331―134 対イラク戦バグダッド陥落その後(1)

 バグダッド戦は奇妙な結末を迎えた。激烈な死闘戦ないしは長期抵抗戦が予想されていたところ、何とほぼ無血開城式に陥落した。イラク戦争は、開戦以来ほぼ20日というスピードで米英軍の勝利に帰した。よってこれを、米英軍から見て「対イラク20日間電撃戦争」と名づけることにする。

 この戦争全体が、バグダッド攻略戦に象徴されているのでこれを少し検証してみたい。 


 ラムズフェルド米国防長官は9日の記者会見で、米軍がイラクの首都バグダッドを解放してフセイン政権を「権力の座」から追放した成果を強調しながらも、フセイン大統領親子ら政権幹部を捕捉するため軍事作戦を完遂すると表明した。国防長官は「今日はイラク国民にとって良い日となった」とフセイン政権崩壊を歓迎した。同時に「イラクの隅々からフセイン政権が取り除かれるまで(作戦を)止めない」とも述べ、崩壊したフセイン政権幹部の掃討作戦を継続する考えを示した。

 国防長官はさらに「政権幹部がイラクからシリアに移動している」と述べ、シリアがフセイン政権指導部の国外逃亡を支援していると指摘。シリア政府がイラクに対する軍事物資支援を継続していると述べ、フセイン政権への支援を止めるようシリア政府に警告した。

 マイヤーズ米統合参謀本部議長は「首都では共和国防衛隊の組織的な抵抗は見受けられない」と述べたが、首都の一部で戦闘が続いていることを確認した。また、イラク北部に展開しているイラク陸軍の10個師団以上と1個旅団規模の共和国防衛隊に対する空爆を続けていると話し、モスルやティクリットなど北部拠点都市の制圧を進めると発言。(ワシントン共同)

 2003.4.10日フライシャー米大統領報道官は9日、概要「イラク戦争はまだ終わっていないが、ブッシュ大統領は適当と考える時に勝利を宣言をすると思う」と述べ、大統領が戦況を見極めた上で勝利宣言を行うとの見通しを表明した。報道官はただ、戦闘がまだ続いているとして「慎重になる必要がある」と強調、宣言の時期については明言を避けた。報道官は「きょうはイラクの自由にとって記念すべき日だ」と指摘、「大統領は(勝利宣言を)明言できる日を待ち望んでいる」と述べた。(ワシントン共同)

 



 2003.4.10イラク戦争:米が「蜂起」を仕掛け シーア派と連携模索

 【ワシントン河野俊史】バグダッド市内で起きた略奪や暴動など一連の市民の動きを合図にしたように、9日、フセイン体制が終局を迎えた。米政府は米英軍の侵攻で共和国防衛隊などの反撃を封じ込めて首都を「孤立化」させた上で、イスラム教シーア派勢力をはじめとした市民の蜂起によって、最終的にフセイン体制を崩壊に追い込むシナリオを描いてきた。このために、米中央情報局(CIA)や軍の情報機関が背後で工作活動を加速させてきた。市民の蜂起は予想したほどには至らず、米軍とイラク軍の激しい交戦がなおも続いているが、バグダッドは米軍の支配下に入った。

 今回の対イラク軍事行動にあたって、米政府は米主導の政権転覆の印象を薄めるためにも、最終段階でのシーア派勢力の蜂起による「幕引き」を仕掛けてきた。CIAをはじめとする情報当局者が、シーア派住民居住地区のサダムシティーなど各地に潜入して、ビラ配布などを含めた工作活動を進める一方、テヘランに拠点を置くシーア派反体制組織「イラク・イスラム革命最高評議会」(SCIRI)の指導者(アヤトラ=高位聖職者)であるムハマド・ハキム師らとも、頻繁に接触を重ねてきた。アヤトラのファトワ(宗教令)が民衆蜂起を促す可能性があったからだ。

 しかし、91年の湾岸戦争後にイラク南部で起きたシーア派の一斉蜂起が共和国防衛隊などによって鎮圧された経緯から、米政府は蜂起のタイミングには神経をとがらせてきた。今回の開戦後、南部のバスラなどでのシーア派蜂起の動きは米政府の予想以上に弱く、共和国防衛隊や民兵組織フェダイン・サダムによる報復を住民が恐れている様子がうかがえた。米政府は蜂起に向けた内部工作を強化する一方、ラムズフェルド長官が「米英軍が戦闘している間は家にとどまるように」と慎重な対応を促してきた。

 しかし、バグダッド進撃が視野に入り始めた3月末、ラムズフェルド長官は米議会の公聴会で「バグダッド制圧にはシーア派の蜂起が有効」と証言、積極的に蜂起を促す考えを宣言していた。これに伴い、バグダッド入りした海兵隊部隊が、秘密警察の拷問を受けていた受刑者を刑務所から解放(9日付ニューヨーク・タイムズ紙)するなど、半ば公然と蜂起の環境づくりを進めていた。

 沈黙していた市民はこの日、街頭に繰り出し、米軍を祝福する一方、混乱に乗じて略奪や暴動が起きた。それが首都陥落のサインになった。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-03:18 )


4月10日 3:08

イラク:
フセイン体制崩壊 独裁と戦争の24年


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 【アンマン小倉孝保】国民を恐怖政治で支配し、地域の軍事大国として国際社会をしばしば震撼させたサダム・フセイン大統領のイラク支配が事実上、終焉を迎えた。この24年は独裁政治下で戦争続きという、国民にとって極めて辛い時代だといえる。

 独裁色の強い中東諸国にあっても、フセイン大統領の独裁体制は特に強固であり、多くの国民は「人類史上、これほど怖い指導者は想像できない」と語った。靴磨きや新聞売りなどに姿を変えた秘密警察が国内各地に張り巡らされれ、国民は常に治安当局の目を気にして生活していた。

 大統領のポスターにコーヒーをかけただけでも処刑されたといった残忍な噂は枚挙にいとまがない。80年代までは、あちこちにフセイン大統領の私書箱が置かれたほか、大統領府への直通電話などを通じて密告制度が完成されたといわれる。「イラク国民は自分以外に信用する者はない」とさえ言われた。

 また、大統領の娘婿フセイン・カメル中将が95年、大統領やその家族との不仲からヨルダンに亡命し、帰国した後に殺害されるなど、大統領は政権幹部や身内であっても、自分に背く者は容赦なく殺した。

 ペルシャ湾岸地域に対しては、化学兵器にまつわる恐怖も振りまき、イランとの戦争中の88年には、イラン南部アフワズに毒ガス・ミサイルを打ち込んだほか、イラク北部の反政府派クルド人に化学兵器を使用し約5000人を殺害した。

 半面、家族と故郷ティクリート出身者への優遇策が目立った。長男ウダイ氏は五輪委員会委員長、国会議員など要職を務め、二男クサイ氏は共和国防衛隊の責任者に就任しフセイン後継の最有力者といわれた。

 一方、国民にとっては戦争続きの24年だった。79年にイランでイスラム教シーア派による革命が発生すると、フセイン大統領は80年に革命の輸出阻止を旗印にイランを攻撃、8年間に及ぶイラン・イラク戦争に突入した。自分を湾岸やアラブ全域のリーダーとして認めさせる目的もあった。

 イ・イ戦争では、米国などがイラクを間接的に支援し、イラク国民が「フセイン大統領は米国が育てた」と主張する根拠になった。

 また、イ・イ戦争終了後の90年8月には、「クウェートはイラク領土の一部」と主張してクウェートに侵攻。91年1月には米国を中心とする多国籍軍と戦火を交え(湾岸戦争)、軍事的には完敗したものの国内治安を強化することで政権を維持させた。

 一方でフセイン大統領は社会保障、教育に力を入れ、医療や大学までの教育の無料化を実現した。バグダッドは90年に国連の経済下に置かれるまでは、アラブで最も医療水準の高い都市の一つといわれた。国民の識字率も向上し、欧米で教育を受けた政府幹部を大量に輩出した。

 しかし、大統領が恐怖政治によって国民を苦しめ、国際社会の不安定化を招いたことと考え合わせれば、こうした大統領の功績はごく小さなものといえるだろう。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-03:05 )


4月10日 2:47

イラク戦争:
市民らフセイン銅像を破壊 「グッバイ・サダム」


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 「グッバイ・サダム」。群がった市民の前でサダム・フセイン大統領の銅像が引き倒された――。米軍の攻撃で陥落したイラクの首都バグダッド。市内の「サダムシティー」に暮らすイスラム教シーア派住民は米海兵隊を花束で歓迎。一方、混乱に乗じて略奪を始める市民も出始め、市内は騒然としている。

 【アンマン福島良典、小倉孝保】市内中心部、フィルドス広場に立つ巨大なフセイン大統領像。昨年4月、大統領の誕生日に建てられたばかりの立像は、大統領の長年の権力を象徴する。9日午後5時(日本時間同10時)ごろから、周囲に市民数百人が集まってきた。数人が台座を含め高さ約15メートルの銅像の上にのぼり、首にロープをかけ、引き倒そうとする。さらに土台の下を体格のいい男性たちがつちを交代に持ち、台座部分を破壊する。

 英BBCは「(テレビ、ラジオが止まり)市中心部で何が起きているのか、まだ知らない市民や、様子を見ている人、略奪が増えているため用心している人たちもいる。(それで銅像前に)劇的に人が増えないのだろう」と解説するが、市民の数は確実に増える。

 脚部に上った米海兵隊員が一時、頭部を包み込むように星条旗をかけた。その後、イラク国旗をネクタイのように像の首にかけるシーンもあった。湾岸戦争(91年)以前の国旗だった。

 午後6時50分(同11時50分)、ついに像の首にまきつけられた鎖が、軍作業車両から伸びるワイヤーにつながれ、引っ張られた。銅像がばたりと前に倒れ込み、音を立てながら広場に崩れ落ちた。人々はその上に踏みつけ、歓声を上げた。

