42847−317 「三鷹板吉氏のホロコースト研究2」考






(私論.私見)


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#1260/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/13 22:59 ( 93) ニツコー>66Q&A39番              三鷹板吉 ★内容 39.この恐ろしい時代の間に、600万人のユダヤ人が死んだというのと、30万人の   ユダヤ人が死んだというのとは、どう違うのか? *IHRの主張(オリジナル版)  5,700,000人も違う。ちなみに−−「ホロコースト」プロパガンダに反して−− 誰かを絶滅させようという故意の試みなど存在しなかった。 *ニツコーの回答  前に言及したように、約600万人が死んだのだ。言を弄して否定しても彼らは生 き返りはしない。  IHRはここで「誰かを絶滅させようという故意の試みなど存在しなかった」と ハッキリ述べている。ナチスのガス室はヨーロッパ・ユダヤ人絶滅計画の手段であ ったにもかかわらず、IHRは明らかに、ガス室に関する疑問と絶滅計画に関する 疑問とを別々にしてきた。  おそらくIHR所長グレッグ・ラビンは、これらの疑問を次のように説明したい のだろう。以前、これらの疑問について尋ねられた時には、ラビンは常に話題を変 えようとし、ガス室のことを持ち出したのだ。だが、もしもラビンが本当に「誰か を絶滅させようという故意の試みなど存在しなかった」と確信しているのならば− −−ラビンは以下の疑問に対して、ガス室に言及することなく答えられたはずだ。  ハンス・フランク(三鷹注:ナチスのポーランド総督)日記(「ナチスの陰謀と 侵略」 1946年 第1巻 pp.992,994より)    しかし、ユダヤ人をいかにすべきだろうか? 連中を「オストランド」(東   方領地)の(再定住)村落に定住させられると思うか? 我々はベルリンで次   のように言われた。悩むことなどあるか? 「オストランド」においても「帝   国委員会(Reichkommissariat)」においても、我々が連中に出来ることは何   もない。だから、勝手に連中を消してしまえ、と。    紳士諸君、私は諸君に、いかなる慈悲の感情も捨て去るよう求めたい。我々   はユダヤ人を根絶せねばならない。帝国の機構を全体としてまっとうするため   に、連中を見つけ出し根絶可能なところでならどこででも。    350万人ものユダヤ人を、射殺することも毒殺することもできない。しかし、   それでもなお我々は、なんとかして彼らを根絶せしめる処置をとることが可能   だろう。    我々が120万人のユダヤ人に餓死を宣告したことなど、ほんの余白に記され   るだけだろう。  1943年10月4日のポーゼンでのヒムラーの演説の録音テープが押収されている。 (「主要戦犯裁判」 1948年 第29巻 p.145 最近の翻訳による)    私は今こそ、ユダヤ人の排出について語ろう。ユダヤ民族の絶滅についてだ。   「ユダヤ民族は絶滅させられる」とは、言うにたやすいことの一つだ。党員は   誰もが言うだろう。「ユダヤ人の除去、ユダヤ人の絶滅が我々の計画の一部だ   というのは、まさしく真実だ。我々はそれを遂行しつつある」と。  ゲッペルス(ロシナーの翻訳による「ゲッペルス日記」1948年 pp.86,147-148)    1942年2月14日:総統は、ヨーロッパのユダヤ人を情け容赦なく一掃する彼   の決定を、今一度表明した。それに関して、神経質なセンチメンタリズムなど   あってはならない。ユダヤ人は破滅に値するのであり、今こそその運命が彼ら   を襲ったのだ。彼らの絶滅は我々の敵の絶滅と同一歩調をとってなされるだろ   う。我々は、冷たい無慈悲さでもって、この過程を促進せねばならない。    1942年3月27日:手続きはきわめて野蛮なものであり、ここにより正確に描   写すべきではない。ユダヤ人のうち残るのは、けして多くはないだろう。概し   て、彼らの約60%が消され、しかるに40%のみが強制労働に使用可能だ。  おそらく、ガス室についての疑問への寄り道(IHRの他の主張と同様にインチ キだが、より入り組んだものである)抜きで、このような引用を扱うのはなんとも 格好がつかないから、IHRは改訂版においては「誰かを絶滅させようという故意 の試みなど存在しなかった」という一行を削除したのだろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  これらの引用こそ、ナチス幹部の発言記録や日記中の「ユダヤ人絶滅の努力が存 在した証拠」の一部です。間宮さんのレスがあまりにもタイミングが良すぎたので、 三鷹との共謀を疑う人がいるのではないかと、ちょと心配です(笑)  IHRのラビンが話題をガス室にもっていきたがるのは、ガス室否定がホロコー スト否定説において一番耳に通りやすい、いわば「サワリ」だからです。歴史に関 する知識が乏しい読者に対し、ドイツの戦争目的は何だったとかヒトラーの演説は 言葉の表面的な意味とは異なり云々とか講釈しても通じにくい。それよりも「ガス 室など無かったのだ」と、一言で決めつけてしまう方がずっと簡単です。で、あと は「物証が無い。歴史学者は挙証責任を果たしていない」と馬鹿の一つ覚えのよう に繰り返していればいい。それで「ホロコーストの真実」を論じたつもりになれる、 ちうワケです。  さらに、否定者のバイブルとも呼ばれる(笑)「ロイヒター報告」のごとき、ガ ス室の存在可能性を検証すると称する疑似科学的「検証」を巡る入り組んだ議論に 相手を巻き込んでしまえば、「論争」は1年でも2年でも続けられる、というワケ。 アウシュビッツのガス室と現代アメリカの処刑用ガス室との比較論など、その典型 です。前者は後者の設計基準と安全基準を満たしていない、ゆえに前者は存在しな かった、証明終わり、と(笑) 事情を知っている人間にとっては単に馬鹿馬鹿し いだけですが、知らない人間には、それなりにもっともらしく聞こえるんですね。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa41.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa39.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1261/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/13 23: 0 ( 44) ニツコー>66Q&A40番              三鷹板吉 ★内容 40.「死の収容所」を生き延びたユダヤ人の多くは、死体が穴の中に積み重ねられ、   焼かれるのを見たと言っている。そんなことをするのに、どれだけのガソリン   が必要だったのだろう? *IHRの主張  ドイツ人が入手したよりも、ずっと大量のガソリン。当時は、大変な燃料不足だ った。 *ニツコーの回答  「入手」? アウシュビッツ第3収容所、すなわちモノヴィッツ収容所は、工業 生産収容所で、燃料が生産されていたのだ! このことはIHRも改訂版の疑問6 番への回答で認めている。それ以上の「入手」など有りえただろうか?  どのみち、この疑問は読者をミスリードしている。高品質のエネルギーであるガ ソリンのような精製燃料は必要とされていなかった。潤滑油やメタノールのような、 安価で比較的豊富で引火性の低いものが代わりに使用された。ルドルフ・ヘスは、 トレブリンカ絶滅収容所での、戸外の焼却プロセスについて述べている。(ベズウ ィンスカ、チェゼチ共著「SSが目撃したアウシュビッツ収容所」 1984年 p.133)    (トレブリンカでのガス殺の後)ガス室が開かれ、死体が運び出されて、裸   のまま、鉄道線路で作られた枠組みの上で焼かれた。    材木を使って火がたかれた。死体にはこまめに廃油が振りかけられた。  ヘスは自分が所長をしていたアウシュビッツ収容所でのプロセスも描写している。 (コゴン他「ナチスの大量殺人」 1993年 pp.168-169)    1942年の夏までは、死体はまだ大量埋葬壕に運ばれていた。火葬が行なわれ   始めたのは、ようやく夏の終わりに向かってからである−−最初は約2000体の   死体を薪を積んで焼いた。後には、以前溝の中に埋葬された死体を発掘して、   その溝の中で焼いた。死体には潤滑油の廃油が注がれた。後にはメタノールが   使われた。  潤滑油の廃油をいくらか提供するなど、ナチスにとっては大して難しいことでは なかった。  IHRはこの疑問を、オリジナル版の「ガソリン」という見えすいたでっちあげ から、改訂版の単に不正確な「燃料」に変えた。それでもまだ読者をミスリードし ている。「燃料(fuel)」という用語は、いろんなものを意味しうるが、潤滑油の 廃油は含まれない。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa42.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa40.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1270/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/18 22:40 ( 79) ニツコー>66Q&A41番              三鷹板吉 ★内容 41.死体を穴の中で焼却できるのか? *IHRの主張(オリジナル版)  できない。この方法で人間の死体を炎で完全に焼きつくすことは不可能だ。戸外 の穴では十分な熱を起こし得ないからだ。 *IHRの主張(改訂版)  できない。この方法で人間の死体を炎で完全に焼きつくすことは不可能だ。酸素 が不足するからだ。 *ニツコーの回答  熱か酸素か、どちらなのだ?  この件についてホロコースト否定者がそうあって欲しいと望んでいることとは裏 腹に、このような焼却が現に行われたというのが単純な事実だ。事実、穴で死体を 焼却している有名な写真が存在する。それはアウシュビッツ・ビルケナウ収容所か ら密かに運び出されたものだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  「有名な写真」とは、「夜と霧」の巻末に写真22番として収録されているもので す。地面に大量の裸の死体が横たわり、その向こうにもうもうたる炎と煙が上がっ ています。周りに作業中とおぼしき7人の男性が写っています。「夜と霧」のトリ ミングでは分かりにくかったのですが、「ホロコースト全史」(マイケル・ベーレ ンバウム 創元社)p.313に収録された同じ写真を見ると、暗い屋内から戸口越しに 明るい戸外を隠し撮りしたものだとハッキリ分かります。  この写真がどうやって撮影され、いかにして収容所外へ持ち出されたか、「『夜 と霧』をこえて」(大石芳野 日本放送出版協会)p.201-204で簡単に紹介されてい ます。それによれば、ダビッドという名前のポーランド系ユダヤ人囚人が撮影した もので、アウシュビッツ収容所のSS専用病院の看護婦長をしていたオーストリア 人女性シュトロンゲリエル・マリアの手によって1944年半ばに収容所外に持ち出さ れ、レジスタンス組織により世に出されたとのこと。関係者の姓名表記に統一が無 いあたりが、ちょといい加減ですが、一応の事情は分かります。(この本は姓名表 記の確認がずさんで、他の箇所でも、トレブリンカ収容所の副所長だったクルト・ フランツを「フランツ・クルト」と表記したりしています)  ちなみに、そのオーストリア女性の名前の「マリア」は姓ではなく名でしょう。 シュトロンゲリエルという、ちょと聞きずらい名前が姓で、姓名をドイツ民族の通 例と逆に書いているのか、シュトロンゲリエルがファーストネーム、マリアがミド ルネームで、姓を省略してるか、はたまたシュトロンゲリエルというのが通り名で 「***のマリア」てな意味なのか、三鷹にはちょと判断がつきません。とまれ、 つっこんで調べれば、より詳細な事情が分かるでしょう。  この写真を巡っては、三鷹は西岡さんと何度か「論争」しています。最初に三鷹 がこの写真のことを取り上げた際に、西岡さんは「人形を並べて撮ったトリック写 真の可能性」を示唆しました。西岡さんに言わせれば、「ネッシーにもUFOにも 写真が存在する。写真があるからといって事実とは限らない」とのこと。  なるほど、確かにその通りなのですが、トリック写真をトリック写真と断定する には、科学的分析によってトリックを暴かねばなりません。