(最新見直し2005.10.18日)
小堀桂一郎氏(東大名誉教授)の「日本人にとって『靖国神社』とは何か」(http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/yasukuni_sinkouhaikei1.html) は次のように記している。
(前略)日本人の習俗の伝統として動かせないのは、御霊信仰でしょう。宗教学でいうシャーマニズム。死者の魂はどこか宙を彷徨っていて、その魂を招き寄せて慰めるのが日本人の死者に対する葬送儀礼であり、だいたい2千年来定着していると考えられる習俗である。そして、「特に戦いによって命を落とした勇士の霊は敬虔に祀ることによって、守護神として子孫を見守ってくれている」という守護神信仰がある。 靖国神社の信仰は、結局その御霊、すなわち守護神信仰に深淵を持つものです。これを宗教といえば宗教ですが、それ以前に日本人のシャーマニズムという世界観の中に根をおろした一つの習俗なのであるから、現憲法の政教分離規定の思想などはその足元にも及ばない、蒼古の昔からの日本人固有の文化伝統である。 日本人の精神の根源にある神祇(ギ)信仰は日本人の2千年来の習俗にしみついているものであって、それを憲法の政教分離の原則に反するというのは本末転倒である。だいたい政教分離原則もアメリカに押し付けられたもので、元来は日本人があづかり知らないものである。 政教分離原則を守れと言うのであれば、宗教教育を行っているミッションスクールにも私学助成金は出せない。国自体が違反だと言わざるをえないようなことをたくさんやっている。 そもそも政教分離の思想がどこから出てきたかというと、西洋のキリスト教文化圏において、宗教、というより教会が政治的、社会的勢力を持つと言うことを恐れてのことなのである。神道には、古来そのような危険性はまったくない。習俗のなかに沁みついているシャーマニズムであって、これは宗教というのり、日本人の信仰生活上の様式である。けっして、一つの教義に基いた教団をなすものではない。これはだいたい政教分離の対象としなくてもよい。日本人の祖霊信仰が様式化したものだと考えれば良い。
(私論.私見) 小堀氏の「日本人の習俗の伝統としての御霊信仰論」は半面正しい。なぜ半面かと云うと、その御霊信仰に基づいて建立された靖国神社の政治的利用ぶりについての言及がどうなっているのかというもう一つの問題があるからである。これに言及していない、もしくはこの程度の御霊信仰論で靖国神社の活動総体を是認しているなら、それはペテンということになる。 2005.10.18日 れんだいこ拝
2001.8.13日小泉首相の式辞は次の通り。
(私論.私見) この「小泉首相の2001.8.13日式辞」に対して、次のようなコメントが為されている。
れんだいこは違うと思う。「小泉首相の2001.8.13日式辞」そのものは、誰が草文したのか分からないがハト派的観点からのものである。問題は、名うてのネオ・シオニズム被れのタカ派の小泉が、何故こういう式辞をしているのかにある。彼の為すことはことごとくこの式辞に違背している。「小泉首相の2001.8.13日式辞」の観点からは、イラクへの自衛隊武装派兵は導き出しえない。米英ユ同盟追随政策は生まれない。つまり、小泉は、二刀流を操っていることになる。ここを見ずに提灯するようでは、この評者は甘すぎる。 2005.10.18日 れんだいこ拝
(私論.私見)