42847−316 「三鷹板吉氏のホロコースト研究」考

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ホロコースト肯定派「高橋ー山崎」組対する否定派「西岡ー木村」組の論争に。三鷹氏が割り込む形で、「当初は否定派に与していたが、調べるうちに肯定派に至った」として、その見解を「66Q&Aもくじ」に書き付けている。れんだいこは、「当初は肯定派に与していたが、調べるうちに否定派に至った」ので、三鷹氏と丁度反対に立場に位置していることになる。

 以下、この御仁の言説を検証してみる。

 2005.3.3日 れんだいこ拝

【ホロコースト肯定派取り巻き連中の論法考】
 「阿修羅ホロコースト1」に、木田貴常氏が、2005.3.3日付「【参考資料】ニツコーからIHRとツンデルの『66Q&A』への回答 三鷹板吉氏訳」を投稿し、同日、「南青山」氏が、「Re: 歴史学において、ホロコースト否定の可能性はゼロです。まったく蓋然性がありません。(三鷹板吉)」レスを付けている。

 「南青山」氏は、「木田貴常さん、どうもです。詳細なリスト、お疲れさまです。とても参考になりました」と褒めあっている。その上で、三鷹板吉氏サイト「IHRとツンデルの『66Q&A』への回答」を勧め、特に読んで欲しいところとして『66Q&A』批判の効能と使用法を紹介している。「『66Q&A』の全体のまとめとしてだけでなく、こうした論争にどのようなスタンスで立ち向かえばいいのかが簡潔に記述されています。ここを読んだあとで「IHRとツンデルの『66Q&A』への回答」その他へ進むというのが、小生のおすすめルートですね」と述べている。

 そこで、そこまで推奨する
「『66Q&A』批判の効能と使用法」を転載し、れんだいこがこれにコメント付けてみる。
 三鷹自身、1年前の自分を思い出しながら書いているのですが、日本の世間一般 のフツー人の「ホロコースト」に関する知識って「ヒトラーがガス室を使ってユダ ヤ人を虐殺した」と一行で言えてしまう程度なんですよね。その一行知識があって も「ホロコースト」という言葉を知らなかったりする。単に「第2次大戦中にそん なことがあった(らしい)」てなレベル。  

 そんなフツー人に対して、ホロコースト否定者は、たとえばこんな風に囁きかけ ます。「知ってますか、ユダヤ人を殺したっていわてれるガス室など、実は存在し なかったんですよ」と。一番センセーショナルな主張を最初に掲げるのが、否定者 の手口です。「何を馬鹿なことを」と思いつつ、今まで聞いたこともない「新見解」 に興味をそそられる、というのがフツー人の反応でしょう。そこでレスポンスを返 して、否定者との「論争」が始まる。でも、フツー人サイドの根拠は「読んだ本に そう書いてあった(ように記憶する)」てのがせいぜい。対して否定者は、物証の 薄弱さ、証言の矛盾、「科学的鑑定」など、微に入り細をうがった「解説」を用意 しています。フツー人はとうてい反論などできやしない。「論争」というよりも 「講義」に近い状態で、フツー人の知識欲が旺盛ならば旺盛なだけ、乾いた土に水 が滲み込むように、ホロコースト否定説が注ぎ込まれていきます。  例えて言うなら、法律にうといお年寄り相手にインチキな「消防法」をタテに要 りもしない消火器を売り込む詐欺師の手口です。お年寄りが「法律を守りたい」と 思えば消火器を買うしかないという「結論」に至る。そのように巧妙に仕組まれた 「解説」が、あらかじめ用意されているのです。  

 ホロコースト否定者は、「本当のことを知りたい」というフツー人の知識欲を悪 用するのです。フツー人が知る由も無ければ学ぶ機会も無かったデティールに入り 込んだ「解説」を駆使して、あらかじめ用意された「結論」へと相手を追い込んで いく。三鷹自身、ハマりかけた経験を基に言ってるんですが(苦笑)  さて、どうすれば消火器売りから消火器を買わなくてすむのでしょうか? 

 方法 は二つあります。一つは最初から相手にしないこと。消火器売り=詐欺と決めつけ て、絶対にドアを開けないことです。もう一つは、消防法その他に関する知識を十 分に肥して、詐欺師の口上を論破すること。詐欺師がよく使う手口を学ぶのも有効です。例えば、消防署員でも関係者でもないくせに、「消防署の方から来ました」 と言い、嘘を見抜かれると「消防署がある方角から歩いてきたのだ」と強弁する類 の。

 ホロコースト否定に対しても同様です。アカデミズムの学者たちの「定説」と矛 盾する「異説」に対しては、問答無用で「嘘」と決めつけ、シャットアウトすると いうのが一つの方法。こういう一見乱暴な方法論が通用するからこそ、アカデミズムはアカデミズムたり得るのです。逆に言えば、もしもいくらかなりとも可能性が ある「異説」だったならば、フツー人よりずっと先に、アカデミズムの学者の誰彼 が主張して、学者間で「論争」が発生しているはずです。いまだ論争中の問題は 「定説」とは言えません。

 歴史学において、ホロコースト否定の可能性はゼロです。まったく蓋然性があり ません。  もう一つの方法は、否定者と同じレベルのデティールにまで入り込んで論破すること。否定者の詭弁論法を見抜くことでもあります。これがすなわち、三鷹がここで紹介した、ニツコーによるIHR「66Q&A」批判の「効能」なのです。

 元が比較的簡単な「Q&A」集にすぎないことから、そんなものを批判しても真 の意味での反論にはならないのではないか、と思う方もいらっしゃるでしょう。当然の疑問だと思います。でも、実際はこれこそが一番有効な批判なのです。

 ホロコースト否定者の大半は、歴史学をキチンと学び研究を突き詰めた結果「定説」とは異なる結論に到達し、自分自身の学問的誠実さをマットウせんがために否定説を唱えるに至ったのではありません。政治的理由で嘘と知りながら否定説を流布しているか、流布された否定説をうのみにしているかのどちらかです。前者にと っては、フツー人が一読して納得する、分かりやすく簡便な「Q&A」こそがもっ とも強力なプロパガンダの手段であり、後者に至っては、そのプロパガンダをオウム返しに繰り返しているだけなのです。この「66Q&A」に含まれたIHRの主張こそが、ホロコースト否定説の骨子であり、全体像を示すものです。

 さて、以下は「使用法」です。三鷹がアップした「66Q&A」を全部ダウンロー ドして、一個の文書ファイルとしましょう。「効能」試験用の試薬としては、西岡 さんのMSGが適当でしょう。JBOOKSの5番ボードには、西岡さんが「マルコポー ロ」に書いた記事の全文が登録されていますし、6番ボードでは参加者諸氏を相手に「否定説」を開陳し「論争」を展開しています。それらを読んで、気になった箇所について、キーワードを拾い、「66Q&A」を検索してみましょう。

 そうですね、 「チクロンB」あたりから始めてみてはいかがでしょうか。それと西岡さんの主張 とを比較検討すれば、結論はおのずと明らかだと思います。

 当ボードにアップした翻訳に関しては、意訳誤訳迷訳等は、すべて三鷹に責任が あります。原文を参照したい、という人は、インターネットでニツコーのページに 直接確認して下さい。さほど量が多くないのなら、三鷹にメールで問い合せて下さ れば、その部分の原文をお送りいたします。参照の結果、誤訳を指摘して下されば、 感謝いたします。よろしゅうに。

(私論.私見) 「ホロコースト論争における三鷹論法」について

 三鷹氏の論法は、高橋ー山崎組のそれとハーモニーしており、ホロコースト否定論の醸成されてくる背景を解析せずに、如何にも卑俗な悪者に仕立て上げ、正義を気取っている。

 面白いのは、ホロコースト否定論について次のように述べていることである。

 「対して否定者は、物証の薄弱さ、証言の矛盾、『科学的鑑定』など、微に入り細をうがった『解説』を用意 しています。フツー人はとうてい反論などできやしない。『論争』というよりも『講義』に近い状態で、フツー人の知識欲が旺盛ならば旺盛なだけ、乾いた土に水 が滲み込むように、ホロコースト否定説が注ぎ込まれていきます」。

 これによると、ホロコースト否定論者の論拠に対しては「一服させられている」ことになる。

 しかし、それに耳を傾けるのではなく、「お年寄り相手にインチキな消防法をタテに要りもしない消火器を売り込む詐欺師の手口」に例えて批判する。「ホロコースト否定者は、本当のことを知りたいというフツー人の知識欲を悪用する」とも云う。「三鷹自身、ハマりかけた経験を基に言ってるんですが(苦笑) さて、どうすれば消火器売りから消火器を買わなくてすむのでしょうか?」とも云う。 

 その対処法として二つあると云い、「一つは最初から相手にしないこと」、概要「もう一つは、知識を十分に肥して、詐欺師の口上を論破すること」であると云う。

 興味深いことは、アカデミズムの学者たちの見解を高く評価している様子で、支離滅裂調で次のように述べていることである。

 「アカデミズムの学者たちの『定説』と矛盾する『異説』に対しては、問答無用で『嘘』と決めつけ、シャットアウトするというのが一つの方法。こういう一見乱暴な方法論が通用するからこそ、アカデミズムはアカデミズムたり得るのです。逆に言えば、もしもいくらかなりとも可能性が ある『異説』だったならば、フツー人よりずっと先に、アカデミズムの学者の誰彼が主張して、学者間で『論争』が発生しているはずです。いまだ論争中の問題は 『定説』とは言えません」。

 れんだいこなぞは、この言説だけで、三鷹氏の言説の底の浅さ、無茶苦茶ぶりを見抜く。その理由は次の通りである。

1・「アカデミズムの学者たちの『定説』擁護論」について。
 (れんだいこボソボソ)
 「アカデミズムの定説」をエライ買いかぶっているが、アカデミズムの学者たちの定説に値打ちがあった試しがあるのか。学問的発見を何と心得ているのだお主は。その言たるや、近世曙光の地動説に対する魔女狩り審問で応えた体制側の発想と近接しているではないか、と返歌したい。

2・「『異説』に対しては、問答無用で『嘘』と決めつけ、シャットアウトする」という作法について。
 (れんだいこボソボソ)
 これは、学問的ファシズムの論法ではないのか。異説に対する態度こそ進歩発展の原理とみなして遇するのが知識人の嗜みではなかろうか。

3・「こういう一見乱暴な方法論が通用するからこそ、アカデミズムはアカデミズムたり得るのです」について。
 (れんだいこボソボソ)
 無茶苦茶やがな。単に露骨な権力的暴論で、お主が云っていることは、「アカデミズムはアカデミズムたり得る」ではなくて、「アカデミズムは政治の下僕たるべし論」ですがな。

4・「もしもいくらかなりとも可能性が ある『異説』だったならば、フツー人よりずっと先に、アカデミズムの学者の誰彼が主張して、学者間で『論争』が発生しているはずです」について。
 (れんだいこボソボソ)
 既に論争は発生しているのではないのか。論争は強権的に押さえ込まれており、それでも地下で燻っているのが実際ではないのか。

5・「いまだ論争中の問題は 『定説』とは言えません」について。
 (れんだいこボソボソ)
 これ如何に。何が言いたいのだろうこの御仁は。

 「歴史学において、ホロコースト否定の可能性はゼロです。まったく蓋然性がありません」とも云い為しているが、何を根拠に断定しているのだろう。

 「もう一つの方法は、否定者と同じレベルのデティールにまで入り込んで論破すること。否定者の詭弁論法を見抜くことでもあります」と云うが、論法の姿勢としてはその通りで、だから否定派は丁度逆に、「肯定者と同じレベルのデティールにまで入り込んで論破すること。肯定者の詭弁論法を見抜くことでもあります」を実践しているのではないのか。それを問答無用するのも一つの方法などと云っているのがお主ではないのか。

 こうなると、「ニツコーによるIHR『66Q&A』批判の『効能』」も怪しいと予想し得る。以下の駄文は、そっくりそのままお返しできる、ご都合論法に過ぎないので一々コメントつけない。

 「そうですね、 チクロンBあたりから始めてみてはいかがでしょうか。それと西岡さんの主張とを比較検討すれば、結論はおのずと明らかだと思います」とある。「おのずと明らか」になるのは果たしてどちらだろうか。総評。寒い観点の披瀝のオンパレードだ。

 2005.3.3日 れんだいこ拝





(私論.私見)


66Q&Aもくじ

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ニツコー>「IHRとツンデルの『66Q&A』への回答」前文

1.ナチスがジェノサイドを実行した、または故意に600万人のユダヤ人を殺したという、いかなる証拠が存在するのか?

2.600万人のユダヤ人がナチスに殺されなどしなかったという、いかなる証拠があるのか?

3.サイモン・ウィーゼンタールは著作の中で一度「ドイツ本国には絶滅収容所は無かった」と述べているのか?

4.ダッハウがドイツ本国内にあり、サイモン・ウィーゼンタールでさえもダッハウは絶滅収容所ではなかったと言っているとすると、なぜ、何千人ものアメリカの復員軍人たちは、そこが絶滅収容所だったと言っているのか?

5.アウシュビッツはドイツ本国ではなくポーランドにあった。人間を殺害する目的のガス室がアウシュビッツに存在したという、証拠は何かあるのか?

6.アウシュビッツが「死の収容所」でなかったのなら、その本当の目的は何だったのか?

7.誰がどこにいつ最初の強制収容所を設立したのか?

8.ドイツの強制収容所(German consentration camp)と第2次大戦中に日系、ドイツ系、イタリア系アメリカ人を拘禁したアメリカの強制収容所(American relocation camp)とはどのように違うのか?

9.なぜドイツ人はユダヤ人を強制収容所に拘禁したのか?

10.世界のユダヤ民族が、1933年という早い時期に、ドイツに対して行った広範囲な方策とは、いかなるものか?

11.世界のユダヤ人は「ドイツへの宣戦布告」を行なったのか?

12.この「宣戦布告」は、「死の収容所」が噂され始める前だったのか、後だったのか?

13.民間人に対する大量爆撃を実行したと考えられている最初の国はどこか?

14.アウシュビッツには人々を殺すためのガス室がいくつあったのか?

15.ドイツ軍が支配することになった地域に、戦争の前、何人のユダヤ人がいたのか?

16.もしヨーロッパのユダヤ人がナチスによって絶滅させられなかったとしたら、彼らに何が起こったのか?

17.どれだけのユダヤ人が、ソ連の奥深くまで逃げ去ったのか?

18.どれだけのユダヤ人が、戦争に先立って移民した、すなわちドイツ軍の手の届かないところにいたのか?

19.アウシュビッツが絶滅収容所ではなかったのなら、なぜ司令官ルドルフ・ヘスは、そのように自白したのか?

20.ニュルンベルク裁判やその他の裁判に先立って、ドイツ人の戦犯容疑者から自白を引き出すために拷問を行なうのは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の政策だったという証拠はあるのか?

21.「ホロコースト物語」は、現在のユダヤ人にいかなる利益を与えているのか?

22.「ホロコースト物語」は、イスラエル国家にいかなる利益を与えているのか?

23.「ホロコースト物語」は、キリスト教の牧師の多くにいかなる利益を与えているのか?

24.それは、共産主義者にいかなる利益を与えているのか?

25.それは、イギリスにいかなる利益を与えているのか?

26.ヒトラーがユダヤ人の大量虐殺を命令したという証拠は何かあるのか?

27.いかなる種類のガスが、ナチスによって強制収容所で使用されたのか?

28.この大量生産されたガスの、かつての、そして現在の使用目的は?

29.なぜナチスは、大量絶滅にもっと適当なガスの替わりに、シアン化水素を使用したのか?

30.チクロンBによって燻蒸された区画を完全に換気するには、どのくらいの時間がかかったのか?

31.アウシュビッツの司令官ヘスは、自分の部下が、ユダヤ人たちが死んでから10分後にガス室に入り、死体を運び出したと言った。このことをどのように説明するのか?

32.ヘスは告白の中で、自分の部下は、ガス殺の10分後に死んだユダヤ人をガス室から引き出す際にタバコを吸おうとしていた、と言った。チクロンBには爆発性があるのではないか?

33.ナチスがユダヤ人を絶滅したと強弁されているところの、正確な手順とはいかなるものか?

34.いかにして、このような大規模な計画が、絶滅を予定された当のユダヤ人に対して、秘密を保つことが可能だったのか?

35.もし処刑される予定だったユダヤ人たちが、自分たちに降りかかろうとしている運命を知っていたなら、なぜ彼らは戦うことも抗議することもなく、死に赴いたのか?

36.だいたい何人くらいのユダヤ人が強制収容所で死んだのか?

37.彼らはどのようにして死んだのか?

38.発疹チフスとは何か?

39.この恐ろしい時代の間に、600万人のユダヤ人が死んだというのと、30万人のユダヤ人が死んだというのとは、どう違うのか?

40.「死の収容所」を生き延びたユダヤ人の多くは、死体が穴の中に積み重ねられ、焼かれるのを見たと言っている。そんなことをするのに、どれだけのガソリンが必要だったのだろう?

41.死体を穴の中で焼却できるのか?

42.「ホロコースト」物語の著者たちは、ナチスが死体群を約10分間で火葬できたと主張している。プロの火葬技術者によれば、一個の死体を焼却するのにどれだけの時間がかかるのだろう?

43.なぜ強制収容所は火葬炉を備えていたのか?

44.ドイツ支配地域のすべての収容所のすべての火葬施設を100%稼働させたとしたら、このような火葬施設が運転されていた期間全体で、最大何体の死体を焼却することが可能か?

45.火葬炉はぶっ通しで100%稼働可能なのか?

46.一体の死体を火葬したら、どのくらいの分量の灰が残るのか?

47.もしも、600万人もの人間がナチスによって焼却されたなら、灰はどうなったのか?

48.連合軍による戦争中のアウシュビッツの写真(ガス室と火葬施設がフル稼働していたとされている期間の)に、ガス室は写し出されているのか?

49.1935年のドイツの「ニュルンベルク法」の主要な規定は何か?

50.ニュルンベルク法の先例となったアメリカの法律はあったのか?

51.国際赤十字が「ホロコースト」の疑問に関して報告しなければならなかったのは、いかなることか?

52.強弁されるところの600万人のユダヤ人が絶滅させられていた期間、バチカンの役割はいかなるものだったか?

53.ヒトラーがユダヤ人絶滅の進行を知っていたという、いかなる証拠が存在するのか?

54.ナチスとシオニストは協力しあっていたのか?

55.アンネ・フランクが終戦のほんの数週間前に死んだ、その原因は何か?

56.「アンネ・フランクの日記」は本物か?

57.ドイツの強制収容所で撮影された、痩せ細った死体の山を写した膨大な写真や映画フィルムに関してはどうだ? これらは偽造なのか?

58.誰が「ジェノサイド」という用語を考案したのか?

59.「ホロコースト」や「戦争の嵐」のような映画は、ドキュメンタリーなのか?

60.「ホロコースト」について作り出された標準的な主張のいくつかの側面を論破する本は、だいたい何冊ぐらい出版されてきたのか?

61.ある歴史研究所が、ユダヤ人がアウシュビッツでガス殺されたことを証明できた人間なら誰にでも、5万ドルの賞金を出そうとした時、何が起こったのか?

62.「ホロコースト」に疑問を呈するものは反セム主義者もしくはネオナチであるという主張についてはどうか?

63.歴史学者たちが「ホロコースト」の資料に疑問を呈した時、彼らにいかなることが起きたか?

64.歴史見直し研究所(IHR)は、言論の自由と学問の自由を擁護するために努力したことに対して、なんらかの報復を受けたのか?

65.なぜそちら(IHR)の視点はほとんど世間に伝えられていないのだろうか?

66.第2次大戦の歴史的見直し(リビジョニズム)の他の部分に関する事実と同様に、「ホロコースト」物語の「別の側」に関する情報を、どこで入手できるのか?