 フセイン大統領の力の源泉は政権に対する国民の恐怖心だった。特に国民は大統領宮殿を指差すことや、国内随所にある大統領の銅像に向かって笑うことさえ許されないと恐れていた。秘密警察から徹底した調査を受けることがあったという。

 しかし、引き倒された銅像に市民が歓喜したことでもわかるように、国民の大統領に対する敬意は表面的だった。大半は自分たちの指導者への憎悪を膨らませていた。

 転がり落ちたフセイン像の頭の部分をロープにくくりつけ、通りを引きずり走る市民もいる。抑圧からの「解放」を祝う場面が続く。

 【アンマン福島良典】「フセインはもういらない!」「フセインよさらば!」。イスラム教シーア派住民の居住区「サダムシティー」に近い市北東部のパレスチナ通り。白髪の男性がフセイン大統領の肖像画を踏みつけ、若者がつばを吐きかけた。現地の記者は「圧力なべのふたが吹き飛んだようだ」と伝えた。

 一方、米CNNテレビによると、大統領宮殿から南西約5キロのバグダッド大学の近くで、潜んでいたとみられるイラク兵と米兵の激しい銃撃戦が展開された。「民兵が銃撃してくる。(市内に)安全でない場所は残っている」(ロイター)。首都が陥落しても、戦闘は終わっていない。

 混乱に乗じて商店を襲い、略奪を始める市民も出始めた。政権党バース党がわずか数週間前に総決起集会を開いた東部のパレスチナ通りでは、若者や中年男性らが貿易省に押しかけ、倉庫からエアコン、冷蔵庫、テレビを持ち出したほか、天井に吊り下げられた扇風機を取り外し盗んだ。

 花、時計、壺、テーブル。あらゆるものを抱えて若者達が通りを行き交い、略奪した家具などを満載した車が走り去る。国連査察団本部があったホテルも襲われているという。「見ろ、これは犯罪だ。不信心だ。これが(求めていた)自由なのか」。若者の一人は自ちょう気味につぶやいた。略奪を制止する者はだれもいない。

 【アルビル(イラク北部)藤生竹志】フセイン政権から徹底的な弾圧を受け続けてきたイラク北部クルド人自治区では9日、「バグダッド陥落」をメディアで知った住民らが喜びにわいた。

 主要都市の一つ、アルビル中心部では、車が騒々しくクラクションを鳴らし、人々はVサインを示しながら満面の笑みを浮かべ「サンキュー・ブッシュ(米大統領)」と叫ぶ声がこだました。

 「サダム(フセイン大統領)には長い間、苦しめられてきた。彼が死ねば、やっと解放される」。ホテル従業員の男性は首をはねる仕草を見せながら語る。

 イラク軍の陣地だった場所に近いマラオマルザブ村のファター・カダル村長(47)は「これからは明るい未来を考えることが出来る」と、将来に期待を示した。

 米軍兵士がフセイン像の首にワイヤーをまきつけ、軍の作業車両が引っ張った。約3分で広場に崩れ落ちた。午後6時50分ごろ、人々は崩れた像をさらに踏みつけ、歓喜の声を上げた。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-02:44 )


「ゲームは終わった」 イラクの国連大使

 イラクのアル・ドゥーリ国連大使は、バグダッドが陥落した9日、ニューヨークの公邸前で記者団に「ゲームは終わった。あとはイラクに平和が訪れることを望むだけだ」と述べ、戦争がイラクの敗北に終わったとの認識を示した。「ゲームとは何か」と尋ねられると、「戦争だ。戦争が終結したということだ」と答えた。同大使は「いま、取り組むべきは平和。イラクの人々がきょうの終わりまでに平和な暮らしを取り戻すよう望む」と付け加えた。

 記者団にフセイン大統領の所在を尋ねられると、「知らない。この数日間、本国との連絡が途絶えている。私はサダムとまったく関係ない。状況も分からない」。一連の安全保障理事会協議ではイラク政府の立場を擁護した同大使だが、一転「無関係」を強調した。

 アル・ドゥーリ氏は、約2年前に国連大使として当地に赴任。バグダッド大法学部長を務めた法律家で、フランス文学に精通していることでも知られる。大量破壊兵器をめぐる国連安全保障理事会の協議ではフセイン政権の「潔白」を主張するとともに、米英両国を激しく非難し、「イラクはかつてのベトナムのように米国と戦う」などと語っていた。今月8日ごろまでは国連本部の外交ラウンジの片隅で、携帯電話で電話をかけたり、アラブ連盟各国の大使らと意見交換したりしていたが、首都陥落でついに観念せざるを得ない状況に追い込まれた。大使は、これからの身の振り方については一切語らなかった。

 米FOXテレビによると、大使は9日夜、フランスへ向けて出国するという。

(朝日・読売)


4月10日 14:05

イラク戦争:
短期終結の状況「よかった」 小泉首相


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 小泉純一郎首相は10日昼、米軍によるバグダッド陥落について「(イラク戦争が)早く終わってほしいと願っていたから、短期終結の状況になってよかった」と歓迎した。ただ、「まだ戦闘が続いている地域もある。フセイン大統領もいどころが分からない。まだ終わっていないと思う」とも述べ、戦況をなお慎重に見極める姿勢も示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-14:00 )


ネオコン(新保守主義派)の野望 イラク暫定統治機構に隠された本音
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/482.html
投稿者 へなちょこ 日時 2003 年 4 月 10 日 08:21:03:TkZEkwy3zSYDc

フセイン後『新生イラク』は「東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030409/mng_____tokuho__000.shtml
 イラク全土でまだ銃声が絶えぬ中、北アイルランドでの米英首脳会談では早くも「戦後処理」が論議された。しかし、果たして「戦後」は来るのか。ブッシュ政権を操る新保守主義(ネオコンサーバティブ=ネオコン)派はイラクを拠点に新たな標的を狙う。反サダムの反政府派ですら、反米感情を隠さない。 (田原拓治)

 イラクでは、米国のジェイ・ガーナー退役少将の指揮で「フセイン後」の暫定統治機構が動きだした。その後の暫定政権指導者には現在まで反政府派「イラク国民会議(INC)」のアハメド・チャラビ代表が有力視されている。この人事は何を意味するのか−。

■暫定統治機構 指揮者はタカ派

 ガーナー氏はネオコン系シンクタンク「国家安全保障ユダヤ問題研究所(JINSA)」の文書署名者の一人で、INCはことし、異例にも米国のユダヤ系最大ロビー団体「米・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の大会に当初、招待が予定されていた。

 これらの事実からも「フセイン後」人事が米国政権内のイスラエル右派と親しいタカ派のネオコンが牛耳っているのは明らかだ。

 だが、この暫定政権の性格には不安が横切る。英ガーディアン紙によると、米国防政策諮問委員でネオコン系シンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」にも属すCIA(米中央情報局)のジェームズ・ウールジー元長官は今月二日、こう講演した。

 「イラク戦争は新たな中東づくりの一部にすぎない。敵は(1)イランの宗教支配者(2)イラクやシリアのファシスト(3)アルカイダなどのテロリストだ。米国と連合軍の進軍は続く」

 次の標的はイランかシリアか。いずれにせよ、新生イラクを前線基地にしたきな臭さは消えそうにない。

 そんなネオコンの野望はともあれ、イラク民衆は米国支配を受け入れるのか。米メディアは「歓迎」色を強調するが、その危うさが露呈した一幕もあった。

 今月三日のことだ。米軍はイラク人口の65%を占めるイスラム教シーア派の宗教指導者、ミルザ・アリシスターニ師が「米英軍の妨害をするな」と宗教令を出した、と発表した。

 しかし、これはでっち上げだった。イラン国営通信などによると、真相はこうだ。同師の先生だった故アブールカーゼム・ホーイ師の息子で、湾岸戦争後に英国に亡命したマジード・ホーイ氏が最近、米英軍とともにアリシスターニ師を訪ね、親米的な宗教令を出してくれるよう説得した。だが、これは失敗。ホーイ氏の試みだけが成功したかのように公にされた。もともと故ホーイ師はイランの革命指導者故ホメイニ師とは違い「政治不介入」が信条。アリシスターニ師も当初、フセイン政権から圧力を受けたのか「米英侵略者への聖戦」を呼び掛けたがその後は沈黙を保っている。

 戦後イラクを左右するシーア派内部は現在、こうした「不介入組」、サハフ情報相のようなフセイン政権派、チャラビINC代表やマジード・ホーイ氏のような親米英派など四分五裂の状態だ。イランに本拠を置く同派最大の反政府組織「アッダワ」もいまだ静観を続けている。

 ただ、ネオコンが当初予想した米英軍の侵攻に伴い民衆が反フセインで決起するシナリオは覆された。

 その心情をエジプトのある識者は「民衆がフセイン政権を嫌っているのは事実だろう。だが、フセインのような暴力息子が家庭にいるからといって突然、強盗が来て、その息子を殴ったら家族らは強盗に同調するだろうか」と解説する。

 実際、ロイター通信の従軍記者は次のようなエピソードを伝えている。
 「イラク南部サフワンで道端の十七歳の少年が通過する英軍に微笑し、手を振っていた。だが、車両が通りすぎるや表情は一変、憤りの色を帯びた。彼は『サダムが指導者だ。彼はよい男だ』と繰り返した」

 フセイン政権に積年の恨みを募らす反政府諸組織もINC以外は「米国による戦後」に拒絶を示す。

 ホームページなどによると、アンマンに拠点を置くイラク国民合意(INA)報道官は「米政府はイラクのアイデンティティーを守るべきだ」と語る。イラク共産党は戦前から国連主導の問題解決を主張し、反戦を訴えていた。クルド人系ではクルド民主党(KDP)幹部が「米国プランはまったく機能しない」と述べ、クルド愛国同盟(PUK)政治局員は「われわれは一人の独裁者が別の独裁者に代わることを拒む。イラク人による新政府を望む」と言明する。シーア派のイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)のベイルート代表は「米国に同調する者が出ていることは残念」と批判。イラク・スンニ派急進主義のイスラム党に至っては義勇兵を募り「祖国防衛」のためにイラクに送り込んでいる。