有名なネッシー写真で は周囲の波の大きさと形が決め手でした。北朝鮮の金日成&正日のツーショット写 真のように、光線の当たり方の不自然さにより複数の写真の合成であると分かる場 合もあります。UFO写真のほとんども科学分析によって誤認もしくは捏造である ことが確認されています。  ところが、西岡さんが写真を「トリックだ」とするにあたっては、写真それ自体 に対する何の分析も示されておらず、ただ「戸外での死体焼却は不可能だから」と の一点が「根拠」なのでした。これでは何を根拠に何を証明しようとするのか、堂 々巡りとなってしまいます。  二度目にこの写真のことが取り上げられた際に、西岡さんは「ベルゲン・ベルゼ ン収容所でのイギリス兵による死体焼却シーンを撮った写真を、アウシュビッツ・ ビルケナウでの写真と偽った可能性」を示唆しました。その根拠は、作業員が被っ ているのがイギリス兵の制服であるベレー帽のように見えるから、とのこと。  三鷹の知る限りでは、ベレー帽は当時のヨーロッパでごく一般的に着用されてお り、イギリス軍の専用ではありません。また、西岡さんが示唆するところが事実だ とすると、イギリス軍とポーランド共産主義政府との間に、戦後ずっと緊密な協同 関係が存在した、ということになります。イギリスの退役軍人が「あの有名な写真 に写ってるのは実は俺なんだ」など洩らせば、簡単にバレてしまうからです。冷戦 期のことを考えれば、イギリス/ポーランド間にそのような協同関係があったなど、 ちょと考えられません。いかにも「国際ユダヤ陰謀論」が喜んでとびつきそうな説 ですが(笑) </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa43.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa41.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1273/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/19 11:11 (112) ニツコー>66Q&A42番43番            三鷹板吉 ★内容 42.「ホロコースト」物語の著者たちは、ナチスが死体群を約10分間で火葬できた   と主張している。プロの火葬技術者によれば、一個の死体を焼却するのにどれ   だけの時間がかかるのだろう? *IHRの主張(オリジナル版)  約2時間である。 *IHRの主張(改訂版)  約1時間半である。だが、大きな骨はその後さらに処理しなければならない。 *ニツコーの回答  さて、1.5時間か2時間か、どちらなのだ? より最近、ホロコースト否定者た ちはアイヴァン・ラゲイス(Ivan Lagace)の証言に依拠し始めている。ツンデル 裁判においてラゲイスは明らかに死体1体につき6時間から8時間かかると言い、 それは後に印刷物にもなっている。  生存者たちの証言が、火葬に必要な時間のような技術的デティールにおいて互い に矛盾していることについて、IHRはしょっちゅう神経質な不平を並べてててい る。−−そのIHRは、自分自身の作り話さえ首尾一貫できていないのに!  IHRの見積りと実際の火葬時間(約30分)との不一致は、主として、IHRが 軍/産業的火葬と、日常の市井の火葬とを混同しているという事実による。  IHRが「プロの火葬技術者」と言う際には、ラゲイスのような人達を意味して いる。一度に一個の死体を棺桶ごと一つの焼却炉で焼却するのが仕事の人達だ。そ の焼却炉は、もっとも大きな骨さえも細かい灰に焼却して近親者が持ち帰れるよう にすべく設計されている。こうした状況が、第2次大戦中のアウシュビッツ・ビル ケナウの状況と比較できないのは明らかだ。  例えば、ラゲイスは、ある故人の遺灰を別の故人の遺灰と混ぜる、もしくは「い っしょくたにする(comingling)」など考えもしなかっただろう。ラゲイスとIH Rは、二体か三体の痩せ衰えた死体が一緒に「焼却室(muffle)」に入れらるケー スもあっただろうことを忘れている。もちろん、このようなことは市井の火葬を商 売とする施設では、けっして行われない。  その上、アウシュビッツの焼却炉は、継続運転するように設計されていた。先に 焼かれた死体群によって発生する熱エネルギーを使って、次の死体群のために炉を 熱く保つように設計されていたのだ。一日の最初に、コークスを燃やして適当な運 転温度に達した後は、運転のために追加する燃料はほとんど、もしくは一切必要と しなかった。この技術的達成については、詳しく記録されている(グットマン他の 「アウシュビッツ死の収容所の解剖学」 1994 pp.185-187ffを見よ)。  ラゲイスは、一体一体の死体を焼却する合間に「冷却」時間が必要だと主張して いる。このことは、焼却炉がどのように運転されていたかという部分についての、 彼の根本的な無知を露呈している。ラゲイスは、継続運転はアウシュビッツの焼却 炉に故障を引き起こしただろうと主張しているのだが、ここでも彼は単に日常の市 井の火葬と軍/産業的火葬との違いを理解していないのだ。  その上、典型的な商業的火葬技術者は、炭化した肉体の痕跡すら残さないまでに 十分時間をかけて死体を焼却する。すなわち白骨状態にまで。そのようにしても、 それらのプロセスは、全体的な焼却時間を2時間から4時間にまで延長するだけで、 ラゲイスが主張したような6時間から8時間ではない。ラゲイスは、炭化物を残さ ないというような配慮が、ナチスにおいては重要ではなかったということを失念し ている。が、このような間違いその他は、疑問45番への回答で取り上げられている。  これらの間違いはさておいて、焼却炉での焼却時間については、疑問の余地がな い。1939年、トプフ・アンド・サンズ商会は、ダッハウの焼却炉を建設する契約を 与えられたのだが、その焼却炉は、一焼却室あたり一時間で一つの死体を処理する 計算上の能力を有していた(同時に2つの焼却室を使える)。空気の導入圧を増す ことにより、商会は1940年7月には、一焼却室あたり一時間で二つの死体を焼却で きる焼却炉を生産していた(同じく、同時に2つの焼却室が使える)。一日に3時 間のメンテナンスが必要であり、これはIHRが疑問45番で主張している一日12時 間とはほど遠い。(グットマン他の前掲書 pp.185-186,189-190を見よ)  アウシュビッツ・ビルケナウに最終的に備え付けられたクレマトリウム(三鷹注: ガス室と焼却炉との複合施設)は、大規模なものだった。一焼却室あたり複数の死 体を半時間で焼却する以上の能力があった。そして、メンテナンス無しで何日間も ぶっつづけで運転可能だった。(ついには困難が生じ、これらの焼却炉のいくつか は、メンテ無しで何ヵ月も運転されることとなった) トプフ・アンド・サンズ商 会は1951年に特許を与えられている。その特許はなおも、一個の焼却室が一個の死 体を半時間で焼却可能だと述べている。  クレマ2の焼却炉の写真がニツコーで入手可能である。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa44.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa42.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>43.なぜ強制収容所は火葬炉を備えていたのか? *IHRの主張  流行性の発疹チフスによる死体を能率的かつ衛生的に処理するため。 *ニツコーの回答  ……そして、大量ガス殺計画のため。疑問45番への答えを見よ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ユダヤ人は宗教的理由により火葬を嫌うそうです。「ホロコースト」という言葉 は、犠牲動物を火にくべて神に捧げる「燔祭」に由来します。単に民族に対する大 量虐殺をなしたばかりではなく、その死体を焼くという神への冒涜行為さえ行った、 という非難を込めたものである、とのこと。  火葬を嫌うのは欧米のキリスト教徒も同様で、特に土地の余っているアメリカで は、現在でも「土葬」が基本です。故にロメロの「ゾンビ」のような映画が成立す るのですが、これは余談。  火葬を特殊な葬法とし知識に乏しい欧米人とは別に、仏教の伝統に基づく火葬が 普通の日本人から見れば、「6時間から8時間」必要だというラゲイスの主張が馬 鹿げていることは明白でしょう。三鷹がつい最近近親者の火葬で経験したところに よれば、火葬場到着から骨を拾うまで1時間もかかりませんでした。もちろん骨が 拾えるほどに冷えるまでの「冷却時間」も含まれています。実際の焼却時間は15分 から20分ほどではなかったでしょうか。また、日本流に「お骨拾い」をするため、 骨の形がきれいに残るように焼くには、比較的低温で時間をかけて焼き上げねばな らない、という話も聞いたことがあります。単に骨灰にするだけなら、ずっと短い 時間で可能だ、と。  ナチスの死体焼却炉を現代日本の火葬炉と単純に比較する愚は避けたいものです が、「常識」を判断の助けとする場合の参考になるとも思います。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa45.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa43.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1274/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/19 17:20 ( 44) ニツコー>66Q&A44番              三鷹板吉 ★内容 44.ドイツ支配地域のすべての収容所のすべての火葬施設を100%稼働させたとし   たら、このような火葬施設が運転されていた期間全体で、最大何体の死体を焼   却することが可能か? *IHRの主張  約430,600体。 *ニツコーの回答  この誤った数字は、いくつかの間違いを重ねた結果である。死体一体あたりの焼 却時間とメインテナンスの必要についての間違いは、疑問42番への回答中で示され ている。焼却室一個あたりの死体数についての間違いは、疑問45番への回答中で示 されている。  理論上の焼却数を検討することは、参考になり得る。もしも、理論的な処理能力 が多くの理由で達成できなかったことを思い出すならば。だがもしも、100%の稼 働を仮定し、メンテナンスのための休止時間が無かったとして、理論上の焼却数が どれほどたり得たか考察したいのならば、その数字は茫然とするほどのものだ。  ナチス収容所のすべてを見る必要はない。アウシュビッツ・ビルケナウ収容所だ けを考察してみよう。事実、そこにあった最大規模の焼却施設五つのうち、二つだ けを考察してみればいい。これらの二つの焼却炉だけで、その見積り上の処理能力 を一日24時間、設置された1943年4月から任を解かれた1944年11月までフル稼働さ せたとしたら、170万体以上の死体を焼却可能だったのだ。  これは、ナチス自身が見積もった焼却炉の処理能力に基づく、単純な計算である。 記録文書の写真を見るか、プルサックの「アウシュビッツ:技術と運用」 1989年 p.247を見よ。  ナチスが後には、焼却炉の理論上の処理能力があまりに非実際的だと理解しはじ めたということをチェックしておこう。そして、ナチスは、1942年後半から一つの クレマトリウム(三鷹注:ガス室と焼却炉との複合施設)あたりの処理見積りを、 1440人から800人に下げたのだ(グットマン他の「アウシュビッツ死の収容所の解 剖学」 1994年 p.212を見よ)。この、より正確な数字によれば、このアウシュビ ッツの二つの焼却施設で20ヶ月の間に焼却可能だった死体数は、100万体に少し足 りない。  これは現実と一致する。死体焼却が可能な他のクレマも存在したということ、ひ とえに処理する死体数の多さゆえに焼却炉がしばしば酷使されすぎ、戸外の穴での 死体焼却も必要だったということも分かっているからだ。疑問41番を見よ。総計で、 110万人から150万人の人々がアウシュビッツで殺され、その死体は焼却された。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa46.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa44.