題名は、「一元的な『悪』では解き明かせない 世界の現実に正面から立ち向かおう」とある。これに批判をし始めたらきりがないのでノーコメントとする。タイトル1で、「なぜ単純な「陰謀」論を安易に受け入れるのか」とある。これも同様先を急ぐことにする。
小見出し1で、「『9.11』は米国の陰謀か?」と問い、次のように述べている。
一瞬にして三千人もの生命を奪った9・11同時多発テロから、六年の歳月が過ぎた。この9・11テロからアフガン侵略戦争、そしてイラク侵略戦争へと至る経過のなかで、9・11発生直後から一部で喧伝されてきた「9・11テロは米政府による自作自演である」とする陰謀論が、アメリカ国内においても日本においても一定の市民層や一部の「良心的なピース系活動家」にまで浸透している。
マスメディアでは、いくつかの週刊誌とテレビ番組がこの「9・11米政府自作自演」説をセンセーショナルに取り上げ、東京新聞でも「アメリカで盛り上がる『自作自演』説」と「陰謀論」に好意的な形で、このトピックを取り上げている。「市民派メディア」として、平和や人権の問題を積極的に取り上げてきた「週刊金曜日」もこの「自作自演説」を全面的に主張する原稿を掲載している。インターネット掲示板上で熱心に議論したがる人たちの間では、「9・11陰謀論」を支持する人々の方が否定派より多数であるという状況である。
また、アメリカ国内において「9・11の真相究明」を訴えるグループは、屋内のシンポジウムや集会から、最近は街頭に進出して「9・11もイラクもネオコンの 仕業」というプラカードを掲げて反戦デモに参加するようになっている。日本の反戦・平和の運動においても、少なくない人々が、この「9・11米政府自作自演」説を信じているようだ。 |
この御仁は、「9・11同時多発テロ」が大東亜戦争の真珠湾攻撃に酷似しているとして、事件発生当時から事件の胡散臭さが問われ続けており、今日その疑惑が大きく広がり始めていることに不快なようである。とりあえずこのことを確認しておく。
小見出し2で、「嘘を見ぬく思考と知性」と題して、次のように述べている。
この「9・11陰謀論」の主張の根拠をいくつか列挙すると、
世界貿易センタービルに激突した飛行機には窓がなく、機体は真っ黒。とても民間機には見えない。
ペンタゴンに激突した跡が、飛行機が激突したにしては穴が小さい。しかも機体の残骸が発見されていない。
乗客がテロリストに立ち向かって墜落したとされるユナイテッド93便にも機体の残骸がない。また、機内から乗客たちが家族などに電話したとされるが、航空を飛行する機内からは携帯電話は通じない。
WTCが崩壊したのは飛行機が激突したからではなく、爆発物による発破が原因。などなど。
このような「9・11陰謀の論証」をあますことなく、豊富な資料と情報ソースの提示によって丁寧に一つ一つ付き合って反論・論破したのが本書『陰謀論の罠』である。その「9・11陰謀論」の主張とそれに対する本書の反論を、ここで詳しく紹介する必要はないだろう。本書を読めば「陰謀論」の根拠としている事象が、なんと幼稚なトリックの積み重ねによって主張されているのかが理解できる。奥菜は、そのトリックの手口を、
証言をトリミングし改竄する。特定少数の意見のみを紹介する。
写真・映像の説明を事実と変える。自説に都合のよい物証のみを紹介する。
状況が大きく異なる同じ事象において「違う結果が出るのは当たり前だ」と言わず、「同じ結果が出ないのは陰謀だ」と言い張る。
事象の背景を説明せず、おどろおどろしく伝える。
扱うテーマは大きいほどよく、自らの主張は小さな嘘の積み重ね。そうすれば、インチキがテーマの陰に隠れ見えにくくなる。と指摘する。
