338―4 チャンドラ・ムザファー教授の見解

【チャンドラ・ムザファー】
 1947.3月、マレーシア・クダ州生まれ。77年にシンガポール大学で政治学博士取得。97―99年、マラヤ大学文明対話センター長。99―2001年、野党・国民正義党総裁。92年から非政府組織(NGO)「公正な世界を目指す国際運動」会長。「人権と新世界秩序」などの著書がある。


欧米的人権論への反撃
IACの「人間の責任」宣言

 1997年9月1日、ついにIACは「人間の責任に関する世界宣言」をまとめあげた。
 その前文には、なぜ権利だけでなく人間の責任が重要なのかが、明確に示されている。
 「人間家族全員に備わっている本来の尊厳および平等かつ不可侵な権利を承認することは、世界における自由、正義、平和の基礎であり、義務ないし責任を示唆するものであるから」
 「権利の排他的主張は、武力抗争、分裂および際限ない紛争に帰着する可能性があり、また人間の責任を無視することは、 無法と無秩序を引き起こす可能性があるから」
 「法の支配と人権の促進は、公正に行動するという男女の意思にかかるものであるから」
 「地球的な諸問題は、あらゆる文化および社会によって尊重される理念、価値および規範によってのみ達成されうる地球的解決を要求しているから」
 「すべての人々には、その知識と能力の限り、自国と地球全体においてより良い社会秩序を育成する責任があり、この目標は法律、規定および協約のみでは達成できないから」
 「進歩と改善への人間の願望は、いかなる時にもすべての人々と組織に適用すべく合意された価値および基準によってのみ実現されうるものであるから」

 しかし、責任宣言を人権宣言50周年の決議として採択するよう国連総会に提出するという当初の目標は、容易には進展しなかった。
 宣言がマス・メディアの責任についても言及していたため、欧米マス・メディアが宣言に批判的態度をとったことも大きく影響した。
 1998年3月20―21日には、マルコム・フレーザーを議長として、フランクフルトで「人間の責任に関する世界宣言の普及」に関する運営委員会が開催されたが、「宣言に対する西側諸国の支持が保証されないため、適切ないくつかの国による国連総会への同宣言の提出という形に、当面の目標を修正することを検討すべきである」と軌道修正を余儀なくされた。
 いまなお、国連総会での採択という目標には大きな壁がある。だが、議長のシュミットは、1998年11月20、21日にハンブルクで責任宣言に関するシンポジウムを開催するなど、精力的に運動を続けている。
 1998年12月10日には、世界人権宣言50周年を迎え、国連本部で記念総会が開かれた。総会は、「世界人権宣言をすべての国民と国家が達成すべき一般的基準として実行していく」との決議を採択、改めて宣言に盛り込まれた思想を確認した。
 注目すべきは、この総会で演説したシンガポールのキショール・マブバニ(KISHORE MAHBUBANI)が、「植民地統治と人権に矛盾を感じない当時の主要植民地保有国によってこの宣言の大部分が起草されたということは、ショッキングなことである」と述べて、世界人権宣言が完全ではないことを指摘したことである。さらにマブバニは、世界人権宣言が人間の責任に言及していないという弱点を指摘した上で、「人間の責任に関する世界宣言」についての議論が行われていないことを厳しく批判している。

人権派が説く義務論

 権利と義務のバランスをとるべきであるという議論は、決して権力の側に近い論者だけのものではない。
 いわゆる人権派の間でも、人間の責任・義務を強調する考えが強まってきている。
 筆者が理事を務めている社団法人日本マレイシア協会は、1998年11月19日に、シンポジウム「アジアの人権」を開催したが、ペマ・ギャルポ・チベット文化研究所所長や小林昭三・憲法学会副理事長らとともに講師として参加したマラヤ大学文明対話センターのチャンドラ・ムザファー教授の講演は極めて興味深い内容を含んでいた。
 チャンドラ教授は、古来から東洋にも人権尊重の伝統があることなどを指摘した上で、こう語った。
 「私たちの哲学、文化は、権利と責任を統合した考えに根差しています。世界人権宣言が起草されている時期、マハトマ・ガンジーはユネスコのジュリアン・ハクスリー事務総長から人権宣言についてコメントを求められました。しかし、ガンジーはコメントすることを断り、『権利と責任は不可分のものであるから』と答えました」
 1997年4月にウィーンで開催されたIACの専門家会議報告書が、このガンジーの人権思想に言及しているのは偶然ではない。
 報告書は、「数千年にわたり、予言者、聖者、賢者は人類が責任について真剣に考えるよう懇請してきた。今世紀では、例えばマハトマ・ガンジーが7つの社会的罪を以下のように説いている」と述べ、「(1)原則なき政治、(2)道徳なき商業、(3)労働なき富、(4)人格なき教育、(5)人間性なき科学、(6)良心なき快楽、(7)犠牲なき信仰」を挙げているのである。
 こうしたガンジーの思想を踏まえて、チャンドラ教授は次のように続けた。
 「この権利と責任を統合するという考え方に関連して、2つの重要な挑戦があると思います。
 まず、環境に関しての挑戦です。人間が環境に対して負っている責任を明確にし、それを実行しなければ、環境に関する権利を享受することはできないのです。
 また、この50年の間に爆発的に増加した知識、知る権利についての責任を示さなければ、人類には恐ろしい結果が待ち構えているでしょう。
 1945年、日本は犠牲の国となってしまいました。責任を伴わない形で科学的な知識を使ってしまったことによって犠牲になったのです。それ以外にも、責任を伴わない知識、知る権利の例を、過去50年の間に数多く見て参りました。
 こういったことから、われわれアジアが、そして世界の全人類が直面しているチャレンジに対して、われわれ以上に力を持った偉大なる存在にしたがって、われわれが道案内していくことを認識することが必要です。
 そして、われわれの失われた尊厳を回復するために必要なことは、まずわれわれの責任と権利を統合し、責任と権利をともに実行していくことです。人権を見る上で、これ以上に重要なことはありません」
 このチャンドラ教授の言葉には、西洋近代の人間中心主義に対する批判が含まれている。いずれにせよ、いま欧米の人権論は大きな壁にぶちあたっているのではなかろうか。
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グローバル反テロ戦争の問題性
─人間安全保障の観点から─

武者小路公秀

1.同時多発テロの背景となった第三世界の絶望感

 9月11日のニューヨークとワシントンにおける無差別テロ以来、米国を中心にして急速な反撃の体制が整い、テロとほとんど同じくらい無差別に非戦闘員を巻き込む反テロ戦争がついに勃発した。テロ攻撃の結果、世界貿易センターの崩壊がもたらしたニューヨーク市民(米国人以外も含めて)ヘの無差別な加害行為はゆるされないが、これがきっかけになってアフガニスタン国民への無差別な加害行為も許すことが出来ない人間の安全に対する侵害である。

 ねらわれたのがグローバル資本主義のシンボルであっても、またイスラム原理主義の頭目であっても、巻き添えにされる多くの被害者の安全侵害は、平和的生存権を否定した人類に対する罪である。すくなくとも、民主主義の法治国家を自認する世界の文明諸国は、無差別テロを、国内法・国際法の枠内で厳格な裁きを受けさせるべきで、いかに自衛権を主張しても、報復戦争という手段に訴えるべきではない。

 最近米国を訪れてビックリしたのは、同時多発テロ事件以来、米国では一切の批判を許さない国民精神総動員体制がみごとに敷かれてしまっていることだった。米国国民が一丸となってタカ派になってしまった今日、そしてこれに日本はじめ英国なども同調している今日、グローバル反テロ戦争の災害を最小限に食い止め、狂気の蔓延を最大限押さえることしかできない現状である。

 米国でもうひとつ不思議に思ったことは、なぜ無差別テロの攻撃の対象になっているか、ということについての議論が、(インターネット通信やアングラ,ラジオを別にすれば)公式におこなわれていないということである。わずかに、CNNが報じた小学生の討論集会で、「私たちがこんな仕打ちをうけたのは、なにかよほど悪いことをしたにちがいない。それはなんなのか?」という質問を発して、おとなをこまらせていたのが印象的であった。

 筆者は、まさかあのような「同時多発テロ」が起こることは予見できなかったが、何かテロ事件が起こるだろうという予感はしていた。それは8月末から9月9日にかけて、南アフリカのダーバンで開かれた反人種主義・差別撤廃世界会議に出席していて、この会議が、米国の早期撤退、残ったEU諸国もパレスチナ民族に対するイスラエルのシャロン政権のテロ報復による惨禍について非難できぬままに閉幕するという残念な結果に終わったからである。

 このダーバン会議は、日本では無視されていたが、第三世界とくにイスラム諸国では、南の立場に対して北がどこまで協力するか、妥協できるか、という点で一つの試金石として注目されていた。ところが、この会議で出た結論は、北の国々が南の人々の人間的な不安について何も分かってくれないという絶望感を南の人々にもたらした。

 今回の会議では、人種主義を歴史的に形作ってきたのは植民地主義と奴隷制であることを確認し、人権の問題を南の立場から取り上げた。そして、大分もめたあと、一応の成果としては、EUが植民地主義と奴隷制について謝罪することに合意したことがあげられる。ただし、これは補償などの代償なしでの謝罪でよいという条件を南の国々が飲んだうえでの妥協であった。

 しかし、米国はこの謝罪にすら参加しなかった。米国は、会議の途中で、「この会議はパレスチナ人によってハイジャックされた会議だ」という理由で、イスラエルとともに退場した。米国が退場するというのは、この会議がそれだけ米国にとって無視できない大事な会議だからだ、と私は思っている。

 この会議で最後まで解決がつかなかったのは、パレスチナ問題だった。イスラム諸国側は、「人種主義であるシオニズムを否定する」という立場で望んでいた。シリア代表団の中の筆者の知人が会議中に流してくれた情報によれば、アラブ諸国のタカ派とされているシリアも、妥協案としてシオニズムという言葉を使わずに、「イスラエルによるパレスチナ民族への人種主義的な諸行動を認めない」という点まで譲歩しようとしていた。

 しかし、EUはこの表現も認めず、交渉はまとまらなかった。国際メディアはアラブ側のせいにしていたが、欧州側が譲歩をしなかったとみるべきである。そこで、イスラエルによって、あれだけ多くのパレスチナ人が殺されていることを全く無視するような反人種主義会議なら、やらない方がいいのではないか、という考えさえアラブ諸国やイスラム諸国のあいだに生まれていた。

 マレーシアのチャンドラ・ムザファーは、同時多発テロ事件に関連して「イスラム世界では、米国を中心にする乱暴なやり方に絶望感が広がっていた。それが今回のテロの原因だ。それを無視してはいけない」と主張していたが、その絶望感が、ダーバンでさらに強くなったと筆者は確信している。日本が国際連盟を脱退したのと同じような形で、米国は会議から退場した。EUも、最後まで妥協せず、イスラエルの名前を出すことに反対した。

 「聖なる戦い」を正当化するような条件は、こんな形で最近できてしまったのである。こうして今回の事件の裏には、アラブ世界、イスラム世界、そして第三世界に、アメリカに対して、とくに世界貿易センターが象徴するグローバル経済覇権に対して、大変な怨念や痛みがたまりにたまっていた。このことをマスコミは全く報道していない。しかし、事件の裏にある痛みに対して、私たちが全く何の共感も持たないでいられるということも、なんとも妙なことだという他はない。

2.同時多発テロの謀りとグローバル反テロ戦争の背後の意図

 それにしても、今回の「同時多発テロ」は間違った戦略であった、と思う。「人を殺してはいけない」という倫理的な意味で間違っているだけではなく、これがブッシュ大統領にとって最も得になることをやったという意味で間違っている。米国の大統領は「冷戦」が終わって、とても困っていた。冷戦時代は、国内的には違う意見を持っていた人たちも、「ソ連」を共通の敵にしてまとめることができた。

 しかし、冷戦後はそれができなくなった。唯一の例外は湾岸戦争だったが、それも長くは続かなかった。だから、米国の大統領、しかも票の数を数えるという大変な思いをしてやっと当選した大統領は敵がいないと困る。そこに、今回の事牛が起きてくれたわけである。