後書き 「66Q&A」批判の効能と使用法          三鷹板吉




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#1197/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/ 9 23:48 (106) ニツコー>「IHRとツンデルの『66Q&A』への回答」前文 ★内容 *パンフレットについて  「歴史見直し研究所(IHR)」は、ホロコーストについての誤った情報を人々 に与えるべく意図された、薄いパンフレットを多数出版している。その中でもっと もしつこいものの一つが「ホロコーストについての66の疑問と回答(『66Q&A』」 と呼ばれているものである。  このパンフレットは、ホロコースト否定者がなしてきた議論のうち、もっとも一 般に知られたものの多くを、手際よく要約している。これら66の主張に対する論破 は、ホロコースト否定の核心に対する直接の打撃である。  ユーズネットのニュースグループ「alt.revisionism」の読者は、これらの主張 が、見慣れたものであることに気づくだろう。その理由は、この議論の材料と派生 物は、ユーズネットに以前何度となく出現し、議論されてきたものだからだ。これ らのウェブページには、よりディープな回答も含まれている。また、ウェブ技術の 善用として、他の情報ネットとのリンクも張られている。  IHRのパンフレットは、少なくとも二人の別個のホロコースト否定者によって、 それ自体、インターネットのワールド・ワイド・ウェブに載せられてきた。その二 人とは、IHRの所長であるグレッグ・ラビンと、エルンスト・ツンデルだ。ツン デルは、カナダの情報安保調査委員会により「ホロコースト否定者で、民族間憎悪 を煽る著作を多数出版してきた人物」であり、「1991年ドイツ・ネオナチ会議」の スポンサー兼主催者であると論述された人物だ。IHRもツンデルの出版社も、と もに、このQ&Aを印刷された形で配付している。  以下は、このパンフレットの半真実(ハーフトゥルース)と非真実に対して、ひ とつひとつ反駁するものである。元々のパンフレットの全文が含まれている。IH Rの疑問と回答にも、手を加えずにそのまま再現しているが、もしパンフレットの 原文それ自体を見たければ、インターネットのグレッグ・ラビンのウェブ・サイト には彼のコピーがあり、エルンスト・ツンデルのサイトにはツンデルのコピーがあ るから、それらを調査することができる。  我々が今までここに提示してきたものより、疑問と「回答」における語法が、き わめて乏しいものであるだろうことをチェックしてほしい。このパンフレットは、 多年にわたりいくらかの見直しを受けてきた。ラビンのサイトのものもツンデルの サイトのものも、我々が言うところの「オリジナル」に対抗する「修正版」である ことは明らかだ。  ツンデルの出版社サミスダットは、初期版を、1995年11月という最近になってか ら出版した。これを我々は、とりあえず「サミスダット版」と呼ぶことにする。他 に良い名前がないからだが。我々は目下のところ、初期版の最初のページしか保有 していない。それにおいてはごく少数の疑問が省略されているので、我々がどれだ け見落しているのか分からない。それがいつ書かれたのかも、正確には分からない が、それのQ&A22番は、1990年代に実現した統一ドイツに言及している。もちろ ん、より多くのことが分かり次第、最新情報に更新しよう。  どのケースにおいても、これまでなされてきたさまざまな修正は、このパンフレ ットの真実性をほとんど増してはいない。別に驚くほどのことではない。このパン フレットの目的は、読者を教育することではなく、読者をミスリードすることだか らだ。注目すべき修正がなされている箇所には、コメントを加えよう。  パンフレットに対する我々の扱いが、長ったらしく退屈に見えるとすれば、あな たは幸運だと思うべきだ。何年も前には、IHRは、ホロコーストに関する120の Q&Aを出版していたのだ。我々は、この、より古いパンフレットを入手できずに いるので、現在のところは、要約版を文献批判するにとどまっているのだ。ホロコ ースト否定者の最終目的を果たすために不十分だとして引っ込められた、もう54も のQ&Aがあったということを、これを読みながら思い出してほしい。  最後に、この「66Q&A」に対するもう一つの良い解毒剤として、サイモン・ウ ィーゼンタール・センターが彼らのウェブ・サイトに載せている二つの文書を紹介 しておこう。SWCによる「リビジョニストの議論に対する返答」と「36Q&A」 だ。(両者は形式の類似以外は関係ない) *パンフレットのクロスリンクの拒否  ニツコーは、真実にとって、秘密主義は必要ないと確信している。我々は、ホロ コースト否定者の原文を、手を加えず完全な形でオープンに提示している。否定者 のウェブ・サイトともリンクしているから、読者は彼らが言っていることを正確に 調べることができる。そして、もし否定者が我々の仕事に対して返答するというの なら、その時は、もちろん、クロスリンクを張るつもりだから、読者はその返答を 調べることができるわけだ。  エルンスト・ツンデルは、今朝(1996年1月5日)現在、彼らの66Q&Aウェブ・ ページから、我々のウェブページへクロスリンクを張ることに同意している。我々 はこの前進によって、非常に興奮している。リンクは、数日中に張られるだろう。  ニツコーは、クロスリンクを張ることの価値をツンデル氏に納得させようと、多 大な努力をついやしてきた。そしてツンデルは、自分がクロスリンクに参加したく ない理由を提示するのに、多大な努力をついやしてきたのだ。我々は、ツンデルが 我々が実感するこの努力を終えたことは、考慮なしの正しい選択だと喜ばしく思う。 以上のことについては、ニツコーの、ツンデルサイトとの通信ページで読むことが できるだろう。  グレッグ・ラビンについては、我々のサイトとのリンクを張ることを何度も要請 したにもかかわらず、彼はたった一度しか返答していない。彼とリンクするすべて のサイトとクロスリンクを張るのは「非論理的」だろうと言うのだ。自分のホーム ページと、ツンデルやブラッドリー・スミスのサイトのような他のホロコースト否 定サイトとのリンクを張るのは論理的である、とラビンが考えているのは明らかで あることをチェックしておいてほしい。  そしてブラッドリー・スミスについて言えば、彼は「ホロコーストに関する公開 討論委員会」の委員長であることから、これらの問題を「討論」しようという我々 の努力を、スミスが助けてくれるだろうと希望していた。ラビン氏に対して、彼の 66Q&Aページから我々の回答へクロスリンクを張るべく、勇気づけてほしいのだ。 スミスと我々の目的は、この場合奇しくも一致する。−−「公開討論」−−である。 だから、我々は彼の助力を期待している。我々は、この件についてすでにスミスと コンタクトをとったのだが、未だ返事はない。 *IHRの疑問と回答、そしてニツコーの返答  もしもあなたがこれらのすべてを一個のウェブページで見たいと思うか、または これらすべてをダウンロードするかプリントアウトしたいと思うなら「qar-comple te.pl」あるいはMS-DOSユーザー向けには「QAR in Rich Text Format」か「QAR in Word for Windows 6.0 format」を見てほしい。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa02.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa00.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1198/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/ 9 23:51 ( 99) ニツコー>66Q&A1番(その1)         三鷹板吉 ★内容  一般的疑問 1.ナチスがジェノサイドを実行した、または故意に600万人のユダヤ人を殺した   という、いかなる証拠が存在するのか? *IHRの主張(オリジナル版、サミスダット版、修正版の結合)  証拠はない。唯一の証拠は「生存者」個人の戦後の証言である。この証言は矛盾 しているし、ガス殺を実際に目撃したと主張する主張する「生存者」は一人もいな い。当時の証拠文書も、物的証拠もなんら存在しない。犠牲者の灰の山も、何百万 もの死体を焼却することが可能な火葬炉も、犠牲者が脱ぎ捨てた服の山も、人間の 脂肪で作られた石鹸も、人間の皮で作られたランプシェードも、記録も、信じるに 足る人口統計も存在しない。 *ニツコーの回答  嘘の上に積み重ねた嘘、真実の一片さえ無い。  この質問は、一種のホロコースト否定初心者として、一貫して無視されてきた詳 細な証拠のいくつかを提示しようとする者にとっては良い質問だ。そのために回答 は、他の65個の回答よりずっと長いものとなる。だが読者はおそらく、その必要性 を理解するだろう。  とりあえず、否定者の主張を見てみよう。 ●唯一の証拠は「生存者個人の戦後証言」だとされている。  何よりも最初にまず、盲目的な陰謀論について考察しよう。いかにして、ナチ収 容所一つ一つすべての収容者個々すべての証言が、説得力に欠けるとして自動的に 却下されるのか、注目してみよう。この、収容者証言の全面的却下は、ナチ自身に よる証言の同様の全面的却下とともに、ホロコースト否定説が、言外に仮定してい る事項の最大のものである。  この仮定事項は、そうしばしばきちんと説明されるものではないが、ユダヤ人に 対するジェノサイドなどけして行なわれず、その替わりに、ユダヤ人による秘密の 陰謀が1941年ごろ始まり、ジェノサイドがあったことを証明するための無数の文書 の種がまかれ、でっちあげられたと仮定するものである。そして、戦後、彼らは収 容所の生存者全員を駆り集めて、証言すべきことを教えたのだ、と。  陰謀団は、どうにかして、鍵となる何百人ものナチが、彼らが絶対に犯さなかっ た犯罪を犯したと自白するよう、あるいは彼らの仲間のナチをそれら無実の罪に陥 れるよう、彼らを拷問し、戦後になるまでけして発見されなかったナチのファイル の何百もの文書を捏造したかのようだ。そして、多くのケースの中でわずかに、例 えばゲッペルスの日記のみは、まったくの幸運でかろうじて、7000ページもの反故 紙として売られてしまうところから救い出されたのだが、しかし、四散した手書き 原稿に埋もれた記述のいくつかは、全体像を語っている。 (ロシナーの翻訳による「ゲッペルス日記」1948年 pp.86,147-148)    1942年2月14日:総統は、ヨーロッパのユダヤ人を情け容赦なく一掃する彼   の決定を、今一度表明した。それに関して、神経質なセンチメンタリズムなど   あってはならない。ユダヤ人は破滅に値するのであり、今こそその運命が彼ら   を襲ったのだ。彼らの絶滅は我々の敵の絶滅と同一歩調をとってなされるだろ   う。我々は、冷たい無慈悲さでもって、この過程を促進せねばならない。    1942年3月27日:手続きはきわめて野蛮なものであり、ここにより正確に描   写すべきではない。ユダヤ人のうち残るのは、けして多くはないだろう。概し   て、彼らの約60%が消され、しかるに40%のみが強制労働に使用可能だ。  マイケル・シェルマーは、ヨーロッパのユダヤ人の総数についてのナチス自身の 見積もりは千百万人であり、千百万人の60%は660万人であることを指摘している。 これは実際の数字にかなり近い。(実際には、40%は、ナチに捕らえられたユダヤ 人の生き残り率として相当の過大評価であるが、その反面、ナチの手から脱出した ユダヤ人も多かったのだ)  どのケースでも、日記の大部分はきわめて世俗的な内容であり、歴史家にとって のみ興味深いものである。ユダヤ人陰謀団は、わずか数行を挿入するために、7000 ページもの文書を偽造したとされるのだろうか? いかにして彼らは、日記の記述 に矛盾が生じないほど十分に近しく、ゲッペルスの事情を知ることができたのだろ うか? たとえば、彼や彼の同僚が、実際にいたのとは違う町に、違う日時にいた としてしまうような矛盾を犯さないように。  リビジョニストのデビット・コールでさえ、ゲッペルス日記についてリビジョニ ストはもっと満足のいくような説明を用意する必要がある、と認めるにいたってい る。  ナチによる戦後の証言に関しては、彼らのすべてが、実際には犯してはいないと される憎むべき犯罪を犯したと自白するよう、拷問されたのだろうか? ごく少数 のナチしか戦後捕虜にされていないというのなら、このことも信じられるかもしれ ない。あるいはまた、勇敢に法廷に立ち、彼らを沈黙させようという試みについて、 世界に対して叫び立てたのが、幾人かしかいないならば。しかし、1945年の後半か ら1960年代までの裁判において、何百人ものナチが、ホロコーストに関して証言し ているのだ。(実例として、B??k,Hofmann,H??sler,Klein,M??ch,Starkを見よ) (三鷹注:人名の一部はウムラウトが文字化けしていて判別できません)  これらのナチの多くは証人として証言し、犯罪の件では告発されていない。彼ら に強制が行なわれたと言うのなら、その根拠は何なのだ? 裁判の多くはドイツの 法廷で行なわれた。ドイツ人が自分の同国人を拷問したというのか? なるほど、 ホロコースト否定者たちは、ユダヤ人が秘密裏にドイツ政府に浸透していて、その すべてをコントロールしている、と時おり主張する。彼らはしかし、この論につい て多くを語りすぎることを好まない。なぜならば、それが気違いじみた少数の過激 派の論であることは明白だからだ。  主要なポイントは、これら拷問の犠牲者とされる人々の一人も−−50年間で一人 たりとも−−証言は強制されたものだという主張を支持するために、現われ出てい ないのだ。 (この項続く) 番号またはコマンド<FM>(M,S,F,H,Q,RBn,SCn,+n,-n,W,RP,RV,RT,TLn,AP,PF,J)= #1202/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/10 22: 7 ( 94) ニツコー>66Q&A1番(その2)         三鷹板吉 ★内容  これに反して、ホロコーストに関する元ナチの証言に対する確証や再確証は、多 年にわたって続けられてきた。コンラッド・モルガン判事が、彼が目撃した犯罪に 関して1946年のニュルンベルク国際裁判で証言すると、いかなる強制をもって、確 信させることが可能だったのだろうか? そこで彼はどんな犯罪についても告発さ れていなかったというのに。さらに後、1963年から65年、ドイツ・フランクフルト で行なわれたアウシュビッツ裁判で彼を証言させるために、いかなる強制がなされ たというのだろうか?   SS医師ヨハン・クレマーが1947年、彼自身の弁護のために証言した際に、いか なる強制が用いられたというのだろうか? その上、ポーランドとドイツ双方で有 罪判決を受けた後、釈放後、再び証人としてフランクフルト裁判で証言させるため に、いかなる強制が? B??k,Gerhard Hess,H??blinger,Storch,それにWiebeck、前 記のSS隊員すべて、フランクフルト裁判の証人のすべて、そこでどんな犯罪につ いても告発されなかった人々に対して、いかなる強制が用いられたというのだろう か? (三鷹注:人名中にウムラウトによる文字化けあり)  ホロコースト否定者たちは証言の小さな矛盾を指摘して、それらを信用しまいと する。この仮定事項は、そうハッキリと述べられてはいないが、読者がその小さな 矛盾をユダヤの陰謀論につらなる巨大な証拠として受け入れるだろう、ということ なのだ。これは明らかに馬鹿げている。  事実上、細部における矛盾や小さな間違いは、陰謀論を立証するのではなく、逆 に陰謀論を否定しているのだ。なぜ陰謀団は、別々のナチに別々の偽証用情報を与 えたのだろうか? 事実上、もしも、ナチの証言から収容者の証言まですべての証 言が相互にまったく矛盾なく、あまりに似すぎているように聞こえたとしたら、ホ ロコースト否定者たちが、そのことをこそ、陰謀が存在する証拠として引用しただ ろうことは確実である。  いかなる強制が40年もの時を超えて、SSUntersturmf??rerハンス・メンチ医師 をして、家族の反対を押し切って、スウェーデンのTVのインタビューに応じるこ とを強いたというのだろうか? 1981年のインタビューで、彼はアウシュビッツに ついて語っている。 (三鷹注:親衛隊における階級名。ウムラウト文字化け)   インタビューアー:(ユダヤ人)絶滅のイデオロギーは、医師の倫理的価値観   と両立しないのではないですか?   メンチ:まったくその通りです。議論の余地はありません。しかし、私はあの   状況の中で生きていたのです。そして私はそれを受け入れることを避けるため   に可能な道をすべて試しました。しかし、私はそれとともに生きねばならなか   ったのです。私に他に何ができたでしょうか? そして私は、収容所の医師の   仕事が多すぎるから諸君らも絶滅作業に協力すべしという命令が、私と私の上   司、それにもう一人に下されるまで、それと直接に立ち向かいはしませんでし   た。そして、それに対抗することはできなかったのです。   インタビューアー:私はあることを質問しなければなりません。疑問を抱く人   人は「特別処置(special treatment)」とはどんなことでも意味し得ると主   張しています。それは絶滅であるとは限らなかった、と。   メンチ:「特別処置」とは、強制収容所の用語法において、肉体的絶滅を意味   しています。もしもその疑問が、ごく少数の人間以外の人間によって抱かれた   なら…(強制収容所のような)彼らをガス殺する以上の価値はないとしていた   場所でですよ…疑問を抱いた人間たちもガス殺されたでしょう。   インタビューアー:「特別処置」とはガス殺のことだったんですか?   メンチ:まったくその通りです。  そして、いかなる強制が40年もの時を超えて、前記のSS伍長フランツ・ズーホ メルをして、映画「ショアー」のインタビューに応じることを強いたというのだろ うか? 匿名で話すという(偽りの)約束のもと、彼はトレブリンカ絶滅収容所で 行なわれた犯罪について語った。(単行本「ショアー」 クロード・ランズマン  1985年 p.54)   インタビューアー:あなたは非常に重要な目撃証人です。あなたはトレブリン   カがどんなところだったのか説明できますね。   ズーホメル:でも、私の名前は出さないでくださいよ。   インタビューアー:出しません。約束します。オーライ、あなたがトレブリン   カに到着したところからでしたね。   ズーホメル:そこでシュターディエ、曹長だが、彼は我々に収容所をすみから   すみまで見せた。我々が通りかかった時、ちょうど彼らはガス室のドアを開け   るところだった。人々はジャガイモのように崩れ出た。もちろん、我々は怖い   と思ったし、ぞっとしたよ。我々は戻って自分のスーツケースの上にへたりこ   み、年寄り女のように泣いたんだ。   毎日、死体を大量埋葬壕まで引っ張っていかせるために、百人のユダヤ人が選   別された。夕方には、ウクライナ人警備兵が、彼らをガス室の中に追い込むか   銃殺した。毎日だ!  否定者たちに、なぜ彼らはフランツ・ズーホメルの証言をはね捨てたのか、尋ね てみるといい。グレッグ・ラビンはあなたに言うだろう。「それは証拠ではない… …何か証拠を持ってきてください」と。他の否定者は、ズーホメルもメンチも気が 狂っていたか、幻覚を見たか、幻想を語っているのだと言うだろう。  しかし、幻想は、大多数の証言を無視することを選択し、その替わりに自分自身 の想像の産物以外の何物でもない仮定の陰謀論を信じることにした人間たちの、心 の中にこそあることは明らかである。 (この項続く) #1206/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/11 20: 0 ( 95) ニツコー>66Q&A1番(その3)         三鷹板吉 ★内容  (ユダヤの陰謀がホロコーストをでっちあげたという仮定についての)全体的な 証拠の欠乏こそが、この「陰謀があったという仮定事項」が、ほとんど常に、具体 的に語られることのない仮定のままにとどめられている理由なのだ。我々が知る限 り、この汚れ仕事のすべてを行なったとされる仮定のユダヤ/シオニスト陰謀に関 して、多少なりとも詳しく論じた「リビジョニスト」の論文は、一つたりとも書か れていない。論説も、演説も、パンフレットも、本も、テープも、ビデオも、ニュ ースレターも、一つも無いのだ。  一番マシなものとしては、世界ユダヤ人会議が「大ボラ」を恒久化したと、遠回 しに言及しているホロコースト否定の著述がある。(バッツ 1976年)−−詳しい 説明はまったくない。にもかかわらず、ホロコースト否定は全体として、この仮定 の陰謀論に依拠しているのだ。  生存者の証言に関して、「リビジョニスト」はそれが証言でしかないと主張する が、収容所体験を生き延びたユダヤ人収容者によるガス殺や他の形の残虐行為につ いての、膨大な証言が実際に存在する。さらに、戦争捕虜のようなユダヤ人以外の 収容者による証言さえも。ガス殺について証言した囚人の多くがユダヤ人ではない ことはもちろんだ。その一例として、アウシュビッツにおける最初のガス殺人につ いての、ポーランド将校ゼノン・ロザンスキーの証言を見てみよう。ライトリンガ ーの「最終解決」p154に以下のようにある。    扉にもたれかかっていた者たちは、奇妙な硬直に身をそり返らせていた。そ   して、我々のすぐ足下に崩れ落ちた。彼らの顔はコンクリートの床に激突した。   死体の群れだ! まっすぐ立ったまま、掩蔽壕の通路全体にいっぱいの死体の   群れは、ギチギチに詰め込まれていたので、それ以上は倒れることも不可能だ   った。  いかなる「リビジョニスト」がこれを否定するのだろうか? 彼らの中の誰がこ の現場にいたというのだろう? 彼らの中の誰が、ロザンスキーに対して、彼が何 を見て何を見なかったか、教えるだけの権威を持っているというのだろうか?  「実際にガス殺を目撃したと主張する『生存者』は一人もいない」という声明は 明らかに間違っている。より新しい版では「ごく少数しかいない」と改訂されてい るが、こちらの方が真実に近い。  しかし、我々は生存者やナチや他の人々の証言だけに頼る必要はない。戦後の記 述ではなく、ガス殺や他の残虐行為に関係する多数の戦時中の文書が、アメリカ軍 によって押収された。そのほとんどはワシントンDCの国立文書庫にあり、一部は ドイツにある。  ガス室に先立って使われたガストラックに関しては、一例として、SS少尉ベッ ケルからSS中佐ラウフに宛てた最高機密文書が発見されている。(「ナチの陰謀 と侵略」1946年Vol.1,pp.999-1001より) (三鷹注:ガストラックとは、密閉された荷台に人間を詰め込み、エンジン排気を 流し込んで殺害する装置。ヘウムノ絶滅収容所などで使用された)    たとえば、もし雨が1時間半ほどでも降ったなら、トラックはスリップして   しまい使用不能です。完全に晴れた天気でしか使えません。今や、トラックが   実行場所に駐められた状態でしか使えないかどうかが、問題であるにすぎませ   ん。最初にトラックをその場所へ運ばなければなりません。それは、良い天気   の時にのみ可能なのです。    ガスの応用は通常は正確には行なわれておりません。終点にできるだけ早く   到着したいと、運転手は限界一杯までアクセルを踏みます。そうすることによ   り、処刑される人々は、計画されていたような昏睡による死ではなく、窒息に   よる死の苦しみを味わいます。レバーを正確に調整することによって、死をよ   りすみやかにもたらし、囚人たちを安らかに眠らせるのが、私の監督すべき仕   事だと分かるに至っております。  また、ユストは1942年6月5日、ラウフ宛の「最高機密」「複製不可」と印され た手紙でガストラックについて書いている。これは、ナチのダブル・トーク(三鷹 注:言葉の言い換えによる隠蔽話法)の恐るべき最高傑作である。それは殺害を 「処理(processing)」と言い換え、犠牲者を「題目(subjects)」「積荷(the load)」と言い換えている。(コゴン「ナチの大量殺人」 1993年 pp.228-235を見 よ)    たとえば、1941年12月より、3台のトラックを使用して、車には何の故障も   発生することなく、97000が処理された……    トラックの標準積載能力は1平方メートルあたり9から10である。より大きな   ザウラー社製の特別トラックの積載能力は、最適なものではない。問題は積み   過ぎによるものではなく、このトラックにおいてはシビアに削られているとこ   ろの、あらゆる地形におけるオフロードでの運用性なのだ。積荷スペースの縮   小が必要であると思われる。これは積荷スペースを約1メートル短くすること   によって達成可能である。今まで行なってきたように、単に処理する題目数を   減らすだけでは、問題を解決することはできない。この場合においては、より   長い運転時間が必要とされる。空きスペースにまでCO(毒性のある排気ガス)   を満たさねばならないからだ……    照明装置に対するより厳重な防護が必要だ。電球を壊すことができないよう   に、電灯を金網で十分にカバーすべきである。これらの電灯は今までほとんど   点灯されていないから、使用者はそれらを取り去ってもかまわないと考えてい   るかもしれない。経験によれば、背後のドアが閉められ、中が真っ暗になると、   積荷はドアに向かって殺到する。この理由は、内部が暗くなったときに、積荷   は小さな明かりが残っているところに向かって押し寄せるからだ。それにより、   ドアをロックするのが妨げられる。ドアをロックすることによって引き起こさ   れる叫び声が、暗闇によって喚起される恐怖とつながっていることもまた、注   目されている。 (三鷹注:このユスト書簡は「ショアー」(クロード・ランズマン 作品社)に全 文が収録されています) (この項続く) #1207/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/11 20: 2 ( 91) ニツコー>66Q&A1番(その4)         三鷹板吉 ★内容  ガス室それ自体に関して書かれた通信文に手違いが発生して、そのうちのいくつ かは、幸運なことに破壊を免れて、戦後発見された。SS隊員のカール・ビスホフ によって、1942年11月27日に書かれたメモは、クレマ(三鷹注:クレマトリウム。 ガス室と焼却炉がセットになった大量虐殺用施設。否定者は、ガス室ではなく単な る死体置場だったとしている)2のガス室を「ライヒェンケラー(Leichenkeller) (死体室)」という普通の通用名よりむしろ、「ゾンターケラー(Sonderkeller) 」「特別室(special cellar)」と記述している。  2か月後の1943年1月29日、ビスホフはカムレルへのメモで、その同じ部屋を指 すのに「フェーガスングスケラー(Vergasungskeller)」と書いている。(グット マン「死の収容所アウシュビッツの解剖」1994年 pp.223,227を見よ)「フェーガ スングスケラー」とは、似たような響きの英語の「ガッシング セラー(gassing cellar)」すなわち地下のガス室を意味する。  ホロコースト否定者は、フェーガスングスケラーについてのもっともらしい説明 を用意しているアーサー・バッツを参考にする。「フェーガスングスケラー」とい う言葉は、ガスによる殺人を意味し得ず、ただ固体もしくは液体から気体への変換 処理のことを指しているのだ、とバッツは言う。ゆえに「フェーガスングスケラー」 は、アウシュビッツの焼却炉のための燃料をガス化するための特別の部屋−−「気 化室」だったに違いない、とバッツは言う。  この説明には、三つの難点がある。まず最初に「フェーガスング(Vergasung)」 が、ガスによる殺人を意味し得るのは確実である。バッツはドイツ語を話すわけで はないし、ドイツ語についてのレクチャーを試みようともしていない。二番目に、 バッツが描写するような機能を果たすのが可能な部屋は、クレマの中には存在しな い。−−本を書いて数年後、バッツもこのことを認めた。そして、手も足も出せな いまま、気化室を収納したはずの別の建物が、収容所のどこかにあったはずだと、 ほのめかしている。三番目に、アウシュビッツで使用された型の炉は、いかなる気 化処理も必要としなかった! 炉は固体燃料を燃やしたのだ。(グットマンの前掲 書pp.184-193を見よ)  さて、「ガッシング セラー」という用語は何を指し示すのだろうか? ホロコ ースト否定者たちは、さらに、信じるに足る説明を提出する必要があるだろう。  クレマ3のガス室のための14個のシャワーヘッドと1個のガス密閉ドアのリスト を示す目録が、戦後再押収された。ホロコースト否定者たちは、その部屋は死体置 場だったと主張している。死体置場でシャワーヘッドとガス密閉ドアが何に使われ たのか、否定者は説明しようとしない。(文書の写真か、プルサックの「アウシュ ビッツ:技術と運用」1989年 pp.231,438を見よ) (三鷹注:再押収(again captured)というのは、目録が旧ソ連の文書庫に眠って いたことを指すか?)  アウシュビッツの建設事務所からの、1943年3月31日付けのメモには以下のよう にある。(ヒルバーグ「絶滅の記録文書」1971年 pp.207-208)    今回、クレマ3のライヒェンケラー用の100/192のガス扉の調達のために、   1943年3月6日のもう一つの注文を照会します。このBw 30aは、対向するクレマ   2の、その室の扉と、同じ寸法に従って同じ方法で建てられねばなりません。   同様にゴムで包まれた8ミリメートルのガラスを2重にした覗き穴をつけて。   この注文は、特に至急であると考えられますが……  なぜ死体置場が、2重の1/3インチ厚のガラスで作られた覗き穴を、至急必要と したのだろうか?  シアン化ガスがアウシュビッツのガス室で使用されたことを証明できるかどうか という問題は、否定者の興味を惹いてきた。例えば、否定者が過大に喧伝している ロイヒター報告は、今日そこにシアン化物の残留痕跡が残っていないかという問題 について、多大な努力を費やしている。しかし、我々としては、以下に引用する通 り、シアン化物の使用を確証するのに、化学的痕跡を探す必要などない。(グット マン前掲書p.299)    (1943年)2月11日と12日に中央建設指導部(Zentralbauleitung)とトプフ   社の間で交わされた手紙と電報は、ライヒェンケラー1用の木製送風器に言及   している。この言及は、死体置場がガス室として使用されたことを確証する。   ビスホフとPr??erは、濃度の高い青酸(シアン化物)(1立方メートルあたり   20グラム)が混じった空気を排出するのに、腐食しない換気装置が必要だと考   えたのだ。  ビスホフとPr??erは結局間違っているということが分かり、最終的に金属製の扇 風機で十分に役に立つということになった。しかし彼らがシアンで腐食しない木製 の換気装置が必要だと考えたという事実は、否定者が死体置場と呼ぶ部屋で、シア ン化物が日常業務として使用されることになっていた、ということを論証する。 (死体置場の消毒用としては、シアン化物は役立たずである。それはバクテリアを 殺さないからだ)  他の押収文書は、絶滅プロセスの一部に直接関わるものでないとしても、それに 対する言及を含蓄している。SS少将カムレルに宛てられた押収メモは、アウシュ ビッツの焼却炉は、総計で一日に4756人の死体を焼却できる能力を期待されていた ということを暴露している。(文書の写真を見るか、コゴンの前掲書p.157を見よ)  否定者たちは、このトータルの死体焼却数は実際には達成できなかった、としば しば主張する。(疑問45を見よ)これは論点を外している。これらの焼却炉は、毎 月14万の死体を焼却するのに十分な能力を持つよう、入念に設計されていた。−− 12万5000人しか収容していない収容所において、である。我々は、1942年の半ば頃 には早くも大量死が予想され、実際に計画されていた、と結論づけることができる だろう。その最大収容可能人員数を、4週間ごとに焼却しつくせるよう設計された 収容所が、単なる拘留施設であろうはずがない。 (この項続く) #1214/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/14 22:35 ( 83) ニツコー>66Q&A1番(その5)         三鷹板吉 ★内容  最後に、ユダヤ人絶滅プロセスについての、あり余るほどの証言、告白、物的証 拠を別としても、ナチスがそれを意図し、計画していた証拠に不足がないことは明 らかである。  ナチのポーランド総督だったハンス・フランクの日記は、そのほんの一例である。 (「ナチの陰謀と侵略」1946年 第1巻 pp.992,994より)    しかし、ユダヤ人をいかにすべきだろうか? 連中を「オストランド」(東   方領地)の(再定住)村落に定住させられると思うか? 我々はベルリンで次   のように言われた。悩むことなどあるか? 「オストランド」においても「帝   国委員会(Reichkommissariat)」においても、我々が連中に出来ることは何   もない。だから、勝手に連中を消してしまえ、と。    紳士諸君、私は諸君に、いかなる慈悲の感情も捨て去るよう求めたい。我々   はユダヤ人を根絶せねばならない。帝国の機構を全体としてまっとうするため   に、連中を見つけ出し根絶可能なところでならどこででも。    350万人ものユダヤ人を、射殺することも毒殺することもできない。しかし、   それでもなお我々は、なんとかして彼らを根絶せしめる処置をとることが可能   だろう。  1943年10月4日のポーゼンでのヒムラーの演説の録音テープが押収されている。 (「主要戦犯裁判」 1948年 第29巻 p.145 最近の翻訳による)    私は今こそ、ユダヤ人の排出について語ろう。ユダヤ民族の絶滅についてだ。   「ユダヤ民族は絶滅させられる」とは、言うにたやすいことの一つだ。党員は   誰もが言うだろう。「ユダヤ人の除去、ユダヤ人の絶滅が我々の計画の一部だ   というのは、まさしく真実だ。我々はそれを遂行しつつある」と。  ユダヤ人絶滅への努力は、ナチによる公式裁判の評決の少なくとも一つの中でさ え、言及されている。1943年5月、ミュンヘンの法廷は、SS少尉マックス・タウ ブネルに対する判決文で、以下のように述べている。    被告は、ユダヤ人に対するそのような行為を理由に罰せられるのではない。   ユダヤ人は絶滅されねばならず、ユダヤ人の誰が殺されようと、大した損失で   はない。しかし被告は、ユダヤ人の絶滅は、その目的のために特別に訓練され   た部隊(Kommandos)の義務であるということを理解せねばならない。被告は、   被告自身がユダヤ民族の絶滅に協力する権限を有していると、誤って考えたが   ゆえに、処罰されねばならない。  そしてヒトラーは、公の場で少なくとも3度にもわたり、きわめて明確に言って いる。ドイツがポーランドに侵攻する7か月前の1939年1月30日、ヒトラーは帝国 議会で公式に以下のように言っている。(「スケプティックマガジン」第2巻第4号 p.50より転載)    本日、私は再び予言者として以下のことを述べたい。もし国際ユダヤ主義が   ヨーロッパ内外において、再び諸国を世界大戦に巻きこむことに成功するなら   ば、その結果は世界のボルシェビキ化とそれによるユダヤ民族の勝利ではなく、   ヨーローッパにおけるユダヤ人種の根絶である。  さて、この最後の一節は、ドイツ語で「die Vernichtung der ju(ウムラウト)dischen Rasse in Europa(ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅)」であり、ドイツ語を話す人 ならばその意味をきわめて明確に理解するだろう。  1942年9月:    ……もしもユダヤ民族がヨーロッパのアーリア諸民族を絶滅せんがために再   度世界大戦をくわだてたなら、絶滅させられるのはアーリア民族ではなく、ユ   ダヤ民族であるだろう。  1942年11月8日:    諸君は、私が帝国議会で以下のように宣言したことを想起するだろう:もし、   ユダヤ民族が、ヨーロッパ諸民族を絶滅させるために世界大戦を引き起こすこ   とが可能だと想像したとしたら、その結果は、ヨーロッパ諸民族の絶滅ではな   く、ヨーロッパのユダヤ民族の絶滅であろう。聴衆はいつも、私が予言者を気   取っていると笑ったものだった。当時私を笑った聴衆の中の、数え切れないほ   どの人々は、今日もはや笑ってはいない。そして、今なお笑っている連中は、   おそらくは、今よりただちに笑うことをやめることだろう。  他にも多数の文書や証言を示すことができる。  「いかなる証拠が存在するのか?」という疑問に対するIHRの回答が「証拠は ない」だったことを心にとめてほしい。この適当な回答が、まったく不誠実なもの だということは、すでに示された通り、確実である。そして、これこそが我々が伝 えたい一番のポイントなのだが、ホロコースト否定説は誠実さを欠いている。  続いて、残りの、IHRが存在しないだろうとしている証拠に関する、より具体 的な主張について個々に分析していこう。 (この項続く) #1215/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/14 22:38 (127) ニツコー>66Q&A1番(その6)         三鷹板吉 ★内容 ●「犠牲者の灰の山もない」というのは内的矛盾である。このQ&Aを出版したI HRが発行している雑誌の記事の中で、雑誌の編集人は、1946年にポーランドの委 員会がトレブリンカ絶滅収容所から、20フィート以上もの深さの人間を焼いた灰を 発見した、とリポートしている。(三鷹注:マーク・ウェーバー&アンドリュー・ アレンの論文「トレブリンカ」のこと) この記事はグレッグ・ラビンのウェブ・ サイトで入手できる。 (どうも、トレブリンカの生存者の幾人かは、犠牲者の死体は常に完全に火葬され たと主張しているようだ。火葬されてない遺体が灰に混じっていたという理由で、 この編集人は、生存者証言は偽証だとほのめかしている。驚くことに、この編集人 は20フィートもの厚さの人間を焼いた灰が、そもそもなぜそこに埋められるに至っ たかについては、何のコメントもしていない。おそらく、彼は言及するに値しない と感じたのだろう)  マイダネク収容所にも犠牲者の灰の山が残っている。アウシュビッツ−ビルケナ ウ収容所では、死体を火葬した灰は、川に投げ捨てられ、収容所の周囲に埋められ た。さらに、近所の農民の畑で肥料として使われもしたのだ。 ●何百万もの死体を焼却することが可能な「火葬炉もない」のだろうか? これは 絶対に嘘である。ナチ自身の内部メモによっても、生存者証言によっても、火葬炉 はこの仕事をこなすよりもずっと高性能だった。ホロコースト否定者たちは意図的 に、葬儀屋の火葬炉と絶滅収容所の巨大な工業的な焼却炉とを一般人に混同させよ うとしている。この問題については、疑問42番と45番で、ずっと詳細に検討されて いる。 ●「犠牲者が脱ぎ捨てた服の山もない」? どうもIHRは服の山が「確固たる証 拠」であると考えているようだ! 奇妙な話である。なぜなら、IHRはナチの収 容所で発見された他の種類の「山」については否定していないのだ。すなわち、犠 牲者の眼鏡の山、靴の山(アウシュビッツ、ベルツェック、マイダネク収容所)、 金歯の山、焼かれた死体の山、焼かれてない死体の山、義手や義足の山(スウィエ ボッカの「アウシュビッツ:写真による歴史」1993年 p.210を見よ)、人間の毛髪 の山(同書p.211)、中身を漁られた荷物の山(同書p.213)、ひげそり用ブラシの 山(同書p.215)、櫛の山(同書)、やかんと鍋の山(同書)、そして、そう、I HRが存在しないと主張している、犠牲者が脱ぎ捨てた服の山さえも発見されてい るのだ(同書p.214)。  おそらく66Q&Aの著者たちは「服の山」が確固たる証拠だと認めるのは彼らに とって危険であると考えたのだろう。なぜなら、そう認めてしまうと、彼らは、こ れら多くのものをも「確固たる証拠」として認めることを強いられるだろうからだ。 このことが、おそらくは、この一節が改訂版の66Q&Aでは割愛されている理由だ。  これらの品物が大量に発見されていないとすれば、その理由は一つ、ナチスがそ れらをドイツの市民に配給したからだ。これに関するメモも押収されている。その メモは、犠牲者の女性が残した下着さえもナチは再配給したことを明らかにしてい る。 ●「人間の脂肪で作られた石鹸もない」? これは本当だが、読者をミスリードし ている。非常に限られた実験的な規模で死体から石鹸が作られたという証言や証拠 がいくつかあるが、噂されたような「大量生産」はけしてなされず、知られている 限りで人間の死体から作られた石鹸は現存しない。だがしかし、石鹸製造実験が行 なわれたと供述する、イギリス兵捕虜たちとドイツ軍の役人の宣誓証言があり、そ れはいまだに反駁されていない。また、人間石鹸の製造法を記した文書も、連合軍 によって押収されている。ナチスが人類を材料に石鹸を作らなかった、と単純に述 べるのは不正確である。 ●「人間の皮で作られたランプシェードもない」? 嘘だ。−−ランプシェードと 他の人皮製「装飾品」は、イルゼ・コッホの2回の裁判で証拠として提出され、40 年代の終わりには合衆国上院調査委員会にも提示された。それらが人間の皮で作ら れていると分かる理由は、刺青が彫られているからであり、これらの品物に対する 顕微鏡による法医学鑑定も行なわれているからだ。(この件についての詳細なペー ジが準備中だ)(三鷹注:現在すでにアップされています) ●「記録もない」? ナンセンスである。(だから66Q&Aの「改訂版」では、こ の主張は割愛されているのかもしれない) 真実は、ガスによる絶滅については常 に暗号化された用語で言及され、到着ししだいガス殺されるために収容所に移送さ れた犠牲者については記録に残されなかったということだ。だが、暗号用語の使用 についての手違いがあり、すでに述べてきたような真の意味を暴露した。クレマに 関する目録と徴発請求書があり、それは、普通の用途としては異例の、だがガス大 量殺人に使うには最適な品目の存在を暴露している。ユダヤ人を収容所に運んだ移 送列車の記録があり、それらはつなぎあわされて、事実を明瞭に示している。そし てさらに、すでに述べたように、いくつかの実例も示されている。 ●「信じるに足る人口統計も存在しない」? これは「灰の山」に続く2番目の内 的矛盾である。−−疑問2番と15番を見よ。この問題を検討した英米委員会は、ユ ダヤ人の犠牲者数を570万人と見積もっている。これは人口統計学に基づいている。 以下が、正確な国別分類である。    ドイツ−−−−−−−−−−−−−195,000    オーストリア−−−−−−−−−−-53,000    チェコスロバキア−−−−−−−−255,000    デンマーク−−−−−−−−−−−−1,500    フランス−−−−−−−−−−−−140,000    ベルギー−−−−−−−−−−−−-57,000    ルクセンブルク−−−−−−−−−−3,000    ノルウェー−−−−−−−−−−−−1,000    オランダ−−−−−−−−−−−−120,000    イタリア−−−−−−−−−−−−-20,000    ユーゴスラビア−−−−−−−−−-64,000    ギリシア−−−−−−−−−−−−-64,000    ブルガリア−−−−−−−−−−−−5,000    ルーマニア−−−−−−−−−−−530,000    ハンガリー−−−−−−−−−−−200,000    ポーランド−−−−−−−−−−3,271,000    ソ連−−−−−−−−−−−−−1,050,000    引くところの離散亡命者数−−−(308,000)    殺されたユダヤ人の総数−−−−5,721,500 (この見積もりは人口統計からの結果であり、それぞれの収容所の犠牲者数の累計 によるものではない。各収容所の犠牲者数も入手可能である。−−−例えば、ドイ ツの裁判所での判決と一緒に出された、トレブリンカ絶滅収容所の犠牲者数に関す る別ファイルが入手可能だ。SSは比較的詳しい記録をとっていた。文書の多くは 破壊を免れて残存し、目撃証人の計算がそれらを補強している)  見積もりのいくつかはもっと低い数字であり、いくつかはもっと高い数字である が、これは問題における重大な点である。カーネギー・メロン大学の歴史学部長ピ ーター・スターンズは、新たに発見された文書−−とりわけ旧ソ連における−−が 示すところによれば犠牲者数は600万人より多かったと述べていると、大学の学生 新聞は報じている。他の歴史学者たちは犠牲者数は500万人をそううわまらないと 主張している。ホロコースト百科事典は、最低で5,596,000人、最大で5,860,000人 という数字を採用している。(グットマン 1990年 p.1799) ●概要として:  「リビジョニスト」はしばしば、挙証責任は歴史学者にある、と正しくも主張す る。証拠は、もちろん、1945年後半以降の公文書の問題であり、それは世界中の図 書館で入手可能である。挙証責任は何度も、何度となく果たされてきた。あなたが ここまでで読んできたのは、莫大な証拠総体のサワリのようなものとして、簡便に 提示されたものにすぎない。ずっと多くの証拠がたやすく入手できるだろう。  ホロコーストなどけして起こらなかった、とそれでもなお論じようとするのは、 馬鹿げたことである。これらの証拠もまた存在しないと真顔で主張するのは、単な る馬鹿を超えている。そして、それこそが「リビジョニスト」が誠実さを欠いてい るということの、明白な実例なのだ。 #1217/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/15 3:48 ( 46) ニツコー>66Q&A1番(おまけ)         三鷹板吉 ★内容 *三鷹の補足と感想  あらためて読み返せば直訳丸出しの悪訳文。読みにくさについてはお詫び申し上 げます。原文の英文から高校時代以来これ一冊しか使っていない研究社の新英和中 辞典で訳出しました。ドイツ語の単語については三修社の独和とペーパーバックの 独英&英独で。人名地名など固有名詞は、英米人は英語っぽく、ドイツ人はドイツ 語っぽく適当にカタカナをあてました。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」 ご不明の点があれば遠慮なくご指摘下さい(笑)  ナチ党の役職やSS(親衛隊)の階級名等については「ナチス第三帝国事典」な どを参考にしました。(その2)の「SSUntersturmf??rerハンス・メンチ医師」 の不明だった部分は「SSUntersturmfu(ウムラウト)hrer」で「SS少尉」という階級 でした。  さて、内容について三鷹が蛇足することなど無いのですが、レトリックのせいで ちょとトッツキにくい部分があったかもしれません。  例えば前文でパンフレットのさまざまな版について述べるくだり。あれは、歴史 学や古典研究においてはごく普通の文献批判手続なのですが、それをこのようなプ ロパガンダ出版物にまで適用し、あえてくどくどしく論じることにより、「文献と してのいい加減さ」を印象づけようとしているように三鷹には思えました。  ホロコースト否定に有用でさえあれば「誰が最初に言い出したのかハッキリしな い説」でも、出所不明のまま無批判で受け売りするのが、どうやら否定者の常道ら しいのです。このこと一つとってもマットウな学問の方法論とはほど遠いのですが、 パクる方も無自覚なら、パクられる方も宣伝になるならと思うのか、文句一つ言わ ないようです。  また、現にインターネットで公開されている文書であることから、独特の用語や 表現があり、それも分かりにくさの一因となっているかもしれません。三鷹もイン ターネット初心者なので、誤解してる部分も多いでしょう。  例えば複数のホームページが「クロスリンクする」という表現。ホロコースト否 定者であるツンデルのホームページのある文書のキーワードをクリックすると、同 じホームページの他の場所にある関連項目を呼び出せるだけじゃなく、反否定者で あるニツコーのホームページにある項目も出てくる……逆もまた可能……てな「密 接なリンケージ」を想像してたのですが、ンなことがどこまで可能なのかな? 項 目一つ一つに注釈がつけられるほどの「クロス」なら、IHRのラビンがビビって 腰を引く理由も分かろうというものでしょう。どんなに巧妙なプロパガンダ文書を でっちあげても、そこにイチイチ「…と書いてあるがそれは嘘だ」てな注釈がつけ られたのでは、せっかくの努力が台無しでしょうから。  そう考えると、ニツコーが「真実に秘密主義は無用」と宣言し、インターネット 上の情報統制も拒否するその姿勢は、なかなかに立派なもののように思えます。  残りのQ&Aはわずか(?)65個。毎日少しずつ紹介していきましょう。1番の み一つで500行もありましたが、2番以降は一つ40行から50行ぐらい。長くても100 行てとこなので、気楽に読めると思います。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa03.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa01.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1218/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/15 23:10 ( 47) ニツコー>66Q&A2番              三鷹板吉 ★内容 2.600万人のユダヤ人がナチスに殺されなどしなかったという、いかなる証拠が   あるのか? *IHRの主張  広範囲にわたる、法廷における、人口統計学の、分析的な、そして比較研究によ る証拠は、このような数字の不可能性を論証している。広く繰り返し主張されてい る「600万」という数字は無責任な誇張である。 *ニツコーの回答  最初に指摘しておこう。この疑問に対する答えの中でIHRは、あることが起こ  ・・・・ らなかったことを証明する「広範囲にわたる証拠」を有していると主張している。 一方、ホロコースト否定者たちは、しばしば、自分たちが何も証明する必要はない と主張している。彼らの言によれば「無かったことを証明するのは不可能だ」から だ。グレッグ・ラビンはこのことを少なくとも2度言っている。一度は暗黙のうち に、もう一度は明白に。                         ・・・・    ついでに我々は書き留めておこう。彼らは私に無かったことを証明しろと、   不可能なことを求めている。  無かったことを証明することは、もちろん可能だ。しかし、いかなる「証拠」も ここに出されていない以上、この不合理な主張に対して、明確に返答することは不 可能だ。「法廷における証拠」とは、おそらく欺瞞に満ちた「ロイヒター報告」へ の言及だろう。それには微に入った分析が記されている。  「人口統計学の証拠」とは何のことだろう? IHRは疑問1番で「信じるに足 る人口統計も存在しない」と言ったばかりではないか? これもまた内的矛盾だ。  「分析的な、そして比較研究による証拠」とはどんな意味にもとれる。これがど ういう意味なのか具体的に説明し、そのような証拠のいくつかなりを提示できる 「リビジョニスト」がいたら、どなたでもいい、我々がご招待しよう。もしも彼ら が説明や提示をするならば、それをこのページにアドレスすることをお約束しよう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ホロコーストが無かったことを証明しろ、と詰め寄られれば「無かったことは証 明不可能」と逃げるしか能がないくせに、初心者相手のパンフじゃ「広範囲な証拠 がある」と根拠レスなハッタリをかますホロコースト否定者たち。