造にしておこうと思う。ここが、マルクス主義の絶対的に非なるところと思うから。これまでマルクス主義による滅私奉公的な様々な闘いが為されたものの、いつも必ず登場する排他的ロゴス主義の非により内部自壊を余儀なくされてきた。そういう史実の繰り返しはこれ以上は許されないと思う。開かれた理論構造としての戦闘的マルクス主義の水路こそが時代に待ち望まれていると思う。誰か、かく共に認識し、これをこじ開けんか。
時代は左派運動を要請している。我々はマルクス主義に被れつつ革命に恋して来た。にも拘わらず逼塞させられている。この情況に対して、筆者はもつれた糸を解いたつもりである。解き足りないところがあれば、あるいは解き方が間違っていれば別の論が登場すれば良い。そうやって運動を興すことが必要であって、貶すことは何ら意味がない。我々の生きざまと党派の歩みを、緊張系であろうと弛緩系であろうと構わないからリンクさせ、歴史の検証に耐え得るものにせよ。それを史書に綴り後々にまで明らかにせよ。さすれば道を誤ること少なかろう。この単純平易なことの意義を確認して筆を置きたい。
2009年5月頃、宗教法人「幸福の科学」(大川隆法総裁)が来る衆院選に旗揚げする動きが出てきた。5月25日、東京都選管を通じ総務省に政治団体「幸福実現党」の設立を届け、衆院選で全300選挙区と全11比例代表ブロックに候補者を擁立するとしている。6月7日、これに合わせて大川隆法著「国家の気概―日本の繁栄を守るために」を発刊している。目次を読むのに「憲法9条改正」を記していることに興味を覚え読んでみた。読了後の思いは評するに足らずであったので論評しない。この程度の所説で釈迦の再誕だとか国師気取りしているのが片腹痛い。やおら、たすけあい党党首にして弁証宗教祖たるれんだいこの政論を世に出したくなった。読み比べてもらいたいと思う。
2009年8月30日、第45回衆議院選挙が行われ、野党第一党の民主党が未曾有の308議席を得て政権交代を掌中にした。自民党は野党に転落し、ここ十年蜜月してきた自公政権が崩壊させられた。筆者が思うに、この流れは不可逆的で、もはや自民党政治の再興はなさそうである。日本政治が明らかに質的転換したことになる。日本左派運動は、この流れに何ら関わっていない。あれこれ思えば、戦後学生運動の勃興期の諸闘争、60年ブントの安保闘争、60年代後半全共闘運動、以降今日までの青年学生運動が壮大な虚妄だったことになる。しかしながら、これを悲しむには及ばない。恐らくボタンの掛け違いであり、これさえ正せば、我々が掴もうとして掴みきれなかった蜃気楼運動から脱却できるのではなかろうか。問題は、どう軌道修正するかに掛かっている。本書執筆と並行して「唐牛健太郎追悼集」を読んだが、論者から透けて見えてくる唐牛像は、唐牛が唐牛なりに唐牛らしくこれを求め続けていたのではなかろうかという気がする。そういう匂いがする。生きていたならお目にかかりたかったと思う。
本書を書きあげるに際して、多くの書物に世話になった。上巻では貶す言辞を弄したが、下巻では、これらの書物があればこそ筆者の検証本が生まれたことを踏まえ、改めて感謝を申し上げたい。餅を練るようにして練り合わせ談義するのが良いのではなかろうかと思っている。末尾に参考にした文献、インターネットサイトを付す。本書が左派運動圏で重宝され廻し読みされんことを願う。
2010年8月5日 れんだいこ拝