ルネ・カントン履歴1考

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).6.23日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ルネ・カントン履歴1」をものしておく

 2016.9.3日 れんだいこ拝


 「偉大なるルネッサンス・マン 天才「ルネ・カントン」~生命の起源は海水である~」。
 医師、生物学者、哲学者、戦争の英雄、生理学者、航空機の先駆者「ルネ・カントン」はこれら全ての分野で卓越した業績を残しました。


 1866年、ルネ・カントンはフランスのセーヌ・エ・マルヌ県のショーム・アン・ブリで生まれた。
 カントンは、医師の息子で、生まれながらに好奇心旺盛で、文学に非常に興味がありあらゆる分野において優秀でした。彼
は医学や職業教育の教員となる代わりに芸術の道を選ぶことによって父親の影響から自身を開放することができた。さまざ
まな知識を追い求める過程で、彼はフローベールのように博物館で解剖学、生物学、古生物学を学び始めた。哲学を学び始
め、戦争について著作した。1908年には、Ligue nationale aérienneと呼ばれる最初のパイロットの学校を設立し、航空技術の
発展に貢献した。48歳のときには、第一次世界大戦での戦いに全身全霊を捧げ、中佐となった。生物学者としては、海洋生物
学における功績により世界中で有名になった。

 1904年、彼の代表作である『L’Eau de mer, milieu organique(海水、有機媒体)』を発表した。この研究は、塩分の高いハイパ
ートニックそしてアイソトニック溶液の両方について、皮下・皮内注射、経口投与した際の、海水の確かな効能を示すものでした
。Quintonアイソトニック溶液は、私たちの血液、涙、あるいはヒトの他の分泌液と同じ塩分濃度でした。ハイパートニックとアイソ
トニックの中間の塩分濃度を持つ海水、キントンのDuplaseを使用したアイソトニック静脈内投与についての記述もあります。


 1897年に、フランス大学のラボでルネ・カントンは人類の起源に関する研究を開始した。この研究は、ルネ・カントンが最初の
生きた細胞が海水の中で現れたという仮説を立てるのに役立ちました。

 ルネ・カントンは1905年に医学のためにルネ・カントン研究所を設立しました。重要な業績に、1904年の「Eau de Mer, Milieu
Organique(海水、有機媒体)」の出版があります。この本は、有名な「ルネ・カントン・プラズマ」の市販を1905年から開始したル
ネ・カントン研究所の設立とほぼ同時に出版されました。当時、ルネ・カントンの海水療法による治療はまたたく間に広まりパリ
の全区、フランスの他の地域、他の国々(英国、ベルギー、エジプト、アメリカなど)に診療所が開設されました。ルネ・カントン
は1921年にジーン・ジャリコ博士の指導のもと、小児科でのルネ・カントン・プラズマ使用について実証済みの臨床結果(現在
でも実験レベルでは疑問の余地がない)を記述する「Le Dispensaire Marin(海洋診療所)」を出版しました。

ルネ・カントン協会は、この優れた研究者の名声を法的に守るためにパリで1960年に設立されました。2010年には現キントン・
ラボラトリー会長フランシスコ・コール氏をパトロンとしてジョアン ・ ミケル ・コ-ル氏により海水療法の普及と海洋生物や海水に
関する研究と調査を目的とした非営利団体ルネ・カントン財団が設立されました。ルネ・カントンの存在は一時は消えかかった
灯火とも思えた時代を経て、現代へと受け継がれ今鮮やかに蘇っています。真実は淘汰される事は無いのです。


 ルネ・カントンは、生命の起源は44°Cの海中であると考えました。このため、あらゆる種が誕生するときの体温は
海のそれと同じであるということになります。面白いことに、熱源に近づくと感じられる熱痛は44.5°Cで始まります。ル
ネ・カントンは生命の起源について2つの主要な事実を確立しました。細胞という形での動物の生命は海で現れたこと
、そしてあらゆる生命体を作る細胞は海洋環境において維持されるということです。しかしながら、これは常に正しかっ
た訳ではなく、この環境で生きることができなかったものは絶滅しました。すべての動物という有機体は、まさに海の水
槽であり、その中ですべての細胞が生き続けているのです。このことから、海があらゆる種類の動物の起源であるこ
とは明白です。事実、動物を含むあらゆる生物は、海洋生物から派生しています。最初の有機体に命を吹き込んだ始
原細胞は明らかに海洋の細胞です。最終的な生命体が存在するようになったのは、44°Cを原点とした温度の下で
あることを忘れてはなりません。つまりこの温度によって、あらゆる種が地球上に誕生したのです。

