|
岡山城 |
岡山城の城主は、宇喜田秀家から池田章政まで14人。岡山城を造った初代/宇喜田秀家。豊臣秀吉に可愛がられた。山陽道の付け替えや商工業を岡山に集めた。宇喜田騒動に巻き込まれる。関が原合戦に西軍として臨み、福島正則軍をはねのけた。関が原合戦で西軍を裏切った小早川秀秋が関が原戦後、城主。秀家と妻の豪姫は八丈島送り。秀家は83歳まで生きた。前田家の助けもあった。
光政の曽祖父/池田恒興の母は織田信長の乳母。乳を分け合った恒興は信長の信頼を受けた。弟を殺害する際も同行させ、恒興が最後に仕留めた。それを機に大名の会談をかけ上った。姫路城は池田家の設計施工。一時、姫路城主となり西国将軍とも言われたが、姫路城を取り上げられ、鳥取を経て岡山にやって来る。
5代/池田光政。
6代/綱政。元禄期。名家臣の津田永忠。熊沢蕃山の発想を受けて旭川の放水路となる百間川を設ける。岡山経済の礎となる治水や干拓、藩校・閑谷学校をつくった。
7代/継政。
8代/宗政。
12代/池田慶政。
13代/池田茂政(もちまさ)。最後の将軍/徳川慶喜の弟で水戸藩から迎えられる。
最後の14代/池田章政。九州の相良藩から鴨方藩に養子に来ていたのを、その鴨方藩から連れてこられた。光政の血を引いていた。岡山藩医学館をつくり、後の岡山医科大学、岡山大学医学部に繋がる。軍隊と医学を西洋化することに熱心になる。大政奉還後、最後の将軍/徳川慶喜を岡山の閑谷学校に移すとの話もあった。明治維新後、華族になる。第15国立銀行をつくる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|