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1275/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/19 17:21 ( 55) ニツコー>66Q&A45番              三鷹板吉 ★内容 45.火葬炉はぶっ通しで100%稼働可能なのか? *IHRの主張  可能ではない。50%が通常の見積もりだ(一日12時間)。火葬炉を酷使する際に は、定期的にすみからすみまで清掃しなければならない。 *ニツコーの回答  この回答は包括的なもので、Q&A42番、43番、44番をカバーしている。  最初に、それがどのくらいの規模のものだったか知るために、クレマ2の焼却炉 の写真を見てみよう。それらは巨大だった。ツンデルサイトがこれらの大量火葬用 建造物を「ニワトリ小屋」と描写しているということを留意しておこう。  アウシュビッツには5つのクレマ(三鷹注:クレマトリウム。ガス室と焼却炉の 複合施設)が存在した。クレマ2とクレマ3は、それぞれ五つの巨大な焼却炉を備 えていた。それぞれの焼却炉は「三連焼却室」を備えており、同時に三体の死体を 焼くことが可能だった。それらの焼却炉は、特に、多くの死体を連続して焼く場合 に効果的にすみやかに焼却可能なように設計されていた。  焼却炉は三個の焼却室を備えるよう設計されていたが、ほとんど常に各焼却室に 二体か三体の死体を入れることができた。多くの子供たちがいたこと、また犠牲者 のうち少なからぬ者は、何ヵ月もアウシュビッツに入れられ、極度の栄養不良状態 に陥った収容者たちだったことを思い出してほしい。ナチスは70キロから100キロ の動物の死体を一個の「ユニット」として一個の焼却室で焼却可能だとしていた。 それが体格のいい人間一人だろうが、小柄な三人だろうが、技術的に言えば無関係 だった。アウシュビッツ所長ルドルフ・ヘスは、ゾンターコマンド(三鷹注:死体 処理に従事させられたユダヤ人の囚人部隊)は、それぞれの焼却室に二体か三体を 入れるのが常だった、と証言している。(グットマン他の前掲書 pp.236,166,180n 55を見よ)  疑問42番でIHRが主張しているのとは反対に、焼却炉はどれも死体群を30分か ら、最大でも45分で焼却した。このことは目撃証人により確証されているのみなら ず、さまざまな焼却作業に関するナチスの多数のメモによっても確証されている。  以下はクレマトリウム2一つだけの計算である。  5焼却炉それぞれに3焼却室、それぞれの焼却室は2もしくは3の死体を同時に 入れられる(2として計算する)、それを半時間で焼却する。結果として、24時間 で1440体の死体を灰にできる。5×3×3÷1/2×24=1440  1943年6月28日付けのベルリンのSS大将カムレルに宛てられたメモが押収され ているが、そのメモはアウシュビッツ・ビルケナウにおいて1日に処理可能な死体 数を引用している。4756体だ。これは明らかに以上の計算による一日24時間作業に 基づいている。クレマ2の処理能力を1440体として引用していることから、そうと 分かる。記録文書の写真か、プルサックの「アウシュビッツ:ガス室の技術と運用」 1989年 p.247を見よ。これが実際にはけして達成されなかった理論上の最大値を意 味し、焼却壕での追加火葬の助けが必要だったか、あるいは、実際に達成された数 字であり、おそらく絶滅作戦の最悪の時期を通じて実行されたものなのか、歴史学 者と専門技術者の間に論争が行なわれている。それはともかくとして、一日184体 というラゲイスの主張(ロバート・レンスキー「裁判でのホロコースト」 1990年 p.252)は、正確さにおける基本的レベルさえ満たしていない。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa47.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa45.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1278/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/20 21:29 ( 63) ニツコー>66Q&A46番47番            三鷹板吉 ★内容 46.一体の死体を火葬したら、どのくらいの分量の灰が残るのか? *IHRの主張  骨を粉にした後には、靴箱一杯ほどだ。 *ニツコーの回答  これは正しい。靴箱一杯ほどである。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa48.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa46.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>47.もしも、600万人もの人間がナチスによって焼却されたなら、灰はどうなった   のか? *IHRの主張  この問題は「説明」されるべきものとして残されている。600万もの死体ともな れば文字通り何トンもの灰を生じる。なのに、そのような灰が大量に残っていたと いう証拠は存在しない。 *ニツコーの回答  やや不誠実である。600万もの死体が焼却されたと主張している人間はいない。 東部戦線後方では、人々は単に射殺されて大量埋葬壕に埋められた。  ともあれ、何百万もの死体が焼却された(一度大量埋葬壕に埋められ、後に掘り 出されたものも含む)。灰を始末するのはきわめて簡単だった。灰は野原や川に投 げ捨てられた。灰に毒性はない。どこにでも投げ捨てられるのだ。事実、灰はよい 肥料となる。アウシュビッツの周囲の農民が人間の灰を畑に撒いたということが、 詳しく記録されている。  大きなトラック1台に靴箱がいくつ入るか計算してみよう。何万個も入るだろう。 そのトラックの積荷を次から次へと川や野原に捨てるのに、何の面倒があろう?  アウシュビッツは川に隣接して建っているし、近くには大きな沼沢地もあった。事 実、戦時中撮影された航空写真には、絶滅収容所施設のすぐ外の沼沢地に捨てられ た、大量の人間の灰とおぼしきものが写っている。  比較のために、スターリンや毛沢東が何千万もの人間をさまざまな方法で殺した ことを否定する人間はいないということを考えてほしい。どこに死体の堆積がある のか、と尋ねる「リビジョニスト」はいない。「リビジョニスト」の焦点はナチス のホロコーストにのみ絞られている。これはなぜだろう? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  最後の一項は、IHRなどホロコースト否定者が自分たちのことを「リビジョニ スト(歴史見直し論者)」などともっともらしく称しているにもかかわらず、その 「見直し」は膨大な歴史的事実の中でただ一個、ナチスによるホロコーストしか対 象としていないのではないか、という皮肉です。実際には、そういう非難に対応す る意味もあってか、IHRはホロコースト以外の歴史的事実に対する「見直し」も 多少は行なっています。  ともあれ、IHRの最重要目標がホロコースト否定であり、それによる「ナチス の免罪」であることは誰の目にも明らかでしょう。その彼らが、アカデミズムのマ ットウな歴史学者諸氏(すなわちIHRを相手にだにしない大多数の歴史学者)に 対して「シオニズムにコントロールされている」云々と根拠レスな誹謗中傷をなす ・・・あきれるとしか言いようがありませんが、彼らがなさんとしているのが歴史 学研究とはほど遠い政治的プロパガンダだと考えれば、その厚顔無知ぶりも分から ぬでもありません。  そのような事情を知りもせず、単に乗せられて騒いでいる同調者については、そ うですねえ、「不自由なヒト」としか表現できませんね。いろんな意味で(笑) </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa49.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa47.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1279/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/20 21:37 ( 77) ニツコー>66Q&A48番              三鷹板吉 ★内容 48.連合軍による戦争中のアウシュビッツの写真(ガス室と火葬施設がフル稼働し   ていたとされている期間の)に、ガス室は写し出されているのか? *IHRの主張  いない。事実、これらの写真には、収容所を常に覆っていただろう莫大な量の煙 の痕跡さえ写し出されていない。また、死体が焼却されたと強弁されているところ の、戸外の穴があった証拠もない。 *ニツコーの回答  最初に、アウシュビッツ上空の偵察飛行はごくわずか、きわめてまれにしか行な われなかったということを理解してほしい。1943年末から1944年のはじめにかけて、 連合軍は油脂生産施設への爆撃を開始した。それにはアウシュビッツ3の中小規模 の石油化学プラントも含まれる。アウシュビッツ3すなわちモノヴィッツは、アウ シュビッツ2すなわちビルケナウにあったガス室から、4キロメートルほど離れた 衛星収容所だった。  連合軍の爆撃機と掩護の戦闘機は、1944年4月に至るまで、モノヴィッツに到達 するほど十分な行動半径を有しなかった(ギルバートの「アウシュビッツと連合軍」 1981年 p.191を見よ)。4月4日に撮影されたこのエリアの偵察写真は、偶然にビ ルケナウを含んでいた。20枚の写真が撮影された。うち3枚にアウシュビッツ・ビ ルケナウが写っている。この日時以後、火葬施設が破壊されるまでの間に、あと4 回の飛行しか行なわれていない。1944年5月31日、6月26日、8月25日、9月13日 だ。全体でも、ビルケナウの写真はきわめてわずかしか撮影されていないし、その 一部は使えるほど十分に詳細なものではない。  写真が進行中のガス殺作戦をたまたま捕らえたか否かは、偶然に左右された。8 月25日に撮影された一枚の写真には、列車からクレマ2とクレマ3の方へ歩く百人 ほどの行列が写っている。彼らを入れるため、クレマ2のゲートが開いている。否 定者は、彼らが「死体置場」への観光旅行の途中だったと主張するのだろうか?  同じ写真にガス室も写っている。その屋根にチクロンBを投入するための穴があ るのもハッキリ分かる。否定者はこれをどう説明するのだろうか? 死体置場はチ クロンBでは消毒できないことを思い出してほしい。この毒物はバクテリアには効 かないからだ。(ギルバート前掲書 pp.192-193の写真28を見よ)  投入孔はクレマ2とクレマ3のガス室にもついているのが見えるが、脱衣室には ついていない。否定者は、ガス室も脱衣室も両方とも死体置場だったと主張してい るのだが、穴の有無の違いをどう説明するのだろうか? なぜ片方には穴があり、 もう片方には無いのか? 穴のある方の部屋が、そこがガス室だったと1940年代か ら指摘されている部屋であるのは偶然の一致なのか? これらの写真が1970年代ま で機密指定されていたことを思い出してほしい。  他の写真には、クレマ3の背後に掘られた穴が写っている。何年も以前に、目撃 証人が穴での焼却がなされたと証言した、まさにその場所だ。これらの写真は1970 年代まで機密指定されていた。それが証言と一致するという事実は、証言に対する 強力な補強である。IHRの答えの最後の一文は、なんにせよ、あからさまな嘘で ある。  ところで、ホロコースト否定者は、このことを認めている。ゆえに、これはもう 一つの内部矛盾だとも認定できるだろう。「リビジョニスト」カルロ・マットーニ ョはプルサックへの返答で以下のように書いている。    航空偵察写真は、クレマトリウム5の中庭にある3.5メートルかける15メー   トルの3つの穴の一つで火葬が行なわれたことを示している。  繰り返すが、否定者は自分たちの作り話を首尾一貫させることに失敗している。  さて、写真に火葬施設から吐き出される煙が写っていないというのは真実だろう。 現時点で、我々はこの問題についてさらに調査中である。だが、もしも真実だとし ても、それは、飛行が行なわれた日に死体は焼かれていなかったということを意味 するだけだ。アウシュビッツ・ビルケナウの航空写真は、1944年全体を通して5日 分しかない。そのうち何枚かには火葬施設が写っていないから何の証明にもならな い。  