 別のイヌでは大腿動脈から血液を全部抜き取りました。実験動物は瀕死の状態で、角膜反射は見られませんでし
た。海水を11分間注入すると反射が見られるようになり、イヌは意識を取り戻し、立ち上がり、翌日には研究所を歩き
周りました。このイヌは「ソディウム(ナトリウム)」と名付けられ、5年後に路面電車に轢かれるまで生き延びました。つ
まり、この犬は海水療法の効果を存分に全うした人生を送ったということの証なのです。

 1887年から1904年までの間に、ルネ・カントンは、他の教授、著明な臨床指導者、若い熱心な医療従事者とともにそ
の海洋治療を実施し、観察結果を収集し、治療法を前進させました。ルネ・カントンは、絶望的な患者を治療する許可
を得てパリの病院で治療を始めました。その中には、当時の医学的判断によれば死ぬ運命にあった末期昏睡状態
の発疹チフス患者や、シュウ酸中毒患者、梅毒患者、肝硬変患者、分娩後出血で出産中に死にかけていた若い女性
などがいました。当時ルネ・カントン・プラズマと呼ばれていたこの等浸透圧の海水療法では、奇跡を起こしたと思わ
れました。多くの場面で、死にかけていた患者が一命をとりとめました。この一連の実験の結論を下すために、ルネ・
カントンは、その脆弱性から人工の「生命」環境では活かしておくのが難しかった白血球の試験を始めました。ルネ・
カントンはこの試験を、魚、両生類、爬虫類、哺乳類、鳥類といった全生物種に拡大しました。どの場合も、海洋液に
浸した白血球は、正常の生命のあらゆる兆候を示し続けました。最近の研究で、アリカンテ大学講師・生命工学部教
授ホゼ・ミゲル・センペレ博士が「白血球はキントン・アイソトニック液内で長く保存されることを確信しており、現在のと
ころ確実に96時間以上保存できることを確認した」と結論づけました。

ルネは体液と同じ浸透圧まで薄めた海水が体液と同等のものになることを証明するためには実験を行いました。今の様にビデオ録画やインターネットが無い時代です。それは民衆を集めて行うという「公開実験」という勇気あるものでした。1897年にコレージュ・ド・フランスのマレ教授の研究室で実施されました

これが有名な「ルネ・カントンの犬」の実験です。初期の最初の実験はイヌの血液を瀉血法で全部抜き取るというもので、体重10kgのイヌに体重の104%の海水10.4リットルを8時間にわたって静脈内投与しましたが、特に問題は起こりませんでした。腎臓排泄機能は申し分ありませんでした。


【ルネ・カントンRene Quinton履歴1】
 1866(7) - 1925年。
 19世紀終わりから20世紀初頭まで活躍したフランスの生理学者ルネ・カントン(Rene Quinton)は、血液のミネラル組成と海水に含まれているミネラルの組成が近似していることを発見し、キントン・プラズマ(クィントン・プラズマ)を作成した。そして、この血液の濃度まで薄めた海水キントン水(カントン水)を病人に輸血する海水療法(マリンセラピー)を編み出した。キントン水はその後も医療の現場で活用され続け、今日では栄養補助食品として日常の健康サポートに利用されている特殊な海水となっている。

 このキントン水はどこでも採取できる海水ではない。スペイン沖のVortex(渦巻き潮流)が起こる特定海域の水深30mから採取され、水の質量が最大となる4℃で運び、冷蔵した後に2度に渡って濾過減菌を行い(海水の抗菌作用を失活させない非加熱マイクロフィルトレーション方式で)細菌などの不純物を除去した非加熱の特殊な海水である。製品としては特殊な形をしたガラスアンプルに入れて、利用できるように製品にしている。

 キントン海水に含まれる78種類のミネラルの同一性と原始的な成分の供給のおかげで、海水は細胞機能の全般を復元している。完全に自然な解毒をする為の体の除去過程を活発にしている。それによって、体液濃度と等しく外液環境を入れ替えて細胞を再生や活性化したり、腎排泄機能の増進、ホメオスターシス(生体恒常性)を調節、細胞の栄養バランスの調整、婦人病のミネラル補給、皮膚病のミネラル補給などが期待できる。

