42824―2 | 終戦の詔勅、その他詔勅 |
『詔書(昭和20年)』 | http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/shou/ss20.htm |
『終戦の詔勅』 | http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4669/2esh081500.html |
ひもろぎの岡、八神邦建の研究参照 |
【大東亜戦争終結ノ詔書(昭和20年8月14日)】大東亜戦争終結ノ詔書:原文 |
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ (御名御璽) |
【大東亜戦争終結ノ詔書:書き下し文】 |
『朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくむは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。 朕は帝国とともに、終始、東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。 朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。』 (御名御璽) |
【大東亜戦争終結ノ詔書:現代語訳】 |
『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。 余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。 そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。 そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。 余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。 そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。』 |
大東亜戦争終結ノ詔書:八神氏の感慨 |
いかがだったでしょうか。この詔勅にこめられた日本国民への期待と激励と痛恨の想いを、いったいどれだけの国民が、戦後、おぼえていただろうか。 原文の末に、『よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ』とあるが、この言葉は戦後五十三年にわたり、国民からほとんど無視されてきたことがわかる。 確かに『総力を将来の建設に傾け』『世界の進運におくれざらんことを期す』という所だけは、必死になってやってきた。ところが、だれも『神州の不滅』など忘れ、『道義』も軽んじられ続けた。『志操』もゴミ箱行きで、『国体の精華』なんて、国民体育大会の聖火としか思われないほど、精神性を捨て去ってきたのだ。『挙国、一家』などという言葉すら、戦前の軍国主義への偏見やヤクザの一家という、ものすごく歪曲されたイメージでしかみられないという始末だ。 物質的な建設と、世界のトレンドに遅れるまいとする姿だけ肥大し、精神にかわることを、放り出してしまったのである。『神州日本の不滅』『道義』『志操』『国体』という意識を、とりもどさないと、この先、だれも生き延びられるまい。 なにしろ、相手方の欧米やユダヤは、民族・国家意識にはすさまじいものをもっている。彼らの民族意識や国家意識に対抗し、つぶされないで伍してゆくために必要なのは、今あげたような日本独自の民族意識・国家意識の復活なのだ。 それのない日本人は、欧米流のやりかたにおしつぶされ、奴隷的な生を送るしかないと、筆者は感じる。まっとうな民族意識と国家意識を、復活させることは可能なはずだ。それが『国体の精華を発揚』するということなのだ。 なぜなら、民族意識こそ、国家にとって民族にとって、最大最強の武器であるからだ。それゆえに、五十三年前、マッカーサーは、まず最初に日本の「民族意識」を、新憲法によって無力化したのだ。 彼らがもっとも恐れたのは、この国の軍事力ではなく、それを支えつづけた日本人の民族意識・精神力だったことが、これからもわかる。日本人の精神力を骨なしにし、アメリカに魂を売らせることが、最大の武装解除を意味したのである。だからこそ、売ってしまった日本魂を取り戻さなければならない。それこそが、昭和天皇の悲願だったのではないだろうか? |
大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の詔書:原文 |
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大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の証書:書き下ろし文 |
<大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の証書> |
大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の詔書:現代語訳 投稿者:八神邦建 投稿日: 5月12日(日)23時45分52秒 |
「米英両国に対する宣戦の詔書(昭和16年12月8日)」 |
「清国ニ対スル宣戦ノ詔勅」:原文 |
「清国ニ対スル宣戦ノ詔勅」(明治27年8月1日) 天佑ヲ保全シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ清国ニ対シテ戦ヲ宣ス 朕カ百僚有司ハ宜ク朕カ意ヲ体シ陸上ニ海面ニ清国ニ対シテ交戦ノ事ニ従ヒ以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ 苟モ国際法ニ戻ラサル限リ各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ 惟フニ朕カ即位以来茲ニ二十有余年文明ノ化ヲ平和ノ治ニ求メ事ヲ外国ニ構フルノ極メテ不可ナルヲ信シ有司ヲシテ常ニ友邦ノ誼ヲ篤クスルニ努力セシメ幸ニ列国ノ交際ハ年ヲ逐フテ親密ヲ加フ 何ソ料ラム清国ノ朝鮮事件ニ於ケル我ニ対シテ著著鄰交ニ戻リ信義ヲ失スルノ挙ニ出テムトハ 朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ 而シテ清国ハ毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ陰ニ陽ニ其ノ内政ニ干渉シ其ノ内乱アルニ於テ口ヲ属邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ 朕ハ明治十五年ノ条約ニ依リ兵ヲ出シテ変ニ備ヘシメ更ニ朝鮮ヲシテ禍乱ヲ永遠ニ免レ治安ヲ将来ニ保タシメ以テ東洋全局ノ平和ヲ維持セムト欲シ先ツ清国ニ告クルニ協同事ニ従ハムコトヲ以テシタルニ清国ハ翻テ種々ノ辞ネヲ設ケ之ヲ拒ミタリ 帝国ハ是ニ於テ朝鮮ニ勧ムルニ其ノ秕政ヲ釐革シ内ハ治安ノ基ヲ堅クシ外ハ独立国ノ権義ヲ全クセムコトヲ以テシタルニ朝鮮ハ既ニ之ヲ肯諾シタルモ清国ハ終始陰ニ居テ百方其ノ目的ヲ妨碍シ剰ヘ辞ヲ左右ニ托シ時機ヲ緩ニシ以テ其ノ水陸ノ兵備ヲ整ヘ一旦成ルヲ告クルヤ直ニ其ノ力ヲ以テ其ノ欲望ヲ達セムトシ更ニ大兵ヲ韓土ニ派シ我艦ヲ韓海ニ要撃シ殆ト亡状ヲ極メタリ 則チ清国ノ計図タル明ニ朝鮮国治安ノ責ヲシテ帰スル所アラサラシメ帝国カ率先シテ之ヲ諸独立国ノ列ニ伍セシメタル朝鮮ノ地位ハ之ヲ表示スルノ条約ト共ニ之ヲ蒙晦ニ付シ以テ帝国ノ権利利益ヲ損傷シ以テ東洋ノ平和ヲシテ永ク担保ナカラシムルニ存スルヤ 疑フヘカラス 熟々其ノ為ス所ニ就テ深ク其ノ謀計ノ存スル所ヲ揣ルニ実ニ始メヨリ平和ヲ犠牲トシテ其ノ非望ヲ遂ケムトスルモノト謂ハサルヘカラス 事既ニ茲ニ至ル 朕平和ト相終始シテ以テ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚スルニ専ナリト雖亦公ニ戦ヲ宣セサルヲ得サルナリ 汝有衆ノ忠実勇武ニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝国ノ光栄ヲ全クセムコトヲ期ス (御名御璽) |
