一夫氏との議論

 (最新見直し2009.4.19日)

 検証学生運動 戦後史の中の学生反乱」(社会批評社、2009.2.25日初版)発売中! 記念すべきれんだいこの処女作となりました。

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに、トップバッターとして登場してくださった一夫氏との議論を保存しておくことにする。

 2009.4.19日 れんだいこ拝


左翼運動衰退の根拠の一端 一夫 2009/04/19 17:42
 1・友達が作れない。

 『学級崩壊』という名の本まで出されたように、子供の世界をも考察すべきである。不登校が蔓延し、友達が一人もおらず、一日中、携帯をいじっている中学生が急増した。友達が作れないのだ。こういう傾向は、1970年代から、始まっていた。

 他人と、どう、付き合うかから、教えなければ、左翼運動に、オルグできないと、言われ始めたのも、70年代後半である。他人と、付き合えなければ、学生運動など、不可能である。また、ブルジョワ的社会生活も、不可能であり、東大生の中では、精神病患者が激増している。企業の中でも、そうである。東大保健センター精神衛生相談室は、満員状態で、医師不足で、パンク寸前だ。

 2.読書能力の急低下(文盲化)

 1970年代の日本女子大学付属小学校6年生の間では、トルストイ『戦争と平和』が読まれていた。しかし、その後の読書能力の低下は著しい。『戦争と平和』くらい、小学生の時に、読めないようでは、大学生になって、マルクスなど、読めるはずがない。テレビ、パソコン、ゲーム、携帯、学習塾、予備校、これらの中で、育った小学生が、友達を作る能力を持たず、読書もできないのは当然である。塾や予備校は、自己の力によって、学習する知恵、工夫を、奪う。塾や予備校に、行くほど、高度な本を読む能力を失う。こうした傾向は、文系のみならず、理系の医学部においても顕著であることを、東北大学医学部当局が、公式に認めた。こうした学生を、オルグするためには、根底からの、人間変革が必要である。

 人間変革は「クローン人間作り」「大衆蔑視」だとか言って、それを、否定してきた左翼の者は自己批判すべきである。友達と付き合うこと、読書の楽しさから、左翼オルグの一貫として、教えていかなければならない事が、現在、明白になっている。

 1950年代から、日本の学生、労働者は、人間性が歪んだ存在でしか、なかった事を認めるべきである。その点で、知識人の内面を問題にした、戦後主体性論争が、想起されなければならない。労働者、学生が、人間性の根底から歪んでいたから、昔の産別会議、総評における、スターリニスト、民同の支配が許されていたのである。ゆがみ、腐敗、堕落していなかったなら、労働者、学生は、「三派」と共に闘い、日本革命を勝利させたであろう。

 こうした、ゆがんだ「即自的」人民を美化し、人間変革の必要を説く者を敵視してきた左翼活動家は、根本から、自己批判すべきである。そうした資本主義の、人間性をゆがめる傾向が、頂点に、まで到達したのが、現在の労働者、学生の状況である。

内ゲバを語る前に 一夫 2009/04/19 18:26
 中核派、革マル派の「内ゲバ」を語る前に、両派の将来を決定した事実を学ぶべきである。それ無しには、「内ゲバ」は、語れない。『日本における「新左翼」の労働運動』(東京大学出版会)が重要な資料となる。また、著者の山本潔は、両派の分裂の根拠を理解していないので、理解するためには、黒田寛一『組織現実論の開拓』(全3巻)が必読である。

 以下の点を理解しないと、「内ゲバ」を理解する事が不可能である。

1.「三全総」における政治局多数派(後の中核派)と少数派の対立点は、どこにあったのか?
2.全逓羽田における破綻と、動労田端における成功の根拠は何か(決定的に重要)。

