42831 明治憲法について

 昭和憲法における天皇の位置付けを廻って諸論が為されており、確たる見解が獲得されていない。驚くことに、帝国憲法(明治憲法)における天皇の位置付けも微妙以上の解釈の差を生んでいる。絶対権限を持っていた、強権限を保持していたということになれば、戦争責任論を発生させ、超越的であった、機関権限的なものであったと見なせば免責される可能性が有る。この解釈の差が天皇責任論の強弱判断と関係してくるので、極めてややこしいことになっている。

 やはり問題は、天皇制は西欧諸国で云うところの「絶対的権力を握る神聖皇帝的位置付けであったのか、立憲君主制的なそれであったのか」ということの見極めに有る。しかしてその実態は、れんだいこ的に云えば、特殊日本的な玉虫色であったと言わざるをえないだろう。それをどちらかの側に位置して神学的に緻密に考証している向きもあるが、徒労であろう。

 この玉虫色の明治憲法的に表現された天皇制において、昭和天皇のイニシアチブとしての能動性を分析していくのが本来の研究の在り方ではなかろうか。留意すべきは、この能動性が戦犯につながるものであるのかどうかとはまた別の論であり、歴史的趨勢としての能動性と特殊昭和天皇の個性による能動性とは区分されねばならないと考える。

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/KENPO/IMAGES/KEN004.JPG


 自由民権運動の高まりを受けて、明治政府は明治14年(1881)、10年後に国会を創設するという約束をする。それを受けて、伊藤博文が翌年渡欧して憲法事情を調査する。その時、イギリスを経て新興ドイツ帝国の宰相ビスマルクから憲法学者のグナイストを紹介される。

 伊藤が憲法研究の為に会った人物は、ドイツのルードルフ・グナイストやローレンツ・フォン・シュタイン。

伊藤博文の弁「現時の国法においては、君主は国家の上に位せず、国家の中に位し、君主は国家の統御者にあらずして国家の機関となれり。君主は国家の機関にして国家のために活動すべしとの思想は、既にフリードリッヒ大王の有名なる『君主は人民を支配するところの専制君主に非ず、国家の最高機関なり』との語において発表せられたり」。美濃部達吉氏の「天皇機関説」は、伊藤のこの弁を見ればむしろ正統の解釈であったということになる。


軍部大臣現役武官制の規定。これが時の政局を左右し続けることになった。

帝国憲法

 明治22年大日本帝国憲法が発布された。明治天皇がこれを公布し、自らを国家統治者として元首の地位に就いた。この時、1年後に総選挙を実施し、議会を開設することを宣明した。

第1條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

(法解釈)
 「万世一系の統治者」。


第2條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

(法解釈)


第3條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

(法解釈)

 君主無答責の原則+不敬の禁止(道徳的な含み)

 美濃部達吉「憲法撮要」によれば、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の意とは、@・不敬をもって天皇を干犯することはできない。A・天皇はその全ての行為に責任がない。

 一九八九年(平成元年)二月十四日参議院内閣委員会での内閣法制局長官 味村治の答弁は、「戦前、天皇は大日本帝国憲法第三条で、神聖不可侵で無答責とされ、国内法上、一切の法的、政治的責任を負うことはない。国際法上は、極東軍事裁判で訴追を受けなかった。これは、すでに決着した問題である」
http://www.cc.toin.ac.jp/juri/fj04/hikakukenpo/hikakukenpo_r11.htm


第4條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ

(法解釈)
 「此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」が読めますか? この憲法の条文に従って行われるものが「天皇の統治権」である、という意味です。
「元首ニシテ統治權ヲ總攬シ」というのは単なる修辞です。
この「臣民向け修辞」ばっかり発言カットならぬ条文カットして吹聴するこまった方々が居る、という見方がある。

天皇の4大権
1、行政大権(官僚制度の掌握)
2、編成大権(陸海軍の編成決定権)
3、統帥大権(陸海軍の統率権)
4、外交大権(条約締結権)


第11条 天皇ハ陸海空軍ヲ統帥ス

(法解釈)


第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

(法解釈)