 キントン水が健康に寄与する大きな要因として、人間に必要なミネラルが含まれていることがあげられる。海水は、人が皆なもっている(包まれている?)体液の組成のあり方、ミネラルバランスなどに「それそのものである」といえるほどに共通しており、たとえば脳の80%は海水に近似した組成水分であることがわかっている。つまり、 人の内部環境は「海から進化した環境を保持して今に至っている」。なぜなら、その内部環境が生命維持にとって必要不可欠であり、完璧なバランスを維持するものだからである。そのため、人は必然的に海水と同じ環境を体内に保持している。キントン水は海水中の植物性プランクトンと動物性プランクトンによって生成されたイオン的なバランスが取れた生きたミネラルを含んでおり、必要な菌は殺さない「選択的抗菌性」の働きがある。人の身体は60兆個の細胞から成り立っているが、体内に細菌が100兆個以上いるといわれている。重さにして約2キロ。肝臓くらいの重さである。一つの臓器と呼んでいいくらいである。つまり、微生物との共生が大切ということになる。これがキントン水の人間、動物の驚くべき自然治癒力・免疫力!!の秘密である。
 1897年、カントン31歳の時、体重5Kgの弱った愛犬の血液を抜き取り、90分かけて血液ミネラル濃度に希釈した海水3.5リットルと入れ替える実験を行った。犬の血液を輸血した訳ではなく、海水を希釈して注入しただけである。結果、 ⓵犬は腹部がふくれ、グッタリして体温も下がり、腎臓排泄機能も弱まり生命活動が低下していった。⓶注入が終わると「すぐに体温が上がり」「生理作用は回復」した。 ⓷実験5日後にはすっかり回復。元気を取り戻し、体重も元に戻った。「海水で内部環境が置き換えられても、生命活動を妨げない。それどころか、犬は実験前より生き生きとして活発になった」。しかも、赤血球・白血球も復元されていた。これにより、血液のミネラル組成と古代の海水組成が近似していること、海水は生体内部の機能に働きかける優れた性質を持っており、海水によって細胞生命は完全な状態で生きることを証明した。生命が誕生した当時の塩分濃度は0.7~0.8%(現在は平均3.5%)。この公開実験は、世界中のメディアで取り上げられ、大反響を巻き起こした。
 次に体重10kgの犬の血液を瀉血法で4分間に渡って大腿静脈から425グラム抜き取り、極限まで血を抜いた後に、海水を11分間に渡り532グラム注入した。つまり、極限まで血液を抜き取ったあとに同量の海水を注入すると、どのようになるかという実験を行った(大量出血した患者に、海水で輸血したことと同じである)。結果は、680万あった赤血球は290万に減少していた。しかし、これだけの大量失血にも関わらず犬は呼吸していた!4日間ほど衰弱していたが、その後、赤血球と白血球が急増し、8日目には脚はかろうじて動かせる程度だったが、元気溢れる様子を見せた。やがて赤血球の急速再生が始まり、白血球も増加して行った。感染に対する抵抗が強まり急速な活力回復を見せた。カントンは「海水は生体内部の機能に働きかける優れた性質を持っている」事実を証明した。この公開実験は、世界中のメディアで取り上げられ大反響を巻き起こした。ちなみに、ソディウム(ナトリウムの化学名)と名付けられたその犬は、5年後に路面電車に轢かれるまで元気に生き延びた!
 次に、もっとも過敏な細胞の一つである白血球が血液と入れ替えた海水の体内で中で生きることを実験で証明しようとした。それは「海水が血液の代替になる」ことの証明でもある。カントンは、40億年前に海から上がって進化した動物の血液の塩分濃度は皆な同じ0.9%であることを知っていた。実験に使われたのは、①哺乳類(犬、人、ウサギ) 、②両生類(カエル)、③爬虫類(トカゲ)、④魚類(テンチ)、⑤鳥類(ハト)。カントンは、血液を各動物から採取し、それを海水で希釈して、白血球の動向を顕微鏡で注視した。どの生物も海水に浸された白血球は正常を保っていた。白血球は血中とまったく同じように自然に振る舞って生きていた!「癒着性、屈折性、アメーバ運動」など生体内で見せる特徴的な現象が海水中でも観察された。実験は仮説通り見事に成功した。この実験で「白血球が海水中でも生きる」ことを証明した。そこで「海水こそ生命を生かす源である」という結論を得た。 
 次に、カントンは、一連の実験過程から次のように考えるに至った。
①「多くの病気の原因は人体の内部環境のバランスの乱れにある」

