428412−3 | 「南京事件はなぜ起ったか」について |
南京大虐殺の原因については、数多くの解釈がある。「戦場心理」、「復讐心」「下克上」等、他にいくらでもあげられるがとして、肯定派は次のように推定している。 日本軍はみずからの将兵が捕虜になることを不名誉なこととして厳しく禁じていました。このような精神の自然の延長として、戦争において敵兵の捕虜を得た場合に、彼等を虐待し、虐殺してもよいとする風潮が生ずることになりました。さらに実際に南京攻略時のように大量の捕虜が発生したときには、下の3)で述べるように自軍の補給でさえも確立していなくて、まして捕虜への給養など考えていませんでした。 日本の軍隊の内部は、例えば野間宏の『真空地帯』に描かれたように、天皇=上官の命令には絶対服従、苛酷で恣意的な懲罰など、抑圧構造が兵士たちを圧迫していました。このような抑圧構造の最下層にあった兵士たちが、その憤懣をより弱い者、無力な捕虜や一般市民に向けることになりました。
日本軍の作戦には、現実的な兵站(へいたん=弾薬・食糧などの補給)の計画が軽視されていて、弾薬はともかく、食糧は多くを「現地調達」に頼っていました。従って戦闘の合間に、小部隊単位で民家に入って食糧を「調達=掠奪」せざるをえなくなり、これが次第にこうじて食糧以外の金品財産を強奪し、拒まれると虐殺し、あるいはレイプなどの性暴力に及ぶ過程を生んでいきました。(この兵站軽視が、敗戦の前には「名誉の戦死者」の大部分が餓死であったという、自滅の道に導くことになります。)
南京大虐殺のようなすさまじい暴虐行為の根底には、自国民優越すなわち他民族蔑視の思想が働いていたことを否定できません。明治維新以後いちはやく「脱亜入欧」に走った日本は、近隣諸国を「遅れた国」であり、帝国主義支配の対象であるとのみ考えました。江戸時代には文化の源泉として崇拝していた中国を、日清戦争に勝ったあとは一転して侮蔑の目で見るようになり、国民の間に「神州不滅」の優越思想をすり込みました。 D、軍国主義思想の感化 |
否定派は次のように推定している。但し、「まぽろし派」と「フレームアップ派」に分かれるるので必ずしも論調は同じではない。 @、戦争責任と賠償問題に絡めての「過度のフレームアップ」である。 A、「西のホロコースト、東の南京事件」という構図で謝罪させつづけようとさせる意図がある。 B、米軍の原爆投下の歴史責任論を隠蔽し、または帳消しにさせようとする狙いがある。 |
(私論.私見)