そして、この写真が示す事実は、ホロコースト否定者の立場への多大なダメージ となっている。もちろん、だから否定者はその事実に関して嘘をついているのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ガス室の屋根の投入孔が確認できる航空写真があるというのは、実は三鷹も初耳 です。航空写真については、以前に西岡さんから何度か「講義」を受けました。そ の際に「煙の不在」はさんざん聞かされましたが、「穴の存在」については話題に も上がりませんでしたっけ。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa50.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa48.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1282/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/22 13:36 ( 69) ニツコー>66Q&A49番50番            三鷹板吉 ★内容 49.1935年のドイツの「ニュルンベルク法」の主要な規定は何か? *IHRの主張  ゲルマン人とユダヤ人の通婚と性的関係を禁じたもので、同様の法律が現在のイ スラエルに存在する。 *ニツコーの回答  より反セム主義的な嘘と倫理相対主義だ。イスラエルにそのような法律は存在し ない(にもかかわらず、ユダヤ人とそれ以外の通婚例はきわめて少ないのだが)。  ニュルンベルク法はゲルマン人とユダヤ人の性的関係を禁じたのみならず、それ を死刑により罰した。−−そして数多くのユダヤ人がゲルマン人と性的関係をもっ たことにより、実際に処刑された。「ペッティング」でさえ死刑を宣告するのに十 分な理由だった。  1935年のニュルンベルク法は、個人同士の交際関係における数多くの事柄に影響 を与えた。その年の後半には、ニュルンベルク法の一つに基づいた、ある法令が布 告された(ヒルバーグの「絶滅の記録」 1971年 p.20を見よ)。    1935年9月15日の帝国市民法第3条(「帝国法律広報」1,1146)に基づき、   以下のように命令される。    第4条    第1項 ユダヤ人は帝国市民たりえない。ユダヤ人には選挙権が認められな        い。ユダヤ人は公職につけない。    第2項 ユダヤ人公務員は1935年12月31日までに解職される。  後者は、もちろん、ずっとあからさまなものである。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa51.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa49.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>50.ニュルンベルク法の先例となったアメリカの法律はあったのか? *IHRの主張  ナチスのずっと以前に、合衆国の多くの州では、異人種間の通婚と性的関係を妨 げる法律を制定していた。 *ニツコーの回答  これは推測にすぎないが、この法律を破った場合の罰は、アメリカとナチスドイ ツとでは同じではなかったように見える。ナチスドイツでは死刑だった。  なんにせよ、より無関係な倫理相対主義である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ユダヤ人−−というより、ユダヤ教を信仰しているというだけで、ドイツ国籍を 持ち、ドイツに生まれ育ったレッキとしたドイツ人−−の市民権を剥奪した悪名高 いニュルンベルク法に関するQ&Aです。  IHRはそれを「性関係の禁止」てなイエロージャーナリズム的局面に矮小化し た上で、倫理相対主義による免罪を試みているようです。  アメリカに関して言えば、「奇妙な果実」のごとく黒人へのリンチ殺人が半ば公 然と行われていた時代が長らくあったワケで、法律の条文が実際にどうだったにせ よ、その「不備」は、白覆面をかぶった熱意あふれる市民諸氏によるボランティア 活動で補われてきた、と皮肉ることも可能でしょう。  省みて日本について言えば、在日外国人の問題をニュルンベルク法と絡めて論じ る向きもあります。ドイツ国籍を有したドイツ人ユダヤ教徒に対するあからさまな 差別によるニュルンベルク法と、日本国籍を比較的簡単に取得できるにもかかわら ず取得しようとしない外国人(主に韓国・朝鮮人)に関する問題とをひとしなみに 論じることはできません。これもまた一つの「味噌糞問題」ですね。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa52.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa50.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1285/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 2 22:44 ( 62) ニツコー>66Q&A51番              三鷹板吉 ★内容 51.国際赤十字が「ホロコースト」の疑問に関して報告しなければならなかったの は、いかなることか? *IHRの主張  1944年9月の国際赤十字派遣団によるアウシュビッツ訪問の報告は、収容者たち は差し入れ小包を受け取ることを許され、ガス室の噂は確証することができない、 と指摘するものだった。 *ニツコーの回答  ガス室の噂は確証することができなかった。なぜなら派遣団は、ガス室と火葬施 設が存在したアウシュビッツのクレマを訪問することを厳重に禁じられていたから だ。派遣団は、アウシュビッツ収容所という巨大な複合施設の中の、絶滅対象とさ れていない囚人が収容されている箇所にのみ連れていかれた。連合軍の戦時捕虜が アウシュビッツに収容されていた。彼らは適切な待遇を受けていた。しかし、彼ら はガス殺について知っていて、国際赤十字の派遣団にそのことを示唆した。  一例として、前記のSS少尉ハンス・メンチ医師は、ニュルンベルク国際裁判で の証言の中で、このことを確証している(「主要戦争犯罪人の裁判」 1948年 第8 巻 p.313-321)。メンチは以下のように言っている。    私は民間人や赤十字委員会などによる収容所内のガイドつきツアーを何度と   なく目撃した。私は、これらのガイドつきツアーが、いかなる非人間的待遇を   も見ることがないように案内されるというような方法で、見事なまでに仕切ら   れるよう、収容所指導者が取り計らっていたことを確証できる。第1収容所の   みが見せられた。第1収容所の中でもいわゆる「展示ブロック」である第13ブ   ロックのみが見せられた。そこはこのようなガイドつきツアー向けに特別に準   備されていて、ベッドとシーツを備えた通常の兵舎のようにしつらえられてい   た。キチンと機能する洗面所まで備えられていたのだ。 (三鷹注:主要なクレマトリウムはこの第1収容所=狭義のアウシュビッツではな く、数キロ離れた第2収容所=ビルケナウに建設されていました)  皮肉なことに、絶滅に関係する施設を見せないというポリシーは、明記こそされ ていないが、IHR自身によっても確証されている。「ルフテル報告」において、 専門家とされているウォルター・ルフテルは、強制収容所所長らに宛てられたメモ に言及している。ルフテルによれば、以下のような内容だ。    売春宿とクレマトリウムは、収容所訪問を通じて見せてはいけない。これら   の施設については、収容所訪問者によって言及されることのないように…  ルフテルは以下のコメントを加えている。    つまり明らかに、その他のすべては見せてもかまわず、訪問者に言及されて   もかまわなかった。つまり論理的に、ガス室がもし存在したとしたら、見せら   れ言及されたということになる。でなければ禁止対象に含まれていただろうか   ら。  専門家とされているルフテルは「クレマトリウム」という用語が、複合火葬施設 を指しており、それには焼却炉のみならずガス室も備え付けられていたということ に気がついていない。  そうハッキリ書いてはいないが、ルフテルは自説に反する証拠を提示しているの だ−−複合火葬施設で何か国際赤十字に見られたくないことが起きていないなら、 なぜそれを隠す必要があったのか?  「ルフテル報告」は、ニツコーで、テキストファイルの形でオンラインで入手可 能だ。あるいはIHRのグレッグ・ラビンのウェブサイトのウェブページとして。 「赤十字」というテキストを検索せよ。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa53.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa51.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1287/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 3 21: 9 ( 84) ニツコー>66Q&A52番53番            三鷹板吉 ★内容 52.強弁されるところの600万人のユダヤ人が絶滅させられていた期間、バチカン の役割はいかなるものだったか? *IHRの主張  もしも絶滅計画が存在したなら、バチカンがそれを知る立場にあったのはほとん ど確実である。だが存在しなかったから、バチカンがそれに反対する声を挙げる理 由は無かった。 *ニツコーの回答  嘘だ。ナチスはカソリック教会を敵視し、ポーランドや他の地域で多数の聖職者 を処刑した。教会は無力であり、ナチスに影響力をおよぼすことは無かった。帝国 宣伝相ヨゼフ・ゲッペルスは、1942年3月26日付けの日記に以下のように記述して いる(ロシュナーの「ゲッペルス日記」 1948年 p.146を見よ)。    カソリック教会が、可能なあらゆる方法で破壊的活動を続け、空襲の恐れが   ある地域から疎開させられたプロテスタントの子供たちにプロパガンダを広め   さえしているのは、下劣なことだ。ユダヤ人に次いで、これら政治的聖職者ど   もこそが、我々がいまだ帝国内にかくまっている最悪のクズといったところだ。   戦争が終われば、この問題をすべて一気に解決する時が来るだろう。  あるいは、以下の記述を見よ。    1941年8月13日付け、ローマカソリック教会リムブルク司教より、帝国法務   相宛の手紙。   …週に何度か、これら数多くの犠牲者を乗せてハダマール(三鷹注:ドイツ西   部・ヘッセン州リムブルク近郊の州立ハダマール精神病院)にバスが到着しま   す。近所の学童たちはこれらの自動車のことを知っていて「殺人車が来たよ」   と言います。このような自動車の到着後、ハダマールの市民は煙突から煙がた   ちのぼるのを見ます。風向きによって、むかつくような匂いを嗅がされる時、   可哀そうな犠牲者に対する日頃からの同情の思いが、特につのらされます。当   地で実行されている行動指針の結果、子供たちは喧嘩の際に相手に向かって   「おまえのようなアホウは、ハダマールの焼却炉に放り込まれるぞ」などと悪   口を言っています。結婚を望まない人々や、その機会に恵まれない人々は「結   婚だって? 絶対に嫌だ。煙突行きにするために子供を生むなんて」と言いま   す。老人たちは「どんなことがあっても州立病院になんて行かないよ! 精薄   者の次には、老人がゴクツブシとされる順番なんだろう」と言っています。  最後の文章は、ナチスのいわゆる「ユーサネイジア(euthanasia)」すなわち 「安楽死」計画による、何万人もの精神障害者と知恵遅れの人々のシステマチック な抹殺を示している。(三鷹注:T4作戦のこと) </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa54.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa52.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>53.ヒトラーがユダヤ人絶滅の進行を知っていたという、いかなる証拠が存在する のか? *IHRの主張  存在しない。 *ニツコーの回答  疑問26番を見よ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  カソリック教会の反応は、ニツコーがここで言うほど単純明快なものではなかっ たようです。  