 民族、宗教が複雑に織りなすモザイク国家で、反イスラエルの強固な武装勢力が一掃された後、米国を交えた外国勢力が支配を試みる−。現在のイラクと似通った光景が二十年前、アラブの地であった。

 八二年のイスラエル侵攻後のレバノンだ。レバノンに「間借り」していたパレスチナ解放機構(PLO)は同国から隣国イスラエルを攻撃していた。イスラエルは「PLO一掃」を旗印に同国に武力侵攻した。

 攻撃されたPLOはレバノンを撤退し、この後、イスラエルと「仲介役」を任ずる米国はPLOを敵視するキリスト教右派を軸にかいらい政権を樹立した。

 しかし、多数派イスラム勢力と隣国シリアは「イスラエル・米国支配」に反発し、キリスト教右派のバシール・ジュマイエル大統領は爆殺される。その兄で後継者のアミン氏はイスラエルと和平合意を結ぶが、これも後に破棄された。かいらい政権はつぶれた。虐殺を伴った侵攻と米軍駐留の仕掛け役はイスラエル右派のシャロン首相(当時、国防相)とネオコンだった。

 PLO撤退後も駐留していた米軍海兵隊本部は自爆テロ(二百四十一人死亡)を受けレバノンを去る。犯行組織はPLOに反感すら抱くシーア派だった。イスラエルでも反戦の高まりから総選挙で右派政権が崩れた。結局レバノンを拠点にした支配構想は失敗した。

■新通貨を米ドル案 反米感情を刺激

 米ワシントン・ポスト紙によると、米政権内ではイラク・ディナールに代わり、米ドルを新通貨とする案も浮上しているという。実現すれば、民衆の被植民地感情を刺激するだろう。

 英国亡命中のイラク人女性作家ハイファ・ガンザナさんは英国放送協会(BBC)にこう語っている。

 「民衆は米英軍と闘い続ける。それはサダムの軍隊に強制されてではなく、サダムが倒れた後もです。その昔、民衆は英国の支配を覆した。同様に米国の統治プランも崩れるでしょう」

 レバノンでは、かいらい政権が崩壊した後も内戦が五年続いた。イラクが同じ轍(てつ)を踏まない保証はどこにもない。


2003年04月10日

イラク戦争:
米大統領、英首相 イラク国民向け演説放映


 【ワシントン中島哲夫】米CNNテレビは10日、ブッシュ米大統領がテレビを通じて「恐怖と残虐の長い時代は終わろうとしている」「イラクの政府と国家の将来は間もなくみなさんのものになる」と呼びかけるイラク国民向け演説を放映した。ブレア英首相との共同メッセージであり、イラクでは同日夕から、心理作戦用の放送を流す米軍機からの電波で視聴が可能。

 このメッセージは8日、北アイルランドでの米英首脳会談の際に収録された。

 米英政府の発表によると、ブッシュ大統領は「サダム・フセイン(イラク大統領)がみなさんの国にもたらした悪夢は間もなく終わる」「すべてのイラク国民、みなさんの国家が間もなく自由になることを私は保証する」とイラク戦争の早期決着を予告。米英軍は好んで戦争を始めたわけではなく、今後イラクを支援し、公式の新政府が樹立されれば「イラクを去る」とも明言した。

 ブレア首相は、米英軍は「みなさんの友人、解放者であり、征服者ではない」と述べ、「イラクを動かすのは英国でも米国でも国連でもない。イラク国民のみなさんだ」と強調した。

 ブッシュ米大統領とブレア英首相のイラク国民向けの共同テレビ演説の要旨は次の通り。

●ブッシュ大統領

 現在、フセイン政権は排除されつつあり、恐怖と残虐の長い時代は終わろうとしている。政府と国家の将来は間もなくみなさんのものになる。

 連合軍(米英など)の目標は明確だ。残忍な政権と大量破壊兵器に終止符を打つ。国民を代表した政府の創設を手助けする。その後、我々はイラクを去る。

 我々は罪もない市民の命を尊重する前例のない措置をとっており、必要な人に食料、水、医薬品を届け始めている。

 新しい時代には、あなた方は、自由に生活を作り、自由に経済的な繁栄を追求し、自由に旅行し、発言し、自由に政治に参加する。

 サダム・フセインがあなたの国にもたらした悪夢は間もなく終わる。

●ブレア英首相

 我々はこの戦争を望んでいたわけではないが、他の選択肢はなかった。わが軍はあなた方の友人、解放者であり、征服者ではない。我々は必要以上に長くイラクに留まるつもりはない。

 我々は、あなた方とともにイラクに平和と繁栄を築くために働く。イラクを再建するのは英国でも米国でも国連でもなく、イラク国民なのだ。

 イラクの石油生産で得られる金は、あなた方のものだ。

[毎日新聞4月11日] ( 2003-04-11-00:39 )


2003年04月10日

イラク戦争:
戦後復興は国連主導との考え強調 仏シラク大統領


 【ブリュッセル森忠彦】フランスのシラク大統領は10日、イラクのフセイン政権が崩壊したことを歓迎する声明を発表。戦後復興は国連主導で行うべきとの考えを改めて強調した。

 声明の中で「フランスは他の民主国家と同様、フセインの独裁政権が崩壊したことに満足している。一刻も早く戦闘状態が終息することを願っている」と述べた上で、「治安が確保された後は国連に基づく合法的措置によってイラクの自主統治が回復されなければならない」と強調した。

 フランスは米英のイラク攻撃に関しては最後まで慎重論だったが、イラクの民主化は当初から支援しており、政権崩壊という新たな事態を受けて今後の人道支援や復興には積極的に介入する意向を見せている。

 大統領は9日午後にもブレア英首相と会談。国連の重要性を確認し、米国主導をけん制している。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-22:11 )


2003年04月10日

イラク戦争:
21日目の電撃的決着 米政権強硬派に勢い


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 【ワシントン河野俊史】米英軍による対イラク攻撃は、一時浮上した長期化の様相から一転して21日目の電撃的な決着(フセイン体制崩壊)となった。途中で増派が決定された10万〜12万人の米軍部隊は順次イラク入りしているが、大半は戦闘終了後の駐留任務にあたる見通しだ。イラク側の戦闘能力が予想以上に低かったことが最大の要因とみられるが、米国内では「ハイテク兵器と奇襲作戦を駆使した少人数の戦争」を提唱してきたチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官の強硬派ラインが勢いづくのは必至の情勢だ。

 チェイニー副大統領は9日、ニューオーリンズで開かれた全米新聞編集者協会の年次総会で講演し、「戦争初期にはテレビ局に出演する退役軍人らから(今回の)作戦計画を批判されたが、日がたつにつれ、計画の賢明さがより明白になった」と発言、ブッシュ政権の作戦計画が妥当なものだったことを強調した。

 湾岸戦争(91年)当時の約半分の米軍兵力(約24万人)で短期決戦を目指した今回の作戦計画をめぐっては、イラク南部ナシリヤの戦闘で多くの犠牲者が出たり、補給路が延び切って前線への補給が遅滞するトラブルが批判の対象となり、米政府は急きょ10万〜12万人の増派決定を余儀なくされた。首都バグダッド攻略は周囲に包囲網を築いた上で、陸軍第4歩兵師団などの増派組が到着するのを待って着手されるとの見通しが強まっていたが、米軍は「正攻法」の一方で、市街地の大統領宮殿などへの急襲攻撃を繰り返した。当初は威力偵察や「心理戦」を狙った示威行動とみられていたが、結局、この急襲攻撃がバグダッド陥落の突破口になった。

 10日付の米ワシントン・ポスト紙は軍事専門家の話として(1)訓練を積んだ装備のしっかりした軍隊(2)驚くほど技量に欠けたイラク側の反抗(3)バグダッドに焦点を絞った3月末のブッシュ政権の決定――の3点を作戦成功の理由にあげている。米軍は本格的な市街戦を避けるため、急襲作戦や特殊部隊と連動したフセイン大統領爆撃計画を駆使してチャンスを模索してきた。これらの非伝統的な作戦手法はブッシュ政権に強い影響力を持つネオコンサーバティブ(ネオコン=新保守主義)人脈の間で提唱されることが多く、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官をはじめ国防総省のシビリアン(文民)の間で支持されている。

 結果的にせよ、新たな作戦手法が奏功したことでネオコンに近い政権内タカ派が息を吹き返すのは確実だ。精密誘導弾の比率拡大をはじめとする軍事革命(RMA)の進展とも連動して、新しい戦争観が創出される可能性も出ている。

[毎日新聞4月10日] ( 2003-04-10-19:43 )


イラク戦争 クルド勢力が進撃、油田都市キルクーク制圧−−米が支援

 ◇トルコと緊張高まる

 【キルクーク(イラク北部)藤生竹志】イラク北部のクルド人勢力は10日、米軍の支援を受けて、北部油田地帯の主要都市キルクークを制圧した。モスル陥落も時間の問題とされ、クルド人支配地域のアルビルなどから約30万人のクルド人がキルクークへ移動を始めたとの情報もある。トルコはクルド人勢力のキルクークなどへの進出をけん制してきただけに、双方の緊張が高まっている。米政府は同日、「米軍がキルクークを統治する」と述べ、クルド人のキルクーク支配には反対する意向を明確にした。

 各種情報によると、クルド人勢力はクルド愛国同盟(PUK)と、クルド民主党(KDP)双方の旗を掲げているが、PUKが主体とみられる。KDPのスポークスマンは「クルド兵は米特殊部隊とともに市内へ入った」と語った。

