428985−2 中曽根-小泉ラインの公式参拝論理について


 (最新見直し2005.6.10日)

 2001.8.13日、小泉首相が参拝。首相参拝としては96年7月の橋本龍太郎首相(当時)以来5年ぶり。二礼二拍手一礼という神道方式の儀礼は避け、祭壇の前で一礼、玉串料の代わりに献花料を私費で支出した。当初、表明していた終戦記念日の15日を避け、前倒しした。首相の靖国参拝に対して、中国や韓国の反発が予想以上に強く、政府与党内でも自重を求める声が広がったため、日を変えることで批判を和らげることになった。しかし、96年以来なかった首相の靖国参拝を再開したことで、国内外から反発がさらに強まるのは確実で、苦しい状況になりそうだ。

  首相の参拝に先立ち、福田官房長官が小泉首相の談話を発表した。この中で、小泉首相は、参拝前倒しの理由について、参拝中止を求める声など「国内外の状況」を踏まえ、「国内外の状況を真摯に受け止めた」と述べた。一方、「いったん行った発言を撤回することは、慚愧(ざんき)の念にたえない」としている。 また、中国や韓国に対しては、早期に意見交換の場を設け、自らの考えを説明したいとの意向を示した。

 これにつき、
2005.5.28日、毎日新聞の「岩見隆夫の近聞遠見:靖国問題、山崎の反省が貴重情報を開示している。それによると、2001年夏の小泉首相が靖国神社初参拝の際からして悶着があったと云う。小泉首相は、総裁選の最中、終戦記念日である8.15日の首相参拝を公約していた。いざその日が迫るに連れ、中国側が「どうしても参るなら15日をはずせ」と強硬に主張し始めた。小泉は首相官邸に盟友のYKKトリオの山崎と加藤紘一元幹事長を呼び、助言を求めた。加藤は、「参拝はやめたほうがいい」 と持論を述べたようである。山崎も、「靖国を取るのか、構造改革を取るのか、どっちなんだ」詰め寄り云々、 激論となった。結局、小泉首相は、山崎と加藤の進言を取り入れた格好で、2日繰り上げた13日の参拝を強行した。

 小泉純一郎首相が13日、発表した靖国神社参拝に関する「首相の談話」の全文は次の通り。
 わが国は明後8月15日に、56回目の終戦記念日を迎えます。21世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。

 この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策に基づく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒(いや)しがたい傷痕(きずあと)となって残っています。

 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧(ささ)げたいと思います。

 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊(みたま)の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。

 私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、8月15日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。

 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。

 このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考えに疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯(しんし)に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。

 総理として一旦(いったん)行った発言を撤回することは、慙愧(ざんき)の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。

 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝(ひざ)を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと考えています。

 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。

 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。
 2002.4.21日、小泉首相が同日から始まった春季例大祭に合わせ靖国神社を二度目の公式参拝。昨年と同様に「二礼二拍手一礼」の神道形式は取らなかった。玉ぐし奉呈もしなかったが、私費で献花料3万円を納めた。今年は日中国交正常化30周年にあたり、日韓共催のサッカー・ワールドカップ(W杯)も控えていることから、中韓両国との関係悪化を回避する狙いで参拝時期を大幅に繰り上げたと見られる。福田官房長官は21日、記者団に「(参拝は)首相が考えて実行したことで、個人の信条だ。(中韓両国には)事前に伝えていない」と述べた。

 首相はまた、今年の終戦記念日に靖国神社を参拝しない考えを示した。終戦記念日以外の日を選んだことについて、「内外に不安や警戒の念を抱かれず、心情を込めて参れる」と説明。中国や韓国などアジア諸国に与える影響については「不安や警戒の念を抱くことはないと思っている」との考えを示した。公的、私的の区別に関しては「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した」と述べるにとどまった。

 
 