 中核派内部の資料によって、中核派の体質を検証するためには、以下の事項を理解する事が不可欠。
1.中核派「四全総」の決定の内容(街頭主義を全面否定)
2.中核派・第三回大会の意味(街頭主義に純化)
3.竹中意見書の内容(街頭主義に、全面的に反対)
4.中核派・関西地方委員会の街頭武装闘争に対する反対と、本多書記長による、その封殺。関西の、すべての委員の権利停止処分。本多の仔飼いの関西支配。

 これらは、「内ゲバ」を語る前に、学習すべき最少文献である。小野田政治局員の「石投げ反戦ナンセンス」なる主張に基づく、脱退も重要である。

Re:内ゲバを語る前に れんだいこ 2009/04/19 20:12
 一夫さんちわぁ。れんだいこの著作が生み出した議論として受け止め、コメントしてみます。

 中核派、革マル派の分裂について、それなりの見識を持つことは必要と思います。そういう意味では、両派が、自前の党史に於いて、この辺りをはっきりさせておくべきだと考えます。今両派のホームページを確認しましたが、革マル派の場合には、そもそも党史のサイトそのものがありません。中核派の場合には、「革命的共産主義者同盟(革共同)とは」が代行しているように思いますが、両派の分裂時の論理について「1962年、革共同の第3回全国委員総会(3全総)で、「戦闘的労働運動の防衛と地区党建設」を柱とする大路線を決定しました。社会党・共産党に代わる新たな闘う労働者党を建設するという大方針です。この3全総路線に反対して、黒田寛一(2006年没)を頭目とするカクマル一派が革共同から脱落・逃亡し」とあるばかりです。

 当事者の両派がこういう按配ですから、よほどマニアックな人でないと事情は分からないと思います。一夫さんのように「『内ゲバ』を語る前に、両派の将来を決定した事実を学ぶべきである。それ無しには、『内ゲバ』は、語れない」とするなら、当事者がまずもって大衆的に明らかにしておかねばならないと考えます。れんだいこは、どちらが正しかろうが、両派の変調ぶりの方が気にかかります。しかし、これは何も両派だけの問題ではなく、日本左派運動全体が党史を重視しない傾向に陥っております。れんだいこは、この方が問題と考えております。歴史を粗末にする者は現在も未来も粗末にするのが法理です。

 その点、日共は何度にもわたって書き換えておりますが、それなりの党史を作成しております。この点は、評価されるべきでせう。しかし、なぜかホームページ上にアップしておりません。オカシナコトデス。もっとも、日共の党史ほど勝てば官軍式の現下党中央讃美型の御用党史論は珍しい。いたるところの記述が無茶苦茶です。これが通用しているからオゾマシイ。

 以上を踏まえて云えることは、或る発言を為す時に「学習すべき最少文献」を読了しておかねばならないというのはいかがなものでせうか。それを読めばなお良く、読まずとも発言、提言はできると思います。なぜなら、現に結果がここにあるからです。結果を元に論評することは、些かも問題ではありません。むしろ、現実を直視している分、優れた手法だと考えます。学究派とかユダヤ−キリスト教系の宗教派の方は、現実を見るのに本から説きます。れんだいこは、逆ではないかと考えております。

 付言すれば、読了することによって中核派びいき、革マル派びいきになる必要はなく、オカシイことはオカシイと云える感性を保持すべきと考えております。れんだいこが読むとすれば、このスタンスから両派分裂の事情を窺うことになると思います。

 それと、学生運動論を展望する時、れんだいこは、中核派、革マル派の対立よりも、第1次ブントと革共同の対立の方に原理性を感じております。日本左派運動が学び直すとすれば、1950年代後半の革共同、第1次ブントの発生過程の方に興味を覚えます。これができていない時に、いきなり中核派、革マル派の対立考に入るのはいかがなものか、いささか視野が狭いのではないかと考えております。

 当然、中核派、革マル派の対立と分裂過程も大事で教訓が多い思います。しかし、そこを考察すれば、それで全てが解けるというものではないと思います。というようなことでまた。

 2009.4.19日 れんだいこ拝






(私論.私見)