本書は、「陰謀論の解明」に留まらない、「メディアやカルトの嘘」を見抜く思考力と知性をいかに鍛えるか、という点においても非常に有用であるように思う。「陰謀論」など鼻もかけない人でも、頭の体操として読む分には無駄になることはないだろう。また、「陰謀論のルーツ」として、広く浸透している「ルーズベルト真珠湾放置説」や「チャーチル・コベントリー爆撃放置説」の「脱陰謀論」的解明や「トンキン湾事件の真相」など、刺激的で興味深く読むことも出来るだろう。 |
この御仁はこのように、「9・11陰謀論」を批判した「陰謀論の罠 9・11テロ自作自演説はこうして捏造された」 (奥菜秀次著/光文社刊/1000円」を称賛する。「『メディアやカルトの嘘』を見抜く思考力と知性をいかに鍛えるか、という点においても非常に有用であるように思う」とまで持ち上げる。
付言しておけば、『メディアやカルトの嘘』を見抜く思考力と知性をいかに鍛えるか」につき、「9・11陰謀論者」も「「9・11陰謀論批判論者」も同様の知性の必要を指摘するので、いわば水掛け論になる。言辞のレトリックでしかない。
小見出し3で、「アルカイダとは何者か」と題して、前半で次のように述べている。
しかし、ほとんど写真の一枚で論破されるような稚拙な「陰謀論」が、なぜ一部の平和運動の活動家をも巻き込む一大ブームとなったのだろうか。奥菜は、その理由を「全社会的な知的水準の低下」に求めているが、それでは「結果」を語っているに過ぎず、根拠もしくは答えにならないだろう。
9・11テロ発生当初から「飛行機が激突する数十分前にユダヤ企業の社員たちはWTCから退去していた」というような珍説が、一部で囁かれていたが、本格的に「9・11陰謀解明運動」が開始され、『9・11ボーイングを捜せ』や『LOOSE
CHANGE』などの映像が主にインターネッ トを通じて大衆的に広まったのは二〇〇三年のイラク戦争開戦以降である。そこには、存在しない「大量破壊兵器」や「9・11テロ実行グループとイラク・フセイン政権の関係」を(誰も信じないようなデマを)デッチ上げてまで、新たな侵略戦争に踏み込んだブッシュ政権への反発こそが一つの大きな根拠となっているといえるだろう。
その心理は、
アメリカは、その野望のためなら何でもやってのける。(だから9・11くらいの「陰謀」を企んでもおかしくない、というある種の「権力万能神話」)
このような「巨悪」に対する反戦運動や体制変革運動は無力である。(だから自分は自宅でインターネットで情報収集して「陰謀」を突き止める)
アメリカ帝国が「悪」として、それに対抗するアルカイダなどのイスラム主義者も「悪」である、という世界の構図に耐えられない。(「9・11米政府自作自演」なら米政府のみを非難すればよいとする「反米一元主義」的気分の表現)
このような「巨大な陰謀」を暴露し、あるいは見抜いたものとしてのある種の「選民意識」。
などを指摘することも出来るだろう。そこにあるのは、複雑な「世界」を極度に単純化することで解釈したい、という隠微な動機である。その先に来るものは、奥菜の指摘するとおり、さらなる知的荒廃であろう。 |
この御仁はこのように、「9・11米政府自作自演」論がはびこる要因として、1・「全社会的な知的水準の低下」、2・ブッシュ政権への反発を挙げる。「9・11米政府自作自演」論に耽るのは、「複雑な『世界』を極度に単純化することで解釈したい、という隠微な動機」によるのであり、「ある種の選民意識」と「知的荒廃」に支えられていると云う。論者が何を云おうと勝手ではあるが、この御仁は自分の知的レベルを相当に高く買っていることが分かる。
小見出し3の「アルカイダとは何者か」の後半で次のように述べている。