小泉首相が発表した「靖国神社参拝に関する所感」は次の通り。
 「本日、私は靖国神社に参拝致しました。私の参拝の目的は、明治維新以来我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことであります。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います。将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切であります。

  国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。

  終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反するところであります。今回、熟慮の上本日を選んで参拝したのは、例大祭に合わせて参拝することによって、私の真情を素直に表すことができると考えたからです。このことについては、国民各位にも十分ご理解いただけるものと考えます。

 内閣総理大臣 小泉純一郎

 2003.1.14日、同。2004.1.1日同。

 2005.5.16日、衆院予算委員会での小泉首相の答弁。「戦没者に対する追悼の仕方に他国が干渉すべきではない」、「追悼の誠を捧げるのがなぜいけないのか、私は理解できない」。
(私論.私見) 小泉首相の靖国神社公的参拝の論理について 

 れんだいこが興味を覚えるのは、小泉首相の靖国神社参拝に対して、中国側が当初より過敏であったということ、「どうしても参るなら15日をはずせと強硬に主張」していたということについてである。この経緯を踏まえれば、小泉首相の現在の言行録を照らせば、明らかに無茶苦茶な居直りで事態をますます悪化させる方向に誘導しつつあることが判明する。

 小泉首相は、2001.6.29日の記者団との遣り取りで、「この骨太の方針、基本方針は必ず守ります」と述べた下りで次のように述べている。
 「私は就任以来よく言っております。『万機公論に決すべし』。反対論にも十分に耳を傾けます。しかし、この骨太の方針、基本方針は必ず守ります。どうしても調整不能に見える事態が起こってきた場合には、それは各方面に意見を聞きながら最終の決断の責任は私にあると思っています。それは、今後の作業の手順と、どういう反対意見が出てくるか、それによって判断するしかない。今の時点においては、この基本方針の線に沿って、概算要求基準を決めていきたい。そう思っております」。

 当初はかように謙虚さがあったが、次第にレイプマンの地金を現しつつあることが分かる。これについてはもう少し成り行きを見てみたい。

 2005.5.28日、2005.6.10日再編集 れんだいこ拝


小泉首相の靖国神社参拝癖考 れんだいこ 2004/01/02
 小泉首相が元旦に靖国神社を参拝したと云う。れんだいこは、大方の意見に反しているかと思うが、閣僚が公職として靖国神社に参拝しようがしまいがさほど構わない。諸外国が何を云おうが行きたければ行くが良い。但し、その記録だけは晒しておく必要があるとは思う。

 問題は、参拝した御仁が靖国神社で何を想念したかにあると思う。所詮、詮索の域を出ないが、靖国神社参拝問題は本質的にここが問われているのだと思う。しかしながら、マスコミは、肝心なここを問わず、参拝したのかしないのか、その際公人としの資格か私人としてのそれなのかを問おうとする。れんだいこは残念ながらその識別の意義が分からない。ちまちました関心の向け方だと思う。

 そのことはともかく、小泉首相の靖国神社参拝の真意は奈辺にありや。参拝後、記者団に元日参拝について「初詣という言葉があるでしょ。日本の伝統じゃないですかね」と述べた。また中国などの反応については「その国の歴史や伝統、習慣を尊重することに対してはとやかく言わないと思いますよ」との考えを示したと云う。

 小泉首相が初詣にどこへ行こうがそれはお好きにどうぞで良い。中国、韓国の批判に対して、「その国の歴史や伝統、習慣の尊重」であると云うのも良い。問題は、靖国神社という英霊の鎮魂神社に対して、お前は何を礼拝し、何を誓っているのか、そこが聞きたい。

 英霊は、小泉首相に米奴国家づくりにいそしめと言ったか。ある意味で民族の尊厳を賭けて「鬼畜米英」と闘った面がある英霊は、今度は180度転換させた米英尊崇信仰ぶりを見せているお前を理解したか。お前は、イラクへ自衛隊の戦後初の軍事派兵をせんとしているが、旧日本軍の闘いを継承している面もあるイラク人民の闘いを圧殺する役割を持たせていることに、英霊は頷いたか。