 もともと、南北間題から考えると、南から来る悪いものを締め出さなければならないという考えに基づき、米国もヨーロッパも日本も、その監視とコントロールとを、G7の主要議題としてきた。「人間の安全保障」というときにも、本来は弱い立場の人間の安全を最優先させるべきなのに、北の人間の安全を保障する議論が横行している。

 北の安全のために、南から来る「エイズ」や「麻薬」、「人身売買」「テロ」という悪いものをどうコントロールし閉め出すかが課題にされている。その対策として、人身売買や「不法移民」の密輸などを取り締まる国際犯罪組織条約が、昨年11月に結ばれている。こうして、米国の冷戦後軍事理論は改訂されて新しい脅威への対応を重視するようになった。米軍は警察行動もするようになり、麻薬取締りにも空軍のヘリがのりだしている。

 つまり、グローバル化する犯罪に対抗して、警察が軍事化し、警察と軍隊がグローバル規模で一体化し始めている。こうした状況をどう合法化しようかと迷っていたときに同時多発テロが起こり、「テロ対策」として警察と軍隊と行政と金融とを統合するグローバル・ガブァナンスを推進できるようになった。だから、人間安全保障と民主主義擁護の名の下に、治安維持法と同じような状態を世界中に作り出すことが、テロのおかげで可能になったわけである。

 その上、長期的には、米国が報復戦争をすることは、短期的に危険でも、長期化すれば米国経済にとって良い面がでてくる。現在の株式市場の下落を見ると、米国のバブル経済がはじける最後のキッカケをつくったようだが、長期的に戦争を続けることさえ出来れば、対テロ戦争名目の政府支出によって米国経済再浮上のきっかけもつかめる。また、グローバルな機密情報収集活動は企業スパイ的に米国大企業に有利に働く。

 さらに、これまでは「人道的介入」しかできなかった先進諸国も、これからは南で何か起こったら「ここはテロの巣窟だ」という理由で、叩くことができるようになった。つまり、南からの不穏分子などの侵入を防ぐだけでなく、南へ軍事的に出ていって、グローバル資本主義の支えになるような企業利益中心の安全保障をすることができるようになった。

 そんなわけで、「反テロ戦争」を考えるときに、テロのことだけを考えるのではなく、この戦争が、米国やヨーロッパ、日本など先進工業諸国の覇権にとってどういうプラスになるのかという視点から見る必要がある。その意味で、ビン・ラディン氏たちが犯人だとすると、彼らのやった「無差別テロ」は、むしろ米国のグローバル覇権体制を強化する利敵行為であった言えると思う。南のテロのタカ派と北のタカ派の覇権国の板ばさみにあっている南北の市民と民衆とで南北ハト派連合をつくって双方のタカを牽制する必要がある。


第22回IMDR-JC講座
2001年11月30日

講座1:「報道では見えないイスラム教徒」

講師:東京外国語大学助教授 八木久美子さん



。 

 報道のバイアスからなるべく自由になるための話をしたい。学生100名にイスラムと仏教について、それぞれ浮かぶイメージを聞いた。仏教の方は多様性があったのに対して、イスラムのイメージは決まり切った形で出てくる。このようなイスラム教のステレオタイプについて4つの角度から話したい。 

1.闘争的宗教というイメージ

 キリスト教・仏教は暴力を否定するのに対して、イスラムは暴力を容認する宗教というイメージ。

@闘う宗教は「悪い宗教」か?

 闘うことに宗教的な意味を認めるは本当に悪いのか?隷属状態にある人、被抑圧状態にある人にも、闘うことを認めない宗教は、弱者にひたすら耐えることだけを美徳として要求する強者の論理になってしまう。イスラムの名のもとで闘う人たちは闘わざるを得ないような状況に置かれてきたのではないか、ということを考える必要がある。

Aジハードの真の意味

 大ジハード:物欲的なものから内面的な魂の浄化、精神の鍛錬

 小ジハード(私たちがジハードと呼んでいるもの):聖戦、異教徒(の支配)に対する武力闘争コーランに「宗教に強制なし」と明言される。またユダヤ教、キリスト教については同じ唯一神(アラー)を崇拝する宗教と認める。問題となるのは、イスラム教徒が異教徒に支配されること。

 異教徒に支配された場合、イスラム教徒は宗教的な義務を遂行することができなくなるかもしれないからである。外から異教徒が侵入してきた場合には、武器を持って闘わなくてはならない。これが(小)ジハードである。

B報道の仕方の問題

 イスラムは闘争的という先入観が広まっているので、報道でそれに合うような画像を流す。そうした画像を見ることで、それが一面的であるにも関わらず代表的な姿であるかのように印象づけられ、すでにあるステレオタイプが強化される。

2. 戒律宗教、儀礼的宗教というイメージ

 1ヶ月の断食期間、メッカへの巡礼などの儀礼重視、形式的な宗教という理解

@厳しい戒律を課すということの意味

 戒律さえ守れば天国を約束する宗教であるかのように誤解をされがちだが、戒律、儀礼にはひとつひとつに意味がある。戒律を実行するなかで、自分とアラーの関係を再認識する、

A儀礼の実行に付与される条件の柔軟性

 イスラム暦のラマダンという月1ヶ月間、昼間は断食が義務であるが、子ども・病人等はしなくていい。戒律の実施については柔軟で現実的。メッカへの巡礼は、イスラム教徒は一生に一回必ずやらなくてはならない義務であるが、これについても条件の設定がある。本人が苦しい旅に耐えられる健康状態にあるか、経済的な余裕があるか、旅の行路は治安が良いかが問われる。

B個々の儀礼の意味

 巡礼では、時間と場所を含め巡礼地で行われるべき儀礼は詳細に決定、個々の儀礼には象徴的な意味が込められる。たとえば、巡礼者がメッカのカアバ神殿の周りを7回周回する儀礼は、かつてこの神殿を建てたとされるアブラハム(旧約聖書にも出てくる預言者)がした経験の追体験である。

 真の一神教徒であるアブラハムに倣うことによって、神への畏敬の念を再確認する。サイイというあるふたつの地点の間を走る儀礼も、渇きに苦しむ子どものために水を求めて走り回ったアブラハムの妻、ハガルの苦労と、それに泉を湧かせるという奇蹟を持って答えた神の寛大さを思い起こすものである。

3. 後進的な宗教というイメージ

@イスラム世界が第三世界と地理的に大きく重なっていることからくる混同が原因であろう。

 中世まではイスラム世界の方が西洋・キリスト教世界よりも「進んで」いた。であるから、イスラムが後進性の原因というのではない。イスラム教徒の考え方によれば、「現在のイスラムの世界は確かに遅れている。なぜ遅れたかというと、イスラム教徒がイスラムの精神を忘れたからだ。」となる。

A「遅れている」「進んでいる」の基準の恣意性

 何をもって「遅れている」「進んでいる」社会とするのか。西洋近代に似ていると「進んでいる」「先進的である」とするならば、これは世界中のあらゆる国、あらゆる民族が、西洋を先頭にして一直線に進むという前提に基づく論理である。

 しかし世界の多くの人々にとって、西洋は目指すべきものでも、手本でもない。たとえば西洋近代とは違う近代があると考え、違う道を歩み始めた人々がイスラム教徒の中にはいる。これからは、進む道は多様であり、それぞれがいろんな方向に進んでいくことを、いろんな宗教や民族が主張するようになるのではないか。

B具体例としての「女性の地位」の問題

 女性に関する規範、慣習の歴史的性格を考察する必要

○ ベール着用について

 コーランやハディース(預言者ムハンマドが何をしたか、何を話したかの伝承集)には明確な規定なし。「女性は美しい部分を隠さなくてはならない」という曖昧な記述のみ。預言者の妻だけの慣習だったのが、広がっていった。ペルシャなどでイスラム以前に良家のお金持ちの女性が労働に関わらず、ステイタスとして家の中に隔離されている慣習があった。

 このふたつが融合し、イスラム教徒の間に女性についての規定ができてきたと考えられる。このように歴史の中で人間が作り出した約束だから人間が変えていくことも可能であろう。それはイスラム教徒の間でも議論の的になっている。

○ 女性は男性の半分の相続権を持つことについて

 イスラム以前には女性は相続権を持っていなかった。それに対して、ムハンマドは女性も半分は相続する権利があるとした。半分の相続権をどう解釈するかということについてはいろいろな意見がある。「女性は男性の半分の価値しかない」とするものから、「当時の状況を考えながらより多くの価値を与えようとしたのだから、その精神を大切にしよう」というものなど多様である。

 イスラム法によると女性は生活費を払う義務はなく、男性にのみ扶養義務があるので、経済的な義務を持たない女性は相続権の半分でもいいという解釈が一般的である。

○ 一夫多妻制について

 孤児や寡婦に優しくすることができないのであれば、「二人なり三人なり四人なり」妻をめとるがいいという趣旨のコーランの一節。すべての妻に平等にできるならば、の条件も付される。この一節が下りたときの状況は、メッカとの闘いを繰り返していて、男たちがたくさん死に、庇護者を失った女性や子どもが出てきた。こうした女性やその子どもたちを庇護するために、残った男性が女性と結婚し庇護者になることを奨励されたのである。

 しかし、「すべての妻に平等にできるならば」の条件が付けられているのも、非常に大切。人間は弱いものだから、平等にできない。普通の男にはできないのであるから、この一節は事実上複数の妻を持つことを禁止しているんと考える人たちもいる。コーランをどう解釈していくかもイスラム教徒たちは多様な解釈を見せる。女性の状況については、内側からの解釈の必要である。

 たとえば、「女性の居場所は家庭である」という言説の背景についてだが、失業率が高くなるとこの声が高くなる。逆に男性が戦場に出て労働力が足りなくなると女性が外で働くことが称揚される。ひとつひとつの意見を押し上げるそのときの社会の状況を見ていく必要がある。

○「女性によるベールの着用」の意味、動機の多様性

 女性にとってベールの着用は必ずしも単純にイスラム回帰を意味しない。日常生活の中で、実用的な目的から使う人もいる。たとえばベールを着用することで社会から敬意と信頼を獲得し、女性の行動に対する社会的な制限から自由な行動ができる、という女性が無意識のうちに身につけた知恵もその一つである。

 またイスラム的な服が流行であるという認識もあるし、さらに、イスラム的な服だと差異が少ないので、高価な服を買えない貧困な家の子にとっては貧しさを隠すのに役立つ。短絡的に宗教と結びつけるのではなく、日常の身近なところに動機があることを見逃すべきではない。

4. アラブ人の宗教というイメージ

@普遍宗教として、血縁・地縁からの自由

 イスラムは、人類すべてに対する普遍的なメッセージである。当時のアラビア半島の血縁が絶対だったのに対し、信仰のつながりのみを絶対的なものとするという画期的な改革を行った。

Aアラブ世界以外に多くのイスラム教徒が存在

 世界最大のイスラム国は、インドネシアであり、アラブではエジプトがようやく世界で7番目。現在もアフリカ、北米、西欧でその数は拡大している。西欧での拡大は多くが移民社会の拡大によるものだが、アメリカやアフリカの黒人にとって、キリスト教は人種差別者、植民地主義者というイメージが強いのに対し、イスラム教は暗い側面を持っていない。

講座2:
反人種主義・差別撤廃世界会議とテロ事件

IMADR 事務局次長 藤岡美恵子

 9.11事件は誰がやったかという確証はないことを前提として話をしたい。ビンラディンは事件以前からアメリカ国内でずっと取り上げられていた。



1. 1. テロ事件の背景にあると思われるもの

● 二重基準への不満

 ある国でひどい人権侵害が起きる。国際社会が介入しなければならないような状況がおきている(例:コソボ)。同じようなことがおきていても一方は介入し、他方は放置されているような状態を二重基準と呼ぶ。パレスチナはイスラエルによって不法な占拠が続いているにも関わらず、ずっと放置されてきた。

 インドネシアによって不法に併合されている東ティモールも同じ。東ティモールの難民が80年代後半言っていた。「パレスチナについては国連が決議を出しているが私たちには決議も出されない」。世界会議の直前、占領地での状況は悪化していたので、世界会議での中東問題をめぐる問題、イスラエルが行っていることは人種主義行為なのか、イスラエル国家は人種主義国家なのか、ということが争点になった。

