338―3 | 反戦歌手よ、今歌え |
60年代のベトナム戦争時には世界にも日本にもいわゆる反戦フォーク歌手が誕生していた。一世を風靡したビートルズの歌詞も吟味すればこの系譜に属していると云える。つまり、あの頃反戦フォーク系は時代を創っていたと云える。それを思えば、対イラク戦争がきな臭くなりつつある今、再度反戦歌手の登場が待ち望まれている。 今のところ、喜納昌吉氏の動きが注目される。「すべての武器を楽器に」のホームページで紹介されているが、先だってイラクへ出向き人民大衆と交流を深めてきた。喜納昌吉氏も沖縄の出身であり、戦争に犠牲になる民衆の悲哀を受け止める感性に於いて通じているのだろう。 |
【60年代反戦・左派シンパ系歌手メモ】 | ||
高石ともや | 「受験生ブルース」 | |
岡林信康 | 「友よ」 | |
岡林信康 | 「山谷ブルース」 | |
新谷のり子 | 「フランシーヌの場合」 | |
ジョーン・バエズ | We shall overcome.「勝利を我らに」 | |
【反戦歌手岡林信康()】 |
60年代後半から70年代前半にかけて、日本のフォーク界の磁場的存在で「フォークの神様」とまで評されたのが岡林信康。そのメッセージ・ソングが同時代の若者の心をとらえた。「友よ」、「山谷ブルース」が代表作。 |
【反戦歌手加藤登紀子()】![]() |
1943年ハルビンで生まれる。1965年東京大学在学中、第二回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手活動に入る。1966年「赤い風船」で第8回レコード大賞新人賞受賞。69年「ひとり寝の子守唄」、71年「知床旅情」で、それぞれ日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「この空を飛べたら」「愛のくらし」、「灰色の瞳」、「時代おくれの酒場」、「わが人生に悔いなし」、「百万本のバラ」、「難破船」、「川は流れる」など多数のヒット曲を持つ。
国内でのコンサートはもちろん、海外でも1988年、90年のニューヨーク、カーネギーホールをはじめ、92年にはパリ、ラ・シガール劇場、94年カフェ・ド・ラ・ドンスで公演、その他、エジプト、中国、チェコ、ブルガリア、オーストリアなど世界各国でコンサート多数。最近では、97年8月ロスアンゼルス、11月上海、98年4月ベトナム、8月ブラジル、2000年11月モスクワにてコンサートを行った。2001年夏は南アフリカよりミュージシャンを招聘し、日本全国ツアーを行った。2002年4月ニューヨーク・バンクーバーでのコンサート、夏には再び南アフリカのミュージシャンとの全国ツアーを行う。 |
【反戦歌手新谷のり子さん(55)】![]() |
1969年、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺をした少女を題材とした「フランシーヌの場合」が1969年6月15日発売 日本コロンビア CD-24で発売された。唄:新谷のり子、作詞:いまいずみあきら、作曲:郷五郎で、約80万枚の大ヒットとなった。新谷のり子のデビュー曲で、以後、反戦、反核、反差別をテーマにコンサートを続ける。今彼女は云う。「これまでの価値観が崩壊し、すべてが行き詰まったいま『あのころ』をよく思い返す。そして『戦後民主主義は何だったのか、の総括ができていない』ことに気づく。答えは出ていない。でも、昨年の米国同時多発テロとそれに続く報復テロに代表されるように、世界全体が悪い方向に向かっているのは確かだ。私たち団塊の世代が、一刻も早くその答えを見つけないと、未来はあり得ない−こんな危機感を抱いている」。 |
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「フランシーヌの場合」 唄:新谷のり子 作詞:いまいずみあきら 作曲:郷五郎、1969年6月15日発売
日本コロンビア CD-24 フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ ホントのことを云ったら オリコウになれない ホントのことを云ったら あまりにも悲しい
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ ひとりぼっちの世界に 残された言葉が ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ フランシーヌの場合は 私にもわかるわ フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ (メモ)フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)は、当時女学生であった1969年3月30日の日曜日の朝、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺した。彼女は当時盛んだった学生運動活動家であり反戦活動に取り組んでいた。その彼女の焼身自殺の報は当時の青年にショックを与えた。 |
【反戦歌手ジョン・バエス(Joan Baez )】![]() |
かつて、フォークの女王と言われ一世を風靡した歌手である。ジョン・バエスというと、すぐに、「ドンナ・ドンナ」、「雨を汚したのは誰」、「勝利を我らに」など懐かしい歌の数々が思い浮かぶ。1960年代後半であり、ヴェトナム戦争最中の頃であった。当時高まりつつあった反戦運動の中で、彼女のギターと歌は、強い哀愁の感とともに圧倒的な迫力があった。ニューポート・フォーク・フェスティバルでデビュー
したのは、多分20歳代初めの頃であったろうか。メキシコ系で長い髪の毛をトレードマークとした彼女が颯爽と現れると、どこも熱狂的な歓迎の嵐であった。60年代のヴァンガード時代は、プロテスト・ソングは少なく、フォークの中でも比較的新しい歌を歌っていた。野性的で力強さがある魅力的な歌手であった。 |
![]() バエズは反戦運動の活動家デイヴィッド・ハリスと結婚したり、離婚したり、空爆下の北ヴェトナムを訪れたり、反戦歌手としてさまざまな活動をしていた。 |