断末魔に喘ぐ日本、汝可哀そう

Re:れんだいこのカンテラ時評その12 れんだいこ 2005/01/24
 我が国の国債問題は、「初めちょろちょろ中ぱっぱ、追ってぶくぶく」の道筋を辿ってきた。ご飯炊きならそれで一段落するが、国債問題はそうはいかぬ。今では「うなぎ上り」でうねっている。この情況認識が共有できないと以下の話が噛みあわない。

 小泉首相は、政権発足当初は「国債30兆円枠縛り」を約束していた。が、その後の経過で、政権取りの為の口舌ゼスチャーに過ぎなかったことが判明した。小泉は、そのことを指摘されるや、「こんな公約破りなどたいしたことではない」と居直り、引き続き放漫財政に耽っている。

 しかし、国家財政の硬直化の現実の前に何らかの対処をせねばならない。そこで造りだしたのが「三位一体」なる造語である。要するに、国家財政が窮迫化してきたので従来のように地方へ廻す金が無いことから補助金削減しようとしているのだが、何らかの合理性のある新政策体系を生み出して処しようとしている訳ではない。思いつきの行き当たりばったりをアドバルーンしながら政局運営しているに過ぎない。

 不快なことは次のことである。国内的な最重要課題としての財政再建問題に何らの有効な対処を為さぬまま、ブッシュの自由イデオロギー聖戦論をそのまま真似て郵貯の民営化論を打ち出し、無理矢理抵抗勢力を拵えて不退転の闘争決意を語る。

 しかして、郵貯の民営化論に何の合理性があるのか皆目はっきりしない。ただ単に遣り抜くという決意表明だけである。弁明為しえぬままとにかく遣り抜くというその姿勢は、背後勢力に教唆されている故であろう。

 不快なことは次のことである。小泉首相は、中曽根の向こうを張るかのように国外向けに大盤振る舞いし続けている。軍事関連費の打ち出の小槌が際限なく振り下ろされ続けている。れんだいこには、その費用がどこから出てくるのか分からない。国会決議なしに何故許されるのかが分からない。

 ブッシュの第一ポチとして愛想を振りまく痴態が次第に世界に知られつつある。世界に例の無い異常な累積国家債務の過重重圧問題を抱えているのに、それに何らの有効策を呈示しないままに、ブッシュの指図するままにスポンサー役を引き受けており、小泉にとってどうやらその際のエエ格好のみが生き甲斐らしく、その脳天気さが密かに失笑されつつある。この馬鹿はいつまで演技し続けられるのだろう。

 しかし、その小泉を名宰相として叱咤激励してきた我が国の政治的貧困を如何にせん。この間のマスコミの提灯痴愚ぶりをいかんせん。2005年1月の今日に於いて、「抵抗勢力に負けるな論」を説き続ける者が居るとするなら、これをいかんせん。れんだいこは断ずる。「漬ける薬が無い。よって処置無し」。

 今や日本は、国家破産の危機を迎えている。というよりも正確には、国家破産は手段であり、内実は日本が乗っ取られようとしていることにある。日本はなぜ乗っ取られるのか。それは日本に魅力があるからである。山紫水明の瑞穂の国という国土資源と相対的に有能な人的資源という環境資源が、世界史的に観て宝物であるのだろう。他にもありそうだがここでは記さない。そういう訳で、日本が狙われている。当の日本人はそのことに気づいていない。

 その政策を音頭とりしているのが日本政治史上のタカ派であり、彼らは戦前にあっては軍部のお先棒を担いだ。戦後になると米英ユ同盟に売込みして、魂を売る代わりに出世権力を貰っている。タカ派というのは、イデオロギーというより何時の世でも最も強い権力になびく癖があるようである。

 80年代初頭の中曽根政権の登場と共に、そういう輩が日本の支配上層部に巣食ってしまった。彼らの指導の下に、日本は史上初の国家的破産、国民的隷従を余儀なくされる道へ誘われつつある。

 その経緯は、まさに絵に描いたような「シオンの議定書」のシナリオ通りであり、その成功の様はシオンの議定書派自身が驚くほどの見事さで進行しつつある。「国債発行謀略」とエージェントの送り込みがこれほど成功した例は世界史上の驚きであろう。

 今や、小泉問題は、国家存亡の危急問題として突きつけられている。それを許すこと自体、許す側もまた自分で自分の首を絞めながら恍惚している痴呆であることを証しているであろう。

 れんだいこが最近事情を読み解くのに次のように云える。バブル経済は崩壊した。民間レベルは否応無く新事態対応型の生活スタイルへ転換した。が、意識が引き続きバブルのままにある勢力がいる。その余韻が小泉政治を許していると評することができる。

 政官業マスコミの四身一体勢力が未だその只中にある。最も遅れているこのバブル紳士達の意識はいつになったら真っ当なものに戻ることができるのだろうか。こういう連中に限って自称エリートを自認しているだけに始末が悪い。

 今目前に於いて進行しつつあるこの痴態を撃つのに、改善改良策で間に合うのだろうか。れんだいこは絶望している。なぜなら、既存の利権構造に大鉈を振るわない限り、事態は解決しないと思うから。果たして、大鉈を改善改良策で導入することが出来るだろうか。れんだいこは歴史上その例を知らない。

 いずれにせよ、この苦境を脱し新社会秩序を展望する為の青写真とロードマップが要る。それを生み出す力は既成の権力派にはなかろう。そういう訳で、世は革命を欲している。つまり革命主体の形成が一刻も早く望まれている。「革命は楽しからずや」、「見えてから説くのは世間並み、見えん先から見抜いて説くのや」、今ほどこの言葉を噛み締める必要があるときはなかろう。

 2005.1.24日 れんだいこ拝




(私論.私見)