4284143 武力制圧下での投降兵、更衣兵の摘発の様子と死者数

  『ボートリン日記』1月26日 水曜日
 廃墟からの帰還、知り合いの女性に出会った。彼女はわたしに、楊□の池に多数の死体があることを知っているか、と尋ねた。そのことは多少聞いているので行ってみたい、と答えると、同道しよう、と言ってくれた。しばらくして彼女の夫に出会い、彼が、わたしとわたしの使用人を案内してくれることになった。わたしたちは問題の池を見つけた。黒焦げになったたくさんの死体が岸辺に転がり、燈油かガソリンの空き罐二缶 が死体に混じっていた。死人の両手は、背中のうしろで針金を使って縛られていた。死体が何体あるのか、また、最初に機関銃で撃たれ、そのあと焼かれたのかどうかはわからない。だが、そうであればよいと思う。これ以外にも焼け焦げた死体は、西側の小さいほうの池におそらく20体ないし40体あった。履いていた靴のなかには兵士の靴ではないものもあり、それらは一般 民間人の靴のようだった。焼かれていない死体が丘陵地全体に見られる。 (『南京事件の日々』P137-138 )


『ラーベ日記』 2月7日
 紅卍字会の使用人二人に案内されて、午前中、ソーンといっしょに西康路の近くの寂しい野原にいった。ここは二つの沼から中国人の死体が124体引き上げられた場所だ。その約半数は民間人だった。犠牲者は一様に針金で手をしばられていて、機関銃で撃たれていた。それから、ガソリンをかけられ火をつけられた。けれどもなかなか焼けなかったので、そのまま沼の中に投げこまれたのだ。近くのもうひとつの沼には23体の死体があるそうだ。南京の沼はみないったいにこうやって汚染されているという。(『南京の真実』P236 )

『ラーベ日記』12月28日
 フィッチにあてたフォースターのこの手紙を見れば、南京の状態が一発でわかる。この50体のほか、委員会本部からそう遠くない沼の中にまだいくつもの死体がある。これまでにも我々はたびたび埋葬の許可を申請したが、だめだ、の一点張りだ。いったいどうなるのだろう。このところ雨や雪が多いのでいっそう腐敗が進んでいる。

『ボートリン日記』2月25日 金曜日
 きょうの午後、集会に行く途中、安懐墓地のそばを通った。そこでわたしは、身元引受人のいない死体の埋葬に紅卍字会の作業員がいまも追われている場面 を目撃した。むしろにくるまれて壕のなかに置かれた、というよりは引きずり込まれた死体だ。臭気がとてもひどいので、いまでは作業員はマスクを使用しなければならない。これらの死体の大部分は占領直後数日間のものだ。(『南京事件の日々』P184 )