その詭弁論法を 皮肉った回答と言えましょう。  分析と比較研究の証拠を出せ、との挑戦には、ニツコーとの論争を希望している 我らの西岡さんが応えてくれるかもしれません。これをもってインターネットデビ ューちうのもカッコいいかもよ(笑)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa04.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa02.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1219/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/15 23:13 ( 85) ニツコー>66Q&A3番              三鷹板吉 ★内容 3.サイモン・ウィーゼンタールは著作の中で一度「ドイツ本国には絶滅収容所は   無かった」と述べているのか? *IHRの主張(オリジナル版)  そうだ。1975年4月に出版された「本と読書人」で、彼はユダヤ人の「ガス殺」 はポーランドで行なわれたと主張している。 *IHRの主張(改訂版)  そうだ。この有名な「ナチ・ハンター」は1993年1月24日の「スターズ・アンド ・ストライプス」でそう書いている。彼はユダヤ人の「ガス殺」はポーランドでの み行なわれたとも主張している。 *ニツコーの回答  どちらの回答もそれ自体に間違いはない。すなわち、1975年と1993年にウィーゼ ンタールは実際に、現在のドイツ領には絶滅収容所は無かったと述べている。オリ ジナル版から改訂版への変更は無害なもののように見えるが、それは読者を以下の ような憶測へと導くものである。すなわち、もっとも新しい学説では、ホロコース トはそれまで主張されてきたよりずっと限定されたものだったという、一種の容認 がなされており、真実がついに明るみに出たのだ、と。事実、ウィーゼンタールな どの説は歴史学者の学説を根拠としているのだが、ホロコースト否定者は、自分た ちの圧力によって歴史学者たちは不承不承ながら真実を明らかにするようになった のだ、と主張している。  真実は以下の通りである。すなわち、歴史学者たちや、他にもウィーゼンタール のような人々は、繰り返し多年に渡って、ホロコーストに関するいくつかの神話を 打破しようと試みてきた。人間の脂肪で作られた石鹸の大量生産という神話が、良 い例である。  彼らが打破しようとしてきたもう一つの誤った概念は、大規模なユダヤ人絶滅が ドイツ本国内で行なわれたというものだ。−−より正確には「旧帝国領(Altreich) 」つまり第2次大戦以前のドイツ領内で。旧帝国領内にも実際にガス室はありガス 殺人が行なわれたのだが、それはナチ占領下のポーランド領内の収容所…ベルツェ ック、ゾビボール、トレブリンカ、ヘウムノ、マイダネク、それにアウシュビッツ ・ビルケナウ…におけるガス殺と比較すると、ずっと小規模なものだったのだ。そ のほとんど全員がユダヤ人である約300万人が、これらポーランド領内の収容所で ガスにより殺された。旧帝国領内の収容所でガス殺されたのは、おそらく数千人程 度だろう。1万人以下であることはほぼ確実である。それら、ザクセンハウゼン、 シュトゥットホフ、ノイエンガンメ、ラーフェンスブリュックのような旧帝国領内 の強制収容所における「小規模な」ガス殺は別として、「安楽死」計画によって、 10万人以上の人々の命が奪われたということは、広く認められている。その犠牲者 の大多数は、ユダヤ人ではなかった。  ナチスがドイツ国外に絶滅収容所を建設した理由として、最低二つが挙げられる だろう。第一に、より容易にドイツの一般民衆から絶滅収容所の存在を隠すことが できた。旧帝国領の周辺地域は戦時下の混乱の中にあったので、よりたやすく隠せ たことだろう。  2番目に、殺されたユダヤ人のうちのかなり多くは、ナチが占領したドイツ東方 や南方の地域の出身だった。彼らをわざわざドイツ本国に運びこむ余計な面倒をか ける必要があったのだろうか? (疑問1の最後の人口統計を見よ)  ホロコースト否定者による承認として提示されていないのは、ウィーゼンタール の最新の「主張」(三鷹注:「スターズ・アンド・ストライプス」1993年1月24日) は、おそらくはミュンヘンの現代史研究所が1950年に言い始め、その後45年間、尊 敬すべき歴史学者たちが言い続けてきたこととまったく変わらない、ということだ。 それなのにウィーゼンタールの主張のみを選び出して取り上げることは、不作意と あてこすりによる嘘以上の何物でもない、と言ってよいだろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ホロコースト否定者が「歴史学の定説はこう言っている」などと言い始めたら、 マユにツバをつけた方が良いようです。歴史学者の誠実な研究の成果を悪用するの が彼らの常套手段です。「ドイツ国内に絶滅収容所はなかった」という結論のみを 切り取って、「ドイツ国内にガス室などなかった」と意図的に曲解してみたり、 「定説の重大な変更がなされた」と見当違いの非難をなしてみたり。  歴史学者の目的は「事実の追求」です。より正確な歴史像を再現すべく、彼らは 日夜努力し、時には研究者間で論争も行なわれています。論争の場合も、相手の主 張を正確に理解した上で反論をなすことが当然要求されます。  対して否定者の目的は「ホロコーストの否定」でしかなく、それ以上でも以下で もありません。否定者は「正確な歴史像」を構築する努力などするつもりがありま せん。単に「ホロコースト」という文字を墨で塗り潰せば目的は達せられるのです。  だから否定者は歴史学者の主張を「正確に理解」しようともしません。研究者間 で意見の不一致があれば「定説はいい加減であやふやだ」と攻撃し、より新しい研 究により訂正がなされれば「定説が今まで言ってきたのは嘘だったのだ」と騒ぎ立 てる。そう攻撃することにより、世間一般の人々に歴史学者への不信感を植え付け ようとしているのです。歴史学者の多くが、彼らとの「論争」さえ拒否するのは、 当然とも言えましょう。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa05.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa03.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1221/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/17 0:16 ( 91) ニツコー>66Q&A4番              三鷹板吉 ★内容 4.ダッハウがドイツ本国内にあり、サイモン・ウィーゼンタールでさえもダッハ   ウは絶滅収容所ではなかったと言っているとすると、なぜ、何千人ものアメリ   カの復員軍人たちは、そこが絶滅収容所だったと言っているのか? *IHRの主張  連合軍がダッハウ収容所を占領した後、何千人ものアメリカ兵が収容所の中に通 され、ガス室であると強弁されている建物を見せられたからだ。また、マスメディ アが、ダッハウは「ガス殺」収容所だという偽りの情報を大々的に流したからでも ある。 *ニツコーの回答  数万人もの人々が餓死させられ、収容所内のそこかしこで殺されたという意味で、 確かに、ダッハウは死の収容所だった。しかし「絶滅収容所(extermination camp) 」という用語は、ダッハウには当てはめないほうがよいだろう。一般的にはこの用 語は、ナチに占領されたポーランド領内にあった、ガスによる大量虐殺が行なわれ た大規模な収容所を意味するものとして使用されているからだ。(疑問3番を見よ)  疑問とされていないのは、そこにガス室が存在したということである。連合軍は ダッハウのジグムンド・ラッシャー医師からヒムラーに送られたメモを押収した。 それには以下のように記述されている。(コゴン他「ナチ大量殺人」1993年 p.202 を見よ)    ご存じのように、リンツ(ハルトハイム)で使われたのと同じ設備(ガス室)   が、ダッハウ強制収容所にも建設されました。しかるに「病弱者の輸送」は、   ある種の部屋で、どのみち終点となります。我々の多種の戦闘用ガスのいくつ   かを、この作戦にかかわる特別の人間たちに対して、テストできないかどうか、   お尋ねする次第です。現在までのところ動物実験と、これらのガスの製造中の   事故死報告しかありません。以上の一節により、この手紙は「機密」と印して   お送りしました。  あるアメリカ人のリポーターは、収容所の占領直後に、ガス室の実態を見せる映 画を作成した。その映画では、シャワー設備など実際には無いにもかかわらず、ガ ス室に「ブラウゼバッド(Brausebad)」(「シャワー」)と表示されているのが 映し出されていた。  ダッハウのガス室が実際に使用されたと証明できるか否かの問題について、明確 な答えは出されていない。歴史学者の幾人かは、ガス室が一度も使用されなかった ことに疑問はないと言っている。幾人かは、この問題にはまだ決着がついていない と言っている。この問題をたどっていくと二つの証言につきあたる。一つはイギリ ス軍士官ペインベストの証言で、彼はラッシャー医師がガス殺について話していた のを聞いたという。もう一つはフランツ・ブラーハ医師の証言である。ブラーハは、 実験的ガス殺について宣誓供述している。さらに詳しい情報が得たければ、コゴン 他の前掲書pp.202-204を見よ。ブラーハ証言については「主要戦犯裁判」1947年 第5巻 pp.167-199を見よ。  ホロコースト否定者は、言うまでもなく、ガス室は一度も使用されなかったと述 べる意見をのみ提示している。否定者はしばしば、1960年のミュンヘンの現代史研 究所長の投書から引用する。(ツァイト紙 1960年8月19日 p.16を見よ)    ダッハウではガス殺は行なわれなかった。    ダッハウでもベルゲンベルゼンでもブーヒェンヴァルトでも、ユダヤ人や他   の人々はガス殺されなかった。  この投書は、もちろん、ガスによる大量虐殺がもっと大きな収容所で行なわれた ということを確証するものである。だが、ホロコースト否定者はその部分に言及し たがらない。1960年以来、研究所はさらに調査を行なって、新たな結論に至ってい るのだが、そのことについても否定者は言及することを好まない。研究所は現在は 以下のように述べている。    ……ガス室が(ダッハウに)建設されたが、そこでは……ごく少数の実験的   ガス殺が行なわれた、と、より最近の研究が確証している。  最後に、「マスメディア」は大部分において事実を述べている。すなわち、ダッ ハウはごく小規模なガス殺の場として使われたのだ。「ガス殺収容所(gassing ca mp)」という用語が適当かどうかは、おそらく、その用語が使用される文脈にかか っている。もしIHRが、不正確な記述を掲載した新聞や雑誌を引用紹介しようと いうのなら、勝手にやらせておこう。不正確な記事が出たのは、これが最初ではな いし、最後でもない。もしホロコースト否定者たちが、新聞記事のミスがホロコー ストなど起きなかったということを証明する助けになると考えているとしたら、彼 らが欺かれていることは明らかだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  先日来の「ダッハウの未完成のガス室」に関する考察としても、まあこれで十分 でしょう。  ツァイト紙に投書したというのはマルチン・ブローシャトのことですが、東大の 石田勇治さんの指摘によれば、1960年当時、彼はまだ「所長」ではなく、所長にな ったのは、それから12年も経ってからとのこと。もちろんホロコースト否定者の側 としては、「ダッハウやベルゲンベルゼンその他でガス殺はなかった」と言った人 物が「所長」であるほうが都合が良いことは明らかで、彼らはそう記述しているワ ケです。  否定者の中には歴史学者の間の見解の相違を「定説のいい加減さ」と意図的に誤 解するのみならず、マスコミ報道と歴史学者の見解との相違まで「定説の変更」と 超拡大解釈して強弁する豪傑もいるようです。くれぐれもご注意を(笑)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa06.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa04.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1222/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/17 0:18 (104) ニツコー>66Q&A5番              三鷹板吉 ★内容 5.アウシュビッツはドイツ本国ではなくポーランドにあった。人間を殺害する目   的のガス室がアウシュビッツに存在したという、証拠は何かあるのか? *IHRの主張  証拠はない。そのような証拠に対して5万ドルの懸賞金が提供されていて、賞金 は銀行に信託預金されているが、信頼できる証拠を持ってきた人間は一人もいない。 アウシュビッツはソ連に占領され、戦後大規模な修正をほどこされた。そして死体 置場が大きな「ガス室」に見えるように改築されたのだ。それは現在、ポーランド 共産主義政府のための、旅行者向けのビッグなアトラクション施設となっている。 *IHRの主張(改訂版)  証拠はない。アウシュビッツはソ連に占領され、戦後修正をほどこされた。そし てある部屋が大きな「ガス室」に見えるように改築されたのだ。ガス室の設計と建 設に関するアメリカの指導的専門家フレッド・ロイヒターは、この部屋とアウシュ ビッツにおいてガス殺設備だと強弁されている他の設備を調査した。その結果、ロ イヒターは、それらが処刑目的に使用された、あるいは使用可能だったという主張 は「不合理」であると述べた。 *ニツコーの回答  5万ドルの懸賞金提供に関しては、それはアウシュビッツの生存者メル・マーメ ルシュタインに対して、最後の1セントまで完全に支払われた。(実際には9万ド ル) マーメルシュタインはIHRを法廷に引き出した。以下は判事による声明で ある。    トーマス・T・ジェファーソン判事は、1981年10月9日、以下のような司法   上の留意(judicial notice)を示す。    Evidence Code Section 452(h)により、当法廷は、1944年の夏期の間ポーラ   ンドのアウシュビッツ強制収容所において、ユダヤ人がガスにより殺害された   という事実を司法留意する。  そして、    それはごく単純にEvidence Code Section 452(h)の定義づけに含まれるとこ   ろの一個の事実である。議論すべき主題だとするのは理にかなっていない。ま   た、理にかなった、議論の余地のない正確さを用いることによる、即刻のかつ   正確な決定が可能である。それは単に一個の事実なのだ。  IHRは、この事実を議論する機会を与えられなかったと不平を言っているが、 アメリカの法廷機構は、常軌を逸した理論の証明を試みる場所として設けられたも のではない。いかなる召喚も無かったから、いかなる「信じるに足る証拠」も出さ れなかったのだ。−−法廷は、歴史学者が半世紀以上かけて築き上げてきた業績を、 再吟味する場所ではない。  その上その「信じるに足る証拠」とは、ホロコースト否定者が意味したいと考え るものしか意味していない。ミシェル・シェルマーは公開書簡で、もしもIHRが あらかじめ何を証拠として受け入れるか厳密に定義するのなら、IHRのそのよう な議論の申し出を受けて立とうと提案している。彼はまだ返事を受け取っていない。 (事実、現時点で彼の書簡はまだ、IHRの出版物の中で紹介されてもいない)  この裁判の後、マーメルシュタインもIHRも、それぞれ相手を誹謗中傷のカド で告訴したが、双方とも法廷にはおもむかないと決めた。ホロコースト否定者たち はこれを「ぼーっとするくらいのすばらしい勝利」であり「最初の裁判の結果を無 効にする」と主張している。ナンセンスだ。最初の裁判と次の告訴とは関連してい ない。そして告訴により2番目の裁判が行なわれたとしても、それは、アウシュビ ッツのガス室とはまったく無関係なものだっただろう。  おもに法律上の訴訟手続きにより、詳細は非常に複雑なものとなっている。いく つかの公文書のコピーを含む、ずっと詳しい内容は、FTP文書庫で入手可能だ。  フレッド・ロイヒターの欺瞞に満ちた「報告」に関しては、分割されたFAQが 入手できる。 (三鷹注:「FTP archives」「FAQ」はそれぞれニツコーのオンライン文書庫とフ ァイル形式の名称) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  アウシュビッツやトレブリンカなど、ポーランド領内の絶滅収容所は、ソ連とポ ーランドの共産主義政権により戦後捏造されたものだ、というのがホロコースト否 定者の主張です。それとどうやら「ユダヤ陰謀論」とが共存共栄しているというの だから、「保守反動」を自認する三鷹から見ても、なんとも奇妙キテレツな世界観 だと申し上げざるを得ません。さて、ここで質問です。共産主義とユダヤ人を同一 視して排斥を呼びかけた歴史上の有名人は誰だったでしょうか? ホロコースト否 定者の思想的ルーツが奈辺にあるのか、馬鹿もでないかぎり見当がつくでしょう。  マーメルシュタイン裁判についてはリップシュタットも「ホロコーストの真実」 で紹介しています。裁判の結果はもちろんお読みの通りだったのですが、結果とし てホロコースト否定者に宣伝の機会を与えてしまったのではないか、との批判もあ るようです。確かに9万ドル+アルファを遣ったとはいえ、全国ネットで報道され れば、宣伝効果はそれ以上でしょうから。  法律関係の文章の翻訳は、実際三鷹の手に余ります。以下、原文を提示しておき ますから、知識と興味のある方は訳し直してみてください。 The Honorable Thomas T. Johnson, on October 9, 1981, took judicial notice as follows: Under Evidence Code Section 452(h), this court does take judicial notice of the fact that Jews were gassed to death at the Auschwitz Concentration Camp in Poland during the summer of 1944 It just simply is a fact that falls within the definition of Evidence Code Section 452(h). It is not reasonably subject to dispute. And it is capable of immediate and accurate determination by resort to sources of reasonably indisputable accuracy. It is simply a fact.</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa07.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa05.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1223/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/17 23:47 ( 49) ニツコー>66Q&A6番              三鷹板吉 ★内容 6.アウシュビッツが「死の収容所」でなかったのなら、その本当の目的は何だっ   たのか? *IHRの主張  それは大規模な製造業の複合体だった。合成ゴム(ブーナ(Buna))がそこで生 産された。収容者は労働力として使用された。ブーナの生産プロセスは第2次大戦 中の合衆国でも用いられた。 *IHRの主張(改訂版)  それは拘留センターであり、大規模な製造業の複合体の一部だった。合成燃料が そこで生産された。収容者は労働力として使用された。 *ニツコーの回答  ある程度は真実。アウシュビッツは巨大な複合体だった。そこには通常の捕虜収 容所もあった(イギリス空軍の兵士たちも収容されていた。彼らは絶滅収容所のす ぐ近くで虐殺行為を目撃したと証言した)。アウシュビッツ2、別名ビルケナウは、 一番大きな収容所で、ガス室もここにあった。アウシュビッツ3、別名モノヴィッ ツは、工業製造プラントだった。  実際に、アウシュビッツでは多くの囚人が強制労働につかされた。しかし「不適 格者」−−老人、子供、それに女性の大部分を意味する−−は、ただちにガス室に 送られた。  改訂版の答えの中で、IHRはブーナではなく「合成燃料」がそこで生産された と述べている。これはより正確だ。戦争の終わり頃には、ブーナ収容所では1オン スの合成ゴムも生産されなかった。  このことを認める部分には技術的な間違いがある。なぜなら、疑問40番の中でI HRは、燃料など全然無かったから死体を焼くことは不可能だったと述べているか らだ。ほんの数マイル離れたところに燃料合成プラントがあったとIHRが認める としても、だ。プラントは燃料を生産した。事実、それが理由でプラントは連合軍 の爆撃目標となったのだ。これもまた内的矛盾である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  これも否定者が得意な「ひっかけ問題」の一つのようです。アウシュビッツがユ ダヤ人を絶滅させるための収容所だったというのなら、そこで生産労働に従事した ユダヤ人、殺されずに生き残ったユダヤ人の存在をどう説明するのか、と。  苛酷きわまりない強制労働によって大量の犠牲者を出し、文字通りの「労働によ る絶滅」を実践したアウシュビッツ3(モノヴィッツ)について詳しく論じた本も 最近邦訳されています。(「奴隷以下―ドイツ企業の戦後責任」 ベンジャミン・ B.フェレンツ 凱風社) それによれば、ブーナ収容所だけでも3年間で3万人 以上が死んだそうです。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa08.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa06.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1224/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/17 23:48 ( 44) ニツコー>66Q&A7番              三鷹板吉 ★内容 7.誰がどこにいつ最初の強制収容所を設立したのか? *IHRの主張  西欧世界において最初に強制収容所が使われたのは、明らかに独立戦争中のアメ リカにおいてである。イギリス軍は何千人ものアメリカ人を拘禁し、その多くは病 気と殴打によって死んだ。アンドリュー・ジャクソンとかれの兄弟−−彼らは死ん だ−−の場合は両方だった。後にイギリス軍は、南アフリカに強制収容所を設立し た。その目的は、イギリスが南アを征服する間(ボーア戦争)に、アフリカーナー (オランダ系移民)の女性と子供を捕らえておくためだった。これらの地獄穴で何 万人もが死んだ。これは、第2次大戦中のいかなるドイツの強制収容所と比べても、 ずっと悪い。 *ニツコーの回答  ホロコーストの問題とは無関係なもの。最後の一節のみは別だが、それは不合理 である。ホロコースト否定者でさえ、数十万もの囚人がナチの収容所で死んだこと を認めざるを得ない。−−疑問36への答えを見よ。これもまた内的矛盾である。  IHRはナチスの犯罪を、他の悪行と比較することによって、ごまかしてしまい たいと望んでいるのだ。我々は、この倫理相対主義に与するつもりはない。我々は ナチスについての歴史的事実を提示し、読者に自分の心できちんと考えてもらいた いだけなのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  しかし、歴史を学ぶ者にとって「倫理相対主義」の誘惑は、抗することがきわめ て困難なものである、と三鷹は考えます。歴史学に魅かれる者にとって、歴史とは 無味乾燥な諸事実の単なる堆積ではなく、どんな小説より映画よりすばらしく魅力 的な「物語」だからです。専門研究者においても程度の差はあれ同様でしょう。  「物語」である以上、必ず「倫理」の影が射します。物語る者も語られる者も等 しく「人間」であり、人間は倫理無しでは生きていけない生き物だからです。彼の この行為は正義か否か、との問い掛けは常に話者と読者双方に投げかけられます。 主人公への肩入れの度合いが強ければ強いだけ「正義なり」と断言したい誘惑に襲 われます。彼が我らの同胞であり父祖であったなら、なおさらのこと。そこで登場 するのが倫理相対主義の誘惑。千人の敵を奸計をもって殺した主人公ならば「敵は かつて同様に万人を殺し、その過半数は女子供だった」云々と。  神ならぬ人の子は倫理相対主義から無縁ではいられない、と自覚し自戒するのが 肝要でしょう。もちろん「我が父祖は正義なり」の陰画でしかない「我が父祖は不 正義なり」という「倫理」についても同様です。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa09.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa07.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1225/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/18 21: 9 ( 46) ニツコー>66Q&A8番              三鷹板吉 ★内容 8.