428981−3 | 全国戦没者追悼式について |
(最新見直し2005.6.10日)
いつの社説か分からなくなったが、プールしておいたので転載しておく。
れんだいこの転載意図は次のところにある。「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝然り、日本の戦後左派運動はかような対象に少しも関心を持たなかった。その論理式は、1・かっての大東亜戦争は侵略戦争である。2・その戦争に加担した者の慰霊や生活保障なぞ無意味である。3・「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝を擁護するのは保守反動である、という仕掛けになっているのであろう。 れんだいこは、その論理式はウソであると思っている。どの観点からでも批判可能であるが、ここでは控える。問題としたいのは、そういう安直な論理によって、「全国戦没者追悼式」然り、日本遺族会然り、靖国神社参拝然り、それらを保守反動の一手専売にさせてきた非についてである。 本来の左派運動であれば、靖国神社の場合は別にして、戦没者、遺族会に対しては誼を結ぶであろう。なぜなら、彼らは国策の犠牲者である。国策の犠牲者に対しては、国および当時の施政主体に対して責任追及していくのが当然であろう。哀しいかな、日本左派運動は、痴愚敵な暗黒史観に染まっており、国の行為に対する責任追及、大東亜戦争の歴史的総括に対して闘いを挑まなかった。むしろ、人民大衆の侵略行為に目を向けさせ、その残虐非道ぶりを有る事ない事指弾することで、それを懺悔させることで正義顔してきた。 大局を見失っている、あまりに馬鹿げている、左派圏の指導者が余りにもお粗末過ぎる、れんだいこはそう思っている。 2005.6.10日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)