 非常に政治的な課題になった。160カ国の代表が集まった中で、アラブ諸国、イスラム諸国、第三世界の国々がイスラエルの占領を非難し、占領地で行われているパレスチナ人に行われている差別的取り扱いや殺害に対する怒りが高まっていたので、強い口調で「イスラエルは人種主義国家である」「イスラエルに存在するアパルトヘイト」ということが案として出されていた。それを認めない国もいて争点となった。

 イスラエルとアメリカの反対があり、5日目にアメリカとイスラエルの政府代表が会議をボイコットするという事態にまで発展。最終的には反ユダヤ主義とイスラム排斥が高まっていること、外国の占領下にあるパレスチナ人の苦しみを憂慮する、という具体性のない抽象的な文言にまとまった。

 何千人というNGOが集まっていたが、NGOの中でも中東問題が大きな位置を占めた。NGO宣言でも大きな個所を占めた。「戦争犯罪」「民族浄化」「虐殺」「土地の追いたて」「拷問」「恣意的な逮捕と拘留」「人の移動に対する厳しい制限」「貧困や失業率の高さ」など、イスラエルを非難する文言が出された。

 NGOの中にはユダヤ人やユダヤ教徒もいたので、紛争の当事者であることから、距離を置いた形での対話を生じさせるのは難しく、時には暴力なども何度も起こった。会議が終わってもいまだに尾を引いていて、そのことをめぐる議論が続いている。同じ反差別と思っている人たちの間でも、パレスチナの問題を解決しようというときにも、誰が差別者で誰が被害者で、という議論になってしまうと、NGOの間でもイスラエルが行っていることを認めることができなかったり、アラブ人が行っていることに対して非難することができなかったり、ということがおきてくる。

2. 2. テロ事件への対応と差別

○ 反アラブ主義・イスラム排斥事件の頻発と政府、市民社会の対応

 アラブ系アメリカ人の団体には、9.11事件の数時間後から嫌がらせの電話がなりっぱなし。「今に見ていろよ」というようなもの。アメリカ国内では、イスラム教徒あるいはアラブ人と目されている人が殺されている。インド系のアメリカ人(市民権を持っている)は頭にターバンを巻いていたので殺された。

 アラブ系の人が経営しているお店への攻撃。飛行機に乗っているアラブ系の人が強制的に降ろされたりもしている。少なくとも30件以上のケースを具体的にうけているとのこと。これは世界各地で起きている。これらは多くがアメリカ市民でいろんな国籍の人がいる。

 イスラム教徒というだけで解雇された人や解雇されそうになった人もいる。風貌から何らかの疑いをかけて警察官による捜査や取締りを行っている。黒人が白人よりも検挙率などが多いことなどが黒人に対して行われずっと問題にされてきたが、9.11以降、アラブ系,イスラム教徒に対して多くなっている。

 IMADRの理事のチャンドラ・ムザファーさんは、9.11以降、ごく普通のアメリカの小さな市民団体やラジオ・テレビ番組に呼ばれたそうだが、そういう上のような状態に対抗していこうという勢力もある。

 アメリカで10月に反テロ法が通った。テロを未然に防ぐために、テロではないかと疑いがあるときに、FBIが盗聴したり、インターネット上のやりとりを監視したり、秘密捜査ができる範囲が拡大されたり、家主の許可無く家宅捜索ができるようになったり。テロ撲滅の名のもとでの警察権力が強化。

 不特定多数の一般の人たちも対象になる。プライバシーが大いに侵害される危険性がある。人権団体からはこぞって反対されている。一般の人たちの間では反対意見の方が下回っている。11.11までに1200人が拘留されたが、これは歴史上はじめて。それに関する詳しい情報はほとんどアメリカ国内でも開示されていない。実行犯とされている人の多くが留学生という形でアメリカに入ってきた。アメリカにいる留学生への管理も強まろうとしている。ビザの発給を遅らせるなどの対策も取られている。特定の国々の特定の人たちが取り上げられて、取締りを受けるなどの問題が起きている。

Racial profiling

 一時的なビザで滞在している中東出身の若い男性5,000人を対象にした連邦レベルの取り締まりの案がある。既に外国人をターゲットにした移民法の違法者600人を拘留している。本来なら、市民権や表現の自由に世界で一番熱心に取り組む国だが、最近の世論調査で、入管法違反の600人を拘留してもいいと思っているのが、10人に9人という結果になっている。5,000人の中東出身者の取り締まりも79%が賛同している。

 連邦政府がテロの容疑者と弁護士の間の会話を盗聴できるような案もある。裁判を受ける権利なども侵害している。調査に答えた人の4人に3人が賛成している。10人に7人までが、テロの容疑者になった人に対しては、政府は十分なことをやっているし、中東出身の人の人権保護にも政府は十分対応している、と答えている。

 アメリカではビンラディンを軍事法廷にかけるといっているが、10人のうち6人が賛成している。アメリカで大切にされてきた市民権や自由などの権利が内部から侵食されている。多くのアメリカ人が自分には関係無いと思っていて、特定の宗教的・文化的背景を持った人たちや特定の民族がターゲットにされて、入管や警察権力などが強化されていく。これはナチスの時代にも非常によく似ている。そういう側面をよく知らなくてはならない。そういうことを知らずに日本政府が正義の名のもとに荷担しようとしていることを見ていかなくてはならないのではないか。

質問:

 世界人権宣言以降の国際法はなかったかのように、そういう手続きもすべて無視した形で進められている。アメリカがそういうふうに進めて行くのは予測がつくが、EUなどもこぞって反対などできなかった。こういう無残な状況を再構築するようなことが可能なのか。

答え:

 アメリカの行為は国際法的に見れば違法行為。国連憲章にも違反している。違法であるにもかかわらず、誰も止められない。冷戦崩壊以降、米国が唯一の超大国と言われてきて、国連の安全保障理事会の役割が変わってきて、冷戦時代も決してよくはなかったが、ソ連や中国がノーということで、安保理としては決議ができなかった。冷戦崩壊以降、安保理の全会一致ができるようになった。それもアメリカに有利なように。

 旧ユーゴの時にそれが試された。やはりNATOでやるしかなかった。見逃しがたい人権侵害や武力行使をどうするか、ということに現実的な解決策がないことが長期的に問題として残って行くだろう。アメリカのいう自衛権の行使は正当だとは言えないし、許容範囲を大きくはみ出している。こういうテロ事件が起きたときに国際社会がどう対処できるのかを考えて行かないと軍事的な対応しかないということになる。

 国際刑事裁判所が新しく作られることになっているが、必要な一定の批准国数が満たされていないので、人道に対する罪を裁いたり、という国際的な司法の力を強めて行くことをしないと、いつまでも軍事力・経済力を持っている国の思惑で事が進んでいく事態は防げない。昔は戦争を違法行為とするようなことも考えられなかったのが、歯止めとなるようになってきた。

 少しずつ積み重ねていくことと知っていくことが大事だ。戦争はなくならない、ということでは本当になくならないし、戦争によって引き起こされるさまざまな人権侵害はなくならない。国際社会はさまざまな努力も行っていることもぜひ知ってほしい。

(記録・まとめ:IMADR-JC、無断転載不可)







「アジアの人権」
アジアの社会と文化を考えるシンポジウム

平成10年11月19日



 「アジアの人権」〜アジアの社会と文化を考えるシンポジウム〜(主催:社団法人日本マレイシア協会、後援:外務省・通産省・文部省・厚生省・拓殖大学・国際協力会・経団連・日経連・日本商工会議所)が平成10年11月19日、東京都千代田区永田町の憲政治記念館にて開催された。
 午後1時30分、熱心な聴衆が待ち受ける中、坪内隆彦本協会理事(ジャーナリスト・元日本経済新聞社記者)、保科悦子本協会参事(セントラル工業株式会社専務取締役)の司会により会は幕を上げた。
 初めに、 平沼赳夫本協会副会長 (元運輸大臣・日本マレイシア友好議員連盟会長)が「我々日本は、戦後一貫して平和憲法を受け入れてきましたが、果たして、神の神託による欧米流の人権が世界普遍の原理だということが、冷静に見直されたことは今までなかったと思います。しかし、マレイシアではイスラム教の原理からいって、必ずしもそれが普遍の原理ではないわけです。また、仏教思想からいってもそれが本当の人権かどうか、再考を促す時期が21世紀に来るのではないかと思っております。アジアにはアジアの価値観があります。他を排斥する必要はありませんが、いかに我々の根本的な考え方をそれぞれの国のもっている理念とどう調和していくか、これがむしろ大きな課題だと思っています。本日は皆様方の積極的なご参加の中、実り多きシンポジウムになりますことを心から願っております」と挨拶を述べた。
 次に、タンスリ・H.M.カティブ駐日マレイシア大使が「価値観、文化、習慣、経済発展段階が異なれば、経済、人権問題への認識も異なるはずです。数万人もの生活を脅かす経済危機をきっかけとして、人権問題の再考の必要性がでてきました。明らかなのは武器や政治権力だけが生活を破壊し、人間の尊厳を踏みにじるわけではないということです。特に資本主義体制は、過去50年間に大いに複雑化しました。ですから、世界人権宣言が人権尊重の擁護における効果的な役割を保持していくためには、国家と国民の富を奪う新たな脅威への取組みが不可欠になります。本日のシンポジウムにおいて、最近の国際情勢の変化を考慮に入れつつ、世界市民のための人権の確立に知恵を出し合って頂けるものと確信しております」と挨拶を述べた。
 引き続き、小田村四郎拓殖大学総長が、「本日は、いわゆる人類普遍の原理というものが存在するのかどうか、各国各地域においてこの人権概念はかなりの相違があるのではないかということを十分議論頂きたいと思います。仮にそれが正しい権利であるとしても、必ずしもその人権原理が政策的に統一されていないというところがあります。例えば、アメリカはミャンマーの人権問題については厳しく指摘し、制裁を加えておりますが、他方北朝鮮の人権問題について全く目を瞑っているという状況があります。またマスコミも、インドネシア、マレイシア或いはミャンマー等の人権問題については報道しますが、中国のチベットへの人権弾圧や新疆ウイグル自治区での人権問題などについての報道が全くなされておりません。このような人権概念の深い掘り下げと検討、そして現実問題への正しい対応について、十分な議論が頂ければ、ありがたいと思います」と挨拶を述べた。
 続いて、土居靖美憲法学会理事長が、「アジアの人権問題は非常に難しい問題で、西洋の人権概念で一律的に測ることは不可能ではないかと思います。つまり、アジアの国は非常に多様で、文化、宗教、民族の違いがあります。その中で、人権をどのように捉えていけばいいのかという点について、東南アジア各国の憲法から人権条項を掴みだし、これを深く理解するための研究をしております。本日のシンポジウムで、深く知識を得、勉強させて頂けることを感謝致します」と挨拶を述べ、シンポジウムは始まった。
 コーディネーターの佐伯宣親本協会理事(九州産業大学教授・政治学博士)の進行でパネリストのDr.チャンドラ・ムザファーマラヤ大学文明対話センター教授、炭谷茂厚生省社会援護局長、小林昭三憲法学会副理事長、ペマ・ギャルポチベット文化研究所所長、クリストファー・スピルマン拓殖大学客員教授が、それぞれの立場から意見を発表を行い、テーマについて活発な議論が行われた。
 最後に、塩川正十郎本協会会長(元自治大臣・日本マレイシア友好議員連盟名誉会長)が「人権や自由民主は普遍的なものではなく、それぞれの国にあった在り方があると思います。現在アジアは自分たちの国がしっかりとした国になるため、一所懸命に努力しております。今回のAPECの会議において、マハティール首相が自分の主張を堂々と固守しておられたことは立派であり、これでこそ国の元首であると思っております。賭博性のある経済機関が、その国に乗り込んで通貨の在り方をメチャクチャにし、それで市場経済だと言っていることは、まさに人権を無視したやり方だと思います。この機会に、我々は自分自身で自由と民主主義と人権を守ることに徹していきたいと思っております」と閉会の挨拶を述べ、午後5時、シンポジウムは盛会裡に終了した。

