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報道のバイアスからなるべく自由になるための話をしたい。学生100名にイスラムと仏教について、それぞれ浮かぶイメージを聞いた。仏教の方は多様性があったのに対して、イスラムのイメージは決まり切った形で出てくる。このようなイスラム教のステレオタイプについて4つの角度から話したい。
1.闘争的宗教というイメージ
キリスト教・仏教は暴力を否定するのに対して、イスラムは暴力を容認する宗教というイメージ。
@闘う宗教は「悪い宗教」か?
闘うことに宗教的な意味を認めるは本当に悪いのか?隷属状態にある人、被抑圧状態にある人にも、闘うことを認めない宗教は、弱者にひたすら耐えることだけを美徳として要求する強者の論理になってしまう。イスラムの名のもとで闘う人たちは闘わざるを得ないような状況に置かれてきたのではないか、ということを考える必要がある。
Aジハードの真の意味
大ジハード:物欲的なものから内面的な魂の浄化、精神の鍛錬
小ジハード(私たちがジハードと呼んでいるもの):聖戦、異教徒(の支配)に対する武力闘争コーランに「宗教に強制なし」と明言される。またユダヤ教、キリスト教については同じ唯一神(アラー)を崇拝する宗教と認める。問題となるのは、イスラム教徒が異教徒に支配されること。
異教徒に支配された場合、イスラム教徒は宗教的な義務を遂行することができなくなるかもしれないからである。外から異教徒が侵入してきた場合には、武器を持って闘わなくてはならない。これが(小)ジハードである。
B報道の仕方の問題
イスラムは闘争的という先入観が広まっているので、報道でそれに合うような画像を流す。そうした画像を見ることで、それが一面的であるにも関わらず代表的な姿であるかのように印象づけられ、すでにあるステレオタイプが強化される。
2. 戒律宗教、儀礼的宗教というイメージ
1ヶ月の断食期間、メッカへの巡礼などの儀礼重視、形式的な宗教という理解
@厳しい戒律を課すということの意味
戒律さえ守れば天国を約束する宗教であるかのように誤解をされがちだが、戒律、儀礼にはひとつひとつに意味がある。戒律を実行するなかで、自分とアラーの関係を再認識する、
A儀礼の実行に付与される条件の柔軟性
イスラム暦のラマダンという月1ヶ月間、昼間は断食が義務であるが、子ども・病人等はしなくていい。戒律の実施については柔軟で現実的。メッカへの巡礼は、イスラム教徒は一生に一回必ずやらなくてはならない義務であるが、これについても条件の設定がある。本人が苦しい旅に耐えられる健康状態にあるか、経済的な余裕があるか、旅の行路は治安が良いかが問われる。
B個々の儀礼の意味
巡礼では、時間と場所を含め巡礼地で行われるべき儀礼は詳細に決定、個々の儀礼には象徴的な意味が込められる。たとえば、巡礼者がメッカのカアバ神殿の周りを7回周回する儀礼は、かつてこの神殿を建てたとされるアブラハム(旧約聖書にも出てくる預言者)がした経験の追体験である。
真の一神教徒であるアブラハムに倣うことによって、神への畏敬の念を再確認する。サイイというあるふたつの地点の間を走る儀礼も、渇きに苦しむ子どものために水を求めて走り回ったアブラハムの妻、ハガルの苦労と、それに泉を湧かせるという奇蹟を持って答えた神の寛大さを思い起こすものである。
3. 後進的な宗教というイメージ
@イスラム世界が第三世界と地理的に大きく重なっていることからくる混同が原因であろう。
中世まではイスラム世界の方が西洋・キリスト教世界よりも「進んで」いた。であるから、イスラムが後進性の原因というのではない。イスラム教徒の考え方によれば、「現在のイスラムの世界は確かに遅れている。なぜ遅れたかというと、イスラム教徒がイスラムの精神を忘れたからだ。」となる。
A「遅れている」「進んでいる」の基準の恣意性
何をもって「遅れている」「進んでいる」社会とするのか。西洋近代に似ていると「進んでいる」「先進的である」とするならば、これは世界中のあらゆる国、あらゆる民族が、西洋を先頭にして一直線に進むという前提に基づく論理である。
しかし世界の多くの人々にとって、西洋は目指すべきものでも、手本でもない。たとえば西洋近代とは違う近代があると考え、違う道を歩み始めた人々がイスラム教徒の中にはいる。これからは、進む道は多様であり、それぞれがいろんな方向に進んでいくことを、いろんな宗教や民族が主張するようになるのではないか。