 未確認情報によると、クルド住民が数千台のバスや車を連ねてアルビルからキルクークへ向かいつつあり、その途中では、キルクーク陥落の情報を聞いたクルド人たちが歌い、踊っているという。スレイマニヤからもクルド人が流入し、イラク軍が撤収したキルクークの政府施設などで略奪しているという。

 キルクークはバグダッドや南部のバスラに次ぐ主要都市で、クルド人のほかトルクメン人、アラブ人など多様な民族が住んでいる。石油資源が豊富なこともあり、フセイン政権は「アラブ化政策」を推進、多くのクルド人を追放したが、クルド側は自治確立後の「首都」と位置付けていた。

 トルコがクルド人がキルクークやモスルを制すれば、石油収入を得て独立機運を強めるのは必至とみて、両市への進軍自制を呼び掛けていた。

 トルコはイラク領内に駐留させる兵力は約2万人とされ、石油利権を抱えたキルクーク、モスルへのクルド人の移動に対して、トルコが軍事的に対応する可能性も指摘されている。

 一方、米軍は同日、フセイン大統領の故郷ティクリート攻略作戦を続けたが、イラク指導部の行方は依然分かっていない。米軍スポークスマンは10日、ティクリート攻略作戦について、イラクの共和国防衛隊がティクリートやモスルに兵力を集結させており、引き続き激しい戦闘が起きるとの見通しを示した。

 (2003年4月11日毎日新聞朝刊から)


イラク陸軍の第5軍団、北部モスルで降伏=米中央軍司令部
 
 [アッサイリヤ米軍基地(カタール) 11日 ロイター] 在カタール米中央軍司令部は、イラク陸軍の第5軍団全体が、北部の町モスルで降伏したことを明らかにした。

 中央軍司令部のソープ報道官が、ロイター通信に述べた。

 同報道官は、「イラク第5軍団の司令官が(降伏の意思を)地上軍に伝えてきた。現在、戦争捕虜とするか、家に戻すかを検討している」と述べた。

 またキチンズ大尉は、米軍が、フセイン・イラク大統領の故郷ティクリートで、イラク側の抵抗にあったことを明らかにした。

 同大尉は、「ティクリートでは、バグダッドのような激しい戦いが繰り広げられている。米軍も(空爆で)敵を激しく攻撃している」と述べた。


こんな記事があったのに、削除?ラムズフェルド国防長官の失言
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/910.html
投稿者 ドッグマン 日時 2003 年 4 月 12 日 20:32:10:5dsMWK3vD9tTo

米国防長官「略奪も市民の自由の1つ」
http://www.excite.co.jp/News/vnews/story_v?vid=731103&genre=world
「イラクの人々は今、残忍な独裁者の抑圧から解放され、自由となった。
自由な人間には、犯罪や悪いことをする自由があるのだ」(ラムズフェルド国防長官)


2003年04月13日

中国:
在バグダッド大使館の保全要請 強奪被害で米に

 新華社電によると、中国外務省の劉建超副報道局長は12日、バグダッドの中国大使館が強奪被害に遭っているとして、イラクの無政府状態に「深い遺憾」を表明。大使館の保全措置などを取るよう米国に緊急の申し入れをしたことを明らかにした。

 アンマン発の新華社電によると、バグダッドにある中国大使館に銃を持ったイラク人20人余りが押し入り、館内の物品を強奪しているのを12日朝、新華社の現地通信員が見つけた。

 大使館の門やガラスは既に外され、車もなくなっており、押し入ったイラク人は、ちょうど建物内から冷蔵庫やパソコンなどを運び出していた。同大使館は数日前にも強奪に遭ったという。

 副局長は米国に「有効な措置を取り大使館に対するいかなる侵犯も制止し、奪われた物品を取り戻す」よう要請したとしている。(北京共同)

[毎日新聞4月13日] ( 2003-04-13-10:02 )


2003年04月14日

イラク:
湾岸戦争時、文化遺産4000点流出 17日対策会合

 イラク各地の文化遺産が略奪や破壊されている現状について、メソポタミア文明研究の権威、松本健・国士舘大イラク古代文化研究所教授(55)は「約4000点の文化財が海外流出した湾岸戦争(91年)当時を超えるものになっている可能性がある」と危機感を募らせている。松本教授は、17日にパリで開かれる国連教育科学文化機関(ユネスコ)主催の専門家会合に出席し、各国の専門家とイラクの文化財保護策などを検討する。

 バグダッドでは10日から11日にかけ、イラク国立博物館に市民数千人が乱入、収蔵物を略奪、破壊した。松本教授によると、同博物館にはイラク南部のウル付近で出土した約4500年前のシュメール文明の黄金の冠や短剣、88年に奈良でも公開された後期アッシリア時代(紀元前720年ごろ)の象牙板なども保管されていた。これらも略奪された可能性がある。

 湾岸戦争後も、内乱などによる混乱でイラク各地の博物館で略奪があった。奪われた文化財の多くは海外へ売られ、ほとんど戻っていない。

 ユネスコの松浦晃一郎事務局長は12日に声明を発表し、米英に文化財の緊急保護策をとるよう要請した。さらに、国際刑事警察機構や美術商の国際団体に対し、略奪された文化財の流出阻止への協力を呼びかけた。

 専門家会合には、日米欧などの考古学者ら20人以上が参加し、イラクの文化遺産目録の作成や現地調査団の派遣準備もする予定。松本教授は「破壊された文化財をニュースで見るのはいたたまれない。会合で米英に保護を呼びかけるよう提案するなどして、1日も早く人類共通の遺産であるメソポタミア文明の文化財を守りたい」と話している。 【和田浩明】

[毎日新聞4月14日] ( 2003-04-14-15:01 )


2003年04月14日

イラク戦争:
米軍が部族代表らと停戦交渉 拠点早期陥落も

 【ワシントン藤原章生】フセイン大統領の出身地ティクリートを攻略中の米海兵隊は13日夜から14日未明にかけ、同市中心部に向けて進撃した。AP通信によると、2500人が集結中といわれたイラク側の共和国防衛隊や民兵勢力の組織的な抵抗はない模様。カタールの衛星テレビ・アルジャジーラなどによると、米軍は13日から非公式に地元の部族代表らと停戦交渉を開始した。イラク側が最後の拠点とするティクリートも早期陥落の可能性が強まってきた。 

 アルジャジーラによると、停戦交渉には、ティクリートの主要15部族を代表する指導者が出席している。代表者は「我々は米軍と戦う意思はない」と発言。武装しているのは、イラク北部のクルド人武装勢力からの攻撃に備えるためと説明しているという。

 米CNNテレビなどによると、海兵隊の戦闘車両約250台が市内に入り、空からは攻撃ヘリが警戒活動や攻撃を続けている。

 また、AP通信によると、ティクリート市内ではバグダッドなどのような略奪は起きておらず、治安は比較的に維持されているという。

 米軍は、現在イラク国内を北上中の陸軍第4歩兵師団の一部をティクリートに派遣して、制圧後の治安維持に充てる予定だ。

[毎日新聞4月14日] ( 2003-04-14-11:24 )


4月14日 11:08

イラク:
専門家が加わっていた可能性も 国立博物館の略奪


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 【バグダッド小倉孝保】バグダッドのイラク国立博物館で、メソポタミア文明の遺跡の発掘物など貴重な展示品十数万点が略奪されていたことが分かったが、本物と模造品を見分けて持ち出すなど、考古学に詳しい専門家が略奪に加わっていた可能性が浮上している。

 同博物館は、約5000年前にチグリス・ユーフラテス川流域に発達した古代四大文明の一つ「メソポタミア文明」の貴重な史料を数多く収蔵しているが、今回の略奪で壊滅的被害を受けた。

 博物館関係者が米ニューヨーク・タイムズ紙に語ったところによると、奪われたのは古代シュメール王朝時代(紀元前3360〜同2000年)の金の琴や首飾りなどの装飾品や、同王朝時代の古代都市の一つでイラク南部のウルで発見された女性の頭像など。

 同博物館には、バグダッド陥落直後、市内が無政府状態になった際、数千人が押し入ったといわれる。暴徒化した市民はガラスケースを割って展示品を持ち出した。さらに博物館内部の収蔵庫も荒らされたことが確認されている。

 藤井秀夫・国士舘大名誉教授(メソポタミア考古学)によると、同博物館はメソポタミア文化に関して、コレクションの整理や豊富さにおいて、アラブ諸国で随一、世界でも有数の存在だという。

 特にシュメール時代のウル第3王朝の王墓から出土した女王の冠やハープなどが、きわめて貴重な収蔵品として知られている。また、展示品以外ではアッシリア時代の宝石がちりばめられた金の王冠や腕輪などが収められている。 【窪田淳】

[毎日新聞4月14日] ( 2003-04-14-11:03 )



[追跡・イラク戦争]国立博物館・文化財略奪 「米兵、見てるだけ」

 ◇攻略速すぎ、配備後手に

 古代メソポタミア文明発祥の地として「文明の揺りかご」と呼ばれるイラク。人類史上、貴重な意味を持つ文化財が戦争による混乱の中、略奪された。当時、バグダッド中心部にあるイラク国立博物館で警備にあたっていた職員らの証言から、付近に展開する米軍部隊が博物館からの警備協力の要請に応じず、略奪を阻止できなかった可能性が浮上している。冷淡な米軍の対応に、イラクの考古学関係者は対米不信を深めている。

 戦争中、イラク博物館では二つの入り口にそれぞれ考古学者、モフセン・カードムさん(50)と警備員、アブドラフマン・アブアラフさん(60)を配置していた。カードムさんによると、バグダッド陥落翌日の今月10日午前8時前、博物館の周りを数千人の群衆が取り囲み、侵入を試みた。イラクの警察官は前日に姿を消し、付近には米軍の戦車3両と機関銃を持った米兵数人がいた。

 警棒しか持っていなかったカードムさんは不安になり、米軍付きのクウェート人通訳を通じて「このままでは、展示品が狙われる。警備してくれ」と米兵に頼んだ。しかし、カードムさんは「米兵は何もしてくれなかった。威嚇射撃さえしなかった」と証言する。

