428412−4 | 「ニセ写真問題」について |
南京事件に付きまとう未解明部分あるいは無用のトラブルは数多くあるが、「ニセ写真問題」もその最たる事案である。事件肯定派がそれまで南京事件の証拠写真として掲載していた写真の多くが(これについて肯定派は多くでは無いと云っているが)ニセ写真であったことが今日判明させられていいる。事件否定派がこの面を鋭く突き、問題にしてきたところである。 笠原氏は、こうして写真そのものは本物と述べる一方で、「 そんな輩の雑音を防ぐため、南京の『侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館』では笠原氏たちのアドバイスを受け入れ、出展がはっきりしない写真は差し替えられたようです」とあるからして、問題は深刻に受けているものと拝察される。 |
こうした中で、説得性があるのは次の下りである。「半月城通信」は次のような記事を載せている。「井上久士氏は虐殺を撮影した日本軍兵士についてこう記しました。南京戦を取材した日本の報道カメラマンが軍部の厳格な検閲制度に従順に
したがって、自己規制的に南京事件の場面や現場を撮影しなかったなかで、日本軍の大虐殺の一端をカメラに収めていた一兵士がいた。兵站自動車第17中隊の非公式の写真班を務めていた村瀬守保氏で、彼は
自分の中隊の各将兵の写真を撮り、それを自分で現像、焼付けして各将兵の家族に送らせていた。戦闘部隊ではなく、輸送部隊であったため、戦火の直後をまわって、比較的自由に撮影でき、かつ軍部の検閲を受けないでネガを保持できる恵まれた立場にいた。『村瀬守保写真集 一兵士が写した戦場の記録−私の従軍中国戦線』(日本機関紙出版センター、1987年)には、村瀬氏がキャプションをつけた南京での集団虐殺現場の生々しい写真が何枚か収録されている。これらの写真は、集団虐殺の現場から奇跡的に死を免れて逃げ帰った中国人の証言にある、射殺・銃殺、再度生存者を点検して刺殺したあと、最後は薪と石油で焼殺、焼却するという集団大量虐殺の手段が事実であることを証明するものである。その中に『虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体。ほ
とんどが平服の民間人でした』というキャプションの写真が三枚ある。冒頭に引用した小林よしのり『戦争論』で、厳密な資料批判に耐え、これ
が日本軍による民間人大量虐殺の証拠といえる写真はまだ一枚も出てきていない』と、氏としては珍しく逃げ道を用意した慎重な言い方をしているが、それもウソであることを村瀬氏の写真は証明している」。
とあるものの、南京大虐殺で死体が山積みされたり、数珠繋ぎで折り重なっている現場写真の紹介は為されていないのが惜しまれる。次の章(17)大虐殺のうわさが---とあるが、そこにはそうした写真とその解説がなされているのだろうか。それならズバリその部分をなぜ紹介しないのだろう、ややこしい限りである。 |
【「夏服」写真問題について】 |
>私としては、「写真が夏服だから偽造である」というつつましい根拠そのものがおかしいと思います。なぜならば「夏服が偽造とは限らない」だからです。「写真が夏にとられた」なら偽造ですが・・・。 せっかくだからレスするね。「写真が夏服だから偽造である」などとすりかえている方は例の御仁で、椿氏は「あの写真」が本当に南京大虐殺事件を語る写真なのかと言っていると理解するのが真っ直ぐ読む人ね。Kuuさんも感染してるみたいやね。「写真が夏服だから偽造である」などと云うのは根拠の一つであって、それを否定したからと言っても、「あの写真」が本当に南京大虐殺事件を語る写真なのかという問いは引き続き残ると解するのを相当とするのではないかな。忍法目くらましそこまでと裁定申す。 |
「南京大虐殺」流布写真143枚、証拠として通用せず 東中野・亜大教授検証【SankeiWeb】 http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/947.html 投稿者 JFK 日時 2005 年 2 月 01 日 16:48:50: JXb2byltvnP6A → 著者のプロフィール ○東中野修道(ひがしなかの・しゅうどう) 「証拠として通用するものは一枚もなかった(東中野教授)」マジですか!? ■「南京大虐殺」流布写真143枚、証拠として通用せず 東中野・亜大教授検証【SankeiWeb】 <http://www.sankei.co.jp/news/morning/01na1003.htm> 明らかな合成/日本兵と違う軍服 「南京大虐殺」の証拠として流布する写真の検証作業を続けていた東中野修道・亜細亜大学教授は三十一日、都内で会見し、証拠写真として入手しうる百四十三枚のうち、証拠として通用するものは一枚もなかったとする検証結果を発表した。 東中野教授は「大虐殺」に触れた著作物を可能な限り収集、そこに掲載されていた約三万五千点の写真の中から「大虐殺」の証拠とされるものを抽出して検証した。「虐殺の有無を検証しようとしたのではなく、虐殺の証拠に使われている写真が、証拠として通用するものかどうかを検証した。そこを理解してほしい」と東中野教授。 検証の結果、今日流布する証拠写真の多くは、昭和十二年十二月の南京攻略戦から七カ月後に出版された「日寇暴行実録」(国民政府軍事委員会政治部編)と「外人目撃中の日軍暴行」(ティンパーリー編)の二冊を源流としていたことが明らかになった。 この二冊に掲載された七十枚は、いつ、どこで、だれが撮ったものか不明なものが大半であり、細部を詰めてゆくと、明らかに合成と分かるもの▽軍服が日本兵のものでないもの▽初夏に撮られたとみられるもの−が多数あった。さらには、日本の写真雑誌に掲載された写真のキャプションを改竄(かいざん)して掲載した例も。 東中野教授によれば、こうした写真が「大虐殺」の証拠として検証されることなく次々に使用されていったという。典型的な例は、昭和十二年十二月五日発行の「朝日版支那事変画報」の裏表紙に掲載された、代価を払って鶏を買った兵士の写真。「日本軍の行くところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」とキャプションを改竄されて「日寇暴行実録」に掲載され、さらに朝日新聞記者だった本多勝一氏の著作に「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」という説明をつけて掲載された。 「源流の二冊は、反日プロパガンダとして作成されたもの。そこに掲載された写真を検証なしで流布したマスコミの責任は極めて重い」と東中野教授は話している。 検証をまとめた「南京事件『証拠写真』を検証する」は、草思社から二月三日に刊行される。 ◇ 「南京大虐殺」 昭和12年12月に南京を占領した日本軍が起こしたとされる虐殺・略奪事件。中国側は犠牲者を30万−40万人と主張するが、日本側には虐殺はなかったという意見もある。その真相をめぐって現在も論争が続く。 |
(私論.私見)