ドイツ国内の障害者を絶滅対象としたT4作戦に対しては、リンブルク司教に限 らず反対の声を挙げた聖職者が多数いました。逮捕され、収容所に送られた司祭も います。やがてナチスはT4作戦を中止しますが、その理由の一つが彼らの抗議で あったことは間違いありません。T4作戦に対しては、教会は無力でもなければ、 ナチスへの影響力も十分行使できたのです。  でも、東部戦線後方で開始され、ポーランドの絶滅収容所で大々的に行なわれた ユダヤ人虐殺に対しては、カソリック教会はそこまでのパワーを発揮し得ませんで した。聖職者も含めてポーランド人の知識階級も、ナチスによる絶滅対象だったこ とが最大の理由でしょうが、カソリックの総本山たるバチカンが、各地の教会から ユダヤ人絶滅の報告を受けながらも、ナチスをその罪業で告発しようとしなかった、 というのは厳然たる事実なのです。その理由として、ユダヤ人に対してカソリック が伝統的に抱いてきた敵視を言挙げすることも可能でしょう。  また、カソリック教会内部に親ナチ組織があり、戦後ナチス幹部の逃亡を助けた、 という事実についても指摘しておきましょう。  キリスト教の他方のプロテスタントについては、多種多様な宗派があり、ひとし なみに論評できないのはカソリック以上です。三鷹には論ずるに十分な知識が無い のですが、プロテスタントの中に積極的にナチス翼賛活動を行なった聖職者たちも いたというのは確実です。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa55.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa53.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1288/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 3 21:10 ( 20) ニツコー>66Q&A54番              三鷹板吉 ★内容 54.ナチスとシオニストは協力しあっていたのか? *IHRの主張  戦前、ドイツはシオニストとの間で、ユダヤ人がパレスチナに大量の資本投下を することを認める協約を結んでいた。戦争中もドイツ人はシオニスト指導部と誠心 誠意の関係を維持していた。 *ニツコーの回答  「誠心誠意の関係」? 本当だろうか。ユダヤ人は絶滅すべき害虫であると繰り 返し公に宣言していた指導者との? 疑問1番に引用されたヒトラーの演説を見よ。  このQ&Aはもう一つの内的矛盾でもあるようだ。疑問11番12番への答えでIH Rは「ユダヤ」や「ユダヤ人」が第2次大戦が始まる6年も前にドイツに宣戦布告 したと言っている。ドイツ人は憎むべきユダヤ人に中傷されたのか、それとも、憎 むべきユダヤ人でさえ「誠心誠意の関係」を維持できるほどドイツ人は善良な人々 なのか、IHRはハッキリさせるべきだ。両立させるのは不可能なのだ。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa56.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa54.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1289/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 3 21:11 ( 42) ニツコー>66Q&A55番              三鷹板吉 ★内容 55.アンネ・フランクが終戦のほんの数週間前に死んだ、その原因は何か? *IHRの主張(オリジナル版)  発疹チフスである。 *IHRの主張(改訂版)  アウシュビッツでの収容生活を生き延びた後、彼女はベルゲン・ベルゼン収容所 で発疹チフスにより倒れた。終戦のほんの数週間前だった。彼女はガス殺されたの ではない。 *ニツコーの回答  アンネは、2年と30日間隠れ住んでいた8人のオランダ系ユダヤ人の一人に過ぎ ない。彼らは発見されナチスに逮捕されてアムステルダムからポーランドの死の収 容所に移送された。  アンネの父の仕事仲間だったヘルマン・ヴァン・ペルスは、1944年9月6日にア ウシュビッツ・ビルケナウに到着した集団ごとガス殺された(オランダ赤十字調書 103586号)。彼の妻は「1945年4月9日から5月8日の間にドイツかチェコスロバ キアで」死んだ(オランダ赤十字調書103586号)。彼らの息子ペーターは、アウシ ュビッツからの強制行軍の後、1945年5月5日にオーストリアのマウトハウゼン強 制収容所で死んだ(オランダ赤十字調書135177号)。  アンネ一家の友人だったフリードリッヒ・プフェフェル博士は、1944年12月20日 にノイエンガンメ強制収容所で死んだ(オランダ赤十字調書7500号)。  アンネの母は1945年1月6日にアウシュビッツ・ビルケナウで死んだ(オランダ 赤十字調書117265号)。アンネと姉のマーゴットは1945年3月頃、ベルゲン・ベル ゼン強制収容所で発疹チフスで死んだ(オランダ赤十字調書117266号、117267号)。 8人のうちただ一人、アンネの父オットー・フランクのみが生き残った。  オットー・フランクの仕事仲間だった二人の非ユダヤ人、ヨハネス・クレイマン とビクトル・グスタフ・クグレルも同様に、フランク一家を助けた件で逮捕された。 二人ともドイツでのArbeitseinsatz(労働奉仕)を宣告され、大戦を生き延びた。  オランダ赤十字に関するリファレンスはすべて、アンネ・フランクの「アンネ・ フランクの日記:校訂版」 1989年 pp.49-58に引用されている(引用全文が入手可 能)。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa57.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa55.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1291/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 5 4:58 (104) ニツコー>66Q&A56番              三鷹板吉 ★内容 56.「アンネ・フランクの日記」は本物か? *IHRの主張(オリジナル版)  本物ではない。スウェーデンのディトライブ・フェルデラー(Ditlieb Felderer) とフランスのロベール・フォーリソン(Robert Faurisson)によってまとめられた 証拠は、この有名な日記が捏造文書であることを最終的に確定した。 *IHRの主張(改訂版)  本物ではない。フランスのロベール・フォーリソンによってまとめられた証拠は、 この有名な日記が捏造文書であることを確定した。 *ニツコーの回答  ディトライブ・フェルデラーは悪名高いネオナチで、人種間憎悪を煽り立てるプ ロパガンダを流布した罪で、スウェーデンの刑務所に入っていた人物だ。彼がやっ たことで一番有名なのは、ヨーロッパのユダヤ人に髪の毛の切れ端を郵送して、そ れがガス殺されたユダヤ人から刈り取った髪の毛だと証明できるかと皮肉たっぷり に質問したことだ。彼は、また、セックスとナチスによる殺人を扱った、吐き気を もよおすようなパンフレットを多数執筆している。中でもここに転載するには非道 すぎる代物は、シアン化ガスが女性器にどのような影響を与えるか(皮肉たっぷり に)描写するものだ。  フェルデラーが「まとめた」「証拠」の一部は、以下のようなものだ。この中で 彼は皮肉を込めて、アンネの日記はすべて捏造されたものではありえない、なぜな らユダヤ人が書いたもののように見えるからだ、と論じている。   アナル・コンプレックス    我々が思うに、なぜアンネ・フランクの日記を全体的に作り話として片付け   られないかというもう一つの有力な理由は、日記が肛門と排泄物に夢中になっ   ているということだ。これはユダヤ人の多くの典型的な特徴である。ポルノグ   ラフィーと糞便に関する夢想が常に彼らを魅惑している……ユダヤ人の著作は、   生殖と排泄機能についての物語を注ぎ込まれてきた……   …これら排泄物への熱中が著者もしくは著者たちの一部の空想にすぎないとい   う議論を捨て去ることができないとしても、この物語が本物で原著者の主要な   思考を部分的に反映していると信じるに十分な理由が有る。物語がでっちあげ   だったとしても、それにもかかわらず、物語はみごとにこの古い文化的民族の   アナル・コンプレックスを表わしている。  IHRが改訂版でフェルデラーへの言及を削っていることをチェックしよう。こ こでもまた、リビジョニズムは反セム主義的分派から距離をおこうとして、このよ うな人々とのつながりを放棄するか、少なくとも放棄するふりをしなければならな いのだ。  ロベール・フォーリソン博士は、少なくともフェルデラーのように不作法ではな い。だが彼は歴史学者でもなければ、修辞学の専門家でも、筆跡学の専門家でもな い。彼はリヨン大学の文学教授だった。アンネ・フランクの著作の信憑性に関する、 この「主要なホロコーストの権威」の証言は、フランクフルトOberlandesgericht (高等裁判所)により、1979年に却下された。  1981年、フォーリソンはフランスの裁判所に召喚された。ラジオやさまざまな出 版物で彼が述べた、ガス室などけして存在しなかったとの主張を、実証させられる ために。フォーリソンは執行猶予3ヶ月を宣告され、名誉毀損、差別と人種間憎悪 と人種間暴力を扇動した件に対する罰金と慰謝料の支払いを命じられた。この判決 は控訴審で確定した。  何が証拠を構成するかについてのフォーリソンの珍妙な感覚は、ミシェル・シェ ルマーのリビジョニストに対する公開書簡の中で、見事に描写されている。  1981年、オランダ国立戦時資料館は、アンネ・フランク自筆の日記を、真贋鑑定 のため、法務省所属のオランダ国立法科学研究所に提出した。国立法科学研究所は 使用されている物質−−インク、紙、糊など−−と筆跡を調査して、270ページの 報告書を発行した。    国立法科学研究所の報告は、アンネ・フランクの日記の両バージョンがとも   にアンネ自身によって1942年から1944年の間に書かれたということを、異論の   余地無く論証した。日記が他の誰かによる(戦後もしくは戦前の)作品だとい   う申し立ては、ゆえに最終的に反駁される。    さらに、校正と省略にもかかわらず、「アンネ・フランクの日記」(すなわ   ち日記の出版されたバージョン)は、事実アンネの著作の「本質」を含有して   いる。この本の編集者や出版者の仕事に関して「偽造」という用語が適用され   る余地はまったく存在しない。  アンネの日記に対する一番ありふれた難癖は、日記にはボールペンによる記述が 含まれており、ボールペンが一般的に使用されるようになったのは、アンネの死後 だというものだ。これは、偽瞞ながらも、しつこく持続している神話である。日記 中の唯一のボールペンインクは、アンネ以外の人間によって挿入されたと分かる紙 片に記されたものだ。言うまでもなく、アンネ自身の記述は、ボールペンを使った ものではない。  アンネ・フランク「アンネ・フランクの日記:校訂版」 1989年 pp.96,166を見 よ。(引用文全文が入手可能である) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  「アンネの日記」を巡るホロコースト否定者の動向については、デボラ・リップ シュタットの「ホロコーストの真実」巻末付録でも一章を立てて述べられています。 日記がハリウッドで映画化された際に、複数の脚本家の間で著作権を巡ってのトラ ブルが発生し、裁判が行なわれました。生き馬の目を抜くショービジネスの現場に おいては、きわめてありふれた話であり、日記それ自体の価値をおとしめるもので はまったくないのですが。否定者は、このトラブルを主なネタとして「偽造説」を でっちあげた、とリップシュタットは解説しています。  フェルデラーやフォーリソンに対して下された刑罰は、公権力による「言論・表 現の自由」の制限であり、三鷹はそのような制限には反対である、ということを申 し添えておきましょう。ナチズムや人種差別思想に基づくものも含めて、どんな妄 言も暴論であっても、発言者の責任において発言し発表する「自由」は保証される べきだ、と考えるからです。