意見発表

佐伯 これより、シンポジウムを始めます。 初めに、チャンドラ・ムザファー・マラヤ 大学教授よりお話を伺います。チャンドラ先生お願いします。

チャンドラ まずはじめに、このシンポジウムを主催して頂きました社団法人日本マレイシア協会にお礼を申し上げます。
 さて、人権はアジアにとって決して疎遠なものではありませんでした。ここで、いくつかの例を挙げてみようと思います。
 世界人権宣言にも盛り込まれている「表現の自由」という原則がありますが、2000年以上も前に、偉大な中国の哲人・孔子は、基本的原則としてこの表現を弟子たちに重要なものだと説いておりました。
 ある時、弟子は孔子に尋ねました。「私は王子にどのようにお使えしたらいいのでしょうか」。孔子は、こう答えました。「たとえ王子が嫌がるような内容であっても、真実を率直に述べなさい」と。
 第二の原則は「信教の自由」です。これも世界人権宣言に盛り込まれています。インドでは、アショーカ王の時代から「それぞれの信ずる宗教を尊重すべきだ」という信教の自由が尊重されていました。
 そして第三の原則は「公正な裁判を受ける権利」です。これもイスラームの経典コーランに盛り込まれています。コーランの教えは「裁きを行うときには正義をもってしなさい」と説き、正義こそが神に近いものであると教えました。
 このように、アジアには人権の原則の伝統があったのです。
 確かに、今日「人権の原則は西洋的な価値観である」と言われるのも、その通りだと思います。そして、この西洋の人権の原則がアジアに導入されたのは、植民地主義の時代でした。
 しかし、駐日マレイシア大使が、先程いみじくも指摘されました通り、植民地政策そのものが重大なる人権の侵害だったのです。だが、アジア各国は独立を勝ち取った後、例外なく自国の憲法にこの人権の原則を盛り込みました。
 文化的、宗教的違いがありながらも、アジア各国が定めたそのような憲法には、例えば表現の自由、集会の自由、結社の自由、公正な裁判を受ける権利、移動の自由、結婚の自由、自分の言語を使う権利、信教の自由、文化の自由など、様々なものが盛り込まれています。
 最近、憲法上の規定が高いレベルで、うまく実現した例がタイです。タイの憲法は、責任というものを西洋諸国の憲法よりも明確な形で記載しているのです。
 確かに、アジア諸国は憲法を持っていますが、人権が十分に実現されている国は1ヵ国たりともありません。しかし、そのことは驚くべきことでもないし、恥じるべきことでもありません。というのも、世界中どこを見渡しても、人権の全てが十分に実現している国は1ヵ国もないからです。
 忘れてはならないことがあります。1965年まで、アメリカの南部においてはアフリカ系アメリカ人に参政権が与えられていなかったのです。
 一方、世界人権宣言に盛り込まれている、いわゆる基本的権利に焦点を絞れば、アジアは、人権の実現について素晴らしいレベルに達していると思います。
 まず第一に「食べ物を得る権利」は最も重要です。生存権と密接に関わる権利だからです。世界人権宣言の中でも、この権利が最も基本的であるとうたっています。
 例えば、国民全員に食べ物を与えることに成功している国は中国です。これはある意味では人権を擁護している成功例なのですが、ある種の人権擁護家は、これを成功とは認めておりません。
 二番目の達成は、公民権についてです。投票権は政治的な基本権利ですが、これに成功しているのはインドです。1947年に独立して以来、全ての階層、カーストも含む全国民に投票権が与えられています。
 三番目は文化的権利です。例として、我が国マレイシアを挙げたいと思います。我が国は多民族、多宗教の国ですが、1957年には、異なるコミュニティーで成功裏に文化的な権利の達成に成功しています。人種間の調和をとりつつ、統治していくという能力は大変なものなのです。
 しかし、アジアの歴史には、人権においてショックな面が存在することも認めなければなりません。
 ショックの原因は、まず第一に経済的資源の不足、貧困によって社会的権利が無視されていること。二番目に、権力の集中、公民権、政治的権利が実行されないこと。そして第三は、広範囲に広がる自民族中心主義です。このような、ある民族が中心となるような考え方が広がると、言語を使う権利、自分の宗教を信仰する権利などが侵されてしまいます。四番目の原因は、男性優位、父権主義が強いことによって、女性の権利が無視されることです。五番目には、歴史的、文化的な要素が強いことによって、基本的人権の実現がはばまれているということです。インドでは、憲法で定められていても、現実にはカーストによって政治に参加できないという問題もあります。
 さて、現在世界は大きく変わりつつあります。そのため、今まで西洋が人権を推進していく上で遭遇することはなかったようなチャレンジに直面しているのです。
 例えば、150年前、西洋では公民権と経済的・社会的な権利は分離されていました。
だが、現在アジアの人々は、経済的・社会的な権利と公民権・政治的な権利を同等に求めるようになっており、西洋の人権は大きなチャレンジに直面しています。
 というのは、グローバル・キャピタリズムは、世界の多くの人々の権利を奪っているからです。かつて、西洋が経済的・社会的権利を拡大していった際、我々アジアが現在直面しているグローバル資本主義という問題には遭遇しておりませんでした。
 いわば、西洋が人権を進めていくときには、地球レベルの力と対立する必要はなかったのです。西洋は恵まれていたのです。
 かつて西洋は、自国内の権利の発展と、植民地支配、つまり他国を搾取することと融和させていくことができたのです。例えば、オランダで人権を発展させようという気運が最も高まったのは19世紀ですが、この時期はオランダによるインドネシアの搾取のピークの時期と重なるのです。
 つまり、アジア、非西洋諸国において人権を発展させるという闘いは、極めて複雑な様相を呈しているとともに、きわめて困難な状況にあります。というのも、国内状況に対処すると同時に、グローバルな力にも対抗していかなければならないからです。 そうした困難な状況にありながらも、各社会において人権の土台を築いていくための闘争を持続していかなければなりません。
 そして、闘争を進めていくときに、次のような議論に屈してはなりません。「ある一組の人権が他の一組の人権よりも重要である」とか、「ある一組の人権を守るために他の一組の人権を犠牲にしてもいい」という議論です。人権は、ばらばらに分割できないからです。
 この考え方こそ、我々アジア人が脈々と育んできた考え方です。アジアの哲学的な伝統を振り返ると、人間という存在が分割できない存在として扱われてきたことがわかります。そのことから考えても、人権は分割できないのです。
 言論の自由と食べ物を求める権利は不可分です。「食べ物をください」と言う権利と食べ物を得る権利は直接つながっているのです。食べ物か自由か、という選択肢ではありません。
 この人権の不可分は、今年のノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・センの主張にも表れています。
 センは「民主不義と表現の自由が認められている国で、飢えがあってはならない」と言っています。報道の自由が保障されていれば、飢餓、飢饉の状況があると周知されます。民主主義が確立されているからこそ、インドでは、1947年以来、大規模な飢饉は発生していないのです。
 センが、こうしたインドと対称的な例として挙げたのが、毛沢東時代の中国です。毛沢東の時代には、大規模な飢饉が起こり、1000〜1500万人が死亡しました。だが、そのことは報道されることもなく、国民が知ることもありませんでした。
 様々な種類の権利を全部統合するというアプローチこそが正しいと思いますが、アジアはそれを示すだけではなく、その統合された権利には責任が伴うというアプローチを世界に示す必要があります。
 世界人権宣言が出されてから50年が経ち、世界各国の様々なグループが「人権宣言に対する責任」についての文書を作ってはどうかと提案しています。
 1998年12月の国連総会では、ある政治家によって、責任の部分を盛り込んだ文書が提出されることになっています。
 私達の哲学、文化は、権利と責任を統合した考えに根差しています。世界人権宣言が起草されている時期、すなわち1946年〜1948年の間ですが、マハトマ・ガンジーは人権宣言についてコメントを求められることがありました。コメントを求めたのは、ユネスコのジュリアン・ハクスリー事務総長でした。しかし、ガンジーはコメントすることを断り「権利と責任は不可分のものであるから」と答えました。
 この権利と責任を統合するという考えに関して、二つの重要な挑戦があります。
 まず、環境に関しての挑戦です。人間が環境に対して負っている責任を明確にし、それを実行しなければ、環境に関する権利を享受することはできないのです。
 もう一つは、この50年の間に爆発的に増加した知識、知る権利についての責任を示さなければ、人類には恐ろしい結果が待ち構えているでしょう。
 1945年、日本は犠牲の国となってしまいました。責任を伴わない形で科学的な知識を使ってしまった犠牲になったのです。その外にも、責任を伴わない知識、知る権利の例を過去50年の間に数多く見てきました。 こうしたことから、我々アジアが、そして世界の全人類が直面しているチャレンジに対して、我々以上に力を持った偉大なる存在にしたがって、我々が道案内していくことを認識することが必要です。
 そして、我々の失われた尊厳を回復するために必要なことは、まず我々の責任と権利を統合し、責任と権利をともに実行していくことです。人権を見る上で、これ以上に重要なことはありません。
佐伯 チャンドラ先生は、よく論文の中で人間の尊厳ということをおっしゃいます。先生にとって人間の尊厳というのはどのような意味なのか、これをお教え頂きたいと思います。
チャンドラ 尊厳という言葉は、世界人権宣言にも使われていますが、それに関する他の文書にもよく出て来る言葉です。私がこの尊厳という言葉を使うときには、これはイスラム教における、宗教的な意味を持たせて使っています。
 コーランには「アダムの子孫は、尊厳の中に創られた」と書かれています。従って、この尊厳といったときに、非常に多くの要素、事柄が含まれることになります。
 西洋においては、世界人権宣言にもありますように「尊厳=一つの権利」といった形になっていますが、イスラムの世界においては「尊厳=四つのR」となっています。その四つのRというのは、Rights(権利)、Responsibility(責任)、Relations(関係)、そしてRole(役割)で、四つの項目がバランスのとれた形で実現し、かつ全てが享受された状態が、人の尊厳が守られているということを意味するのです。

