42866 天皇の戦争責任、大東亜戦争開戦、終戦責任考
(戦争責任を誰が負うべきか考)
        

 (最新見直し2006.9.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「近世日本国民史」の著者・徳富蘇峰は、「終戦後日記」を著しており、天皇の終戦責任に対して次のように述べている。
 概要「国体護持を金科玉条のように持ち上げ、無条件降伏を受け入れた政府や重臣だけでなく、昭和天皇にも責任がある。皇室は国家や国民を離れて存在できるはずも無く、『大なる家族的国家である日本』の家族や家がどうなっても家長さえ無事ならよいという議論は成り立たない。天皇に期待するのは、今は臥薪嘗胆、一同大いに力を蓄えよという仰せであり、国民を甘やかす様子が続けば戦前のフィリピンのようになってしまう。戦争という難局にあたって天皇こそ国民にじかに接し親征の実をあげるべきだった。明治天皇と昭和天皇の御親裁はまったく別物であり、明治天皇の治世であれば満州事変なぞ起るはずも無く、戦況が不利になった時に昭和天皇が自ら『総力の発揮』を図っていたなら事態は変わっていた。総括的に統帥する力が、皆無といわざるまでも、極めて薄弱であったことは、実に今日の敗北を招来したる要因である」。





(私論.私見)




天皇だけが「戦争を遂行する意思を裁可できた」、「日米合作で天皇の戦争責任免罪」米で話題
2000年 8月30日 (水)「しんぶん赤旗」



 昭和天皇の戦争責任が免罪されたのは、日本の民主化の徹底阻止で利害を共有したマッカーサー(連合軍最高司令官)ら米側と昭和天皇側の合作の産物だった――米国でこのほど発売されたハーバート・ビックス一橋大学大学院教授の裕仁伝、『裕仁(ひろひと)と現代日本の形成』は、こう指摘しており、同天皇の戦争責任問題をめぐる国際的な議論に新たな一石を投じることになりそうです。(ワシントンで坂口明記者)

「革命防止」で一致

 昭和天皇については「専制的帝国支配の枠組みの中での単なる表看板、軍部の操り人形にすぎなかった」との通説が国際的にあるが、それは作られたイメージだ。特に一九四〇年後半以降は日本の侵略戦争の遂行で「中心的役割」を果たしたのが真相だ――本文だけで六百八十八ページに及ぶビックス教授の裕仁伝は、八年間の作業で得た膨大な日本の資料や研究成果を駆使し、このテーマを解明しています(第三部「陛下の戦争」)。

 同著は、一九四六―四八年の東京裁判(極東国際軍事裁判)が審理対象とした一九二八年から四五年までの「十七年間全体を通じて権力の座にいた一人の人間」天皇のみが、「侵略戦争、国際法侵犯の戦争を遂行する意思を裁可できた」とのべています。

 その戦争責任が戦後処理の過程で免罪されたのはなぜかを明らかにしたのが第四部「調べられざる生涯」の前段。それは、米軍による日本「占領の一番最初から、国体護持という日本の防衛的戦略とマッカーサーの占領戦略が符合していた」からだと指摘しています。

 昭和天皇側は、“開戦を裁可したのは立憲政治下の立憲君主としてやむを得なかったが、終戦にはイニシアチブを発揮した”という筋書きを作り上げ、戦争責任を軍部最高指導者に転嫁。「国体」=天皇制護持を貫こうとしました。

 マッカーサー側でも、同氏の軍事秘書で、中央情報局(CIA)の前身の戦略事務局(OSS)にいたボナ・フェラーズ准将が占領開始直後から暗躍。東京裁判などで天皇の戦争責任が不問に付されるよう工作を続けました。

 その目的は「革命と共産主義の防止」(マッカーサー側近の四五年十月のメモ)に天皇を利用することにあったとビックス氏は指摘。この点で天皇と米国・マッカーサーは利害が共通しており、互いに政治的に利用しあったとしています。

 「人間天皇」を売り出すための天皇の地方行幸の開始(四六年)にも、連合国軍総司令部(GHQ)のイニシアチブがあったことを同氏は明らかにしています。

軍事同盟結成に先べん

 マッカーサーと天皇は、四五年九月から十数回にわたり会見。戦後日本の進路や日米関係などを話し合いました。新憲法施行三日後の四七年五月の第四回会談で天皇は、「米国が去ったらだれが日本を保護するのか」と発言。マッカーサーは「われわれがちょうどカリフォルニアを守っているように、日本を守る」と答えました。

 またビックス氏は、「米軍と米軍基地を日本に残す講和条約(の締結)を急がせる最初の努力をしたのは、吉田(首相)ではなく天皇だった」と指摘。その背景には、五〇年にソ連が天皇の戦争責任問題を改めて提起したので、それを回避する狙いがあったのではないかとしています。

 同著はこのように、米国に自らの戦争責任を免罪してもらったあと、天皇が米国との軍事同盟の結成に先べんをつけた姿を描いていま
す。

 ビックス氏は、侵略戦争に唯一反対した日本共産党が戦後、天皇の戦争責任問題を追及してきたことを紹介しています。同氏は、日本の戦争犯罪の問題が今日もあいまいにされるのは、天皇の戦争責任問題が未処理になっているからだと指摘。日本の今後の指導者が、「前任者たちがやったように、民主主義の深化を阻止するために天皇制を利用するかどうかは、新たなミレニアム(千年紀)に入る日本にとって死活問題だ」として同著を結んでいます。