B具体例としての「女性の地位」の問題
女性に関する規範、慣習の歴史的性格を考察する必要
○ ベール着用について
コーランやハディース(預言者ムハンマドが何をしたか、何を話したかの伝承集)には明確な規定なし。「女性は美しい部分を隠さなくてはならない」という曖昧な記述のみ。預言者の妻だけの慣習だったのが、広がっていった。ペルシャなどでイスラム以前に良家のお金持ちの女性が労働に関わらず、ステイタスとして家の中に隔離されている慣習があった。
このふたつが融合し、イスラム教徒の間に女性についての規定ができてきたと考えられる。このように歴史の中で人間が作り出した約束だから人間が変えていくことも可能であろう。それはイスラム教徒の間でも議論の的になっている。
○ 女性は男性の半分の相続権を持つことについて
イスラム以前には女性は相続権を持っていなかった。それに対して、ムハンマドは女性も半分は相続する権利があるとした。半分の相続権をどう解釈するかということについてはいろいろな意見がある。「女性は男性の半分の価値しかない」とするものから、「当時の状況を考えながらより多くの価値を与えようとしたのだから、その精神を大切にしよう」というものなど多様である。
イスラム法によると女性は生活費を払う義務はなく、男性にのみ扶養義務があるので、経済的な義務を持たない女性は相続権の半分でもいいという解釈が一般的である。
○ 一夫多妻制について
孤児や寡婦に優しくすることができないのであれば、「二人なり三人なり四人なり」妻をめとるがいいという趣旨のコーランの一節。すべての妻に平等にできるならば、の条件も付される。この一節が下りたときの状況は、メッカとの闘いを繰り返していて、男たちがたくさん死に、庇護者を失った女性や子どもが出てきた。こうした女性やその子どもたちを庇護するために、残った男性が女性と結婚し庇護者になることを奨励されたのである。
しかし、「すべての妻に平等にできるならば」の条件が付けられているのも、非常に大切。人間は弱いものだから、平等にできない。普通の男にはできないのであるから、この一節は事実上複数の妻を持つことを禁止しているんと考える人たちもいる。コーランをどう解釈していくかもイスラム教徒たちは多様な解釈を見せる。女性の状況については、内側からの解釈の必要である。
たとえば、「女性の居場所は家庭である」という言説の背景についてだが、失業率が高くなるとこの声が高くなる。逆に男性が戦場に出て労働力が足りなくなると女性が外で働くことが称揚される。ひとつひとつの意見を押し上げるそのときの社会の状況を見ていく必要がある。
○「女性によるベールの着用」の意味、動機の多様性
女性にとってベールの着用は必ずしも単純にイスラム回帰を意味しない。日常生活の中で、実用的な目的から使う人もいる。たとえばベールを着用することで社会から敬意と信頼を獲得し、女性の行動に対する社会的な制限から自由な行動ができる、という女性が無意識のうちに身につけた知恵もその一つである。
またイスラム的な服が流行であるという認識もあるし、さらに、イスラム的な服だと差異が少ないので、高価な服を買えない貧困な家の子にとっては貧しさを隠すのに役立つ。短絡的に宗教と結びつけるのではなく、日常の身近なところに動機があることを見逃すべきではない。
4. アラブ人の宗教というイメージ
@普遍宗教として、血縁・地縁からの自由
イスラムは、人類すべてに対する普遍的なメッセージである。当時のアラビア半島の血縁が絶対だったのに対し、信仰のつながりのみを絶対的なものとするという画期的な改革を行った。
Aアラブ世界以外に多くのイスラム教徒が存在
世界最大のイスラム国は、インドネシアであり、アラブではエジプトがようやく世界で7番目。現在もアフリカ、北米、西欧でその数は拡大している。西欧での拡大は多くが移民社会の拡大によるものだが、アメリカやアフリカの黒人にとって、キリスト教は人種差別者、植民地主義者というイメージが強いのに対し、イスラム教は暗い側面を持っていない。
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講座2:
反人種主義・差別撤廃世界会議とテロ事件
IMADR 事務局次長 藤岡美恵子