佐伯 ありがとうございました。続いて、炭谷茂厚生省社会援護局長よりお話を伺います。炭谷先生よろしくお願いします。

炭谷 これからお話することは、現在の仕事とは関係がなく、人権問題について常日頃から関心をもっている者の一人として、人権問題について、経験的、感覚的なお話をさせて頂きたいと思います。
 さて、日本の現在の人権状況を振り返ってみますと、やはり日本の人権というのは、戦後の占領政策の時に、GHQまたは戦勝国からもたらされたものが基礎になっているのではないかと思います。
 ですから、現在の私共の感覚における人権は、西洋型の人権であるということは否定できないと思います。
 私自身は昭和21年、戦争に敗れた次の年に生まれたので、学校教育では西洋型の人権を小学校、中学校と教えられてきました。 ある意味では日本というのは、明治維新以来、ずっと西洋社会を追い求めてきて、それを取り入れようとしてきた歴史があるので、戦後の人権の捉え方についても、それほど抵抗なく取り入れたのではないかと考えています。確かに、西洋型の人権というのは、日本のある意味での人権の向上に大変役立ったという面は、大いにあるのではないかと思っています。
 現在、私自身は医療や福祉の仕事をしていますので、例えば、医療の分野で見てみますと、国民の殆どの方々が医療の心配はいらないので、健康という面では確実に保
障されてきていると思います。かつて日本では、お医者さんと患者さんの関係は上と下の関係であり、お医者さんの言うことを患者さんは全て聞くといった状況でしたが、ここ10年程前からは、アメリカ的な考え方でインフォームド・コンセント、つまり患者さんに十分説明をして、同意のもとで治療を行うということが、次第に一般化してきています。これもある意味では、患者の人権、或いは欧米流の人権というものが、定着しつつあるのではないかと思います。
 また、福祉の面において、例えば、現在の生存権を保障している生活保護という問題を見てみます。ちょうど生活保護の基準は、大体普通の一般の勤労者の65%くらいの水準まで保障されていると、東京であれば親子3人家族で月18万円くらいのものが保障されているという状況です。ですから、今日本では食べることには心配いらない状況なので、そういう意味では非常に良い時代だと思います。
 しかし、福祉の他の面で見てみますと、例えば、これは皆様方はご存じないと思いますが、現在私共が老人ホームに入ろうとした場合、どういうシステムになっているかというと、市町村が老人ホームを探し、市町村の示した老人ホームに入るという仕組みになっています。私共が老人ホームを自分で選ぶ権利は認められていないというのが日本の福祉の現状なのです。そういう意味では、まだ日本の人権というのは、ある意味では、自分で自分のことを決定する自己決定権が不完全なのかなと思います。
 この他、日本では家庭内児童虐待などが増えてきています。特にここ最近増えてきており、かつて20年前、私がイギリスで勉強していた時に、イギリス人から日本で児童虐待の問題があるかと聞かれ、当時であればむしろ過保護の方が問題だと答えた覚えがありますが、だんだん日本も児童虐待が多くなってきています。
 同様に最近では、老人虐待という問題もあります。これは実際に意識調査を行った結果ですが、家庭で老人をお世話している人のアンケートを採りますと、3分の1は、時には介護疲れで介護相手に対して憎しみを感じていて、更に2分の1は実際に虐待をしたことがあるということです。
 このように、現在日本の戦後の状況というのは、西洋型の人権というものによって着実に人権の向上が計られていることは事実だと思いますが、しかし新たな解決できない問題はまだ多く、次々に児童虐待や老人虐待のような新しい問題が出てきているといった状況ではないかと思います。
 人権というのは、追い求めても、追い求めても限界がなく、次々に新しい問題が生じて来るように感じています。それ故、人権について、本日このようなシンポジウムで取り上げられるというのは非常にありがたいことですが、日本国民のかなりの人には、人権問題とは出来れば避けたい、話したくない、という方が多いのではないのかと思います。
 そして、行政の世界において人権をどのように取り扱っているかと言えば「人権を大切にしましょう」「相手に対して思いやりを持ちましょう」といったうわべだけの人権活動に、最近変化してきているのではないかと感じています。つまり「きれいごとの人権」というのが、今の日本国民の間に拡がっているのではないかと思います。
 しかし、人権とは、先程のチャンドラ博士のお話にありましたように、実際の生活において、食べることなどの実体面と結びついているわけです。それらと不可分の関係にあるのが人権であるにもかかわらず、日本の捉え方は、うわべだけで、例えば、相手を差別をしないとか、相手の人権を大切にするといった価値観だけを捉え、それを社会啓発活動というように見ています。 現在、我が国での人権は、大半の方々がそのような捉え方をしています。しかし本当は人権とはその基礎にある実体面と一緒に考えない限りその向上はないと、私自身はいつも思っております。
 重要なことは、実体と共に人権を考えた場合、そこに成り立つ地域社会、その国の環境風土、そういうものをしっかりと押さえた上で人権の向上を考える必要があることではないかと、常に考えています。
 西洋の人権は、ある意味ではその価値観を教えてくれました。しかし、本来重要な実体という面を考えるならば、そこにある風土なり環境というも考慮しなければ人権の実体と一体になった人権は向上していかないと思います。
 新聞でご覧になっている方も多いと思いますが、中国から残留孤児の方々が日本に訪日調査に来ています。8月9日にソ連軍が満州を侵略して、その途中に親子が離散し、仕方なく旧満州の中国人家庭に預けられた方々が、日本の肉親を求めて来ておられます。私もお会いしましたが、彼らから感じられるのは、実際に彼らを育ててくれた養父母のお気持ちなのです。
 中国の養父母の方々は、非常に愛情をもって、何の打算もなく、このまま実父母がいっしょに連れて行けば凍死するか餓死をするかであるので、なんとか助けてくれと実の親に拝み倒され、人間としての思いやりという気持ちで自分の子供と同じようにして育てられた、というように彼らは言います。実際に、文化大革命時に、日本人の子供を育てたことで数年にわたり投獄された、残留孤児の養父母の例もあります。
 そのような苦労をしながら、日本人と同じ気持ちで子供を預かったという話を養父母たちから実際に聞きますと、アジアの人は一人の人間として非常にやさしいと感じます。他人に対する思いやりや助け合いのような慈悲の気持ちが大変強いのではないのかなと思っています。
 これは、ヨーロッパの社会と違う、アジア共通の価値観ではないかと思います。
 そうすると、私共としては、これからアジアの人権を考える場合に、それを本当に発展させ、地に着いたものにするためには、アジア独特の風土や人間同士の関係などについて十分気を配ることで、本当の人権というものが根付いてくるのではないかと思っています。
 そのために、本日、アジア各国の立派な先生方が来て、様々な提案をされますけれども、国同士の助け合いということが非常に役立つのではないかと思っています。
 私の同僚が今から10年前に突然厚生省を辞めてマレイシアへ行きました。ペナンで知的障害者のための作業所を造り、現在も活動をしています。マレイシアの障害者の方と一緒になって、知的障害者の人権の向上に努力をされています。
 細々ながら日本とマレイシアとの交流に貢献されている様子を聞き、このような形で、これからの日本はアジアとの関係を深め、人権面でも十分考えて交流を深めていくことが必要ではないかと思っています。
佐伯 どうもありがとうございました。炭谷先生にお伺いします。人権論に実体がなく、我が国の人権論がうわべだけのものになっているというご指摘がありましたが、そのようになったのはなぜだとお考えでしょうか。
炭谷 難しい質問ですが、私自身が考えておりますのは、一つは人権というもの自体、その捉え方が大変混乱をしているということです。それは今日のディスカッションでも研究者によって随分違います。
 一方、政治やマスコミなどの世界において、人権の捉え方が異なっていることが非常に大きいのではないかと思います。
 ですから、人権を考える場合、単に思想的な問題での捉え方だけをして、それで済まそうするような発想が許され、それが認められるような状態があるのではないかと思います。つまり、人権というものについての概念が、日本の中でもしっかりと捉えられていないために、適当に人権を扱っておけば、私のような行政の立場の人間でも、許されるという状態だと思います。
 現在、様々行政において、例えば教育行政、医療行政、労働行政など、全てが人権に関わっているだろうと思いますが、そのような文書の中で人権という言葉がどれだけ使われ、どれだけ発見出来るかといえば、これは政府の文書においても、なかなか発見できないと思います。
 ですから、人権への本当の理解が、行政の中にも、私共普通の社会生活をする場合の中にも位置づけられていないために、そのような浅い理解のために、うわべだけの人権で済まされていることに、誰からも批判が起こらないところがあるのではないかと思います。
 よって、地方自治体の中で人権を担当している課は、何故そのような課が設けられているかといえば、一つの動機は、言い過ぎかもしれませんが、各種の人権団体からの要求というプレッシャーがあったのではないかと思います。
 そのような受け身の姿勢ですから、ある意味では適当な、うわべだけで済ましていても、それで済まされてしまう社会というのは残念に思います。

佐伯 ありがとうございました。それでは 続きまして、小林昭三憲法学会副理事長 よりお話をお伺いします。小林先生お願いします。

小林 今日、人権思想に関する一般的な理解によると、それとは違う、例えばアジアの人間観・社会観・宗教観に見合う人権接近の可能性は、無視、更には否定される向きがあります。なぜそうなのかを考え、問題提起が出来ればと思います。
 人権とは本質的に個人の権利で、しかも個人としてはなにものにも拘束されない独立の個人、すなわち原子的個人が考えられています。原子的個人のモデルにされたのは、神の前の人であります。
 このような個人は、人権を「神授」されていて、この世を生きるために社会をつくり、人権保障のために社会契約するのです。そして人権を侵害する権力に対して徹底的に戦い、そうならないよう常日頃から、権力制限を心掛けます。人権侵害はもちろん、人権濫用も、神に対する冒Qになります。
 ここに明らかなように、人権思想にはキリスト教的一神教の考え方が、底流していると言えます。神に似せて神によってつくられた人間の優越と、人間による自然支配、そして征服、という人間中心主義が人権思想と補い合っています。ですから、自然を
人為的に変更、整理したり、人間知性により無知蒙昧を啓発したりすることが、人間の役割、使命になります。こうした役割達成には困難が伴い、まさに戦う姿勢が求められます。戦う姿勢は、人権感覚、権利意識のコロラリーであり、こうした意識を持つことが、人間的ということになります。
 人権価値は、自然の外に超自然的な原理を設定して、それを参照しながら自然を見る、考え方で、おそらく西洋以外の文化圏には生まれなかったものであります。そのような意味で、人権の価値は「特殊ヨーロッパ的」といわれるのです。
 しかし、こうした西洋特有の思考法による人権思想が普遍性を持つものになっています。なぜ、そのような不思議が起こったのか。そうなったのは、なんとしても人権思想の基本的な「戦う姿勢」が考えられます。そして、西洋先進の国々が、植民地支配に成功し、また資本主義的近代化の成果を挙げて「西洋がつまり世界」という状況をつくり出したことが理由とされます。
 ところが、第二次大戦後半世紀の変動で多くの植民地での独立国誕生、東西冷戦の激化、ソ連の崩壊による冷戦の終結、その間における東・東南アジアの経済発展などは、先進西洋の地位の相対的低下をもたらしました。「西洋は世界」ではなくなったのです。それに伴い、西洋先進諸国の優越の反映のように評価されていた近代的諸価値が疑われ出しました。それに見合うかのように、人権思想の前提が問われ、人権思想における人間観・社会観・宗教観に対する風土論的接近が試みられ、それの特異が論じられることにもなりました。
 例えば、西洋近代の文化・思想は、基本的に砂漠の思想だとされ、それが洗練されて都市の思想と対照して語られました。こうした対照を前提にすれば、当然に、人権論について西洋近代におけると違う接近可能性が考えられるだろうと思います。
 砂漠の思想は自然との関わりで、森を支配する文明として現れます。そして砂漠の思想の洗練とされる都市の思想は、森の破壊者を特徴づけられもします。これに対し、森林の思想は森と共にあり、森を守る文明と説明されて、対照の図式が示されることになります。
 このような対照において、砂漠の思想は、白か黒か、イエスかノウかの二分法による思考法、つまり、二元主義的な論法を基調とします。この二元論は都市の思想において、論理的に整序され明確になるが、その反面、先鋭化します。すなわち、対立と競争、更に闘争の関係で物事を見、知性による合理的計算に決定的な意味を持たせ、人間による対自然操作、支配を絶対的な神の保護の下に行う、という姿勢が、当然のこととされます。
 森林の思想はこれと違って、見通しのきかない森の中で行きつ戻りつしながら生き抜く状態を前提にして形づくられたものです。そこでは、森羅万象に神が宿り、だから「山川草木悉皆成佛」の思考法が生まれるし「森を出たときの安堵感と周囲の生物との仲間意識」が特徴的であります。森、つまり自然とともに生きるという発想が自然発生してきます。
 このような森林の思想は、東・東南アジアの風土・精神的土壌を素材にします。ここに生まれる人間観・社会観・宗教観に基づくと、西洋先進の都市の思想と密接に係わる人権論に対しては、懸念ないし疑問の気持ちを否定できません。
 そうした懸念は直接には、欧米先進国における人権行使の惰性化、更に濫用の状況について生じ、それの批判になります。そして人権の条件が視野に入れられ、そのような条件の重要性が認識されます。それに基づき、人権の適切な行使を求めて、人権の担い手にふさわしい条件の考慮と、自由人権の条件準備に関する国の役割をめぐるものと二つのアプローチが留意されました。 人権の担い手については、たとえばプロステタンティズムの倫理がよく言及されました。科学の発達、資本主義の成功、世俗化の促進は、このような倫理感を稀薄にし、野放図な権利主義の世の中をつくってしまいました。都市民の精神的荒廃が指摘されました。そうした点に注目して、そんな風にならないようにと、人権の担い手にふさわしい人間教育が、アジアでは例えば儒教道徳を引き合いに出して言われています。
 自由人権の条件整備を国に求める人権が、社会権です。自由人権の保障とそれの成果が挙がって、しかしそれがしばしばブルジョアジーと批判的にいわれた少数者に偏っているという状況が、社会権成立の素地でありました。そうした状況の不合理を訴え、とくに経済的裏付けのない自由人権が「絵に画いた餅」でしかないという実感に基づいて、自由人権の条件の準備費用を富んだ少数者から引き出すことを考え、その役割を国に期待して、社会権が言い出されたのであります。但し、これは西洋先進国でのこと。自由人権の保障ともなう成果が挙がっていない発展途上国では、社会権保障のための国富づくりにまず焦点が合わされ、社会権は社会の権利にされて、発展の権利の論拠にされます。それに合わせて、国政の基本目的ないし指標を明らかにして「国家政策の指導原則」といった新しい憲法規定が留意されることにもなります。
 こうして見ると、人権への接し方についての「森林=東・東南アジア的思考法」は、西洋先進国の在り方、さらに人権論に対する問題提起に留まるだけでなく、いわゆる人権価値の普遍の議論に対する疑問、人権思想への問題提起になります。問題提起は、先に触れた人権の条件への考慮に示唆されています。
 先に触れた儒教道徳のことは、人権に合わせれば「秩序づけられた人権」の主張になります。そして個人主義的でなく、家族主義的な生き方が儒教で説かれるところから明らかなように、原子的個人ではなく、共同社会的がモメントの社会における個人が、基本的な指標になります。人権は人々の権利ということです。これは共同体主義のアジア版というよりも、東・東南アジア的共同体思想による人権脚色、人権のアジア的吸収といっていいと思います。
 権力観についてですが、人権論のもともとは権力は悪という権力観を目立たせました。それと違って、為政者は民の模範となる教養人、人格者という指標によって政府と国民の関係を考える権力観が、留意されるべきであります。それを前提に、為政者と国民との役割分担、相互協力、そして補完が形作られます。それだけに、権力悪用、濫用をして、本来の指標を裏切った為政者に対する糾弾は、手厳しくなりましょう。
 そこに認められるのは、人々はそれぞれの領域でそれぞれなりの生き甲斐を持って共存する社会の構想であります。権利と義務の関係も、このような共存・協調を基調として意味づけられます。共存は人間同士の間だけでなく、自然との間、生物との間にも認められます。「一寸の虫にも五分の魂」といわれるように。それは多神教的発想によるものです。このようにして、人と人、人と自然の間における協調、共存、そして互いを認め合う関係は、必要且つ不可避の犠牲を大事に扱う姿勢を生み出します。 こうしたところでは、当然、人権の普遍性は認められません。しかし、人権価値が全く無用になるわけではありません。人権における権利意識の限定的利用が必要になることがあり得るからです。森林の思想にとって砂漠・都市の思想が必要になることもあるだろうということです。そうして、人権価値の相対化が試みられ、人権は共通了解事項ということになるのです。

