国債を廻る国会質疑史

 国債問題の国会質疑をインターネットで採録してみると、1977(昭和52).4.13日の第080回国会 大蔵委員会 第20号、1979(昭和54).3.14日の第087回国会 大蔵委員会 第12号、2002(平成14).8.29日の第154国会閉会後 決算委員会 会議録第3号が出てくる。いろいろ遣り取りが為されているが、今日のテイタラクから見れば実効的な議論にならなかったのだろう。

 ここでは、第154国会閉会後 決算委員会 会議録第3号の頓珍漢なやり取りについてれんだいこがコメントしておく。れんだいこは、国債問題については不得手な分野であり、且つあまりにも資料が乏しいこともあって、思うことあるが断定し難いので「疑問」として書き付けておく。それにしても政治の貧困時代を象徴するかのように、国会での国債論議も次第にお粗末な議論に推移しているように思われる。

 2005.1.21日 れんだいこ拝


【「第154国会閉会後 決算委員会 会議録第3号」考】
 2002(平成14).8.29日の「第154国会閉会後 決算委員会 会議録第3号」はおかしな質疑をしている。岩井國臣議員の質問に対する答弁という形式で振興しており、これを検証する。双方が重大なところで認識を野合させているように見える。

 「建設公債が最初に発行された時期についてでございますが、これは昭和四十一年度でございます」は良いとしても、質問「赤字国債というものを初めて発行されたのはいつでしょうか。昭和五十年、三木内閣のとき、これが初めてではございませんか」に対して、政府参考人(杉本和行君)は次のように述べている。「委員御指摘のとおりでございまして、いわゆる赤字公債が戦後初めて発行されましたのは昭和五十年度でございます」。
 (れんだいこの疑問) 

 事実は、1965(昭和40)年度の佐藤内閣ー福田蔵相の時が始まりではなかろうか。以降常態化させた初というのが1975(昭和50)年度という意味なら分かるが。しかし、それならそのように答弁すべきではないのか。福田の悪行に対する隠蔽ではないのか。

 岩井議員は、「中曽根内閣以降の財政再建」を評価せんとして次のように述べている。「赤字国債の発行は先ほどお述べになりましたように三木内閣のときに始まりました。そして、福田内閣、大平内閣、鈴木内閣と赤字国債の発行が続いたんですね。まあ、私に言わせればそれらの内閣の財政規律はむちゃくちゃとは言わないけれどもやっぱり乱れていたと言わざるを得ない、そう思います。中曽根内閣になってやっとこれではいかぬという反省が生じたのであります」。

 そういう認識を披瀝した後で、「中曽根内閣以降、財政再建はどのように行われてきたのか御説明願いたいと思います。赤字国債の累積拡大というものを何とか食い止めようとしたのではございませんか」と質問している。国務大臣(塩川正十郎)は、次のように答弁している。「中曽根内閣になりましてから、一つは、一番大きい変化が起こってまいりましたのは、民間活力の活用ということ、これでございました。それと同時に、このときにいろんな面におきまして規制の緩和が行われまして、したがいまして、公共事業等によるところの言わば経済活性化への方向を民間活力に切り替えた、これが大きい財政上の一つの転換であったと、私はその当時を思い出しまして感じております」。この政府答弁に対して、岩井議員は次のように追従している。、「そうなんですね。民間活力というふうな新しい政策を打ち出しながら財政再建に努められたと。で、中曽根内閣のときになって初めて財政規律が回復する、こういうことだと思います」。
 (れんだいこの疑問) 

 ここでは、岩井議員と塩川国務大臣が掛け合いで無茶苦茶な遣り取りをしていることになる。事実は、財政再建に努めたのは鈴木内閣であり、中曽根内閣は形式上はともかく実質的に財政再建路線を放棄し、バブル経済を生み出すと共にその後の大量国債発行体制を敷いた張本人ではないのか。国会ともあろう場で、事態を逆に描く質疑応答猿芝居をしているのではないのか。

 れんだいこのこの認識が正確ならば、岩井議員と塩川国務大臣のこの質疑応答は全く許し難いと云わざるを得ない。

 岩井議員は、次のような認識を示している。「実は中曽根内閣のときにも随分赤字国債の累積額を削減に努力されました。そして、竹下内閣のときも赤字国債の大幅縮減が続いていきます。それで、だんだんと赤字国債が累積額が減り始めますね。そういう状態が一つある」
 (れんだいこの疑問) 

 これもまた事実は、逆ではないのか。中曽根内閣も竹下内閣も「赤字国債の大幅縮減」をしたのではなく、「大幅拡大」させたのではないのか。この辺り資料の裏づけを持って踏み込みたいが、入手できていないのでこれ以上コメントできない。

 「平成六年から赤字国債が再び発行されたことについて」、岩井議員は次のように述べている。「村山内閣が誕生するのが平成五年の六月であります。その後の平成六年の概算要求が八月に始まるわけでありますけれども、そのときに減税特例公債とか震災特例公債とかなんとか理由を付けながらいわゆる赤字国債を再び発行すると、こういうことになるわけであります」。政府参考人(杉本和行)は次のように答弁している。「御指摘のとおりでございまして、平成六年度から再び特例公債を発行いたしました」。
 (れんだいこの疑問) 

 「村山内閣が誕生するのが平成五年の六月」は間違いではないのか。1993(平成5).8.9日、第79代内閣として細川内閣が組閣されている。従って、細川内閣と村山内閣の関係が誤認されているのではないのか。だとすればあまりにも杜撰な質疑応答猿芝居をしているのではないのか。

 (れんだいこの総論)
 こういう数々の史実隠蔽、歪曲、誤認、逆評価、追従の漫談掛け合いで国会質疑が為されたところで、一体どのような成果が生まれるだろう。実際には諸課題を廻って長々と遣り取りが為されているが、凡そ愚にも付かない論議にしかならないのではなかろうか。

 ネット検索でも同じような記述に出くわすことがある。列島改造景気でインフレを招いた田中角栄が諸悪の元凶で、福田ー中曽根ー小泉ラインが懸命に財政改革に取り組んでいるという描き方である。史実は逆で、田中角栄は国債に依存せずの経済政策を貴重としており、財政改革に取り組んだのは大平ー鈴木ラインの時であり、それをご破算にしたのが中曽根であり、今小泉も又口先は別にして無茶苦茶な経済政策で将来に禍根を深めつつあるのではないのか。

 れんだいこの認識ではそうなるのだが、それを逆に描き出す論議が国会という場でも平気で為されていることになる。それを社民党も共産党もその他左派党派もこれを指摘しない。マスコミも然り。あまりに馬鹿げていよう。
 
 2005.1.21日 れんだいこ拝




(私論.私見)