ドイツの強制収容所(German consentration camp)と第2次大戦中に日系、   ドイツ系、イタリア系アメリカ人を拘禁したアメリカの強制収容所(American    relocation camp)とはどのように違うのか? *IHRの主張(オリジナル版と改訂版)  名前が違う以外、唯一の重要な違いは、ドイツ人は、ドイツの戦争努力に対する 現実の保安上の脅威もしくはその容疑を根拠に人々を拘禁したが、それに対して、 アメリカ人は、人種それのみを根拠に人々を拘禁したということだ。 *ニツコーの回答  ホロコーストの問題とは無関係で、しかも真実ではない。「ドイツ人は、ドイツ の戦争努力に対する現実の保安上の脅威もしくはその容疑を根拠に人々を拘禁した」 というのは真実かもしれない−−もし、すべてのユダヤ人が単にユダヤ人であると いう美徳ゆえに、保安上の脅威の容疑者だったということを認めるのならば。  一例として、1942年、ヒムラーからヒトラーに送られた報告は「Bandenverdaech tige」−−反対勢力の容疑者−−を3つのカテゴリーに分けてリストしている。 「拘留された者」は19000人である。「処刑された者」は14000人である。そして 「処刑されたユダヤ人」は33万人である。この文書の写真と翻訳が入手可能である。 ちなみに、この33万人ものユダヤ人は、アインザッツグルッペン(三鷹注:ユダヤ 人虐殺を任務として東部戦線後方で活動した特殊部隊)により、1942年後半のちょ うど4ヶ月間に処刑されたのだ。  ドイツの収容所とアメリカの収容所の間に重要な違いがなかったという主張も、 もちろん嘘だ。アメリカ人は何百万もの人々を餓死させはしなかった。収容者を劣 悪野蛮な条件化で労働させはしなかった。そして、彼らが労働に「不適格」だから といって、ガス室に送りこみはしなかったのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  第2次大戦中のアメリカで「人種」を理由に収容所に入れられたのは日系人のみ であり、ドイツ系やイタリア系にはそのような処置はとられなかった、と三鷹は認 識しています。なのにIHRは「日系、ドイツ系、イタリア系」と併記しています。 あたかもドイツ系アメリカ人もイタリア系アメリカ人も、日系アメリカ人同様の苦 難を経験させられたかのように。IHRはいかなる根拠でこのように「疑問」を記 述したのでしょうか? まさか、有色人種が強制収容されたというだけではパンフ レットの「読者」にその不当性をアピールできない、やっぱ「白人」が酷い目に遭 ったというんじゃないとダメだよな、と考えたから?  疑問7番への回答中でIHRが例示しているイギリスの収容所の犠牲者が「独立 戦争時のアメリカ人」「ボーア戦争時のアフリカーナー(オランダ系移民)」と、 どちらも「白人」であることをチェックしておきましょう。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa10.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa08.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1226/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/18 21:10 ( 46) ニツコー>66Q&A9番              三鷹板吉 ★内容 9.なぜドイツ人はユダヤ人を強制収容所に拘禁したのか? *IHRの主張  ユダヤ人はドイツの国家主権と生存に対する直接の脅威である、とドイツ人は考 えたからだ。そして、ユダヤ人は共産主義者の破壊的活動を圧倒的に代表していた からだ。とはいえ、保安上のリスクと疑われるものはすべて−−ユダヤ人に限らず −−拘禁される危険にさらされていた。 *サミスダット版の主張  ユダヤ人はドイツの国家主権と生存に対する直接の脅威である、とドイツ人は考 えたからだ。ユダヤ人は共産主義者の破壊的活動を圧倒的に代表していた。人口の 割りに、ユダヤ人は政府の要職、商業的地位、専門職を代表しすぎていた。とはい え、保安上のリスクと疑われるものはすべて−−ユダヤ人に限らず−−拘禁される 危険にさらされていた。 *ニツコーの回答      ・・・  ユダヤ人すべてが共産主義者、もしくは国家の安全に対するリスクだったのか? さらに、ポーランドのようなドイツ以外の国々のユダヤ人も? さらに同性愛者や ジプシーも? これはナチスのプロパガンダの中でも最悪な類のよみがえりである。 ユダヤ人が「共産主義者の破壊的活動」を「圧倒的に代表」し、間違った「専門職」 についているという論述は、反セム主義のナチス・プロパガンダそのものである。  事実は、ナチスはこのようなプロパガンダを、ユダヤ人虐殺を正当化するために 使ったということだ。前進する東部戦線の背後や、ナチが侵略した他の国のすべて で、ナチが見つけ出した何百万人ものユダヤ人、男も女も子供も、すべてを虐殺す るために。  ちなみに、ホロコースト否定者は、女子供も含む数十万人のユダヤ人が、東部占 領地で射殺されたということを認めている。(次の疑問10番を見よ) ナチスは、 戦時下の諸条件を理由として、これを正当化できると主張した。我々が見るに、こ れと同じ正当化が、50年後の現在、再びなされようとしている。恐るべきことだと 我々は考える。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ナチスへのシンパシーを隠そうとしないエルンスト・ツンデルはともかく、表向 き「政治的中立」を標榜しているIHRも、こと「ユダヤ人」に関しては、相当に 歪んだ歴史観を明らかにしているようです。ヒトラーがホロコーストの口実とした ところの、1930年代のドイツにおける「ユダヤの脅威」仮説について、IHRがい かなる珍説をなしているか、以下の数項目を見るとよく分かります。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa11.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa09.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1227/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9: 1 ( 86) ニツコー>66Q&A10番              三鷹板吉 ★内容 10.世界のユダヤ民族が、1933年という早い時期に、ドイツに対して行った広範囲   な方策とは、いかなるものか? *IHRの主張  ドイツ製品の国際的ボイコットである。 *サミスダット版の主張  1933年3月24日、国際ユダヤはドイツに対して宣戦を布告し、ドイツ製品に対す る世界規模のボイコットを指令した。ドイツ政府がユダヤ人を影響力のある地位か ら去らしめ、権力をドイツの人々の手に取り戻したという、それだけの理由でだ。 このボイコット指令とユダヤ人による対ドイツ「戦争」は、世界的なメディアで報 道され、ありとあらゆるところに放送された。ドイツの「死の収容所」についての インチキな作り話は第2次大戦以前に流布された。その結果として、ドイツは、ユ ダヤ人を戦争捕虜として扱うあらゆる権利を得たのだ。1933年から45年の間、いつ どこにおいても。 *ニツコーの回答  このボイコットは、次の疑問11番で言及されていることとまったく同じものでし かないようだ。違うのは、疑問11番では「ドイツへの宣戦布告」として言及されて いるということだけだ。  なぜIHRは、この一つの出来事を二度にわたり違う言い方で表現したのだろう か? 何かうさん臭いことがなされているようだ。  ドイツ製品のボイコットは、ナチスのさまざまな非道への反応として行われた。 その非道には、ナチによるユダヤ製品とサービスのボイコット計画も含まれる。  だがIHRは、まさに都合よく、このことについて言及するのを「忘れた」のだ。  サミスダット版(エルンスト・ツンデル)における騒々しい反セム主義をチェッ クしておいてほしい。ガス室もユダヤ人絶滅の努力も、全然気にかけていないし、 600万人もの死についても全然気にかけていない。あなた自身に単刀直入に訊ねて ほしい。ユダヤ人の幼児をわずかな食べ物しかなく衛生設備もない、チフスが猛威 をふるっている収容所に送りこんで蝿のように死なせる「あらゆる権利」を、ナチ スが持っていたかどうか、と。これらのユダヤ人の赤ん坊も「戦争捕虜」だったの か?  「リビジョニスト」でさえ、このような虐殺が発生したことを認めざるをえない。 ホロコースト否定者デビット・アービングは1944年のヒムラーの演説を以下のよう に描写している。(スケプティックマガジン 第2巻第4号 p.50)    「もし人々が私に訊ねるならば」とヒムラーは言った。「なぜ子供たちまで   殺す必要があったのか?と。そこで私が言い得ることはひとつ、私はそのよう   な疑問を抱くような臆病者ではないからこそ、自分の子供に対して私自身が為   し得る何かを残せるのだ、ということだ」…私はヒムラーがそう言ったと認め   る。ヒムラーは実際に言った。「我々はユダヤ人を一掃してる。我々は彼らを   殺害している。我々は彼らを抹殺している」…ヒムラーはユダヤ人問題の解決   について語っている。女性も子供も殺しつくさねばならないということについ   て。  1933年の新聞記事が、ナチスにこのようなことを行う「あらゆる権利」を与えた と言うのだろうか? (アービングはこのインタビューで、ヒムラーはどれだけのユダヤ人が殺されてい るのか特に言及していないから、ゆえにこれはホロコーストの証拠ではない、と主 張している) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ちなみに「国際ユダヤ」というのは、昔も今もユダヤ陰謀論者が好んで使う用語 のようです。隠然たる凄いパワーを持っていて、命令一下、世界のすべてを思うが ままに動かせるようなイメージですが、実際にはそんなものが存在したことは、歴 史上、ただの一度もありませんでした。  それどころか、イスラエル国家の成立以前の1930年代には、そもそも、ユダヤ人 を代表すると国際的に認められた組織さえ存在しなかった。たとえばPLOのよう なものをイメージしてくれれば分かりやすいと思いますが、そのようなカッコつき の「主権」さえもっていなかった。諸国のユダヤ人はそれぞれバラバラに暮してお り、統一された意思などもちようがなかった。そのことが、ユダヤ人がホロコース トに抵抗する上での最大の弱点の一つであったわけです。  宣戦布告というのは、国家が国家に対して行うものです。ユダヤ国家いまだ存在 せず、国家に準じるものとしてのPLOのような組織さえ無いのに、どうやってユ ダヤがドイツに対して「宣戦布告」などなしえたのでしょうか。実体であったとこ ろの「ボイコット」ですら、ユダヤ人全体の意思とはイコールではなかった、と三 鷹はみています。  それを「宣戦布告」とこじつけ強弁するのは、そう解釈した方が都合がよいと政 治的に判断する者のみでしょう。かつて、ナチス自身がそうでした。今、ホロコー スト否定者が同じことを繰り返しているわけです。否定者の思想的ルーツのみなら ず、方法論的ルーツに関しても「お里が知れる」てなとこでしょう。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa12.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa10.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1228/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9: 2 ( 67) ニツコー>66Q&A11番              三鷹板吉 ★内容 11.世界のユダヤ人は「ドイツへの宣戦布告」を行なったのか? *IHRの主張(オリジナル版)  そうだ。世界的報道機関が「ユダヤがドイツに宣戦布告」という大見出しで報じ た。 *IHRの主張(改訂版)  そうだ。世界中の新聞がこのことを報道した。一例として、ロンドン・デイリー ・エクスプレス(1933年3月24日)の第一面の大見出しは「ユダヤがドイツに宣戦 布告」と報じている。 *ニツコーの回答  「世界的報道機関」? 「世界中の新聞」? 経済的ボイコット計画について報 じるイギリスの新聞が一つ引用されているだけである。  この記事の転載は入手可能である。大見出しに続く段落を以下引用しよう。    ドイツのユダヤ人いじめ物語の、奇妙で不幸な続編が明らかにされた。    世界中のイスラエル全体は、ドイツに対し経済的財政的宣戦布告をなすべく、   連合している。    今まで上げられてきた叫びは「ドイツはユダヤ人を迫害する」というものだ   った。もしこの計画が実行されたら、ヒトラー主義者の叫びは「ユダヤ人はド   イツを迫害している」になるのだろう。   (三鷹注:この場合の「イスラエル」というのは、ユダヤ人というよりは、むしろ 「善きキリスト教徒」という意味であり、ナチスに反対するキリスト教徒もこのボ イコットを支援すべきだ、と主張しているのでしょう)  この「ヒトラー主義者の叫び」が40年も後にホロコースト否定者によってオウム 返しにされているという事実に、いまさら誰も驚きはしないだろう。(ヒトラーに 対する否定者のさまざまな見解について知るには、疑問62番を見よ)  要するに、この疑問と回答は、「世界のユダヤ人」が他の方法をとる替わりにド イツに対する「戦争」を開始したかのように見せかけようとする、安っぽいトリッ クである。「戦争」という言葉にはたくさんの意味がある。この場合、「戦争」と いう言葉は、経済的圧力を使う計画を意味しているのだ。  だが、IHRとツンデルは、本当の宣戦布告であったと思いたがっている。「ユ ダヤ」が軍隊何個師団を持っていたというのか? 何輌の戦車を? 何機の飛行機 を? 何発の砲弾を保有していたというのか?  事実は、ドイツが本当の戦争、すなわち第2次世界大戦を開始し、その手始めに ポーランドを飛行機と爆弾と戦車と何百万もの歩兵で侵略したということだ。この ことと経済的ボイコット計画とを比較するのは馬鹿げている。それは「リビジョニ スト」のペテンの典型である。  さらに、内的矛盾がある。疑問54番への答えで、否定者は「ドイツはシオニスト 指導部と誠心誠意の関係を維持していた」と述べている。戦争は、誠心誠意の関係 などではない。否定者は、自分たちの作り話を首尾一貫させるべきだろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  否定者が並べるような屁理屈が通用するなら、たとえば日本とアメリカはずいぶ ん前から激烈な「戦争状態」にあるワケです。繊維戦争あたりから始まって、自動 車戦争、半導体戦争などの見出しが両国の新聞に踊ったのは、百例二百例じゃきか ないでしょう。  だったらば、もし仮に来月あたり、日本の海上自衛隊が隊員のバカンスもかねて ハワイへ2回目の「真珠湾攻撃」を敢行したとしても、今度は「宣戦布告なきだま しうち」てな非難は成立しない、てことになるかもしれませんね(笑)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa13.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa11.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1229/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9: 9 ( 98) ニツコー>66Q&A12番              三鷹板吉 ★内容 12.この「宣戦布告」は、「死の収容所」が噂され始める前だったのか、後だった   のか? *IHRの主張       ・  ほぼ6年も前である。ユダヤは1933年にドイツに宣戦布告した。 *ニツコーの回答  疑問11番への答えでチェックしたように経済的「戦争」だった。  ここにも内的矛盾がある。疑問10番への答えの中で、サミスダット版は「ドイツ の死の収容所についてのインチキな作り話」は1933年に「流布された」と主張して いる。  もう一つ内的矛盾がある。疑問54番への答えの中でIHRは「ドイツはシオニス ト指導部と誠心誠意の関係を維持していた」と述べている。戦争は、誠心誠意の関 係などではない。  1939年に戦争が勃発した、その何年も前にナチ指導者がなした声明と行動がいく つかある。  1919年、ヒトラーはある手紙の中で以下のように書いている。    …国民をより偉大な存在のために戦わせるすべてのもの、宗教、社会主義、   民主主義はかくあり得るが、それらは単にユダヤ人に彼らの貪欲と権力への渇   望を満足させるための手段として提供されているのだ。    (感情的反セム主義とは)対照的に、理性的な反セム主義は、ユダヤ人の特   権に対する、組織された合法的な闘争と撲滅運動を指導せねばならない。我々   の間に混じり住んでいる他の外国人よりまさって、ユダヤ人はそれらの特権を   享受しているのだ。その最終目標は、なんとしても、我が国の中心からすべて   のユダヤ人を完全に除去することでなければならない。  1924年:ヒトラーは獄中で「我が闘争」を執筆した。その中で彼は、第1次大戦 中にドイツが有力なユダヤ人をガス殺しなかったことを悔いている。  1932年:ヘルマン・ゲーリングはナチ党(権力を掌握する前の)を代表してイタ リア人のリポーターのインタビューに答え、以下のように言っている。すなわち、 ナチスはユダヤ人から自らを防衛する必要がある。そのために、ユダヤ人との通婚 を禁止し、東欧の血を引くドイツのユダヤ人を駆逐し、ドイツ土着のユダヤ人を、 彼らが「破壊的、反国家的、国際的影響」を及ぼすおそれがあるとナチが考えると ころの、名誉ある地位や立場から引きずり降ろすことが必要である、と。  このインタビューを再録したナチスの白書の中で、ナチは、彼らがユダヤ教会を 炎上させ、殺人傾向のあるユダヤ人の一団をゲットーや牢獄に閉じ込め、彼らを木 から吊るすつもりである、と述べている。(1932年7月13日「NSDAPの陣地」 (NSDAP=ナチ党))  1932年夏:プロイセン議会(ワイマール議会)でナチ党は、ドイツ人の血をひか ない俳優と芸術家の解雇、ユダヤ教の儀式に従った食用動物の屠殺の禁止、ドイツ に居住する東欧ユダヤ人の資産の没収を要求した。  1932年7月31日:ゲッペルスはアングリフ紙に、ユダヤ人に対するポグロム(三 鷹注:ユダヤ人に対する迫害と虐殺)を要求する記事を執筆した。  1933年1月30日:アドルフ・ヒトラーは、ドイツ首相に任命された。  1933年3月:ナチへの反対者たちが逮捕され、最初の強制収容所に投獄された。  1933年3月13日:ヒトラーはゲッペルスを大臣として情報宣伝省を設立した。  1933年3月23日:ヒトラーは「国民と帝国から苦難を除去するための法律」に署 名した。これにより、ヒトラーにドイツ国内の地方議会すべてを廃止する権限が与 えられた。  1933年3月31日:プロイセン州の司法長官ハンス・ケールとババリア州の司法長 官ハンス・フランクは、すべてのユダヤ人判事と検事はすみやかに職を解かれ、ユ ダヤ人法律家と公証人は今後営業を許可されないと告知した。(彼らの州において。 同じ言明がその後すぐに他の州にも広がった)  この「66Q&A」も否定者のプロパガンダの大部分も、常に、問題をあらかじめ 準備された結論に合うようにするための材料を探している。否定者は、文章の前後 関係から切り離された、ある奇妙な事実を提示する。そして、これ以上は知る必要 はないと、読者を納得させようとする。だが、文章の前後関係を復元してみれば、 しばしば、その奇妙な事実とやらが、当時起きていた他のことと比べて、奇妙でも なんでもないということがバレてしまう。  ここに列挙したのは、1933年のユダヤ人によるボイコット以前の、公式の、よく 知られた反ユダヤ行動や著述だ。これらの行動や著述は、時が進むにつれ、より明 白に暴力的になっていった。ヒトラーは、よりいっそう腹蔵なく本音を述べるよう になっていった。以下紹介する、1939年1月30日の公式声明に至るまで。    本日、私は再び予言者として以下のことを述べたい。もし国際ユダヤ主義が   ヨーロッパ内外において、再び諸国を世界大戦に巻きこむことに成功するなら   ば、その結果は世界のボルシェビキ化とそれによるユダヤ民族の勝利ではなく、   ヨーロッパにおけるユダヤ人種の根絶である。  ヒトラーはこの感情的意見を最低でももう2回繰り返している。公式に、戦争の 間。そして、そう主張する彼は、もはや独りでははなかったのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  否定者の論法にかかれば、時間の流れを逆転させ、事件の因果関係を逆転させる のも容易いこと。時空さえ超越した難度Eのウルトラ詭弁とでも申し上げましょう か。3連続コバチも霞むほどです。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa14.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa12.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1230/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9:10 ( 23) ニツコー>66Q&A13番              三鷹板吉 ★内容 13.民間人に対する大量爆撃を実行したと考えられている最初の国はどこか? *IHRの主張  イギリス−−1940年5月11日。 *ニツコーの回答  スペイン内戦中の1937年、スペインのゲルニカの町が、ドイツ空軍により爆撃さ れた。  だが、このこととホロコーストとどんな関係があるのだろうか?  連合軍が民間人を大量爆撃したのは真実である。−−ドイツ軍がやったと同様に。 ドイツ人に対しても非道がなされたという事実が、ドイツ人はいかなる非道もなさ なかったことを意味するのか? どうにも不思議なリクツである。  最後の疑問のいくつかは、そのことをただほのめかしたと思われる。だが、IH Rは他の場所では、ヨーロッパ・ユダヤ人の投獄は正当化されると、おおっぴらに 示唆している。彼らのウェブ・ページを見よ。ユダヤ人の強制収容所への収容。そ れを正当化できるのか?</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa15.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa13.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1231/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9:11 ( 30) ニツコー>66Q&A14番              三鷹板吉 ★内容 14.アウシュビッツには人々を殺すためのガス室がいくつあったのか? *IHRの主張  一つもなかった。 *ニツコーの回答  例の通り間違っている。例の通り証拠がない。  アウシュビッツには5つの「クレマ(Krema)」があり、それぞれが、他のあれ これとともに一個のユダヤ人絶滅用ガス室と、犠牲者を火葬するための焼却炉を備 えていた。最初の1つは本来の使用目的から改装されたものだった。残りの4つは 最初からガス室として設計されていた。 (完全を期するために:プルサックという、有能で高く評価されているアマチュア 研究者は、最も大きな二つのクレマは、もともと死体置場として設計されたのだが、 建設のごく初期にガス室へと設計変更されたと考えている。この見解においては、 彼は研究者の中では少数派である)  他に二つの絶滅用設備があった。「ブンカー1」もしくは「赤い小屋」と呼ばれ たものと、「ブンカー2」もしくは「白い小屋」と呼ばれた設備である。  再び完全を期するために:最初のガス殺は第11ブロックの地下室で行なわれた。 また、6番目のクレマも存在したのだが、きわめて初期の計画段階でしかなかった。  「死の収容所アウシュビッツの解剖学」グットマン他 pp.157-245を読むことを お薦めする。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa16.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa14.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1232/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9:12 ( 29) ニツコー>66Q&A15番              三鷹板吉 ★内容 15.ドイツ軍が支配することになった地域に、戦争の前、何人のユダヤ人がいたの   か? *IHRの主張(オリジナル版)  400万人以下である。 *IHRの主張(改訂版)  600万人以下である。 *ニツコーの回答  IHRは疑問1番で「信じるに足る人口統計も存在しない」と言ったばかりでは なかったのか?  ポーランドに約300万人、ハンガリーに100万人、ロシアのナチに占領された地域 に100万人以上、そしてヨーロッパ全体ではもっともっと多く。ヴァンゼー会議に 出されたナチ自身の数字によっても、占領されたヨーロッパには1100万人のユダヤ 人がいた。疑問1番への答えを見よ。  以下のことをもチェックしておいてほしいのだが、もしも仮に本物の歴史学者が ホロコースト関係の見積もりを600万人から400万人に、あるいはその逆に変更した としたら、「リビジョニスト」はそれを繰り返し、歴史学者が作り話を変更してい る証拠として、また歴史学者は自分の主張を支える本当の数字など持っていない証 拠として引用することだろう。