42828 特攻隊について

神風

 10.20日 【レイテ激戦、米軍レイテ島上陸】アメリカ軍の怒涛の進撃が始まっており、日本軍はこれを阻止せんと必勝を期して「捷1号作戦」を発動した。戦艦「大和」・「武蔵」を中心とした日本連合艦隊がレイテ湾に突入した。この作戦のときから「神風特別攻撃隊」(カミカゼ特攻隊)が出現し、零戦でアメリカ空母めがけての体当たり攻撃が始まった。この戦闘が歴史上最後の最大の海戦となった。

 特攻戦術は以降エスカレートし、「桜花」(=人間爆弾)「回天」(人間魚雷)などの特攻兵器も開発された。一九四五年に入ると「全軍特攻の精神」が強調された、などとある。対米戦が続くにつれ、圧倒的な戦力の差を見せつけられた日本の軍人が考え出したのが特攻戦術であった。


【出陣学徒手記】

「僕は、この戦争で死ぬことが、我等世代の宿命として受け止めねばならんような気がする。一体恨むといっても、誰を恨むのだ。世界史を恨みとおすためには、我々は死ぬほかない」(京大生・林*夫)

【特攻隊員手記】

「お母さん、とうとう悲しい便りを出さなければならない時が来ました。晴れて特攻隊員として選ばれて出陣するのは嬉しいのですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。でも私は技量抜群として選ばれるのですから、喜んでください。私はお母さんに祈って突っ込みます」(京大生・林市造・遺書)

【出征兵士を送り出した母親の手記】

「召集令状が届いた時から、家の中の様子はすっかり変わってしまいました。次々と人々がお祝いに訪れ、その接待に追われました。我が子を戦地に送り出したという実感が湧いてきたのは、暫く日が経ってからでした」()
 出征する若者は親類縁者総出で見送られた。国家の為に死んだ夫の後を守り、子供達にその意味を伝えること、お国の為に役立つ子供に育て、国から求められれば我が子をも黙って国に指し出すこと。そうすることが良妻賢母とされた。

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