大阪・中之島の川沿いを歩いていると、はかま姿の女子大生と幾人もすれ違った。出立の日を前に心を踊らせているのだろう。みな晴れがましい顔をしている。盛り上がる春場所が終われば、日本相撲協会も次期理事長が選出され、新たなスタートを切る。
師匠(元横綱佐田の山)が理事長を務めていた頃。ある夜、私は両国のちゃんこ屋に呼ばれた。そこには脚本家の倉本聰さんもいた。
「私を叱ってくれる人がいなくなってしまいました。何かあったらどうか叱ってください」
隣に座った師匠を見ると、神妙な顔で倉本さんに頭を下げていた。思わずはっとした。協会トップに君臨してからでも、これほどまでに謙虚な気持ちでいるのか、と。
われわれ弟子もよく言われていた。「お前たち、お客さんに相撲を見せてやっていると思っているんじゃないのか。見ていただいているんだという気持ちで土俵に上がりなさい」
伝統を守りながらも時代に合った相撲界をつくることを常に考えていた。そこには協会を強固で盤石な組織にして、次世代に受け渡したい思いがあったからだ。
自身の後任理事長にまだ40代だった北の湖親方(元横綱)が推されそうだと知ると、すぐ動いた。
互選される理事会の朝。誰よりも早く協会へ行って北の湖親方を出迎え「もう少し待て。まだ若いんだからいろんな部署を経験した方がいい」と言った。そして、続けた言葉に含蓄がある。「担がれて理事長になっても、いつはしごを外されるかわからないぞ」
伝わるものがあったのだろうか。北の湖親方は自ら身を引いたという。
パリ公演が行われた平成7年。フランスが核実験を強行し、国技館のまわりではパリ行きに対する反対運動も起こった。
それでも理事長は「日本人は約束を守るんだ」と言い切った。当時のシラク大統領がパリ市長時代からの約束だったという。そして、大統領主催の食事会のあいさつで言い放った。
「フランスの核実験は残念だ。できるだけ早く止めてもらいたい」と。シラク大統領は苦笑いしながら聞いていたが「佐田の山さんがそう仰るのであればなるべく早く止めましょう」と返礼した。
のちに聞いた話では、前日に徹夜で文面を練り、自国へ迷惑をかける事態になった場合、即座に理事長の座を退く意思を固めていた、という。大相撲は相撲界だけのものではない。わが国の風土や習慣の中で、時代にもまれながら残してきた英知あふれる日本の宝だ。春場所後に決まる次期理事長には欲望や邪心を捨て、みなをまとめていく覚悟はあるか。(元小結 舞の海秀平)
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