 午前8時ごろ、群衆が門扉をこじ開け、一斉に博物館の敷地になだれ込み、ドアや窓ガラスを割って中に侵入した。止めようとしたカードムさんはもみ合いとなり、右手の薬指と右脚に軽いけがをした。「それでも、米兵は見ているだけだった。イラクに武力で侵攻したのなら米軍こそ、歴史遺産を守る義務があったはずだ。群衆の中には『米軍が博物館に入ることを許した』と話す者さえいた」と悔しがる。

 □  □

 イラク文化省考古学・遺産庁のドニー・ジョージ調査研究部長(52)は今年2月、毎日新聞の取材に、米軍による空爆と地上戦に備え、イラク当局が国内に散在する遺跡から文化財の避難を秘密裏に開始していることを明らかにした。文化遺産に大きな被害が出た91年の湾岸戦争が教訓だった。

 だが、博物館は略奪され、見る影もない。略奪にあった展示品の数や詳細は不明だが、博物館の事務所棟でドニー部長は「全人類の歴史の中でも最も貴重な遺産である紀元前3200年のつぼと、紀元前2500年のブロンズの像が盗まれた。人類にとっての大きな損失だ」とうなだれた。

 ドニー部長は「手口から見て、専門家が多数いた。連中は何が目当てなのかを熟知していた」と語る。一般人には価値も分からない貴重な本などが狙われ、図書室の蔵書は跡形もなくなった。重要な文化財は空爆の被害を避けるため、発泡スチロールなどに包み地下倉庫に隠しておいたが、それも発見され盗まれた。

 文化省考古学・遺産庁のジャビル・ハリル・イブラヒム長官とドニー部長は13日正午、パレスチナホテルのバグダッド駐留米軍を訪れた。博物館で略奪を免れた文化財を守るために、装甲車を送ってもらう約束を米軍大佐から取り付けたという。「だが、14日午前になっても誰も来ない」とドニー部長は憤慨する。

 14日、博物館を訪れたイラク警察の犯罪担当、アキール・スベイディ氏は「我々は、米軍が近づくまでは、博物館の警備に責任を負っていた。しかし、米軍はイラクの治安・警察を最初の攻撃目標にし、9日の時点でこの周辺の警備が不可能になった」と語る。

 □  □

 「ブッシュ政権のイラクにおける軍事、政治目標に重大な影響を与えかねない」。13日付のワシントン・ポスト紙は、博物館略奪を含むバグダッド市内の混乱で、軍の無策を批判。ラムズフェルド米国防長官は13日、米NBCテレビの番組で「(略奪を)許したわけではない。起こってしまった。(政権移行の)過渡期で、誰も統制下にいない」と弁明した。

 米軍が略奪行為を抑えられない背景には、米軍のバグダッド攻略の速度が速すぎ、地上軍の配備が追いつかなかったことがある。陥落後の治安維持も含めイラク全土で15万〜17万人の兵力が必要とされた。ところが陥落時点の兵力は、12万5000人しかいなかった。

 しかも米軍は、石油省や内務省などを重点的に警備。博物館や病院、商店街など市民生活に身近な施設の警備は手薄で、バグダッド市民の反感を強めているのが現実だ。【バグダッド福島良典、小倉孝保】

 (2003年4月15日毎日新聞朝刊から)



4月15日 12:35

米国務長官:
イラク博物館の略奪物を回収へ 売買には厳罰


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 【ワシントン中島哲夫】バグダッドのイラク国立博物館から世界的に貴重なメソポタミア文明の遺物が大量に略奪されたことについて、パウエル米国務長官は14日、記者団に「米国は責務を理解している」と述べ、同博物館の安全確保や奪われた遺物の回収、破壊された部分の修復などに「主導的な役割を果たす」と明言した。

 これを受けてリーカー国務省副報道官は同日の定例記者会見で、略奪された遺物は盗品であり、その売買などはイラク国内法で処罰されると指摘。米国での取引は米国内法でも処罰されるだろうと警告した。

 副報道官はまた、国際刑事警察機構(インターポール)や国連教育科学文化機関(ユネスコ)を通じて遺物の回収に努める方針を明らかにした。

 しかし、イラク戦争で生じた「権力の空白」の中で略奪が起き、米軍が阻止できなかった事実は重く、「手遅れ」の感もある。遺物の回収が順調に進む見通しはなく、国際的批判は免れそうにない。

[毎日新聞4月15日] ( 2003-04-15-12:31 )


2003年04月16日

米国防長官:
イラク全土の完全制圧目指す考えを強調

 【ワシントン佐藤千矢子】ラムズフェルド米国防長官は15日の会見で、イラク情勢について、米英軍はバグダッド攻略を優先するために通過してきた「より小さな市や町に戻っている」と述べ、全土の完全制圧を目指す考えを強調した。また米英軍が湾岸戦争(91年)後にイラクの北部と南部に設定した飛行禁止空域のうち、北部での監視飛行はすでに中止していることを明らかにした。 

 長官は「サダム・フセイン(大統領)の故郷ティクリートを制圧し、残るは二、三の市だけになった」として、「フセイン政権が国の隅々から排除されるまで、努力を続ける」と改めて完全制圧への決意を宣言した。

 一方、飛行禁止空域の監視飛行について長官は、インジルリク空軍基地を提供しているトルコ政府と協議のうえ、北部については「中止した」と表明。南部については「監視飛行という形ではない飛行を続けている」と述べた。

 

[毎日新聞4月16日] ( 2003-04-16-14:50 )


2003年04月16日

米軍:
シリア向け送油管を閉鎖 会見で米国防長官

 【ワシントン佐藤千矢子】ラムズフェルド米国防長官は15日の会見で、シリアがイラクからの原油を密輸入してきたパイプラインを米軍が閉鎖したことを明らかにした。ブッシュ政権は、シリアがイラク政権高官の逃亡を手助けしたり、化学兵器を保有していると批判を強めており、パイプライン閉鎖もシリアへの圧力を一段と強化する狙いがあると見られる。

 イラクは90年のクウェート侵攻で、石油輸出禁止などの国連経済制裁を科されたが、96年の「石油・食料交換計画」により制裁が緩和され、人道物資購入目的に限って一定量の石油輸出ができるようになった。だが、00年に敷設されたイラク・シリア間のパイプラインを経由した石油の輸出入はこの国連制裁に違反する形で行われ、日量15万〜20万バレル、年間12億ドル相当がイラクからシリアに供給されてきたとされる。

 ラムズフェルド長官は「パイプラインを止めたと聞いている」と述べ、米軍がパイプラインの閉鎖工作を行ったことを明らかにしたが、「パイプラインを破壊してはいない。我々はイラクのインフラ(基本的社会基盤)は守ってきた」と破壊は否定した。

 長官は、これにより「イラクからシリアへの違法な原油の流れをすべて止められたかどうかは保証できない」とも述べた。共同会見した米統合参謀本部のマイヤーズ議長は「(閉鎖は米軍の)技師の技術的アドバイスに基づいて行った」と説明した。

 一方、パウエル米国務長官は同日の会見で、シリアがイラク政権高官の避難先になっていることやシリアの大量破壊兵器の開発疑惑などを非難。「シリアが、フセイン政権の終焉により地域環境が新しくなったことを理解し、過去の政策を考え直すよう望む」と警告したが、「戦争計画は何もない」と強調した。

 ブッシュ政権がシリアを攻撃する選択肢は今のところなく、同政権はパイプライン閉鎖など具体的な締め付けを通じて、シリアの変化を促す戦略を取るものと見られる。

[毎日新聞4月16日] ( 2003-04-16-12:16 )


2003年04月18日

イラク:
元閣僚が95年の証言録で廃棄を明言 生物・化学兵器

 ヨルダンに亡命したイラクの元閣僚が95年、同国の大量破壊兵器について国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)に回答した非公開の証言録を毎日新聞は入手した。米政府は元閣僚の証言をイラクの大量破壊兵器保有を裏付ける証拠の一つに挙げてきたが、証言録によると、元閣僚は「化学兵器は湾岸戦争後に、生物兵器も国連査察を機にすべて廃棄した」と明言、「現在も保有している」としてイラク戦争に踏み切った米政府の主張と食い違っている。

 証言者はフセイン大統領のいとこで、大統領の長女の夫だった故フセイン・カメル中将。軍事工業担当の閣僚を務め、大量破壊兵器開発を所管していた。証言録はA4判15ページで、冒頭に「UNSCOM/IAEA(国際原子力機関)機密」と書かれている。亡命直後の95年8月22日の日付で、UNSCOMのエケウス委員長(当時)らが直接聴取した。中将はクーデター未遂の疑いをかけられ96年にイラクに一時帰国した際、射殺された。

 証言録によると、イラクは化学兵器のマスタードガスやサリン、VXを製造。80〜88年のイラン・イラク戦争の末期にミサイル弾頭にVXを搭載したが、使用しなかった。91年の湾岸戦争でもVXが準備されたが「核による報復を恐れ使う気はなかった。戦後、化学兵器は破壊した」という。 

 フセイン・カメル中将は、生物兵器について「90年12月に炭疽(たんそ)菌をミサイルの弾頭に詰める段階まで進んだ。国連査察団が来てから、すべて廃棄した」と述べている。

 カメル中将はクーデター未遂の疑いをかけられて、96年に一時帰国した際、射殺された。91年に査察対策の組織を設けるなど大量破壊兵器問題に深く関与したことから、米政府はその証言を重視し報告書など随所で引用してきた。しかし、カメル中将が「生物・化学兵器を廃棄した」と断言していたことには触れていなかった。