「清国ニ対スル宣戦ノ詔勅」:読み下し文 |
「清国に対する宣戦の詔勅(日清戦争開戦の詔書)」(明治27年8月1日) 天佑を保全し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国皇帝は、忠実勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。 朕、茲(ここ)に清国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は宜(よろし)く朕が意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、以って国家の目的を達するに努力すべし。苟(いやしく)も国際法に戻(もと)らざる限り、各々(おのおの)権能に応じて、一切の手段を尽すに於(おい)て必ず遺漏(いろう)なからんことを期せよ。 惟(おも)うに、朕が即位以来、茲(ここ)に二十有余年、文明の化を平和の治(ち)に求め、事を外国に構うるの極めて不可なるを信じ、有司をして常に友邦の誼(よしみ)を篤(あつ)くするに努力せしめ、幸(さいわい)に列国の交際は、年を逐(お)うて親密を加う。何ぞ料(はか)らん。清国の朝鮮事件に於ける、我に対して著著鄰交(ちょちょりんこう)に戻(もと)り、信義を失するの挙に出でんとは。 朝鮮は、帝国が其(そ)の始(はじめ)啓誘(けいゆう)して、列国の伍伴(ごはん)に就(つ)かしめたる独立の一国たり。 而(しか)して清国は、毎(つね)に自ら朝鮮を以って属邦と称し、陰に陽に其の内政に干渉し、其の内乱あるに於て、口を属邦の拯難(じょうなん)に籍(し)き、兵を朝鮮に出したり。 朕は、明治十五年の条約に依(よ)り、兵を出して変に備えしめ、更に朝鮮をして禍乱(からん)を永遠に免れ、治安を将来に保たしめ、以って東洋全局の平和を維持せんと欲し、先(ま)ず清国に告ぐるに、協同事に従わんことを以ってしたるに、清国は翻(ひるがえっ)て、種々の辞ネ(じへい)を設け、之(これ)を拒みたり。 帝国は、是に於いて、朝鮮に勧むるに、其の秕政(ひせい)を釐革(りかく)し、内は治安の基(もとい)を堅くし、外は独立国の権義を全くせんことを以ってしたるに、朝鮮は、既に之を肯諾(こうだく)したるも、清国は終始、陰に居て、百方其の目的を妨碍(ぼうがい)し、剰(あまつさ)ヘ、辞を(ことば)左右に托(たく)し、時機を緩(ゆるやか)にし、以って其の水陸の兵備を整え、一旦成るを告ぐるや、直(ただち)に其の力を以って、其の欲望を達せんとし、更に大兵を韓土に派し、我が艦を韓海に要撃し、殆(ほとん)ど亡状を極めたり。 則(すなわ)ち、清国の計図(けいと)たる、明(あきらか)に朝鮮国治安の責をして、帰する所あらざらしめ、帝国が率先して、之を諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位は、之を表示するの条約と共に、之を蒙晦(もうかい)に付し、以って帝国の権利、利益を損傷し、以って東洋の平和をして、永く担保なからしむるに存するや、疑うべからず。熟々(つらつら)其の為す所に就(つき)て、深く其の謀計の存する所を揣(はか)るに、実に始めより平和を犠牲として、其の非望を遂げんとするものと謂(い)わざるべからず。 事既に、茲(ここ)に至る。朕、平和と相終始(あいしゅうし)して、以って帝国の光栄を中外に宣揚(せんよう)するに専(もっぱら)なりと雖(いえども)、亦(また)公(おおやけ)に戦を宣せざるを得ざるなり。汝、有衆の忠実勇武に倚頼(いらい)し、速(すみやか)に平和を永遠に克復(こくふく)し、以って帝国の光栄を全くせむことを期す。 (御名御璽) |
「清国に対する宣戦の詔勅(日清戦争開戦の詔書)」:現代語訳 |
「清国に対する宣戦の詔勅(日清戦争開戦の詔書)」(明治27年8月1日) 天の助力を完全に保ってきた、万世一系の皇位を受け継いだ大日本帝国の皇帝は、忠実にして勇武なる汝ら、国民に示す。 余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜(よろし)く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的を達成するよう努力すべし。いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちるところの無いように心を定めよ。 余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた。どうして、予測できたであろうか。清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すところのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出ようとは。 朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の仲間となした一独立国である。しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国であると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対し出兵した。 余は、明治十五年の天津条約により、朝鮮に兵を出して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。 帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をもうけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。 すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先して、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な平和を保障できなくすることにある。これは疑いようがない。よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとのありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじめ東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を遂げようとしていると言わざるをえない。 事は既に、ここまできてしまったのである。余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念しているのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せざるをえない。汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみやか)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。 (御名御璽) |
(私論.私見)