佐伯 小林先生、ありがとうございました。アジア的な人権というものを、一言でいえば、どういうところに主たるメルクマールがあるかということをお聞きします。

小林 簡単には言えませんが、私が先程、問題提起という形でお話したことに関連して、一応のまとめのようなことを申し上げてみたいと思います。
 人権の適正な行使ということを先程申し上げましたが、この場合は西洋伝来の人権をもとにしての適正行使ということが考えられます。この適正行使を言う場合に、アジア風の脚色を加えてみたい思います。
 そうしますと、例えば、人権の制限といった場合、これは人権が行き過ぎ、それではまずいとして制限するわけですが、そのような、つまりは二元主義的な発想に留まるだけではなく、人権の在り方、考え方の前提の問い直しにまでなると思います。
 言い換えますと、個人の権利から出発して、それが無理な場合に便宜的に権利制限をするという考え方ではなく、むしろアジア的な発想を、先程申し上げましたが、共同社会生活をするということを前提にして、そこにあっての人間の立場をもとにした人権というものを考えてみたらどうだろうかと考えるのであります。
 そうしますと、結局は個人の権利から出発するのではなく、社会に生まれ、社会に生きた人々としての権利、社会共同生活に支えられた人の権利、或いは義務、責任に裏打ちされた人権という発想が考えられるのではないかと思います。これがアジア的な見方になるのではないかと思います。
 具体的に申し上げてみましょう。日本国憲法第13条に「すべて国民は個人として尊重される」と書いてあります。またドイツの基本法第1条には「人間の尊厳は不可侵である」と書いてあります。これ自体は意味があります。しかし、尊厳に値する人間のことは、そこには書いてありません。これは憲法の問題ではないからということなのかもしれません。
 ご承知のように、西洋では政教分離が徹底しています。政教分離は政治と宗教の世界、世俗と宗教世界の分離を唱えておりますが、分けておいて互いをあてにしているというところが政教分離には認められますし、そもそもの狙いであったのではないかとも思われます。人間の尊厳は憲法で扱われている、しかし尊厳に値する人間づくりは憲法では扱わない、どこで扱うかというと宗教で扱うということなのでしょう。
 私は国際会議のスピーチで「尊厳に値する人間」のことを言ったことがあります。そうしましたら、ドイツのある学者から、勇気のある発言だと言われました。勇気のある発言とは暴論だったのかもしれません。ともかく、憲法学者はそれを考えなくてもいいという前提で、議論がなされているようであります。
 そういう言いっぱなしのような規定の仕方は、キリスト教的信仰の厚いところでは別でしょうが、そうでないところでは気になってしかたありません。そこで、アジア風の人権の考え方を頭におきながら、このような憲法の規定を考えてみました。
 「すべて国民の権利及び義務は、社会共同生活を生きる人間としての尊厳を基調に定められるものとする」。
 こういった規定の仕方に、アジア的な人権の一つのモデルが考えられるのではないだろうかと、私は考えております。

佐伯 ありがとうございました。続きまして、ペマ・ギャルポチベット文化研究所所長よりお話を伺います。ペマ先生、よろしくお願いします。

ペマ まず、この場をかりてマレイシア国及び国民に感謝申し上げたいことがあります。1960年代にマレイシアは国連において3回にわたり、チベット問題のスポンサーとなりました。そして、国連は3回にわたりチベット問題を採り上げ、中国のチベットにおける大虐殺を採り上げることを可決しました。残念ながら1972年、中華人民共和国が国連に加盟してからは何の効力のないものになりました。しかし、チベットの人たちはマレイシア、特に当時のトゥンク・アブドル・ラーマン閣下の好意を忘れてはおりませんし、感謝しています。
 これから私が話すことは全て私個人の責任において話すことであり、決して主催者がそれに賛同しているわけでもなければ、現在お世話になっているそれぞれの大学がそれを支援して私を雇っているわけではないということだけ申し上げたいと思います。 先程チャンドラ博士の話の中で、孔子が弟子に対して、たとえ王子が喜ばなくても真実を伝えなさいということを教えた、という知恵がありました。従って、私も会場と多少意見が違うかもしれないですが、いくつか率直に意見を述べさせて頂きます。
 その一つとして、私は西洋の人権と東洋の人権というものはないと思っています。白人であれ、黒人であれ、チベット人であれ、中国人であれ、日本人であれ、その前の日本やチベット、白や黒を取ってしまえば、みな人です。誰もが幸せに暮らしたがっています。誰もが今日よりも良い明日を夢見ています。誰もがおなかいっぱい食べたい。誰もが恐怖のない生活を送って、ぐっすり眠りたいと思っています。
 そういう意味では、西洋の人権も東洋の人権もないと信じています。ただ、西洋の人権は、ややもすればご都合主義であり、そして非常に偽善的な要素があり、しかもそれが時と場合によっては政治の道具として使われてきた、というところが違うのではないかと思います。
 先程申し上げましたように、今から30年前、すでにマレイシアはチベット問題について国連で発言をして下さったのです。決して、人権について話すことは、特定の国や団体の特権ではないのです。しかし、例えば今日ここに、もし平沼赳夫先生の代わりに土井たか子さんが来ていたら、マスコミのこれに対する対応の仕方は違うのではないかと思います。
 私が受けてきた人権侵害の中には、無視するという人権侵害もあります。先程チャンドラ博士は、世界で三つ程の成功例を挙げ、その中の一つとして、おなか一杯食べられる国として中国について述べられました。一瞬私は、あれ本当かなと思ってしまいました。何故ならば、私の兄は餓死させられました。しかし、その後で博士は、毛沢東時代のことについてつけ加えられ、当時そのようなことは外へ伝えられず、知らされなかったとおっしゃいました。それは知ろうとする人達がなく、知らせようとする人達がいなかったからです。
 当時私は、120 万人のチベット人が犠牲になっていることを一生懸命訴えました。しかし、マスコミによって私に付けられたレッテルは「反共主義者、分離主義者、反動主義者、反革命者」でした。革命を起こした中国では、あなたが言っているようなことがあるはずがないと言われました。これは、世界がいかに人権に対して偽善的かということの一例を示していると思います。そして、人々が他人の権利に対して無関心で、無視していることの意味だと思います。 12月10日に、私は中国大使館の前に行こうと思っていますが、一言も言うつもりはありません。毎年何も言わず、ただキャンドルを持って10数名の人と中国大使館の前に立っているだけです。しかし、一度も記事になったことはありません。
 ある時、西洋の記者がダライ・ラマ法王に対し「チベットが中国によって良くなったではないか、道路が引かれ、電気も来ている」と言いました。その時法王は、当時の中国の人口10億人が幸せになるのであれば、私たち600万人は犠牲になっても結構です、という話をされました。
 私は、人権においては、個と公、公と国家、国家と人類あるいは国家と地球の関係と位置づけが問題になっているのであって、西洋と東洋で人間の権利においては違いがないと思います。個人の権利、公の権利、国家の主権あるいは権利、そして地球全体としての在り方が問題だと思います。
 1987年にダライ・ラマ法王は、ヨーロッパ議会で、ユニバーサル・レスポンシビリティという題で講演なさいました。そして1989年にノーベル平和賞を頂いて、その賞金の一部でユニバーサル・レスポンシビリティという財団を作りました。
 ヒマラヤの山奥から来たダライ・ラマ法王が、ライツ・アンド・レスポンシビリティについて一生懸命訴えています。私たちは今でも、もし 600万人のチベット人が犠牲になることで13億人の中国人が幸せになるのであれば、喜んで犠牲になってもいいと思っています。
 小林先生のお話には、西洋と東洋、キリスト教と儒教、キリスト教と仏教のお話がありました。私たちは仏教徒です。私達が修業をする時に、何よりも大切にするのはその動機です。その動機とは、特に大乗仏教においては、私も含めて万物が幸せになるようにと祈って修業することで、万物が幸せにならずして私だけが幸せになれないという発想の上で、私達は生きています。
 これは多分、人権とかそういう言葉では言えないかもしれません。しかし、日本語でも身近な言葉では「お陰様」や「お互い様」のように沢山あります。
 私は1965年、14歳の時に来日しました。毎日、中華人民共和国が国連に入ることを祈り、ポケットには世界人権宣言や国連憲章の小さいブックレットがありました。私は日本で法律を勉強して、法に基づいて祖国の人たちを救おうと思ったのです。そのために亜細亜大学に入りました。しかし1972年、中国が国連に入ったとたん、中国は安保理常任理事国として拒否権を使い、以来、チベット問題は門前払いになりました。 私は法学学科を辞めました。そして政治学科に入りました。そして、国連憲章をもう一度読んでみたところ「 We are the  people of the United Nations」とありました。私達は、残念ながらその人々の中に入っていなかったのです。私は国連憲章を捨てたくなりました。
 しかしながら、今は大学で国連憲章のことを一生懸命教えています。今日先生方がおっしゃったような、いろいろな重要な文献、条約、協定、論文があります。どれを読んでも納得いかないものは一つもありません。私はそれらの論文を読み、自分自身の一つの励ましとして、夢を頂いていると思っています。私がここで皆さんに申し上げたいことは、人権には東洋も西洋もない、ということです。ただ、人権を政策の道具として、あるいは都合によって使うことに対しての違いはあります。
 また、人権というものが文章化されたのは西洋においてかもしれません。しかし、その考えは、私が知っている限りにおいては、お釈迦様まで遡ると思います。むしろ、お釈迦様のほうが、人ではなく、生命を尊重されました。先程、小林先生が人権は人間中心だったとおっしゃいましたが、私もつくづくそう思っています。
 毎日、新聞を読んで自分たちの生活を見ると様々な悲しい出来事が周りにあります。 そして何よりも危険を感じなければならないのは、環境問題だと思います。環境を破壊したのは誰であったか、誰のためであったか、その結果として今誰が一番困っているか。それは、神の次に人が一番であり、人のために何をしてもいいということで、山を崩し、川を汚してきたからです。その結果、今私たちが直面している様々な問題はご覧の通りです。
 しかし、私が小さい時、村では果物は誰のものでもなかったのです。果物ができたとき、その木の下に行き、木を揺すって落ちてきたら人間が食べていいよ、と言われました。まだ落ちてないものをとったら、それは神様のものだから勝手に取ってはならないと言われました。そして、下に既に落ちているものは、餓鬼とか畜生のためのものだから、それを勝手に奪ったり盗んではならないと言われました。
 私は、人権はお互いの尊重から来るものだと思います。私が幸せになるためにあなたが犠牲になりなさいという理屈ではなくて、あなたが幸せになるために私も協力しましょう、そして私が幸せになるためには、あなたも協力してもらわなくてはならない、という思想ではないかと思います。これは決して、西洋だけのものでもなければ、東洋にないものでもないと思っています。
 私は日本で生活して32年になりました。日本において、国際化という言葉がこの10年間に非常に横行しました。国際化という現象がなければ、私のテレビ出演も、各地での講演も少なかったでしょう。
 しかし、外務省のある偉い方が8年程前に、国際化時代に向けて共通の価値観を持ちましょうという論文を出されましたが、私は2週間くらい、何か変なものを食べたような気がして、消化できずにいました。
 ある時、本屋で英語の参考書を一つだして見たところ、納豆について説明がありました。納豆は英語でロータン・ビーンズ(腐った豆)と書いてありました。
 第二次世界大戦の際、日本軍が当時英国の植民地であったマレー半島のシンガポールを占領しましたが、その時、ある日本の下士官が毎日英国の捕虜に対して、これは腐った豆だから食いなさいと言って、納豆をむりやり食べさせました。そして、数週間後、今度は日本軍が逆に捕虜になると、この下士官は軍法会議にかけられ有罪になったということです。もし私の読み違いでなかったら、処刑か死刑になっています。
 その時、私の中には二人のペマがいました。私は日本に来る前にインドで英国系のミッション・スクールに通っておりました。ご存じように、英国はインドを 500年間植民地支配しました。今日も植民地支配の影響があり、その一つは騎兵隊だと思います。ヒマラヤ地域に行くと、騎兵隊の人達はたしかに腐った豆をロバとかラバに食べさせています。そういう立場からすると、英国人の裁判官たちは、この人は捕虜を家畜のように扱った、とんでもない非人道的行為をしたということは当っている思いました。 しかし、私の家内はチベット人ですが、納豆が大好きで、納豆の良さを飽きるほど聞かされています。そのペマ・ギャルポの立場から考えてみると、この下士官は素晴らしいことをしました。敵に対して、自分の大切な栄養元となる納豆を分け与えた人道的な行為であって、今からでもいいですが、ノーベル平和賞を与えてもいいことではなかったでしょうか。
 私が思うには、人権においては、相手に自分の考えや価値観を押し付けないことも重要だと思います。お互いに聞く耳を持つことが重要です。こちらと海の向こうとでは当然差があるはずです。ただ私が思うには、それを行う上において、当然ながら権利と義務、個と公、主権と世界というものをどう考えていくかということを、先生方に教えて頂きたいと思います。
 私達チベット人は、ある時期にはチベット人であることが罪でありました。チベット語の名前を持つことが出来ず、チベット語でしゃべること自体が罪でありました。
 1980年、私はダライ・ラマ法王の調査団の一員としてチベットに行きましたが、毎日子供たちからチベット語の名前を付けてくれと言われました。私は「名前はあるでしょう、だってあなたは10歳くらいになっているじゃないか」と言いましたが、それでも向こうはずっと追いかけてきました。私は真剣に「この子は本当に名前を持ってないのか」と聞くと、隣の子供がこの子の名前はチチャウ(犬の糞)ですと言いました。 例えば、私の名前ペマ・ギャルポは蓮の王者という意味です。蓮は仏教において非常に聖なる花でありがたいものです。ですが、そのような名前をつけることは当時は罪だったのです。子供たちは、生まれた月日や、その時の体重なような名前しかつけられませんでした。
 ですから、この子にとっては、自分の文化、自分の価値観に基づいて名前を持つことも権利の一つなのです。先程、炭谷先生のお話を聞き、日本で生活する人間として全てその通りだと思うと同時に、私達からすれば、ある意味で非常に贅沢な権利だということすら思いました。
 私は、人権について大切に考えるべきなのは、その対象となる人達個人、集団とその周囲の関わりであって、最終的には大乗仏教的精神でいうところの個よりも公、公よりも国家です。そして、人権も生きものと同様に、常に変わっていくものであり、私が申し上げたいのは、人権侵害の中には無視するという人権侵害もあり、無視されている人たちもいるということです。
 前の先生方の極めて学術的で包括的な話に比べて、私の話は非常に感情的で現実的な問題だったと思いますが、これも人権問題の持つ一面だと思って、理解して頂ければと思っています。
佐伯 ありがとうございました。先生は先程、人間であるから人権が保障され、全ての人間は幸せになりたいから人権を望んでいるとおっしゃいました。しかし、自然との調和を考える人権論が出て来るのは、西洋にはないアジア的な特徴を持った人権論ではないかと思いますがいかがでしょうか。ペマ 私がそれを一番強く感じたのは、福田赳夫先生が「人命は地球より重い」と言ったときですね。エーと思ったのです。
 その後、天安門で沢山の人たちが殺されましたが、どうも人命は地球より重くなかったですね。日本政府が真っ先に援助を出しましたから。それ以外、やはり環境問題などを考えて見ると、やはり生命の尊重という点では、特に仏教において、全ての生きものは、常に人の幸せを前提に考えて、自分も幸せになる、ということを私達は小さいときから教えられてきました。
 もう一つは、私にとって人権を考える一番簡単な方法は、自分を相手の立場に置き換えて考えることなのです。自分が同じになったらどうするかを考えて、相手にしてあげることだと、私は思います。
 そしてそれは、全ての人間にとって同じことではないか、ということです。