 さきほど不慮の死を遂げた外交官2名も靖国に祀れ。そしてこの新たな英霊の霊言に耳を傾けよ。死因の捜査を米国に丸投げし続けるお前を許すと思うか。国家の主権行使さえ怠り、米英の意向のままにその惨殺をも自衛隊派兵の口実にしたお前のオツムの配線コードが問題だ。

 お前の靖国神社参拝の姿勢からは何の真面目さも問いかけも見えてこない。英霊の壮絶な生き様死に様純な心に対する冒涜ではないかとさえ思っている。

 お前はしょっちゅう靖国に向う。それは、お前の米奴売国的立ち働きをし続けるその醜い正体を隠す為に、靖国にイチジクの葉のような役割を持たせているのではないのか。単に靖国神社を政治主義的に利用しているだけなのではないのか。同じく戦前も今も政治的に立ち回る靖国神社側にも辟易させられるが。

 そうでないというのなら、お前の靖国の位置付け、そこで何を祈念しているのか弁明してみよ、とくと聞いてしんぜよう。マスコミもここをしゃべらせれば良いのに。

 2004.1.2日 れんだいこ拝

【2004.4.22日付赤旗の「許しがたい侵略戦争肯定の立場 志位委員長が批判」】

 日本共産党の志位和夫委員長は二十一日、首相の靖国参拝について、新潟での記者会見のなかで要旨次のようにのべました。

 一、本日、小泉首相は、突然、靖国神社参拝を強行した。

 靖国神社が、戦前、「天皇のために名誉の戦死」をした人を「英霊」としてまつり、軍国主義と侵略戦争推進のシンボルとなったことは、だれも否定できない歴史の事実である。戦後も、靖国神社は、侵略戦争を「正しい戦争だった」とする立場を変えていない。

 そのような神社に参拝することは、どのような理由をつけようと、どういう時期を選ぼうと、首相が侵略戦争を肯定する立場に身を置いていることを、あらためて示すものとして、きわめて許しがたい。わが党は、首相の参拝にきびしく抗議する。

 一、とくに今回の参拝が、昨年八月十三日の参拝につづく二度目のものであることも重大である。昨年の首相の靖国神社参拝にたいしては、日本国民はもとより、アジア諸国からきびしい批判が集中した。そうした批判にいっさい耳を傾けず、頑迷に愚挙をくりかえす首相の態度は、きびしく批判されなければならない。

 一、また今回の参拝が、有事三法案――「戦争国家法案」の国会提出と軌を一にしておこなわれたことも重大である。

 侵略戦争にたいして無反省の立場に身を置く首相が、「戦争国家法案」を強行しようとしていることは、この法案の危険性をいっそう深刻なものとしている。

 今回の首相の行動は、その底流に、戦前のような戦争のための国家総動員体制づくりへの危険な衝動があることを、内外に示すこととなった。

 一、首相は参拝の理由を「戦没者の追悼のため」としている。しかし、あの戦禍で命を失った内外の幾多の人々への真の追悼は、侵略戦争を真剣に反省し、憲法九条を生かした平和日本を建設することにこそあると考える。わが党はその立場でひきつづき力をつくす。

(私論.私見) 日共志位の型通りの批判について

 日共・志位委員長の批判は型通りのものでしかない。真に為すべきは、小泉がマヌーバー的に「反戦平和の観点から靖国神社に参拝する」と述べている言辞に対して、それをウソだという観点から批判するのではなく、ならば小泉政権のやっていることが反戦平和とことごとく齟齬しているではないか、靖国神社参拝はそれを隠すイチジクの葉的役割を持っているのではないのか、二枚舌、三枚舌ではないかと詰め寄ることだろう。果たして、志位にお前もナーと云われずに迫ることができるか。

 2005.6.10日 れんだいこ拝





(私論.私見)