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa58.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa56.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1292/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 5 4:59 ( 59) ニツコー>66Q&A57番              三鷹板吉 ★内容 57.ドイツの強制収容所で撮影された、痩せ細った死体の山を写した膨大な写真や 映画フィルムに関してはどうだ? これらは偽造なのか? *IHRの主張  その通り、写真は偽造可能だ。だが、単に写真やフィルムの断片に、実際に写っ ているものとは異なるキャプションやコメントを加える方が、はるかにたやすい。 痩せ細った死体の山は、これらの人々が「ガス殺」された、もしくは計画的に餓死 させられたということを意味するのだろうか? あるいは、これらの人々は猛威を 振るった流行性発疹チフスの犠牲者であるか、戦争末期の収容所の食料不足のせい で飢えていたということを意味しえなかったか? 連合軍の爆撃で殺されたドイツ の女性やこどもたちの死体の山を写した写真が、ユダヤ人の死体だと偽られていた。 *ニツコーの回答  死体の山はナチスがジェノサイドを行なった証拠ではない、とIHRが述べるの は、おかしな話だ。疑問1番のオリジナル版の答えの中でIHRは「服の山」に言 及し、もしもそのようなものが存在したなら、それは事実、証拠となっただろうと ほのめかしている。服の山は証拠だが、死体の山は証拠ではないのか?  連合軍兵士がやってきてドイツ人の死体を集め、それらを収容所に運んだ上で写 真に撮った、という暗黙の主張をもIHRの回答に見て取ることができる。この不 合理を補強する証拠が何かあれば良いのだろうが、もちろんそんな証拠は存在しな い。  数多くの飢えた人々は、ナチスがきわめて高い優先事項として、囚人に食べもの を与えなかったことの証拠である。ベルゼン収容所の近くでは、何百トンもの食料 がしまいこまれていたのが発見された。そこからわずか数マイル離れた収容所では、 何万人もが餓死したというのに。この話題についてもう少し詳しく知りたければ、 疑問37番を見よ。  殺人ガス室については、それが存在し使用されたことをハッキリと指し示す証拠 が他にもいくつも存在する。初心者向けには、疑問1番を見よ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ここらへんのヤリトリを読んでIHRもニツコーも「どっちもどっち」という印 象を受けるかもしれません。IHRの主張はあまりにレベルが低すぎ、まともに相 手しようとすると、同様の低レベルに堕ちてしまう危険性があるということでしょ うか。誰かさんの相手をしている三鷹も同じだな(笑)  「写真は偽造可能だ」など、一般論として主張しても何の説得力もありません。 どの写真がどのように偽造され、どのような偽りのキャプションで飾られたか、そ れを具体的に指摘しなければ意味がない。まあ、IHRにそれが出来るのならばと うの昔にやっているのでしょうが。  IHRの言う、爆撃で死んだドイツ人の死体をユダヤ人犠牲者と偽った写真とい うのは、実際にあったのかもしれません。どこと分かる背景が入っていなければ、 ニツコーが言うように収容所内に死体を運び込んで嘘写真を撮影する必要はないで しょう。でも、疑問37番で紹介されているベルゲン・ベルゼンの写真やフィルムは、 そんな下らない言い訳で言い逃れることができるようなもんじゃありません。  写真の偽造については「歴史写真のトリック」(A・ジョベール 朝日新聞社) という本があります。ナチスからソ連、中国など全体主義国家の「報道写真」の偽 造の実態について、写真その物を具体的に紹介したものです。スターリンが粛清す るたびに、レーニンを囲む革命家たちの古い記念写真から、一人、また一人と「同 志」が消え去っていく…。なかなか面白い内容でした。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa59.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa57.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1294/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/ 6 3:38 ( 50) ニツコー>66Q&A58番〜60番           三鷹板吉 ★内容 58.誰が「ジェノサイド」という用語を考案したのか? *IHRの主張  ポーランド系ユダヤ人のラファエル・レムキン(Raphael Lemkin)が、1944年に 発表した著書で。 *ニツコーの回答  この答えは明白な論点を巧妙に回避している。なぜレムキンはこの用語を発明し たのか? という論点を。  IHRの回答が真実なのか偽りなのか、我々には分からない。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa60.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa58.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>59.「ホロコースト」や「戦争の嵐」のような映画は、ドキュメンタリーなのか? *IHRの主張  違う。これらの映画は、それが歴史だとは主張されておらず、むしろ歴史を「ベ ースにした」架空のドラマだとされている。不幸なことに、これらの映画を、実際 に起こった通りの歴史の正確な再現だとみなす人々が多すぎる。 *ニツコーの回答  収容所を撮影した信頼できる映画が多数存在する−−連合軍やソ連軍により撮影 されたものだ。むしろぞっとするようなものだが、全体として歴史の正確な再現で ある映画のいくつかは、フランシス・スミスの「ホロコースト映画展示会」で観る ことができる。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa61.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa59.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>60.「ホロコースト」について作り出された標準的な主張のいくつかの側面を論破 する本は、だいたい何冊ぐらい出版されてきたのか? (三鷹注:要するにホロコーストを否定するIHRのパンフみたいな内容を含む本 のこと) *IHRの主張(オリジナル版)  少なくとも60冊。さらに多くが製作途中である。 *IHRの主張(改訂版)  何ダースも。さらに多くが製作中である。 *ニツコーの回答  現在は、おそらくこの冊数はさらに多くなっているだろう。だが、哀れむべき嘘 をいくら繰り返しても、真実にはならない。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa62.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa60.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1308/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/14 3:49 ( 16) ニツコー>66Q&A61番              三鷹板吉 ★内容 61.ある歴史研究所が、ユダヤ人がアウシュビッツでガス殺されたことを証明でき た人間なら誰にでも、5万ドルの賞金を出そうとした時、何が起こったのか? *IHRの主張  賞金に値する主張だと認められた証拠は一つも無かった。だが、この研究所は、 賞金の申し出によって眠れなくなり仕事に損害を生じたと主張する「ホロコースト」 の生存者によって、1700万ドルの損害賠償訴訟を起こされ、「確定した事実への中 傷的否定」と申し立てられた。 *ニツコーの回答  その「歴史研究所」というのはIHRそれ自体のことだった。疑問5番への答え を見よ。 番号またはコマンド<FM>(M,S,F,H,Q,RBn,SCn,+n,-n,W,RP,RV,RT,TLn,AP,PF,J)=</P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa63.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa61.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1309/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/14 3:54 (103) ニツコー>66Q&A62番(その1)         三鷹板吉 ★内容 62.「ホロコースト」に疑問を呈するものは反セム主義者もしくはネオナチである という主張についてはどうか? (三鷹注:反セム主義(anti-Semitism)のセムというのはユダヤ人のことですの で、反ユダヤ主義と訳してもほとんど違いはないようです) *IHRの主張  これは、事実と誠実な議論から、注意をそらそうとするための中傷である。「ホ ロコースト」があったという主張に反駁する研究者たちの政治信条は多種多様だ− −−民主党支持者、共和党支持者、自由主義者、社会主義者、クリスチャン、ユダ ヤ人、などなど。「ホロコースト」への反駁と、反セム主義もしくはネオナチズム との間に相関関係は無い。事実、ユダヤ人研究者の間でも、「ホロコースト」があ ったとする証拠は非常に不足している、とおおっぴらに認める人間が増えつつある。 *ニツコーの回答  ホロコースト否定と反セム主義/ナチズムとの間には、きわめて強い相関関係が 存在する。このことを否認するのは、ホロコースト否定の出所がどこか分からない ようにするための、巨大な嘘である。  何百もの実例が提示可能だが、そのうちいくつかを示すにとどめよう。 *IHR、より正確にはIHRの母体となった団体の創始者は、ウィリス・カルト (Willis Carto)である。カルトは「リバティー・ロビー」と呼ばれるもう一つの グループを率いている。連邦判事ロバート・ボークは、リバティー・ロビーが反セ ム主義の「中核であり、事実それを意味している」と宣告した。  ウィリス・カルトは、ヒトラー、ユダヤ人、黒人について何と言っていたか、以 下に示す通りである(1971年9月10日付「ナショナルレビュー」p.979を見よ)。    ヒトラーの挫折はヨーロッパの挫折だった。そしてアメリカの挫折だった。   どうして我々は今まで目を塞がれてきたのだろうか? その責任は、国際ユダ   ヤにあるに違いないようだ。ドイツが何をやったのかについて、西側の目を塞   いできたのは、国際ユダヤのプロパガンダであり、嘘であり、彼らがそれを要   求したからなのだ。    ユダヤ人は「公衆の敵ナンバーワン」の一番手だったし、今もなおそうなの   だ。    アフリカのニグロ化が避け得ないことについて、ごく少数のアメリカ人しか   案じないように、革命主義者たちは取り計らってきた。 *IHRは近年、グレッグ・ラビン(Greg Raven)に率いられている。ラビンは19 92年に、ヒトラーは「偉大な人間であり…チャーチルとルーズベルトを合せたより 確実に偉大で…ドイツ起き得た最良のことに関してそうだった」と、公の場で述べ た。ラビン氏はhttp://www.kaiwan.com/~ihrgreg/misc/smear1.html.で、自分のヒ トラー観についての追加説明を用意している。 *世界でもっとも有名なリビジョニストの一人エルンスト・ツンデル(Ernst Zund el)は、厚顔無知な自称・国家社会主義者(ナチ)である。ツンデルはジョージ・ ダイエッツ(George Dietz)との共著で、フレドリック・クリストホフ(Friedric h Christhof)というペンネームを使って「我々が愛したヒトラー、その理由」と いう本を書いている。ツンデルの友人ミシェル・ホフマン(Michael Hoffman)の 「大ホロコースト裁判」(1985年 p.8)という本によれば、ツンデルのフルネーム は、エルンスト・フレドリック・クリストホフ・ツンデルなのだ。 (フレドリック・クリストホフ名義の他の出版物の中には、「ヒトラーの南極UF O基地の調査」を組織しようとするパンフレットも含まれている) (三鷹注:ツンデルは、UFOはナチスの秘密兵器だったという珍説を流布してお り、日本でも矢追純一あたりがネタ本にしています。欧米でホロコースト否定説を 信奉しているのが、はたしてどの程度の教育水準の人々なのか、かいま見えるエピ ソードですね)  「我々が愛したヒトラー、その理由」に関しては、ツンデルは「写真を提供した」 だけであり「大部分がダイエッツの著作」だとホフマンは主張している。(p.72)  それでも、ホフマンによれば、以下のことが分かる。(p.74)    (ツンデルは)自分は、国家社会主義者が第二次大戦中に残虐行為をいくつ   か犯したことを、自由状態で認めた最初の人間だった、と法廷において述べた。   だが、ツンデルにとって、ヒトラー党のまぎれもない根本的な善良さこそが、   否定しえないものであった。 (三鷹注:つまり、戦犯裁判において罪業を認めたナチは全員「自由状態」ではな く、拷問などの強制を受けていて、彼らの自白や証言は偽証だった、とツンデルは 主張しているのです) *そのミシェル・ホフマンは、カルトの新聞「スポットライト」紙のメディア批評 として、「スケプティック・マガジン」の出版者ミシェル・シェルマーに公開書簡 を出し、以下のように質問した。    私がイスラエルとパレスチナ人に関して、「フィンクルシュタインの小便」   をひっかけたと想像してほしい… (三鷹注:原文はFinklstein's Piss。Finkはアメリカ俗語でスパイとか裏切者と かの意味で、ナントカsteinというのはユダヤ人によくある姓(アインシュタイン など)なので、「裏切りユダ公のションベン」てな意味でしょうか。ユダヤ人に対 する侮蔑表現であるのは間違いないようです)  ホフマン氏はシェルマー博士に、彼が「真正の知識人のふりをした白痴野郎」だ と知らせようとしたのだ。彼の手紙には、ユダヤ人を露骨な戯画化で描いたステッ カーも含まれている。以下のような文句をつけて。    600万人を忘れるな! 600年間は!…思想犯罪防止:選ばれた吹き出物への   礼拝と服従 (三鷹注:選ばれた吹き出物Chosen PimpleはChosen Peopleすなわち神の選民=ユ ダヤ人のもじりでしょう。これもユダヤ人に対する侮蔑表現) (この項つづく) #1311/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 10:53 (148) ニツコー>66Q&A62番(その2)         三鷹板吉 ★内容 *著名なホロコースト「リビジョニスト」(アーヴィング(Irving)、フォーリソ ン(Faurisson)、ツンデル)は、ヨーロッパでのネオナチ集会や大会に姿を見せ ている。そこで彼らはジークハイル(三鷹注:ナチス式バンザイ)をする暴漢ども の前で演説した。 *ホロコースト否定の著作者フレドリック・バーグ(Friedrich Berg)は、COD OHのための推薦文の中で、ユーズネットで以下のようなコメントをなした。    カウフマン氏は明らかにユダヤ人であり、なぜナチスがユダヤ人をヨーロッ   パから除去しようと試み、除去できなかった残りを戦争の期間中強制収容所に   入れたかという理由を示す、生きた見本である。 (三鷹注:CODOHとはCommittee for Open Debate on the Holocaustの略称。 「ホロコーストに関する公開討論委員会」という名称はもっともらしいものの、そ の実態はホロコースト否定者の一人ブラッドリー・スミスが主宰する、「討論」な らぬ「否定」を目的とした組織です。IHRやツンデルとは一つ穴のナントカと言 えましょう)  バーグは他にも同様の反セム主義的、ナチス弁護の論をなしているが、ここに転 載するほどの価値はない。グレッグ・ラビンのウェブ・サイトで入手可能なインデ ックスによれば、バーグは少なくとも3本の記事を「ジャーナル・オブ・ヒストリ カル・レビュー」(三鷹注:IHRの機関誌)に書いている(バーグの妻は最近ま で翻訳者としてIHRで働いていた)。記事の少なくとも1本は、IHRのウェブ ・サイトでオンラインで読める。 *ディトライブ・フェルデラー(Ditlieb Felderer)のポルノ的な反セム主義は、 いまだかつて書かれたものの中で、最も下品で胸糞の悪い嫌悪すべき代物である (疑問56番を見よ)。フェルデラーは歴史見直し研究所(IHR)が出版した最初 期の雑誌4冊に、5本の記事を書いている。そのうち1本は創刊号に掲載された。 *サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)は、ドイツにおけるナチズム とネオナチズムの広まりを追跡するという辛辣な作戦の一部として、偽の「極右雑 誌」を立ち上げた。雑誌の電話番号は、少数の地下活動中のゴリゴリのナチにのみ 教えられた。それによって、ナチ同士の接触が追跡できるだろう、と。そのすぐ後 に、IHRの機関誌の編集者マーク・ウェーバーが、この番号に電話をかけてきて、 予約購読を申し込んだ。つまり、ドイツのファシストの中核と、アメリカのホロコ ースト否定者、特にIHRの間には、緊密な連絡関係が確立しているのだ。より詳 細なエピソードがオンラインで入手可能だ。スヴォレイ他著の「ヒトラーズシャド ウ」(1994年)という本でも読むことができる。この本は、ウェーバーとの接触を 行なった潜入エージェントとの共著によるものである。 (三鷹注:邦訳書「ヒトラーズシャドウ」(ヤーロン・スヴォレイ、ニック・テイ ラー共著 尾島恵子訳 小学館) スヴォレイはイスラエル人で、個人的なボラン ティアとしてSWCの作戦に協力しました。ウェーバーのネオナチ疑惑については、 パンドラ#1124以降の三鷹と西岡さんのヤリトリも参考になるでしょう。そこに出 てくるロン・フューリーというのがスヴォレイの潜入捜査用偽名です) *ホロコースト否定者ジャック・ワイコフ(Jack Wikoff)は、白人パワーを示威 するデモ行進をニューヨーク北部地方で組織している。ワイコフはマーチン・ルー サー・キングの誕生日を「Marchin' Lootin' Coon Holiday(黒んぼ略奪行進記念 日)」と称し、ポスターを発行した。黒人とユダヤ人の露骨なカリカチュアが「お 前らの怒りはどこへいった、白人アメリカよ?」と問いかけているポスターだ。ワ イコフは少なくとも7本の書評と1本の記事をIHRの雑誌に書いている。IHR のホロコースト・カレンダーによれば、ワイコフは大学の学生にホロコースト・リ ビジョニズムを講義している。 *黒人、ユダヤ人、アジア系その他のマイノリティーの「再配置」を主張する「白 人向上国民協会」(NAAWP)のような団体の主要なテーマの一つは、ホロコースト 否定である。 (三鷹注:NAAWPは白人至上主義の極右組織。彼らの言う「再配置」(relocation) というのは「排斥」と同意。要するに、白人以外はアメリカから出て行け、という 主張です) *レーベン・ログスドン(Reuben Logsdon)という名前のスキンヘッドの若い人種 差別主義者が立ち上げたウェブ・サイトには、クー・クラックス・クランのインペ リアル・クラリッフがKKKに関する質問に答える、というようなページがある。 ログスドンは、ホロコーストを否定する多数のウェブ・ページをも開いている。と はいえ、ログスドンは自分が、事実、ホロコーストがあったことを疑ってはいない、 と公に認めている。−−彼は、人種差別主義者たちを楽しませるために、ホロコー スト否定の材料を提示しているだけだ、と。両者は無関係なのか? ログストン氏 にそのことを尋ねてみよう! (三鷹注:KKKは「見えない白人帝国」とかいうものを主張し、その帝国権力の 行使と称してユダヤ人にコールタールを塗ったり、黒人をリンチ殺したりしてきま した。Imperial Klaliffというのは、その「帝国」内部の階級名でしょう) *マーク・レミール(Marc Lemire)という名前の若者は、以下のようなテープが オンラインで入手可能だと、自分の電子掲示板システムで広告している。エルンス ト・ツンデル、デビッド・アーヴィング、フレッド・ロイヒターといった「リビジ ョニスト」の演説、アドルフ・ヒトラー、「ホワイト・アリアン・レジスタンス」 のリーダーであるトム・メッツガー(Tom Metzger)、ジョージ・リンカーン・ロ ックウェルの演説、そして「国家社会主義党の音楽と演説」。 *もう一人の若者、ミルトン・クレイム(Milton Kleim)と名乗る人間は、ホロコ ースト否定者であるのみならず、自称・国家社会主義者(すなわちナチ)でもある。 クレイムは彼が「国家社会主義党FAQ」と称している代物の著者である。そして クレイムは、仮にヒトラーが600万人のユダヤ人を殺したとしても、自分はヒトラ ーを賛美し続けるだろう、と主張している。  (ホロコースト否定と反セム主義やナチズムとが密接に関連していることを示す) 実例が、あとどのくらい必要か?  ニツコーは、ホロコースト否定者の全員が、反セム主義者もしくは人種差別主義 者(あるいはその両方)だと主張するつもりはない。だが、明白で重要な相互関係 など無いという主張は、ばかげている。  より重要なのは−−そして、どんなに強調してもしすぎることはないのは−−我 々は、こうした人々が人種差別主義者であり反セム主義者だという理由で批判して いるのではなく、彼らが間違っているから、そう指摘しているのだ。人種と民族性 についての彼らの意見とは無関係に、ホロコーストに関して彼らは間違っている。  ホロコースト否定を支持するとされる研究者が「ユダヤ人研究者の間でも増えつ つある」というのは、おそらくは、MITのノアム・チョムスキー教授(Noam Cho msky)のことを指しているのだろう。IHRは、自分たちの馬鹿げた学説をチョム スキーが支持していると主張する傾向があるが、これは嘘である。チョムスキーは、 フランスの「リビジョニスト」フォーリソンの言論の自由を擁護した。だが、チョ ムスキーは、ホロコースト・リビジョニズムそれ自体は完全に否定している。  この問題について、チョムスキーは以下のように書いている。    私の意見はきわめて明快に述べられている。ホロコーストは、人類史上もっ   とも過激な残虐行為であり、もしも我々が、ナチ犯罪を否定したり微罪化しよ   うとしたがる人間との討論の舞台にあがろうとするなら、そのことだけでも、   我々は人間性を失うことだろう。  さらに、フォーリソンや他のホロコースト「リビジョニスト」の著作についての 意見を求められて、チョムスキーは以下のように答えている。    この問題の事実に関しての真正のホロコースト歴史学者(ヒルバーグ、バウ   アーその他)の結論を疑う、いかなる理由も私にはない。  ヒルバーグとバウアーは、よく知られたホロコースト歴史学者である。両人とも 多数の本や論文を書いている。言うまでもなく、二人とも、数百万人がガス室で殺 されたことを疑ってはいない。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  否定者でありながらネオナチではない、という実例は他ならぬ西岡昌紀さんでし ょう。彼がネオナチでも、人種差別主義者でも無いということは、1年近く「論争」 を行なってきた三鷹が保証します。  ただ、西岡さんの場合は、他人の言うことを簡単に信用しすぎる、という傾向が あります。元極右であるIHRのウェーバーが「転向した」と自称しているという 理由だけで、彼へのネオナチ疑惑は中傷だ、と信じ込んだり、否定説&ネオナチの 共存が誰の目にも明らかなツンデルのような例でも、リンケージを意図的に無視し たり、軽視したりする傾向ですね。(この二人とも、西岡さんは電話等で直接コン タクトをとっています)  ちなみに、西岡さんは三鷹同様「非白人」であり、ネオナチや人種差別主義者が 蔑称するところの「黄色いサル」の範疇に入るわけです。彼らから見れば、さぞか し道化て見えることでしょう。  前に和久井映見が主演した「ピュア」というTVドラマがありました。政治的な 話題に関しては西岡さんも、あのドラマと同じような意味で「ピュア」な人なんだ ろう、と三鷹は勝手に想像しています。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa64.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa62.