②「海水の注入によって損なわれたバランスを元の状態に復元する」
③「海水の注入こそ病気治療に相応しく、局所に現れた病気を治療することが可能だ」

 海洋生命理論とも言うべき理論に確信を得た彼は次のステップに踏み出した。それがキントン海水療法(タラソテラピー)の実践である。当時、この療法は画期的異端な病因論になった。
 1904年、ルネ・カントンは一連の実験結果から1冊の著書を出した。タイトルは「有機体の環境としての海水」。同書で、有機体の基本は4分類できるとして次のように解説していた。①内部環境(生命維持に不可欠な環境)、②細胞(生体構成物質)、③不活性物質、④分泌物。その生理メカニズムは、②細胞は①内部環境から栄養を取り込み老廃物を排泄する。③不活性物質は体内で細胞が生産した総合物質であり、それは結合組織、上皮組織、軟骨組織、骨組織などである。④分泌物は生体が必要としている細胞活動の結果である。「海水は生命の母である」とし、海洋恒常性の法則と命名した。病気へのこの見解は実に画期的だった。
 1907年、カントンがパリのモンパルスナ駅近くに初めてのクリニックをオープンした。カントンは、実験を通し確信を得た海水療法を信じて歩み続け、海水療法の海洋診療所開設へと漕ぎつけた。多くの医師たちがその理論に共鳴し協力に駆けつけた。カントン海水療法は、希釈海水の皮下注射である。さらに海水(カントン・アイソトニック)飲用療法でも治療効果があることも立証し、人体において点滴・経口投与できるキントン・プラズマを作成した。こうして数十万人を治療し多くの人命を救った。当時流行っていたコレラ、チフス、リンパ腫など様々な病気に海水注入療法を用い、病気の赤ちゃんや子供を持つ母親達からはもちろん、フランスの著名人の間でも尊敬の眼差しで見られるようになった。数多くの子供たちがめざましい効果で救われた結果、評判が評判を呼び、カントン海洋診療所の前には、瀕死の子供を抱えた親たちが殺到し列をなした。乳幼児に対して行われた治療例だけでも数多くの改善があった。
 当時、海水療法の実践者はカントンだけではなかった!カントン療法はフランス全土に広まった。1910年までにフランス国内で約70ものクリニックを開け50万人以上の命を救った。カントン療法の評判はすぐに高まり、平均1日1万本の注射が投与され、その後パリの全区、フランスの他の地域、他の国々(英国、ベルギー、エジプト、アメリカなど)に診療所が開設された。 19世紀末から、すでに多くの医師たちが独自に海水療法を患者に施した。海水療法を実施した乳幼児は、パリで10万人、リヨンで15万人にも達した。
 一夏に何千もの赤ちゃんが死んでしまうエジプトでもうわさとなり、ルネはエジプトでも治療を施し始めた。キントン療法は、フランス国家が推奨するなど欧米を中心に広がった。海洋診療所は世界各地へ広がった。
 1925年7月、第一次世界大戦で負った傷から早死にしてしまったルネがパリで亡くなった(享年58歳)。葬儀には子供連れの母親からヨーロッパ中の医者科学者、首相を始め政治家、文化人、軍人、多くの子供の命を救ってもらった母親や患者のなど100万人以上の参列者があった。
 1959年、仏タラソテラピー協会が設立された。パリ司法局は海水療法(タラソテラピー)を法的に次のように定義している。「海水および海洋の大気、気候が持っている様々な特性を利用して行う療法」。 このように広義の海水療法は注射(静脈注射、皮下注射)や飲用だけでなく、温泉のような入浴療法、さらに海泥・海藻療法なども含む。
 カントンの犬と千島・森下学説は理論からも通ずるところがある。万病は血液の汚れから起こる、生体バランスの崩れから病気になる。このように学説とは、医学の根っこであり、それを受ける患者には大きな影響を受けてしまうものである。もし、様々な学説から柔軟性が生まれていれば、現代医療も信頼される凄いものになっていたかもしれない。そのために、ひとりひとり結果を重視して治る過程を観る力が必要となり、本当に治るものを見極めることで健康を維持することができる。海水療法は一般化されていないので確信を得たことは言えません。しかし、地球(自然)には人間を生かす何かが既にあるのも確かな事実です。その中のめざましい症例は次の通り。自然医学の可能。海水療法→豊富なミネラル、未知の力。森林療法→マイナスイオン、ゆらぎの音。滝の療法→ゆらぎの音、マイナスイオン。動物(イルカセラピーなど)療法→精神疾患に効果的。
 カントンの実験は世上では絶賛されたが、学界からは猛烈な反発が巻き起こった。当時のヨーロッパ医学界では細菌の存在を発見した時期でもあり、パスツールによる「病原菌が身体環境を悪くする」という、あらゆる病気の原因は病原菌によって起こるとする病因論に立脚しており、それを予防する方法としてワク○ン開発を唱えた。その研究は細菌学の父、ロバート・コッホ氏に引き継がれた。細菌病因説はゆるぎないものとなり、現代はその理論をもとに治療されている。この系譜で細菌やウイルスなどの病原体が万病を起こすと見立てる細菌病因論に繋がっている。