第55条 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

(法解釈)ここはまだ未整理

 「天皇の行為には大臣の補佐(副署)を必要とし、大臣が国政上の責任を負う

 これは「天皇陛下は国務大臣の輔弼・署名無しでは一切権力は行使できない」 という意味ですよ?
且つ、「その責任はすべて国務大臣が負う」のであり、 政治責任が全くない(本人の意思が反映できないのだから当然) 事を「神聖にして侵すべからず」で言っているのです。 もう、先帝陛下に政治責任を求める時点でトンデモの類です。 本人の意思が反映されないのに「戦争責任」なるものを被せられるのなら、国民全員が絞首台に行かねばなりませんね? 、という見方がある。

 他方次のような見方がある。、55条は、誤読を恐れずに書くなら「代理権の付与」にすぎません。つまり同法4条で「天皇は、統治権をもつ」同法6条で「天皇が法律を裁可し、交付執行を命じる」とし同法11条では「陸海軍の統師」と明記されてます。つまり一元的に集中した権限を代理的に「国務大臣」に付与したにすぎないのです。

 ルキュ氏の「天皇が独断で意志や命令は効力をもたない」(9517引用)は、まったくのアベコベで、「天皇が独断で意志や命令をもつ」ことを「コノ憲法の条規に依りて行う」(同法4条)が、帝国憲法なのです。 彼は、同法55条を「天皇の意志」が「輔弼=制限」(?)されたモノと曲解してるが、単に「天皇の意志」を代理してるだけなのである。それを逆立ちして、国務大臣が「天皇の意志」を制限するというのは、主客の逆転である。55条は、天皇の意志を「輔弼」させた国務大臣に、「その輔弼させた責任」(輔弼しソノ責)を負わせただけである。

 どっから「輔弼=制限」というトンチンカンな言葉がでてくるのか。以前に、天声人語で「大正天皇の奇行(賞状を丸めて望遠鏡にした)は、実は自由主義者で平和主義者の行動」というトンチンカンな文章があった。 「アタマの重き病」であった大正天皇の「意志能力」があったか知らないが、「天皇の意志」に制限をつけて「戦争責任」をゴマカす「ルキュ」氏の行動は正に奇行である。


 仮にそうだとして、では、天皇が「こうせよ」と実施を迫ったことについて、国務大臣が副署を拒否することが可能だったのですか? 法律の文面を読めば、「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ」となっていますね。あくまでも、天皇が行う政治を、大臣は補佐する、というのが任務ですから、天皇の意向に逆らうことは出来ないはずですが。

 天皇の怒りに触れれば、内閣がひとつ吹っ飛び(田中義一内閣)、天皇が激怒すれば、それまでなあなあにまったく処罰されずに来た皇道派のクーデター未遂事件の実行犯たちが、のきなみ処刑されました。少なくとも御前会議で天皇が対米開戦を拒否すれば、対米開戦は不可能だった。これらのことを一切無視して、「本人の意思が反映できない」などと言われても、どうにもこうにも説得力を感じません。



 確かに、すべての意志が反映された、とは言いませんが、現在の内閣総理大臣だって、すべての意志が政治に反映できるわけではありません。実際問題として、輔弼というのはたいへん曖昧な用語ですから、かなり曖昧な使い方が出来ます。 大日本帝国憲法が制定された当時、力関係で言えば、たぶん伊藤博文などの明治の元勲の方が、明治天皇より実質的には偉かったと思います。天皇が「神聖」などというのは、あくまでも法律の定めの範囲内だけ、つまり、明治憲法の制定された時点での前提条件は天皇機関説だったと思われます。

 しかし、時が変われば状況は逆転します。1930年代、天皇機関説は公式に否定され、天皇は絶対無制限万能の権力をもつ、ということにされました。 天皇自身は機関説を支持していた、と言われます。ならば、そのように声明を発する権利と義務があったはずです。田中内閣を吹っ飛ばすヒマがあったら、勝手に自分を「絶対無制限万能の権力者」に仕立て上げようとする者に対して激怒し、吹っ飛ばすべきだったのです。しかし、天皇はそうはせず、絶対無制限万能の権力者を演じきりました。彼が、内心ではどう思っていた、などということは、何の免責材料にもなりません。 で、この時点で、天皇の意向に公然と逆らうことなど、国務大臣にはとうてい出来なかったでしょうね。

 そうです、道徳的・良心としての効力はありましたが、法的なものではありません。 周囲が良心でご発言を利用することによって「従った」ものです。 黙殺しても黙殺した大臣を解任するには、輔弼と副署が必要ですので、 法的には黙殺できます。


