428981−3 全国戦没者追悼式について

 (最新見直し2005.6.10日)

 いつの社説か分からなくなったが、プールしておいたので転載しておく。

 8月15日付・読売社説 [終戦の日]「戦没者追悼は平和への誓い」

 【靖国境内での式典も】

 世紀が新たになっても、「あの戦争」のことを忘れてはいけないだろう。今日は、すべての日本人が、「あの戦争」の犠牲者たちを追悼する日である。政府主催の全国戦没者追悼式は、最初から終戦の日の八月十五日だったわけではない。式典会場も、日本武道館ではなかった。第一回は、サンフランシスコ講和条約が発効して日本が国家主権を回復した直後の一九五二年五月二日、新宿御苑で開催された。それまで日本を占領行政下に置いていた連合国軍総司令部(GHQ)が、戦没者追悼を許さなかったからである。

 いわば、独立を回復した日本が真っ先に主権を行使したのが、戦没者への追悼式典だった。その後、追悼式典は日比谷公会堂や、靖国神社境内で開催された年もあった。式典の日や場所が変わっても、戦没者への追悼が平和への誓いでもあったことには変わりない。これからも変わらないだろう。今年は、歴史教科書問題や小泉首相の靖国神社参拝問題もあって、中国、韓国などからは、例年以上に、日本の「戦前復帰」「軍国主義への道」といった声が聞こえてくる。だが、普通の日本人には、軍国主義の復活や近隣諸国への再侵略など、およそ想像もできないだろう。

 たとえば、戦前の軍部暴走を招いた大きな要因に、「統帥権の独立」という明治憲法上の問題があった。現在では、そんな問題が生じる可能性など、まったくありえない。まして、現在の日本にとって、近隣に再侵略などしても、いかなるメリットもない。そんなことは、どんな日本人でも考えるまでもなく知っている。現在の日本は、平和な国際環境下での通商に依存することによってしか繁栄を維持できない国である。戦没者追悼が平和への誓いと一体となるのは、ごく自然な成り行きだ。そのことを、近隣諸国にもよく理解してもらわなくてはならない。

 【“誤解”を増幅するな】

 問題は、そうした日本の現実について近隣諸国の理解を求めるどころか、逆に近隣諸国の“誤解”を増幅したがる動きが日本国内にあることだ。 歴史教科書問題では、一部のマスコミが「偏狭なナショナリズム」という言葉を多用し、中国、韓国の反日感情を煽(あお)った。それに同調し、わざわざ、中国へ出掛けて、日本国内の動きに懸念を表明した政治家もいる。

 中国こそ、最も強烈なナショナリズム教育を推進している国の一つである。しかも、共産党イデオロギーに基づくただ一つの歴史認識しか存在を許さず、公営マスコミしかない国だ。そうした中国に向かって、日本の「偏狭なナショナリズム」の可能性について懸念してみせるなどというのは、まことに滑稽(こっけい)な構図である。

 もちろん、かつての日本が、中国に対する侵略行動で多大の被害を及ぼしたことも忘れるべきではない。平和への誓いには、そのことへの反省も込められて当然だろう。だが、だからといって、過去の歴史について、すべて中国の解釈に従わなくてはならない、ということにはならない。


 れんだいこの転載意図は次のところにある。「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝然り、日本の戦後左派運動はかような対象に少しも関心を持たなかった。その論理式は、1・かっての大東亜戦争は侵略戦争である。2・その戦争に加担した者の慰霊や生活保障なぞ無意味である。3・「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝を擁護するのは保守反動である、という仕掛けになっているのであろう。

 れんだいこは、その論理式はウソであると思っている。どの観点からでも批判可能であるが、ここでは控える。問題としたいのは、そういう安直な論理によって、「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝然り、それらを保守反動の一手専売にさせてきた非についてである。

 本来の左派運動であれば、靖国神社の場合は別にして、戦没者、遺族会に対しては誼を結ぶであろう。なぜなら、彼らは国策の犠牲者である。国策の犠牲者に対しては、国および当時の施政主体に対して責任追及していくのが当然であろう。哀しいかな、日本左派運動は、痴愚敵な暗黒史観に染まっており、国の行為に対する責任追及、大東亜戦争の歴史的総括に対して闘いを挑まなかった。むしろ、人民大衆の侵略行為に目を向けさせ、その残虐非道ぶりを有る事ない事指弾することで、それを懺悔させることで正義顔してきた。

 大局を見失っている、あまりに馬鹿げている、左派圏の指導者が余りにもお粗末過ぎる、れんだいこはそう思っている。

 2005.6.10日 れんだいこ拝





(私論.私見)