栄西の喫茶養生記 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).6.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「栄西の喫茶養生記」を確認しておく。 2017(平成29).9.21日 れんだいこ拝 |
【栄西の喫茶養生記】 | |
鎌倉時代の僧にして臨済宗の開祖栄西禅師(えいさいぜんし)(1,141~1,215年)が、緑茶を日本に広めた。14歳で比叡山に入った栄西は2回の中国留学をする。留学先で臨済禅を学び、悟りをひらいた証明の印可を得て日本に帰ってきた。臨済宗は【公案】と呼ばれるナゾナゾのような無理難題を突き付けることで弟子を悟りに導く仏教です。一休は【一休宗純】という臨済宗の僧侶です。
鎌倉時代初期の建久2年(1,191年)、栄西は中国から帰国した。その際、茶の種を持ち帰ってきた。 茶の種は佐賀県脊振山にある霊仙寺と福岡県の聖福寺に撒かれた。
佐賀県脊振山の山麓には現在でも栄西が育てたとされる茶畑が残っている。そこで作られているのが栄西茶。栄西茶は、日本最初の茶樹栽培地の歴史を持ち、新緑の頃に朝霧に包まれるという最適の条件の中で育つ。 中国の唐の時代の製茶法で、宋~明の時代に伝えられたとされる「釜炒り手もみ」のお茶は、三日月の形状で保存した際の変質が少なく、黄金色で清く澄んだ湯の色をした、日本茶の中でもカラッとした独特の風味を醸し出す爽やかな味です。また、渋みもなくまったりと濃厚な旨みも特徴です。ぜひ、茶栽培発祥の地、佐賀県吉野ヶ里町東脊振の「栄西茶」をお楽しみください。本の緑茶は蒸し製法が主流です。しかし、中国からの名残が強い栄西茶は釜炒り製法で作られている。 日本を代表する緑茶といえば宇治茶です。宇治茶の発展には栄西が深く関わっている。 茶の栽培に成功した栄西は、京都の栂尾山(とがのおやま)にある高山寺の住職・明恵に種を贈った。明恵は高山寺の周辺に種を撒き、これが宇治茶の始まりとなる。栂尾では、後嵯峨天皇が訪れたのを機に茶園が開かれた。のちに全国へと広まったとされている。喫茶養生記とは日本最古の茶書。承元5年(1,211年)、栄西が71歳の時に完成させた。『茶は養生の千薬なり~』という言葉が有名。この本は、緑茶のもつ効能・効果を解説した薬学書として書き上げられた。日本に緑茶の文化を普及させるキッカケとなった。奈良・平安時代に飲まれてた緑茶は【餅茶(へいちゃ)】という。茶葉を蒸して固めたもの。必要な分だけ切り取り、火であぶって、粉末にしてから煎じる。匂いが強く、衰退していった。鎌倉時代になると【抹茶法】が確立される。抹茶法は、碾と呼ばれる薬研(やげん)を使って茶を細かく砕き、熱湯と混ぜて飲む方法。禅の僧侶たちが修行による睡魔を抑え、気持ちを落ち着けるために飲んでいた。そのため、禅宗の布教と共に抹茶法も広まっていった。抹茶法は侘び茶、茶の湯、茶道という段階を経ながら、千利休により大成される。三千家として、現代にも受け継がれている日本の伝統である。 |
|
|