 責任追及の手段:大臣弾劾制・議院内閣制を廃除、質疑・質問による責任追及。
 大臣責任の例外として、@・皇室自律主義→皇室事項は宮内大臣が補佐、A・統帥権の独立→軍の指揮命令は参謀本部・軍令部が補佐。


 「統帥権の独立」というのがあります。  これも誤解している人が大勢いるようですが、「天皇が他から干渉されずに統帥権を行使できる」という意味ではまったくありません。 そういうためにするレトリックを使いたがる人は現在大勢いますが、実態は、このような解釈は全くされませんでした。 干渉する主体が、他の国務のそれと独立していなければ軍事機密・作戦 を遂行できない、という意味です。

 統帥権干犯問題というのがありますよね?  あれは、統帥権は、どの国務大臣が輔弼してもいいのか、軍部の大臣が輔弼するのか、で揉めたものであって、はなから天皇陛下が独断で権力行使できるとかできないとか言っている人はおりませんでした。  「そんなことはできない」のが共通認識ですので。
 参考に。 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/3119/99mita1.html


 もう少し順番を考えましょう。輔弼というのは上奏など、一端天皇の名に 判断の主体を形式上移すことです。それが形式でないと見せかけるために、下問など、あたかもインタラクティブであるかのようなトリックがあります。ここで天皇が自分の意志を結果に反映することはできません。あくまでも「発言ができるだけ」です。  その結果が国務大臣の副署がなければ法的効力を持ちませんので、内閣の意に反して自分の意志による全く別の内容を裁可したりはできません。

 そのような裁可を得ても副署が無いという事態になるとどうなるか。天皇陛下は大変な「恥」をかくことになります。貸している「名前」の意味が無くなってしまうのです。  ですから、天皇家に生まれたという時点で、原理的に政権の意向に従わざるを得ないのです。  従わない場合どうなるか。歴史的事実として、明治以前には内戦になったり、暗殺されたり、廃人にされて「ご病気」扱いされたり、ということがありました。  同じ事を繰り返さないために、天皇の行動は自ずから定まるのです。


 明治憲法では、天皇が国の元首であり、統治権を総らんするとして、天皇にいわゆる国家統治の大権を帰属せしめていた。これに基づき、天皇は、国家権力の実質的な最高責任者である内閣総理大臣をはじめとする官職任命権を保持し、陸海軍を統帥する権限をも持つと定められていた。

 しかし、実際の政治運営においては元老院の推薦に基づいて為されており、史実の経過から言えば、実質的には元老院のほうに決定権が有り、形の上で追認するという方法で為された。天皇は、建前としては親裁であったが、元老院ないしは内閣の輔弼を受け、統帥権についても陸海軍の輔弼を受けて決定が為されていた。こうなると、実質上の権限体を詮索する必要があるということになる。そのありかは元老院と内閣と議会と陸海軍上層部にあつたものと思われる。この拮抗関係が明治から昭和の敗戦までの歴史であったと思われる。



美濃部達吉「憲法撮要」
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の意
@不敬をもって天皇を干犯することはできない。
A天皇はその全ての行為に責任がない。
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一九八九年(平成元年)二月十四日参議院内閣委員会
内閣法制局長官 味村治の答弁
「戦前、天皇は大日本帝国憲法第三条で、神聖不可侵で無答責とされ、国内法上、一切の法的、政治的責任を負うことはない。国際法上は、極東軍事裁判で訴追を受けなかった。これは、すでに決着した問題である」
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http://www.cc.toin.ac.jp/juri/fj04/hikakukenpo/hikakukenpo_r11.htm
天皇の地位

万世一系の統治者(1条)
「神聖にして侵すへからす」(3条)=君主無答責の原則+不敬の禁止(道徳的な含み)
国の元首、統治権を総攬(4条)
「憲法の条規に依り」統治権を行使(4条)
責任政治の原理
天皇の無答責→大臣責任制
天皇の行為には大臣の補佐(副署)を必要とし、大臣が国政上の責任を負う(55条)

責任追及の手段:大臣弾劾制・議院内閣制を廃除、質疑・質問による責任追及

大臣責任の例外

@皇室自律主義→皇室事項は宮内大臣が補佐
A統帥権の独立→軍の指揮命令は参謀本部・軍令部が補佐



公式令

http://www.yomiuri.co.jp/teigen/1998/98syasetu.htm

戦争ノ抛棄ニ関スル条約
第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル 典拠:http://list.room.ne.jp/~lawtext/1929T001.html

日本国憲法
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。