9.11事件は誰がやったかという確証はないことを前提として話をしたい。ビンラディンは事件以前からアメリカ国内でずっと取り上げられていた。
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1. 1. テロ事件の背景にあると思われるもの
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二重基準への不満
ある国でひどい人権侵害が起きる。国際社会が介入しなければならないような状況がおきている(例:コソボ)。同じようなことがおきていても一方は介入し、他方は放置されているような状態を二重基準と呼ぶ。パレスチナはイスラエルによって不法な占拠が続いているにも関わらず、ずっと放置されてきた。
インドネシアによって不法に併合されている東ティモールも同じ。東ティモールの難民が80年代後半言っていた。「パレスチナについては国連が決議を出しているが私たちには決議も出されない」。世界会議の直前、占領地での状況は悪化していたので、世界会議での中東問題をめぐる問題、イスラエルが行っていることは人種主義行為なのか、イスラエル国家は人種主義国家なのか、ということが争点になった。
非常に政治的な課題になった。160カ国の代表が集まった中で、アラブ諸国、イスラム諸国、第三世界の国々がイスラエルの占領を非難し、占領地で行われているパレスチナ人に行われている差別的取り扱いや殺害に対する怒りが高まっていたので、強い口調で「イスラエルは人種主義国家である」「イスラエルに存在するアパルトヘイト」ということが案として出されていた。それを認めない国もいて争点となった。
イスラエルとアメリカの反対があり、5日目にアメリカとイスラエルの政府代表が会議をボイコットするという事態にまで発展。最終的には反ユダヤ主義とイスラム排斥が高まっていること、外国の占領下にあるパレスチナ人の苦しみを憂慮する、という具体性のない抽象的な文言にまとまった。
何千人というNGOが集まっていたが、NGOの中でも中東問題が大きな位置を占めた。NGO宣言でも大きな個所を占めた。「戦争犯罪」「民族浄化」「虐殺」「土地の追いたて」「拷問」「恣意的な逮捕と拘留」「人の移動に対する厳しい制限」「貧困や失業率の高さ」など、イスラエルを非難する文言が出された。
NGOの中にはユダヤ人やユダヤ教徒もいたので、紛争の当事者であることから、距離を置いた形での対話を生じさせるのは難しく、時には暴力なども何度も起こった。会議が終わってもいまだに尾を引いていて、そのことをめぐる議論が続いている。同じ反差別と思っている人たちの間でも、パレスチナの問題を解決しようというときにも、誰が差別者で誰が被害者で、という議論になってしまうと、NGOの間でもイスラエルが行っていることを認めることができなかったり、アラブ人が行っていることに対して非難することができなかったり、ということがおきてくる。
2. 2. テロ事件への対応と差別
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反アラブ主義・イスラム排斥事件の頻発と政府、市民社会の対応
アラブ系アメリカ人の団体には、9.11事件の数時間後から嫌がらせの電話がなりっぱなし。「今に見ていろよ」というようなもの。アメリカ国内では、イスラム教徒あるいはアラブ人と目されている人が殺されている。インド系のアメリカ人(市民権を持っている)は頭にターバンを巻いていたので殺された。
アラブ系の人が経営しているお店への攻撃。飛行機に乗っているアラブ系の人が強制的に降ろされたりもしている。少なくとも30件以上のケースを具体的にうけているとのこと。これは世界各地で起きている。これらは多くがアメリカ市民でいろんな国籍の人がいる。
イスラム教徒というだけで解雇された人や解雇されそうになった人もいる。風貌から何らかの疑いをかけて警察官による捜査や取締りを行っている。黒人が白人よりも検挙率などが多いことなどが黒人に対して行われずっと問題にされてきたが、9.11以降、アラブ系,イスラム教徒に対して多くなっている。
IMADRの理事のチャンドラ・ムザファーさんは、9.11以降、ごく普通のアメリカの小さな市民団体やラジオ・テレビ番組に呼ばれたそうだが、そういう上のような状態に対抗していこうという勢力もある。