だが、リビジョニスト自身が数字を200万も変更し ても、リビジョニストたちはそんなに騒ぎ立てないようだ。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa17.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa15.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1233/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9:14 ( 25) ニツコー>66Q&A16番              三鷹板吉 ★内容 16.もしヨーロッパのユダヤ人がナチスによって絶滅させられなかったとしたら、   彼らに何が起こったのか? *IHRの主張  戦後、ヨーロッパのユダヤ人は相変わらずヨーロッパにいた。それ以外、おそら く30万人が戦争中にさまざまな理由で死に、イスラエル、合衆国、アルゼンチン、 カナダ、その他に移民したものもいた。ヨーロッパを離れたユダヤ人は、戦争中で はなく、戦後になったからそうしたのだ。彼らのことはすべてキチンと説明できる。 *ニツコーの回答  これは馬鹿げている。約500万人もの消えたユダヤ人が第2次大戦後、これらの 国々に移民したとほのめかしているのだろう。これには現実的な根拠が無いし、長 期的視野で見るとおかしい。これらの国々のユダヤ人のほとんどは、第2次大戦前 に移民していたのだ。たとえば、パレスチナでは、戦前の1936年には37万人のユダ ヤ人がいたが、戦後の1947年には59万人だった。アメリカでは1939年には554万人 のユダヤ人がいたが、現在は約600万人だ。実際には、約600万人の消えたユダヤ人 がいるのだ。それはキチンと説明されはしない。−−ドイツの収容所を別として。  興味深いことに、著名な「リビジョニスト」デビッド・アーヴィングは最近、ラ ジオのインタビューの中で驚くべき告白をなした。まったくだしぬけに、彼は、戦 争中に強制収容所で400万人のユダヤ人が死んだと今は信じている、と述べたのだ。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa18.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa16.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1234/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9:18 ( 40) ニツコー>66Q&A17番18番            三鷹板吉 ★内容 17.どれだけのユダヤ人が、ソ連の奥深くまで逃げ去ったのか? *IHRの主張  200万人以上である。ドイツ軍はこのユダヤ人住民に接触することはなかった。 *ニツコーの回答  残ったユダヤ人数はどのくらいだと勘定できる? 疑問18番を見よ。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa19.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa17.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>18.どれだけのユダヤ人が、戦争に先立って移民した、すなわちドイツ軍の手の届   かないところにいたのか? *IHRの主張  100万人以上である。(ソ連に吸収された分は含まない) *ニツコーの回答  そうだ。それでも600万人以上が残った。ヴァンゼー会議に出されたナチ自身の 見積もりによれば、1937年には約1100万人のユダヤ人がヨーロッパにいたのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  この計算には、ちょと補足説明しといた方がいいかもしれません。ヨーロッパに いたユダヤ人1100万人のうち、否定者は「200万人以上」がソ連領内に逃れ「100万 人以上」がそれ以外の国に逃れたと説明しています。それぞれを最大限多めに「30 0万未満」「200万未満」と見積もって計「500万未満」。それに疑問16番で挙げて いる「死者30万」を併せても最大「約500万」。  その数字をすべて認めたとしても、なお説明できない600万以上が残る、とニツ コーは指摘しているワケです。  ちなみに「ホロコースト歴史地図」によれば、終戦後の1945年に生き残って出身 地に戻ったヨーロッパのユダヤ人数は約200万人にすぎません。(ソ連西部域の30 万人も含む) IHRの主張する逃れた「300〜500万」とまったくダブりが無いと 仮定しても、生存者は総計「500〜700万」。それを1100万人から引けば、400万か ら600万の失われたユダヤ人口が、説明できないまま残るわけです。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa20.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa18.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1235/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/22 12:28 (129) ニツコー>66Q&A19番              三鷹板吉 ★内容 19.アウシュビッツが絶滅収容所ではなかったのなら、なぜ司令官ルドルフ・ヘス   は、そのように自白したのか? *IHRの主張(オリジナル版)  彼はイギリス軍の制服を着たユダヤ人の尋問者たちにより拷問されたのだ。尋問 者の一人は後にそのことを認めている。 *IHRの主張(改訂版)  彼はイギリス軍の憲兵により拷問されたのだ。彼の尋問者の一人が、後に認めて いる。 *サミスダット版の主張  彼を逮捕した者たちが、聞きたいと望むことを語るように、昔ながらの方法が使 われたのだ。 *ニツコーの回答  ちょっと待ってほしい! 訂正版それぞれで、お話がどんどんあいまいになって いる。  この拷問者は、正確には何を認めたのだ? IHRの最初の主張では、尋問者た ちはユダヤ人のスパイで、イギリス軍の(偽の)制服を着ていたということだった。 もしこれら尋問者の一人がこのことを認めたと仮定するならば、なぜIHRは周辺 のあれこれを変更し、身分を偽ったユダヤ人スパイを、本物のイギリス憲兵に変え たのだろうか。  本当の答えは、この「イギリス軍の制服を着たユダヤ人の尋問者たち」について の主張は、ホロコースト否定者による創作文学以外の、どこにも見受けられないと いうことだ。この主張はこの「Q&A」だけに見受けられる。それを支えるいかな る証拠も存在しないのだ。  別の言い方をすれば、誰かがこれをでっちあげたのだ。後に、別の誰かが、これ らすべてを黙って取り下げた方がよいと決定した。他の65のQ&Aのいくつがこれ と同様なのだろうか? それらの根拠となる証拠を否定者は提示しないから、我々 には分からない。  ヘスの自白に関して言えば、我々はすべての情報を、全体の文脈に従って検討し なければならない。ヘスの自白における本質的事実を確証する、他のおびただしい 証言がある。ガス殺と大量射殺が行なわれたことを、きわめて明瞭に示している押 収文書がある。そのリストはいくらでも続く。ほんのいくつかの例については、疑 問1番への答えを見よ。  ヘスが強制を受け作り話を押しつけられたという仮説に、否定者はきわめて強く 依存している。だが、彼らには断片的証拠の二つきりしかないのだ。  ●ルペート・ブトラーの「死の軍団」という扇情的な本。ブトラーは、ヘスが最   初に見つかった時に殴打されたことの目撃について語っている。彼が、イギリ   ス軍の制服を着たユダヤ人エージェントについて、何の言及もしていないのは、   もちろんである。    最も重要なのは、何が起こったかについてのブトラーの説明は、ヘスが作り   話を押しつけられたとする否定者の仮説と矛盾しているということだ。ブトラ   ーの本のどこにも、ヘスが偽証用に特定の作り話を与えられたとの言及はない。   ヘスが殴打された、と単に述べているだけだ。  ●「リビジョニスト」のロベール・フォーリソンが、勝手に公開はできないとし   ている秘密文書の中に含まれているとされる、断片的伝聞。(もしもそれが関   係あるとするならば、否定者が伝聞を根拠として認める最初の例となるだろう) (「双方の言い分を聞こう」というマーク・ウェーバーの小論の脚注2を見よ。こ の小論は、グレッグ・ラビンのウェブ・サイトとエルンスト・ツンデルのウェブ・ サイトの「ホロコーストについての異なる視点」にアップされている)   この二つの脆い言い訳によって、否定者は、ヘスの自白、証言、告白遺録、その 他、ヘスがガス殺と絶滅計画について言ったり書いたりしたすべてを却下し無視す る。ヘスの証言と告白遺録からの抄録が入手可能である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  公正を期するために追記しておきますが、1946年3月11日、逃亡中のヘスがイギ リス軍に逮捕され、取り調べを受けた際に、なんらかの暴力が振るわれたというこ とは、ヘス自身による「告白遺録」に記されています。以下、ちょっと長いですが、 その箇所を引用します。(「アウシュヴィッツ収容所 所長ルドルフ・ヘスの告白 遺録」サイマル出版会 pp.170-171)    そして1946年3月11日午後11時、私は逮捕された。私の毒薬ビンは、二日前   にこわれてしまっていたので、そこらにひんぱんに起こった強盗事件の捜索と   感ちがいしたため、まんまと逮捕されてしまったのだ。私は軍事保安警察によ   ってはげしい質問責めにあった。    私は、ハイデの町に送られ、よりによって、8か月前に英軍の手で釈放され   たばかりの同じ営舎にぶちこまれた。    決定的な証拠にもとづいて、私の最初の取り調べがはじめられた。調書に署   名はしたものの、それに何と書いてあるのか私は知らない。つまり、アルコー   ルと鞭が、私にとっては多きにすぎたということだ。その鞭は、偶然、妻の荷   物にまぎれこんでいた私自身のものだった。それで、馬を打ったこともほとん   どなく、ましてや抑留者などには全くないというのに。    しかし、ある取調官は、たしかに、私がそれでたえず抑留者をなぐりつけた、   と決めこんでいた。    数日後、私は、英軍占領地中央取調機関のある、ウェーゼル河畔ミンデンに   送られた。そこでも、私は、英軍首席検察官(陸軍少佐)にいっそういためつ   けられた。刑務所も、この扱いに応じたものだった。  注釈がついていて「ここにいう調書とは、タイプ8頁の文書で、ヘスは、1946年 3月14日午前2時30分、これに署名している。ただし、内容的には、ヘスが後にニュ ールンベルクやクラカウで証言あるいは記述した事柄と、どこも異なったところは ない」とあります。  もちろん「イギリス軍の制服のユダヤ人エージェント」とも「偽証を要求された」 とも書いてありません。ただ、その少し先、ニュールンベルクに送られて以後の記 述に「ユダヤ人取調官」との言及があります。以下引用します。(同書pp.171-172)    拘留生活は、あらゆる点からみて良好だったが−−私は、時間の許すかぎり   本を読んですごした。豊富な図書館が利用できたからだ−−訊問の方は快いと   はどうにもいえない。−−肉体的にはもちろんのこと、精神的にはますますだ   った。    私は、取調官のことをとやかくいうつもりはないが、それは全部ユダヤ人だ   った。心理的に、私は、ユダヤ人によって、ほとんど切り刻まれたに等しかっ   た−−彼らは、すべてを知ろうとした。彼らはその時なお私の眼前に残ってい   るかぎりのことすべてについて、疑問の余地を残さぬほどに私を問いつめた。  以上から最大限のこじつけを試みれば、「イギリス軍により逮捕されたヘスは取 り調べの際に拷問を受け、後に彼を取り調べたのは全部ユダヤ人だった(どヘス自 身が書いている)」となりますか? 否定者の言ってることは、これをさらに脚色 した結果ではないか、とも思えます。  で、この「告白遺録」の中で、ヘスはガス殺と絶滅計画についてハッキリと認め ているワケです。否定者は「告白遺録」を偽造であるとか、拷問による捏造である とかして、証拠能力を否定しているワケですが、ちょと考えると何ともおかしな話 です。捏造もしくは改竄ならば、なぜわざわざ「拷問」と解釈される記述を採用し たのでしょうか?  「告白遺録」の「拷問」のみは真実だが、他はその「拷問」によりでっちあげら れたのだ、との主張であるならば、それは明らかに自己矛盾です。自分が否定する ものそれ自体を根拠としているからです。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa21.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa19.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1236/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/23 2:15 ( 80) ニツコー>66Q&A20番              三鷹板吉 ★内容 20.ニュルンベルク裁判やその他の裁判に先立って、ドイツ人の戦犯容疑者から自   白を引き出すために拷問を行なうのは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連   の政策だったという証拠はあるのか? *IHRの主張  ある。この不名誉なニュルンベルク裁判や他の戦後「戦争犯罪」裁判のための、 不正な「証拠」をでっちあげるために、拷問が広範囲にわたって行なわれた。 *ニツコーの回答  間違った扱いが何件かあったことに疑いはない。連合軍兵士の一部は、収容所で 目撃したことに非常にショックを受け、それに対する反応が暴力行為となった。し かし、このことは総体的情況においては、重大な要素ではない。自白を引き出すた めの拷問「政策」とは、はるかに隔たったものだ。  疑問1番の回答の中で問われたように、何十年もの時を超越して元ナチに働きか け、ホロコーストの恐怖について証言し続けねばならないと元ナチに確信させる、 拷問や強制などありえるのだろうか? 1960年代、70年代、さらに80年代に至って まで? 敵国ではなく母国であるドイツの法廷での裁判を控えた元ナチに、いかな る拷問や強制が用いられたというのだろう?  以下の実験を行なってみよう。  IHR所長のグレッグ・ラビン(ihrgreg@kaiwan.com)に電子メールを出し、質 問するのだ。 1.ナチに対する連合軍兵士の個人的な残虐行為が、拷問「政策」の証拠となると   考えますか? 2.「ドイツ人の戦犯容疑者から自白を引き出すために拷問を行なうのは、アメリ   カ、イギリス、フランス、ソ連の政策だった」ことを証明するいかなる証拠を   お持ちなのですか? 3.ユダヤ人に対するナチスの個人的な殺人行為が、絶滅「政策」の証拠となると   考えますか? 4.1943年10月4日のヒムラーの以下の演説は、ナチのユダヤ人絶滅「政策」を示   すものだと考えますか?     「ユダヤ人は絶滅されつつある」と党員の誰もが言う。「それが我々の計    画の一部だというのは、まったくの真実だ。ユダヤ人の除去、絶滅、我々は    それを為しつつある」  あなたが送った電子メールのカーボンコピー(Cc)を、ニツコーのウェブマスタ ー(webmaster@nizkor.org)にも送ってほしい。また、ラビン氏にもそうするよう 求めてほしい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  部分を全体とすり替えるのも、否定者の詭弁論法の特徴です。ある戦犯に対して 暴力が振るわれたのならば、すべての戦犯が拷問されたのであり、ゆえにすべての 戦犯裁判はでっちあげであり受け入れられない、云々と。  本来は他人をだまくらかすための詭弁を、何度も繰り返しているうちに自分自身 信じ込んでしまった否定者も中には居るようで、なんとも滑稽なかぎりです。  この「実験」に参加してみたいという人のために、質問事項の原文も紹介しとき ましょう。 1. whether he thinks that individual acts of Allies brutalizing Nazis would count as evidence toward a policy of torture. 2. what evidence he has to prove that "it was American, British, French, and Soviet policy to torture German prisoners in order to exact confessions." 3. whether he thinks that individual acts of Nazis murdering Jews would count as evidence toward a policy of extermination. 4. whether he considers Himmler's speech of October 4th, 1943 to indicate a Nazi policy to exterminate Jews: "The Jewish people are being exterminated," says every Party member, "quite true, it's part of our plans, the elimination of the Jews, extermination, we're doing it."</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa22.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa20.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1237/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/24 1:52 ( 60) ニツコー>66Q&A21番              三鷹板吉 ★内容 21.「ホロコースト物語」は、現在のユダヤ人にいかなる利益を与えているのか? *IHRの主張  それによって、ユダヤ人全体に対するいかなる批判も不可能になっている。それ によって、ユダヤ人のリーダーは、ユダヤ人たちをコントロールできる「共同のき ずな」を得ている。それは、募金キャンペーンの手段となり、イスラエルに対する 総計で一年あたり約100億ドルもの援助を正当化している。 *サミスダット版はさらに付け加える  この「大いなるHの物語」は、非ユダヤ人を恥じさせるように仕組まれている。 「かわいそうなユダヤ人! なんてひどい目にあったのだろう」と。 *ニツコーの回答  この論は狂気すれすれだ。合衆国はホロコーストを世に知らしめようとする指導 的勢力の一つだ。合衆国がホロコーストを捏造し、ゆえに後にイスラエルに資金を 与えることができたというのか?  旧ソ連についてはどうだ? ホロコースト否定者は、ホロコーストに関するでっ ちあげ証拠の大部分は旧ソ連ででっちあげられた、と主張している。否定者の本の 中で比較的よく知られているのがポーターの「ロシア製ホロコースト」だ。ソ連は 伝統的にイスラエルの敵だったにもかかわらず、イスラエルを援助し、武器を与え ているというのか。  さらに、合衆国がイスラエルに資金を与える理由は、ホロコーストの記憶だと? 合衆国にとっては、イスラエルを援助する重大な戦略的理由が存在したし、現在な お存在するのだ。また、それ以上の援助をエジプトに与える理由もまた同様に。  最後に、年100億ドルという数字は、どこから出てきたのだ? 以下の表に一目 瞭然なように、この数字はきわめて過大な誇張である。    年       イスラエルへの援助      エジプトへの援助    1988      10億8310万ドル        30億4800万ドル    1989      10億9020万ドル        20億850万ドル    1990      40億3770万ドル        40億9770万ドル    1991      20億280万ドル         20億4780万ドル    1992      40億7460万ドル        20億5390万ドル    1993      20億8860万ドル        20億7340万ドル    総計(6年)  170億7700万ドル        180億2930万ドル  出典:「リーダーズダイジェスト年鑑年報」(エジプトはこの期間の最大の被援 助国であり、イスラエルは2番目である)    イスラエルに与えられた資金の総計(1945〜1984)    贈与              130億7510万ドル    借款              110億7560万ドル    いまだ返済義務のある借款     90億3600万ドル  まったく根拠のない100億ドルという数字は、改訂版「Q&A」ではこっそりと 取り除かれている。ユダヤ人がそのリーダーにコントロールされているという侮辱 的なコメントも同様に削られている。それ以上に侮蔑的でいやみな、ユダヤ人が 「ひどい目にあった」というコメントは、どうやらエルンスト・ツンデル自身のも のらしい。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa23.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa21.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1238/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/25 8:59 ( 33) ニツコー>66Q&A22番              三鷹板吉 ★内容 22.「ホロコースト物語」は、イスラエル国家にいかなる利益を与えているのか? *IHRの主張  それは、イスラエル国家が「賠償」として西ドイツから何10億ドルをも受け取っ たことを正当化している(東ドイツは支払いを拒否している)。それは、シオニス ト/イスラエルロビーによって、アメリカのイスラエルに対する外交政策をコント ロールし、アメリカの納税者にイスラエルが欲しがるだけの金をすべて提供するよ う強いるために使われている。そしてその金額は年々増加している。 *サミスダット版の主張  それは、イスラエル国家が「賠償」として西ドイツから650億ドル以上を受け取 ったことを正当化している。それは、シオニスト/イスラエルロビーによって、ア メリカのイスラエルに対する外交政策をコントロールし、アメリカの納税者にイス ラエルが欲しがるだけの金をすべて提供するよう強いるために使われている。そし てその金額は年々増加している。 *ニツコーの回答  ナチスによって殺された人々に対しては、一文の賠償金も支払われていない。賠 償金は、生存者に対して、彼らが失った財産と受けた苦しみの補償として支払われ ているのだ。もしも賠償金要求が第一の動機だったなら、死者数を極大化するので はなく極小化するのが生存者のためであっただろうことは、明白である。  わざわざ現代政治に関する議論をするまでもなく、なぜイスラエル支援が合衆国 の国益になるのか、明白な理由を簡単に指摘できるだろう。もしIHRがこのこと を否定し、ホロコーストのような悲劇によってのみ、イスラエルが受け取っている 援助総額が説明可能だとするならば、おそらく、IHRは、エジプトがそれ以上の 援助を受け取っていることについても同様に説明してくれるのだろう。(疑問21番 を見よ)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa24.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa22.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1239/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/25 9: 1 ( 37) ニツコー>66Q&A23番〜25番           三鷹板吉 ★内容 23.「ホロコースト物語」は、キリスト教の牧師の多くにいかなる利益を与えてい   るのか? *IHRの主張  それは、ユダヤ人を迫害された「選民」であるとみなす旧約聖書の思想と互いに 関係がある。それは、イスラエルが支配する「聖地」というものを、牧師に受け入 れやすくしている。 *ニツコーの回答  たぶん、この主張について論評できる牧師がいるだろう。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa25.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa23.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>24.それは、共産主義者にいかなる利益を与えているのか? *IHRの主張  それは、戦時中と戦後において、共産主義者自身による戦争商売と残虐行為とが 広く行なわれたことを隠蔽している。 *ニツコーの回答  歴史学者と、それに事実上一般大衆も、共産主義者の残虐行為については十分承 知している。共産主義が酷いのと同様に酷いこれらの残虐行為は、ホロコーストの 事実とは無関係である。