日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した当時には存在しなかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」なるものを当裁判所が管轄権を持つ犯罪であると規定して裁いたのである。
ポツダム宣言第10項には「われらの俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては峻厳な裁判が行われるべし」とある。この戦争犯罪人という意味は、戦争の法規、慣例を犯した罪ということである。戦争そのものは、当時はもちろん今日でも、違法でもなければ犯罪でもない。ウォー・クライム(戦争犯罪)といった場合、@交戦者の戦争法規の違反(非戦闘員の殺戮、毒ガス、ダムダム弾等非人道的兵器の使用、捕虜の虐待、海賊行為等)、A非交戦者の戦闘行為(便依兵の戦闘)、B掠奪、C間諜(スパイ)および戦時反逆の4つを言う。しかるに未だかつて聞いたこともない「平和ニ対スル罪」「人道ニ対スル罪」などという、新しい法概念をうち樹てて、その「法」によって裁いたのが東京裁判である。
清瀬弁護人はこの点をとらえて、いずれの文明国においても「法は遡(さか)のぼらず、」すなわち「法の不遡及」は法治国家の鉄則であり、本条例はこれを犯すものであるとすることを含む7つの動議をひっさげて開廷早々法律論を挑んだ。
清瀬弁護人のこの正論に対し、裁判所は理由を述べないままこの動議を却下した。そして、動議却下から2年半後に下した判決の中で、動議却下の理由として裁判所条例は裁判所を拘束する唯一無二の絶対的権威であるという見解と、パリ不戦条約調印後は、調印国が国策の手段として戦争に訴えたときは国際法上の犯罪を犯したことになる、ということを含むニュルンベルク裁判所の見解に全面的に同意するという見解をのべてこの問題を片づけ、東條以下25名を処断したのである。
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