アメリカで10月に反テロ法が通った。テロを未然に防ぐために、テロではないかと疑いがあるときに、FBIが盗聴したり、インターネット上のやりとりを監視したり、秘密捜査ができる範囲が拡大されたり、家主の許可無く家宅捜索ができるようになったり。テロ撲滅の名のもとでの警察権力が強化。
不特定多数の一般の人たちも対象になる。プライバシーが大いに侵害される危険性がある。人権団体からはこぞって反対されている。一般の人たちの間では反対意見の方が下回っている。11.11までに1200人が拘留されたが、これは歴史上はじめて。それに関する詳しい情報はほとんどアメリカ国内でも開示されていない。実行犯とされている人の多くが留学生という形でアメリカに入ってきた。アメリカにいる留学生への管理も強まろうとしている。ビザの発給を遅らせるなどの対策も取られている。特定の国々の特定の人たちが取り上げられて、取締りを受けるなどの問題が起きている。
Racial profiling
一時的なビザで滞在している中東出身の若い男性5,000人を対象にした連邦レベルの取り締まりの案がある。既に外国人をターゲットにした移民法の違法者600人を拘留している。本来なら、市民権や表現の自由に世界で一番熱心に取り組む国だが、最近の世論調査で、入管法違反の600人を拘留してもいいと思っているのが、10人に9人という結果になっている。5,000人の中東出身者の取り締まりも79%が賛同している。
連邦政府がテロの容疑者と弁護士の間の会話を盗聴できるような案もある。裁判を受ける権利なども侵害している。調査に答えた人の4人に3人が賛成している。10人に7人までが、テロの容疑者になった人に対しては、政府は十分なことをやっているし、中東出身の人の人権保護にも政府は十分対応している、と答えている。
アメリカではビンラディンを軍事法廷にかけるといっているが、10人のうち6人が賛成している。アメリカで大切にされてきた市民権や自由などの権利が内部から侵食されている。多くのアメリカ人が自分には関係無いと思っていて、特定の宗教的・文化的背景を持った人たちや特定の民族がターゲットにされて、入管や警察権力などが強化されていく。これはナチスの時代にも非常によく似ている。そういう側面をよく知らなくてはならない。そういうことを知らずに日本政府が正義の名のもとに荷担しようとしていることを見ていかなくてはならないのではないか。
質問:
世界人権宣言以降の国際法はなかったかのように、そういう手続きもすべて無視した形で進められている。アメリカがそういうふうに進めて行くのは予測がつくが、EUなどもこぞって反対などできなかった。こういう無残な状況を再構築するようなことが可能なのか。
答え:
アメリカの行為は国際法的に見れば違法行為。国連憲章にも違反している。違法であるにもかかわらず、誰も止められない。冷戦崩壊以降、米国が唯一の超大国と言われてきて、国連の安全保障理事会の役割が変わってきて、冷戦時代も決してよくはなかったが、ソ連や中国がノーということで、安保理としては決議ができなかった。冷戦崩壊以降、安保理の全会一致ができるようになった。それもアメリカに有利なように。
旧ユーゴの時にそれが試された。やはりNATOでやるしかなかった。見逃しがたい人権侵害や武力行使をどうするか、ということに現実的な解決策がないことが長期的に問題として残って行くだろう。アメリカのいう自衛権の行使は正当だとは言えないし、許容範囲を大きくはみ出している。こういうテロ事件が起きたときに国際社会がどう対処できるのかを考えて行かないと軍事的な対応しかないということになる。
国際刑事裁判所が新しく作られることになっているが、必要な一定の批准国数が満たされていないので、人道に対する罪を裁いたり、という国際的な司法の力を強めて行くことをしないと、いつまでも軍事力・経済力を持っている国の思惑で事が進んでいく事態は防げない。昔は戦争を違法行為とするようなことも考えられなかったのが、歯止めとなるようになってきた。
少しずつ積み重ねていくことと知っていくことが大事だ。戦争はなくならない、ということでは本当になくならないし、戦争によって引き起こされるさまざまな人権侵害はなくならない。国際社会はさまざまな努力も行っていることもぜひ知ってほしい。
(記録・まとめ:IMADR-JC、無断転載不可)
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