そもそも、これだけの「陰謀」を実行する政府が、なぜ「陰謀の解明」をテレビで流れるほどに「させるがまま」にしているのか、という時点で「9・11陰謀論」は破綻している。ブッシュが「陰謀説」の流布を放置するのは「痛くも痒くもない」ということ以上に「それが利益になる」からである。戦争犯罪の追及ではなく、「陰謀か否か」の議論によって反戦勢力や反ブッシュ勢力を分裂させ、決して世論の多数が「陰謀説」を支持することはないのだから。
そして、一体どんな政府が、露見したら政権が吹き飛ぶであろう、これだけの巨大な陰謀を実行できるというのか。何人がどれくらいの訓練をつめば成功するのか、少なく見積もっても何百人のテロの参加・協力者が永遠に口をつぐむことを前提に計画し、実行できるものなのか。こんなことは「常識の問題」としか言いようがない。 |
この御仁はこのように、「9・11陰謀論」が漸く注目され始め、メディアも無視できなくなり報道に踏み切りつつある状況に対して、概要「メディア報道される事自体が、『9・11陰謀論』の破綻を逆証している」と云う。「9・11陰謀論」が流布されるのはブッシュ政権の利益になり、少々意訳するが反戦勢力や反ブッシュ勢力を分裂させる為のブッシュ政権の陰謀であると云う。そして、何の論証も検証も無いまま、「9・11陰謀論」は有り得ない、それは「常識の問題」であると云う。
この御仁はよほど詭弁がお好みのように思える。こういう論法が許されるなら、全てを白を黒といい、黒を白という事が出来るだろう。
小見出し3の「アルカイダとは何者か」の末尾で次のように述べている。
また、ウサマ・ビン・ラディンらアルカイダは「9・11」を自らの犯行と認めている。「9・11陰謀論」を流布し、あるいは支持する人々にとって「ビン・ラディン」や「アルカイダ」は、一体どのような存在なのだろうか。「すべてCIAが製造したCG映像で架空の存在」なのか、「アメリカの言われるままに犯行を追認しているだけの陰謀集団」なのか、あるいは「アメリカ帝国と闘う正義の武装集団」なのか、「陰謀論者」の人々の明確な規定を聞いたことがない。 |
この御仁はこのように、「アルカイダとは何者か」と見出しをつけたもののの、結論らしきものは示さず、ただ漠然と疑問を投げかけて論を閉じている。手前の見識を示さず、「『陰謀論者』の人々の明確な規定を聞いたことがない」と批判してすり抜けている。妙な論法ではある。
ならばお前はどう思うのかについて答えておく。れんだいこは、アルカイダはアルカイダなりの反ネオシオニズム武装勢力なのではないかと思っている。但し、一枚岩であるのかどうかまでは分からない。操られている面もあるかも知れない。「9・11陰謀論」に関連して述べれば、「9・11同時多発テロ」は、大東亜戦争開戦時の日本軍による真珠湾攻撃の真相と同じく、うまく逆利用されたのではないかと思っている。アルカイダはアルカイダなりに成果を誇り、ブッシュ政権は待ってましたとばかりに利用したのではないかと思っている。そういう意味で、真珠湾攻撃の真相解明は大事だと思う。
この御がそう考えないのは自由だが、「アルカイダとは何者か」と見出しを掲げた以上はこのように自説を展開すべきだろう。自説を述べずに、「『陰謀論者』の人々の明確な規定を聞いたことがない」と批判して逃げている態度は、便利な口をしている御仁であることを証している。
小見出し4の「『反ユダヤ主義』」との連関」の前半で次のように述べている。
米ブッシュ政権、ネオコンとともに「9・11陰謀論」のもうひとつの主役は「世界を裏から支配するユダヤ・ネットワーク」である。『陰謀論の罠』では、この「9・11陰謀論」をホロコースト否定論者やネオナチ、イスラム主義者などの「反ユダヤ主義」の団体や個人の著作やホームページを源流とし、これらがさらに助長している、と指摘する。日本においても、太田龍や中丸薫などの反ユダヤ主義もしくはトンデモ・ユダヤ論の「論客」が「9・11陰謀論」を積極的に流布している。
