火曜日に東京で裁断を下したのは、正規の裁判所ではなかった。その判決は何らの義務をも課すものではない。この判決からは、日本軍に売春を強要され、人としての尊厳を奪われた中国や朝鮮、インドネシアやその他の国々の女性30万人のうちで生き残った人々が、その想像を絶する屈辱へのほんの僅かな額の補償すらも引きだすことはできない。
旧ユーゴ国際戦犯法廷前所長ガブリエル・カーク・マクドナルドは、単なる「法廷」の座長を務めたに過きず、また、この「法廷」を催したのは、女性の権利や人権問題に取り組んでいる団体でしかない。だが単なるトリビュナール──そしてこれがもっとも重要な点だが──であるからこそ、当時は神とされた天皇裕仁の歴史的な役割について、これまで日本の世論で公認されてきたのとは異なる評価が下せたのだ。
日本社会は総体として自らの歴史と向き合ってこなかった。歴史の真実と正義を求めたのは日本の国家ではなかった。国家にとっては、1946年から1948年にかけての東京裁判での主たる責任者7名に対する死刑と16名の終身刑で、十分こと足りただろう。受刑者が1959年に(裕仁の個人的な指示で)都心にあるあがめの場、靖国神社の、国家的英雄や偉大な指導者らの連綿と続く列に加えられたことは、それ自体数少ない連合軍裁判の判決を相対化してしまった(訳註1)。
一政権政党にほぼ不断に支配され、永遠の官僚制に行政を任せ、大企業の経営者たちに組織され、そしてこの3つの勢力の相互のせめぎ合いを通して制御される中で、国家は朝鮮や中国、東南アジアや太平洋地域への暴力的な略奪行軍の歴史を、一方では記憶から排除しつつ、他方で国の歴史の中に取り戻してきた。政府は何十年もの歳月を費やして、ようやく許しを請うところまで漕ぎ着けた。近隣の諸国に対して──。だがそれは国から国に対してであって人間に対してではない。森喜朗首相が天皇の神的系譜について語る際にときおり用いる奇妙な表現からうかがわれるように、近隣諸国が経験上恐れていることが、日本社会の少なくとも一部ではコンセンサスになっている。
「法廷」が下した裁断は、歴史認識の霧の中を一条の稲妻のごとく突き抜けた。それは法的効果は持たないものの、ニュルンベルク裁判の後、アウシュヴィッツを始めとする絶滅収容所の加害者に対する訴訟がドイツ人の意識に及ぼしたこと、すなわち啓蒙をもたらすものだ。
啓蒙は日本人自身の課題だったはずだ。日本人がほとんどそれに取り組まなかったことは、世界の政治情勢に負うている。天皇を国家の象徴として在位させることは、1945年以降の短いがラディカルな自由化改革の期間においてアメリカ占領軍自身の関心事だった。この象徴が、危慣された政府の転覆や革命をふせぐ保証となったからだ。そして朝鮮戦争勃発(1950年)の後は、(おそらく治癒効果をもたらしたであろう)意識改革をさらに推し進めようにも、日本はアメリカの同盟国としてあまりにも重要になりすぎていた。歴史を記憶の彼方に排除するメカニズムは、太平洋の彼岸と此岸に跨がる妥協策の片面であり、その別の一面は軍事戦略によって規定されていたのである。無数の名もない犠牲者たちを忘れ去るというシニシズムは、そのことから必然的に導き出された。
前提となる諸条件が、したがってドイツとは異なっていた。ドイツの西側連合軍の3占領地区は、冷戦の時代にあって、もっとも近い過去との訣別と引き換えにようやくその役割を達成しえた。西側世界への統合には、ナチス独裁に対して下された判決を社会に根づかせることが前提だった。「東」ブロックに対しては、旧態依然の連邦共和国(訳註2)は時にはラディカルだが概ね穏健だった労働運動を社会市場経済に統合することで初めて優位性を示せるようになった。そして、統一を遂げたこの国は、不和に満ちた過去から導かれる教訓を忘れない限りにおいて、ヨーロッパという枠組みの中で平和の旗をかかげる役割を果たせるのだ。もしドイツが違った態度をとれば、ヨーロッパ大陸においてアメリカの「陸の剣」たることすらできないであろう。歴史の道義的教訓を持ちだすまでもなく、この国は、存続していくためにあらゆる国々との宥和と友好を必要としているのである。
このことは、海の向こうでイデオロギー上の敵やその他の独裁者が支配していた間は、日本にはさほど厳密には当てはまらなかった。だがソ連の権力機構の崩壊と中国の経済開放、韓国と台湾における民主化が、ここでもこの前提条件に長く尾を引く変化をもたらした。日本は、平和を維持しようというのであれば、隣国との間で適当に折り合いをつけるだけではもはやおさまらず、和解を実現する必要がある、それも言葉の上だけではなく。天皇の責任そしておそらく罪も、そうなれば、もはや問わずにおいたり、美化したりしてはおれまい。歴史から学ばない者は、学び直さなければならないのだ。東京の「法廷」がそのための一つの方向性を示している。
訳註1:この部分戦犯合祀に関して