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1312/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 21:24 ( 34) ニツコー>66Q&A63番              三鷹板吉 ★内容 63.歴史学者たちが「ホロコースト」の資料に疑問を呈した時、彼らにいかなるこ とが起きたか? *IHRの主張  彼らは中傷キャンペーンの対象となった。アカデミズムにおける地位喪失、研究 助成金の停止、財産の破壊と物理的暴力。 *ニツコーの回答  暴力は、言論に対する悲しむべき反応である。もちろん、暴力は非難されねばな らない。  だがそれにしても「歴史学者たち」というのは何のことだ? リビジョニストの 寄合いの中には、歴史学博士は一人もいない。フォーリソンは文学教授だ。ツンデ ルは写真を修正して商売している。バッツは電気工学教授、シュテーリヒは判事だ。 オキーフはハーバード中退で、コールは高校中退だ。ラビンはスタンド売りまんが 誌と自動車雑誌のライターをやっていた。  アーヴィングはジャーナリストで歴史作家だ。それにウェーバーは歴史学の修士 学位を持っている。他の「リビジョニスト」の歴史学者との距離も、彼らと同様だ。  皮肉なことに、アカデミズムの歴史学の学位を保有するごく少数の「リビジョニ スト」の一人は、ロイヒターなのだ。そのロイヒターは熟練技術者とされている! (ロイヒターの学位は学士号である) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  要するに、アカデミズムの歴史学者で、ホロコースト否定を主張する人間は一人 もいない、ということです。念力やテレパシーを真面目に研究している物理学者も いるそうですから、アカデミズムにおけるホロコースト否定の扱いは、超能力やオ カルト以下、ちうことになりますか(笑) </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa65.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa63.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1313/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 21:24 ( 25) ニツコー>66Q&A64番              三鷹板吉 ★内容 64.歴史見直し研究所(IHR)は、言論の自由と学問の自由を擁護するために努 力したことに対して、なんらかの報復を受けたのか? *IHRの主張  IHRは3回爆破され、1984年6月4日には犯罪的な放火攻撃によって完全に破 壊された。殺すぞ、と電話で脅されるのは、事実上、日常茶飯事である。新聞報道 はすべてIHRに対する敵意を持ったものだ。もし、なんらかの形で報道されると したらだが。 *ニツコーの回答  物理的な暴力は強く非難されるべきである。「敵意を持った報道」については、 ナチのシンパが何を期待しているのか?  エルンスト・ツンデルが、この66Q&Aを再掲示して、言論の自由を求める叫び を繰り返すに至っては、本当に虚しく響く。ツンデルが出版を助けたパンフレット は、読者を「『シンドラーのリスト』を上映禁止にするための、世界的キャンペー ンに参加せよ」と勧誘しているのに。  言論の自由、その通り、ただしツンデルが同意する言論に限る。もしも、IHR が自称しているような言論の自由の誠実な擁護者だとするならば、エルンスト・ツ ンデルに対して当然なすべき非難はいったいどこでやっているのだろうか? </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa66.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa64.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1314/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 21:26 ( 13) ニツコー>66Q&A65番              三鷹板吉 ★内容 65.なぜそちら(IHR)の視点はほとんど世間に伝えられていないのだろうか? *IHRの主張  政治的な理由で、体制側は「ユダヤのホロコースト」神話を巡る事実に関する綿 密な討論が行なわれることを望んでいないからだ。 *ニツコーの回答  違う。ホロコースト否定は不合理だからだ。「地球平面協会」も同様にあまり報 道されていない。その上、疑問62番への答えを見よ。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_mitaka.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa65.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1315/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 21:28 ( 56) ニツコー>66Q&A66番              三鷹板吉 ★内容 66.第2次大戦の歴史的見直し(リビジョニズム)の他の部分に関する事実と同様 に、「ホロコースト」物語の「別の側」に関する情報を、どこで入手できるのか? *IHRの主張  The Institute for Historical Review(三鷹注:IHR=歴史見直し研究所) P.O.BOX 2739,Newport Beach,CA 92659は、重大な歴史的問題に関する、多種多様 な本、カセットテープ、ビデオを提供している。(1995年1月更新) *ニツコーの回答  もしあなたがこの問題について「二つの側」が存在すると考えるなら、その両方 が検討されていることが分かるウェブ・サイトが一つだけある。ニツコーだ。  あなたはニツコーのフューチャーするものを読み終えるだけでよい。反セム主義 の膨大な文献、信頼性ゼロのプロパガンダから、ポイントポイントの、我々のコメ ントとともに。ニツコーは、グレッグ・ラビンのウェブ・サイトとエルンスト・ツ ンデルのウェブ・サイトにもリンクを張り、どんな場合でも適切なところにリンク している。これらのリンクによって、あなたは、お望みならば、IHRの主張を完 全なテキストによって吟味し、我々の資料のかわりに、彼らの資料を読むことがで きる。  我々は、もう一つの主要なホロコースト否定ウェブ・サイトである、ブラッドリ ー・スミスのところにもリンクしている。  事実、この「66Q&A」への対応のみに限っても、ニツコーは、上記の非公式な IHRのウェブ・サイトに14ものリンクを張っている。5つはそのホームページに。 9つはサイトの中の他の関連ページに。それ以外にも、ニツコーのウェブ・サイト はIHRのサイトに26ものリンクを張っている。  グレッグ・ラビンのウェブ・サイトは全体として、ニツコーへは一本もリンクを 戻していない。グレッグ・ラビンは、そのようなリンクを張ることを彼に期待する のは「非論理的」だろう、と述べた。  インターネット上で我々が見つけられるホロコースト関係の情報源すべて(信頼 性があるものも、それ以外も)にリンクすることに加えて、我々はユーズネットに 書き込まれた主要なリビジョニスト全員のMSGをアーカイブしてある。1994年9 月にグレッグ・ラビンがユーズ・ネットに書き込んだMSGを全部ご覧にいれよう か? ラビンのヒトラーに関する意見はどうだ? ラビンが準備して書き込んだ、 ホロコースト否定とは何かについてのMSGから始まった議論の流れはいかが?  アウシュビッツの火葬炉に関して「両方の側」からの情報を読みたくはないか? 我々のアーカイブに入っている。我々は、それらの資料を−−資料のすべてを−− よりたやすくアクセス可能なものにしようと、一生懸命がんばっている。 (三鷹注:実際、否定者自身のものも、それに対する批判も、すさまじい量のMS Gが蓄積されています。キーワード検索機能がなければ、とても読めません)  我々がこういうことをやっているのは、以下のように考えているからだ。この問 題についてのあらゆる情報へのアクセスが与えられていれば、分別のある人間なら 誰でも、納得のいく結論にたどり着けるだろう、と。  IHRは、それとは違うことを望んでいるようだが。 </P> <HR> <CENTER>| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_mitaka.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa65.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> | </CENTER> <HR> <P> <PLAINTEXT>#1315/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/12/16 21:28 ( 56) ニツコー>66Q&A66番              三鷹板吉 ★内容 66.第2次大戦の歴史的見直し(リビジョニズム)の他の部分に関する事実と同様 に、「ホロコースト」物語の「別の側」に関する情報を、どこで入手できるのか? *IHRの主張  The Institute for Historical Review(三鷹注:IHR=歴史見直し研究所) P.O.BOX 2739,Newport Beach,CA 92659は、重大な歴史的問題に関する、多種多様 な本、カセットテープ、ビデオを提供している。(1995年1月更新) *ニツコーの回答  もしあなたがこの問題について「二つの側」が存在すると考えるなら、その両方 が検討されていることが分かるウェブ・サイトが一つだけある。ニツコーだ。  あなたはニツコーのフューチャーするものを読み終えるだけでよい。反セム主義 の膨大な文献、信頼性ゼロのプロパガンダから、ポイントポイントの、我々のコメ ントとともに。ニツコーは、グレッグ・ラビンのウェブ・サイトとエルンスト・ツ ンデルのウェブ・サイトにもリンクを張り、どんな場合でも適切なところにリンク している。これらのリンクによって、あなたは、お望みならば、IHRの主張を完 全なテキストによって吟味し、我々の資料のかわりに、彼らの資料を読むことがで きる。  我々は、もう一つの主要なホロコースト否定ウェブ・サイトである、ブラッドリ ー・スミスのところにもリンクしている。  事実、この「66Q&A」への対応のみに限っても、ニツコーは、上記の非公式な IHRのウェブ・サイトに14ものリンクを張っている。5つはそのホームページに。 9つはサイトの中の他の関連ページに。それ以外にも、ニツコーのウェブ・サイト はIHRのサイトに26ものリンクを張っている。  グレッグ・ラビンのウェブ・サイトは全体として、ニツコーへは一本もリンクを 戻していない。グレッグ・ラビンは、そのようなリンクを張ることを彼に期待する のは「非論理的」だろう、と述べた。  インターネット上で我々が見つけられるホロコースト関係の情報源すべて(信頼 性があるものも、それ以外も)にリンクすることに加えて、我々はユーズネットに 書き込まれた主要なリビジョニスト全員のMSGをアーカイブしてある。1994年9 月にグレッグ・ラビンがユーズ・ネットに書き込んだMSGを全部ご覧にいれよう か? ラビンのヒトラーに関する意見はどうだ? ラビンが準備して書き込んだ、 ホロコースト否定とは何かについてのMSGから始まった議論の流れはいかが?  アウシュビッツの火葬炉に関して「両方の側」からの情報を読みたくはないか? 我々のアーカイブに入っている。我々は、それらの資料を−−資料のすべてを−− よりたやすくアクセス可能なものにしようと、一生懸命がんばっている。 (三鷹注:実際、否定者自身のものも、それに対する批判も、すさまじい量のMS Gが蓄積されています。キーワード検索機能がなければ、とても読めません)  我々がこういうことをやっているのは、以下のように考えているからだ。この問 題についてのあらゆる情報へのアクセスが与えられていれば、分別のある人間なら 誰でも、納得のいく結論にたどり着けるだろう、と。  IHRは、それとは違うことを望んでいるようだが。 </P> <HR> </BODY> </HTML>