   □  □

 米中央情報局(CIA)職員はカメル証言を「金脈」と呼んだ。

 日本を含む各国の米大使館のホームページに、米政府が作った「国際社会の安全保障を脅かすイラクの大量破壊兵器開発計画」と題する資料が掲載されている。イラクが91年の湾岸戦争前に射程距離600〜650キロのスカッドミサイルの弾頭に化学兵器を搭載し、実弾試験をしたことなどが記されている。イラクの大量破壊兵器の開発、保有を批判する内容だ。

 この資料に情報源として唯一実名で登場する人物がカメル中将だ。「イラクはカメル亡命まで、生物兵器製造の事実を認めなかった」と記述している。

 CIA元職員のケネス・ポラック米ブルッキングズ研究所上級研究員は「カメル中将はフセイン政権の機密を知る数少ない人物の一人で、米情報当局者の多くは証言を真実とみなしている」と述べている。ポラック氏は著書「脅威の嵐」でカメル中将らの情報を引用して、イラク攻撃の緊急性を主張した。ポラックス氏が証言録を入手しているかどうか不明だが、カメル中将の「廃棄」発言には触れていない。

   □  □

 カメル中将の証言以降、イラクが大量破壊兵器製造を再開したり、中将が知らぬ所で兵器が残っている可能性はあるのか。

 国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)はカメル証言をもとに95年から98年までに生物・化学兵器の原材料や製造装置、分析装置を、発見し廃棄させている。しかしUNSCOMやその任務を引き継いだ国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)も生物・化学兵器そのものは見つけていない。

 これに対し米政府は、過去の兵器廃棄を証明する文書がないことや、科学者が査察に非協力的なことから「少なくとも100トン、最大で500トンの化学兵器を保有していると思われる」としたうえで(1)フセイン大統領は過去に兵器開発した(2)査察は98年、疑問を残し途絶した(3)3年以上、査察がなかった――などを理由にイラクが大量破壊兵器を保有していると主張している。

 化学兵器に詳しい米カーネギー国際平和研究所のジョゼフ・シリンシオーネ研究部長は「米国にも国連にもイラクが95年以降、生物・化学兵器を開発してきたという物的証拠はない」と言い切る。そして「化学兵器があったとしても微量で、殺傷力はほとんどない。ブッシュ政権の情報は明らかにおかしい」と付け加えた。

 ブルックス米中東軍作戦副部長によると、米軍は現在、多数の特別班の手で化学兵器などの「情報や運搬システム、準備、保存について調査を進めている」という。だが16日現在、イラク国内で大量破壊兵器は発見されていない。

【ワシントン藤原章生、斗ケ沢秀俊】

 カメル中将の主な証言内容は以下の通り。

 【化学兵器】

一、VXはイラン・イラク戦争末期にミサイル弾頭に搭載したが、使用しなかった。湾岸戦争では核による報復を恐れ使う意図はなく、戦後、破壊した。

一、化学兵器工場は地下にあったが、間違いと気づき、地上に変えた。

 【生物兵器】

一、炭疽(たんそ)菌を製造し、90年12月、弾頭に菌を詰める段階までいった。ミサイル弾頭も作ったがわずかだ。査察団が来てから、すべて廃棄した。

一、生物化学兵器をミサイル着弾前に爆発させる実験をした。

一、旧ソ連のミサイル発射台とミサイルの設計図と金型を残した。特殊部隊がロシアのスカッド用発射台2基を隠した。イエメンから入手したミサイルと発射台もあった。精度を高めるため、ウクライナ、中国などと共同研究した。

一、米国の巡航ミサイルの不発弾が残っていたので、その研究もした。

 【核兵器】

一、フランスなどから高濃度ウランを輸入したが、実験にも至らなかった。遠心分離機の開発が間に合わなかった。

[毎日新聞4月18日] ( 2003-04-18-03:01 )


2003年04月18日

ロシア外相:
イラク制裁解除は「大量破壊兵器の確認必要」

 【モスクワ町田幸彦】インタファクス通信によると、ロシアのイワノフ外相は17日、国連の対イラク経済制裁解除について「自動的に解除を決定するべきではない。イラクでの大量破壊兵器の有無を確認する必要がある」と述べた。

 ロシアは、フセイン体制崩壊によって制裁解除の条件を満たしたとするブッシュ米政権の見方に反対する立場を言える。外相は「ロシアは対イラク制裁の早期解除に関心がある」と強調した上で、イラクの大量破壊兵器の排除を求めた国連決議の順守を主張した。

[毎日新聞4月18日] ( 2003-04-18-09:35 )


イラク復興大規模事業、共和党に近いベクテル社が受注

 米国際開発局(USAID)は17日、イラク復興の大規模事業を米プラント建設大手、ベクテル(本社カリフォルニア州)に発注したと発表した。契約は電気、水道など社会資本の復旧で当初3460万ドル(約41億円)。ただ、議会の承認が得られれば、空港や港湾などの大型事業にも拡大され、事業規模は6億8000万ドル(約816億円)に膨れあがるという。

 ベクテル社は、現ブッシュ政権と同じ共和党のレーガン政権時代、国務長官などを務めたシュルツ氏が役員を務めるなど、政治力の強い会社とされる。ただ、シュルツ氏は米メディアに対し「受注するために政治的な影響力は使っていない」と話している。

 USAIDは同事業について、一部の大企業だけに対して応札を要請したことから、野党の民主党や市民団体などから、経緯が不透明だとの批判が出ていた。

 チェイニー副大統領がトップを務めていたエネルギー大手、ハリバートンのグループ企業も、応札を要請されたが、途中で候補から脱落したと報道された。

 これとは別に、ハリバートンのグループ企業は3月下旬、米陸軍から油田の消火・復旧事業を受注した。この経緯が不透明だとして、ワックスマン下院議員(民主)らは、米会計検査院(GAO)に対し調査を要請した。

 USAIDは、イラクの初期復興事業は米企業に限定して発注する方針。ただ下請けには、外国企業も入れるとしている。 (朝日4/18)


イラク反米デモに数万人、フセイン政権崩壊後で最大規模

 [バグダッド 18日 ロイター] イラクの首都バグダッドで18日、米国のイラク撤退を求める数万人規模のデモが行われた。
 24年間に及んだフセイン政権が9日前に崩壊して以来、最大規模のデモとなった。
 モスクからバグダッドの街頭に繰り出したイスラム教徒は、イスラム教の聖典コーランや祈とう用マットなどを手に、「われわれの国を出て行け、平和を」「ノー・ブッシュ、ノー・サダム、イエス・イエス・トゥ・イスラム」と書かれた横断幕を掲げ、イスラム国家樹立を訴えた。
 主催者の発表によると、今回のデモはイラクの多数派のシーア派と実権を握るスンニ派双方の意見を代弁した。 (ロイター)[4月19日14時34分更新]



バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/466.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 00:07:35:cje0BUN7ztE2U

(ごく一部の抄訳)

イラク軍がバグダッドを含む全都市から撤退した理由を説明することから始めよう。
この撤退に伴って起きたことは全て、聖戦士指導部とイラク軍指導部との協議に従って起きた事だ。
アッラーの敵は、バグダッドに1万トンもの爆弾を投下した。小型核兵器に匹敵する威力を持つ新型爆弾を投下した。
我々は、米英は地上戦を望まず、空爆による破壊と殺戮に徹するつもりだと判断した。
彼ら(不信心者)は、イラク軍とイラク市民に反乱を起こさせるには、強力な爆弾が有効だと判断した。
米軍が爆撃をする間にも、米国によって訓練されたシーア派とクルド人はイラク北部でイラク正規軍と戦っていた。
かくして我々は、アフガニスタン型の戦術を採ること決めた。

地上戦を避ける臆病な敵と正規戦を戦うことは出来ない。
空軍力に優る敵と戦う唯一の方法はゲリラ戦である。
しかし、イラクにはトラボラがない、アフガニスタンのような山がない。
アフガニスタンの聖戦士(タリバン)は代わるがわる全ての都市から撤退し、全都市を敵に明渡した。
そうすれば爆撃が止み、無実のムスリム民間人を救うことがが出来ると考えたからだ。
しかし、臆病者は決して爆破を止めず、地上に降りて戦うこともなかった。
それでも、ムスリムは敵に最大限の損害を与えた。アメリカはアフガニスタンで勝利したと言うことは出来ない。

我々はタリバンと同じ戦術を採ることにした。
正規軍ではアメリカと戦えないと理解したイラクの指導部も、我々のシューラ(会議での決定)を受け入れた。
我々が市民と共に居たら、不信心者は我々を滅ぼし、そして我々の市民をも滅ぼす。
だから撤退する。しかし、これは政治的には敗北を意味するだろう。
トラボラに優るものを見つけた我々が撤退した唯一の理由はこれである。

1989年にイラク軍が建造したバンカー(えん蔽壕)とトンネル、これは良い知らせだ。
イラク指導部の数人しかこの場所を知らない。
全てのイラク正規軍がバンカーに行くだろう。体制に忠実な15万人の戦士、150機のミグ27ジェット戦闘機(ミグの所在をカバーしたメディアは一つもない)、2500台のイラクの戦車。
合意は次のようなものだ:
イラクの全戦力(砲兵隊、陸軍、情報機関、情報提供者、共和党防衛隊、フェダイーン・サダム、他の全軍隊)は武器を放棄して撤退し、
都市を不信心者に明渡してバンカーに向かう。

有難い事に、我々は嘗てはフェダイーン・サダムと呼ばれた若い聖戦士を預かった。
(注記:フェダイーンとは、大義に命を捧げるよう訓練された者のこと)
兄弟たちとウレマーの助けを借りて、彼らはフェダイーン・イスラムとなった。
彼等はバース党政権を非難し、タウヒードを受け入れ、アッラーの道のために死ぬことを誓った。

我々は敵軍を手玉にとる。正規軍はこの種の戦争に慣れていない。
トンネルは3箇所にあるが、安全保障上の理由からその場所に触れることはできない。


1st press release given by Sheikh Abu Iyad the Amir of the Mujahideen in Baghdad

Posted on Thursday, April 17 @ 21:12:03 EDT By Pak Taliban

My brothers Assalamualaikum warahmutallahi wabara katuhu, salutation from Allah I send to all of you.

