42832 | 帝国議会について |
明治22年大日本帝国憲法が発布された。明治天皇がこれを公布し、自らを国家統治者として元首の地位に就いた。この時、1年後に総選挙を実施し、議会を開設することを宣明した。これに基づき、明治23年11月天皇の名のもとに第一回帝国議会が召集された。開院式の日の日比谷の議事堂周辺では数万の群集がエンドウにふれ、「祝国会」と書いた熱気球も打ち上げられ、議会を祝う国民の熱気が取り囲んだ。このニュースは世界に打電され、例えば「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」では「大君(将軍)の国がミカド(天皇)の国に代わって開かれた議会」と報じられている。明治維新以来20年余り、近代化を急ピッチで進めてきた日本は、遂に欧米の議会制度を取り入れ、アジアで最初の議会開催に漕ぎ着けることに成功した。
帝国議会衆議院に集まった代議士は300名。尾崎行雄(32歳・三重選出)、犬養毅(35歳・岡山選出)、田中正造(49歳・栃木選出)、中江兆民(42歳・大坂選出)、植木枝盛(33歳・高知選出)。立候補の資格は、国に納める税金が15円以上の30歳以上の男子。
天皇と政府、議会の関係 |
明治憲法(明治23年施行)下の立憲君主制「君臨スレドモ統治セズ」。
明治憲法には次のように規定されていた。
第10条 | 天皇は、行政各部の官制及び文武官の俸給を定め、及び文武官を任免す。但し、此の憲法又は他の法律に特例を掲げたるものは各々其の条項に依る。 |
第12条 | 天皇は、陸海軍の編制及び常備兵額を定む。 |
第67条 | 憲法上の大権に基づける既定の歳出及び法律の結果に由り又は法律上政府の義務に属する歳出は、政府の同意なくして帝国議会之を廃除し又は削減することを得ず。 |
議会の予算編成権 |
明治憲法には次のように規定されていた。
第71条 | 帝国議会に於て予算を議定せず又は予算成立に至らざるときは政府は前年度の予算を施行すべし。 |
林銑十郎内閣
http://www.netlaputa.ne.jp/~house/nenpyo/taiheiyo/jikoh/naikakh.htm
明治憲法
第五十二条
両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分セラルヘシ
第五十三条
両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕サルゝコトナシ
1890(明治23)年7.1日山県有朋内閣のとき、日本最初の衆議院選挙。議員定数300名。選挙権を持つ者は、地租と所得税の直接国税を15円以上納める者(葉書が一銭の時)、且つ満25歳以上の男子に限られていた。総数は、当時の日本人全人口3900万人(北海道、沖縄、小笠原諸島をのぞく)に対し、45万人で約1.14%。蓋を開けてみると、政府に反対する民党の候補者が実に171名当選し、首相がぼやいたと伝えられている。