42817−2 右翼諸団体の活動考

四元義隆
金鶏学院
安岡
1932年血盟団事件。

 

 血盟団事件が起き、まだ、その事件をどのようなグループがどのような目的でやったのかわからずに、当局が右往左往している段階で、金鶏学院の安岡が、事件は井上日召グループの手になるものであることを当局(時の警保局松本孝)に通報し、元安岡の門下生だった四元とか池袋などが参画していると示唆した。そのため、まだ連続暗殺計画が進行中であった血盟団グループが摘発され、十人で十殺を計画していたのに、井上準之助、団琢磨の二殺で終わってしまったということなのである。「これは当時、絶対秘密にされていたが、後に警視庁の役人から、私は直接聞かされた訳だ。しかも安岡は内務省の機密費の中から、5万円受け取ったことまで、分かったのである。そういうわけで、私が頭山邸にかくまれていることも分かった。頭山邸は警官によって、包囲された」(井上日召「血盟団秘話」、昭和29.7月文芸春秋臨時増刊号)。といって、安岡の当局への通報については、確たる証拠がある訳ではないから、歴史的事実として確定している訳ではない。しかし、血盟団グループはそれを事実と固く信じて多くの場で公言してきた。安岡の側でそれに反論を加えることもしていないので、一般には(安岡にシンパシーを持っている人以外は)、そうと信じている人が多い。






(私論.私見)