My brothers I am sorry for the delay in sending this message to you;
in the time when you want to know what's going on because we were extremely busy in a matter Allah (swt) knows how much importance is attached to it.
And I realise I have been late in communicating to you and I want to share this great information, great news from Iraq-ul-Islam.
Indeed it is a great piece of news, I need to ask you to listen to the message, read it and contemplate about it because it is going to be the last message from me that I am able to relay to you from Aman.
After that I will never be able to send it to you in this way.
What has happened is that all the brothers in Baghdad have been here for the last 30 days.
But last week when Sahaaf the Iraqi information minister last spoke and just after that the two US tanks entered on that day we sent our delegation the letter to Aman.
From there the message was passed and the reason why it was sent via this route is because we had previously arranged to receive people and additional support there.
This is the reason why the communication link is going to be one-way i.e. from me to the Ummah.

First of all I must carry the salutation of 8000 thousand Mujahideen in Iraq.
(n.b. not the Iraqi army but Mujahideen who have come voluntarily from Syria, Sudan, Yemen, Algeria, Pakistan, Bangladesh, Malaysia, Albania, Bosnia etc) I carry the salutation of the brave who are eager to meet the enemy to die for the sake of Allah (swt).
Salutation of the soldiers of Allah and the horses of Islam and salutation from the friends of Allah his Angels and Gibrael (as) and his wings.
I carry for you the salutation of the riders of the daytime and the worshippers in the night-time.

In order for me to carry the great news (Busharah);
this Busharah is for those people whose eyes are full of tears, the tears are shed because they see the people of the cross in the Muslim land in Dar-ul-Salaam, in Baghdad, in the cradle of the Abbassi Khilafah.
I send this good news to all those people who have been misled by the magicians and the majic of the pharaoh of this time.
The magic of pharaoh at the time of Musa (as) did not deceive the eye of the believer, like Musa (as).
Those tricks of the magicians of today, the jews and the media, they deceived many Muslims of the world and defeated them even before the battle has started.
By the almighty Allah, the great lord of the throne, the situation in Iraq is not the way the jews tried to show or demonstrate by their own majic.
We are going to tell you the truth from the reality not from hopeful thinking, not wishes, not dreams nor is it a matter of propaganda.

I will start off by explaining why the Iraqi forces retreated from Baghdad and from all other cities.
This is not an issue of defending the soldiers of the Baath Party, as you are all well aware what our stance is regarding the Baath kufr regime, rather a matter to purify the truth (Haq) of the situation.
All that happened in this withdrawal was in accordance with our consultation between the leadership of the Mujahideen and the leadership of the Iraqi forces.
This after the bombing in Baghdad by the enemy of Allah had intensified to the level that they themselves started to send bombs each one weighing 10 000 tonnes.
A new type of bomb was released one that compares to small nuclear type bombs over Baghdad.
They (US) used it because it was a new type of bomb that had not been banned internationally and they dare not use Weapons of Mass Destruction (WMD) because they themselves would not be able to defend themselves against such weapons.
After all this we realise they are going to persist in bombing, killing and destroying without desiring to come and fight face to face.
After all this we realise the enemy of Allah in the Pentagon is sitting and they do not know what to do.
Especially when they faced resistance in Umm Qasr, which is only a small place (consists of 2 roads), and it took them 14 days to take control of 2 small roads.
This is not to mention the cities of Iraq and the big cities of Baghdad.
So they (kuffaar) realised that they need to use very powerful bombs as a tactic that will weaken the people of Iraq in order to destroy as much as they can from the infrastructure of Iraq, to inflict maximum damage on the Iraqi army and Iraqi people thus leading to an uprising.
The shia who have been trained by the US will fight against the Iraqi regular army and the kurds from the North and there will be fighting on the streets between the regular army, Iraqi army and the Iraqi people whilst the Americans continue the bombing everywhere.
After all this we decided to adopt the tactics as in Afghanistan.

We cannot fight as a regular army with a cowardly enemy who doesn't want to engage in land warfare.
They have superiority over us by their airpower therefore the only way we can fight their regular army with their air superiority is to lure and engage them in street to street fighting or a guerrilla war.
But there is no Tora Bora (mountains in Afghanistan) and there are no mountains in Iraq like the mountains in Afghanistan.
The Mujahideen (Taliban) in Afghanistan retreated from all the cities one after the other and gave them all up so the bombing could stop (to save the innocent Muslim civilians) but the cowards never stopped the bombing and never came down to meet us.
And yet up until now the Muslims have inflicted maximum damage on them and they can't even claim victory in Afghanistan.

We decided to use the same technique and the Iraqi leadership thank Allah accepted our Shura and that showed us a sign of responsibility from them that they realised that they could not fight the US as a regular army.
Especially when you are living among your own people because the kuffaar will destroy you and destroy your own people so retreat but this will mean you have lost the war politically.
This is the sole reason why we retreated especially after we found that there are enough places to be protected in, ones that are much better than Tora Bora.
These are the bunkers and tunnels of Iraq, they were constructed by the Iraqi forces in 1989 and Alhumdulillah it is good news.
The location of these places is guarded, nobody knows where they are except a few people in the Iraqi leadership.
I can tell you the good news that all the Mujahideen are going to stay in the streets.
All the Iraqi regular army will go to the bunkers 150,000 fighters
who are extremely loyal to the regime and with them there is 150 Iraqi air jets MiG 27 (n.b. none of the media has covered the whereabouts of these fighter jets) and 2500 Iraqi tanks.

The agreement was that all the forces of Iraq, artillery, army, intelligence, informers, Republican Guard, Fidaaee Saddam and all other troops will retreat from their places, leaving behind them all those weapons that Iraq manufacturers, and come to the bunkers leaving the cities for the kuffaar to enter.
They informed Al Jazeera (Qatari based news agency) to declare that the whole city of Baghdad is empty.

Alhumdulillah we kept with us the young Mujahideen those who used to be called Fidaaee Saddam (n.b.Fidaaee means someone who is trained to sacrifice his life for his cause).
With the help of the brothers and the Ulemah with us they converted them to become Fidaaee Islam;
they have denounced the Baath Party regime, they have denounced their views on Arab nationalism and declared the Shahadah accepting the Tawheed (Islamic monotheism) and declared to die for the sake of Allah and all this especially when they have been trained to be martyrs.

We will handle the enemy forces and the regular forces are not used to this type of warfare, they are used to a different type of fighting.
These tunnels are in 3 different areas, I cannot mention their location for security reasons.

You may doubt about all that has taken place - where is the Police?, where is the Republican Guard?, where is the peoples army?
that consists of 1 million strong.
He has left the peoples army outside because they are just militia, the Mujahideen are outside and all they have taken with them is his Republican Guard and have left some of the Fidaaee Saddam outside to deal with any small uprising in the region.

We were aware that there was going to be an uprising from the kurds, the shia and even the people and that was what America was gambling on we decided not to give them this opportunity and this resulted in the war between us and them.

Oh Muslims the fighters in Iraq they have retreated and fortified themselves underground militarily and no enemy of Allah will dare to come there except to be destroyed.

Oh Muslims when the order to vacate all the cities came to the Iraqi forces, they were deserted when the American entered and they found no resistance.
They claimed victory and invited all the cameras of the world to show what was happening to demoralise the army but they forget that there was no army there to be demoralised.

However this (propaganda) would have affected some of the people in Iraq so we decided to cut the power supply (electricity) completely, no communication and there will be no television that can be seen by the Iraqis.
They demonstrated victoriously and they came out with all the media whom foolishly, from the arab media and Muslim media, started to repeat what the kuffaar had shown which was only one side of the story.
You saw how they demonstrated their hatred and started to motivate the people to loot, to cause anarchy and to uprise.
Thank Allah there was no Iraqi forces, no Iraqi soldiers, no Iraqi police in the street otherwise there would have been fighting and blood up to the knees.

Oh Muslim Ummah Iraq is strong, strong by the Mujahideen whom are collecting from the land of Iraq artillery, all the weapons they want, they have the enemy they wish to meet and inshallah will continue to fight until either they are victorious or attain martyrdom.

Allah (swt) says:Man has been created and is (in a state of) hurry Muhammad (saw) said:Man is always impatient

What you see in Iraq is a military tactic, nothing more than that and what the media shows is not the truth.
Rather you saw the looting, killing and the uprising start due to the absence of the Iraqi forces, Iraqi police and the Mujahideen.
All of this was manufactured, ordered and incited by the approval of the American forces, to prove or show that there is no system left (i.e. it has been abolished).

Oh Brothers whosoever wants to come to us there is no way because our trip is to be the last trip and if you do so you will be putting your life at risk.
There is no need for you to think about coming now, be patient wherever you are and prepare yourselves wherever you are.
Until the appropriate time you will join the Mujahideen inshallah, with full details of how to reach us and how to enter and after that we will give the notice to the Mujahideen wherever they are.

In the end we say to you the crusaders did not achieve any objective, did not achieve what they came for, they came for the oil and the oil by Allah is under our eyes, we can see them and we are close to them.
And whenever they start it by Allah we will burn it over their heads and whatever money they spend to build it we will destroy it.
The crusaders understand there is a trap and there is no way for them to go out.
We are always able to capture from them, able to kill from them soldiers.
By Allah we can see them but they cannot see us and we are around them but they are not able to recognise us.
By Allah we can kill them one after one and we have started to do this just make the Dua and do not worry about the weapons;
Allah (swt) is with us and we have plenty of weapons but the victory always comes with Tawakkul and Iman.

Oh Brothers beware victory doesn't come until after hardship.
In the Battle of the Trench (Ahzaab) remember the example of the Trench the Muslims worked hard to build the trench and the trench was 9km long.
They built it in extremely cold weather conditions in a few days and that hardship brought victory in the end.