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa26.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa24.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>25.それは、イギリスにいかなる利益を与えているのか? *IHRの主張  ソ連に利益を与えているのと同じように。 *ニツコーの回答  無関係な倫理相対主義。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa27.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa25.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1240/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/30 4:57 (115) ニツコー>66Q&A26番              三鷹板吉 ★内容 26.ヒトラーがユダヤ人の大量虐殺を命令したという証拠は何かあるのか? *IHRの主張  ない。 *ニツコーの回答  もちろんある。ヒムラー、アイヒマン、ヘスその他は、ジェノサイド命令が直接 ヒトラーから下されたと言っている。 ●ヒトラーが、363,211人のユダヤ人が1942年の8月から11月までに殺されたと述べ るヒムラーからの報告書を、1942年12月に受け取っていることについて考えてほし い。これは、東部戦線後方でユダヤ人とナチス反対者の絶滅を任務としていたアイ ンザッツグルッペン(特殊部隊)からの多数の報告書の、ほんの一つにすぎない。 この報告書の写真と訳文がニツコーで入手可能である。 ●あるいは、ヒトラーからヒムラーへの、ある電話の記録について考えてほしい。 その電話の中でヒトラーは、ある特定の一列車分のユダヤ人を「根絶するな」と命 令している。乗客の一人にナチが嫌疑をかけていて、尋問することを望んでいたか らだ。もしもヒトラーが「根絶プロセス」のことを知らなかったのなら、どうして この依頼一つでプロセスを止めることを命令できたのだろう? (皮肉なことに、 デビッド・アービングは、この電話記録の一部を文脈から切り離し、ヒトラーが絶 滅計画の中止を試みたことを示すために利用していた。もちろん、これはアービン グ氏が心変わりし、絶滅計画など存在しなかった、ましてヒトラーがそれを知って いたなどとは、と決めつける以前のことである) ●ヘス回想遺録より(ヘス「アウシュビッツ司令官」 1959年 p.205)    1941年夏、正確な日付は思い出せないが、私は突然SS国家長官(ヒムラー)   から召喚された。彼の副官事務室から直接にだ。いつもの習慣とは違って、ヒ   ムラーは副官の臨席なしで私に会い、そして以下のようなことを言った。    「総統は、ユダヤ人問題は一度かぎりで解決されるべしと命令された。そし   て我々SSは、この命令を実行すべし、と」 ●アイヒマンが死刑判決を受けた後の法廷での最終弁論は、以下の陳述を含む。    これらの大量殺人は、ただひとえに、総統の命令の結果である。  これはリビジョニストのポール・ラシニエが引用している通りである。(「本当のア イヒマン裁判」 1979年 P.152) ●フェリックス・ケルステンはヒムラーの個人的な臨床医だった。彼が回顧録で書 いているところによれば…(ケルステン「ケルステン回顧録」 1956年 p.162-3)    今日、私はヒムラーと、ユダヤ人について非常に長く話し合った。私は、世   界はこれ以上ユダヤ人の絶滅を黙許しないだろう、と言った。ヒムラーがそれ   を止める潮時だろう、と。ヒムラーは、それは自分の権限を超えている、と言   った。自分はそれを特別に命令した総統でもアドルフ・ヒトラーでもないのだ、   と。私はヒムラーに、歴史がいつの日かあなたをユダヤ人絶滅の件で記録的な   大量殺人者の一人として槍玉に上げるだろうということに、気がついているの   かどうか訊ねた。ヒムラーは自分の世評について考えるべきであり、それをこ   の非難で汚されないようにすべきだ。ヒムラーは、自分は何も間違ったことは   していない、ただアドルフ・ヒトラーの命令を実行しているだけだ、と答えた。   ……私はヒムラーに、ユダヤ人や強制収容所の他の犠牲者に対して人間性を示   すことにより、あなたが歴史において善玉となるチャンスがまだあるのだ、と   言った。−−もしあなたが実際に、彼らを絶滅せよとのヒトラーの命令に同意   しないのであれば。ヒムラーは総統の命令のいくつかを単に忘れ、実行しなけ   ればいいのだ。「おそらくあなたは正しいのだろう、ケルステンさん」と、ヒ   ムラーは答えた。だがヒムラーは、もし自分がそうしたならば、総統は自分の   ことを決して許さず、即刻絞首刑に処すことだろう、と付け加えた。  ヒトラーは1941年11月28日、ムフティのハジ・アミン・フセイニと会見した。こ の会見は、パウル・オットー・シュミデト博士によって記録された。(フレミング の「ヒトラーと最終解決」 1984年 pp.101-104を見よ) この会見でヒトラーはム フティに、ある目的が果たされた後に「この地域において、ドイツに残された唯一 の目的は、イギリスの保護下で暮すアラブ諸国のユダヤ人の絶滅に限定されるだろ う」と約束している。 ●さらにその上、ヒトラー自身の公的な演説も含めて、疑問1番への回答に引用さ れている。ヒトラーは、ユダヤ人を絶滅させるという自分の意思を、少なくとも3 回以上、公の場で述べている。  それを「証拠はない」とはねえ。  66Q&Aのオリジナル版では、この疑問26番は、疑問53番と言い回しが違うだけ で同じである。   「ヒトラーがユダヤ人の大量虐殺について知っていたという証拠は何かあるの   か?」(オリジナル版・疑問26番)   「ヒトラーがユダヤ人絶滅の進行について知っていたといういかなる証拠があ   るのか?」(オリジナル版&改訂版・疑問53番)  このパンフレットに、どれだけ注意深い吟味がなされたのか、分かろうというの ものだ。 (三鷹注:ろくな編集作業もせずに、プロパガンダを羅列してるだけだろう、だか ら同じ「疑問」を2回繰り返すという間抜けをやらかしている、という皮肉?)  フレミングの「ヒトラーと最終解決」を読むことをお薦めする。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  ホロコースト否定者が最終防衛ラインとしているのは「ヒトラー自身」だと三鷹 は見ています。彼らがそれこそ百歩譲って「ホロコーストは歴史的事実だ」と認め ざるを得なかったとしても、「それは総統ご自身の意図するところではなかった」 と逃げ道を確保しておく必要があるのだろう、と。「ヒトラー主義」そのものを無 謬化し、それを時を見て標榜せんがために?  これと「社会主義諸国家崩壊後の共産主義者の振る舞い」を比較すると興味深い。 「社会主義諸国家は崩壊したが、マルクス・レーニンの共産主義思想それ自体が間 違っているからではなく、『応用』が正しくなかったからだ」てな強弁。スターリ ン批判、文革批判から何度となく繰り返されてきた茶番です。共産主義の実現過程 で何百万人が虐殺され、何千万人が今の日本で言うところの「業務上過失致死」で 死のうが、それはスターリンの誤り、毛沢東の誤り、ポルポトの誤り、チャウシェ スクの誤り、金日成金正日の誤り、その他の誤りにすぎず、マルクス・レーニンの 思想は無謬である、と。本当に馬鹿馬鹿しい。  また、共産主義を口を極めて非難する論客が、ヒトラー主義につながるプロパガ ンダに、なぜだかコロっとだまくらかされる不思議。パソ通ボードに限ったことじ ゃない。これも、いわゆるひとつの「味噌糞問題」なんでしょね。思想に対する関 わりのレベルが見事なまでにバレちまうワケだ。怖いねえ(笑)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa28.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa26.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1242/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/31 4:36 ( 70) ニツコー>66Q&A27番28番            三鷹板吉 ★内容 27.いかなる種類のガスが、ナチスによって強制収容所で使用されたのか? *IHRの主張  チクロンBというシアン化水素のガス(hydrocyanic gas)だ。 *ニツコーの回答  驚くことに、この短い答えの中に二つも誤りがある。  最初に、チクロンBはガスの担体であり、ガスそれ自体ではない。チクロンBは 登録商標名であり、通常は、液体のシアン化水素と刺激物とで飽和させられた、材 木チップもしくは珪草土である。  2番目に、この疑問におけるガスは水素シアン化物(hydrogen cyanide)だ(時 には青酸(prussic acid)と呼ばれる)。「シアン化水素のガス」という言い方は 無意味である。なぜなら、シアン化水素のガスは一種類しか存在しないからで、そ れは水素シアン化物ガス(hydrogen cyanide gas)である。 (三鷹注:化学用語の不正確な使用を咎めているのでしょう。手元の非専門辞書だ とhydrocyanicは「シアン化水素の」、hydrogenは「水素」、cyanideは「シアン化 物」としかないので、これ以上訳しようがありません。ゴメン) *IHRの主張(改訂版)  「チクロンB」からのシアン化水素のガスである。チクロンBはヨーロッパ中で 広く使用された市販の害虫駆除剤だ。 *ニツコーの回答  改訂版の答えは正確である。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa29.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa27.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>28.この大量生産されたガスの、かつての、そして現在の使用目的は? *IHRの主張  発疹チフスを媒介する寄生虫を絶滅させるためである。衣服や区画を燻蒸するた めに使用された。現在でもたやすく使用可能である。 *ニツコーの回答  正しい。だが、このガスは、人間を大規模に虐殺するためにも使用された。SS はHCN(青酸。チクロンBから遊離するガス)のとても便利な「副作用」を発見 した。それは人間をきわめて簡単に殺すのだ。  事実、同じ濃度ではシラミや虫よりも、人間や他の哺乳動物をずっと早く殺すこ とができる。害虫駆除のための濃度である1立方メートルあたり8グラムから10グ ラムでは、人間を非常にすみやかに殺すことができる。その濃度で虫や衣服のシラ ミを駆除するには、32時間もかかるというのに。より低い濃度で使われたとしても、 死は迅速に訪れる。  事実、今日でも合衆国では、HCNは人間をガス室で殺すために使われている。  シアン化物の性質と仕組についての、より技術的な論文も、ニツコーで入手可能 である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  さて、ここらへんが、ホロコースト否定の一部を構成する「ガス室否定」の中核 に対する批判です。  チクロンBの製造元のデゲシュ社から、この薬物がアウシュビッツその他の収容 所に大量に納入されたという証拠が存在し、チクロンBの現物も残されています。 そのことは、さすがの否定者でさえも認めざるを得ません。そこで彼らは、チクロ ンBはすべて「殺虫用」として使用されたのであり、「殺人用」などではなかった、 と強弁しているワケです。  その強弁がどこまで通用するのか、この先のQ&Aにぜひご注目ください。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa30.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa28.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1244/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 1 17: 1 (118) ニツコー>66Q&A29番              三鷹板吉 ★内容 29.なぜナチスは、大量絶滅にもっと適当なガスの替わりに、シアン化水素を使用   したのか? *IHRの主張  もしもナチスが人々を絶滅するためにガスを使おうと意図していたならば、ずっ と有効なガスが入手可能だった。チクロンBは、燻蒸用として使用する場合以外は まったく有効ではない。 *ニツコーの回答  嘘だ。チクロンBの使用は部分的だったが、その理由はそれが人間を殺すのにあ まりに有効だったからだ。真実、比較的より有効な他のガスがないわけではない。 だがチクロンBは、以下の2つの有利な点によってきわだっていた。   ●チクロンBは、梱包し貯蔵し輸送するのがたやすかった−−それはごく普通   の化学メーカーにも発注可能であり、スズ缶に密閉されて届けられた。   ●チクロンBは、害虫駆除のために使用されていたから、広く入手可能だった。   事実、アウシュビッツで使用されたチクロンBのおよそ90%は、害虫駆除目的   で使われた。一例として、グットマンの「アウシュビッツ 死の収容所の解剖   学」 1994年 p.215を見よ。  疑問28への回答で記したように、それは大量殺人にはきわめて有効だった。事実、 チクロンBから遊離するガスであるHCN(シアン化水素=青酸ガス)は、今日で も合衆国で死刑囚を処刑するために使用されている。  公正を期するために、今日の処刑用ガス室は、化学反応によってHCNを発生さ せていることを指摘しておくべきだろう。チクロンBを使って行なわれたように、 単にHCNを発散させるのとは違って。だが、ナチスが使った方法でも問題は無か った。きわめて有効に作用したのだ。  ナチスにもすぐ分かったように、絶滅プロセスのボトルネックは、ガス殺それ自 体ではなく、死体焼却だった。千人の人間を殺すのは、およそ数十分、あるいは1 時間、最大でも2時間で可能だった。この時間には、収容所への到着から、ガス室 の最終換気までの全工程が含まれている。  だが、この千体の死体を焼却するには、たいへんな時間と労力がかかった。大規 模で高価な焼却炉が購入され、それらを維持するために多額のマルクが費やされた が、それでも死体焼却には、人々の虐殺よりも、最低でも10倍の時間がかかった。 ボトルネックが常に焼却炉の処理能力であることをナチスが理解した後は、ガス室 のサイズが縮小されさえしたのだ。−−グットマンその他を見よ。(「アウシュビ ッツ 死の収容所の解剖学」1994年 p.224)  だから、ガス殺プロセスの困難さやガスの有効性についての議論は、読者の注意 を他にそらそうという意図によりなされているものだ。アウシュビッツFAQ(三鷹 注:ニツコーが提供している文書ファイル)の該当部分を参照せよ。  なんにせよ、もしも「ずっと有効な」多種のガスが存在するとするならば、なぜ IHRはそのいくつかの名前なり挙げないのだろう? IHR所長グレッグ・ラビ ンは、1994年から95年にかけて、ユーズネットで、まさにこのことを求められた。 さんざん求められた末に、ラビンは以下のようにしか述べられなかった。    一酸化炭素は、たとえば、多数の神経ガスのいずれもと同じように、チクロ   ンBより早く作用する。  すでに説明したように、殺害のスピードは、虐殺プロセスのボトルネックではな い。どのガスがより「早い」か論じるのは、ポイントを外している。それはそれと して、一酸化炭素は実際は、HCNより「早く」は作用しない。HCNは、もっと も早く作用する毒物の一つである。この問題について詳細を論じた論文を見よ。  事実、ナチスは、ラインハルト作戦において一酸化炭素の使用を試みたのだ。マ イダネク絶滅収容所においても。マイダネクでは、ビン詰めの一酸化炭素と、配管 設備が発見されている。だがアウシュビッツ所長ルドルフ・ヘスは、回想録で説明 しているように、既存の方法は十分有効ではないと分かって、替わりにチクロンB に切り換えることを決定したのだ。  また「神経ガス」というだけでは、ガスを特定したことにはならない。  特定のガスを名指しした他の唯一の例を、我々はすでに発見している。それは、 笑うべき無知の露呈である。ウォルター・ルフテルが書いた、いわゆる「ルフテル 報告」に以下のようにある。    青酸ガス(爆発性があり、きわめて毒性が強い)の取扱いにおける危険を熟   知している人間なら誰でも、なぜSSの処刑執行者たちが、チクロンで中毒死   させられたと強弁されている囚人たちを殺すのに、二酸化炭素を使わなかった   のか、との疑念を抱くことだろう。−−二酸化炭素はより扱いやすく、処刑執   行者にはまったく害をもたらさない−−    生理学の教科書ならどれでも、アノクシア(酸素喪失)実験を以下のように   確証するだろう。5秒後に脳機能への障害が現われる。続いて15秒後に意識が   失われ、5分後に脳死となる。これは動物を苦痛無く確実に眠らせる方法だが、   人間でも同様である。  まったく馬鹿げている。二酸化炭素は単に、酸素が欠乏した空気によって犠牲者 を溺れさせることにより仮死状態にするだけだ。意識喪失には15秒よりずっと長い 時間がかかる。死に苦痛がないわけではない。絞殺死や溺死とだいたい同じように 苦しいだろう。その上、二酸化炭素はビンに圧搾して輸送しなければならない。な ぜなら「ドライアイス」は、人間を殺せるほど十分すばやくは昇華しないからだ。  ガス室内の、通常の酸素を含んだ空気を完全に入れ替えるのに、二酸化炭素のビ ンが何本必要なのだろう? それらのビンを輸送し再充填するのに、どれだけのコ ストがかかるのだろう? 空気中の酸素を入れ替えるのに十分な二酸化炭素濃度を 達成する替わりに、わずか数100ppmで致死性を実現する、少量の毒物を使う方が、 よりたやすかったのではないか?  事実、フレドリック・バーグは、IHRが出版している他の小論において、二酸 化炭素を却下している。この小論はグレッグ・ラビンのウェブ・サイトで入手可能 である。    二酸化炭素は、実際、通常の水ほども有毒ではない。毒物学便覧のほとんど   は、二酸化炭素に言及すらしていない。言及されたとしても「無毒。仮死をも   たらすのみ」と一般的に分類されるだけだろう。  これもまたIHRの内的矛盾である。  この「ルフテル報告」のテキストファイルは、ニツコーでオンラインで入手可能 である。あるいはグレッグ・ラビンのウェブ・サイトのページでも可能だ。「生理 学」という単語でテキストを検索せよ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  バーグの小論というのは「ディーゼルガス室 神話の中の神話」のこと。ディー ゼル排気によるガス室は不可能だと、詭弁を駆使して「論証」しています。不可能 かどうかは、いっぺんトラックなりバスなりの排気口にホースを繋いで、口にくわ えて15分ほど呼吸してみれば、簡単に証明できるだろうと思うのですが(笑)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa31.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa29.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1245/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 1 17: 5 ( 71) ニツコー>66Q&A30番              三鷹板吉 ★内容 30.チクロンBによって燻蒸された区画を完全に換気するには、どのくらいの時間   がかかったのか? *IHRの主張  通常は約20時間である。全体の手続きは、きわめて複雑で技術的なものである。 ガスマスクの着用が必要で、熟練技術者のみが作業に従事させられた。 *ニツコーの回答  違う。「20時間」という数字は、さまざまな理由で不適切である。  最初に、この数字は、換気装置無しの普通の事務所もしくは一般家屋における使 用を意図したものである。強制換気がほとんどなされなかったから、この時間中は 建物に入ることができなかったのだ。その上、じゅうたん、カーテン、家具など通 常の備品があったから、新鮮な空気を入れ替えるにはいっそう時間がかかった。他 方、ナチスのガス室は、空っぽのコンクリート製の部屋であり、強制換気装置がつ いていたから、空気を入れ替えるには5分もあれば十分だった(グットマン「アウ シュビッツ 死の収容所の解剖学」 1994年 p.232を見よ)。強制換気システムが 取り付けられていないガス室もあった。そこでは、死体を運び出す人間はガスマス クを装着した。  さらに、恐るべき安全係数が認められていた。通常の安全基準は戦時には適用さ れない。特に、千人もの人間を可能な限りすみやかに殺害するのが目的の時は。ド イツ人は一般的にガスについて豊富な経験を持っていた。チクロンは、しばしば害 虫駆除に使用されたから、それについては特に豊富な使用経験があった。  おそらくホロコースト否定者の次なる主張は、ドイツ軍は絶対に連合軍の飛行機 を撃ち落とすことができなかった、というものだろう。なぜなら、FAA(アメリ カ連邦航空局)の安全基準に従って適切に安全ベルトを締めている人間が、爆撃機 の機銃を撃つことなど不可能だからだ。  その上SSは、死体をガス室から引き出し焼却するのに、強制労働を課せられた 囚人によるゾンターコマンド(三鷹注:ユダヤ人によって編成された特別部隊)を 使用していた。SSが、ゾンターコマンドが残留ガスにより被害をこうむる可能性 を大して気にしなかったということは、言うまでもないだろう。どのみち彼らは、 死刑宣告を受けた上で酷使されていたのだ。−−新しいゾンターコマンドの一隊が 最初にすることは、前任の一隊の死体の焼却だった。  たとえ上記の「20時間の換気時間」が真実だったとしても、それは、合衆国の処 刑用ガス室でシアンガスを使って処刑された人間の死体は死後20時間椅子に縛りつ けられたままにされる、ということを意味するだけだろう。  疑問31番と、アウシュビッツFAQの適当な箇所を見よ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  疑問29番の回答であまり触れられていなかった「神経ガス」について、ちょと補 足しておきましょう。第一次大戦後、ドイツが開発した神経ガスは、タブン、サリ ン、ソマン、VXガスなどです。サリンやVXはオウム事件で実際に使用されたの で、その毒性がどのようなものか、広く知られることになりました。  これらの神経ガスと青酸ガスとの相違は、その毒性よりもむしろ、取扱いの難し さであった、と三鷹は見ています。  疑問30番の回答にあるように、チクロンBは殺虫用燻蒸剤として、一般家庭やオ フィスで広く使用されていました。当時の取扱説明書の写真によれば、開缶して使 用する際に、使用者は皮膚や頭髪を露出した通常の服装で、ガスマスクを着用して います。当時のドイツの安全基準では、チクロンBから発生する青酸ガスは、ガス マスクで十分防護可能だとされていたのでしょう。 (現代アメリカの処刑用ガス室では、もちろん、職員は現代アメリカの安全基準に 従って空気ボンベと完全防護服を使用します。この両例を故意に混同するのはホロ コースト否定者の詭弁の一つですので、ご注意を)  対して神経ガスは、ガスマスクだけでは防護できず、ごく少量皮膚に付着しただ けでも重大な障害をもたらします。オウムの地下鉄サリン事件の際には、実行犯自 身がサリン中毒を起こしました。きわめて取扱いの難しいガスであると言えましょ う。ナチスがガス室での大量虐殺用に神経ガスを採用しなかったのは「安全性」に おいて問題があったためだろう、と三鷹は想像しています。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa32.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa30.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1247/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 5 9:49 ( 31) ニツコー>66Q&A31番              三鷹板吉 ★内容 31.アウシュビッツの司令官ヘスは、自分の部下が、ユダヤ人たちが死んでから10   分後にガス室に入り、死体を運び出したと言った。このことをどのように説明   するのか? *IHRの主張  説明不可能だ。なぜなら、そのようなことをしたならば、すでにガス室に入れら れていたユダヤ人たちと同様の運命に見舞われただろうからだ。 *ニツコーの回答  非常にたやすく説明可能だし、すでに何度も繰り返し説明されてきた。その学問 的業績については、ちゃんとした図書館ならばどこででも閲覧可能だ。そうしなく とも、ほんのちょっとばかり考えれば、解答が何なのか誰でも分かることだろう。  解答は、ナチスは最大のガス室において換気システムを組み込んでいて、5分間 以内に完全に空気を入れ替えることが可能だった、ということだ(グットマンの 「アウシュビッツ 死の収容所の解剖学」 1994年 p.232を見よ)。チクロンBを ガス室から取り出すための金属製のザルのような装置もあり、換気プロセスの効果 を高めていた。  他のガス室には換気システムは備え付けられていなかったので、最初にガス室に 入る人々は、ガスが拡散し無害になるまで、ガスマスクを着用した。  ガス室をすみやかに換気し、死体取り出しと焼却にとりかかることが重要だった。 −−この作業にこそ多大な時間がかかったからだ。