「9・11陰謀論」の支持者には、イスラエルによるパレスチナの支配に心を痛めている人とも少なくないようだが、このような反ユダヤ主義こそが、「ユダヤ人国家建設によるユダヤ人の安全の保証」を大義名分とするシオニスト勢力に、ユダヤ人たちを結集させ、さらに結束を強めさせていることを指摘しなくてはならない。反ユダヤ主義は、パレスチナの解放にとって「百害あって一利なし」なのである。 |
この御仁はこのように、概要「反ユダヤ主義こそがシオニスト勢力の結束を強め、反ユダヤ主義は、パレスチナの解放にとって『百害あって一利なし』」とまで云う。れんだいこには、反ユダヤ主義に立脚しないパレスチナ闘争なぞ考えられないが、れんだいことこの御仁の間では、恐らく歴史観、社会観、運動観、闘争観の全てが食い違っているのだろう。
小見出し4の「『反ユダヤ主義』」との連関」の中間で次のように述べている。
「ユダヤ陰謀論」から始まった「9・11陰謀論」は、最終的にユダヤ人差別に再び帰着する。そして、「9・11陰謀論」を熱心に宣伝する「良心的」平和運動人士が、いつの間にか無自覚に「ユダヤ資本が…」などというトンデモ用語(言うまでもなく「ユダヤ資本」とは「経営者がユダヤ人」などという意味ではなく「世界を裏から支配するユダヤ・ネットワークの一角としての特定企業」という意味である)を口にするようになっているのである(きくちゆみなど)。ここまでくると、本人の「平和主義」的主観とはまったく裏腹の人種差別思想に染まっていると指摘をせざるを得ない。 |
この御仁はこのように馬脚を表わしつつある。要するに、ユダヤ人差別に繋がるユダヤ人批判が宜しくないようで、現代世界を牛耳る国際金融資本に目が向かうことが宜しくないようで、それは「『平和主義』」的主観とはまったく裏腹の人種差別思想に染まっている」と批判している。
れんだいこがお返ししておこう。お前がそうまで云うのなら、ユダヤ主義に濃厚な選民主義、徹底殲滅主義、秘密結社主義、世界支配構想、所得格差主義を撤回させよ。これを不問にしながら、これに闘う抵抗勢力に一方的な恭順ばかりを強いるのは公平だろうか。戦う部分に総、
小見出し4の「『反ユダヤ主義』」との連関」の後半で次のように述べている。
現時点では「視聴率の取れるセンセーショナルな茶の間の話の種」としてマスメディアに取り上げられる「9・11陰謀論」だが、この先平和運動内にこの珍説が一定浸透したところで「平和運動は三千人が殺されたテロをこのような珍説で米政府の自作自演と主張するトンデモな連中」「ユダヤ人を差別する平和運動」という猛烈なネガティヴ・キャンペーンに摩り替わる危険を指摘しなければならない。
アメリカの「9・11真相解明運動」が、反戦運動を分裂させ陥れるための米政府の意図が働いた「陰謀」であったなら、笑えないブラックジョークではある。その「陰謀論の罠」を避けるためにも、ブッシュ政権の戦争政策の批判は、曖昧な「疑惑」ではなく事実によって行わなければならない。 |
この御仁はこのように、逆説レトリックを多用する。「9・11陰謀論」は、ネガティヴ・キャンペーンに摩り替わる危険があるから唱えないほうが良い、「9・11真相解明運動」は、反戦運動を分裂させ陥れるための米政府の意図が働いた「陰謀」の可能性があるから抑制すべきである、とまで云う。この御仁が左翼の者だとしたら、よほど狂っているとしか言いようが無い。宮顕-不破論法の引き写しでもある。