Remember Salahudeen never got victory until after he fought them and got defeated and he fought them again and then he defeated them (enemy);
remember always that the fight must depend on Allah and your own efforts.
Don't wait for Sufyani (An evil person who slaughters women & children but sees Islam being attacked and defends the Muslims and Islam Allah (swt) gives him victory but he refuses to repent) and all other Hadiths talking about Sufyani.
Whether Saddam Hussein is Sufyani is irrelevant and insignificant in fact we Ahluh Sunnah wal Jammah Muhaditheen consider these Hadith to be Daeef.

Therefore make Dua for us, by Allah the Mujahideen meet the enemy every day, our operations with your Duas keep coming to us.
With the Maddad of Allah we are able to hunt them and fight them the way the fox hunts and fights against the chicken.

We call upon all the Muslims, in particular the ones in the Arabian Peninsula to be ready, the confrontation (Ma'ma') is going to start in the Arabian Peninsula.
By Allah we have discovered very rich land and very cultivated land full of weapons, good for training and an enemy we can see.
So be prepared and be firm the Jihad will be on your doorstep and remember those days they are coming, they are going to be long days, they are going to be very difficult days it needs your Dua.

Let me tell you about some of the nights we could see them and they couldn't see us.
One of those nights one of the brothers known as Abu Ahmad Afghani he was sitting and crying so they asked him why are you crying he said we used to pray to Allah (swt) that at the time of the Jihad against the Soviet Union and Russia they used to surround us from all directions but we could see them and we were waiting for the right time to start to kill them.
I pray to Allah he gives me the same opportunity again.
Where I am sitting in a place I can see them all moving around me and I am just waiting for the right time to kill from them.
I wish I can have the same situation inshallah and Allah grant me to be in the land of Palestine where I will be in the same situation and have the same opportunity to fight there.
After that he went out from his checkpoint and he started to reconnaissance and he came back and he said there are about 40 US patrol guards.
The brothers said what do you think he said lets take them.
So we all gathered together, all of us were happy and made Takbir amongst ourselves as if we were going to have a feast.
By Allah we went out in an organised way and when the enemy came we was killing them the way you kill chicken and slaughtered them one after one.
Each one of us came back with weapons we had taken off the enemy Alhumdulillah we killed 12, captured 8.
Also amongst them were Sabees as well because we couldn't distinguish between man and woman from them;
Wallahee what a Sabee they are.

Jihad operations there are very good and you heard about the martyrdom operation in the square of Baghdad.
(n.b. its been reported that this operation was carried out on the 2nd day after the so called liberation of Iraq it caused at least 14 US soldiers to die and another 48 were injured).

The next day we went there and there was a very strong wind Allah (swt) sent upon them (the enemy) a strong wind because of this they were running away leaving their artillery and we were able to capture 2 soldiers and take their own artillery the story continues and is too long (to mention here).


Inshallah Victory will be soon for the Muslims

Abu Iyad Amir of Mujahideen in Baghdad

2nd press release coming from the leadership of Jihad in Baghdad

Posted on Thursday, April 17 @ 21:25:31 EDT By Pak Taliban

From the land of Bravery, from the land of the Mujahideen, from the patient and firm to all the Muslims this is the news of the Mujahideen and the Lions of the Battles.
We are sending this to you and promote the news to everyone and be steadfast.
By Allah you will never be attacked from our side as long as we are alive.

Basra

The British Head Quarters are in the city of Basra.
During the evening the Mujahideen successfully planted some explosives in the HQ and in the whole road that is the main access route for their supplies.
Three of the Mujahideen attacked the HQ by grenades, RPG's and their Klashnikovs.
After fighting them continuously for 3 hours the Mujahideen were able to cut off their supply route.
The fighting between them continued and led to the destruction of 3 artilleries, the complete withdrawal of all their forces from that region after having collected their wounded.
The Mujahideen returned with only 1 brother wounded.

Baghdad

The special forces from the Mujahideen were successful in assassinating Nizal-ul-Kharijzi when he was coming to Baghdad to attend the meeting tomorrow.
All of the Mujahideen returned back safely.
Obeying the orders of Saddam his elite forces clashed with the Americans on the East-West side of Baghdad;
this happened when the Americans were engaged in fighting the Mujahideen.
His elite forces covered the whole city with mines and special timer explosives.
This occurred near the Al-Rasheed Hotel where the American forces were trapped by the elite Iraqi forces from the front and the Mujahideen from the back.
This operation caused maximum impact and damage, it killed many American soldiers and many were wounded.
We were not able to count the amount of casualties.
The explosives that occurred in the middle of the city prove to us that they were very heavily loaded bombs resulting in the city being covered in smoke.
The Mujahideen monitored the situation for a while and all of them retreated back safely.
The Iraqi forces had 3 soldiers wounded and the American air jets came over the city, which triggered us all to disappear.
One Iraqi boy was in the area he was playing with one of the undetonated explosives and blew himself up.
The Americans theatrically went back into the city in their tanks and demonstrated in front of their own media as if they were in complete charge.
They wanted to show that they were in control of the city and were trying to defend it from looting and the young boy was killed because of his looting.
When the truth is the young boy died because he was playing with an explosive left behind.
The Mujahideen put 700kg of TNT under 3 tanks and using the RPG's they managed to kill 3 Americans, 12 were wounded and 2 tanks were completely destroyed.
In another operation conducted by Abu Musa, the enemy forces were kept busy by the Iraqi forces in the East side of Baghdad preventing them from crossing a bridge and this resulted in guerrilla war tactics.
The Americans were forced to bring in their air jets to the region and they started to bomb everywhere causing many civilian casualties.

Tikreet

All the Iraqi forces had retreated from Tikreet 5 days before the American forces arrived except for one regiment (Firkah-tul-Adnaan) who in co-ordination with the Mujahideen will start to hunt the Americans one by one.
The tunnel of Tikreet has been found by the Americans and are now preparing themselves to enter the tunnels.
Some of the Iraqi forces are in these tunnels and most likely Saddam is there too.

Mosul

Fidaaee Saddam encountered American wagons and forces in Al-Mosul, they destroyed 3 cars, killed 8 Americans and wounded 6 of them.
The American air jets responded and started to bomb the whole area.

Northern Iraq

A party of the Mujahideen from the group of Abu Ali Al-Mujahid in co-operation with Ansar-ul-Islam reached the most advanced American forces.
They fought against them and the Pushmergas for 2 hours, the enemy forces had to retreat back when the Pushmergas encountered heavy losses.
The American air jets came to bomb us;
3 of our brothers were Shaheed, 12 of them wounded and the brothers had to retreat back.
We have bitten those kuffaar crusaders from the same hole many times, they do not have any tactic to counter us because they are only trained to fight and stay put.
The group of Mujahideen sent a letter to the Americans informing them of a military storage dump.
As usual the Americans went there to collect the arsenal, when they arrived the whole area had been bugged with mines and huge explosives were timed off killing 8 of them, their artillery being destroyed and many were wounded.
The air jets were sent in and they bombed indiscriminately causing many civilian (residents) casualties.
Only 1 of the Mujahideen became Shaheed, 2 were wounded and all the rest returned back safely to their caves.
All you could see was a huge fire.
The Jihad will continue with Bush and Blair;
in the media they are now speaking of the battle as if it has finished, now they are speaking of having a new government yet in the battlefield there is killing, there is fighting and they know the coming days will make them forget yesterday.
We are waiting for the Summer and when the Summer comes Inshallah we will be able to hurt them badly by the heat of the sun and the heat of our weapons and the strategy of fighting we have adopted (i.e. guerrilla warfare).
The Mujahideen have their own special forces from Allah (swt) and that is the weather.
May Allah (swt) keep sending us all his soldiers.
Tahiyyaat to all the Muslims, keep making Dua for us, for your Muslim brothers in Iraq and send our news to all the Mujahideen.
Abu Iyad Taliban Online via almuhajiroun.com

http://worldofislam.info/tonline/mpn/article.php?sid=560&mode=thread&order=0
http://worldofislam.info/tonline/mpn/article.php?sid=561&mode=thread&order=0


イラク復興 米政府、イラク国内の4基地を「長期使用」−−新政権と同盟構築



 ◇戦略地図、塗り替えも

 【ワシントン河野俊史】20日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は、米政府がイラクの新政権との間で同国内の四つの主要基地を米軍が長期間にわたって使用できるような軍事同盟関係を構築する計画だと伝えた。「将来、新たな危機が生じた場合に備えるため」(国防総省高官)とされるが、実現すれば、中東から南西アジアにかけての米軍の戦略地図が大きく塗り替わる可能性がある。

 米軍が使用を想定しているのは、バグダッド郊外の国際空港▽南部ナシリヤ近郊のタリル空軍基地▽西部砂漠地帯の「H1」と呼ばれる飛行場▽北部クルド人地区のバシュル空軍基地。

 米軍はフセイン政権関係者の掃討や人道支援物資の搬入のために、すでにこれらの基地を使っているが、米政府高官によると、将来、米軍が撤収した後も基地へのアクセスを確保する方針という。

 アフガニスタンへの駐留とともにイラク国内に長期的な足場が確保されれば、隣国シリアをけん制し、イランを実質的に包囲する形になり、地中海からインド洋にかけての広い範囲で米軍のプレゼンス(存在)が格段に高まると予想される。

 (2003年4月21日毎日新聞朝刊から)


 2003年4月23日



[追跡・イラク戦争]拘束のフセイン政権幹部処遇は−−戦犯法廷仕切る米国

米英軍に身柄を拘束されたフセイン政権幹部らが法的にどう処遇されるかが国際的な関心事に浮上している。米政府はすでに自国の軍判事や国際法の専門家をイラクに派遣し、。国連安保理の決議を得ずにイラク攻撃を強行したブッシュ政権は、国際司法の場にもユニラテラリズム(一国中心主義)を持ち込み、自らの強い影響下で戦犯を裁く意向だ。【ワシントン藤原章生】