ガス殺それ自体には、ほんの数 分しかかからなかった。  疑問30番も見よ。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa33.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa31.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1248/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 5 9:52 (134) ニツコー>66Q&A32番              三鷹板吉 ★内容 32.ヘスは告白の中で、自分の部下は、ガス殺の10分後に死んだユダヤ人をガス室   から引き出す際にタバコを吸おうとしていた、と言った。チクロンBには爆発   性があるのではないか? *IHRの主張  大いにその通りだ。ヘスの告白は、明らかに偽証である。 *ニツコーの回答  さて、これこそまったくのナンセンスだ。  爆発を引き起こす最低濃度は56,000ppmだ。それに対して、人間を数分で殺す濃 度は300ppmだ。参考文献として「メルク・インデックス(The Merck Index)」「C RC化学物理便覧(CRC Handbook of Chemistry and Physics)」がある。あるい は、化学物質の毒性と可燃性に関するどのマニュアルを調べても分かるだろう。仮 に処刑が行なわれている最中のガス室の中で焚火が燃やされていたとしても、爆発 の危険性などまったくなかったことだろう。  事実、ナチス自身のチクロンBについての製品文献である、ニュルンベルグ文書 NI-9912でも、この点を明らかにしている。    爆発の危険性:1立方メートルあたり75グラムのHCN。通常の使用では1    立方メートルあたり約8グラムから10グラムであるから、爆発性はない。 (ところで、この1立方メートルあたり8グラムから10グラムというのは、人間で はなく、シラミや他の昆虫を絶滅させるために必要とされた濃度である。哺乳動物 には、ずっと低い濃度と短い時間で十分なのだ)  NI-9912文書の転載はブラッドリー・スミス(三鷹注:ホロコースト否定者の一 人)のウェブ・サイトで入手可能である。ついでながら、以上の疑問も含まれてい る。ゆえに「リビジョニスト」は明らかにNI-9912文書が存在することを知ってい るのだ。彼らはただそれを無視しようと決めたのだ。スミス氏はNI-9912文書を「都 合が悪い」ものだと称している。−−そうかもしれない。……だが、誰にとって?  どのケースにおいても、10分間の換気プロセスによってガス室が十分無毒になる まできれいにされてしまった後に、ガスが爆発するとでもというのか? 万に一つ もない。もしもゾンターコマンドがタバコを吸っていたならば、彼らは明らかにガ スマスクを着用していなかったということになる。つまり、ガスの濃度が100ppmよ りずっと下がっていなければ、どのみち彼らは死んでしまった、ということになる のだ!  なんでまたIHRは、爆発の可能性があるなどと主張して読者を惑わせようとす るのだろうか? 爆発を引き起こすほどHCNが十分近くにある場所ならば、タバ コを吸おうとする人間は、どのみちその毒で、とうの昔に死んでいることだろう!  IHRは基本的な文献参照作業を無視し、ナチス自身が爆発可能性を却下してい るということに注目するのも怠り、常識さえも放棄してしまったのだ。IHRの学 識レベルについて、とてもよく分かろうというものだ。  さらに、ちょっとした余談であるが……  このことは同様に、IHRの誠実さに関しても、何ほどかを示しているようだ。 IHRがここでNI-9912を無視し、それを都合が悪いとしているにも関わらず、I HRは実際に別の出版物でNI-9912文書を利用しているのだ。グレッグ・ラビンの ウェブ・サイトで入手可能な、いわゆるルフテル報告は、NI-9912文書から、引用 と明記せずに、数字を取り上げて示している。以下の如く:    チクロンBの発散には、天候によって、気温摂氏5度から30度の間で、最短   6時間から最長32時間かかる。  つまり、IHRは自分の目的に合致する場合にはNI-9912文書を引用し、合致し ない場合には無視しているのだ。ホロコースト「リビジョニズム」がどんな代物な のかよく分かろうというものだ。  この話題に関する限り、IHRの論述はそれ自体、見えすいた学究的不誠実であ ると言ってさしつかえないだろう。NI-9912文書は、温度による6時間から32時間 という数字に言及している。だが、これらの数字は、昆虫が死ぬまでにどれだけか かるかということであり、チクロンBの発散に要する時間とは関係がない。以下が、 押収されたナチス文書のオリジナルテキストである。    効果を発揮するのに必要な時間:16時間。ただし、密閉型の建物のような特    殊な環境ではより短い時間である。気候が暖かければ、最短の6時間まで時    間を短くすることも可能だ。気温が摂氏5度以下ならば、時間は少なくとも    32時間まで延長しなければならない。    上記の効果と時間が適用されるのは以下の対象についてである:虫、シラミ、    ノミその他。それらの卵、幼虫、サナギ。  繰り返すが、以上はブラッドリー・スミスのウェブ・サイトで入手可能であり、 「都合が悪い」と称されている。−−繰り返すが、誰にとって都合が悪いのか? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  NI-9912文書の「必要時間」について、ちょっと補足する必要があるでしょう。 なぜ否定者は、この数字が「都合が悪い(inconvenient)」と評したのか? もち ろん彼らはガス室の論証にとって都合が悪く、「ガス室否定」にとっては都合がい い、と言っているワケです。  ホロコースト否定者はこの「時間」を二通りに曲解して、それぞれ「アウシュビ ッツのガス室は不可能だった」という決めつけの「論拠」としているようです。  その一つは「HCN(青酸ガス)が発散するのに必要な時間」という曲解。開缶 されたチクロンBから青酸ガスが出るまでに最低6時間もかかるのならば、数分で 全員を殺したというガス室など不可能だ、というワケです。このことと関係あるの でしょうか、否定者の一人である西岡さんは当初「加熱の必要性」を強調していま した。で、ガス室内に加熱装置が取り付けられていたという証拠もなければ、証言 すらないのは、ガス室が捏造されたものだからだ、との主張です。その後、西岡さ んはこの主張を撤回したようですが、彼はもう一つの別の曲解も「採用」していた ワケです。  もう一つの曲解は「HCNが完全に発散しきるまでに必要な時間」というもので す。ガス室内の人間を殺した後も、チクロンBは最低6時間にわたってHCNを発 散し続けているのだから、ガス殺後30分でドアを開け、死体を運び出すなど自殺行 為だ、というワケです。  興味深いのは、前者と後者でチクロンBの特徴が正反対であることです。前者に おいては、チクロンBは「安全な殺虫剤」であり、それで人間を大量殺戮するなど とうてい無理、という「結論」になります。後者においては、チクロンBは「危険 すぎる毒物」であり、殺戮後のすみやかな死体処理などとうてい無理、という「結 論」が導き出されるというワケです。  「結論」が先にあって「解釈」が後から追っかけてきている、との印象を抱くの は三鷹一人ではありますまい。  では、NI-9912文書が述べていない「発散の必要時間」とは、実際いかなるもの だったのでしょうか? 以下の引用は、否定者自身の弁による解説です。    チクロンの小粒の、または紙製のディスクからシアン化水素が蒸発する速度   は、瞬間的ではない。シアン化水素はチクロンBの缶が開けられるやいなや、   ただちに多孔性の素材から遊離しはじめるが、すべてが一時に遊離するわけで   はない。むしろ逆に、通常の条件で、68度F(20度C)ぐらいの通常の室温の   場合、ほとんどのシアン化水素が遊離するのには約半時間かかる。チップから   すべてのシアン化水素が遊離するには、さらに時間が必要である。              (フレドリック・バーグ「ドイツのシラミ退治消毒室」                木村愛二「アウシュビッツの争点」 pp.213-214)  裸の人間が立錘の余地さえないほどギッシリ詰めこまれたガス室内部の気温は、 摂氏20度を優に越え、摂氏30度近くまで上がっていたと推定されています。  否定者の一人であるバーグの記述と、疑問32番の回答と併せ読めば、結論はおの ずと明らかだと思います。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa35.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa33.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1250/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 7 6:18 ( 56) ニツコー>66Q&A34番              三鷹板吉 ★内容 34.いかにして、このような大規模な計画が、絶滅を予定された当のユダヤ人に対   して、秘密を保つことが可能だったのか? *IHRの主張(オリジナル版)  秘密を保つのは不可能だった。そのような大量ガス殺など、どこにも存在しなか ったというのが事実だ。絶滅の噂は、まさしくユダヤ人による情報源からもたらさ れたのだ。 *IHRの主張(改訂版)  秘密を保つのは不可能だった。そのような大量ガス殺など、どこにも存在しなか ったというのが事実だ。絶滅の物語は、敵による残虐行為を言い立てる戦争中のプ ロパガンダに由来する。 *ニツコーの回答  絶滅プロセスを秘密にしようと、ナチスはとてつもない努力をついやした。にも かかわらず、結局は洩れ出してしまったのだが。一例として、ハンス・メンチ医師 の証言を見てみよう。彼は、ガス殺と絶滅プロセスの暴露について語っている。   …それを企てるのは完全に無益なことだっただろう。そんな企てをすれば、私   と私の家族はただちに消されたことだろう。ゲシュタポは、非常によく組織さ   れており、また、アウシュビッツでのユダヤ人絶滅をめぐる機密を守らなかっ   たらどうなるかという脅しは、SS隊員によって、きわめてはっきりと述べら   れていたからだ。だから誰もが、一番の親友とさえ語ることを避けていた。な   ぜなら、経験が教えるところによれば、そのことを何らかの方法でしゃべった   人間は、ただちに摘発されたから。ゲシュタポは、アウシュビッツに関するす   べての噂を徹底的に嗅ぎ出していたからだ。  1943年、SS少尉マックス・タウブネルに対して出されたドイツの法廷評決をも 見てみよう。この評決は、ユダヤ人絶滅の努力それ自体が存在したことを言明して いるのだが、それとは別に、被告はそれを写真に撮ったがゆえに罰せられるべきだ とも言明しているのだ。    事件の写真を撮り、それを所持していた件により、その写真を写真店で現像   させ、自分の妻と友人に見せた件により、被告は命令違反の罪に問われる。そ   のような写真は、仮に不適切な人間の手に渡ったならば、帝国の安全にとって   の由々しき危険と見なされる可能性があった。  絶滅収容所の近くに住んでいたポーランド人たちは、大量絶滅が進行しているこ とを知っていた。なぜなら彼らは、何十万人ものユダヤ人が列車で収容所に到着し たのを目撃し、その収容所は到着したユダヤ人の10分の1さえも収容できない規 模のものだったからだ。収容所に運びこまれた食糧の量は、到着したユダヤ人を生 かしておくのに必要な量と比べれば、はるかに少なかったからだ。ポーランド人た ちは、犠牲者の衣服や所持品を満載した列車が収容所を出ていくのを目撃したし、 肉が燃やされる悪臭を嗅いでいた。彼らは何が起きているか知っていた。そして、 それを外の世界に報告したのだ。  最後に、オリジナル版の「まさしくユダヤ人による情報源」というフレーズが、 改訂版では消されていることをチェックしておこう。リビジョニズムが未熟だった 頃は、ユダヤ人に対する偏見を公に吹聴するのを別に気にかけなかった。現在は、 リビジョニズムは世論の主流を目的としており、以前より注意深くふるまわねばな らぬのだ。このことが実によく分かるだろう。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa34.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa32.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa36.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa34.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1252/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 8 2:26 ( 36) ニツコー>66Q&A35番              三鷹板吉 ★内容 35.もし処刑される予定だったユダヤ人たちが、自分たちに降りかかろうとしてい   る運命を知っていたなら、なぜ彼らは戦うことも抗議することもなく、死に赴   いたのか? *IHRの主張  ユダヤ人たちが戦いも抗議もしなかった理由は、単純に、自分たちを殺そうとす る意図など存在しないことを知っていたからだ。ユダヤ人は、単に収容され、労働 を強いられただけだ。 *ニツコーの回答  多くは知らなかった。しかし、少数は知り、そして反抗した。もっとも大規模な 反抗はワルシャワ・ゲットーにおいて発生し、ドイツ軍は反乱を鎮圧するために多 大な戦闘を強いられた。ユダヤ人パルチザンを追い出すために、ゲットー全体を破 壊せねばならなかった。アウシュビッツ・ビルケナウでもトレブリンカでもゾビボ ールでも反乱が起きた(ゾビボールの反乱は映画にもなった)。だが、辛いことだ がトレブリンカ以外では成功しなかった。トレブリンカでは、この反乱のせいもあ って収容所が廃止された。  ホロコースト否定者たちはしばしば、ある生存者は絶滅プロセスはきわめて厳重 に秘密にされていたと言っているのに、別の生存者は多くの人々がそれについて知 っていたと言っていると引用し、生存者たちをあざける。もちろん、そこに矛盾な どない。それぞれに異なる時点、異なる場所で、異なる人々が異なる事柄を知って いたということだ。  あるユダヤ人が何かを知っていたなら、自動的に他のユダヤ人も全員それについ て同様に知っている、という主張は、ユダヤ人を世界的陰謀組織とみなす古臭い反 セム主義プロパガンダの拡張版である。  「単に収容され、労働を強いられただけだ」という一行−−改訂版では削除され ている−−は、不気味にもヒトラーからの引用を思い起させる。「私がユダヤ人に 望むのすべては、わずかな重労働に過ぎないということを、ユダヤ人はありがたく 思うに違いない」というヒトラーの言葉を。</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>#1249/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/ 6 14:44 (101) ニツコー>66Q&A33番              三鷹板吉 ★内容 33.ナチスがユダヤ人を絶滅したと強弁されているところの、正確な手順とはいか   なるものか? *IHRの主張  物語は、人間で一杯の部屋に天井の穴からガス缶を落とすところから始まって、 シャワーヘッドを通じての配管、「蒸気室」、「電気死刑機械」に及んでいる。 「何百万」ものユダヤ人がこのような方法で殺されたと強弁されている。 *ニツコーの回答  正確な方法については収容所によってさまざまだった。異なった殺害方法が−− 時にはほんの少し違うだけだが−−それぞれ別の収容所で使われたし、同じ収容所 の別の場所でも同様だった。  アウシュビッツ収容所の、特にクレマ1からクレマ3においては、チクロンBが 天井の穴から落とされた。この投入孔は、連合軍の偵察機がたまたま撮った航空写 真でも明らかである。ラインハルト作戦の収容所では、強力なエンジンからの排気 ガスが建物の中に送りこまれた。エンジンの多くは、捕獲されたロシアの戦車から 取り外されたものだった。  シャワーヘッドは実際にいくつかのガス室に存在した。目撃証人がそのことを証 言しているし、備品目録のような戦時のナチス文書がそれを確証している。(その 文書の写真か、プルサックの「アウシュビッツ:技術と運用」 1989年 pp.2361,43 8を見よ) しかしながら、すべてのケースにおいて、シャワーヘッドは偽装にす ぎなかったと考えられている。シャワーヘッドは何にも接続されておらず、そこか ら毒ガスが出てくることもなかった、と。シャワーヘッドは、すべては平常である と犠牲者を安心させ、彼らがガス室に詰めこまれる際のパニックを防ぐためのもの だった。このことは、戦後ナチが証言している。  およそ300万人のユダヤ人が約3年間に6つの主要な絶滅収容所でガス殺された。 残りは、主として東部戦線の占領地で、数多くの大量処刑によって殺された。また、 数多くの小規模な収容所やゲットーにおいて、飢餓や奴隷労働のような非人道的な 扱いによって殺されたのだ。  「蒸気室」と「電気死刑機械」に関しては−−混乱した目撃証人の証言がある。 いくつかのケースは、収容所を外からスパイしたポーランド人による証言だ。一例 として、ラインハルト作戦の収容所の殺戮プロセスを目撃した人間は、犠牲者を窒 息させるエンジンの排気煙がガス室から吹き出すのを見て、それを蒸気だと勘違い したのかもしれない。殺戮プロセスの全体を、よく見える近くから目撃したナチス 自身もしくは他の人間の中には、このような誤った物語を繰り返す人間は一人もい ないことが分かっている。  このような物語には、それを裏付ける証拠も補強証言もない。ゆえに戦犯裁判に おける告発としても採用されていないのだ。言葉を換えて言えば、これらの間違っ た物語は、ナチスが冤罪で告発されたという証拠ではない。−−むしろ、これらの 裁判が公正に行なわれ、システムが健全に働いていたという証拠なのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  「蒸気室」「電気死刑機械」云々について補足しておきましょう。これは、トレ ブリンカなどラインハルト作戦の絶滅収容所について、戦時中にアメリカのマスコ ミが流した「誤報」です。トレブリンカ絶滅収容所では、実際はエンジン排気ガス を使用したガス室によってユダヤ人を虐殺していたのですが、それを「蒸気を使っ て殺している」云々と報道したのです。  ホロコースト否定者はそれを針小棒大に取り上げて「戦時のプロパガンダによる でっちあげだった」てな決めつけをなし、「事実誤認に基づく戦犯裁判は無効だ」 などと主張しているのです。  ちょっと考えてみればおかしな物言いだと分かります。絶滅収容所におけるユダ ヤ人虐殺が捏造だったとしたら、なぜ捏造者は偽情報を「ガス室」と統一し首尾一 貫させずに、「蒸気」「電気」云々と余計なバリエーションを加えたのでしょう?  はたまた否定者が主張するように、戦時下の「ガス室プロパガンダ」を元に「ガ ス室」がでっちあげられたとするならば、なぜ捏造者は同様に「蒸気室」「電気死 刑機械」などをもでっちあげなかったのでしょうか?  「蒸気室」云々の誤情報がどこに由来するのかについても分かっています。時は 1942年、今まさに虐殺が行なわれているまっ最中のトレブリンカから、80キロほど しか離れていないワルシャワ・ゲットーのユダヤ人たちは、トレブリンカに移送さ れた同胞の運命を確認すべく、情報収集を行なっていました。「ゲルマン人」的風 貌の金髪の青年がスパイとして選ばれ、厳重に封鎖されたゲットーから脱出し、ト レブリンカへ向かいました。このようにして、さまざまな情報がゲットーに届いた のです。    トレブリンカ−−墓掘り人についてのニュース(ラビノヴィッチ,ヤーコプ)   、貨車から脱走したストックのユダヤ人……金と外国通貨をたずさえてきた−   −みな異口同音に「入浴」の話、膝に黄色い当て布をつけたユダヤ人墓掘り人   の話を伝える。−−殺害方法は、ガス、蒸気、電気。    移送者の家族が派遣した調査者たちが、トレブリンカについてのニュースを   持ち帰った。−−トラクターの話。一説では、トラクターが焼かれたユダヤ人   の灰を土に鋤き込んでいるという。もう一説では、トラクターが溝を掘り、そ   こに死体を埋めて(土をかぶせている)    トレブリンカ、ユダヤ民衆の目に明らかになってきた−−彼らは最近の大量   虐殺を知るにいたった。            (リンゲルブルム「ワルシャワ・ゲットー」 pp.258,259)  ゲットーのユダヤ人歴史研究者たちは、日々の記録を克明に書き残していました。 リンゲルブルムは彼らのリーダーの一人で、以上の引用は彼の日記の一部です。こ の記録は戦後、ゲットーの廃墟から発掘され、ひとまとめにオネグ・シャバット文 書と呼ばれています。  この、誤情報をも含むワルシャワ・ゲットーからの情報は、レジスタンスの地下 組織を通してロンドンの亡命ポーランド政府に届けられ、イギリスの放送局によっ て放送されました。アメリカのマスコミが流した「誤報」も、同じソースによるも のと見てまず間違いないでしょう。  誤情報を捏造の証拠とするホロコースト否定者の主張は、きわめて説得力に乏し い、と三鷹は考えます。</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa38.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa36.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>37.彼らはどのようにして死んだのか? *IHRの主張  主として、この期間、戦争で引き裂かれたヨーロッパで猛威を振るった流行性の 発疹チフスが何度も流行したことによる。戦争の終わりが近づく頃には、事実上、 道路のすべてと鉄道輸送が連合軍の爆撃により破壊されたことによる、飢餓と医学 的手当の欠乏も原因だ。 *ニツコーの回答  発疹チフスで死んだ人間もいたが、人数について言うのならば、ガスで殺された ユダヤ人が一番多く、次に多いのが射殺だった。  「旧帝国領(Altreich)」(疑問1番を見よ)内の収容所においては、死の主な 原因は飢餓と病気だった。収容者が不十分な食物しか与えられず、重労働を強いら れている場合、飢餓と病気の間に、実際的な違いはほとんどない。絶滅収容所であ ると同時に強制労働収容所だったアウシュビッツでは、囚人はしょっちゅう「選別」 され、衰弱者はガス殺された。このようなやり方で、消耗により死ぬ機会を与えら れる者はほとんどいず、その替わり彼らはガス室の中で最期を遂げたのだ。  連合軍がドイツ国内のナチスの死の収容所に到達した時、SS個人個人は衣食が 十分に足りていることが判明したし、収容所のある土地の人々も、言われているよ うな重大な欠乏状態を耐えているわけではなかった。(他方、大都市のドイツ人は 多くの苦難を被っていた) このことは、収容所の解放を撮影したフィルムによっ て、はっきりと証明される。フィルムには収容所近在の町や村の住民が写っている。 収容所で何が起きたかの証人となるべく、アメリカ軍の兵士たちが住民を収容所に 連れてきたのだ。住民の誰一人として飢えていない。  ベルゲンベルゼン収容所で連合軍の捕虜になった、丸丸と太ったSS女性隊員た ちの有名な写真さえ存在する。ベルゼンでは何万もの囚人が飢えていた。もし、あ なたが、ブルドーザーで大量埋葬壕に葬られる痩せ衰えた死体群のフィルムを見た ことがあるとしたら、それはおそらくベルゼンで撮影されたものだ。太ったSS女 性隊員と対照的であるのは、非常にハッキリしている。  さらに、ナチスによる連合軍捕虜で餓死させられた者は皆無と言っていいくらい いない。ナチスが生かしておきたかった人々もいたのだ。そして、ナチスが死なせ たかった人々もいた。この理由で、きわめて多くのソ連の戦時捕虜が死んだ。−− 300万人以上だ。 (三鷹注:この場合の「連合軍(Allied)」にソ連軍は含まれていないようです)</FONT> <HR> <CENTER><FONT size="+1">| <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa39.txt">[次]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa37.txt">[前]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa_title.htm">[もくじ]</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana_main.htm">本 棚</A> | <A href="http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/index.htm">トップ</A> |</FONT></CENTER> <HR> <FONT size="+1"><PLAINTEXT>38.発疹チフスとは何か? *IHRの主張  多数の人々が長期間すし詰めにされ、入浴しない場合に常に発生する病気である。 毛髪と衣服にたかるシラミにより媒介される。陸海軍が伝統的に兵士に短髪を要求 する理由は、発疹チフスの危険である。皮肉なことに、もしもドイツ人がより多く のチクロンBを使用したなら、より多くのユダヤ人が強制収容所で生き延びること ができたことだろう。 *ニツコーの回答  「リビジョニストのユーモア」の典型だ。</FONT> <HR> <FONT size="+1"><BR> </FONT></CENTER> </BODY> </HTML>