やはり気が咎めるのか、「ブッシュ政権の戦争政策の批判は、曖昧な『疑惑』ではなく事実によって行わなければならない」と述べているが、これもオカシイ。一体、「9・11同時多発テロ」の「事実」をどうやって確かめるのか。お前がそこまで云うのなら、はっきりさせて見よ。我々は、限られた情報の中から真相に辿りつかねばならない。疑惑するのが良くないという事では決してない。数多くの疑惑が出されるべきであり、それらをすり合わせて次第に真相に近づかねばならない。これは当たり前の事であり、それを自主的に事前規制させようとする論を唱える者こそ客観的には政府のお先棒を担いでいるに違いない。そうではないのか。
小見出し5の「『帝国』への対決軸の確立」で次のように述べている。
最後に。9・11テロ発生直後に、大勢として反戦運動は「テロにも戦争にも反対」を掲げ、平和を求める運動が9・11のような民間人大量殺戮とは相容れないことを明確に示した。反戦運動の大勢が、世界的にも稀な「9・11全面支持」を打ち出したウルトラ・スターリニズムの中核派や革マル派、あるいは「9・11を支持も否定もしない」とする主観的な「戦闘的左翼」の無責任な主張と完全に無縁の方針を示した意義は大きいものだった。
しかし、アフガン侵攻、そしてイラク戦争へとつながる経過の中で、9・11すら色あせるアメリカ(そしてイギリス)の劣化ウラン弾やバンカーバスターなどの残虐兵器の使用、度重なる民間人虐殺、人種差別意識に基づくアブグレイブやグアンタナモでの捕虜虐待などの暴虐によって、それに抵抗する側の自爆や民間人誘拐・殺害などによる「テロ」を用いた手段について、反戦平和運動が「テロにも戦争にも…」と、なかなかすっきりと批判しづらくなったという心理作用は否めないだろう。この心理作用が、「9・11陰謀論」が蔓延する一つの土壌となっていることも間違いない。
しかし、「世界」とは、一元的な「悪」で説明できるものではない。私たちは、何度でも訴えなければならないだろう。アメリカ帝国や権力の「悪」に対抗する勢力ならば「正義」になるわけではない、と。帝国の「悪」と戦うイスラム主義者たちは、一方で女性や同性愛者や子どもの人権を踏みにじってきた「悪」である、と。そして、「悪」に抵抗する手段が、すべて「善」になるわけではない、と。
この「悪」対「悪」という対決軸に、いかに人権を価値とする「私たちの対決軸」を打ち出していくのか、がこの情勢で問われている。そして、人権と人命の尊重を至上の価値とする運動と世論が世界で、そしてアメリカ国内で多数派になった時こそ、戦争を終わらせ「帝国」を最終的に打ち倒すのである。「テロにも戦争にも反対」の原則を守り、現在の情勢において豊富化させ発展させる必要を痛感する。そして、「9・11のような『反米無差別テロ』が起きる世界の現実」を踏まえることなしに、平和への道はないのである。 |
この御仁はこのように、反戦平和運動内に最優先事項として倫理道徳を持ち込もうとしている。判明することはどうやら、1・「テロにも戦争にも反対」、2・より強く「9・11のような『反米無差別テロ』反対」の立場を打ち出しているようである。れんだいこ恐らくこの手合いとは百年話ししても通じないことのみ分かる。
「第四インター」(日本革命的共産主義者同盟、JRCL)がこういう書評を載せたということは、これが党の見解でもあるということであろう。同じ左派とは云いながら、見解が通じない見本のような書評である。それはそれとして、ブッシュ政権を支えるネオコン一派の源流に第4インターの系譜が見て取れる。日本の第4インターが為すべきは、手前達の運動圏内からネオコンが発生した事の批判的検証ではないのか。倫理道徳ぶるのも良いが、それならそれで自己切開して見んかい。恐らく、その理論と実践の中にズボズボの親ネオユダヤ主義が見て取れるだろう。そこが温床になっているのだろうと思う。
2007.12.3日 れんだいこ拝 |