 カントンの方法は、当時の医学界の寵児だったフランスの生化学者・細菌学者ルイ・パスツールとは正反対のものだった。つまり、病因をピンポイントで攻撃するパスツール医学に対して、カントン医学は、生体の全体的な素質の復元を目指していた。近代医学は、「症状」を「病気」と捉える発想で、対症療法として薬物療法を主流にさせていた。しかし、薬物で「症状」を止めるほど「病気」は慢性化していく。つまり悪循環になる。これに対してカントンは、病気の原因を、生体的な素質の悪化にあるとする「細胞を包む細胞外液環境の悪化が病気を産む」という素質医学を提唱した。「症状」を「病気」が治ろうとする「治癒反応」の現れと捉え、且つ病因を部分ではなく全体から捉える考え、生体の全体的な素質の復元を目指した。 これは簡潔には、体質が悪化(生体バランスの崩れ)した結果、細菌やウイルスが増殖した。つまり病原体は原因ではなく結果となる。カントン理論は当時の学説とは正反対のものだった。この考えは東洋医学の発想に近いのかもしれない。医学会主流は本能的にカントンの登場に反感を抱き、パスツールを称賛しカントンを黙殺した。その理由は、「ただの海水で、病気が治っては商売ならない」からであったと思われる。かくしてカントン医師は医学の主流から消され、ペニシリンや抗生物質の研究が称揚された。カントンは歴史から消されかけた。 


 カントン医学の勢いが陰を潜めることになる。既存の医療利権から誹謗中傷が繰り返されたからである。医学界からの猛烈な圧力により、こうしていつものように歴史の闇へと次第に埋もれていった‥。そんな圧力の中でもカントンの海水療法を受け継ぐ人々は増え、現代でも脈々と引き継がれている。

 2012年、NIH(米国国立衛生研究所)に(遺伝子解析から「全てのヒトは、疾患を引き起こすことが知られている微生物である病原体を保持している」)が発表され、ルネ・キントンが提唱する素質医学が今後も一層拡がっていくことが期待されている。

 「海水で病気を治す!」この信念は、臨床現場で次々と証明していった。・チフス→昏睡状態に陥った腸治癒末期患者に海水を静脈注射した。すると患者はみるみる回復し、危機を脱した。・肝硬変→1、2日以内に亡くなるとみなされた重症の肝硬変患者に海水を施すと2週間後に退院できるまで回復した。海水療法は対症療法でなく根本的体質改善なので、適応症も驚くほど広い。大腸炎、胃腸病、肺結核、皮膚病、婦人病、精神疾患、神経症、急性中毒、不眠症、老化、貧血など。

チフス 昏睡状態の腸チフスの末期患者に海水を静脈注射すると、患者はみるみる回復し、 死の淵から生還した。
自殺未遂 服毒自殺を図った若者も海水を大量静脈注射で見事回復した。
肝硬変 重症の肝硬変患者に「海水療法」を施すと、2週間後に退院できるまでに回復した。
遺伝病   遺伝病を持つ母親たちに出生前治療として「海水療法」を施すと、遺伝疾患を持って生まれる子はゼロになった。「海水療法」の原理は、体質改善なので適応も驚くほど広い。
小児疾患 コレラ様腸炎、乳幼児中毒症、胃腸病、乳糖不耐症、栄養障害、梅毒、湿疹。
成人 肺結核、消化不良、皮膚病、婦人病、精神障害、神経症、急性中毒、筋無力症、うつ病、不眠症、老化、拒食症、貧血症、骨粗そう症。

