戦前日共史(補足)スパイM、スパイ三舵考

【「日本共産党スパイ史」考】
 


【スパイM】
 日本共産党史上最大の大物スパイ。特高課長・毛利基。松村昇スパイMこと本名・飯塚みつ延(のぶ)。

 1966.5.25日より、社会推理作家として名高い松本清張氏が週刊文春に、「スパイMの謀略」を発表。連載は1966.8.8日まで続き、後に単行本「昭和史発掘」に収録され、文芸春秋社より刊行された。

 立花隆が文芸春秋誌上で、1976年新年号から1977.12月号にかけて「日本共産党の研究」を連載、後に講談社より刊行(上下2冊)した。

 1976(昭和51).10.5日から10.8日、日共党機関紙赤旗紙上に、「スパイMこと飯塚みつ延(のぶ)とその末路」が発表され、スパイMの全体像が簡略ながらも明らかにされた。

 1980.5月、小林峻一、鈴木隆一が「スパイM」(徳間書店)を刊行。

 しまねきよしが「日本共産党スパイ史」(1983.2月、新人物往来社)を刊行。

 1994.12月、小林峻一、鈴木隆一が「スパイM−謀略の極限を生きた男」(文春文庫)から刊行され、スパイMの生涯、全貌が明らかにされた。背障害子早は同書の中で、スパイMの全体像がより明確に記述された。




(私論.私見)