佐伯 ありがとうございました。それでは続いて、クリストファー・スピルマン拓殖大学客員教授よりお話を伺います。

スピルマン 皆さんご存知のように、人権は第2次大戦後、国際社会において重要な問題とされてきました。国連憲章と世界人権宣言は、国際的に最も有名な文書であろうと思いますが、それが示しているように、人権保護促進と人権状況の改善は国連の任務です。ソ連ブロックの崩壊と冷戦の終焉の結果、国際関係において、人権の役割とその重要性は著しく高まったと思います。「冷戦外交」に代わり「人権外交」が登場したとすら言えます。けれども「人権」はしばしば自己の立場を正当化し、相手を攻撃する切り札として用いられてきたという事実を見落としてはいけません。
 現在、人権の定義について学者の間で必ずしも同意があるとは言えません。大雑把に言いますと、人権は広義で解釈するか、
或いは狭義で解釈するかという問題について、まず議論が行われています。狭義での人権には身体の自由、表現の自由、宗教の自由などがありますが、そういう人権には経済的発展への権利、そして政治的安定への権利は含まれていません。また、平和、或いは国民の安全、例えば、夜、恐怖なく街を歩く権利なども含まれていません。
 さらに、人権は普遍的なものであるのか、あるいは、文化、経済発展、政治体制などによって、異なり得る相対的なものであるのか、論争の的となっています。具体的に言いますと次のような問題に帰すると思います。すなわち、発展途上国は先ず経済発展を目指し、しかる後に人権の実現を図るべきか、それとも、逆に経済発展や政治的安定を犠牲にしても狭義でも人権を優先させるのかということです。これに関して学者の間だけでなく、外交官や政治家の間でも、厳しく論争が行われています。
 今日のご発表をお伺いして、感じたのはやはり狭義の人権は欧米文明を中心にできており、文化的、宗教的な理由からアジアにおいて受け入れられ難い側面があるということです。人権は欧米文化、なかんづくアメリカが専売特許を有する産物乃至概念では決してありません。回教文明に人権の伝統がありますように、東アジアにおいても立派な人権の伝統が古代から存在していると思います。
 人間性の尊重は、儒教の先哲である孔子孟子の教えにも内在していると思います。確かに、仁議の概念は基本的に人間性の尊重を前提としています。家庭を大事にする、社会を大事にする、人間関係を大事にする、全ての人間を愛するという価値観は孔子孟子の教えにあります。その価値観に、人間性の尊重に基づく広義での人権概念である社会・政治安定の理想が見出されると思います。儒教以外にもそういう伝統は残っています。
 博愛と言う概念は、紀元前400−300年に、キリスト教より早く、独自に東アジアに生まれました。墨子という中国の哲人が唱えた兼愛がそれであります。墨子もまた人権論と切り離せない平和主義も唱えました。平和は人類の一つの理想であるということは誰しも否めないと思います。この理想もヨーロッパより早く、しかも独自に東アジアに起きたのであります。墨子の平和主義の基礎には人間性の尊重、人間の尊厳があります。
 東アジアには、こういう例はいくらでもあります。仏教にも人権に当たるような概念が見出されると思います。仏教にある命を尊重する強い理想は東洋、就中、東アジアの一つの伝統をなしていると思います。
 けれども現在、一般的に使われる人権は欧米文明が作り出した狭義での人権であり、言うまでもなく、ヨーロッパの価値観に基づいております。そのヨーロッパの人権概念について歴史的な立場から言及したいと思います。
 ヨーロッパでの人権の起源はキリスト教の始まりまで遡れますが、狭義での人権はアメリカ独立戦争、言いかえればアメリカ革命、フランス革命以来、つまり欧米の近代が始まってから唱えられるようになった自由・平等・博愛という理想とともに登場したと思います。
 既に申し上げましたように、主流になったのは、戦後で、人権を欧米諸国の外交の第一目的として初めて掲げたのはカーター大統領だと思います。このような人権外交は冷戦が終わり米ソのイデオロギー的対立がなくなった1990年以後特に目立ち始めたと思います。ある意味では、反共に代わり、人権は一つの政治的なイデオロギーになってしまったと思います。
 欧米の人権擁護の実現に矛盾がないとも言えません。アメリカの憲法は最初から個人の自由・平等などを保障しながら、奴隷制度を黙認しました。南北戦争の後、この憲法の下で、奴隷制度が廃止されたあとにも長年1960年代の半ばまで、人種差別、人種隔離政策も行われていたことを忘れてはなりません。
 また、第一次世界大戦後、アメリカ及び英国連邦の反対で日本によって唱えられた国際連盟の憲章への人種平等条項の導入は水泡に帰しました。言うまでもなく、反対の理由は人種差別でした。
 今でもアメリカは他の国の内政を厳しく批判し、弾劾していますが、必ずと言ってよいほど、アメリカの批判の対象は自国に都合のいい国に集中されがちです。例えば、イラク・インドネシアの批判は盛んに行われますが、サウディ・アラビアの批判はほとんど聞こえません。または外国のことを批判しながら、アメリカ自身の著しい人権蹂躙を棚に上げる傾向も強い。人種差別が大きな要因となっているアメリカの犯罪問題も人権と係わりがあります。犯罪の結果アメリカの犯罪率は先進国のなかで一番高くなっています。驚くべきことですが、60年代、ソ連に人口10万人当り268 人の囚人
がいましたが、アメリカでは人口10万人当り426 人です。黒人はそのうち50%を占めています。犯罪問題の根本に教育の問題があります。即ちアメリカの貧しい人々、主に黒人ですが、経済的な格差が大きいため、全ての民族が平等に教育を受ける機会が与えられているとは言えません。しかし教育への権利は一つの人権ではありませんか。
 また、最近、アメリカで不法移民、あるいは外国人の出稼ぎ労働者の人権蹂躙も大きな問題を呈しています。
 もう時間ですから、今日はこの辺で終わらせていただきます。
佐伯 ありがとうございました。人権外交の問題点において、欧米が自分に都合のいい形で人権論を展開しているのではないかというご指摘がありましたが、ほかにも例がありましたら、いくつかお話頂きたいと思います。
スピルマン 人権外交ですが、具体例を言いますと、イギリスにおいて、北アイルランドの一部の人たちの人権が無視されていることが挙げられます。また、過去の話では、例えば第二次世界大戦中、在米日系人の人権が蹂躙されました。それはかなり長い間、無視された話ですが、今は一般的に知られ、正式に謝罪があったわけです。
 それ以外では、人種差別としては一部の少数民族はアメリカの大学の割当て制度によって入学出来なかったことがあります。今でも、カリフォルニア大学ではアジア系の人たちはなかなか自分の能力次第では入りにくい状態になっているわけです。
 ペマ先生がインドにおける逆差別のことを言われましたが、それはアメリカでも行われているわけです。動機はどうであれ、人権蹂躙にあたる場合があると思います。