 これらは、「海水が、血液の代替になる」ことの証明である。特筆すべきことは、ロックフェラーの主治医であるホメオパシー医師が「海水療法」を取り入れて いるということである。「海水療法」こそ、輸血に代替する究極療法であり、輸血、血液製剤は、近代医療の最大の失敗である。輸血は、年間約200万人の患者に実施されている。ある研究者は副作用で約10万人が殺されていると推計している。悪魔的な吸血ビジネスにも「海水療法」は終止符を打つことができるのである。

 「ザ・フナイ」の中で船瀬俊介氏が連載している記事の「生体機能を向上させる驚くべき海水療法」の要約。
 リンク元引用 YouTube Rene Quinton Presentation より
 フランスの生理学者ルネ・カントンは、愛犬の血液を海水と入れ替え、実験前より生き生きとなり、海水が血液と同じ組成で、働きも同じであることを証明し た。体重が5キログラムの犬に同量の海水を犬の血管に注入した。(90分かけて、犬に海水約3・5リットルを注入した。)犬は腹部がふくれ、グッタリして 体温も下がり、腎臓排泄機能も弱まり、生命活動が低下していった。ところが注入も終わるとすぐに体温が上がり、生理作用は回復した。実験5日後にはすっかり回復し、元気を取り戻した。体重も元に戻った。海水によって、細胞生命は完全な状態で生きることをカントンは証明したのである。第二の実験は、体重10キログラムの犬の血液を瀉血法で抜き取り、極限まで血を抜いた後に、前回同様、海水を注入するということである。つまり、極限まで 血液を抜き取り、次に同量の海水を注入すると、どのようになるかという実験である。(大量出血した患者に、海水で輸血したことと同じである。)以下が観察された。①白血球の増加 ②感染に対する抵抗 ③急速な活力回復 ④赤血球の急速再生。カントンは以下の衝撃事実を証明したのである。「海水は生体内部の機能に働きかける優れた性質を持っている」。この公開実験は、世界中のメディアで取り上げられ、大反響を巻き起こした。次にカントンは 「白血球が海水中で生きる」 ことを実験で証明しようとした。使われたのは、①哺乳類(犬、人、ウサギ) ②両生類(カエル) ③爬虫類(トカゲ) ④魚類(テンチ) ⑤鳥類(ハト)である。実験は成功した。①~⑤の動物も、海水に浸された白血球は、正常を保っていた。つまり、「もっとも過敏な細胞の一つである白血球を、体内で血液と入れ替えた海水中でも生かしうる」 ということを証明したのである。そこで結論は、「海水こそ、生命を生かす源である」 ということである。カントンの実験は世上では絶賛されたが、学界からは猛烈な反発が巻き起こった。既成学者は、本能的にカントンの登場に反感を抱いたのである。逆風の中、カントンは新しい一歩を踏み出した。それが、「海水療法」である。「血液を海水に入れ替えられた犬は、活力が増した!」、「海水には生命力を活性化させる作用がある」と確信したカントンは、次のように考えた。「多くの病気の原因は、人体の内部環境のバランスの乱れにある」、「海水の注入によって、損なわれたバランスを元の状態に復元する」、「局所に現れた病気を治療することが可能だ」。この病気への見解は実に画期的だった。カントンの方法は、当時の医学界の寵児だったパスツールとは正反対のものだった。つまり、病因をピンポイントで攻撃するパスツールの医学に対して、カントンの医学は、生体の全体的な素質の復元を目指すものだからである。近代医学は、「症状」を「病気」と捉える誤った発想である。だから、対症療法として薬物療法が主流になってしまったのである。「症状」とは「病気」が治ろうとする「治癒反応」である。だから薬物で「症状」を止めるほど「病気」は慢性化していく。つまり悪循環である。これに対してカントンは、病気の原因を、生体的な素質の悪化にあるとして、「症状」を「病気」が治ろうとする現れと捉えるのである。近代医学は、パスツールを称賛し、カントンを黙殺した。その理由は、「ただの海水で、病気が治っては儲からない」 からである。「海水で病気を治す!」信念は、臨床現場で次々と証明されていった。

 つぶされたルネ・カントンの実話に、STAP細胞騒動の真実の一片をかいま見た気がする。




(私論.私見)