佐伯 ありがとうございました。それではこれまでの諸先生方のお話を踏まえて、最後に私から総括的な発言をさせて頂きたいと思います。
 アジア的人権と言うとき、人権にアジア的なものと西洋的なものがあるのか、それを明確に分けてしまうものがあるのか、そういう問題が生じると思います。
 確かに、人間ひとりひとりを大事にするという意味での人権には、アジアもアメリカもイギリスもフランスもないわけで、普遍的なものでありうると思います。
 ただ、現在学界においても、世間一般で言われるときにも、人権と言うときには、それは近代啓蒙思想の延長線上にある人権を指していることが多いと思います。
 そして、これはアジアの人権という場合も同様で、アジア各国の憲法規定の中にみられる人権条項もこうした欧米流の人権条項を模倣した或いはその延長線上にあるものと見てよいと思います。
 それ故、今日、アジアの人権状況を考察または批判するとき、先程言いました西洋的な意味での人権概念を基準にして、批判したり肯定したり褒めたりということが起こってくるように思います。
 しかしながら、ここで欧米的な人権概念を基準にするしても、直訳的にそれを基準にして、この国の人権状況は劣っていてけしからん、ここは基準に近づいているから立派であるというような評価の仕方で良いのでしょうか。そしてもう一つ、欧米の人権概念そのものに問題がありはしないか、特に人権をジャスティファイするその方法に問題がありはしないか、また、現在の欧米の人権論に問題がありはしないかということを考えなければならないと思います。
 まず、西洋の人権概念をアジアの状況に当てはめてみるときに問題が起こって来る。例えば、西洋の植民地政策の結果、アジアの国々の中には多民族が一つの国家の中で生活し、一国を形成しているという場面があろうかと思います。
 そうしたとき、多民族を抱えている国家は、様々な民族を統合するうえで、大変な苦労をしなければならならず、そのためには人権を制限しなければならない場面も出て来ると思います。それを無視して、一概に人権侵害であると言って批判することは妥当でしょうか。
 また、多くのアジアの国々は、現在、経済的な発展の途中にあり、開発途上であると思います。そうした中で、将来の確固たる人権保障のために、ある程度の人権制限を加えなければならないということも起こりうると思います。
 先程のお話にもありましたが、産業革命下のイギリスにおいて、十全たる人権保障はなし得なかったわけです。そういった点を考慮し、アジアの人権を考える場合にも直訳的に欧米の人権概念を持ち出して、この座標軸から離れているからマイナス、近いからプラスという人権の評価には問題があると思われます。
 そして次に、先程スピルマン先生などからご指摘がありましたが、欧米諸国のアジアの人権条項に対する批判は、非常にご都合主義的なものではないかという問題があります。
 例えば、ASEAN諸国が、かつて欧米並の労働条件をアジアの国々に求めるのは、市場からアジア諸国を締め出すものであって、新たなる保護貿易ではないかと批判したことがあります。
 これなども、欧米中心の人権外交に対する批判の一つではないかと思います。
 また、これは有名な話ですが、イラクのクルド族弾圧に対しては非常に強硬な措置をとったアメリカが、トルコやイランによるクルド族の弾圧に対しては全くそのような措置をとりませんでした。
 これなども、非常に利己的な自分の利益を考えた行動ではないかという批判を受けています。
 もしこのような人権の扱いがあるとすれば、これは問題ではないかと思います。そもそも西洋的な意味での人権概念は、人間を目的として手段としないところにあったかと思います。
 しかしながら、先のような意味での人権外交があるとするならば、かような人権外交は、人権すなわち人間を手段とするものであり、西洋的な概念で言いましても、その人権の理念からかけ離れたものになってしまうわけです。
 そういう意味で、そのような人権外交は二律背反の矛盾を犯すもので、欧米諸国にとっては戒められるべきものであろうかと思います。
 次に、アジアの人権を計る場合の尺度とされてきた、現在の欧米の人権概念そのものに問題はないのでしょうか。これに対しても、アジアの国々から批判が出ています。 例えば、家庭の崩壊、社会道徳の乱れ、犯罪の多発、そして共同体意識・国家意識の喪失、責任感の喪失、こうしたものが問題として提起されています。
 こうした問題が、ただ単に欧米の人権思想からのみ起こっていると言うことはできないかもしれませんが、やはり私には関わりがあるように思えてなりません。
 そもそも欧米の人権は、先程小林先生からのご指摘にありましたように、キリスト教、わけてもプロテスタンティズムというものを前提とするものです。そして、そこでは権利と同時にキリスト教的な道徳というものも働いていたはずです。
 例えば、アメリカのバーニジア権利章典は、種々の人権を明記した後に、最後16条でキリスト教的道徳というものを尊重しなければならないと、締めくくっています。
 ところが、現在の世俗化された人権は、キリスト教的道徳というものをまったく抜き去ってしまっいるように思えます。
 その結果、人間のエゴを全面的に押し出した人権論になっており、そうしたものが家庭の崩壊、社会の乱れ、犯罪の多発といった問題を誘発する契機となると考えても、決して無理ではないと思います。
 もしそうであるならば、アジアの国々がそうした欧米流の人権論を唯一の座標軸にすることを拒否するのは、当然のことであると思われます。
 では一体、これからアジアの人権論はどういう方向性を取るべきでありましょうか。 まず、ひとりひとりの人間を人間として尊重する、その意味での人権は何処においても大切にされなければならないと思います。しかしながら、個々の人間を尊重しながらも、混乱のない社会をつくるということも重要であり、アジアの諸国は個々の人間を大事にしながら、秩序のとれた混乱のない社会を築き上げていく必要に迫られているのです。
 そうした意味で、私は一つの提言をしたいと思います。
 なるほど、アジア的な観点から新しい人権概念を確立するということも考えられるのですが、まず当面はそれぞれの国家が持っている伝統文化や宗教にふさわしい、既に国民の間に根づいている道徳律、道徳心を擁護しなければならないと思います。
 そして、そうした道徳心と権利、義務のバランスある維持が大切にされなければならないのではないかと思います。
 幸いにも、アジアの国々には家族共同体との連帯を重んじる思想、自然や社会との調和を重んじる思想、人間の精神的道徳性を重んじる思想、そしてまた人間を超えたより崇高なるもの、これに帰依して自己を完成しようとする思想がまだ残っております。こうした社会的な価値観に根差した道徳律に依りつつ、権利と義務、個人の自己主張と社会的責任のバランスがとれた人権論を打ち立てる、こういう観点からアジアの国々が自国の人権の在り様を考える道があるのではないかと思います。
 冒頭に述べましたように、人権という概念は、その発祥においてすぐれて西洋的なものであり、これが法思想上確立されたのも、やはり西洋近代においてであろうかと思います。
 しかしながら、その概念が具体的な政治生活の場で、先程炭谷先生がおっしゃいましたように実態を伴うためには、それぞれの国家の政治状況に相応しい形態をとらねばならないと思われます。
 更にまた、ペマ先生がおっしゃっていましたが、それが個人と全体のバランスがとれたものであるためには、それぞれの国家の伝統文化に根差した道徳的な概念と共存するものでなければならないと思います。
 その意味で、我々がアジアの人権について語るとき、いたずらに人権概念の普遍性のみに固執するのではなく、それぞれの国家がもっております特殊性というものを十分に考慮していく方法が必要ではないかと思われるが、いかがでありましょうか。
 以上、はなはだ概論的ではありますが、総括に代えて、私の問題提起とさせて頂きたいと思います。




ライン

cJMA / All right reserved. / 更新:2001年1月15日

日本共産党

 2003年1月9日(木)「しんぶん赤旗」「アジア社会フォーラム」閉幕 300団体2万人多彩な討論

 【ハイデラバード(インド)8日小玉純一】当地で開かれた「アジア社会フォーラム」は七日閉幕し、六日間の日程を終えました。期間中には「グローバル化(地球規模化)」の諸問題と対案の検討を中心に、八つの全体会議、三百余の分科会がもたれ、各国から三百団体、二万人近くの人が参加しました。

 閉会集会で、ナラヤナン前インド大統領は「アジアは歴史的に帝国主義、植民地主義とたたかってきました」「アジア社会フォーラムは、新たな帝国主義とグローバル化への反撃であり、搾取された人々のためのもう一つの世界を求めるたたかいです」と述べました。

 昨年二月ブラジルで開催された「世界社会フォーラム」のウィタカル事務局員は「アジア社会フォーラムの大成功をお祝いします。グローバル化によって搾取を強める資本主義とたたかう人たちの連帯のグローバル化が可能です。新しい世界をつくることは可能です」と述べました。

 集会後、五千人以上の人たちが地元ハイデラバードの非政府組織(NGO)のよびかけたデモに参加し、それぞれの要求を掲げて市内を行進しました。

 インドのバンガロールからきた自然科学系の研究所で働くチャタジーさんは「それぞれの地域の運動が一堂に会して、互いにパワフルになってうれしいね」と話していました。

 一月二十三日から二十八日まで、第三回「世界社会フォーラム」がブラジルのポルトアレグレで開かれます。


世界諸国民のための秩序めざす

 インドのハイデラバードで開かれた「アジア社会フォーラム」では、全体会議でも分科会でも、活発な討論が交わされました。その一端を紹介します。(小玉純一)

平和の精神

米の国際法違反を批判

 全体会議「平和と安全保障」では、十人のパネリストが発言。日本からは広島市在住の被爆者・松原美代子さん(70)が被爆体験を語りました。また元国連大学学長の武者小路公秀さんは発言のなかで日本政府の米軍協力を批判しました。

 米国のワシントンから参加した非政府組織(NGO)・グリーンピースのクレメンツ氏は、米国の核戦略について述べ、「米国の国際法違反に抗議しよう」と訴えました。

 韓国の平和をつくる女性の会のジョン・スー・キムさんは、韓国での米兵による女子中学生れき殺事件と米兵無罪判決後の運動の高揚を紹介しました。「ろうそくデモに出るたびに悲しくなります。零下の街頭で子どもからお年寄りまで参加しました」「米国の朝鮮半島支配にたいするたたかいに連帯を」と述べました。

 公正な世界を目指す国際運動のチャンドラ・ムザファールさん(マレーシア)は、非同盟運動に言及。「非同盟運動は、米国とその同盟諸国に同盟しないようにするべきだ」「二月にマレーシアで開かれる首脳会議に向けて、非同盟運動が連帯と社会正義、平和の精神をよみがえらせるべきだ」と述べると会場から拍手が起こりました。

 七日の閉会集会ではナラヤナン前インド大統領が「非同盟運動はまだまだやるべき仕事がある。インドは非同盟を強めるべきだ」と述べました。

 フォーラムではその他、イラクやパレスチナ人民への連帯、インド・パキスタン関係なども討論されました。


経 済

地域社会発展の道追求

 「対案と人々の運動」をテーマにした討論では、八人の発言者が熱弁をふるいました。

 タイのバンコクに本部を置くフォーカス・オン・グローバル・サウスのウォルデン・ベロー理事長は、「現在の国際通貨基金(IMF)など極度に中央集権化した国際機関は廃止するか大幅に権限を縮小して、地域社会が独自の発展の道を追求することができるような新しい国際システムづくりが必要」と述べました。

 そして、「地域社会や各国の機関がこれら国際機関と匹敵する力をもつようになり、相互にチェック機能を働かせてバランスをとり、各地域社会が自らの発展の戦略を選べるようにするべきだ」と主張しました。

 インド共産党(マルクス主義)政治局員のシタラム・イェチュリさんも発言。「IMFなどの構造が、少数の国の利益を優先し他のすべての国と人民を犠牲にしている、このようなグローバル化に反対する」と述べました。そして現在のグローバル化の悪影響を止める一致点で団結すること、自分たちの代表を国会に送り、政治運動と社会運動を結びつけることを訴えました。

 全インド人民科学ネットワークのトーマス・アイザックさんは、左翼戦線がこれまで何度も政権を担当してきたケララ州の経験を報告。「人々に教育・医療は行き渡ったが生産力が低いなど多くの課題を抱えている。そのなかで住民の行政への直接参加が重要となっている。わが州では、住民が水資源の管理や学校の運営にあたるようにし、パンチャヤト(自治組織)に少なくない予算をまかせ、意思決定に人々が参加するようにした。三百万人がこのための会議に参加している。州政府に対する草の根からの民主主義的圧力と、新たな発展の文化が生まれた」

 アイザックさんは「選挙で州政府が代わってもこの参加型民主主義は変わっていない」と述べました。